ロッテが逆転勝ちで、31年ぶり5度目のリーグ制覇を決めた。ロッテは6回に福浦の適時打で1点差に迫り、8回には里崎の2点適時打で逆転に成功。藤田−薮田−小林雅のリレーで逃げ切った。勝ち投手は藤田。小林雅にセーブが付いた。ソフトバンクは3回までに松中の今プレーオフ初安打となる適時打などで2点を奪うが、8回に馬原が逆転打を浴び、2年連続のプレーオフ第2ステージ敗退となった。阪神との日本シリーズは22日(土)に千葉マリンで開幕する。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | |
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千葉ロッテ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 3 |
福岡ソフトバンク | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
ロッテが74年以来、31年ぶり5度目のリーグ優勝を決めた。優勝なしの期間は61〜97年横浜の37シーズン、36〜66年阪急の32シーズンに次いで3番目に長かった。75年から昨年までのロッテは2位4回、3位3回、4位8回、5位8回、6位7回。30年のうち4位以下が23年もあり、96年からは9年連続Bクラスに低迷。Bクラスが9年以上続いていたチームがいきなり優勝は60年大洋(10年)03年阪神(10年)に次いで3チーム目。また、外国人の優勝監督は74年与那嶺監督(中日)に次いで2人目、パ・リーグでは初めて。
優勝から遠ざかっていた球団 | ||
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年度 | 球団 | 優勝なし期間 |
98 | 横浜 | 37シーズン(61〜97) |
※67 | 阪急 | 32シーズン(36〜66) |
05 | ロッテ | 30シーズン(75〜04) |
※79 | 近鉄 | 29シーズン(50〜78) |
※78 | ヤクルト | 28シーズン(50〜77) |
[注]※は初優勝。37、38年は春秋制。45年はリーグ戦中止。
まさにボビー・ミラクルだ。パ・リーグのプレーオフ第2ステージ第5戦は、ロッテが終盤に逆転し、74年以来31年ぶりにリーグを制覇した。千葉移転後は初で、前身の毎日、大毎時代を含めると5度目のV。2連勝から2連敗したが、1点を追う8回1死一、二塁で里崎が左越え2点二塁打を放ち逆転。最後は小林雅が締め、5戦いずれも逆転勝ちの激闘シリーズを制し、王ソフトバンクを破った。昨年、2度目のロッテ復帰を果たしたボビー・バレンタイン監督(55)のミラクル采配に率いられたマリーンズ軍団は22日から日本シリーズで阪神と対戦する。
数々のドラマを起こしてきたバレンタイン監督が、最後の最後に奇跡を呼んだ。信じ続けた守護神の小林雅が9回を締めた。井上が左飛を捕る前から、選手はベンチを飛び出した。マウンド後ろに黒い固まりができた。その中へ小走りで両手を広げたバレンタイン監督がのみ込まれていった。自ら企画した黒いユニホームに身を包んだ「背番号2」が、福岡ドームの宙を舞う。わずか3回、不慣れな胴上げだったが、歓喜を味わうには十分だった。
完全に相手に傾いた流れをマリンガン打線が引き寄せた。堀が腰を痛めて途中交代。右太ももを痛めた小坂が登録抹消中で、早坂が今季1軍初出場した。だが同監督の背水の采配が、31年ぶり優勝への扉を開いた。その早坂が7回のピンチを美技で救う。8回、早坂に代え今季限りで引退する初芝を代打に送る。執念の内野安打で出塁し、福浦が連打で好機を広げた。5番に打順を上げた里崎が殊勲の逆転2点二塁打。内野手を使い切り、三塁の今江が二塁を守った。最後は第3戦で9回4点リードを守れなかった小林雅を投入。文字通り総力戦だった。
くしくも10年前の、この日だ。95年10月17日、当時の球団幹部と指導方法をめぐる確執が原因で、電撃解任された。2位の好成績も日本を去った。それ以来、長年続いたチームの低迷に「私はロッテを愛している。ロッテだから戻ってきた。私が正しいということを証明したかった」と復帰を決意した。日替わりオーダー、登板間隔をあける投手起用とボビー・マジックを連発した。この日も練習前、選手全員をロッカー室に呼んで「魔法」をかけた。全員が目を閉じて瞑想、今季やってきたことを自由に振り返らせた。「自信を持て」と連勝から連敗という逆境を乗り越えた。
復帰1年目の昨年はプレーオフ進出を逃した。今年1月末、春季キャンプで鹿児島入りした時だった。同監督の今年初のミーティング。第一声は「昨年は0.5ゲーム差でプレーオフを逃した。あの悔しさを忘れるな」。選手はその言葉を忘れなかった。5差ならソフトバンクのアドバンテージ(プレーオフ1勝分)をギリギリで阻止する4.5差。昨年は0.5差に泣き、今年は0.5差に笑った。
伸び伸びとプレーするため、選手が落ち着く環境を心掛けた。プレーオフ期間も外出自由。今年、チームは出産ラッシュだった。福浦、サブロー、小林宏、李、黒木、今江と続々と子供が誕生した。その祝いに子供の名前を刺繍で入れたアルバムなどをプレゼントした。「チームはファミリーだ」と繰り返してきた。次は日本シリーズだ。「ここに来る前、マリン球場に戻ると約束した。阪神は素晴らしいチーム。世界最高のファンの前で、戦いたい」。31年前も日本一に輝いた。ボビー・ロッテが、その再現を狙う。
ロッテ重光オーナー代行はグラウンドで感激の涙をこぼした。「簡単には勝てませんでしたが…」。日本シリーズは阪神と「縦じま対決」になる。「チームも似たタイプだと思うし、日本一を争うのに相応しい試合をしたい」。ちなみに前日まで着用して連敗した縦じまのスーツから、この日はチェック地に替えて勝利を呼び込んだのもチェックポイントだった。
ソフトバンク川崎の打球が左翼方向に上がった。福岡ドームに悲鳴と歓声が交錯する。9回裏2死二塁。ロッテ小林雅が両手をあげる。左翼手の井上が構えるのを見るだけで良かった。ウイニングボールがグラブに収まるのも確認せず、駆け寄ってきた福浦とマウンドで抱き合った。里崎、小野と続き、後は歓喜の輪にのみ込まれた。31年ぶりのリーグ制覇を決めた胴上げ投手は、やはり絶対的守護神だった。
笑みが、はじけた。「嬉しいですね。前回が悪い結果だったんで、取り返すならこの場所しかないと思ってた。こういう場面を作ってくれたみんなに感謝します」。第3戦(15日)の悪夢がある。4点リードの9回から登板した。力みから投球が高めに浮き、1点でもリードしていれば優勝が決まる場面で同点にされた。延長10回サヨナラ負け。最終戦までもつれ込む発端をつくった。
救援失敗直後も“キツい1発”に見舞われた。「(幼稚園に通う6歳の)娘に『バカッ』と言われました。それで救われた。娘と嫁さんに同情されるより、『何やってんの』と言われて気持ちを切り替えられた」という。愛情の裏返しである率直な言葉が、心に響いた。試合前「これまでの全部、野球人生の全てをぶつける」と話した。今季は史上最速の150セーブも達成した。支えてくれた人のためにも、胴上げ投手のやり直しにかけていた。
選手会長として「万全の備え」の姿勢も見せてきた。交流戦対策で抑え投手にもかかわらず、打撃練習にもいち早く対応。2月の春季鹿児島キャンプにはマイバットを作って臨んだ。試合では必ず7回にブルペンに向かい、12球の投球練習でマウンドへ向かう。決して準備を怠らない姿勢はチームの模範でもあった。
バレンタイン監督の信頼は揺るがなかった。「彼がクローザーだと確信して臨んだ試合だった。1つの不安もなかった」とマウンドに送り出され、期待に応えた。ビールかけ会場に向かう途中で、早くも心の準備に入っていた。「まだもう1つ、目標があるんで」。阪神との日本シリーズでも、必ず高く強い防波堤になる。
風を感じていた。ドームに吹くはずのない風が、ロッテ里崎の打球を加速させた。8回1死一、二塁。「今日もバッサバッサと吹いてました」という見えない力に後押しされ、初球の内角低め147キロ直球を振り抜いた。「杉内のときから変化球が1球もない。詰まらせて併殺を考えていたのでしょう」。捕手らしく冷静に配球を予想できた。スイングに迷いはなかった。2戦連発弾かという打球は左中間のフェンス上部を直撃。起死回生の、逆転2点二塁打となった。
福岡ドームは大好きだった。序盤リードを許し重苦しいムードが漂っても「僕の野球人生はここから始まった」という里崎には無縁。連敗で劣勢に立たされた前夜のこと。1度は勝ち越し弾を放った里崎だけが「まだ僕に風が吹いています」と笑っていた。02年4月のプロ初アーチ、前日に死去した祖母にささげる03年5月のV打と、記憶に残る一打はいずれも福岡ドーム。前回V打は「バアちゃんが打たせてくれた」と涙した男が「もっと最高の1本を打てた」とこの日も涙声でヒーローインタビューが途切れた。
レギュラー奪取を誓った今季。ロッテの捕手では85年を最後にいない規定打席到達を目指した。開幕スタメンこそつかんだが、ふたを開けてみれば橋本との併用。先発マスクは72試合に終わった。プレーオフも逆風からスタート。微熱が1週間続いて第1ステージを欠場した。ただ底抜けに明るい里崎はくじけない。「休養十分でした」と笑い飛ばし、出直しで臨んだ第2ステージは3度の先発でいずれも打点をマーク。2発4打点とベンチに風を送り続けた。
「僕が下を向いていたらダメだと思っていたら、みんながついてきてくれた。このシリーズ、先制点を奪ったチームは勝ってない。だからチャンスだと思っていた」。試合後は遠く千葉マリンスタジアムに集まっていたファンに、携帯電話を通じて生中継画面にメッセージも。逆転劇のヒーローは最高の夜に満面の笑みを浮かべた。
福浦が6回に1点差に迫るタイムリー二塁打と、8回の逆転劇につながる右前打を放った。逆転のホームも踏む大活躍に、「こんな嬉しいことがあるんですね」。千葉生まれで地元の名門習志野高出身。千葉県で初の日本シリーズとなるが「嬉しいですね。何しろ、ロッテが31年前の優勝した時だって、僕は生まれてなかったんですから」と感慨深そうだった。
現役はまだ続く。ロッテ逆転の突破口を開いたのは、今季限りで引退する代打初芝の激走だった。
1点を追う8回先頭で代打で登場。左腕三瀬にタイミングが合わない。「やっちゃった〜」と後悔した打球はボテボテのゴロで三遊間に転がる。悠々アウトのタイミングだったが、全力疾走すれば奇跡が起こる。ソフトバンクの三遊間バティスタと川崎が激突。内野安打となったが、同点のランナーに代走はなかった。総力戦のロッテベンチに交代する内野手は残っていなかった。
続く福浦の打球はライナーでライト前に弾んだ。バウンドを確認してスタートすると、際どいタイミングで二塁に滑り込んだ。1死後、里崎の二塁打で同点のホームを踏み、続いて逆転のホームに帰ってきた福浦と抱き合った。
