わたしはかもめ2007年鴎の便り(1月)

便

1月4日

小林雅が始動、ベテラン小宮山、堀も汗[千葉日報]

千葉ロッテの小林雅英投手(32)、小宮山悟投手(41)、堀幸一内野手(37)が4日、千葉マリンスタジアムで始動した。

小林雅はウオーキング、ランニングと筋力トレーニングでじっくり汗を流した。オフはボールを握らず、約3ヶ月、肩を静養。「いい機会だったので普段できないことをやった」といい、「こんなに休んだのは初めて」と笑った。大粒の汗をぬぐった小林雅は、「思ったより動けた。筋肉に刺激を与えてから2週間ぐらいで投げられる体にできれば」と上々の滑り出しに満足そう。

小宮山はランニングとキャッチボールで体を動かした。今年42歳になるベテラン右腕は「若い選手がすごいな、と思えるプレーができれば。(キャンプインの)2月1日に投げられるように準備していきたい」。

また先月20日から始動している藤田宗一投手(34)はランニング短パン姿で遠投も交えてのキャッチボール。「順調です」と話した。

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マリンは毎日イベントデー

ロッテ瀬戸山隆三球団社長(53)は4日、千葉マリンスタジアムで年頭の挨拶を行った。今年のテーマの柱に、

(1)
V奪回
(2)
ふる里球団化の推進
(3)
ファンサービスの充実
(4)
経営改革

の4点を掲げた。

球界トップクラスと自負するファンサービルには、特に力を入れる。主催試合では、曜日ごとにイベントを開催。毎週火曜日は「花火ナイト」と称し、多くの花火を打ち上げ、来場者を楽しませる。そのほかの曜日も、その日ごとのサプライズ企画と合わせ熟考中だ。

「食」の充実も昨年以上に図っていく。同社長は「千葉県産品や季節感のあるもの、大リーグのスタジアムでなじみのあるメニューも増やしていきたい」。試合だけではなく、ファンが多く足を運べる環境づくりこそが、4つのテーマ達成にもつながるとにらんでいる。

また、異例の元旦硬式HP発表となった、07年スローガン「All Hands to The Flag!〜結束、フラッグのために〜」を説明。チーム、ファン、フラオントの三位一体の結束を強め、優勝フラッグをつかみ取るという意で、デザインは炎とボールと旗をイメージしているという。

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藤田の雅が対照的

球場開きのこの日、救援陣の柱は対照的な調整となった。昨年末からボールを握り続けている藤田は、真夏のような格好で勢いのあるボールを投げ込み、外野から「もうキャンプに入れるな」と声を掛けられた。一方、守護神の小林雅は、約2ヶ月の完全休養を終えて始動。昨年10月1日の楽天戦以降ボールも握っておらず「体に刺激を入れて、1〜2週間後ぐらいから投げ始められればいい」と、徐々にペースアップしていくつもりだ。

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小宮山'07スタート

チーム最年長の小宮山が千葉マリンで始動した。「正直(現役生活も)残りわずかという気持ちで、ここ何年かは正月を迎えている」と心境を吐露。限られた時間で悔いを残さないためにと、高いモチベーションは維持している。この日もランニングなど約4時間の内容の濃い練習で汗を流し、07年シーズンのスタートを切った。

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「初さんと呼べ」初芝氏が社会人コーチ

社会人野球かずさマジック(千葉)のコーチに就任した元ロッテの初芝清氏(39)が4日、君津市の新日鉄君津球場で初練習に臨んだ。練習前の就任挨拶で、まずは対話重視路線を強調。「初芝さんではなく『初さん』と呼んでもらう。初芝さんって言ったら(罰則は)ジュース1本ですから」と笑わせた。ただでさえ遠く感じる元プロに、ロッテ時代からの愛称を使うことで、気軽に話せる環境をつくる。この日は、練習序盤こそ「まず顔と名前を一致させたい」とじっとしていたが、打撃練習が始まると熱血指導を開始。4年ぶりの都市対抗出場に向け「出たいじゃなくて、出なくてはいけない」と熱い言葉で鼓舞した。

