ダイエーは、ナイトが、先制した直後の3回2死から連打と四球で満塁とされ、堀に走者一掃の二塁打を浴びた。6回には自らの失策も絡んで2失点し、1−5とされた。打線は9回無死二、三塁と粘り、松中が小林雅から2点二塁打を放って2点差に迫ったが、反撃もそこまでだった。ロッテは先発の渡辺俊が好投して、連敗を7で止めた。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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千葉ロッテ | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 |
福岡ダイエー | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 |
連敗を7で止めた山本監督は「渡辺俊は最高のピッチングだった」と、勝利の立役者を褒め上げた。渡辺俊は9回にピンチを迎えて小林雅の救援を仰いだが、8回までは要所を締める好投。4勝目を挙げたプロ3年目のサブマリン右腕は「丁寧にいったのがよかった」と振り返った。
連敗を7で食い止めた山本監督は「渡辺俊は最高のピッチングだった」と、勝利の立役者を褒め上げた。下手投げの渡辺俊は、9回にピンチを迎えて小林雅の救援を仰いだが、8回までは要所を締める好投で4勝目をマーク。また、打っては堀がナイトから3回に逆転の3点二塁打。「タイミングが合っていなかったから、バットに当てることだけを考えた」とこちらも満足顔だった。
ロッテが、ついにバレンタイン監督復帰へ動き始めた。関係者によると、既にバレンタイン氏の周辺調査を開始。7年間務めたメッツ監督は昨年限りで解雇されたが、契約上は今季終了までメ軍に保有権があるため、具体的な交渉はシーズン終了後の10月となる。ロッテは、3年以上の長期契約を用意しているとされる。
バレンタイン氏は1995年に、ロッテ監督に就任。選手のモチベーションを高める操縦術や大リーグ式の調整法、投手の分担制導入などが奏功し、持ち味である機動力野球が機能して、就任1年目でいきなり10年ぶりのAクラスとなる2位に躍進させた。また、明るいキャラクターで人気も得た。しかし、シーズン中盤あたりから広岡GMとの確執が深刻となり、好成績を収めながらも1年で解任される結末となった。
バレンタイン監督解任後のロッテは、低迷が続いている。1996年以降は昨年まで2度の4位が最高成績で5位3度、最下位2度。山本監督5年目の今季も現在5位と、Bクラスが指定席の状態から抜け出せないでいる。
重光オーナー代行はじめフロント上層部は、以前からバレンタイン監督復帰を視野に入れてきた。しかし、バレンタイン監督は1996年途中からメッツ監督に就任。契約の問題や、2000年にはワールドシリーズに出場し米国内の評価も高まったこともあり、ロッテ側がアプローチをかけるタイミングを逃してきた経緯がある。昨季、1993年以来の地区最下位となったことでメッツを解雇された同氏だが、ロッテ首脳の間では「バレンタインを残すべきだった」、「この状況を救えるのは彼しかいないのでは」の声が囁かれ続けるなど、同氏への高い評価は根強い。広岡GMは1996年限りで退団している。
現在、バレンタイン氏は米スポーツ専門テレビ局ESPNの解説者を務めている。しかし、昨年10月にメッツを解任された際にも「次はもっといい指導ができると思う」と語るなど、監督への意欲は衰えていない。日本球界についても、ことあるごとに「いつか日本でもう1度やりたい」と話しており、ロッテが正式にオファーすれば受諾する可能性は高い。
ただ、米国内の評価も依然として高く、先月もブーン監督を解雇したレッズの後任監督候補に挙がったばかりだった。諸条件が折り合わず白紙となったが、今後、他の米球団から来季のオファーを受ける可能性もあり、条件や球団次第では米球団と契約する選択肢も残されている。その場合、ロッテは山本監督続投か、新たな候補者探しに着手するかの判断を迫られることになる。
バレンタイン監督の年度別成績 | |||||
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年 | チーム | 勝 | 敗 | 勝率 | 順位 |
1985※ | レンジャーズ | 53 | 76 | .411 | 7 |
1986 | レンジャーズ | 87 | 75 | .537 | 2 |
1987 | レンジャーズ | 75 | 87 | .463 | 6 |
1988 | レンジャーズ | 70 | 91 | .435 | 6 |
1989 | レンジャーズ | 83 | 79 | .512 | 4 |
1990 | レンジャーズ | 83 | 79 | .512 | 3 |
1991 | レンジャーズ | 85 | 77 | .525 | 3 |
1992※ | レンジャーズ | 45 | 41 | .523 | 3 |
1995 | 千葉ロッテ | 69 | 58 | .543 | 2 |
1996※ | メッツ | 12 | 19 | .387 | 4 |
1997 | メッツ | 88 | 74 | .543 | 3 |
1998 | メッツ | 88 | 74 | .543 | 2 |
1999 | メッツ | 97 | 66 | .595 | 2 |
2000 | メッツ | 94 | 68 | .580 | 2 |
2001 | メッツ | 82 | 80 | .506 | 3 |
2002 | メッツ | 75 | 86 | .466 | 5 |
※はシーズン途中で就任または解任。ロッテ時代は3分けがあり、成績はリーグ順位。メジャー計は1117勝1072敗。