わたしはかもめ2020年鴎の便り(9月)

便

9月28日

ロッテ加入チェン・ウェイン先に「タオル」デビュー[ニッカン]

「加油!チェンウェイン投手!フェイスタオル」(価格1600円)で、マリーンズオンラインストアで30日午前10時から予約販売する。入団会見を行う前に選手のグッズを販売するのは球団初。同投手は「台湾語で『頑張れ!!』と入っていてすごく嬉しく思います。(会見前に)ファンの方々に知って貰える機会がもらえて嬉しい」とコメントした。

井口監督は同投手について「ファームで投げるとしたら1回。そのあと(1軍)ローテに入ってもらったら」と明言。2軍戦視察も熱望した。チェン・ウェインは10月3日まで千葉市内の自宅で隔離生活を送る。現在は室内でシャドーピッチングをしたり、体幹トレでコンディション維持に努める。10月4日以降に1度2軍で投げ、同11日以降の1軍先発が公算大。タオルを持ったファンが球場に詰め掛けそうだ。

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ロッテ石川「とにかく一生懸命に」自分の投球に集中[ニッカン]

29日の日本ハム戦でロッテの石川歩投手が先発する。

7月31日楽天戦から9月4日ソフトバンク戦まで6連勝を記録し、8月度の月間MVPも受賞。前回22日楽天戦では7回途中8失点と崩れたが「明日もこれまでと変わらず、とにかく一生懸命頑張るだけ。一生懸命に投げます」と自分の投球に集中する。

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ロッテ、CHIBAユニを10月の4試合で着用[ニッカン]

ロッテは10月13〜15日の楽天戦(ZOZOマリン、午後6時試合開始)および10月16日の日本ハム戦(同)にて地域振興活動の一環として「ALL for CHIBA」イベントを開催し、CHIBAユニホームを着用する。

ユニホームの右袖には試合ごとに「スポーツを通じた地域振興・地域貢献に関するフレンドシップシティ・プログラム協定」を締結している市名入りのロゴを掲出。10月13日は成田市、14日は習志野市、15日は茂原市、16日は鴨川市のロゴとなる。

ALL for CHIBA鴨川市は9月12日のオリックス戦で開催予定だったが雨天中止となったため再度日程を設定した。

ロッテ広報室は「今年最後のCHIBAユニホーム着用試合となります。CHIBAユニホーム着用試合は7月31日の楽天戦から1分けを挟んで4連勝中です。1974年以来となるリーグ1位での優勝のために、この縁起のいいユニホームを着て、勝ち続けていきたいと思います。いざ、リーグ1位で突ッパ!」とコメントした。

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プロ野球、コロナの影響で経済損失1423億円[サンスポ]

関大の宮本勝浩名誉教授が新型コロナウイルス感染拡大によりプロ野球12球団が被った経済損失を計算したところ、約1423億円に上ることが28日、分かった。今季の観客数が昨季の2割程度になることが響いた。

開幕が6月19日と2ヶ月半以上遅れた上、7月9日まで無観客試合、同10日から上限5000人、9月19日からは収容人数の50%までと、厳しい制限が行われている。

宮本名誉教授は9月23日までの観客数を集計。同日以降の試合も収容人数の50%と推定して、今季の総観客数をセ・リーグ約308万人、パ・リーグ約247万人の計約555万人とした。

昨季の総観客数は約2654万人で、12球団の総売上額は1800億円前後と推定。ここから今季の総売上額は約377億円になると推計され、昨季比約1423億円の経済損失になるとした。

また、東京マラソンや大阪マラソンなど全国で500前後あるとされる市民マラソンの中止による経済損失も試算。合計で約7123億円と巨額に上ることも判明した。

宮本名誉教授は「2021年は全試合が満員の球場で開催されることを願っている」などとコメントした。

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ロッテ新助っ投チェン・ウェイン、10月中旬にも1軍マウンドに、井口監督が起用プラン明かす[サンスポ]

ロッテ・井口資仁監督(45)が28日、日米通算95勝で新加入のチェン・ウェイン投手(35)=本名・陳偉殷=の起用プランを明かした。

「ファームで投げるとしたら1回ですかね。その後、ローテーションに入ってもらえたら」。

今月19日に来日した先発左腕は新型コロナの感染拡大防止で2週間の隔離期間中。10月5日に入団会見に臨む予定で、10月中旬にも1軍マウンドでお披露目される。11月5日のレギュラーシーズン終了まで、4試合程度の先発が可能だ。

現在は千葉市内の自宅でシャドーピッチングやマットレスに向かって軟らかいボールを投げているというチェンは球団を通じて「出来る範囲で体を動かし、いつでも投げられるように準備しています」とコメントした。

チームは首位・ソフトバンクと1ゲーム差の2位。指揮官は「(あとは)実戦感覚だけ」と逆転Vへのキーマンに期待を寄せた。

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ロッテ、チェン・ウェインの入団記念フェイスタオル発売[サンスポ]

ロッテが30日から球団オンラインストアでチェン・ウェインの入団記念フェイスタオル(税込み1600円)を発売する。台湾の旗と中国語で「頑張れ」を意味する「加油!」とプリントされており、本人も「台湾の国旗もプリントされていて、すごく気に入りました」とおすすめした。

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美馬学の場合は「援護率」とは「愛され度」なのかもしれない[スポニチ]

◇君島圭介のスポーツと人間

NPBの公式記録ではないが、投手が9回を投げたと仮定したとき、どれくらい打線の援護点があるかを換算する「援護率(または得点援護率)」という指標がある。

今季ロッテに移籍した美馬は、この援護率が抜群に高い。この数字は計算方法に統一ルールがないため、結果に多少のばらつきは出るが、美馬の今季登板14試合での援護率は「7.45」。同じ14試合を投げた楽天・涌井の「7.04」を上回り、先発投手として27日時点でリーグトップに躍り出た。

