わたしはかもめ2020年鴎の便り(8月)

便

8月17日

ロッテ種市1軍復帰8月末以降へ「まだ調整中」監督[ニッカン]

ロッテ種市篤暉投手(21)の1軍復帰は8月末以降になりそうだ。2日に右ひじの違和感で出場選手登録を抹消。井口監督は17日までに「今のところまだ調整中というところです」と話すにとどめており、18日からのソフトバンク6連戦(ZOZOマリン)は、16日までの日本ハム6連戦と同様の先発ローテーションで臨む可能性が高い。

種市は今季7試合に先発し3勝2敗、防御率3.47。7月25日の西武戦(メットライフドーム)で自身初の完封勝利を挙げている。

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レアード長期離脱か「今年中に間に合えば」井口監督[ニッカン]

ロッテのブランドン・レアード内野手(32)が長期離脱になる可能性が高まった。腰の治療に専念するために16日、米国へ一時帰国。井口監督は手術の可能性も覚悟した上で「何とか今年中に間に合えばいいなと思います」と話した。

コロナ禍が続けば再来日後も2週間の待機が必要となるため、少なくともシーズン中盤の1軍復帰は難しそうだ。今季は39試合に出場し打率2割3分3厘、6本塁打。開幕直後は10試合5本塁打と好調だったが、腰の影響もあり失速していた。球団とは昨オフ、来季までの2年契約を結んでいる。

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ロッテが10月2・4日に「2005年誠ユニ」配布[ニッカン]

ロッテは17日、10月2日・4日の西武戦(ZOZOマリン)で「2005年誠ユニホーム」を先着5000人(ビジター外野応援指定席を除く)に配布することを発表した。

両日は「70周年チャンピオンシリーズ」の一環として企画が開催され、05年の日本一にスポットが当てられる。誠ユニホームは05年のホームゲームで着用したユニホームの1つ。

球団広報室は「ファンの間でも思い出深いユニホームの1つだと思います。ネーミングはファンから募集する形で決めました。当時はピンストライプか、誠ユニホームか、黒パンツの侍ユニホームか、どれをゲームで着るのかは当日の先発投手が決めていました。日本一に輝いた年ということもあり、とても懐かしく思い出深いユニホームです」とコメントした。

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ロッテ荻野が実戦復帰、2軍戦「4番DH」で2安打[ニッカン]

ロッテ荻野貴司外野手(34)が17日、イースタン・リーグ楽天戦(ロッテ浦和球場)で実戦復帰した。

「4番DH」で出場し、5打数2安打だった。4回の第2打席では楽天滝中の変化球を捉え、左翼線への適時二塁打とした。

試合後は球団を通じて「時間がかかってしまいましたが、まずは試合に出場できたので良かったです。今日は守っていないので、次回は守備についてフルで試合に出られるように準備していきたいと思います。まだまだブランクがあるので打席の感覚、試合の感覚を早くつかんでいきたいです」とコメントした。

荻野は7月22日の西武戦(メットライフドーム)で盗塁を試みた際、右足を負傷。右大腿二頭筋の軽い筋損傷と診断され、同23日に出場選手登録を抹消されていた。

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ロッテOB村田兆治氏始球式、22日ソフトバンク戦[ニッカン]

ロッテは17日、OBの村田兆治氏(70)が22日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)で始球式を務めることを発表した。

村田氏は74年にロッテオリオンズが日本シリーズで優勝した際の胴上げ投手。22日の「70周年チャンピオンシリーズ」の開催に際し、始球式が企画された。当日は村田氏らによる日本一ペナントのお披露目セレモニーなども行われる。

村田氏は「1974年、ロッテ球団として初の日本一を達成してから46年が経ちました。ファンの皆さんに支えていただきながら毎日、チームのためにとにかくガムシャラに、必死にプレーしていたことを昨日のことのように覚えています。今はこのような状況ですが、球場にお越しいただけるファンの皆さん、画面を通してプロ野球を楽しんでおられるファンの皆さんに元気を与えられるような球を投げ込みたいと思います」とコメントを寄せた。

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ロッテ、レアードが長期離脱へ、井口監督「今年中に間に合えばいいかな」[スポニチ]

ロッテのレアードの長期離脱が必至となった。

腰痛の治療で16日に米国へ帰国した助っ人について、井口監督は「今年中に間に合えばいいかな。米国の病院の診断で手術とかになれば、しばらく戻ってこられなくなる」と説明。開幕を4番で迎えて9試合で5発をマークしたが、7月以降は足がしびれるなどの症状が表れて、わずか1本塁打と低迷していた。

