わたしはかもめ1988年

鴎の出来事

[4月8日] ペナントレース開幕

村田兆冶が3年連続11度目の開幕投手を果たした。

[4月17日]牛島、2年越しの11連続S

牛島和彦が阪急戦(川崎)で、8回から登板し6打者を討ち取って1点差を守り、今季3セーブ目。昨年9月13日から閉幕まで8試合続けてセーブを挙げていた牛島としては、2年越しの11連続セーブになる。

連続セーブは、巨人・角が83年4月10日から5月6日にかけてマークした9連続が最高。牛島はこれを更新しているが、2年越しなので新記録とはならない。

年月日相手投球回被安打四死球自責点勝敗
87-09-131010S
87-09-232200S
87-09-261 1/3210S
87-10-011010S
87-10-041100S
87-10-07西1100S
87-10-091100S
87-10-160 2/3000S
88-04-082100S
88-04-131 1/3000S
88-04-172000S

[5月8日] 川崎球場大入り

川崎球場が8年振りの大入りで30000人の大観衆。

[5月26日] 史上9番目に長い試合

ロッテ−西武戦(平和台)は、5−5で迎えた延長11回表、西武が打者11人を送り6点を挙げて決着をつけたが、試合時間は4時間35分。プロ野球史上で9番目に長い試合となった。

長時間試合
時間カード年月日備考
5:15近鉄4−4ロッテ13S44-10-10
4:53広島9−6中日18S44-05-03
4:46近鉄5−4東急20S28-08-09
4:45阪神5−5広島17S42-04-30
4:45ヤクルト5−5大洋9S53-08-21抗議による中断49分を含む
4:42近鉄3−1西鉄14S43-04-06
4:36近鉄9−8太平洋9S48-05-12
4:36阪急6−5南海18S28-08-30
4:35西武11−5ロッテ11S63-05-26
5:17ロッテ5−5日本ハム9S56-10-10参考(パ・リーグのプレーオフ)

[6月5日]村田兆治が奪三振史上10位

村田兆治が南海9回戦で平松の通算2045奪三振を抜き史上10位。

[6月12日] 愛甲がチーム4500号

阪急戦(山形)で愛甲がチーム創立以来4500本塁打。

[6月22日] 15奪三振で敗戦投手

園川一美が日本ハム戦(川崎)で2回以降、毎回の15三振を奪いながら敗戦投手になった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
三振
0 2 2 2 2 2 2 2 1 15

9回1死後、イースラーから15三振目を奪うまでは、2−1とリードしていたのだが、園直後、大島に逆転2ランを打たれてしまった。

15奪三振はプロ野球史上、延べ23人目。ただし、敗戦投手になったのは、清水秀雄(S15年11月16日・対阪急)と金田正一(S29年6月6日・対洋松、S37年7月22日・対巨人)に次ぎ、延べ4人目。

[6月22日] 高橋忠一が打数7

イースタン・日本ハム−ロッテ戦で高橋忠一の打数7が1試合最多。また、この試合、日本ハムは9失策で1試合チーム最多タイ。

[7月20日] 関清和が1イニング4連続四球

関清和が南海14回戦で1イニング4連続四球のパ・リーグタイ記録。

[8月23日] 村田兆治が3000投球回

村田兆治が日本ハム戦(東京ドーム)で10回まで無失点。ロッテが11回表に2点を挙げると、その裏から牛島にバトンタッチしたが、8勝目を挙げ、200勝まであと4と迫った。村田が10回まで無失点で勝ったのはプロ入り21年目にして初めて。なお、村田はこの試合で、通算3000投球回を達成。プロ23人目。

[9月24日] 関が9球で降板

関清和は日本ハム戦(東京ドーム)で先発したが、1番・島田誠、2番・五十嵐信をストレートの四球で歩かせた上に、3番・田中雄への初球が死球となって、直ちに降板。先発しながら投球回ゼロで降板したのは、今季は関で9人目だが、わずか9球というのは9人の中で最少。

[10月19日] 10・19

近鉄戦(川崎)、近鉄が連勝の場合リーグ優勝となるダブルヘッダー。第2試合を4−4で引分け、近鉄優勝の野望を砕いた。7時間33分の激闘。

優勝した西武は10月16日に全日程を終えたが、その時点でまだ4試合を残していた近鉄が3勝1敗なら逆転優勝となる計算だった。これまでライバルの結果次第で優勝が決まる例は7回あったが、S41年の南海を除いて全て「待ちぼうけ」だった。

[10月23日] パ・リーグ全日程終了

公式戦全日程終了、高沢秀昭が首位打者、西村徳文が盗塁王を獲得。西村徳文、愛甲猛が全試合出場を果たす。

[12月9日] 浦和市に新球場

浦和市に新球場と新合宿所が完成。

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