ロッテ一筋17年で初めて味わう優勝だった。歓喜の瞬間は三塁の守備位置で迎えた。飛び出してきたバレンタイン監督に誰より最初に抱き付いた。「まさか、優勝の瞬間に守ってるとはね。2イニングだけだったけど、疲れたなあ〜」。
9月22日の引退セレモニーで誓ったことがあった。「プレーオフ、シリーズを制す最後の夢が実現した後、バットを置きたい」。最後の夢へ、もう少しだけ、走り続けるチャンスを得た。
ロッテナインが歓喜に酔いしれた。福岡ドームに隣接するホテルの会場で行われた祝勝会は、バレンタイン監督の「ミナサン、オメデトウゴザイマス」の挨拶と、小林雅の乾杯の音頭でスタート。ファンの背番号「26」にちなんで用意されたシャンパン260本と、「31年ぶりV」にかけて用意された3100本のビールは、25分で空けられた。シャンパンは、宿舎関係者の手配で「バレンタイン」という銘柄が用意された。
選手も個性的な格好で騒いだ。大塚が大仏、諸積がアフロヘア、小宮山と清水が若葉マーク付きの競泳帽をかぶり、祝杯を掛け合った。最後は清水の「本当に最高!このまま飛行機に乗っちゃってください」と話したあと、1本締め。感極まったせいか、泣き崩れ、それを小宮山が支えていた。
現役では生え抜きでチーム最長18年目の堀が目を潤ませた。第4戦までフル出場。持病の腰痛が限界に達し、2回に自ら交代を申し入れた。代わった早坂が7回に美技でピンチを防ぎ「それが1番嬉しかった」。ただ球場から宿舎まで腰をいたわるように歩いていた。「(日本シリーズまで)直す」と話すが、激戦の代償も大きかった。
右田打撃投手が封印していた「Vヘッド」を解禁した。第3戦で4点リードを奪いVを確信。8回終了時にバリカンで髪をVの字に刈りその瞬間を待ったが、連敗したため披露できずにいた。その後は気づかれまいと、外では帽子をかぶった。「(試合前の打撃練習で)たっぷり汗をかいてもタオルでふけず大変だった」。
プレーオフで黒木に出番は回ってこなかった。第3戦から出場選手登録されたが、3試合ともベンチ入りメンバーから漏れた。右ひじ手術から8月末に1軍復帰した右腕は「1年間やってきた人間が試合に出るべきだ」と潔かった。ロッテの低迷期を支え、98年は悪夢の18連敗を経験。連敗中に9回2死から同点本塁打を浴び、マウンドで泣き崩れたシーンはファンの涙を誘った。「この雰囲気を経験したことは次に生きる」と前を向いた。
ロッテ堀幸一内野手(36)がプレーオフ第2ステージ・ソフトバンク5回戦(福岡ドーム)のプレー中に腰に痛みを覚えたため、2回の守備から途中交代。アイシング治療を行った。
千葉マリンスタジアムではパブリックビューイングで集まった約1万2000人のファンが体をぶつけ合って喜んだ。冷たい雨が激しく降っていた。涙か雨か分からないぐらいにみんなの顔はグチャグチャだった。バレンタイン監督の胴上げでは「バンザイ、バンザイ」「ボビー、すげえ」「ありがとー」の歓声にくるまれた。入場無料とはいえ、パブリックビューイング5戦で計5万9000人が訪れた。この日は月曜で、試合が始まってからスーツで駆けつけた会社員の姿が目立った。
31年ぶりにプロ野球パ・リーグで優勝した千葉ロッテマリーンズは、地元と密着して育ってきた。ファンと一体となった快進撃は社会現象にもなり、低迷するプロ野球の面白さを再認識させる起爆剤にもなろうとしている。チームは千葉県など地元自治体と共同して、日本シリーズ後に本拠地千葉マリンスタジアムをゴールとする優勝パレードを企画している。ボールパーク構想を持つ幕張で、ファンと一体化したロッテらしいパレードになりそうだ。
黒と白のユニホームを着たファンが沿道を埋める中、ゆっくりとロッテ選手を乗せた車が千葉マリンスタジアムに移動していく。JR海浜幕張駅から海に延びる国際大通りにかかる歩道橋からは紙吹雪が舞い降りる−おそらく、ロッテの優勝パレードは、こんな情景が繰り広げられるに違いない。
ロッテが千葉に本拠地移転したのが91年11月。92年シーズンから千葉マリンがホーム球場となった。球場は千葉市所有で、球場の建つ幕張海浜公園は千葉県が所管している。その関係もあって、優勝祝賀行事については、球団、県、市の3者が中心となる実行委員会がつくられ、優勝パレードも委員会が指揮を執っていくことになるという。
優勝が決まるまで、千葉県経済政策課と千葉市政策調整課が球団と水面下で話し合いを持ち、11月中旬の日曜を目標にパレードを実施する方針を固め始めている。
11月6日までは、東京モーターショーが幕張メッセで開催されており、11月第1週はパレードを行うには日程調整が難しい。13日が有力視されている。
千葉移転後初めての優勝であることから「どこにも負けないファンのための盛大なパレードをやりたい」と別の関係者も話す。
弱い時代もあった。球界再編が取りざたされると、合併や身売りに名前が上がった。でも、今やマリンスタジアムのファンの盛り上がりは、地域密着の典型のようになり、社会現象にもなり始めている。
低迷しているプロ野球の中で、それこそ今年の試合の面白さを示したのはマリーンズだった。もしかしたら、ストライキ後のプロ野球が回復するためのヒントがあるのかも。
パレードは地元自治体も協力して成功させたい、と考えている。ファンは、闘いを終えたボビーと、その選手達が、帰ってくるのを楽しみに待っている。
92年に本拠地を川崎から千葉マリンに移転して13年。「千葉ロッテマリーンズ」が地元に密着したことが、今年の快進撃につながった。91年7月のオーナー会議で移転が了承された際、重光オーナー代行は「プロ野球ファンの底辺拡大に寄与したい。地元に歓迎される新しい球団をつくる」と球団、現場を含め大刷新する考えを示した。地元と一体となる努力は当時から、今も続けられている。
幕張新都心というビジネス街の性質と、新築マンションが立ち並ぶ新興住宅地という2つの側面を併せ持つ街。シーズン中もバレンタイン監督、西岡らがビル街に出向き「試合を見に来てください」と直接、訴えた。幕張の住宅地には球団幹部が出向き、応援しやすい環境づくりを協議。地元自治体による応援組織「ベイタウン・マリーンズ・クラブ」も今年、発足した。「野球の城下町」を目標に掲げてきた。
単なるプロ野球の行われる球場からの脱却も目指している。千葉市は9月に千葉マリンスタジアムの管理、運営を民間に託す「指定管理者制度」を適用させることを明らかにした。その候補にロッテ球団と現在、同球場を運営している千葉市の第3セクター、千葉マリンスタジアムの2社を挙げた。ロッテは今季、積極的に県、市、マリンスタジアム社に対し協力要請し、敷地内での屋台の出店、外野フェンスの広告など、様々な改革を行ってきた。
球団が指定管理者になればプロ野球、Jリーグを含めた適用第1号となる。自治体と一心同体となったプロ野球文化の定着。ロッテは球場を含めてボールパーク化構想を持っている。31年ぶりの優勝は、その過程に弾みをつけることだろう。
野球をやってきて、優勝は初めての体験なので、本当に嬉しい。先発した15日で決められなかったが、自分の投球には満足している。松中さんにはシーズンで6本の本塁打を打たれていたが、全て走者のいなかったソロ。つまりセットポジションでは打たれてなかったのでいいデータは全て使おうと思って、セットにして抑えることができた。
チームが着実に強くなって、手にした優勝だと思う。去年、ボビーがやって来て、前半は采配を理解するのに時間がかかった。投手を代えるタイミングや、スタメンを変えたりすることが分かってきたのは、去年の後半戦になってからだった。最初はどうしてかな、試しているのかなという気持ちがあった。後半戦で3位争いをし、このチームは勢いだけじゃない、自分達は強いんだと自覚を持つことができた。今年、何度もどうして急に強くなったんですかって聞かれたが、急にじゃない。昨年の後半戦から手応えを感じていた。
自分自身について言えば、去年はもちろん、今年も危機感を持ってやってきた。登板間隔があいていても、休ませてもらっているという感覚ではなくて、常に投げたいという気持ちがあった。その中で登板して、結果が出なかった場合、このチームはいい先発投手が揃っているから、自分が外れてもおかしくないという気持ちがあった。危機感も競争心もあった。先発ローテーションを守っていても、それは消えなかった。
振り返れば、6月20日に登録抹消して7月1日に復帰した経験が大きかった。実は、あの抹消は今まで経験したことのない右ひじの違和感によるものだった。投げられないということはなかった。だけど次の試合に確実に投げられるのか、投げられないのかが分からない。骨に異常はなかった。
原因は交流戦のセ・リーグのボールだった。真っすぐを投げるのは大丈夫だった。問題はカーブ。セのボールは小さく感じられた。自分が思っているより、ボールが抜けてしまう。空振りしたような感覚になってしまった。縫い目が小さく、指がかからなかった。慣れていれば平気だったが、パの縫い目が大きいボールの感覚で投げると、抜ける。技術的にはいいことだが、準備ができていなかった。体が覚えていなかった。それで初めての違和感が生まれたのだと思う。監督に報告し、1回先発を飛ばそうということになった。
交流戦が終わり、7月1日の西武戦から復帰したが、カーブが決まらなかった。コントロールが悪かった。それが相手に知られていたら、やられていたと思う。3球ぐらいしか、思うところにカーブがいかなかった。その時も違和感はあったが、ひどくはならないという確信があったので、投げ続けた。その経験の中で投球のコツを覚えた。スピードが出ていなかったので、ボールの勢いに頼ることができなかった。カーブ、シンカーを使って緩急をつけ、打者をかわしてきた。つかんだものは大きかった。
このプレーオフの前、ブルペンに入った時、後半戦で初めて思い切り腕が振れた。それまで怖さが残って、本気で腕が振れてなかった部分もあった。苦しみを乗り越えて得た経験を、日本一につなげたいと思う。
31年ぶりの歓喜をボビーが運んできた。パ・リーグのプレーオフ第2ステージ第5戦が17日行われ、ボビー・バレンタイン監督(55)率いるロッテが8回、里崎智也捕手(29)の逆転二塁打でソフトバンクを3−2で下し、3勝2敗で74年以来のリーグ優勝を果たした。バレンタイン監督の指揮の下、勇敢に戦ったナインと「26番目の選手」と呼ばれる日本一のファンが成し遂げた31年ぶりの快挙。12球団で最も優勝から遠ざかっていたチームは日本一を目指し、22日からの日本シリーズで阪神と対戦する。
マウンド付近に膨れあがった輪に、背番号2が飛び込んだ。84キロの体が3度宙に舞う。ゆっくり、そして最後は半回転した。31年ぶりの優勝らしくぎごちない歓喜の儀式。「ミナサン、アリガトウ。ウイニングボールは宝物となったし、宙に舞った感触は一生忘れられない」。目は潤んでいた。