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小林雅Wの誓い…「V奪回&250S」[デイリー]

ロッテ・小林雅英投手(32)が4日、千葉マリンスタジアムで始動し、今季の目標にチームのV奪回と自身通算250セーブのW達成を掲げた。

一昨年は日本一など6冠達成も、昨年は4位へ転落。守護神は「悔しい思いをした。人が野球をやっているのを見るようなオフは過ごしたくない」と、V奪回への強い決意を口にした。

さらに「優勝するために(リリーフ)失敗をしなければ、250セーブの数字はついてくる」と小林雅。あと50に迫った名球会入りの通算250セーブ達成も、しっかりと視野に入れている。

昨年10月から約3ヶ月間、ボールは握っていないが「不安はない。この時期に肩とひじを休ませたかった」と余裕だ。「思ったより体が動いたし、いいスタートを切れた」。自信の笑みが偉業達成を予感させた。

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小宮山“オヤジの底力”見せる![スポニチ]

今年で42歳を迎えるロッテの小宮山が“オヤジの底力”を見せつける。千葉マリンで始動。「年を取ったなぁというのが実感です」と冗談めかしたが、同い年のヤクルト・古田監督、中日・山本昌らの奮闘には刺激を受けており「マサ(山本昌)は200勝があるし、古田にはプレーイングマネージャーという目標がある。僕も若い連中が見て“すげえな”と思う姿を見せられるように」と気持ちを新たにした。

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小林雅、V奪回へフル回転誓う[スポニチ]

ロッテの守護神・小林雅が、千葉マリンで始動。05年以来のV奪回へフル回転を誓った。昨年10月1日の楽天戦以来、約3ヶ月間、ボールを握らず完全休養。体のオーバーホールは済んでおり、ランニング、ウエートトレーニングをこなし「肩、ひじを休める機会。思ったよりなまってなかったです」と話した。昨季は史上3人目の通算200セーブ、球界初の6年連続20セーブ以上を達成したが、今年の目標は「優勝です。数字は後からついてくる」と話した。

◇2軍戦で“ご当地ツアー”開催

ロッテの瀬戸山球団社長が千葉マリンで年始会見を開き、今年は2軍戦で“ご当地ツアー”を開催する方針を示した。千葉県内の本拠地以外の球場で開催するもので地域密着策の一環。将来的には「どんどん増やしていきたい」と意欲を見せた。また、ファンサービス面では火曜日のナイターは花火を打ち上げるなど曜日ごとのサービスを設定。さらなる充実を図っていく。

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ロッテ球団社長挨拶「優勝奪回」[スポニチ]

ロッテの瀬戸山球団社長は4日、千葉マリンスタジアムでの年頭挨拶で「優勝奪回」「ふるさと球団化」「ファンサービス充実」「経営改革」の4つの柱を新年目標に掲げた。今季は毎週火曜日を「花火ナイト」にするなど、曜日ごとにテーマを決めてファンサービスを実施するほか、2軍の試合を千葉県内の球場で3〜5試合開催する構想も明らかにした。瀬戸山社長は「今年のスローガンはAll Hands to The Flag。チーム、ファン、フロントが三位一体で1つの目標を目指したい」と言葉に力を込めた。

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まだまだ現役!ロッテ・小宮山&小林雅が自主トレを開始[サンスポ]

ロッテのベテラン、41歳の小宮山と32歳の小林雅が4日、自主トレを開始した。小宮山はウエートトレなどで汗を流し「(現役も)残りわずかという思いはあるが、すごいなと思われる仕事をしたい」。小林雅は、昨年10月1日の楽天戦から球を握っていないが「例年以上に肩、ひじを休められている」とノースロー調整に手応えを感じ取っていた。

◇「花火ナイト」など新年目標4本柱

瀬戸山球団社長は、年頭挨拶で「優勝奪回」「ふるさと球団化」「ファンサービス充実」「経営改革」の4つの柱を新年目標に掲げた。今季は毎週火曜日を「花火ナイト」にするなど、曜日ごとにテーマを決めてファンサービスを実施するほか、2軍の試合を千葉県内の球場で3〜5試合開催する構想も明らかにした。また今年のスローガンを『All Hands to The Flag』とした。