この援護率は投げている間に打線が何点取ってくれたか、が基準となる。美馬が完投するとすれば1試合で平均7.45点の援護がもらえる。これは凄い数字だ。

リズムのいい投手ほど、味方打線が気持ちよく打ってくれると言われる。27日のソフトバンク戦で美馬の投球間隔を計測してみた。捕手から返球を受け、サインを交換し、打者に投げるまでにかかったタイムは、走者なしの場面で18秒前後。走者を一塁に置いた場面では25秒前後を要している。ちなみにソフトバンクの先発だった二保は走者なしで15秒前後、一塁に走者がいても20秒前後と、決して美馬のテンポがいい訳ではない。

球数に関しては3回までに33球と少なかった。同じ日に中日戦に先発した巨人・戸郷は3回までに51球を要した。この日に関してはストライク率の高さが打線のリズムを生み出したとは言える。ただ、美馬の援護率の高さを呼び込んでいる最大の要因は、ベンチでの姿勢だと確信している。

ソフトバンク戦を5回で降板した美馬はベンチの1番前列で戦況を見守り、味方の安打を派手なアクションで喜び、イニングを抑えた中継ぎ投手を真っ先に出迎えて笑顔でねぎらっていた。それは楽天時代から見慣れた姿だった。

中大の3年後輩に当たる井上は美馬の登板した試合で打率.375、4本塁打、16打点と打ちまくり、「(美馬)学さんが投げてるから助けたい」と公言する。実は援護率とはそういう人間味があるデータなのではないだろうか。新天地でも勝利を積み重ねる美馬を見ていると、そう思う。

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プロ野球界、経済損失は昨年比1423億円、関大・宮本名誉教授が試算[スポニチ]

関西大の宮本勝浩名誉教授(75)が、今年のプロ野球の経済的損失を試算。昨年比で約1423億円の損失になると推定した。

今年は新型コロナウイルスの感染拡大により開幕が大幅に遅れ、シーズンも120試合制に短縮。さらに無観客試合の時期も長く続き、現在も観客数は収容人員の50%などの上限を設けている。

これらの状況から、宮本教授はセ・リーグの今年の総観客数が約308万人、パ・リーグが約247万人と試算。合計で約555万人で、約2654万人だった昨年から約5分の1に減り、売り上げ総額は約377億円にとどまると算出した。昨年の総売り上げ額として推定される1800億円から約1423億円のマイナスになる。同教授は「人気球団であっても2020年は大幅な赤字になると考えられる」とした。

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ロッテ逆転Vへ、チェン、9年ぶりの日本は10月中旬に本拠地先発濃厚[スポニチ]

元中日でメジャー通算59勝を誇り、ロッテに新加入したチェン・ウェイン投手(35=前マリナーズ)が10月中旬に先発で移籍デビューすることが28日、濃厚となった。

首位ソフトバンクを1ゲーム差で追う井口監督は「2軍で投げるとしたら1回。その後、ローテーションに入ってくれたら」と明かした。早ければ10月5日に入団会見を行い、その週に2軍で調整登板し、13日からの本拠地6連戦で先発する。

先発は週の頭から石川、小島、岩下、二木、中村稔、美馬の順で回る。仮に中継ぎもこなせる中村稔をブルペンに組み込めば、右3枚の守護神・益田、沢村、唐川の「勝利の方程式」に左腕を一枚加えられる。9年ぶりに日本に戻ったチェン・ウェインの新天地デビューは、17日の日本ハム戦などが有力候補に挙がる。

中日時代に最優秀防御率のタイトルを獲得した台湾の英雄は19日に台湾から来日。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、千葉市内の自宅で20日から10月3日まで2週間の隔離生活を送るが「外に出られないので自宅でシャドーピッチングをしたり、マットレスに向かって軟らかいボールを投げたりしている」と調整に余念はない。

コロナ禍で今季の米球界はマイナー戦が中止。マリナーズとマイナー契約と交わしていたチェン・ウェインはオープン戦で2試合に登板しただけだが、井口監督は「ここまでの間に投球練習をしてくれているので、あとは実戦感覚だけ」と期待する。今季の最終カードは11月3日からのソフトバンク3連戦。逆転優勝するためには、経験豊富な左腕の力が必要だ。

◇球団初!!入団会見前にグッズ誕生

球団初の超異例待遇だ。チェン・ウェインの入団会見前にオリジナルグッズが発売される。「加油!チェン・ウェイン投手!フェイスタオル」で、30日からマリーンズオンラインストアで発売。台湾の旗もプリントされたデザインに「台湾語で“頑張れ”と入っていて、それも凄く嬉しいです。まだ試合も投げていなく、入団会見すらしていないのに、ファンに知ってもらえる機会がもらえて嬉しい」と喜んだ。

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ロッテ、4連勝中のCHIBAユニでラストスパート[スポニチ]

ロッテは10月13日から15日の楽天戦(ZOZOマリン)、10月16日の日本ハム戦(ZOZOマリン)で地域振興活動の一環として「ALL for CHIBA」イベントを開催し、CHIBAユニホームを着用することが決定した。

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ロッテ、全選手、スタッフら161人全員がPCR検査で陰性[スポニチ]

ロッテは28日、1、2軍の全選手(育成含む)、監督、コーチ、チームスタッフ、チームに関係する職員、161人に対し、9月24、26日に新型コロナウイルスのPCR検査を実施し、全員が陰性の結果となったことを発表した。

検査はZOZOマリン、ロッテ浦和球場で実施した。

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チェン10月中旬デビューへ…井口監督「ファームで投げるとしたら1回」[報知]

ロッテに新加入したチェン・ウェイン投手(35)が28日、シーズン最終盤で1軍デビューする見通しとなった。21日に入団が発表され、現在は千葉市内の自宅で隔離期間を過ごしているが、解禁される4日以降について、井口監督は「ファームで投げるとしたら1回。その後はローテーションに入ってもらおうと思います」と、早ければ10月中旬の1軍デビュープランを明かした。

中日、米大リーグ・オリオールズなどで日米通算95勝左腕の新天地での活躍を期待して、球団は30日からフェースタオル(税込み1600円)を発売する。入団会見前の選手のグッズ販売は初で、チェンも「より一層このチームのために頑張ろうという気持ちになりました」と感謝した。

