わたしはかもめ2020年鴎の便り(12月)

便

12月29日

何かひらめくかも?将棋好きロッテ安田の扇子が発売[ニッカン]

主砲としての成長が期待されるロッテ安田尚憲内野手(21)の将棋グッズが完成した。

「色々なことを考えている時に使うと、何かひらめきそうな感じがします」という本人の要望でオリジナル扇子が完成。イラストと“志高”の言葉が描かれる。イベントで共演した渡辺名人の言葉で「勝負されている時の立ち居振る舞い、オーラ、姿に憧れます」と話す。今季も兄とリモート対局を重ねていたといい「来年はしっかり活躍して、将棋好きなキャラをアピールできれば」と願った。年明けに球団オンラインストアで販売される予定だ。

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ロッテ・安田、3冠王に“成る”グッズ製作!「将棋トレ」で20発狙う[スポニチ]

ロッテ・安田が3冠王級の活躍を誓い、グッズを製作していることを明かした。定番のTシャツ、タオル、キーホルダーなどだが、デザインが斬新で趣味の将棋がモチーフ。今月行われた「プロ野球最強将棋王決定戦」(スポーツニッポン新聞社など主催)で初対面した渡辺明3冠(王将、名人、棋王)からサインとともに贈られた言葉「志高」をプリントした。

「渡辺先生のようにたくさんタイトルを獲れるように頑張ります。将棋の魅力は運ではなく、全て知恵、実力で勝ち負けが決まること。来年はしっかりと活躍して将棋好きをアピールできれば」。当初製作予定はなかった扇子も「色々考えている時に使うと何かひらめきそうな感じがする」と自身の要望で追加製作となった。

コロナ禍の自粛期間中は、小学生の頃から楽しんできた将棋を勉強し直した大砲。今季87試合で4番を務めながら6本塁打に終わり、来季は20発が目標だ。将来的には棋士との対談も熱望し、「(年末年始は)頭のトレーニングのために将棋をします!」と珍トレにも取り組んでいく。

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[惜別球人]ロッテ・細川。“捕手一筋”監督でも変わらず[スポニチ]

20代の若手も、40代の大ベテランも、現役を終えた後、さらに長い人生が待っている。今年は上下2回で掲載する年末恒例「惜別球人」の第2回は、パ・リーグ編。グラウンドで発揮したそれぞれの個性を生かすべく、新たな道へ踏み出す。

引退してすぐ、「監督」と呼ばれるようになった。「まだ全然慣れてませんよ」と細川は笑う。熊本県を拠点とする独立リーグの新球団「火の国サラマンダーズ」の監督に就任。来春から大分の球団や自身の古巣ソフトバンクの3軍などと対戦する。「引退後はボケーッとしようと思っていた」。大好きな釣り三昧の日々を思い描いていたが、再びユニホームに袖を通す。

捕手一筋、4球団で19年間のプロ野球人生。10月上旬、ロッテはコロナ禍に見舞われ、2軍は選手の数が足りずに試合ができない期間が続いた。「その時に今までの自分を見つめ直した。野球ができないというのは寂しいことなんだって…」。40歳の秋。引退が頭をよぎった瞬間だった。

「僕は先輩や指導者の方々、本当にいい人達に恵まれた」。最大の恩師が西武時代の先輩、監督である中日・伊東勤ヘッドコーチ。引退試合となった11月9日の日本ハム戦では千葉まで駆けつけてくれた。「何か1つでも伊東さんの数字を超えたかった。バントしかないと思っていたけど…」。細川の通算296犠打はプロ野球歴代8位で伊東ヘッドは同4位の305犠打。これだけが心残りだ。

指導者としての新たなスタート。「1人でも多くの選手をNPBに送り込みたい。監督でも今まで通り“捕手・細川”で。プロで経験した厳しさを伝えたい」。捕手一筋。その姿はずっと変わらない。

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1980年(昭55)1月4日生まれ、青森県出身の40歳。青森北2年で内野から捕手に転向。青森大を経て01年自由獲得枠で西武に入団。08、11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。1メートル83、103キロ。右投げ右打ち。

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2020年ロッテで驚いたベスト5!藤原、朗希、和田、マーティン、そして1番は!?[スポニチ]

新型コロナで思うような取材ができなかった一年。2020年はロッテ担当としてキャンプ、シーズン、ポストシーズンと例年よりも少し離れたところから見た。個人的にはリーグ優勝、日本一に輝いた05年以来、記者として久々に古巣へ戻った。そこで驚いたことを、1位から5位まで順位づけして独断と偏見で挙げてみた。

では、5位から!