米国からの報告を待って再来日のタイミングを計るが、手術となれば今季中の復帰は絶望的だ。

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ロッテ・荻野が2軍戦で1ヶ月ぶり実戦復帰、いきなりマルチ安打マーク「次回は守備に」[スポニチ]

右大腿二頭筋の筋損傷で戦列を離れていたロッテ・荻野が約1ヶ月ぶりに実戦復帰した。

楽天戦に「4番・DH」で出場し、4回無死一塁の第2打席で左翼へ適時二塁打。9回にも左前打を放ってマルチ安打をマークした。

「時間がかかってしまいましたが、まずは試合に出場できたので良かったです。今日は守っていないので、次回は守備についてフルで試合に出られるように準備していきたいと思います。まだまだブランクがあるので打席の感覚、試合の感覚を早くつかんでいきたいです」。

荻野は7月22日の西武戦で盗塁を決めた際に下半身に違和感を訴え、翌23日に出場選手登録を抹消された。

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ロッテ、村田兆治氏が22日ソフトB戦で始球式、74年日本一から46年…有藤氏、山崎氏、木樽氏も来場[スポニチ]

ロッテは22日のソフトバンク戦(ZOZOマリン)で、1974年ロッテオリオンズ日本シリーズ優勝時の胴上げ投手である村田兆治氏が務めることを発表した。

当日は球団設立70周年を記念して日本一に輝いた4度のシーズンに焦点を当てる企画である「70周年チャンピオンシリーズ」を開催。1974年の日本一にスポットを当てるイベントとして、村田兆治氏による始球式以外にも、試合前イベントとして当時のメンバーである有藤通世氏、山崎裕之氏、木樽正明氏、村田兆治氏の4人による1974年日本一ペナントのお披露目セレモニーや8回裏マリーンズの攻撃前に当時「ラッキー8」として使用していた「ロッテ親衛隊のうた」の場内演奏、1974年ロッテオリオンズユニホームの来場者プレゼント等の関連イベントを実施する。

村田兆治氏は「1974年、ロッテ球団として初の日本一を達成してから46年が経ちました。ファンの皆さんに支えて頂きながら毎日、チームの為にとにかくガムシャラに、必死にプレーしていたことを昨日のことのように覚えています。今はこのような状況ですが、球場にお越しいただけるファンの皆さん、画面を通してプロ野球を楽しんでおられるファンの皆さんに元気を与えられるような球を投げ込みたいと思います」と意気込んでいる。

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ロッテ、10月2〜4日の西武戦で「2005年誠ユニホーム」配布、先着5000人に[スポニチ]

ロッテは10月2〜4日の西武戦(ZOZOマリン)で「2005年誠ユニホーム」を先着5000人に配布することを発表した。ビジター外野応援指定席を除く。配布はLゲートを除く全ゲートにて開場時間と同時に開始する。

誠ユニホームは日本一に輝いた2005年シーズンにおいてホームユニホームの1つとして着用したユニホーム。10月2〜4日は球団設立70周年を記念して日本一に輝いた4度のシーズンに焦点を当てる企画である「70周年チャンピオンシリーズ」の一環として、2005年の日本一にスポットを当てたイベントを開催する。

球団広報室は「誠ユニホームはファンの間でも思い出深いユニホームの1つだと思います。ネーミングはファンから募集する形で決めました。また当時はピンストライプか誠ユニホームか黒パンツの侍ユニホームのどれをゲームで着るのかは当日の先発投手が決めていました。日本一に輝いた年ということもあり、とても懐かしく思い出深いユニホームです。ぜひご来場いただき懐かしの誠ユニホームをゲットしてください」とコメントしている。

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22日のソフトバンク戦でOB村田兆治氏が始球式[報知]

ロッテは17日、OBの村田兆治氏(70)が22日のソフトバンク戦で始球式を務めることを発表した。

村田氏は1974年ロッテオリオンズが日本シリーズで優勝した際の胴上げ投手。22日は球団設立70周年を記念した「70周年チャンピオンシリーズ」の開催し、試合前イベントで、村田氏のほかに当時のメンバーである有藤通世氏(73)、山崎裕之氏(73)、木樽正明氏(73)による日本一ペナントのお披露目セレモニーなども開催される。

村田氏は「1974年、ロッテ球団として初の日本一を達成してから46年が経ちました。ファンの皆さんに支えて頂きながら毎日、チームの為にとにかくガムシャラに、必死にプレーしていたことを昨日のことのように覚えています。今はこのような状況ですが、球場にお越しいただけるファンの皆さん、画面を通してプロ野球を楽しんでおられるファンの皆さんに元気を与えられるような球を投げ込みたいと思います」とコメントした。