現在は自宅でシャドーピッチングや体幹トレーニングなどで調整。シーズンでの先発機会は3、4回程度となるが「いつでもすぐに投げられるように準備しています」。15年ぶりのリーグVを目指すチームに、経験豊富な左腕が加わる。

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沢村拓一は気遣いの“お兄さん”…本紙インタビュー、担当記者取材後記[報知]

巨人からトレードでロッテへ移籍した沢村拓一投手が28日、スポーツ報知のオンラインインタビューに応じた。2011年から巨人でプレーしてきた32歳は、新天地では7試合に登板し、いまだ失点ゼロ。ベンチの信頼を得て、勝ちパターン入りを勝ち取った。1ゲーム差の首位ソフトバンク追撃のキーマンになりつつある。現在の心境や巨人への思いなどを語った。

入社して数日しかたっていない約1年半前。新人研修の一環で、ジャイアンツ球場で選手の写真を撮っていた。たまたま目の前で投球練習をしていた沢村選手にカメラを向けたが「練習中だぞ」と注意されたことを思い出した。新人のうちはたくさん怒られるものだし、自分が選手の立場で考えたら同じことを思うはず。ロッテ移籍が決まり「あの時はすみませんでした」と謝罪しようとしたが、覚えているはずもなく…。

申し訳ない気持ちを心の片隅に持ったまま臨んだインタビュー。後輩選手を思う優しい気持ちや、気遣いに心を打たれた。ベンチで柿沼や中村稔ら後輩の肩に手を置きながら優しく話す姿が印象的で“お兄さん的存在”なのだと思った。ロッテは15年ぶりのリーグ優勝を狙える位置にいる。沢村選手の加入で今、チームの勢いは増している。

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沢村拓一に響いた吉井コーチの言葉「任せた」…移籍3週間、本紙インタビュー[報知]

巨人からトレードでロッテへ移籍した沢村拓一投手が28日、スポーツ報知のオンラインインタビューに応じた。2011年から巨人でプレーしてきた32歳は、新天地では7試合に登板し、いまだ失点ゼロ。ベンチの信頼を得て、勝ちパターン入りを勝ち取った。1ゲーム差の首位ソフトバンク追撃のキーマンになりつつある。現在の心境や巨人への思いなどを語った。

≫移籍して3週間。今の心境は?
沢村
「監督、コーチ、選手はじめスタッフの皆さん、食堂のお姉さん方まで受け入れてくださって。充実しています。」
≫チームに溶け込めている実感は?
沢村
「自分で言うのもアレですけど、溶け込めているなとは思います(笑)。」
≫どんな部分で?
沢村
「ロッカーにいる時も、トレーナールームにいる時も、みんな気さくに話しかけてくれる。楽しくできている。」
≫中大時代のチームメートで2年先輩の美馬、1年後輩の井上からはどんな言葉をかけられた?
沢村
「いい意味で楽にやればいいよと。硬くなることもないし。でも、ロッテはロッテなりのプレッシャーはある。ジャイアンツだからプレッシャーがあるとか、ロッテだからないとか、そんなの関係ないと思います。」
≫プレー以外で巨人時代との違いは?
沢村
「(ZOZOマリンの)ロッカーが投手と野手が別々じゃないことが新鮮。巨人は投手と野手でエリアが分かれてて。僕は今、野手(が多い)側にいるので。」
≫ロッテでは大事な場面を任されている。
沢村
「例えば四球を3つ出して勝負した時、吉井さん(投手コーチ)がマウンドに来て任せてもらえた。(自分は)求められたことを意気に感じてやれるタイプだと思ってるので、任された以上は自分がやらなくちゃいけないし、人任せにできない。そこは思い切って勝負できている。」
≫井口監督、吉井コーチの言葉で印象的だったもの。
沢村
「『任せた』って言ってもらえることかな。」
≫勝ちパターンの8回に投げることが増えてきた。
沢村
「優勝争いしてる中で投げる緊張感はある。以前は大丈夫かな、とか自分を疑ってしまう時があったけど、今は一切ない。打者との勝負を楽しめています。」
≫楽しいと思える瞬間はどんな時?
沢村
「打者の反応ですね。嫌がってるなとか、振ってきたとか、強振してきたなとか。」
≫心の余裕ができたようにも見える。
沢村
「野球が仕事になったときから責任感が勝つので楽しいという感情はあまりないですけどね。ただ力にならないととは思います。」
≫パ・リーグに対するイメージは変わった?
沢村
「山本(オ)、平良(西)、ギャレット(西)などパワーピッチャーが多いので、それに負けない強いスイングをする選手が多い。」
≫移籍してからは7試合、計7イニングを無失点。
沢村
「数字を追いかけると、大事なものを見失う気がする。今は『投げたい』とか『投げるのかな』とかいう感情を一切持たないようにしている。投げるまでに気持ちをつくればいい。それまでは自分のできることしかできないので。(無失点は)その結果です。」
≫ポストシーズンを勝ち抜けば巨人と戦う可能性がある。巨人への思いは?
沢村
「残り34試合を戦って、最後に1番上にいたいという気持ちだけです。正直言って巨人と戦いたいとか、現時点では全く思っていない。巨人を出たからこそ、巨人には感謝している。もちろん(投げたら)抑えにかかるのは当然。CSもあるので、それを勝ち抜いて日本シリーズってなったら初めて考えると思う。挨拶代わりに(岡本)和真、吉川尚輝、(大城)卓三ぐらいには内角えぐる、腰引かせるくらい攻めようかな(笑い)。まあそれは冗談ですけど。巨人と戦う権利を得るために今やっている。ロッテのメンバーで優勝がしたいです。」

◇沢村のロッテ移籍後の投手成績

相手(球場)登板勝敗投回安打三振四死失点自責
8日(Z)リリーフH1003000
11オ(Z)リリーフH1001000
19日(札)リリーフ1001000
20〃(〃)リリーフS1001300
23楽(楽)リリーフ1001000
25ソ(Z)リリーフH1102000
27〃(〃)リリーフ1001000
7登板1セーブ3H、[防]0.007100300