(5)藤原のパンチ力
石垣島の春季キャンプで、松本尚樹球団本部長と一塁ベンチで、「こんなに、いい若手がいると思わなかっただろう」と雑談した。安田、藤原、和田、種市、岩下、小島−。15年前はまだ30代半ばながら、すでに西岡、今江らを発掘した敏腕スカウトだった本部長の言葉には自信がみなぎっていた。
その中でも、自分が「1番凄い」と思ったのは、藤原のスイングだ。実は18年夏の甲子園決勝「大阪桐蔭−金足農」を現地で取材した。試合前の囲みでは、藤原の隣りを陣取って聞いた。そのときから端正な顔立ち、筋肉質なのに細身なシルエット、プロでも人気が出ると確信した。
一方で、甲子園で藤原の弾丸ライナーを目の当たりにしたが、プロでは俊足を武器にするのかなと想像した。中距離打者だと思ったのだ。ところが、実際にキャンプでフリー打撃を見たら印象は違った。2月8日の台湾・楽天との練習試合で放った右翼席後方の防御ネットに突き刺した一発で、いずれは30本塁打を狙えると思った。
(4)佐々木朗が160キロ
こんなに簡単に出るのか。5月27日のシート打撃に登板。先頭の菅野に157キロを右中間席へ運ばれた。高卒ルーキーが157キロを投げただけでも衝撃的なのに、続く藤岡の初球は160キロを計測。3球目も160キロをマークし、3球三振に打ちとった。
自分の中ではダルビッシュ、大谷、そして佐々木朗を担当したことは、ちょっとした自慢だ。偶然とはいえ、メディアの中で自分1人だけだからだ。当然、大谷がプロで初めて160キロを投げた試合も目撃したが、入団2年目の6月だった。
細かなコントロールを気にせず投球できれば、早い段階で大谷の記録を更新しそうだなと感じた。だって、本塁打を浴びた直後に、少し力を入れただけで160キロが出てしまうのだから…。今年、1度も実戦登板できなかったことも逆の意味で驚いたが、潜在能力はまさに末恐ろしい。
(3)和田のスライディング
育成から支配下登録された異色のスピードスターは、個人的に実家が近い同郷であることから、特別な親近感を持っていた。そんな経緯もあり、キャンプ中から注目。練習から気になっていたのは、二塁へ滑り込む姿だ。スライディングがベースに近いと感じていた。左利きの和田は左足を伸ばし、右足を畳むのだが、ベースに突き刺さる衝撃が凄まじかった。
ところが、7月に「和田の盗塁企画」を取材すると、「なるべく強く、ベースの近くでと考えています」と意図したスライディングだと知った。それからは、練習中に一塁からスタートを切ってスライディングせずに二塁を駆け抜けるシーンを見ても、不思議に思わなくなった。スピードを落とさないで滑るための準備なのだろう。ファンの方には、来年は和田のスライディングの強さにも注目してもらいたい。
(2)マーティンの鬼肩
今までの記者人生で、1番強肩の外野手は糸井だと思っている。一方で稲葉篤紀によるバックホームの精度も圧巻だった。ストライクが来るから、間一髪でアウトにできるのだ。マーティンは強肩なのに、コントロールも抜群だった。
二塁に走者がいて右前打が飛べば、かなりの高確率で本塁タッチアウトになった。あの肩だけでもゴールデングラブ賞に匹敵するレベルだと思ったが…、結果は残念だった。ちなみに、球団関係者によると、マーティンがマウンドから投げれば150キロは出るという。そういえば、糸井もプロ入り当初は最速151キロ右腕だった。
(1)安田の4番起用
2020年の1番の驚きは、安田を4番で使い続けた井口監督の我慢強さだ。開幕直後、絶不調で安田がベンチを温め始めた頃には、2軍に落とすのではないかと、正直思った。才能ある若手だからこそ、試合で使わないならば1軍に置く意味がないからだ。
それでも、7月7日に安田が今季1号を放ち、復調気配が漂うと、同21日から86試合連続で4番に置いた。開幕4番だったレアードが腰痛で離脱し、井口監督は「他にいなかった。それならば、安田を育てようと思った」と振り返るが、安田の調子が落ち、チーム成績も下降しても打順は変わらなかった。
他の指揮官だったら、できなかったかもしれない。事実、安田の今季成績は打率.221、6本塁打である。それでも、結果的には未来の4番候補に貴重な経験をさせながら、2位を死守した。勝利と育成の両立−。言葉にするのは簡単だが、これって限りなく不可能に近いミッションでもある。CS進出が危うくなった時期には、ファンの間でも賛否があったのは知っている。だた、個人的にはチームの将来を考えれば、これだけでも価値のあるシーズンだったと思う。

