わたしはかもめ2020年鴎の便り(5月)

便

5月9日

佐々木朗希がモデルのストレッチ動画第4弾が配信[ニッカン]

ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)がモデルを務めるストレッチ動画第4弾が、10日に配信される。

球団公式YouTubeチャンネルで配信された第3弾までのストレッチ動画は、すでに再生回数が5万回を超えている。今回は「エイプリーチ」と呼ばれる、肩や背中、腰部のストレッチ。動画内では、母の日を迎える子供達に、実体験を交えながらアドバイスを送る予定だ。

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佐々木朗希「気持ちが大事」忘れぬ小4母の日の記憶[ニッカン]

#お母さん、いつもありがとう−。ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)が10日、故郷岩手を巣立ってから初めて、母の日を迎えた。球団を通じて「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています」とコメントを寄せ、感謝した。

東日本大震災で父を亡くし、母陽子さんに女手一つで育てられた。小学4年の母の日。近所の100円ショップでタオルハンカチを買い、贈った。恥ずかしがり屋だから、照れながら。「とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。値段ではなく、プレゼントをするという気持ちが大事だと思いました」。

小5の母の日は、一家念願の新居で。こっそり買ったロールケーキをガレージに隠し、夕食後に渡した。昔からサプライズ好き。誕生日が母の日に近い陽子さんには、次男・朗希ら3兄弟で感謝と祝福の気持ちを伝え続けてきた。

ちょうど1年前は、練習試合で7回16奪三振。今年の母の日、マウンドの勇姿はテレビを通じてでも見せられない。来年5月は、サプライズ級の好投を見せられると信じ、鍛錬に励む。「本当に感謝しています。ありがとう」。400キロ離れていても、心は一つ。

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プロ野球、6月上旬に実戦再開へ、開幕は最短で「6・19」[サンスポ]

プロ野球が最短で6月上旬の練習試合開始に向けて、準備を進めていくことが9日、分かった。11日の12球団代表者会議で開幕に向けた協議を重ねる。

東京都の新型コロナウイルス感染者は9日に36人と、7日間連続で100人を下回った。政府は14日をめどに、緊急事態宣言の地域ごとの解除を検討。密閉、密集、密接の「3密」回避の徹底などを前提とした上で、施設使用制限の一部緩和の検討も進める方針だ。

プロ野球は11日に感染症の専門家を交えた対策連絡会議も開く。新型コロナの状況が改善した場合は、専門家のアドバイスを取り入れながら、最短で6月19日の開幕を視野に5月中に各球団が全体練習を再開、6月上旬の練習試合を検討していくことになりそうだ。

前日8日にはチーム活動を休止していた楽天が仙台で自主練習を再開。エースの則本昂はこの日、本拠地で体を動かし、「6月の頭くらいには実戦形式で投げられるようにしておきたい」と語った。あくまでも状況が改善した場合となるが、プロ野球はシーズン開幕に向けて動き出す。

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ロッテ・佐々木朗「母のおかげ、本当に感謝」動画で少年時代のエピソード語る[サンスポ]

ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=が9日、「母の日」を前に、女手一つで育ててくれた母・陽子さん(46)への思いを語った。球団公式YouTubeチャンネルで公開されたストレッチ動画の第4弾で明かしたもので、少年時代の初々しいエピソードも披露。新型コロナウイルスの感染拡大で自宅待機中の子供達にも「気持ちは必ず伝わると思うので、何かプレゼントをして欲しい」と呼び掛けた。

お母さん、ありがとう−。少年時代から憧れだったプロ野球選手となり、初めて迎えた「母の日」に佐々木朗は、陽子さんに伝えたい言葉があった。

「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています。本当に感謝をしています。ありがとう」。

佐々木は岩手・陸前高田市で2001年11月に3人兄弟の次男として誕生。小学3年時に東日本大震災で父・功太さん(当時37歳)と祖父母を失い、家も津波で流された。悲しみの中、ときには父親役となって、育て上げてくれたのが、陽子さんだった。

移り住んだ大船渡で迎えた、小学4年の「母の日」は、100円ショップでタオルハンカチを購入した。「100円なので、喜んでくれないかなあと思ったのですが、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。プレゼントは値段ではなく、気持ちが大事なのだと思った」。ハンカチを手にした母の笑顔は今も脳裏に焼き付いている。翌年5月の母の誕生日には、ガレージに隠していたロールケーキを夕食後にサプライズで手渡した。