2連勝から第3戦はまさかのサヨナラ負けを味わった。そして連敗。その惨劇を招いた小林雅を1点差の9回にマウンドへ送った。「(第3戦は)心が痛む1戦だった。中でも1番つらかったのは小林雅でしょう。今日はいい仕事をしてくれた」。揺るぎない信念に抑えの切り札が応えた。
試合前ミーティングでの最後の15秒間に目を閉じさせた。2月の春季キャンプ。指揮官は唐突にヘッドホン約100個をコーチ、選手に配った。「何が聞こえるか教えて欲しい」。選手は何も聞こえないヘッドホンを耳に当て自分との対話を始めた。数日すると「優勝するシーンが目に浮かんだ」と言ってきた。奇異に思える試みが「負け犬根性」を忘れさせた。
その集大成ともいえるのが8回の逆転劇だった。「リードされて嫌な雰囲気になりかけたところで初芝がガッツを見せて出塁したし、里崎も1年間を通していいところで打ってくれた。全員のガッツが前面に出た」。代打に今季限りで引退する初芝を起用。ベテランが執念の三塁内野安打で無死一塁とし、さらにチャンスを広げ、仕上げは里崎が逆転の左中間二塁打だ。強気で臨機応変なタクト。捕手の辻以外、野手を総動員した総力戦と、全5試合が逆転勝ちで決着という壮絶な第2ステージ制覇につながった。
今季、127通りに及んだ日替わりオーダーは“ボビーマジック”と呼ばれた。「マジックはなかった。素晴らしい選手達が死力を尽くしてくれた。夢に向かって突き進んで結果としてチャンピオンシップを勝ち取った」。その指揮官を支えたのは「26番目の戦士」だ。最初に指揮した95年、当時の広岡達朗GMとの確執でわずか1年で解任。それでも弱小球団を2位へ押し上げた手腕に1万4000人のファンが残留署名運動を行った。それから約8年後の03年11月1日、監督就任交渉のため来日した際、成田空港ロビーで約200人のファンを見た瞬間、2度目の挑戦は決まった。
74年に日本一を達成後、チームは人気、実力とも低迷した。78年に本拠を川崎球場に移したが、深刻な観客動員減に悩まされた。当時はドラフトで大物選手を指名しても入団を拒否された。しかし、92年に千葉マリンに移転してから風向きが変わった。無名ながら素質ある高校生を指名する戦略が福浦、西岡、今江ら看板選手を育て、ファンの共感と感動を呼んだ。
そしてボビーという人材を得て、生まれ変わった。「千葉のファンには必ず戻ってくると言ってきた」。約束を守った指揮官の次なるターゲットは日本一しかない。
両手を高々と天に突き上げた。吠えた。苦しかった分だけ、喜びが爆発した。笑顔、笑顔のナインが歓喜の波となって押し寄せる。もう、もみくちゃだ。守護神・小林雅が、チームを31年ぶりのリーグ優勝へと導いた。
1点リードでめぐってきた9回のマウンド。先頭の大村にフルカウントから四球を出した。逆転を信じる敵地のファンの大歓声が全身に突き刺さった。だが、動じなかった。犠打で1死二塁とされても代打・柴原をどん詰まりの二飛に。最後は川崎を外角低めの147キロのシュートで左飛に打ち取った。
1度は地獄に突き落とされた。3連勝でのリーグVを狙った15日。極度の緊張で9回の4点リードさえも守れず、チームも延長サヨナラ負け。守護神としてのプライド、そして威信も揺らいだ。
屈辱の敗戦後、自宅に電話をかけると、長女の憂ちゃん(6)の第一声は「バカっ!」。思わず心が和んだ。「あそこで変に“大丈夫?”と言われるよりも気持ちが切り替えられた」。何げない家族との会話で気持ちをリセット。第5戦までもつれた雌雄を決する大一番を締めて、念願の胴上げ投手となった。
前回Vの74年に生まれた31歳。ロッテ入団後にその事実を知った右腕は「それなら自分がいる間に優勝しなければいけない」との使命を己に課した。チームの低迷期でも、常に頂点を見据えていた。目標を失うことはなかった。努力を惜しまずに流した汗と涙が、この日、輝く結晶となった。
今季は史上最速でのプロ通算150セーブを達成。29セーブで自身初のタイトルも獲得した。ナイン、家族、ファンとともにたどり着いた歓喜の瞬間。だが、涙はなかった。「もう1つ目標がありますから」。次は阪神との日本シリーズ。最後を締め、次は日本一の雄叫びを上げる。
ベニーが勝負強さを発揮し優勝に貢献した。この日は4打数1安打だったが、第2ステージは初戦で決勝の2点左越え打を放つなど5試合で4打点。「みんながファイティングスピリットを持ってやっていた。優勝はとても幸せ」。試合後にはヤフードームに詰めかけた左翼席のロッテファンに向かって背番号26のユニホームを掲げる姿も。「マリーンズはみんなが家族」と喜びを爆発させていた。
ロッテナインの誰もが泣いていた。初芝の顔はもうグシャグシャだ。
最後に優勝した74年。8回に逆転することから「ラッキーエイト」と呼ばれたロッテのミラクル伝説がよみがえった。1点を追う8回。先頭の代打・初芝が三遊間にボテボテのゴロ。「ヤバイ、やっちゃった!」と思った瞬間だった。三塁・バティスタと遊撃・川崎がまさかの交錯。内野安打となった。今年限りで現役引退を表明したプロ17年目の戦士が執念を見せれば、福浦が右前打でつなげる。無死一、二塁。ここで指揮官はサブローに送りバントのサインを出さず、強攻で二邪飛。ベンチが沈みかけた時だった。里崎が馬原の初球、147キロ直球を打ち砕いた。
「最後に打ったのは僕ですけど、つないでくれたみんなの力です」。逆転の左中間2点二塁打。チーム一のプラス思考はソフトバンクに逆王手をかけられた前夜にこう言った。「明日は甲子園の決勝みたい」。この日の試合前も「勢いで3連勝よりも2勝2敗で勝った方が強いロッテを証明できる」。“ボビーマジック”の代名詞である日替わりオーダー。里崎は今プレーオフで初めてクリーンアップに起用され、期待に見事に応えた。そして試合前に瞑想したイメージ通りに最後は小林雅と抱き合い何度も嬉し涙をぬぐった。
何かの運命なのか。91年のこの日。ロッテは最下位で閑古鳥が鳴いていた川崎球場時代に幕を閉じた。あれから14年。川崎時代の3戦士、初芝、堀、小宮山は声を揃えて言った。「オレ達は本当に強くなった」と。
福浦が激走で決勝のホームを奪った。1点差に追い上げる6回のタイムリー二塁打に続き、8回も無死一塁から右前へ。一塁から里崎の左中間二塁打で二、三塁を蹴り、的場がブロックする本塁に強引に足を突っ込んだ。「最後までヒヤヒヤする試合で胃が痛いです」と嬉しい悲鳴。くしゃくしゃの顔で「諦めないで良かった」と喜びを噛み締めた。
そこに想像もできない、長い時の流れがあった。試合を決めたのは里崎智也捕手(29)の一撃だ。1点を追う8回、左中間に逆転タイムリー二塁打。塁上で何度も両拳を突き上げた。昭和49年10月9日、金田監督が仙台・宮城球場で舞ってから1万1331日。ロッテ球団、OB、ファンの31年分の思いが里崎のバットに姿を変えて、そして白球は飛んだ−。
しびれる場面でも、気持ちは笑っていた。8回、代打・初芝の内野安打と福浦の右前打でつくった1死一、二塁。里崎が馬原の初球をたたく。ファンの思いを乗せた打球が、左中間フェンス上段に直撃。逆転の2点適時二塁打が、31年ぶりの優勝を導いた。
福岡には思い入れがある。「プロ野球人生はここで始まった」。平成15年5月4日のダイエー(現ソフトバンク)戦。5年目のシーズンも開幕から無安打。前日にはプロ入りを誰よりも喜んでくれた祖母を亡くしていた。「おばあちゃんに打たせてくれと願った」延長11回、代打で試合を決める安打を放ち、号泣した。「どんなに辛くても上を向く」。そのとき心に決めた。
長い31年間のチームの苦労を吹き飛ばす一撃だった。昭和49年の日本一で“広告塔”としての役目を果たしたロッテ球団だが、優勝後も本社業務が優先される中、隅に追いやられていった。
「勝つと他球団のファンが商品を買ってくれない」「ゴタゴタが続くとイメージダウンだ」。そんな社内の声。補強面でも「入ってくれる選手」が最優先。唯一勝負をかけた平成2年のドラフトでは、史上最多の8球団競合の末、亜大・小池(前楽天)の交渉権を得たが逃げられた。
ファンもついてこない。川崎球場のスタンドでは無許可で「そうめん流し」が行われるほど、無法地帯に。平成4年の千葉移転で巻き返しを図ったが、川崎時代のファンが他チームの選手に石を投げる事件も発生。
熱狂サポーターはこうして生まれたが、平成10年にはプロ野球記録の18連敗。近藤昭仁監督は「今度監督をやるときは、強いチームでやりたい」と球団を去った。そんな状況で本社が重い腰を上げたのが、今回のバレンタイン監督復帰だった。
昭和49年10月9日、ミスターが引退するわずか5日前。仙台・宮城球場で金田監督がみちのくの空に舞ってから、実に1万1331日。こじつければ、王監督(1)とミスター(3)に彩られた数字になった。そして、平成17年10月17日、気が遠くなるほど長い時を超えて−。
1点を追う8回無死一塁。福浦が三瀬から右前打を放ち、逆転の舞台を整えた。「ゲームが硬直していたので、流れを変えたかった」。プレーオフでは打率.381と絶好調。日替わりオーダーにあって、不動の3番だ。試合終了の瞬間は、1番に小林雅に抱きついた。「やりましたね。感動しました」と満面の笑みを浮かべた。
恒例のビールかけは、ヤフードームに隣接するホテルの特設会場で行われた。小林雅の発声と共に3100本のビールと、260本のシャンパンは、あっという間に空に。ビールは31年ぶりのリーグ優勝に、シャンパンはサポーターの背番号である「26」にかけた本数。最後は清水が「今日は中洲で朝まで飲むぞ!!」と叫んで、ナインは31年ぶりの美酒に酔いしれていた。
堀幸一内野手(36)=第2ステージ第5戦のソフトバンク戦(ヤフードーム)に「2番・二塁」で先発出場したが、プレー中に腰を痛めたため、2回の守備から早坂圭介内野手(21)と交代した。
パ・リーグは17日、今季のプレーオフ第1、第2両ステージ計7試合の観客動員数を22万6119人(1試合平均3万2303人)発表した。ロッテ−西武が戦った第1ステージは2試合で5万7975人(同2万8988人)、第2ステージは16万8144人(同3万3629人)。
最後を締めたのはやはり守護神・小林雅だった。15日の第3戦では9回、まさかの4失点で逆転負けの元凶となった。だがバレンタイン監督は、9回、再びマウンドに送り、その期待に応えてみせた。6人の2ケタ投手を輩出した自慢の投手力も小林雅を軸とした頼もしいリリーフ陣の存在があってこそ。プレーオフ7試合で16点しか与えなかった自慢の投手力を擁し、ロッテは22日からの日本シリーズで阪神と戦う。
ここぞ男の舞台。失敗を打ち消すには、最大の場面が待っていた。「ピッチャー、小林雅」。アナウンスが響くと、ソフトバンクファンからも歓声がわく。異様なムードの中、小林雅が1点リードの9回、いつものようにマウンドに上がった。
15日の第3戦。4点リードの9回に登板、31年ぶりVまでアウト3つ取ればよかったが、守りきれなかった。結局、チームは延長サヨナラ負け。それを境に流れが変わったのは、明らかだった。