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ロッテ、安田の将棋グッズ発売[デイリー]

ロッテが安田尚憲内野手(21)の“将棋グッズ”を製作し、販売することが29日、分かった。

「小学校の時からやってました」という将棋好きの、本人の要望で、製作された扇子(税込み1700円)などのオリジナルグッズをそろえている。なお、グッズはマリーンズオンラインストアで来年1月2〜11日までの受注販売となっている。

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[千葉魂]苦しい時鼓舞できる主将に、中村奨がチーム引っ張る[千葉日報]

ZOZOマリンスタジアムでの秋季練習最終日となった11月29日、中村奨吾内野手は監督室にいた。その場で井口資仁監督から主将に任命された。部屋に入るや「奨吾にキャプテンをやってもらいたいと思っている」と切り出されると「ハイ、分かりました。頑張ります」と即答した。

「監督からはこれまでも『リーダーになれ』と言われてきましたので驚きはありませんでした。ただ今まで以上に周りを見ながら自覚と責任感を持ってチームを引っ張りたいと思っています」。

主将に指名された中村奨はその時のことをそのように振り返った。周囲からはクールに見られがちな男だが、誰よりもチームを考える熱い男だ。井口監督が就任した2018年。試合中に誰よりも声を出し、喉が枯れて声が出なくなってしまった時期もあった。「あれから、さすがにあそこまで声を出すことはなくなったけどベンチでも守っている時も声を出したり、ピンチの時などにピッチャーに声を掛けることは意識している」と中村奨。

今季は無観客試合などで、グラウンドの音が聞こえやすかったため、多くの人が知ることになるが背番号「8」は定位置から実に頻繁にマウンドの投手に声を掛けている。

「キャプテンマークがユニホームに付くとかはあるけど、やることは基本的に変わらないとは思っている。ただチームが苦しい時にこそ自分がやらないといけないという想いは強く持っている」。

中村奨には20年シーズンの悔しさが残っている。10月中旬まではホークスとデッドヒートを繰り返しながらも、最後にイッキに突き放された。終わってみれば14ゲーム差をつけられての2位。悔やまれるのはチームとして苦しんだ10月。中村奨自身も打撃で結果が伴わず、もがき苦しんだ。そんな誰もが苦しい時にこそ、チームを鼓舞し引っ張れるリーダーでありたい。中村奨が理想とするキャプテン像だ。

17年を最後に3年間、空白だった主将の座。あえてキャプテン制を敷かずに全員がチームを引っ張るという気持ちを持ち、束になって戦うための意識付けの期間は終わった。21年は作り上げた束の大きさを太く強くする時。そのためには確固たる芯が必要だ。チーム愛にあふれ、自己犠牲をいとわず、28歳と脂がのっている中村奨がこの条件にピッタリと当てはまる。

「どんな時もみんなで気持ちを1つにしてリーグ優勝をしたい。今年、つかみ切れなかった夢を来年こそはみんなでつかみ取りたい。そのために自分にできることは何かを常に考えて、率先して声を出して、声を掛けていくことができればと思う」(中村奨)

激動の20年は終わる。そして、すぐに21年は始まる。新たな年は若き新主将がマリーンズを引っ張る。そして必ずやつかみ取る。1974年以来となる勝率1位でのリーグ優勝を。昨今、暗い話題の多い世の中にあって背番号「8」を中心としたマリーンズが明るい話題を振りまく時だ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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