[注]Hはホールド。移籍前の巨人では今季13登板、1勝1敗1H、防御率6.08。

沢村拓一(さわむら・ひろかず)
1988年4月3日、栃木市生まれ。32歳。佐野日大高から中大に進み2010年ドラフト1位で巨人入団。11年に11勝11敗、200イニング、防御率2.03で新人王。13年WBC日本代表。16年に最多セーブ(37セーブ)。9月8日に香月一也内野手との交換トレードでロッテ移籍。プロ通算337試合、48勝50敗、75セーブ、54ホールド。防御率2.77。184センチ、102キロ。右投右打。背番号57。

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10月13日から16日まで4連勝中のCHIBAユニホームを着用[報知]

ロッテは28日、10月13日からの楽天3連戦、16日の日本ハム戦(いずれもZOZO)で地域振興活動の一環として「ALL for CHIBA」イベントを開催し、CHIBAユニホームを着用することが決まったと発表した。

ユニホームの右袖には試合ごとに「スポーツを通じた地域振興・地域貢献に関するフレンドシップシティ・プログラム協定」を締結している市名入りのロゴを掲出しており、13日は成田市、14日は習志野市、15日は茂原市、16日は鴨川市のロゴを掲出する。

球団の広報室は「今年最後のCHIBAユニホーム着用試合となります。CHIBAユニホーム着用試合は7月31日の楽天戦から1分けを挟んで4連勝中です。1974年以来となるリーグ1位での優勝のために、この縁起のいいユニホームを着て、勝ち続けていきたいと思います。いざ、リーグ1位で突ッパ!」とコメントした。

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選手、スタッフ、関係者ら161人がPCR検査を実施し全員陰性[報知]

ロッテは28日、1、2軍の全選手(育成含む)、監督、コーチ、チームスタッフ、チームに関係する職員、161名に対し24日、26日にPCR検査を実施し、全員陰性の結果となったと発表した。

検査はZOZOマリンスタジアム、浦和球場にて行なわれた。

ロッテは29日から日本ハムと敵地・札幌ドームで3連戦を戦う。

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ロッテ加入チェン・ウェイン10・13楽天3連戦でデビューも、隔離期間10・3まで[デイリー]

ロッテに新加入したチェン・ウェイン投手(35)が、10月13日からの楽天3連戦(ZOZOマリン)で“デビュー”を果たす可能性があることが28日、分かった。

首脳陣が新助っ人の投入準備に入った。今月19日に来日し、新型コロナウイルス感染拡大防止のための隔離期間は10月3日まで。隔離期間終了後の起用法について井口監督は「ファームで投げるとしたら1度。その後は(1軍で)ローテーションに入ってもらえたら」と明かした。

調整が順調ならば10月上旬の2軍戦でマウンドに上がり、同13日からの楽天3連戦中に移籍後、初登板初先発となる見通し。指揮官は「(2軍で)ピッチングしているところを見に行けたら」と視察を心待ちにした。

現在は千葉市の自宅でシャドーピッチングや軟らかいボールを使った練習をし「いつでも、すぐに投げられるように準備してます」とチェン・ウェイン。日米通算95勝の左腕が“使者”となり悲願の優勝を後押しする。

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ロッテ新加入のチェン・ウェイン、入団会見前にグッズ発売決定[デイリー]

ロッテ新助っ人のチェン・ウェインのグッズ発売が決まった。

マリーンズオンラインストアでフェースタオル(税込み1600円)を30日午前10時から予約販売。10月上旬の入団会見前のグッズ発売は珍しい。本人は「嬉しいです。より一層、このチームのために頑張ろうという気持ちになりました」と決意を新たにした。

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ロッテ「ALL for CHIBA」イベントでCHIBAユニホームを着用[デイリー]

ロッテは28日、10月13日から15日の楽天戦(ZOZOマリンスタジアム、18時試合開始)、および同16日の日本ハム戦(同)にて地域振興活動の一環として「ALL for CHIBA」イベントを開催し、CHIBAユニホームを着用すると発表した。

なお、ユニホームの右袖には試合ごとに「スポーツを通じた地域振興・地域貢献に関するフレンドシップシティ・プログラム協定」を締結している市名入りのロゴを掲出。10月13日は成田市、14日は習志野市、15日は茂原市、16日は鴨川市のロゴを掲出する。「ALL for CHIBA鴨川市」は12日のオリックス戦で開催予定だったが、雨天中止となったため再度日程を設定した。

詳細は以下の通り。

ロッテ広報室は「今年最後のCHIBAユニホーム着用試合となります。CHIBAユニホーム着用試合は7月31日の楽天戦から1分けを挟んで4連勝中です。1974年以来となるリーグ1位での優勝のために、この縁起のいいユニホームを着て勝ち続けていきたいと思います。いざ、リーグ1位で突ッパ!」と強い意気込みを示した。

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復活のロッテ沢村、巨人時代との違い「直球、直球を投げていたが…」球種の割合に変化[デイリー]

ロッテ・沢村拓一投手が好調だ。今月8日に巨人から移籍後初登板を果たすと、7戦連続無失点。被安打わずか1と圧巻の投球を続け、チームの戦力となっている。

今季、巨人では制球難に苦しみ、13登板で防御率6.08。3軍降格の屈辱も味わった男の何が変わったのか。デイリースポーツ評論家・関本四十四氏は

「巨人では直球、直球を投げてカウントを整えようとしていたが、ボール先行になり苦労していた。直球が抜けると、次は低めを意識しすぎて引っかける悪循環。カウントが悪くなって最初に投げたスプリットがボールになると、もう余裕を失っていた。
それが、移籍後はポンポンとストライクを取れている。追い込んだら、沢村には150キロも超えてくるスプリットがある。その決め球を2球に1球決めればいいくらいの余裕を持って投げられるから、低めにコントロールできている」。

データで見ると、初球ストライクの確率は巨人時代(今季)が57%だったのに対し、移籍後は64%に上昇。球種の割合にも以下のように変化が見えている。

[巨人時代]
直球(64%)
スプリット(27%)
スライダー(9%)
[ロッテ]
直球(55%)
スプリット(42%)
スライダー(3%)