9回、先頭の大村に四球を与えるが、最後は川崎を左飛に抑えた。打球が上がった瞬間、両手を突き上げ歓喜のジャンプ。気が付けば、ベンチからバレンタイン監督、仲間が飛び跳ねながら、自分の周りに集まってきた。悔やんでも悔やみきれない失敗から、守護神に戻った瞬間だった。
負けた夜、娘の美憂ちゃん(6つ)と電話で話すと、いきなり「パパのばか」といわれた。「あの言葉で気持ちを切り替えられた。変に頑張ってといわれるよりも、いい言葉でした」。チームだけじゃない。この日の投球は最愛の長女にも、最高のお返しとなった。
第3戦以降、誰と話すのも辛かったが、2ケタ6人衆は、いつもと同じように接してくれた。久保は「あれで逆に一丸になれた。マサさんが打たれたらしようがないですから」と代弁。小林雅がいたから2ケタ勝てた。誰もがそう思っている。
22日からの日本シリーズ、もちろんバレンタイン監督はリードして迎えた最後の1イニングを小林雅に託す。12球団最高の防御率3.21を誇る自慢の投手陣は、この男なしでは機能しない。
渡辺俊は涙が止まらなかった。今季は15勝し、一躍チームの顔に成長。日本一低い位置から浮き上がる“遅球”は、日本シリーズでも強力な武器になる。「自然と涙が出てきました。まさか、球場で泣くとは…。興奮しています!!日本一になりたい」。
交流戦の初代MVPに輝くなど、今季は小林宏の年だった。プレーオフでも2試合に先発、しっかりとゲームを作った。最強の先発陣について「俊ちゃん(渡辺)が勝てば、頑張ろうと思うし、直さん(清水)が好投すれば励みになる。刺激されました」。
この日の大事な一戦で、6回1/3を5安打2失点。セラフィニは先発の役割を果たした。ときには志願して、ブルペン入りもするほど、チームのことを考えている。「いいピッチングができて、嬉しいよ。エキサイティングだ。早くビールを飲みに行こう!!」。
エース・清水は、涙をこらえきれなかった。4年連続2ケタ勝利(10勝11敗)をマークしたが、今季はシーズン途中で不振にあえいだ。苦労が多かっただけに、感動もひとしお。「本当に嬉しい。絶対に勝てると信じていた。本当にいいチームです」。
シーズン当初は先発を任された小野。チーム事情から、後半戦は中継ぎに回った。それでも、プレッシャーのかかる大事な場面で、きっちり役割をこなした。「サイコー以外、何もない。(13勝した)平成14年より、ずっと嬉しい。優勝に貢献することができたんですから」と笑顔が絶えなかった。
1年目で、いきなり優勝に立ち会った久保はテンションがあがりっぱなし。新人王も当確したルーキーは、ベンチからゴーグル片手に登場した。「やりましたよ。我が人生に悔いなしです。感無量です。じゃ、騒いできます!!」。プレーオフでは出番はなかった分、シリーズでの活躍を誓った。
昭和24年9月21日、毎日新聞社が日本野球連盟に加入を申請。その後、日本野球連盟が解体、太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)に参加。球団名が毎日オリオンズとなる。1年目でリーグ優勝を果たし、初の日本シリーズでも松竹を破って日本一。32年11月に大映と合併、毎日大映(大毎)オリオンズとなる。39年に東京オリオンズと改称。44年、ロッテと業務提携し、球団名がロッテオリオンズに。49年に金田監督のもと、2度目の日本一に輝く。27年から東京都をフランチャイズとしていたが、この年から52年まで仙台宮城球場が本拠地。53年、川崎球場へ移転。平成4年、千葉移転に伴い、球団名を現在の千葉ロッテマリーンズに改称した。新規参入の楽天を除く現11球団の中では最も長期間、リーグ優勝から遠ざかっていた。
重光武雄代表取締役会長(オーナー)、重光昭夫代表取締役オーナー代行、濱本英輔取締役社長、瀬戸山隆三取締役球団代表。本拠地は千葉マリンスタジアム(3万人収容)。
31年ぶりリーグ優勝を決めた17日、ボビー・バレンタイン監督(55)が米大リーグ・ドジャース監督の面接を受ける可能性が有力となった。
米国では監督を決定する前にGMやフロント幹部が面接して、適正を判断する。ド軍では今季終了後、ジム・トレーシー監督を解任。その後、既にブレーブスのテリー・ペンドルトン打撃コーチ、元ドジャース監督のテリー・コリンズ氏、今季までタイガースの指揮を執ったアラン・トランメル氏など6人と面談したが、ド軍のトミー・ラソーダ特別顧問(78)がバレンタイン氏の手腕を買っており、現時点では結論を出していない。バレンタイン氏は日本シリーズ後にも渡米し、面接を受けることが有力。ロッテでは重光オーナー代行が契約延長を望んでいるが、ド軍の契約条件次第では、予断を許さない状況だ。
2勝2敗で迎えた最終戦は1−2とリードされたロッテが、8回、里崎が左中間フェンスを直撃する適時二塁打で逆転。3−2で勝利し、31年ぶり5度目のリーグ優勝を決めた。12球団でもっとも優勝から遠ざかっていたロッテだが、昨年、9年ぶりにカムバックしたボビー・バレンタイン監督(55)の下でチームが変身。10月17日は10年前の平成7年にバレンタイン監督が解任された日。10年の歳月を経て、大勢のファンの前で、ボビー・スマイルが弾けた。
小林雅が最後の打者を左飛に打ち取ると、ボビースマイルがはじけた。やった。ようやく勝った。昭和49年以来、31年ぶりのリーグV。選手達がベンチを飛び出すと、マウンドにはあっという間に歓喜の輪ができあがった。そして、ウイニングボールを握ったまま、バレンタイン監督が、3度宙に舞った。
第3戦で試合をブチ壊した小林雅をあえて9回に投入。この信頼こそが弱小と呼ばれ続けてきたロッテを変えたボビー・マジックだ。守護神がシーズン通りの投球で抑える。苦しみぬいての勝利は格別だった。
波乱の幕開けだった。3月26日。新規参入した楽天との注目の開幕戦でまさかの敗戦。しかし、その翌日、渡辺俊が1安打完封劇を演じ、打線は球団記録の26得点。たかが1勝…だが多くの選手が「今年、1番大きな1勝はあの試合」と振り返る。選手の思いを伝え聞いた監督の胸中に、確固たる自信が生まれた。
6月には、一足早く“日本一”を経験した。今季から導入された交流戦で初代王者。老舗球団が、プロ野球改革元年の主役に躍り出る。128通りの“日替わりオーダー”を組み、采配はズバリ的中。ボビーマジックは冴え渡った。
最大のつまずきは交流戦終了後だった。10試合で3勝7敗。やっぱりダメか−。そんな空気が流れ始めた。そんなとき、監督は即座に選手を集め「アメリカや日本、どのリーグでも、強いチームが6月、7月に調子を落とすことがある。私達は負けない。勝負を左右するのは精神面だ」とゲキを飛ばす。時には顔を真っ赤にして叱ったこともある。
優勝を決めた10月17日。それは、苦い思い出の日でもあった。平成7年のこの日。バレンタイン監督の解任が発表された。2位に躍進し、大勢のファンの支持を受けながら、球団との確執で、わずか1年で去った。「残念でならなかったよ」。それでも「また、いつかロッテで監督をしたい」との気持ちは消えなかった。
再び“暗黒時代”に突入したチームに選手数人が「監督を戻して欲しい」と直訴。ファンは署名を集め、嘆願書を送ったこともあった。選手、ファンの熱い思い。もう1度、ロッテで指揮を執ることを決めた。
10年越しの優勝。メジャーで指揮した監督のリーグ制覇は、日本球界史上初の快挙。だが、満足はしていない。阪神との日本シリーズが待っている。日本一に輝いた31年前の感動を再び。バレンタイン監督が作りあげた“強いロッテ”は、ファイナルステージに進んだ。
叫び、紙テープ、号泣、拍手…ロッテが31年ぶりにリーグ優勝した17日、本拠地千葉マリンスタジアムでは、ファン1万2000人のありとあらゆる喜びが渦巻いた。2対2の土壇場からの夢の実現だけに、同球場での連日のパブリックビューで応援をともにした背番号「26」のファンらに球団は、鏡開きで勝利の美酒を振る舞った。特設売り場では先行発売された優勝記念グッズにファンが殺到した。
ウォーッ!夢に見た31年ぶり勝利が決まった瞬間、1万2000人の大歓声が夜空に降る秋霖を吹き飛ばした。川崎球場から移転14年目でつかんだ千葉での初優勝だ。
オーロラビジョンにバレンタイン監督が映し出されると「いいぞ、ロッテ」の大合唱。15日に2万人、16日も1万5000人のファンが集結したがまさかの連敗。たまりにたまったロッテ党の思いが一気に爆発した。
球団は早速、球場内の特設売り場で枡やフラッグ、ペナント、タオル、Tシャツ各3000点の優勝記念グッズを先行発売。売場には「26番目の選手として一緒に戦う」という意味の背番号「26」のユニホームを来たファンらが殺到した。
球場正面入口前の特設ステージでは、八千代若撥(わかばち)会が和太鼓で球団歌「WE LOVE MARINES」を演奏。鏡開きで樽酒も振る舞われ、ファンらは応援歌と勝利の美酒に酔いしれた。
千葉マリンで留守を預かった球団営業部の高橋秀幸主査(42)は「弱い時代から応援してくれたファンに感謝したいですね。これで球団が千葉に根づいてくれると思います」と感慨深そう。
敵地甲子園で行われる日本シリーズ第3、4、5戦(10月25、26、27日)もパブリックビューイングを開催予定。千葉はさらにヒートアップしそうだ。
18日から3日間(店により7日間)、ロッテの優勝セールを行う。実施するのは千葉三越、千葉そごう、柏そごう、千葉パルコ、船橋東武。ほかに千葉県内のイオン、イトーヨーカドー、ファミリーマート、セブンイレブン。ロッテリアは22日から「優勝バク進セール」。
優勝の瞬間、まさか守備についているとは思わなかった。最後の2イニングはすごく疲れた。いつも決勝戦で負けている記憶しかない。中学校でも高校でも…。でも、今日勝って、今迄のことが楽しい思い出になっちゃった。
ボビーに最高の仲間達、みんなに感謝したい。今年は、みんなが同じ方向を向いていると感じた。やっぱり昨年、プレーオフ進出を0.5差で逃したのが大きい。出られないと分かった夜、オレはヤケ酒飲んでたなぁ…。でも、ああいう接戦をしたことによって、自分達でも頑張れば、という気持ちが芽生えたんだ。
だから、交流戦の優勝は本当に嬉しかったね。勝てば単独、負ければ同率優勝という緊迫した試合に勝った。このチームは強くなったんだなって、しみじみと思ったよ。これもバレンタイン監督のおかげかな。監督は、選手をやる気にさせるのがうまいんだよね。負けても選手を責めず「マタアシタ、ガンバリマショウ」って言う。今はベンチにいても、一緒に戦っている気持ちでいられるんだ。
17年前に入団したとき、ロッテの印象はほとんどなかった。まずメディアに出ないでしょ。勝てない時期も続いた。
自分達がやっていて、そんなに弱いチームだとは思わなかった。結果的には負けていたけど…。今までは首位とゲーム差が離れると、諦めるしかなかった。やっている限り、目標は当然優勝。でも、ゲーム差がだんだん開いていくとね…。優勝を狙うっていう雰囲気が消えていく。優勝しなかったら、2位も3位も一緒だけど、そこにすら入れなかった。