成長期の中学時代は、股関節痛や腰の疲労骨折などで満足にプレーができなかった。そんなとき、前向きにさせてくれたのは母の笑顔と栄養面も考えた手料理だった。大船渡高時代は163キロをマーク。190センチ、85キロとたくましい体に成長し、プロ入りの夢をかなえた。昨年10月18日のドラフト会議後に「たくさん迷惑をかけてしまったけど、しっかりその分は恩返ししていきたい」と誓った母への思いは忘れていない。

新型コロナウイルスの感染拡大で日本中の子供達が休校中。「気持ちは必ず伝わると思うので、何かプレゼントをして欲しいと思います」と18歳は優しい表情で呼び掛けた。

入団1年目から先が見えない日が続いている。それでも、佐々木は動画でストレッチ方法を紹介するなど、前向きにトレーニングを続けている。この日はさいたま市の選手寮で、ウエートトレ、体幹トレなどに励んだ。

「色々先輩に教わって、大人になってくれればいい」と語る母が待ち望んでいるのは、プロでの活躍。大きく羽ばたく姿を大船渡へ届ける。

◇「エイプリーチ」を紹介

ロッテが球団公式YouTubeチャンネルで佐々木による「家でもできる簡単ストレッチ」の第4弾を公開。今回は肩、背中、腰部の「エイプリーチ」と呼ばれるストレッチ方法を紹介した。163キロ右腕の動画はファンに大好評で、2月のキャンプ中にスタートしたブルペン動画は277万再生回数、ストレッチ動画もこれまで計8本で30万再生回数を記録している。

佐々木朗希(ささき・ろうき)
2001(平成13)年11月3日生まれ、18歳。岩手・陸前高田市出身。高田小3年で野球を始め、大船渡一中では軟式野球部。大船渡高では1年夏からベンチ入り。3年時に参加した4月の高校日本代表候補研修合宿で高校球界最速の163キロを計測。夏の岩手大会は決勝で敗退した。9月には高校日本代表としてU18W杯に出場。20年ドラフト1位でロッテ入団。190センチ、85キロ。右投げ右打ち。独身。年俸1600万円。背番号17。

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ロッテ・朗希、「母の日」に感謝…小4で初めてプレゼント“幸せの100円ハンカチ”[スポニチ]

感謝の気持ちを伝えよう−。ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)が9日、「母の日」のきょう10日を前に、子供達に「感謝することの大切さ」を説いた。2011年3月11日の東日本大震災で父・功太さん(享年37)を亡くしてから、母・陽子さん(46)に女手一つで育てられた18歳。プロ野球選手となった今、最愛の母への恩返しは「ありがとう」の言葉とともに、マウンドで躍動する姿を見せることだ。

あの笑顔が忘れられない。「母の日」を翌日に控え、さいたま市内の球団寮で体幹トレーニングなどで汗を流した佐々木朗は、母・陽子さんへの感謝の言葉を口にした。

「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています。本当に感謝をしています。ありがとう」。

最速163キロを誇り、「令和の怪物」と呼ばれるルーキーは故郷・岩手で3人兄弟の次男として生まれ、小学3年から野球を始めた。11年3月11日、小学4年になる直前だった。東日本大震災の津波で父を亡くした。陸前高田市に住んでいたが、母の親族がいる大船渡市に引っ越し、その後は女手一つで育てられた。大きな悲しみを経験した朗希少年だが、被災してから初めて迎えた「母の日」の記憶が残っている。

「僕は小学4年生の時に100円ショップに行って、母にタオルハンカチをプレゼントしたことがあります。100円なので“喜んでくれないかなあ”と思ったのですが、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています」。

当時はまだ9歳。それでも母を思いやることで「プレゼントは値段ではなくてプレゼントをするという気持ちが大事だと思いました」と気づいた。そんな経験があるから、子供達に伝えたい。「気持ちは必ず伝わると思うので、何でもいいのでプレゼントをして欲しい」と口にする。

小学5年の時にはロールケーキをプレゼントした。「その時はサプライズでガレージにケーキを隠して、夕食が終わってから取りに行ってプレゼントした。それもとても喜んでくれた」。覚えているのは、やはり嬉しそうな母の姿だった。 プロ入り後も、孝行息子は定期的に岩手の実家へ連絡を入れる。新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕延期となり、4月上旬に予定されていた実戦デビューも持ち越しとなった。フラストレーションがたまりそうな日々だが、少年時代から困難を乗り越えてきた。プロ野球選手として、最愛なる母へ恩返しする。そのためにできることを今するだけだ。