また、それぞれの球種のストライク率は以下の通り上昇している。

[巨人時代]
直球(59%)
スプリット(59%)
スライダー(55%)
[ロッテ]
直球(65%)
スプリット(77%)
スライダー(100%)

スプリットを効果的に使い、移籍後の7登板で不安をのぞかせたのは初セーブを挙げた20日の日本ハム戦だけ。この試合では2死から3者連続四球を与えてピンチを背負ったが、何とか無失点で切り抜けた。ただ、四死球は7試合でその3つだけだ。

関本氏は巨人時代との違いについて「やっぱりメンタル面の変化が大きいのだろう。開き直って投げた移籍後初戦(8日・対日本ハム)で3者三振を奪って勢いがついたのかもしれない。白紙の状態で見てもらえるし、期待も感じて気分よく投げられているのだろう。まだ相手も球の軌道や特徴に慣れていない面もあるとは思うが、持っている球は一級品。はまれば手がつけられない」と話す。

チームは首位ソフトバンクと1ゲーム差の2位。15年ぶりのリーグ制覇を目指し、沢村もフル回転する。

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ロッテ、監督・選手らPCR検査161人全員が陰性判定、24日と26日に実施[デイリー]

ロッテは28日、1、2軍の全選手(育成選手含む)と監督、コーチ、チームスタッフ、チームに関係する職員161人に対し24日と26日にPCR検査を実施し、全員陰性の結果となったと発表した。

検査はZOZOマリンスタジアム、浦和球場で行った。

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ロッテの「ゴールデンイヤー」再び!Aクラス率80%を誇る千葉移転後の“5年周期”[Full-Count]

◇2014年の里崎氏の発言により、にわかに注目を集めた“5年周期”

ロッテは9月27日の時点でパ・リーグ2位に位置しており、2016年以来となるAクラス、さらには2位以内に入ってのポストシーズン進出の可能性も見えてきた。マリーンズが前回リーグ優勝を果たしたのは2005年、日本一となったのは2010年と、それぞれ10年以上前の話となる。久々に優勝争いを演じている今季は、それ以来となるタイトル獲得の可能性も十二分にあることだろう。

さて、先ほど紹介した2005年、2010年という年号を見ても分かる通り、千葉移転以降のロッテは、5年周期で好調なシーズンを迎えることが多くなっている。今から25年前の1995年には2位に躍進しており、2015年にも3位に入ってクライマックスシリーズに進出。1975年以降にロッテ(前身を含む)がリーグ優勝と日本一のどちらかを達成したのは、先述した2005年と2010年の2度だけという点からも、相性の良さがうかがえる。

また、主戦捕手として長年にわたってチームを支えた里崎智也氏が、2014年に現役を退く際に、翌2015年のシーズンをチームにとっての「ゴールデンイヤー」と形容したことで、この縁起の良いジンクスがファンの間にも浸透するに至った。球団史上最多の87敗を喫した2017年以降は苦戦が続いていたロッテが、ちょうど5年が経った今季に再び好調なシーズンを送っているという点からも、あらためて“5年周期”の力を感じるところだ。

今回は、本拠地を千葉に移した1992年以降のロッテが、年号の末尾が「0」と「5」となったシーズンにおいて、どのような戦いぶりを見せてきたのかを紹介していきたい。ファンにとっては思い出深いシーズンも多いであろう各シーズンの詳細を振り返るとともに、ジンクスを受け継ぎつつある今季のマリーンズの躍進にも期待を寄せたい。

◇1995年は監督はバレンタイン、伊良部、小宮山、ヒルマンら強力投手陣

1995年(69勝58敗3分:リーグ2位)

後に2005年の日本一に貢献して同年の正力松太郎賞も受賞したボビー・バレンタイン氏が、初めてロッテで指揮を執ったのが1995年のシーズンだった。1985年の2位を最後に、9年連続Bクラスと低迷期の真っただ中にあったマリーンズだが、この1995年は投打がかみ合った戦いを披露し、10年ぶりのAクラスとなる2位に入る躍進を見せていた。

個人成績の面でも、初芝清氏が80打点でイチロー氏、田中幸雄氏と並んで打点王のタイトルを分け合い、エースの伊良部秀輝氏は防御率2.53、239奪三振で、最優秀防御率と最多奪三振の2冠に輝いた。打率ランキングでは、リーグ2位が堀幸一氏(打率.309)、同3位がフリオ・フランコ氏(打率.306)、同4位が初芝氏(打率.301)、同6位が諸積兼司氏(打率.290)と、リーグ全体が投高打低にあった中で、多くの選手を上位に送り込んでいた。

ピッチャーではプロ6年目の小宮山悟氏が防御率2.60でリーグ3位、長身左腕のエリック・ヒルマン氏が防御率2.87で同4位と、伊良部氏も含めた先発3本柱が揃って活躍。リリーフでも成本年秀氏と河本育之氏のダブルストッパーが活躍を見せ、投手陣は充実していた。また、後に「魂のエース」と呼ばれるプロ1年目の黒木知宏氏が、先発とリリーフの双方で登板を重ね、5勝7敗、防御率3.71と、まずまず順調なルーキーイヤーを送っていた。

長年チームを支えた西村徳文氏や愛甲猛氏といったベテランに衰えが見え隠れしていた一歩で、加入初年度ながらリーダーとしてチームを引っ張った現役メジャーリーガーのフランコ氏をはじめ、堀氏、初芝氏、諸積氏、平井光親氏といった、若手や中堅の野手陣が活躍。同じく大物の現役大リーガーだったピート・インカビリア氏は不発に終わったものの、野手陣も総じて高いレベルにあったといえよう。

ところが、シーズンオフにバレンタイン監督が退任し、それに伴い、プレーと人間性の両面でチームに貢献していたフランコ氏も退団。翌年には伊良部氏とヒルマン氏が揃って退団するなど主力の流出は続き、良い流れを迎えつつあった球団は再び低迷期に陥っていくこととなる。

◇2000年はリーグ5位に低迷…

2000年(62勝67敗6分:リーグ5位)

