わたしはかもめ2001年鴎の便り(7月)

便

7月7日

日本ハム4−6千葉ロッテ(松山)

ロッテは、3回にボーリックの二塁打で追いつき、4回に大塚が勝ち越し本塁打を放った。1回にメイの3ランで先制しながら、直後に逆転を許したが、黒木は2回以降は立ち直った。追加点を許さず7回まで投げてリーグ単独トップの11勝目。

123456789R
千葉ロッテ3011010006
日本ハム4000000004

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七夕の思い出が支え

区切りのマウンドで辛抱強く投げた黒木が11勝目をあげ、ハーラートップに立った。1998年7月7日は17連敗を喫し、涙を流した。1999年7月7日は首位に立った。忘れがたい日を支えに、1回4失点の後は立ち直り、7回1死満塁のピンチも切り抜けた。

黒木
「いい勝ち方ができた。この日を境に次も頑張りたい。」
山本監督
「黒木は(1回に)4点でよく抑えた。あの辺はさすがだ。」

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大塚が今季第1号

大塚が4回、逆転の1号ソロを放った。また、メイも1回に19号3ランを放った。

大塚
「手応えはありました。10年間もホームランを打ってなかったような感じなので、ちょっぴり嬉しいです。」
メイ
「打ったのはスライダー。久し振りに完璧に打球を捉えることができた。2日間試合がなかったのが、いい気分転換になったよ。」

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七夕の悪夢一掃!黒木トップ11勝

ジョニーがついに七夕の悪夢から解放された。3年前の7月7日、黒木はGS神戸のマウンドで涙に暮れた。3−1の9回2死からまさかの同点2ランを浴びて崩れ落ち、延長の末のサヨナラ負けでプロ野球記録を更新する17連敗。忘れることのできないあの屈辱から3年、7回125球の力投でハーラー単独トップに立つ11勝目を挙げた。

黒木
「この日に投げることができて幸せです。色々な意味で大きい日でしたので、これをきっかけに浮上していきたい。」

不安定な立ち上がりだった。初回、メイの右越え19号3ランの援護を受けながらその裏に4失点。因縁の日を意識するあまり力んで棒球になってしまった。しかし、3年前のあの日に当時のエース小宮山から「何でまだ同点だったのにマウンドで泣いたんだ」と諭され「諦めないことの大切さ」を学んだ黒木は2回以降立ち直った。初回には控えていたカーブを織り交ぜ、相手打線に的を絞らせなかった。

最大のピンチは7回1死満塁。だが、オバンドーを気迫で圧倒して内角高めの直球で二飛。続く島田も中飛に仕留めて無得点。マウンドで雄叫びを上げた。

「ジョニーがよく立ち直ってくれた」と話したのは山本監督。チームの連敗を3で止めたエースの力投に最敬礼した。ロッテにとっては2年前に1日だけ首位に立った思い出の日でもある七夕の夜。3年前の悪夢は振り払った。あとはジョニーの右腕がチームを上昇気流に乗せるだけだ。

ロッテの連敗記録
98年6月13日のオリックス戦から連敗スタート。日本タイ記録の16連敗で迎えた7月7日のオリックス戦(GS神戸)3−1とリードした9回2死一塁から先発・黒木がプリアムに同点弾を浴びて降板。延長十二回に近藤が広永にサヨナラ満塁弾を浴びて新記録の17連敗目を喫した。翌8日も敗れて18連敗としたが、9日のオリックス戦に小宮山(現横浜)が完投勝利を挙げ9−6で連敗を脱出した。

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大塚快打&好捕

力投のエース黒木を援護したのが8年目の大塚。同点の4回に勝ち越しの左越え今季1号ソロを放つなど2安打と気を吐いた。「手応えはありました。久し振りなので10年ぐらい打ってなかった感じがする」と77試合目での第1号を喜んだ。守っては5回に小笠原の左飛をフェンスに激突しながら好捕。大塚の攻守での活躍を含め「今日はバックがよく守った」と山本監督も絶賛していた。

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