≫わたしはかもめ≫1984年
鴎の闘い
出来事
- 04-05
- 西武戦で、大洋から移籍の右田一彦がプロ入り3年目で初勝利。
- 04-11
- 日本ハム−西武戦で西武・黒田正宏の頭に折れたバットが当たり対場。「折れやすいバット」が問題化。
- 04-17
- 阪急が日本ハム戦でプレーボール直後、1四球をはさむ8連続安打。2死後、四球の蓑田も安打し全員安打の8得点。史上初。
- 05-23
- 下田コミッショナーが両リーグに「乱数表の全廃」を勧告。
- 05-29
- 近鉄戦で仁科時成は9回2死から初安打を打たれ、1983年8月20日の近鉄戦に次いで2年連続して最後にノーヒット・ノーランを逃す。自身2回目。
- 05-30
- 高沢秀昭が1試合に4つの二塁打を放つ。
- 06-28
- 日本ハム・植村監督が退団し、大沢啓二前監督が復帰。
- 07-19
- リーが、近鉄戦(平和台)で、小野和義から200号本塁打達成。
- 07-31
- 日本ハム戦で、村田兆治が2年3ヶ月ぶりに1軍ベンチ入り。
- 08-07
- 阪急・福本豊が通算1000盗塁。
- 09-05
- 後楽園スタヂアムが日本初の空気膜構造による屋根付き球場「後楽園エア・ドーム」の建設を発表。
- 09-15
- 西武・東尾修が通算200勝。
- 09-23
- 阪急がパ・リーグ優勝。
- 09-30
- パ・リーグ公式戦閉幕。阪急・ブーマーが打撃四冠。
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