わたしはかもめ2006年鴎の便り(8月)

便

8月18日

千葉ロッテ4−1北海道日本ハム(千葉マリン)

ロッテが3連勝で3位日本ハムとのゲーム差を3に縮め、小林雅が史上3人目の通算200セーブを達成した。ロッテは1点を追う2回、今江の適時二塁打で同点。さらに5回には青野が4号ソロを放ち勝ち越し。8回にも里崎の15号ソロなどで2点を加えた。先発・小林宏は7回1/3を5安打1失点で9勝目。9回を抑えた小林雅は今季34セーブ目、プロ通算200セーブをマークした。日本ハムは先発・立石が5回を2失点も、散発6安打で1回の小笠原が放った先制26号ソロのみ。連敗で対ロッテの連勝は3でストップした。

123456789R
北海道日本ハム1000000001
千葉ロッテ01001002x4

◇いくつも危機乗り越え

3点差の9回、いつものようにマウンドに上がった。調子が悪くても、球界を代表するリリーフエースは抑える術を知っている。二塁打を1本打たれたが、力強いボールで3つのアウトが全て空振り三振。千葉ロッテの小林雅がプロ野球史上3人目の200セーブを達成した。

「チームメート、監督、コーチ…、僕が野球をやれる全ての人のおかげ」。勝利の余韻に浸るかのように捕手らナインとがっちり握手。7年間、こつこつと積み重ねてきた199個までのセーブと同じ光景だ。「チームが勝つことに集中した結果」。落ち着き払った投球術は心憎いばかり。「相手は日本ハムだったので、どうしても負けられなかった」。ヒーローインタビューのお立ち台で嬉しそうな様子で話した。「まだまだ失敗もある。もっともっと上を目指したい」。プロ8年目、いくつもの危機を乗り越えてきた。精神的なタフさなら負けない。新たな目標を聞かれると、「さらにどんどん上にいきたい」。背番号30は充実感あふれる笑顔で結んだ。

バレンタイン監督
「小林雅は日本に来て見た最高の投手の中の1人。今日もその投球を見せてくれた。タフさと高い運動能力があるから高いレベルでやってこれたのだと思う。先発の小林宏も素晴らしい投球だった。打線は今江がツーアウトからタイムリーを放ち、追加点の欲しいところでの里崎のホームランが大きかった。」
小林宏
「悪いなりに抑えることができた。低めを意識して投げられたのがよかった。」(日本ハムとのゲーム差を3に縮める9勝目)
青野
「最初から振れるところに来たら、初球から振っていこうと思っていました。」(5回裏に勝ち越しの4号ソロ)
今江
「2死で打つしかなかったので来た球を思いっきり打ちました。」(2回裏2死二塁で三塁線を抜く適時二塁打)

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3連勝に手応え

バレンタイン監督は、3連勝に巻き返しの手応えを感じていた。先発の小林宏が8回途中まで踏ん張り、打線も援護。3位日本ハムに3ゲームとし「明日(19日)の先発小野がしっかり投げてくれれば、有利な展開になると思う」とうなずいていた。

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3連投なんの!小林雅200S[デイリー]

球界最高の守護神が、また1つ大きな勲章を手にした。ロッテ・小林雅が3点リードの9回から登板。日本ハム打線を無失点に抑えプロ野球史上3人目の200セーブを達成した。「自分で作れない記録なので、感謝しています」。クローザー生活で忘れたことがない謙虚な気持ちが、言葉となって出てきた。

3連投でも問題はなかった。9回1死からセギノールに左越え二塁打を浴びたものの、続く稲葉、代打・小田を共に146キロの直球で連続三振。マウンドでは派手なガッツポーズを見せ、客席からは今年1番の“小林”コールが鳴り響いた。

「200セーブの中で忘れられないのは去年の失敗」という。昨年のプレーオフ第3戦、優勝目前の4点リードの9回にマウンドに上がったが、追いつかれ、まさかの逆転負け。その夜、娘の美憂ちゃんに「バカ!!」と厳しい言葉を投げかけられた。

しかしこの日、愛娘から受け取ったマスコット人形には“パパおめでとう。やったね!200セーブ”と記されていた。「だいぶ大きくなって生意気になりましたけどね」と照れ笑いを浮かべたが、最高のプレゼントだったに違いない。

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ロッテ小林雅が史上3人目の通算200S[ニッカン]

ロッテ小林雅英投手(32)が、史上3人目の通算200セーブを達成した。日本ハム戦で、4−1の9回に登板。1安打こそ許したが、アウト3つは全て三振で奪う快投で今季34セーブ目を挙げて節目のセーブを手にした。プロ入り8年での到達は大魔神・横浜佐々木(日刊スポーツ評論家)、ヤクルト高津より早い“史上最速”。この日も当たり前のように最後を締めくくり、3位日本ハムに3ゲーム差と迫る3連勝に貢献した。

最後は146キロの内角直球だった。9回表2死二塁。小林雅が代打小田を空振り三振に仕留める。強い体の振りをそのままに、180度回転しながら中堅方向に向かいガッツポーズした。史上3人目の通算200セーブ達成。入れ込むことなく、冷めることもなく、淡々と積み上げてきた大台だった。