母・陽子さんは昨年11月30日に岩手県大船渡市のホテルで行われた入団交渉の際、息子の晴れ姿を見守り「帽子をかぶったり、ユニホームを着ると入団するんだなと思いました。私よりしっかりしているので何とかやってくれると思いますよ」と笑顔で話していた。

大船渡時代は、二人三脚で体づくりに取り組んだ。1年夏から1日6合のご飯を食べさせ、1年間で10キロの増量に成功。昨夏、U18W杯が行われた韓国にも駆けつけ、キムチやニンニク料理が苦手な息子のために「何か食べられるものを」とカップラーメンやカルピスを差し入れた。「(3兄弟の)真ん中なので、あまり手を掛けてやれなかった反省もある」。陽子さんはそう話していたが、心配無用なほど、佐々木朗は大きく成長している。


「佐々木朗希投手も実践している家でもできる簡単ストレッチ」第4弾が、10日から球団公式YouTubeチャンネルで公開される。今回の動画内容は肩、背中、腰部のストレッチ。モデルを務める佐々木朗は「今は思うように遊べなかったり、学校に行けなくて大変だと思いますが、今できることを見つけて取り組みましょう」とメッセージを送った。なお、第3弾までは計5万再生回数となっている。

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6・19開幕で120試合制なら予備日の確保可能、大型連戦も最小限に[報知]

最短で6月19日の公式戦開幕を目指しているプロ野球が、67年ぶりとなるシーズン120試合制を検討していることが9日、分かった。新型コロナウイルスの影響による開幕延期で予定された143試合の実施を断念しており、リーグ内24回戦総当たりの120試合制を軸に調整している。公式戦が120試合まで縮小されれば、1953年のパ・リーグ以来67年ぶり。5月31日を期限とする緊急事態宣言の解除を前提に、全国のファンにプロ野球を届ける準備を進めている。

火曜日から6連戦をベースに消化すると仮定すれば、6月19日開幕の場合、11月上旬までに120試合が組まれる公算が大きい。11月中旬には例年と同等の10日程度の予備日も確保可能。9月下旬には多くの球団で当初から9連戦が組まれているが、3か月遅れの開幕でも過密日程や大型連戦は最小限にとどめられる可能性が高い。また、感染防止に万全を期すため各球団は地方開催を本拠地開催に振り替えており、2連戦を3連戦に変更しやすい状況にもある。

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今季のプロ野球、120試合制を検討…67年ぶり、最短6・19開幕[報知]

最短で6月19日の公式戦開幕を目指しているプロ野球が、67年ぶりとなるシーズン120試合制を検討していることが9日、分かった。新型コロナウイルスの影響による開幕延期で予定された143試合の実施を断念しており、リーグ内24回戦総当たりの120試合制を軸に調整している。公式戦が120試合まで縮小されれば、1953年のパ・リーグ以来67年ぶり。5月31日を期限とする緊急事態宣言の解除を前提に、全国のファンにプロ野球を届ける準備を進めている。

ウイルスに翻弄されてきたシーズンの輪郭が、ようやく見えてきた。交流戦中止を決断した4月から想定してきた6月19日の開幕を起点に、シーズンの全体像が描かれた。緊急事態宣言の解除が条件ながら、11月までに公式戦120試合を実施する日程案が浮上した。

当初の予定は3月20日開幕の143試合制。最短でも3ヶ月遅れの開幕となるが、手を尽くし、120試合実施の見通しが立ちつつある。日本シリーズは2週間遅らせ、11月21日に開幕。東京五輪の1年延期に伴い、公式戦休止期間(7月21日〜8月13日)を撤廃して公式戦を組み込む。同一リーグ5球団との総当たりの24回戦制(通常は25回戦制)で、レギュラーシーズンは11月まで開催されるとみられる。

開幕から当面は無観客試合で行う。交流戦は05年の導入後初の中止。オールスター戦、クライマックスシリーズも中止となる可能性がある。公式戦が120試合まで縮小されれば、53年のパ・リーグ以来、実に67年ぶり。痛みを伴いながら、「野球を通して全国の皆さんに明るい話題を持ってもらいたいという思いが全球団で強い」(斉藤コミッショナー)と最善策を模索してきた。