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ロッテ・小林雅と小宮山が始動、上々の滑り出し[サンスポ]

ロッテの小林雅と小宮山が4日、千葉マリンスタジアムで始動した。

小林雅はランニングと筋力トレーニングで汗を流した。「約3ヶ月ボールも握らず、ゆっくり肩を休めた。こんなに休んだのは初めてだけど、思ったより動けた」と上々の滑り出しに満足そう。小宮山はランニングとキャッチボールで体を動かした。ことし42歳になるベテランは「若い選手がすごいな、と思えるプレーをできれば。(キャンプインの)2月1日に投げられるように準備していきたい」と話した。

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ロッテ小宮山、小林雅らベテランが始動[ニッカン]

千葉マリンの球場開きとなった4日、ロッテ小宮山悟投手(41)小林雅英投手(32)堀幸一内野手(37)らベテラン勢も同所で始動した。通算200セーブの守護神小林雅は、自宅近所に住む中学生と一緒に汗を流し「若いので引っ張られました。まあ格の違いを見せて、威厳は保っておきましたけどね」と、笑顔で07年の練習初日を振り返った。

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小林雅と小宮山が始動[報知]

ロッテの小林雅英投手(32)と小宮山悟投手(41)が4日、千葉マリンスタジアムで始動。小林雅はランニングと筋力トレーニングで汗を流し、小宮山はランニングとキャッチボールで体を動かした。

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ロッテ・瀬戸山球団社長「ボールパーク構想」メジャー目標に[報知]

ロッテは4日、千葉マリンで瀬戸山隆三球団社長(53)が年始の記者会見を行った。会見では千葉マリンの「ボールパーク構想」を披露。手始めとして瀬戸山社長は「飲食関係を充実させたい」と大リーグの球場で名物となっているホットドッグやハンバーガーなどのメニューを導入する考えを明かした。将来的にはグラウンドもメジャー化。現在は室内にあるブルペンを、全観客から見えるようにするなどの計画も披露した。

ファンサービスも充実させる。曜日ごとにテーマを決めてイベントを開催。火曜日のナイターでは毎回花火を打ち上げる“花火ナイター”を実施する。さらに「すでに自治体からオファーも来ている」(瀬戸山社長)とファームの試合の年間3試合をメドに千葉県内の千葉マリン以外の球場で行うことを示唆。「ふるさと球団」として地元密着も図っていく。

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初芝氏が「かずさマジック」初指導…目標は都市対抗出場[サンスポ]

社会人野球のかずさマジックが4日、始動。今月からコーチに就任した元ロッテの初芝清氏(39)は約4時間の練習で、スイング指導などを行った。初芝氏は「都市対抗に出なきゃいけないという意識改革をしていきたい。ぬるま湯(的なチーム体質)改善がテーマ」と、03年以来4年ぶりの都市対抗出場を目標に掲げた。

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ロッテ、毎週火曜日「花火ナイト」[報知]

ロッテの瀬戸山球団社長は4日、千葉マリンスタジアムでの年頭挨拶で「優勝奪回」「ふるさと球団化」「ファンサービス充実」「経営改革」の4つの柱を新年目標に掲げた。今季は毎週火曜日を「花火ナイト」にするなど、曜日ごとにテーマを決めてファンサービスを実施するほか、2軍の試合を千葉県内の球場で3〜5試合開催する構想も明らかにした。

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ロッテ社長が年頭挨拶[デイリー]

ロッテの瀬戸山球団社長は4日、千葉マリンスタジアムでの年頭挨拶で「優勝奪回」「ふるさと球団化」「ファンサービス充実」「経営改革」の4つの柱を新年目標に掲げた。

今季は毎週火曜日を「花火ナイト」にするなど、曜日ごとにテーマを決めてファンサービスを実施するほか、2軍の試合を千葉県内の球場で3〜5試合開催する構想も明らかにした。瀬戸山社長は「今年のスローガンはAll Hands to The Flag。チーム、ファン、フロントが三位一体で1つの目標を目指したい」と言葉に力を込めた。