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10月2〜4日の西武戦で「2005年誠ユニホーム」を先着5000人に配布[報知]

ロッテは17日、10月2〜4日の西武戦で「2005年誠ユニホーム」を先着5000人に配布すると発表した。

配布はLゲートを除く全ゲートで開場時間と同時に開始(開場時間は未定)。同ユニホームはロッテが日本一に輝いた2005年シーズンに着用していたもので、当日は「70周年チャンピオンシリーズ」の一環とし、2005年の日本一にスポットを当てたイベントを開催予定。

球団広報は「このユニホームは日本一に輝いた年ということもあり、とても懐かしく思い出深いユニホームです。ぜひご来場いただき、懐かしの誠ユニホームをゲットしてください」とコメンとした。

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ロッテ、和田で甲斐くぐる!鷹6連戦で1番起用も、井口監督が走力を絶賛[デイリー]

ロッテ・井口資仁監督(45)が17日、育成出身の和田康士朗外野手(21)を18日からのソフトバンク6連戦でも1番で起用する可能性を示した。

16日・日本ハム戦で鮮烈なスタメンデビューを果たした。リードオフマンとしてプロ初安打、初の猛打賞に加え3得点3盗塁。50メートル走5秒8の快足が最大の武器で、指揮官は「盗塁を確実にしてくれる」と絶大な信頼を寄せる。

首位・ソフトバンクとは2ゲーム差。直接対決6連戦でも「もちろん可能性はあります。色んなシチュエーション、対相手の兼ね合いを見ながら」と1番での起用を示唆。6月19日・ソフトバンクとの開幕戦で甲斐からプロ初盗塁をマークした和田。再び“甲斐キャノン”を突破して相手バッテリーを揺さぶれば、勝機も見えるはずだ。

今回の6連戦を見据え「まず最初の3つを勝ち越せるように」と井口監督。6月に支配下を勝ち取った若武者が、重要な試合のキーマンになるかもしれない。

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ロッテ・レアード、長期離脱も…腰痛治療のため一時帰国[デイリー]

腰痛の治療のため16日に米国に一時帰国したロッテのブランドン・レアード内野手が17日、長期離脱となる可能性が出てきた。

開幕前から腰に違和感があり「注射を打ちながらやっていた」と井口監督。主砲の不在は痛いが「何とか今年中に間に合ってくれれば。しっかり治して欲しい」と完治を最優先させる方針を示した。

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ロッテ、マサカリ投法・村田兆治氏が始球式に登場、8・22ソフトバンク戦で[デイリー]

ロッテは17日、8月22日・ソフトバンク戦(ZOZOマリンスタジアム、17時試合開始)の始球式を1974年・ロッテオリオンズ日本シリーズ優勝時の胴上げ投手で、マサカリ投法で有名な球団OB・村田兆治氏が務めると発表した。

当日は、球団設立70周年を記念して日本一に輝いた4度のシーズンに焦点を当てる企画「70周年チャンピオンシリーズ」を開催。1974年の日本一にスポットを当てるイベントとして、試合前に1974年当時のメンバーであるOBの有藤通世氏、山崎裕之氏、木樽正明氏、村田兆治氏の4名による1974年日本一ペナントのお披露目セレモニーを実施する。

さらに8回裏マリーンズの攻撃前に当時「ラッキー8」として使用していた「ロッテ親衛隊のうた」の場内演奏、「1974年ロッテオリオンズユニホーム」の来場者プレゼント等の関連イベントも実施する。

村田兆治氏は「1974年、ロッテ球団として初の日本一を達成してから46年が経ちました。ファンの皆さんに支えていただきながら毎日、チームのためにとにかくガムシャラに、必死にプレーしていたことを昨日のことのように覚えています。今はこのような状況ですが、球場にお越しいただけるファンの皆さん、画面を通してプロ野球を楽しんでおられるファンの皆さんに元気を与えられるような球を投げ込みたいと思います」とコメントした。

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ロッテ「2005年誠ユニホーム」5000人に配布、10月2日からの西武戦[デイリー]

ロッテは17日、10月2日〜4日の西武戦(ZOZOマリンスタジアム)にて「2005年誠ユニホーム」を先着5000人に配布(ビジター外野応援指定席を除く)すると発表した。

