わたしはかもめ2001年鴎の便り(11月)

便

11月1日

1巡目はPL今江

日南学園・寺原隼人投手のドラフト入札を正式に断念。代わって大阪・PL学園高の今江敏晃内野手を1巡目で指名することが分かった。今江は高校1年夏からベンチ入りした大型遊撃手。俊足・好守・強打を兼ね備えた逸材で将来のクリーンアップ候補の期待がかかる。

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無休キャンプ

館山での秋季キャンプで、選手の休日が消滅。3日間のオフも、野手陣に打撃練習が課された。第1クール最終日となった1日、実父の死去で当地を離れた山本監督に代わり、平野ヘッドコーチが「明日の休日も各自、素振りをするように」と指示。宿舎のリゾートホテルにはティー打撃用のネットが張られ、テニスコートは素振りスペースに開放。

平野ヘッドコーチ
「疲れを残して欲しくないが、そうも言っていられない。」

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山本監督父死去

山本監督が1日、父・義三さんの霊前で来季の巻き返しを誓った。義三さんはこの日未明、老衰のため大阪・堺市内の自宅で死去(享年83歳)。午後7時から通夜が営まれ、親族や山本監督の母校・三田学園の関係者ら約200人が参列した。

山本監督
「とにかく野球が好きな人だった。兄弟3人のうち、僕だけ最後まで(野球を)続けて、しかも監督になるなんて思ってなかったと思う。」

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山本監督、天国の父に決意

山本功児監督の父・義三さんが1日午前0時49分、老衰のため大阪府堺市の自宅で亡くなった。83歳だった。悲報を受けた山本監督は急遽キャンプ地の千葉・館山から駆けつけ、悲しみの対面をした。この日夜には堺市内の葬儀場で通夜が営まれ、同監督は「小さいころは厳しかったけど、情のある人だった。来季の続投が決まったときにはオレももう1年頑張ると言っていたんだが…」と悲しみを堪えながら父への思いを口にした。

前日の夕方、電話で話をしたのが最後の会話になったという。「これからは上(天国)でゆっくりと見守ってくれてると思うから力を発揮できるように頑張る」と新たな決意を誓った。山本監督は2日の告別式に参列後、静岡・草薙入りし、3日のパ・リーグ東西対抗で東軍の指揮を執る。

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