99年生まれで7歳になった愛娘から、お立ち台で花束を受け取った。プロ2年目の1歳のときに初セーブ。抱き上げた200セーブの糧に「重くなりました。でかくなりました。生意気になりました」と表情を崩す。「あまり200を達成したという実感はない。チームメート、監督、コーチ、野球をやってる環境を整えてくれる人のおかげです」と話した。

抑えに君臨して6年、1度も2軍降格はない。痛くても痛いとは言わない。強靭な体が基本になっているが、立場を勘違いしない気の持ちようがある。昨オフに2年契約を結んだが、インセンティブ(出来高)にセーブ数をいれることを拒否した。「セーブは自分の力でどうにかなるもんじゃない。チームメートに変なプレッシャーを与えたくない」。重ねたセーブ数は、感謝の数でもある。

7年の抑えで最も記憶に残っているのは「去年の失敗」という。ソフトバンクとのプレーオフ第2ステージ第3戦で4点リードの9回から登板し、火消しに失敗。娘から「バカッ」と一喝された。「それで救われた」と、本来の思い切りの良さを取り戻し、日本一、アジアNO.1へと牽引した。だが、あの失敗で「自分の体とか考え方が変わったというのはない」と言い切る。培ってきた感覚を、呼び覚ますだけで十分だった。

今季は34セーブまで来た。チームにとっての必要性は29セーブを挙げて優勝した昨季より高まっている。「まだ32歳です。もっともっと上を目指していきたい」。3位日本ハムに3ゲーム差。守護神の上昇志向が、チームの勢いに変わる。

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小林雅、200S…佐々木、高津に次ぐ史上3人目[報知]

200回目のガッツポーズは、鮮やかに1回転して決めた。9回、3つのアウトは全て三振。走者を出しても勝利を届ける小林雅の哲学通りのフィナーレだった。「ここで打たれたら格好悪い。周囲の人みんなに感謝したいです」。高津、佐々木に次ぐ史上3人目の通算200セーブを達成。祝福の嵐の中で、守護神にいつもの笑顔が広がった。

お立ち台に上がった小林雅は右腕1本で長女・美憂ちゃん(7つ)を抱き上げた。「あの時よりだいぶ重くなりましたね」。通算100セーブを達成した03年とまな娘の抱き心地は変わっていた。ただ、投球スタイルだけは変わらなかった。直球、シュート、スライダー。3球種だけで強打者に立ち向かってきた。04年、バレンタイン監督からチェンジアップ習得をすすめられたときも、「20年近く野球をやってできなかったことはできない」と拒絶。磨き上げた3球種を、魂を込めて投じてきた。

8年目での200セーブ到達は、9年目の佐々木をしのぐ。幼少時代、扁桃腺が弱く頻繁に体調をこじらせていた右腕は、8年間、2軍を経験せずに働き続けた。高校時代は自宅から8キロの道を走り、社会人を経て体重は20キロ以上増えた。己の体に気を使い、野球に全神経を集中させることで、弱かった体質は球界随一の頑強な肉体へと様変わりしていった。

最も印象に残る登板は、4点差を追いつかれた昨年のプレーオフ第2ステージ第3戦という。積み重ねた200の成功より、最大の屈辱を脳裏に刻む。究極の目標は「失敗ゼロ」。「勝ちの瞬間に立ち会える回数が投手で1番多いから」と生きがいにするクローザー業。幾多もの勝利を求め、小林雅はさらなる偉業に突き進んでいく。

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もう「バカ」じゃない!ロッテ・小林雅、まな娘に捧げる通算200S[サンスポ]

プロ8年目の金字塔−。ロッテ・小林雅英投手(32)が18日、日本ハム13回戦(千葉マリン)で今季34セーブ目を挙げ、プロ野球史上3人目の通算200セーブを達成した。初セーブは2000年8月17日の日本ハム21回戦。小林雅は4−1の9回に3番手で登板、3三振を奪って0点に抑え、通算252セーブの佐々木主浩(元横浜)と通算263セーブの高津臣吾(ヤクルト)に続き大台に到達した。

守護神の険しい表情が一気に緩む。小林雅が代打・小田を空振り三振に仕留めて今季34セーブ目。通算389試合目で、史上3人目の200セーブに到達した。

小林雅
「家族、監督、コーチ、スタッフ…。環境を整えてくれた皆さんのおかげ。感謝したい。」

6月に達成した6年連続20セーブのプロ野球記録に続く快挙に、7歳の長女・美憂(みう)ちゃんも駆けつけた。昨年のプレーオフ第2Sで救援失敗した際に「バカ!!」と言われた。翌日、球場で笑い話として“公開”したが、内心ショックだった。

もう、あんなつらい思いはしたくない。この日は「パパ、おめでとう。やったね!!」というカードを添えた花束が贈られ、満面の笑み。愛娘を優しく抱きしめた。

継続は力なり。地道に努力を積み重ねてきた。毎日、同じことの繰り返し。球場に着いて、ウエートトレ、マッサージ。ブルペンに入って試合に臨む。抑えに転向した2000年から、毎日出番に備えてきた。球界を代表する守護神になっても、やることは変わらない。