野球協約は公式戦の本拠地試合について最低60試合と定めており、120試合の消化がかなえば、協約を見直すことなくシーズンが成立する。雨天中止や不測の事態に備えた予備日も一定程度、設定するとみられる。開幕に向けては練習試合も再設定される見通し。延期や練習の制限で調整に苦心してきた選手は、約1ヶ月間でコンディションを整えることになる。

11日にはJリーグとの対策連絡会議と12球団代表者会議、12日には臨時オーナー会議が予定される。専門家の意見を踏まえた上で、今後も慎重に協議を進める。緩和傾向が続き、緊急事態宣言が解除されることが開幕の大前提。情勢は楽観を許さないが、1人1人の我慢によってプロ野球の足音は徐々に近づいてきている。

◇120試合は53年パが最後

1950年の2リーグ制以降、シーズン試合数が、1チーム120試合以下だったのは、53年に7球団(南海、阪急、大映、西鉄、毎日、東急、近鉄)で各120試合行われたパ・リーグが最後。この年のパは、3月21日に開幕し、10月11日に閉幕した。ほかに、120試合以下のシーズンは、50年パ、51年セ、パ、52年セ(いずれも7球団)で開催。54年のパ・リーグは8球団となり、140試合で行われた。

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佐々木朗希、子供達へプレゼントのススメ、母の日に感謝の思い「気持ちは必ず伝わる」[報知]

ロッテの佐々木朗希投手(18)が9日、10日の母の日を前に子供達へプレゼントのススメを説いた。感謝の思いを伝える日に向けて「気持ちは必ず伝わると思うので、何でもいいので何かプレゼントをしてあげて欲しいと思います」とメッセージを送った。

自身の体験が原点にある。2011年3月に東日本大震災で被災し、父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くす過酷な経験をした中、迎えた同年の母の日のこと。小4の朗希少年は母・陽子さんへのプレゼントを買いに100円ショップへ足を運び、タオルハンカチを購入した。

「100円なので喜んでくれないかなと思ったのですが、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています」。

買った時の思いとは真逆の反応。だからこそ「その時にプレゼントは値段ではなくてプレゼントをするという気持ちが大事だと思いました」と強調した。

さらに小5では母の誕生日にロールケーキをサプライズプレゼント。「夕食が終わるまではガレージにケーキを隠していて、夕食が終わってから取りに行ってプレゼントをしたのですが、それもとても喜んでくれたのを今でも鮮明に覚えています」と振り返った。

プロ入り後も定期的に実家へ連絡をしている。「今、こうやってプロで野球ができているのは母のおかげだと思っています。本当に感謝しています。ありがとう」。プレーだけではなく、感謝の言葉を素直に伝えられる高い人間性もまた、子供達の模範になるはずだ。

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ロッテ・ドラ1朗希“親孝行のススメ”、母の日公開動画で“プレゼント秘話”明かす[デイリー]

ロッテのドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡=が、母の日の10日にアップされる動画で子供達に“親孝行のススメ”を説く。球団公式YouTubeチャンネルの「ストレッチ動画第4弾」の中で自身の“プレゼント秘話”を明かし、母・陽子さん(46)への深い感謝の思いをメッセージに込めた。

感謝の気持ちを行動に移し、伝えよう−。佐々木朗が、母の日の10日公開の動画で子供達にメッセージを発信。「気持ちは必ず伝わると思うので、何でもいいので何かプレゼントをしてあげて欲しいと思います」と肉声で語り掛ける。

自身の経験も踏まえた具体例を明かす。小学4年生の時の話。100円ショップでタオルハンカチを購入し、母・陽子さんにプレゼントした。「100円なので、喜んでくれないかなあと思ったのですが、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています」。その時に「値段ではなくて、プレゼントをするという気持ちが大事」だと感じた。

5年生の時にはサプライズが好きな佐々木朗らしい“演出”もあった。母の誕生日。自宅のガレージにロールケーキを隠し、夕食後にプレゼントして大喜びさせた。

今も岩手の実家には定期的に連絡を入れている。当然、感謝の気持ちは絶対に忘れない。小学3年生の時に東日本大震災で父・功太さん(当時37歳)と祖父母を亡くした。自身を含めた3兄弟は母・陽子さんに女手一つで育てられた。

「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは、母のおかげだと思っています。本当に感謝をしています。ありがとう」。最速163キロ右腕はプロで活躍し、親孝行を実践する。

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