配布はLゲートを除く全ゲートにて開場時間と同時に開始(開場時間未定)。「誠ユニホーム」はロッテが日本一に輝いた2005年シーズンにおいてホームユニホームの1つとして着用していた。なお10月2日〜4日は球団設立70周年を記念して日本一に輝いた4度のシーズンに焦点を当てる企画である「70周年チャンピオンシリーズ」の一環として、2005年の日本一にスポットを当てたイベントを開催する。

ロッテ広報室は「誠ユニホームは、ファンの間でも思い出深いユニホームの1つだと思います。ネーミングはファンから募集する形で決めました。また当時は、ピンストライプか誠ユニホームか黒パンツの侍ユニホームのどれをゲームで着るのかは、当日の先発投手が決めていました。日本一に輝いた年ということもあり、とても懐かしく思い出深いユニホームです。ぜひご来場いただき懐かしの誠ユニホームをゲットしてください」とPRした。

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[千葉魂]通算100S、思い浮かべた家族の顔、「野球が大好き」益田の支えに[千葉日報]

記録達成の瞬間、思い浮かべたのは妻の顔であり、3人の子供達のことだ。益田直也投手が8月7日のバファローズ戦(京セラD)でプロ通算100セーブを達成した。100ホールドを記録した選手の100セーブ達成はプロ野球通算5人目。偉業達成を決めると帽子の裏側をじっと見つめた。帽子のつばの裏側には妻と6歳の長男、4歳の長女、生まれたばかりの次男の名前のイニシャルが書かれている。

「100件以上のお祝いの連絡をいただきました。もちろん、皆さん嬉しかったですけど、家族からの連絡が1番嬉しかったです。いつも家族にバックアップしてもらっている。自分の仕事を理解してもらっている。感謝しかないです」。

益田は偉業達成の日の事をそう振り返った。プロ野球は月曜日を除くほとんど毎日、試合が行われる。益田が任されるストッパーは勝ちゲームではほぼ毎回、登板機会が巡ってくる。ここを抑えれば勝ちという最終回の緊迫した場面。抑える時もあるが、打たれる日だって時にはある。打たれた時、周囲は「切り替えろ」と助言する。それはもちろん分かっている。でも人間の感情はそう簡単にコントロールできるものではない。必死に切り替えようとするが悔しさはこみ上げてくる。やっぱり、なかなかできない。

「次の日になったらさすがに少しは気持ちが切り替えられますけど、自分はなかなかできないタイプ。寝れないこともある。イライラしてムシャクシャしてムッとしてしまう」。

結婚当初、家に野球を持ち込まないと決めていた。だから打たれた時も、家に帰るまでに必死に気持ちを切り替えた。それは切り替えたというよりも、そのように装っていた。夫が無理をしているのが分かったのであろう。ある日、妻に言われた言葉を益田は忘れない。「(家に)持ち込んでもいいよ。全然いいよ。私、野球好きだから」。それからは家に帰ってその日の試合の話をするようになった。妻が愚痴の聞き役になってくれた。気持ちが随分と楽になった。

「嫁が仕事の事を理解してくれているので本当に助かっています」と益田。

子供達も野球に熱中している。とりわけ小学校1年になる長男は誰よりも熱い父親のファンだ。打たれて帰ったある日、妻から長男が泣いていたと教えてもらった。そこまで心から応援してくれていることが嬉しかった。そしてそんな息子を悲しませてはいけないと気持ちを強くした。

「打たれる度に悔し泣きをするみたいです。マリンに応援に来た時もビジターでテレビ観戦する時も。嫁も子供達も本当に野球が大好きで熱いですよ」。

100セーブを達成する直前の8月4日のバファローズ戦(京セラD)で益田は1点リードの9回に登板。守備の乱れもあり同点に追いつかれてしまった。試合後、ホテルに戻ると自宅のテレビの前で長男が泣いて悔しがっていたと妻が教えてくれた。自分の分まで悔しがってくれたと思うとふと冷静に戻ることができた。不思議と気持ちを切り替えることができた。家族の存在とはそういうものだ。

そんな益田が100セーブ達成試合と同じくらい嬉しかったセーブがある。7月31日のイーグルス戦。結婚記念日の事だった。

「今日は結婚記念日だったので勝ててよかったです。そして自分もセーブを挙げることができて良かったです」。

益田はそう笑顔で話をすると勝利の余韻が残る球場を誰よりも先に出て行った。愛する家族が待つ自宅に帰り記念日を祝うために。益田もまた良き夫であり、父である。家族の喜ぶ顔を見るためにこれからもセーブを重ねる。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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