ロッテが5年周期で好調期を迎えているのは先述の通りだが、その中でも2000年はやや例外的なシーズンに。先述した低迷期のさなかにあったチームはこのシーズンも苦戦を続け、“5年周期”の中では千葉移転後唯一のBクラスとなる5位に終わっている。

投手陣では先発陣の大黒柱の一人だった小宮山悟氏が退団し、エースの黒木知宏氏は10勝を挙げたものの、故障の影響もあって防御率5.18という不本意な数字に終わった。そんな中で、大ブレイクを見せたのが小野晋吾氏だった。日曜日の登板で好投を続けたことから、OBの村田兆治氏になぞらえて「サンデー晋吾」の異名を取り、リーグ2位となる防御率3.45という好成績を記録。13勝5敗と多くの白星を積み上げ、最高勝率のタイトルにも輝いた。

リリーフ陣ではプロ3年目の左腕・藤田宗一氏が、防御率4.27ながら自己最多の70試合に登板し、最多ホールドのタイトルを獲得。プロ2年目の小林雅英氏も1年間で先発、中継ぎ、抑えの全てを経験する目まぐるしいシーズンを過ごしたが、65試合で109.2回を投げ、11勝6敗14セーブ、防御率2.13という大車輪の活躍を見せた。このように、5年後の「YFK」の軸となる2人にとっても、意義深いシーズンとなっていたといえよう。

野手では前年に入団したスイッチヒッターのフランク・ボーリック氏が4番として躍動し、打率.296、29本塁打、102打点、OPS1.000と大活躍。当時はホームランラグーンが存在せず、千葉マリンスタジアムは長打の出にくい球場だったことを考えると、両打ちでこれだけの数字を残したボーリック氏の打棒は特筆ものだ。この年のオールスターにもファン投票で選出されるなど、当時のファンからも熱烈な支持を受けた優良助っ人だった。

また、「ミスターロッテ」初芝清氏も打率.276、23本塁打、73打点、OPS.872と、主砲として十分な働きを見せたが、この2人以外に2桁本塁打を放ったのは石井浩郎氏(10本)のみと、打線はやや小粒な面が否めなかった。それでも、福浦和也氏、サブロー(大村三郎)氏、大塚明氏、橋本将氏といった、2005年のリーグ優勝・日本一を支えたメンバーが台頭を見せ始めており、未来に向けた種はこの段階から少しずつ撒かれ始めていた。

◇2005年はバレンタイン政権復活で西岡、今江ら台頭しリーグ優勝・日本一

2005年(84勝49敗3分:リーグ優勝・日本一)

1995年の躍進にも貢献したバレンタイン監督が再び指揮を執り始めてから2シーズン目を迎えたこの年は、西岡剛内野手や今江敏晃氏といった若手と、福浦和也氏、里崎智也氏、サブロー氏といった選手として脂の乗り切った中堅の選手達がうまく融合。試合ごとに打順を組み替えるバレンタイン監督の選手起用も効果的に作用し、チーム総得点は2位のソフトバンクに82点の大差をつけて、リーグ最高の数字を記録していた。

投手陣に関しても、シーズン連続2桁勝利を4年連続に更新したエースの清水直行氏、キャリアハイの成績を残した渡辺俊介氏を中心に、安定した投球内容でチームを支えた小林宏之氏、貴重な左の先発として存在感を発揮したダン・セラフィニ氏、先発とリリーフの双方でチームを支えた小野晋吾氏、新人ながら10勝をマークして同年の新人王にも輝いた久保康友氏と、先発陣には実力派の投手が多く揃っていた。

リリーフでは、藤田宗一氏、薮田安彦氏、小林雅英氏の3人からなる勝ちパターンの3投手がフル回転を見せ、僅差の試合でも逃げ切る強さを発揮。阪神の「JFK」になぞらえ「YFK」と呼ばれた勝利の方程式はチームに多くの白星をもたらし、小林雅氏は自身唯一となる最多セーブのタイトルも獲得している。

先述した6人の先発投手はいずれも2桁勝利に到達しており、まさに投手王国と呼べるだけの多士済々のスターターを擁していたといえよう。打線でも今江氏、福浦氏、堀幸一氏、マット・フランコ氏と3割打者を4人輩出したことからも、投打ともにバランスの取れた強さを誇っていたことがうかがえる。

ペナントレースではソフトバンクとのハイレベルなデッドヒートの末、勝率.632という数字を記録しながら4.5ゲーム差で2位に甘んじた。当時のレギュレーションでは5ゲーム差以上がついた場合は首位チームに1勝のアドバンテージが与えられるルールとなっており、「0.5ゲーム差」でそのアドバンテージを免れたことが、後に大きな意味を持ってくることになる。

プレーオフの第1ステージではシーズン勝率で大きく引き離していた3位の西武を2連勝で退け、その勢いのまま乗り込んだ敵地・福岡Yahoo!JAPANドーム(当時)でも2連勝。ポストシーズン無敗のままリーグ優勝に王手をかけると、第3戦でも4点リードのまま9回を迎えた。ところが、抑えの小林雅氏がまさかの4失点で追いつかれ、チームも延長戦で逆転負け。続く第4戦も落とし、一気に崖っぷちまで追い込まれることとなる。

しかし、第5戦では序盤に2点を先行されながらも、8回に里崎氏の逆転打で試合をひっくり返し、最終回は小林雅氏が無失点投球で雪辱を果たして、31年ぶりとなるパ・リーグ制覇を達成。日本シリーズでもチームの勢いは止まることなく、セ・リーグ王者の阪神を相手に3試合連続10得点と圧倒。シリーズを通じて1度もリードを許すことなく戦い抜き、同じく31年ぶりとなる日本一の歓喜を味わった。

◇2010年はリーグ3位からの“下克上日本一”

2010年(75勝67敗2分:リーグ3位・日本一)

2004年から2009年までの長期政権を築いたバレンタイン監督が前年限りでチームを去り、ヘッドコーチを務めていた西村徳文氏が新監督となって迎えた2010年シーズン。5位に沈んだ前年からの復調を期した1年目のシーズンにおいて、新指揮官はシーズン開幕時点で25歳だった西岡を新キャプテンに任命するなど、チーム内の意識改革へと着手していった。