ソフトバンク、西武は強いチームだった。特に西武には、ずっと負けてきている。第1ステージで勝って「今まで」を打破できた気がするな。以前は、青いユニホームを見るのも嫌だった。これからは逆に他球団が、ロッテのユニホームを見ると嫌な気持ちになる。そうなるといいね。
まだ終われない。次は日本一。今まで勝つってことを知らなかった分、最後まで勝ち続けたい。そう、17年間の現役生活で、オレにとっては最初で最後のチャンスだから。
千葉出身のタレント、小倉優子(21)が17日、プロ野球パ・リーグをプレーオフの末に制した千葉ロッテマリーンズに「優勝おめでとりんこです」と“こりん語”で祝福。「また優勝チョコを渡しにいきます」と次の目標である日本一を願っていた。
小倉は今年2月、鹿児島キャンプにチアガール姿で駆けつけ、ボビー・バレンタイン監督(55)にチョコを食べさせてあげるほどのロッテファン。また、5月13日のバレンタイン監督の誕生日にもケーキ片手に千葉マリンスタジアムへ足を運び、始球式を行った。この日、東京・スペースFS汐留で行われた映画「ポビーとディンガン」(11月26日公開、ピーター・カッタネオ監督)の試写会舞台挨拶にゲスト出演した。
優勝DVD「BUILDING OUR DREAM!!2005千葉ロッテマリーンズ 激闘録」が11月11日にバップから緊急発売される。今季の試合をダイジェストで収録。勝ち試合がメーンだが、負け試合の中でも名勝負やタイトルがかかった試合のほか、監督や選手のインタビューも収録される。
ボビーが3度、舞った。ロッテが2勝2敗で迎えたプレーオフ第2ステージ第5戦でソフトバンクを撃破。1974年以来31年ぶり5度目のリーグ優勝を果たした。ボビー・バレンタイン監督(55)は、メッツ時代の2000年ナ・リーグ制覇に続き、史上初の日米リーグ優勝を達成。1点を追う8回に里崎が逆転二塁打を放ち、最後は小林雅が締めて、今ステージの3勝はいずれも逆転勝ちとなった。ロッテは31年ぶり3度目の日本一をかけて、22日から阪神との日本シリーズに挑む。
愛するナインが呼んでいる。目が潤んだ。歓喜の輪に向かって、ボビーは走った。奇跡の進撃は成った。3度、重力を忘れた。初体験の浮遊感は最高だった。「みんなの手で舞った感覚は一生忘れられない。ウイニングボールは人生最高の宝物だ」。史上初の日米リーグ優勝を達成。海を渡った名将が夢をつかんだ。
土壇場でマジックがよみがえった。1点を追う8回無死一、二塁。送りバントの場面で指揮官は強攻策を展開。サブロー凡退後、里崎が奇跡の逆転2点二塁打を放ち、栄光をもぎ取った。「マジックなどないよ。全員と信じ合って戦うのが正しいやり方なんだ。ウチはどのチームにも代えられない、どのチームにも負けない集団だよ」。最後は第3戦で悲劇を招いた小林雅を投入。マジックと称された魔法の正体は「信頼」の2文字だった。
9年連続Bクラスからの戴冠。確信したのは開幕前だった。「何かを聞いて欲しい」。キャンプでコードの切れた“空イヤホン”を配布すると、選手は指揮官の元に答えを持ってきた。ファンのコール、胴上げの瞬間の歓声…。「みんなが夢の話をするために私の所に来た。監督生活の中で最高の時間だった」。
開幕前の決起集会。ボビーのイヤホンに音が聞こえた。「私には、みんなの鼓動が聞こえたよ」全員の心音が重なった。そして、快進撃が始まった。“最後の大一番”を前にしたこの日のミーティングでは、再び「最高の時間を思い描いてくれ」と瞑想を促し、心を1つにした。
雪辱を期して舞い戻った。95年は球団との確執から1年で退団。「自分の考えが正しいと証明したい」と過去を水に流して再び太平洋を渡った。日本語のCDに聞き入り、教材の本はボロボロになった。選手に積極的に声をかけ、意思疎通を徹底。交流戦では初代王者に輝いた。
「Enjoy our Life,Enjoy our Baseball」失敗をとがめず、成功をとことん褒めた。怪我に泣いた現役時代を糧に、選手に無理はさせない。先発、若手、ベテラン…全員が能力を出し切った。日替わり打線が驚異的なつながりを見せたのも、心から野球を楽しむ“ボビー・イズム”の神髄だった。
今季ブレークした西岡、今江が居残り特打を志願した時は「全員で手伝おう」と指示した。コーチ、スタッフは総出で2人をサポート。その光景を見たサブローは「ファミリーですわ」と声を詰まらせた。全員が支え合い、チームの絆は家族の域へと近づいた。
家族意識はグラウンドにとどまらない。8月、01年米同時多発テロで父を亡くした青年を日本に招待。自宅に住まわせ、観光へも出かけた。心の傷を癒やすため、時間も手間も惜しまなかった。ハリケーン「カトリーナ」来襲時には、佳境の9月に試合前の時間を削り、募金を呼びかけた。「私は家族(被災者)の皆さんを忘れない」。同時期には心臓移植を目指す少年も支援。球場の募金箱には行列ができた。
太陽のような明るさと鉄の意志を持つ、心優しき名将・バレンタイン。信頼が育んだたぐいまれなるリーダーシップは「ボビー・マジック」という名で歴史に刻まれた。ナイン、ファンは涙にぬれた。「私達は千葉に戻ると約束した。世界最高のファンの前で日本シリーズを戦いたい」。まだ魔法は解けない。猛虎を倒して再び宙を舞った時、ボビーのジャパニーズドリームが完結する。
夢にまで見た瞬間が訪れた。パブリックビューイング(PV)が行われた千葉マリンに降り注いでいた雨は、歓喜の涙へとかわった。プラカードが揺れる。「31年間この日を待っていたんだぜ!」。豪雨にも傘をさすファンはいない。9回裏最後の打者川崎を打ち取るとマリンが揺れた。試合後、逆転の二塁打を放った里崎が福岡から電話出演するとボルテージは最高潮に。「皆さんやりました。最高です!本当に良かった」。歓声でほとんど聞き取れない。それでもいい。ファンがビールを手にする。「カンパーイ!」里崎の合図で、福岡より一足先にビールかけが始まった。宴はまだまだ終わらない。「絶対日本一になるぞー!」パの覇者は最高のファンと共に夢舞台へ乗り込む。
鳥越の左犠飛で先取点を奪ったソフトバンクは3回にも松中の左前適時打で2点目を入れた。しかし、ロッテは6回に福浦の右中間適時二塁打で1点を返すと、8回には里崎の左中間への2点適時二塁打で逆転し、薮田−小林雅のリレーで逃げ切った。
両手の拳を高々と突き上げた。もう打球の行方は気にならなかった。1点リードの9回2死二塁。一打同点の場面だった。束の間、よぎる悪夢のシーンを頭から振り払い、川崎を左飛に打ち取った。小林雅の声にならない雄たけびを合図に、31年ぶりの歓喜がマウンド上で交錯した。「打球を捕った瞬間は見てないです」。プレッシャーを乗り越えた31歳は、興奮を抑えきれず、無邪気にグラウンドで跳びはねた。
このまま終わる訳にはいかなかった。2連勝で王手をかけた第3戦。優勝目前、4点リードの9回からの最後を任された。数々の修羅場を経験した男がプレッシャーの前に崩れた。「今までと違って独特でした」。まさかの4失点で救援に失敗、チームもサヨナラ負けを喫した。プレーオフの流れを変えかねない敗戦に、1人で責任を背負い込んだ。
傷心の守護神を救ったのはまな娘の一言だった。都内の自宅でテレビ観戦していた美憂ちゃん(6つ)と電話で話した時だった。「バカ!」いつも1番そばで応援してくれたまな娘のきつい一言に目を覚ました。「娘の言葉で救われました。大丈夫?と心配されるより僕には良い言葉だった」。
リベンジのチャンスはよりプレッシャーのかかる場面で回ってきた。最終戦。1点リードの9回。「皆がこういう場面を作ってくれた。取り返すのはこの場面しかない」。もはや敵地の大声援も気にならなかった。先頭の大村に四球こそ与えたが、後は3人で抑え、自ら呪縛を解き放った。バレンタイン監督も「3戦目で1番辛い思いをしたのは今日最後のアウトを取った雅なんだ」と最後まで守護神を信頼し称えた。
誰よりも優勝に飢えていた。幾つセーブを挙げても「入団以降0点のシーズンしかない」と決して満足しなかった。今季から選手会長に就任。チームメートと食事を共にすると必ず「優勝は絶対に良いものだよ。気持ちいいよ」とチームの雰囲気を盛り上げた。シーズンでは最多セーブと初タイトルも獲得。そして悲願のパ・リーグ制覇を手にした。「マリーンズのユニホームを着て優勝出来てよかった」。数々の栄光と屈辱を味わったマウンドで、小林雅が今、最高の勲章を手に入れた。
パ・リーグの小池会長は「ベンチワークにたけたバレンタイン監督の下、ベテランと若手の力がうまく融合した戦いぶりはお見事の一言に尽きる。プロ野球史上初めてとなる千葉県での日本シリーズで日本一の栄光を勝ち取ってくれることを期待している」と31年ぶりのリーグ制覇に賛辞を贈った。
2年連続でシーズン2位の球団が優勝をさらったプレーオフ制度については、「プレーオフ自体はメジャーでもパでもこれだけ盛り上がっている。何もやらないということにはならない」としながら、「理事会で総括をするので、その時に何らかの議論になると思う」とアドバンテージを含めた再検討を示唆した。
ロッテの優勝が決まり、デパート、コンビニで優勝セールが始まる。実施するのはセブンイレブン、ファミリーマート、イオン、イトーヨーカドー、東武百貨店、そごう、パルコ。開催店舗は千葉県内が中心となる見込みだが、イトーヨーカドーは1都4県での広域開催。
思い描いていたシーンが、現実となった。里崎がマウンド上で守護神・小林雅と力強い抱擁。「試合前に(小林)雅さんと抱き合っている姿を瞑想した。そのままになった」。もう、感情を抑える必要はどこにもなかった。「大したことをやってきた訳じゃないけど、キャンプからやってきたことには自信があったから」。歓喜の輪の中で、ヒーローの涙は止まらなかった。
ロッテの悲願をたぐり寄せたのはチーム1の“お調子者”だった。ミラクルへの放物線は「あと5人」から生まれた。8回1死一、二塁。馬原の初球、内角の147キロをすくい上げた。白球は漆黒のロッテ党に手招きされるように伸びて、左翼フェンスを直撃。2者を迎え入れる逆転2点二塁打。ガッツポーズが止まらない。「最後に打ったのは僕だけど、みんなの力でつないでくれた」。極度の興奮の中で、里崎はナインへの感謝を口にした。
寸前でチャンピオンフラッグをつかみ損ねた第3戦から連敗。一気に窮地に追い込まれた。しかし、里崎はどこまでもポジティブだった。「風はおれに吹いてきている。目立ちたい」。大勢の報道陣に囲まれながら、里崎は呪文のように繰り返した。持ち前の明るさは最高の追い風を運んだ。
思い出の地で栄光を勝ち取った。2002年4月3日、ダイエー戦。同じ福岡ドーム(当時)でプロ入り初本塁打。そして、03年5月4日の同カードでは延長11回に左中間へ決勝のタイムリー三塁打を放ち、今では“十八番”となったヒーローインタビューも受けた。その前日には祖母・田村ハズエさん(享年84)が脳梗塞で死去していた。「僕の野球人生はここから始まった」という敵地で、大きく躍動した。
