わたしはかもめ2006年鴎の便り(8月)

便

8月11日

4位ロッテの起爆剤、ベニー合流

ロッテが3位日本ハムとの2連戦を前に、右ひざ痛で戦線離脱中のベニー・アグバヤニ外野手(34)をチームに合流させた。12日からはプレーオフ進出をかけて2.5ゲーム差で追うライバルとの直接対決が始まる。この日は札幌市内の室内練習場で全体練習を行った。7月20日に右ひざ半月板鏡視下手術を受けたベニーはここまで2軍戦3試合に出場。打力は順調に回復しているが、走塁に不安を抱えている。

11日は2軍戦に出場した後に札幌入り。バレンタイン監督は出場選手登録のタイミングについては明言を避けたが「走ることも、ボールを見ることも、スイングすることも良くなっていると聞いている」と話す。現在4連勝中と波に乗るチームだが、福浦、ベニーの復帰を、逆転プレーオフ進出への起爆剤にしたい。

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“ボビーマジッ苦”福浦復帰まだ遠く…攻撃の要揃わず[夕刊フジ]

◇日本ハムとの3位決戦…主砲ベニーも「厳しい」

“飛車角落ち”はまだ続く…。4連勝で浮上モードに入っているロッテは、12日からの日本ハム2連戦(札幌)で、プレーオフ進出権をかけた戦いに突入する。3位日本ハムまでは2.5ゲーム差。「(状態は)確実に上がってきている。今は目の前の試合を全力で戦うだけ」とバレンタイン監督も意気軒高だ。が、追撃モードに入りきれない要素がある。チームのポイントゲッター福浦の回復状況だ。

先月16日の西武戦で左手第2中手骨を剥離骨折した福浦。今は復帰に向けての本格練習に入ったが、球団関係者は「ようやく両手で打撃練習を始めたけど(1軍復帰には)本人が2軍で3試合くらい出て感覚を試したいと希望している。ただ、日程がねえ…」と険しい表情だ。

福浦は12日からのイースタンのインボイス戦(飯能)で実戦リハビリに入りたい意向だが、その後が問題。13日に同カードを終えた後、2軍は14日から20日まで香川〜岩手と長期遠征に入る。「まさか遠征に帯同するワケにもいかないし2軍の起用方針もあるから。とりあえず来週、千葉に戻って1軍に合流して話し合う。復帰は月末とまではいかないと思うけどね」(同関係者)と、復帰は22日の西武戦以降となる見込みだ。

一方、主砲ベニーの復帰もズレ込みそう。先月20日に受けた右ヒザ半月板修復手術の回復は順調で、7日のイースタン・ヤクルト戦に出場。

状態が良ければ12日の日本ハム戦での1軍合流が期待されたが、「札幌は厳しそう。ヤクルト戦では走ってないからね。痛みはないといってたけど慎重なんだ」(同)と、こちらも復帰は15日のオリックス戦となる見通しだ。

打率.326の福浦、46打点のベニーとチームの両ポイントゲッターは、日本ハムとの大一番には不在…。“飛車角落ち”のマリンガン打線でプレーオフ進出権をどう狙うか、ボビーマジックに注目だ。

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ロッテ根元、イースタンMVP表彰[ニッカン]

イースタン・リーグ制定日刊スポーツ7月度月間MVPに選ばれたロッテ根元俊一内野手(23)の表彰が11日、ロッテ浦和球場で行われた。イースタン・リーグから表彰状、日刊スポーツ新聞社から賞金と記念トロフィー、副賞として大塚ベバレジからクリスタルガイザー半年分が贈られた。同内野手は7月度は13試合に出場、3割7分3厘の高打率をマーク、チームの首位キープに貢献した。

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父の涙を胸に夢へ挑む[朝日新聞・千葉]

今年、頭角を現した選手に成瀬善久投手(20)がいる。ハイレベルなロッテ先発陣の中で、その一角として活躍しており、将来的には左のエースと期待される。

そんな若者が大事にしている思い出がある。決して良い思い出ではない。むしろ、ほろ苦い話。しかし、それこそが彼の原点であり、野球人としての成瀬を形成しているという。今回はその思い出を中心に成瀬という若い投手を紹介したい。

それは、甲子園出場常連校である横浜高校に入学した直後の4月のことだった。名門校の練習、そしてハイレベルな競争。さらに親元を離れての寮生活に溶け込めずに悩んだ成瀬は野球を辞める決意を固めた。

「逃げ出したかった。野球をやるのが怖かった。高校を辞めて仕事を探そうと思った」。

父親に電話を入れた。小学校の時から厳しく野球の指導を受けていただけに激しく叱責されると思っていたが、父親は理解を示してくれた。「最後に今度の練習試合を見にいかせてくれ。その後、2人で監督のところに話をしにいこう」。この瞬間、小学1年生の時から始まった成瀬の野球人生が終わるはずだった。寂しさはなかった。苦しさから逃れられる安堵感が全身を包んでいた。

「両親も納得してのことだから、と気楽な気持ちだった」。

そして運命の日。最後のユニホーム姿になるであろう練習試合を見にきてくれた両親と面会した。この瞬間のことを今でもハッキリと覚えている。厳しかった父親が泣いていたのだ。

「いつも怖くて威厳のあった父親が泣いていた。『オレはおまえの野球をしている姿を見るのが本当に楽しかった』と言ってくれた。その時にあっさりと辞めようとした自分を責めた。その顔は一生、忘れない。今でも逃げ出したくなることがあると、あの時みせた父の寂しそうな顔を思い出すようにしている」。

成瀬の原点である。結局、成瀬は退部届を破り捨て、野球を続けた。2年の秋にエースになると3年のセンバツで準優勝。03年、ドラフト6巡目でロッテに入団した。野球を続けてよかった。今は心底そう思える。

「父は休みの日にいつもバッティングセンターに連れていってくれた。今思うとそんなに自分のお小遣いなんてなかったはず。なのに、ボクのため1日、何千円と使ってくれていた。子供のためにそこまでしてくれていたのかと、今になってそのありがたみが分かる」。

成瀬には夢がある。両親のために地元・栃木にマイホームを建ててあげること。それはまだまだ先のこと。喜ぶ父の顔を見るために、今は必死に投げる日々が続く。

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