その西岡は2009年までは細かいケガで欠場を余儀なくされることも少なくなかったが、このシーズンは守備の負担が大きい遊撃手を務めながら、自身初の全試合フルイニング出場を達成。打率.346で自身初の首位打者に輝いただけでなく、ロッテの選手としては史上初となるシーズン200安打、猛打賞27回のプロ野球新記録といった快挙も達成。常に一塁に全力疾走する姿勢も含め、リーダーとしてチームを背中で引っ張り続けた。

また、もう1人のリーダー格であった今江氏も2007年以降は同じくケガに悩まされていたが、このシーズンは自己最多の140試合に出場し、キャリアハイとなる打率.331を記録。チーム事情に応じて時には2番打者を務めることもありながら、抜群の打棒を披露した。現在、チームの監督を務める井口資仁氏も打率.294、出塁率.412と持ち味を発揮し、ロッテ移籍後では最多となる103打点を記録して、ポイントゲッターとして機能した。

そして、ドラフト1位ルーキーの荻野貴司外野手が、持ち前の圧倒的な脚力を活かしてわずか46試合で25盗塁を記録。驚異的な守備範囲を誇ったセンターの守備でも躍動し、生まれ変わったチームの象徴的な存在となりつつあったが、5月に負傷して残りのシーズンを棒に振ることに。絶好調だった2番打者の離脱は、チームの戦いぶりにも大きく影を落とすことになる。

その代役として期待された俊足の早坂圭介氏も直後に大ケガで長期離脱するなど、チームにとっての不運は続いたが、最終的には荻野貴と同じく新人だった清田育宏外野手がセンターに定着。日本シリーズでは打率.333、6打点と出色の活躍を見せ、新人選手としてのシリーズ打点の最多タイ記録も達成。ルーキーイヤーから随所で勝負強さを見せ、確かなインパクトを残した。

投手陣では成瀬善久投手が自身初めてシーズン200投球回を突破し、13勝を挙げてエースとしての役割を全う。また、開幕は中継ぎスタートだった新助っ人のビル・マーフィー投手がシーズン途中から先発に回り、左腕から繰り出される荒れ球を武器に12勝と活躍。リリーフに回った小林宏氏も57試合で防御率2.21、29セーブと転向1年目で能力の高さを見せつけ、メジャー帰りの薮田氏も30ホールドポイントを挙げる大車輪の活躍だった。

その一方で、長らく先発投手陣を支えた渡辺氏が8勝8敗、防御率4.49とやや苦しみ、防御率2.71と好調だった唐川侑己投手が故障離脱したこともあり、先発陣のやり繰りには苦しんだ。それに加えて、福浦氏、サブロー氏、里崎氏といった主力に故障者が続出したこともあり、スタートダッシュに成功したチームは徐々に失速。優勝争いからは脱落し、4チームが繰り広げた熾烈な3位争いに身を投じていくことになった。

しかし、シーズン途中に横浜からトレードで加入して6勝を挙げた吉見祐治氏、同じくシーズン途中入団ながら日本シリーズでも好投したヘイデン・ペン氏らを加え、激しいAクラス争いから脱落することなく、最終盤まで食らいつく。そして、勝てばクライマックスシリーズ出場が決まるシーズン最終戦で初回に2点を先制されながらも逆転勝利を飾り、わずか0.5ゲームの差で3位に滑り込んだ。

そして迎えたクライマックスシリーズ・ファーストステージでは、シーズン2位の西武に対して2試合続けて9回に同点に追いつく執念の戦いを見せ、2戦連続で延長11回表に勝ち越す劇的な展開で2連勝。2戦目で殊勲の同点本塁打を放った里崎氏が口にした「史上最大の下克上」は、この年のチームを象徴する言葉となった。

ファイナルステージではソフトバンクに1勝3敗(アドバンテージを含む)と先に王手をかけられながら、そこからの3試合で3連勝。史上初めて、シーズン3位から日本シリーズに進出したチームとなった。中日とのシリーズでは3勝2敗1分けと王手をかけて迎えた第7戦の延長12回、この年に代走・守備要員として1軍にデビューした、育成出身の岡田幸文氏が決勝の適時三塁打を記録。故障の大松尚逸氏の代役として起用された苦労人が大仕事を成し遂げ、チームは5年ぶりとなる日本一の歓喜に沸いた。

◇2015年は涌井が完全復活で15勝をマークし自身3度目のタイトルを獲得

2015年(73勝69敗1分:リーグ3位)

先述した里崎氏の「ゴールデンイヤー」発言に加え、2005年と2010年にそれぞれ日本一に輝いた実績から、2015年のロッテの戦いぶりはファンの間では少なからず注目を集めていた。前年はリーグ4位という結果に終わっていたが、2015年は開幕から一定以上の調子を維持。シーズン終盤まで西武と熾烈な3位争いを繰り広げ、最終的には4つの貯金を作って2年ぶりのAクラス入りを果たした。

投手陣では移籍2年目を迎えた涌井秀章投手が完全復活。前年の2014年は8勝12敗、防御率4.21とやや不本意な成績だったが、2015年は15勝9敗、防御率3.39で自身3度目の最多勝のタイトルを獲得した。前年に新人王を受賞した石川歩投手も12勝12敗、防御率3.27で2年連続の2桁勝利を挙げ、先発2枚看板としての地位を確立。また、新助っ人のイ・デウン投手も9勝を記録し、大嶺祐太投手も安定感のある投球でキャリアハイの8勝を挙げた。

リリーフでは前年からクローザーを務めた西野勇士投手が54試合で防御率1.83と前年同様の安定感を見せ、34セーブを挙げる活躍で自らの役割を全う。セットアッパーの大谷智久投手が56試合で防御率2.39、内竜也投手が22試合で防御率1.27と安定しており、揃って防御率3点台にまとめた益田直也投手、松永昂大投手を含め、勝ち試合を締めくくる体制は堅かった。