22日からは阪神との頂上決戦が待ち受ける。「うちは交流戦の初代チャンピオン。ここまできたら日本シリーズ、アジアシリーズも勝ちたい」目立つにはうってつけの舞台は目白押し。29歳の夢は止まらない。
プロ17年目での初体験に初芝は興奮を隠せなかった。「オジさんしぶといわ〜。オレには最初で最後のチャンスだったから嬉しいよね〜。優勝の瞬間、守ってるとは思わなかった」。万年Bクラスの時代を知る38歳の大ベテランは、暗い過去に決別を告げる最上の喜びに浸った。
思わぬ形で出番が巡ってきた。腰に痛みを訴え、堀が途中退場。代わった早坂の代打で8回の先頭打者に起用された。「やっちゃった、と思った」という三遊間への当たり損ねの打球で一塁へ全力疾走。決して速くはない足で内野安打。「初芝のガッツあふれる内野安打で、この試合はウチが勝つものだと思った」とバレンタイン監督。ベテランの足が逆転劇への扉を開いた。
今季限りでの引退を表明。負けていれば最後の試合になっていたが現役生活が伸びた。「今まで(学生時代も)決勝で負けてばかり。相手の胴上げばかり見てきた。でも、優勝できて今までのことが楽しい思い出になった」。初芝の野球人生はまだまだ、終わらない。
31年ぶりの歓喜の宴が福岡市内にあるチーム宿舎「シーホーク」1階のバスロータリー内に用意された祝勝会場で盛大に行われた。
2度も足踏みを続けていただけに喜びも大きかった。重光オーナー代行の挨拶後、バレンタイン監督が壇上に上がると会場のボルテージは最高潮に。一部フライングでビールかけが始まり、ボビーが「ウエイト!」と3回繰り返して、制する一幕も起きた。
選手会長の小林雅の「おめでとう!」と短いかけ声でスタート。かぶり物を身につける選手もいれば、チーム勝ち頭の渡辺俊はビールを販売するための専用バッグを背中に背負って、参加。ビール3100本、シャンパン260本は25分で泡と消え、最後は清水が登場した。「すいません。(今年は)迷惑かけて」と声を詰まらせるハプニングもあったが、最後は「今日は朝まで騒ぐぞ!」というエースの絶叫と共に、一本締めで宴は幕を下ろした。
さあ相手は決まった。岡田監督は日本シリーズに向けて合宿中の大阪市内のホテルでプレーオフ最終決戦を見届けた。9月29日のリーグ優勝決定から18日。「投手がしっかりしてるし、しつこい野球をする。パで1、2番が足でかき回す野球をするのはここぐらい。阪神と同じタイプのチームやね」と気を引き締めた。
2勝3敗1分けの交流戦は、6試合とも3点差以内の接戦だった。平田ヘッドコーチは「打線に切れ目がないし、点も簡単には取れないだろう」。正田打撃コーチも「投手は前も後ろもいいしチャンスは少ない。きっちりした攻めをして取れる時に取るべき」と1点勝負と見込む。
本心はソフトバンクと戦いたかった。03年日本シリーズで前身のダイエーに敗れた借りがあるからだ。「少し複雑やけど、ここまできたら相手はどこでも一緒や。ロッテには勢いがあるし、短期決戦は勢いも怖い。頑張っていくよ」と岡田監督。打倒ロッテを合言葉に20年ぶり日本一を目指す。
ロッテのバレンタイン監督の体が宙に3度舞った。「全員が最後まで諦めなかった。こんな集団を見たことがない」とチームを31年ぶりの優勝に導いた監督は目を潤ませた。
今季はマジックと称される大胆な選手起用と采配で84勝。それがこの日はマジックの象徴とも言える4番サブローが好機で無安打。だが5番・里崎が8回に逆転二塁打で試合をひっくり返し、最後は第3戦で救援に失敗した小林雅で逃げ切った。「この勝利にマジックはない。選手が夢を信じたことが、優勝を呼び込んだんだと思う」と選手を称えた。
第2ステージは2勝して、3戦目も9回に4点をリードしていたが、そこからまさかの連敗。逆王手をかけられ下を向く選手に「野球を楽しもうじゃないか」と説き、最後に勝利をもぎ取った。「第2ステージに来る前、絶対に千葉に戻ると言っただろう」と話す監督の最終目標は、阪神を倒して日本一だ。
最後を締めたのはロッテ小林雅だった。第3戦で優勝を目前にしながら9回で4点リードを守れなかった。それだけに「取り返すのはここしかない」とマウンドに上がった。先頭の大村を歩かせ、バントで1死二塁に。嫌なムードになりかけたが「ここでやらないと一生後悔する」と、代打柴原、1番川崎を打ち取った。優勝の輪の中心になり「もう何も言うことはないです」と、見事に第3戦の雪辱を果たし目を赤くしていた。
1点を追う8回1死一、二塁、ロッテ里崎の打球は左中間に伸びた。フェンス直撃の逆転の2点二塁打に、里崎は両腕を何度も宙に突き上げた。
プレッシャーで押しつぶされそうになるシーンも「俺に風が吹いてきた」と喜び「楽しもうとすれば、プレッシャーなんて感じなかった」と頼もしい。その言葉通り、馬原の投げた初球の直球を思い切りよくフルスイングして試合をひっくり返した。
第3戦で小林雅の乱調で9回に4点を追いつかれ、10回にサヨナラ負けを喫した試合後、同僚が表情をこわばらせる中、不敵に笑った。「あのまま終わっていたら僕の出番は初戦だけ。こんな楽しい雰囲気は味わえないでしょ」と前向きにとらえた。このたくましさが、大一番で生きた。次の日本シリーズも、この男がカギを握るかもしれない。
TBSの砂原幸雄会長は17日夜、記者団に対し「ベイスターズを売却する予定はない」と、球団譲渡を否定した。
また、楽天が提示した共同持ち株会社による経営統合案を検討する専門チームでは、両社傘下となる横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの扱いは検討しないことになった。TBS幹部が明らかにした。
楽天の提案には、球団の経営方針が盛り込まれていないためで、TBSは提案内容だけを検討する。
なお、楽天の三木谷浩史社長は13日の記者会見で「1つの企業が複数の球団を持つことは好ましくない」と指摘。一方でゴールデンイーグルスに関しては継続保有に意欲をみせた。
プロ野球OBのマスターズリーグ事務局は17日、5年目となる今季の日程などを発表した。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5球団が2回戦総当たりで計20試合。11月3日の東京−札幌(東京ドーム)で開幕し、来年の1月22日に閉幕する。昨年優勝の札幌の古葉監督は「ファンに喜んでいただけるような試合をお見せできるように頑張っていきたい」と抱負を語った。
よく勝ってくれた。私の中で31年間ずっと止まっていた時間がやっと動いてくれた。74年の中日との日本シリーズ、第6戦で私が延長戦(10回)を完投して胴上げ投手になった。そこから勝っていなかったんだから。本当によく勝ってくれた。
今年のロッテは、最後まで諦めない戦いをやった。「シーズン1位」になるんだ、と戦い抜いた。それがソフトバンクにアドバンテージを与えない4.5差になり、プレーオフでも第1ステージから、いいチーム状態で戦えることにつながった。敵地に乗り込んでも自分達の野球ができたことに結び付いた。
優勝するチームは、いつの時代もバランスがいい。それはセの阪神を見てもよく分かる。投手と野手はもちろん、若手とベテラン、もっと言えば現場とフロント、球団とサポーターというか、ファンも実にうまく噛み合っていた。いいバランスを保っているから、大きな連敗もしない。支えてくれたファンの力は大きかった。
31年前は前後期制で、ロッテは前期2位、後期が1位だった。阪急とのプレーオフは3連勝。その3戦目が私の番(4−0の完封勝ち)だった。当時は常にAクラスのチームだったが、今年はフロントを中心にして、一体となって上昇してきた。しかし、これで終わりではない。日本シリーズが待っている。日本一になって私の時代とつながる。そのとき、心からおめでとうと言いたい。
さあ来いロッテ!セ・リーグ制覇から18日。ようやく相手が決まった阪神岡田監督は合宿中の大阪市内のホテルで表情を引き締めた。この日の大一番はテレビ観戦。「ロッテはピッチャーがしっかりしているし、しつこい野球をやる印象がある」。
2年前(03年)の借りを返そうと臨んでいたソフトバンクを、壮絶な戦いの末に破った相手なら不足はない。
交流戦では2勝3敗1分けで、僅差の試合ばかりだった。「打線に切れ目がないし、簡単には点を取れないだろう」と平田ヘッド。正田打撃コーチも「投手は前も後ろもいいからチャンスは少ない」と接戦勝負と見る。岡田監督は「ここまできたら、相手はどこでも一緒。頑張るしかない」と気持ちを日本シリーズに向けていた。
長年プレーしたチームでつかんだ優勝。感慨もひとしおだ。監督、コーチ、選手、スタッフ全員が昨年、0.5ゲーム差でプレーオフに出られなかったことを重く受け止めていたことが大きかった。0.5差をどうしたらいいか。1試合もムダにできないことを痛感したから、最後まで諦めなることなくやろうと、ボビーは口を酸っぱくして言い続けてきた。目の前にある試合が1番大事だと。それで選手もうまくなろう、強くなろうという気持ちを維持できた。
私自身は先発で投げる理想を追い求めてきたが、現状でどうすることがチームとして1番いいかを考えた。試合が始まると、投手陣で最も早くブルペンに入る。先発投手が早めに崩れた時の、いわば影武者のようなもの。開幕からやってきて、うぬぼれかも知れないが、いるといないとでは大違いだ。しんどい仕事だったが、チームにとってはプラスだったと思う。
ボビーの持ち味は頭の回転の良さ、記憶力の良さ、オーダーを固定しないなど奇抜な采配だったが、それは米国でもやりたかったはずだ。米国では球団(契約)の制約などがあったが、ロッテでより自分の色を出せている。ボビーが日本に初めて来た95年を思い出す。当時、私は右ひじを故障したことがあった。春季キャンプ中、ボビーは、オレが監督をしている限り選手に致命傷を負わすような故障は絶対にさせない、という言い方をした。この人だったら命を預けてもいい、と感じた。実際、登板間隔をあけて疲労を十分回復させて、投げさせる。これほど間隔をあけ、先発投手に球数を投げさせなかったのは新しいスタイルだ。
今季、チームは振り向くことをしなかった。それほどの快進撃。いつ力をつけたか確認えきずにここまで来た。ボビー自身、何度も「アンビリーバブル」と言っていた。しかしそういう年だからこそ、ソフトバンクに一泡吹かせてやりたいと考えてきたことが、優勝という結果につながった。
ロッテ | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 防御率 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | S | 投球回 | 安打 | HR | 三振 | 四球 | 死球 | 失点 | 自責点 |