1月、友人の“集中力”に刺激を受けた。親交のある高見盛を応援するため、大相撲の初場所に足を運んだ。初めての相撲観戦。自然とくぎ付けになったのは、高見盛の仕草だった。取り組み直前の気合はユーモラスにも映るが「いつも同じルーチンで本番に臨んでいる。あの集中力はすごい」。同じように“短期決戦”に臨む自分の姿とダブらせていた。

「今後の目標?失敗しないこと。勝って終わらせるのが、ボクの仕事ですから」。連覇を諦めていない。3位・日本ハムとは3差。パパの意地がある。もう、まな娘に「バカ」とはいわせない。

◇小林雅の“あの日”VTR

05年10月15日、リーグ優勝に王手をかけて臨んだソフトバンクとのプレーオフ

第2ステージ第3戦(ヤフードーム)。小林雅は4点リードの9回に登板したが、4連打を含む5安打と押し出しの四球で同点に追いつかれ、延長10回に藤田が川崎にサヨナラ打を浴びて4−5で敗れた。翌日、小林雅は「昨日(前夜)は幼稚園に通う娘に“バカ”と怒鳴られた。6歳なのに厳しい」と苦笑いした。

データBOX
ロッテ・小林雅が通算200セーブを達成。これは佐々木主浩(元横浜)、高津臣吾(ヤクルト)に次いでプロ野球史上3人目。通算389試合目での達成は、佐々木の370試合目(高津は446試合目)には及ばなかったが、6月にプロ野球新記録となる6年連続20セーブ、8月に同タイ記録となる4度目のシーズン30セーブを記録している。
通算セーブ10傑
S投手所属
1263※高津臣吾ヤクルト
2252佐々木主浩横浜
3200※小林雅英ロッテ
4193江夏豊西武
5146※豊田清巨人
6139赤堀元之近鉄
7138大野豊広島
8137大塚晶則中日
9133斉藤明夫横浜
10131鹿取義隆西武

[注]※は現役で成績は18日現在。所属は最終所属球団

◇小林宏9勝目

勝利を引き寄せたのは小林宏。粘りの投球でプレーオフ進出を争う3位日本ハムに先勝。ゲーム差を3に縮める9勝目(4敗)に「悪いなりに抑えることができた」。3回2死一、二塁のピンチでは、1回に本塁打を喫した小笠原を空振り三振。球の切れは本調子でなかったが「低めを意識して投げられたのがよかった」と里崎の配球に感謝していた。

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小林雅、3連投で200セーブ達成[スポニチ]

いつもと同じ9回から小林雅はマウンドに上がった。1死からセギノールに左越え二塁打を浴びたが、続く稲葉、代打・小田を連続三振。佐々木、高津に続く史上3人目の200セーブはタフネス右腕らしく3連投で決めた。

「実感はあまりない。それより今のチーム状態が大切。相手は日本ハム。どうしても負けられない。勝つことができてよかった」。大記録達成にもプレーオフを左右する3連戦に先勝したことをまずは喜んだ。

それでも愛娘・美憂ちゃん(7)から花束を受け取ると表情は崩れた。球団マスコットのぬいぐるみには「パパおめでとう やったね!200S」の文字。100セーブをマークした03年と同じように抱きかかえると「ずいぶん重くなりましたね」と笑った。家族との約束も守った。シーズンオフには毎年ハワイ旅行が恒例だが、今年は「200セーブ達成」が条件となっていた。有言実行のパパだった。

喜びは一瞬、すぐに戦いの顔へと戻る。「残り29試合。どれだけ投げるか分からないが、これからの失敗は許されない」。昨季は8度の救援失敗を球団から指摘されたが、新球やフォーム改造には求めず既存のスタイルを磨き上げた。次の区切りは名球会入りとなる250セーブだが、守護神は興味なし。19日も4連投し、3位・日本ハムと2ゲーム差にすることしか考えていない。

◇青野またV弾!

青野が同点の5回に勝ち越し4号ソロを左翼席へ叩き込んだ。「打ったのはスライダーかカーブ。先頭打者だったので、出塁したいと思っていたが、いい本塁打になりましたね」と笑みをこぼした。思い切りのよさが持ち味の23歳。今季1、2号は決勝満塁弾で3号も決勝弾。ラッキーボーイぶりを発揮していた。

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ロッテ小林雅が史上3人目の200S[ニッカン]

ロッテの小林雅英投手(32)が18日の日本ハム13回戦(千葉マリン)で今季34セーブ目を挙げ、プロ野球史上3人目の通算200セーブを達成した。初セーブは00年8月17日の日本ハム21回戦。小林雅は4−1の9回に3番手で登板、3三振を奪って無失点に抑え、通算252セーブの佐々木主浩(元横浜)と263セーブの高津臣吾(ヤクルト)に続き大台に到達した。

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