野手では清田育宏外野手が打率.317、15本塁打、67打点、OPS.890とキャリアハイの成績を収め、プロ3年目の田村龍弘捕手も117試合に出場して正捕手の座をつかんだ。ルイス・クルーズ内野手は二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞し、鈴木大地内野手も序盤戦の不振で連続試合出場こそ途切れたものの、142試合に出場して打率.263、出塁率.330と、例年通り堅実にチームに貢献していた。

だが、111試合で打率.293と前年の不振から脱却しつつあった角中勝也外野手が、9月の試合で死球によって骨折して終盤戦を棒に振り、キューバ代表としての活動と並行してシーズンを戦っていたデスパイネ選手は103試合で打率.258、18本塁打と苦しんだ。打率.287とまずまずの数字を残していた今江敏晃内野手も故障の影響で98試合の出場にとどまるなど、主力に故障者が多く発生したシーズンでもあった。

そんな中で、荻野貴と岡田幸文氏がそれぞれ2桁盗塁を記録し、外野の一角として出場機会を分け合いながら持ち味を発揮した。同じく俊足の伊志嶺翔大氏も34試合の出場ながら打率.291、出塁率.357とチャンスメーカーとして機能し、角中離脱の穴を埋めた。ルーキーの中村奨吾内野手も1年目から111試合に出場するなど経験を積み、大ベテランの福浦和也氏も73試合で打率.272、出塁率.367と、いぶし銀の技術を見せつけた。

クライマックスシリーズではシーズン2位の日本ハムを敵地で2勝1敗と破り、リーグ優勝を果たしたソフトバンクが待つファイナルステージに進出。再度の下克上への期待も高まったが、ファイナルステージ初戦でサヨナラ負けを喫したことを皮切りに、0勝3敗と1勝も挙げることができずに敗退。2005年、2010年に続く日本シリーズ進出はならなかった。

◇久々のポストシーズン進出、そして3度目の「下克上」は果たせるか

以上のように、移転後は5シーズン中4シーズンでAクラス入り、そのうち2シーズンで日本一と、かなりの相性の良さを誇っていることがわかる。また、1994年(5位)、1999年(4位)、2004年(4位)、2009年(5位)、2014年(4位)と、条件に合致する年の前年はいずれもBクラスに沈んでいる点も興味深い。前年のチーム状態は決して良いとは言えないながら、その不振を払拭して3位以内に入っていることからも、このジンクスの影響力がうかがえる。

現在のロッテでは中村奨、レオネス・マーティン外野手、井上晴哉内野手といった中軸打者が随所で勝負強い打撃を見せ、安田尚憲内野手、和田康士朗外野手といった期待の若手も台頭。投手陣では先発投手をできる限り引っ張りつつ、リリーフ陣の3連投を避けるなど、中盤戦以降の戦いに向けた細やかなマネジメントも光っており、今後のシーズンにおいて、過度の負担を避けている運用が効いてくる可能性もあるだろう。

2005年と2010年の戦いぶりに示されている通り、ロッテはポストシーズンで一度勢いに乗りさえすれば、その後は手が付けられないような強さを発揮することが往々にしてある。15年ぶりのリーグ優勝、10年ぶりの日本一の可能性も感じさせる戦いを見せている今季のチームには、10年越しとなる「ゴールデンイヤー」の再来に期待したいところだ。

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[千葉魂]種市「ケガの功名」信じて、手術日、タオル持つファンに涙[千葉日報]

その時、病院のベッドの上にいた。9月14日、種市篤暉投手は横浜市内の病院で右肘内側側副靭帯再建術の手術を行った。時間にして2時間。術後4週間ギプス固定し、術後4ヶ月よりスローイングを開始という大手術だった。最後に記憶にあったのは手術台。その後、麻酔の効果で意識が朦朧となり、起きた時には右手にはギプスが固定されていた。窓の外を見ると綺麗な夕焼けが見えた。

時を同じくしてZOZOマリンスタジアムではバファローズ18回戦がナイトゲームで行われていた。ベッドで痛みと闘いながらも試合が気になった。だからスマートフォンで中継動画を見ていた。試合は先輩の二木康太投手が無四球で3安打完封。お立ち台に呼ばれた。その雄姿が何ともうらやましかった。その時だった。ふとスタンドのファンが映し出された。種市のタオルを手にしていた。

「ボクのタオルを持っている人が目に入りました。本当に涙が出るほど嬉しかったです。今まで感じたことがない感情でした」。

種市の目が潤んだ。病室で1人、涙した。自分がいるはずもないスタジアムで自分のことを想い、タオルを掲げてくれているファンがいる。マウンドで投げている時であれば、なにげない光景だが今は違う。待ってくれているファンがいることに何ともいえない幸せに包まれた。

種市は7月25日のライオンズ戦(メットライフ)でプロ初完封を記録。しかし、一寸先は闇だった。8月1日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)で5回2/3、8失点。肘に腫れがあり病院に行った。「本当に全然大丈夫だと思っていた」と軽く考えていたが手術が必要と分かった。落ち込んだ気持ちを支えてくれたのはファンの存在であり先輩投手達だった。同じ手術を行った西野勇士投手、岩下大輝投手からは入院前に色々なアドバイスをもらった。励ましてくれた。徐々に少しずつ前向きな気持ちを取り戻すことができた。

「今は前向きに捉えています。しっかりとリハビリに取り組めば良くなる。良いボールが投げられるようになる。ここからどうなるか楽しみな気持ちです。ケガをしないと分からない事もあった。プラスに捉えています」。

入院の時間を利用して様々な本を読んだ。今まで手にしたこともなかった栄養学の本も読んだ。全ては自分の身体のためだった。無事に退院をし、今はギプス固定のまま、可能な範囲でのトレーニングを行っている。先は長い。しかし22歳の若者には果てしない未来がある。だから前向きに考えられる。いつかケガの功名と言える日が来るように今できることを全力で取り組む。焦らず一歩一歩。その先に見える光景がある。ZOZOマリンスタジアムで待ってくれているファンがいる。ヒーローインタビューに呼ばれた種市がお立ち台に上がる。万雷の拍手に包まれる中、「ただ今戻りました」と叫ぶ。種市にはそのイメージができている。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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