薮田 | 0.00 | 5 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 |
藤田 | 0.00 | 4 | 2 | 0 | 0 | 1 2/3 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 |
渡辺俊 | 0.64 | 2 | 0 | 0 | 0 | 14 | 13 | 1 | 5 | 2 | 0 | 1 | 1 |
セラフィニ | 2.25 | 2 | 0 | 0 | 0 | 12 | 9 | 1 | 8 | 4 | 0 | 3 | 3 |
小林宏 | 2.30 | 2 | 1 | 1 | 0 | 15 2/3 | 9 | 3 | 15 | 1 | 0 | 4 | 4 |
清水直 | 2.57 | 1 | 1 | 0 | 0 | 7 | 4 | 2 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 |
小林雅 | 4.50 | 6 | 0 | 0 | 5 | 6 | 7 | 0 | 1 | 3 | 0 | 4 | 3 |
小野 | 18.00 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 |
チーム | 2.17 | 7 | 5 | 2 | 5 | 62 1/3 | 48 | 7 | 38 | 15 | 0 | 16 | 15 |
ソフトバンク | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 防御率 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | S | 投球回 | 安打 | HR | 三振 | 四球 | 死球 | 失点 | 自責点 |
吉武 | 0.00 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 2/3 | 5 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 |
馬原 | 0.00 | 4 | 1 | 0 | 1 | 5 1/3 | 3 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 |
高橋秀 | 0.00 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 |
杉内 | 3046 | 2 | 0 | 1 | 0 | 13 | 14 | 1 | 10 | 1 | 2 | 5 | 5 |
斉藤 | 4.50 | 1 | 0 | 1 | 0 | 6 | 5 | 0 | 8 | 3 | 0 | 3 | 3 |
和田 | 4.50 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 5 | 2 | 0 | 2 | 2 |
新垣 | 4.91 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 1/3 | 7 | 0 | 7 | 1 | 0 | 4 | 4 |
三瀬 | 4.91 | 5 | 0 | 1 | 0 | 3 2/3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 |
チーム | 3.13 | 5 | 2 | 3 | 1 | 46 | 43 | 2 | 44 | 9 | 4 | 16 | 16 |
西武 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 防御率 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | S | 投球回 | 安打 | HR | 三振 | 四球 | 死球 | 失点 | 自責点 |
森 | 0.00 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
山岸 | 0.00 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
正津 | 0.00 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 2/3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 |
星野 | 0.00 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 1/3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
松坂 | 1.29 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0 | 6 | 3 | 0 | 1 | 1 |
西口 | 4.76 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 2/3 | 8 | 0 | 2 | 0 | 1 | 3 | 3 |
三井 | 27.00 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 1/3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
チーム | 2.81 | 2 | 0 | 2 | 0 | 16 | 17 | 0 | 12 | 4 | 1 | 5 | 5 |
ロッテ | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 打率 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | HR | 打点 | 三振 | 四球 | 死球 | 盗塁 |
垣内 | 1.000 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
小坂 | .500 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
初芝 | .500 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
早坂 | .500 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
福浦 | .345 | 7 | 29 | 3 | 10 | 0 | 4 | 7 | 0 | 1 | 0 |
今江 | .280 | 7 | 25 | 2 | 7 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 |
西岡 | .273 | 7 | 22 | 4 | 6 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 5 |
堀 | .273 | 7 | 22 | 3 | 6 | 0 | 2 | 5 | 2 | 0 | 0 |
サブロー | .240 | 7 | 25 | 2 | 6 | 0 | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 |
ベニー | .240 | 7 | 25 | 1 | 6 | 0 | 5 | 4 | 3 | 0 | 0 |
里崎 | .231 | 5 | 13 | 2 | 3 | 2 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 |
フランコ | .192 | 7 | 26 | 0 | 5 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 |
李 | .188 | 7 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 |
大塚 | .182 | 7 | 11 | 1 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 |
橋本 | .154 | 5 | 13 | 0 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 |
諸積 | - | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
井上 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
チーム | .256 | 7 | 234 | 21 | 60 | 2 | 21 | 56 | 13 | 5 | 5 |
ソフトバンク | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 打率 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | HR | 打点 | 三振 | 四球 | 死球 | 盗塁 |
大道 | .500 | 2 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
川ア | .435 | 5 | 23 | 3 | 10 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 |
カブレラ | .421 | 5 | 19 | 4 | 8 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 |
荒金 | .333 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 |
稲嶺 | .333 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
柴原 | .286 | 5 | 14 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 |
大村 | .250 | 3 | 8 | 1 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 |
ズレータ | .188 | 5 | 16 | 3 | 3 | 2 | 4 | 2 | 3 | 0 | 0 |
本間 | .143 | 5 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 |