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12球団代表者会議「入札」も討議へ[ニッカン]

ポスティングシステム(入札制度)とドラフト制度に関して集中討議する12球団代表者会議が、15日に開催されることになった。昨年まで2年間の暫定ドラフトを検証する予定だったが、松坂移籍などで注目された入札制度も議題に加えられた。大リーグ移籍を希望する選手が後を絶たず、海外流出を問題視する声も強くなってきた。フリーエージェント(FA)を含め、「選手の権利」について本格的に議論される。球界の制度改革としては07年最大のテーマになる。

ドラフト制度検討委員会は、委員長をヤクルト倉島専務から横浜山中専務へ変更する方針を固めた。アマ指導者としても豊富な経験を持つ山中専務を中心として、様々な視点から議論を重ねていく。ドラフト改革は希望入団枠を残すか否かが、最大のポイント。撤廃の場合は、FA権取得までの期間短縮は避けられない。

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「父子の絆」(4)

◇野球のめり込み黒字倒産も

2004年(平16)4月、大嶺祐太(18)が八重山商工に入学して、伊志嶺吉盛(53)「親子」の本格的な子育てが始まった。

が、その苦闘を語る前に伊志嶺のこれまでの職歴に触れなければならない。八重山農林高から沖縄大に進学したものの4年の2学期で中退し、その年の暮れ、石垣島へ戻ってきた。結婚し、長男球太(享年20)も生まれた。しかし、生計を立てるはずの職業は定まらない。臨時工、スポーツ店、運送業、内装業、生花店など表面的に見る限り、その職業選択には何ら脈絡がない。

就職の条件は「好きな野球ができる時間をひねり出せる」仕事だけに絞られていたからである。だから都合が悪くなると2、3年周期で転々とした。

とりわけスポーツ用品店「毎日スポーツ」を経営した82年当時、伊志嶺は「売り掛けを回収しないまま、黒字倒産」を経験している。「八重山の人間はシャイでね。商品を売ったものの代金回収となるとなかなか言い出せなくって。自分の仕事に代償を求めないというか」。今でこそ厳しさと規律を強調する、まるで本土人のような男だが、当時は彼自身もまたのんびりとした八重山気質にどっぷりとつかっていた。「野球がやりたいのに経済的理由でできないのはかわいそう」と店の売り上げを野球部の用具代として提供したこともあった。その揚げ句の破綻で、野球にのめり込む生活は結婚生活にピリオドを打ち、長男を失う引き金にもなった。

28歳で離婚、30歳で再婚した。「10代、20代は野球だけ、30代も好きな野球に打ち込んだが、2度目の結婚ぐらいから自分の気持ちを殺すことを覚えた。金儲けをして、いい生活をして、家も建てた」が、またしても「自分のわがまま」から35歳で離婚をすることになる。

しかし、ここから伊志嶺の人生が急展開してゆくから不思議である。40歳になった94年、少年野球チーム「八島マリンズ」監督に就任。さらに中学硬式野球チーム「八重山ポニーズ」を経て、03年2度目の八重山商工監督に就く。そして甲子園。「とりわけ甲子園に行ったことで、こんなに自分の周辺が変化するのか、恐ろしい」ということになる。

その急展開のきっかけがまたしても「職業」だった。92年、伊志嶺は石垣市とゴミ収拾業者としての雇用契約を結ぶ。当初は役所から与えられた回収車に乗り込み、担当地区を回った。「なにしろ朝8時半から午後1時には仕事が終わる。そのほかの時間は野球ができる」。またしたも野球、である。

「与えられたのは、ボロボロの4トンの回収車でね。よくエンストはするし、15年も走ってやっと一昨年廃車になった。でも、商売という商売にことごとく失敗した揚げ句につかんだこの仕事。手放す訳にはゆかなかった。だから車のことでも文句を言うこともできなかった」。が、そのボロボロの回収車が伊志嶺と大嶺「親子」の葛藤を演出する。

「それは大嶺が高校受験に失敗したからなのです」。(敬称略)

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