バティスタ | .118 | 5 | 17 | 1 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
宮地 | .091 | 4 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
的場 | .083 | 5 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 |
松中 | .063 | 5 | 16 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 | 4 | 0 | 0 |
鳥越 | .000 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 |
田口 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
領健 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
チーム | .231 | 5 | 156 | 14 | 36 | 5 | 14 | 28 | 12 | 0 | 1 |
西武 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | 打率 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | HR | 打点 | 三振 | 四球 | 死球 | 盗塁 |
野田 | 1.000 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
栗山 | .400 | 2 | 5 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 |
石井義 | .286 | 2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
中村 | .286 | 2 | 7 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 |
貝塚 | .250 | 2 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
中島 | .167 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
和田 | .143 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 |
佐藤 | .143 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
フェルナンデス | .000 | 2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
細川 | .000 | 2 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
後藤 | .000 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 |
平尾 | .000 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
赤田 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
片岡 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
チーム | .194 | 2 | 62 | 2 | 12 | 2 | 2 | 10 | 3 | 0 | 0 |
[注]ロッテの成績は第1、第2ステージの合計
ロッテはチーム打率がリーグ最下位だった昨年の2割6分4厘からリーグ1位の2割8分2厘へ常勝。得点圏で打率3割7厘、満塁で打率3割9分3厘と好機に強く、本塁打はリーグ4位の143本ながら得点はリーグ最多の740点。ロッテにとっては85年の720点を上回る球団新記録となった。本塁打以外での得点が他の5球団は300点台(ソフトバンクは385点)に対しロッテは511点。リーグ1位の101盗塁を記録した機動力と勝負強い打撃が持ち味だった。
リーグ最多得点のロッテ打線だが、打順は日替わり。DH制の118試合で109通り、9人制の18試合で16通り(投手は除く)あり、合計125通りものオーダーで戦った。1番西岡、2番堀、3番福浦、4番ベニー、5番フランコ、6番里崎、7番李、8番サブロー、9番今江の4試合が最多で、2試合連続同じ打順は5月25、26日巨人戦(9人制で投手は小林宏と久保)の1度だけ。4月19日〜5月4日の12連勝中も同じオーダーはなく、開幕戦で組んだ打線は2度と見られなかった。
ロッテは23人の野手が先発出場し、60試合以上先発したのが12人いた。4番にはベニー、サブロー、フランコら6人を起用。捕手は里崎と橋本、二塁手は堀と西岡、遊撃手も小坂と西岡を併用し、先発の中堅手には大塚、ベニーら6人。重要とされる4番打舎とセンターラインを固定せずに優勝した。セ・リーグ優勝の阪神は1番赤星、2番鳥谷、3番シーツとほぼ固定され、4番金本と5番今岡は全試合通した。日本シリーズは、固定打線の阪神と日替わり打線のロッテの対戦となった。
2試合以上あったロッテのオーダー | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
4 | 西岡 | 堀 | 福浦 | ベニー | フランコ | 里崎 | 李 | サブロー | 今江 |
3 | 小坂 | 堀 | 福浦 | サブロー | フランコ | 今江 | 李 | パスクチ | 橋本 |
2 | 西岡 | 堀 | 福浦 | ベニー | 里崎 | 大塚 | フランコ | サブロー | 今江 |
2 | 西岡 | 堀 | 福浦 | サブロー | フランコ | 今江 | 李 | ベニー | 橋本 |
2 | 小坂 | 西岡 | 福浦 | ベニー | フランコ | パスクチ | 里崎 | 今江 | 代田 |
2 | 西岡 | 堀 | 福浦 | ベニー | 里崎 | フランコ | サブロー | 大塚 | 今江 |
2 | 西岡 | 堀 | 福浦 | ベニー | サブロー | 里崎 | 大塚 | 今江 | 投手 |
2 | 西岡 | 堀 | フランコ | ベニー | 里崎 | サブロー | 李 | 今江 | 投手 |
1 | 117通り |
先発打順別出場試合数 | ||||
---|---|---|---|---|
打順 | 人数 | 主な打者(数字は試合数) | ||
1番 | 4人 | 西岡67 | 小坂63 | ベニー5 |
2番 | 7人 | 堀91 | 西岡33 | 大塚8 |
3番 | 5人 | 福浦109 | フランコ22 | サブロー3 |
4番 | 6人 | ベニー73 | サブロー31 | フランコ19 |
5番 | 9人 | フランコ53 | 里崎28 | 李21 |
6番 | 11人 | 今江31 | 李25 | 里崎22 |
7番 | 11人 | 李55 | 橋本26 | 大塚11 |
8番 | 15人 | 今江45 | 大塚21 | サブロー17 |
9番 | 18人 | 今江41 | 小坂17 | 橋本15 |
[注]9番投手は全体で1人と数えた
ロッテは渡辺俊15勝、小林宏12勝、セラフィニ11勝、清水直10勝、久保10勝、小野10勝と、10勝以上が6人。2ケタ勝利が6人は56、63年の南海に次いで3度目のプロ野球タイ記録で、チーム防御率がリーグ1位は東京時代の64年以来、41年ぶりだった。信頼できる先発が6人いたロッテは、ローテーションに余裕があった。先発投手の登板間隔を見ると、中4日以内が2試合、中5日も9試合しかなく、中6日が52試合、中7日以上が65試合もあった。ルーキー久保の間隔をあけるのは分かるが、15勝の渡辺俊も中7日以上が12試合と、無理をさせなかった。パ・リーグでロッテについて中7日以上の登板が多かったのはオリックスの36試合だから、ロッテの「ゆとりローテ」が目立った。結果、完投は昨年の11試合からリーグ最多の28試合に大きく増えた。リリーフ投手の登板も減り、延べ投手起用数はリーグで2番目に多かった昨年の510人からリーグ最少の401人へ減った。
先発投手の登板間隔 | |||||
---|---|---|---|---|---|
投手 | 先発 | 中4以内 | 中5日 | 中6日 | 中7以上 |
渡辺俊 | 23 | 0 | 2 | 8 | 12 |
小林宏 | 23 | 0 | 2 | 7 | 13 |
清水直 | 23 | 0 | 2 | 12 | 8 |
セラフィニ | 22 | 1 | 3 | 9 | 8 |
久保 | 18 | 0 | 0 | 6 | 12 |
小野 | 17 | 1 | 0 | 8 | 7 |
加藤 | 6 | 0 | 0 | 2 | 3 |
黒木 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 |
手嶌 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 136 | 2 | 9 | 52 | 65 |
[注]シーズン初戦先発は除く
ソフトバンク王監督がこの日のV逸後、あえて、現在のプレーオフ制後の改正を求めた。チームは2年連続でシーズン1位も、シーズン終了から2週間もあいただけに、調整の難しさが身にしみた。「片方(1位チーム)があれだけ待っているのはないようにして欲しい。極端に言えば、4位まで引き込んでやるとか。敗戦の将、兵を語らずと言うが、あえて言わせてもらう。こういうことを言わせない制度にして欲しい」。上位4球団でのプレーオフ開催を提案し、実戦感覚を失わないため、全チーム共第1ステージを行う公平感が必要との意見を口にしていた。
パ・リーグ小池唯夫会長は17日、プレーオフについて「5ゲーム差のアドバンテージが厚い壁になっている。理事会では1年ですぐに変えるのはまずい、ということで2年やったが、議論の余地はある」と制度を見直す可能性を示唆した。
パ・リーグは17日、今季のプレーオフ第1、第2両ステージの計7試合の観客動員数が22万6119人(1試合平均3万2303人)だったと発表した。ロッテ−西武が戦った第1ステージは2試合で5万7975人(同2万8988人)、5試合目までもつれたソフトバンクとロッテによる第2ステージは16万8144人(同3万3629人)。