わたしはかもめ2007年鴎の便り(1月)

便

1月6日

「開幕投げたい」小林宏始動[千葉日報]

千葉ロッテの小林宏が6日、千葉マリンスタジアムで始動した。キャッチボールや筋力トレーニングなどで約3時間、汗を流し「例年よりいい感じ。年が明けるといい緊張感が出てくる」と引き締まった表情だった。昨季はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)代表に選ばれたが、登板は1次リーグだけ。開幕後は右足内転筋痛で出遅れ、悔しい思いもした。今季の目標は自己最多12勝の更新と、1年間先発を務めること。さらに「開幕はエースが投げる特別なもの。開幕戦に投げてみたい」と初の大役に意欲をみせた。

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ロッテ小林宏が開幕投手宣言[ニッカン]

ロッテ小林宏が開幕投手宣言でエースの座を目標に掲げた。この日、千葉マリンで本格始動し、「先発陣の先頭に立ってやっていきたい。開幕戦はエースが投げるものだと思うし、そこで投げたい」と意気込んだ。昨年はWBCで右足内転筋を痛めた影響から、初先発は開幕から約1ヶ月遅れの4月26日(オリックス戦)。開幕投手を狙う今年は、オープン戦からアピールできるように調整を進めている。毎年奇抜な髪形で帽子の中身も注目されてきたが、「もういいかな」と“卒業”を示唆。自らの姿でチームを引っ張る。

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小林宏、今年は「野球」で魅せる![デイリー]

今年は野球で魅せます!!ロッテ・小林宏之投手(28)が6日、千葉マリンスタジアムで始動。奇抜なヘアスタイルからの“卒業”を宣言した。

これまで髪の毛を編み込むコーンロウや銀髪など、奇抜ヘアで注目を集めた小林宏。昨年の始動では、新しい髪形をファンから募集するプランも披露した。だが今年は「もう髪形はいいかな。別の形でファンに魅せたい」と、卒業を宣言した。

昨春のWBCでは日本代表に選ばれたが、合宿中の発熱と右足内転筋痛で本戦の登板はなし。シーズンも開幕から約1ヶ月、離脱した。最終的に2年連続2ケタ勝利到達も「チームに最後まで(離脱の)影響を残した。悔しかった」。その悔しさを晴らすため、今年は髪形ではなく野球でファンを沸かせるつもりだ。

自主トレでは、昨年の日米野球で阪神・井川(ヤンキースに移籍)から教わったチェンジアップに磨きをかけ、投球の幅を広げるつもりだ。当面の目標は自身初の「開幕投手奪取」。そして「もう1度(日本代表に)選ばれたい思いもある」と、11月の北京五輪予選での“星野ジャパン”入りも目指している。

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ロッテ・小林宏“開幕”名乗り[報知]

ロッテ・小林宏之投手(28)が6日、千葉マリンスタジアムで始動。今季の目標に初の開幕投手を掲げ、「やってみたい。エースが投げるものだと思ってます」と清水、渡辺俊らに挑戦状をたたきつけた。

右腕を突き動かしたのは“悔しさ”だった。昨年はWBC日本代表に選ばれたが、風邪による体調不良で登板はわずか1試合。「何もできなかった自分がいた」と振り返り、シーズンも4月終盤に復帰と出遅れ、10勝(7敗)を挙げたものの、チームはアジア一からBクラス(4位)に転落した。

この日は室内練習場で約60球のキャッチボール、ウエートトレのメニューを消化した。キャンプではカーブの精度を上げ、より遅いチェンジアップをマスターし、投球の幅を広げていく。秋に行われる北京五輪予選にも「選ばれたら光栄」と意欲を見せた。そのためにも、まず開幕マウンドに立ち、エースに相応しい活躍を目指す。

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ロッテ・小林宏が初投げ…11年目で初の開幕投手に意欲[サンスポ]

昨季10勝7敗で2年連続2ケタ勝利をマークしたロッテ・小林宏が6日、開幕投手争いに名乗りをあげた。今季の始動初日はあいにくの雨となったが、ブルペンで約60球のキャッチボール。「(開幕投手は)やってみたい。プロ11年目だがそう思うのは初めて」。これまで試合でほとんど使わなかったカーブに取り組むことも明かした。

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小林宏、井川直伝チェンジアップで勝負[スポニチ]

千葉マリンで始動したロッテの小林宏がヤンキース・井川直伝のチェンジアップで、初の開幕投手と北京五輪日本代表入りを目指すことを宣言した。今季の課題に掲げたのが低速チェンジアップの習得。「僕の場合、フォークとチェンジアップが同じぐらいの球速。120キロぐらいにしたい」。そこで昨年の日米野球で井川から教わったチェンジアップに挑戦する。その上で「プロ11年目にして初めてその気になった」という開幕投手、さらに「WBCはケガ(右内転筋痛)でチームに全然貢献できなかったので、もう1度日の丸を背負いたい」と意欲的だった。

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ロッテ小林宏が始動「スピード上げたい」[ニッカン]

ロッテ小林宏之投手(28)が6日、千葉マリンで始動した。あいにくの悪天候で、室内でキャッチボールや筋力トレーニングとなった。練習後には「変化球でかわすよりも、真っ直ぐで押せるピッチャーに憧れるので、スピードを速くしたい」と、今年の抱負を笑顔で話した。

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ロッテ・小林宏が始動、開幕投手に意欲[報知]

ロッテの小林宏が6日、千葉マリンスタジアムで始動した。筋力トレーニングやキャッチボールなどで約3時間、汗を流した。自己最多12勝の更新と、1年間先発を務めることを今季の目標に上げ、「例年よりいい感じ。年が明けるといい緊張感が出てくる」と語り、「開幕はエースが投げる特別なもの。投げてみたい」と初の開幕投手に意欲をみせた。

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ロッテ・小林宏が始動[スポニチ]

ロッテの小林宏之投手(28)が6日、千葉マリンスタジアムで始動した。キャッチボールや筋力トレーニングなどで約3時間、汗を流し「例年よりいい感じ。年が明けるといい緊張感が出てくる」と引き締まった表情だった。昨季はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)代表に選ばれたが、登板は1次リーグだけ。開幕後は右足内転筋痛で出遅れ、悔しい思いもした。今季の目標は自己最多12勝の更新と、1年間先発を務めること。さらに「開幕はエースが投げる特別なもの。開幕戦に投げてみたい」と初の大役に意欲をみせた。

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「父子の絆」(6)

◇“家庭崩壊”救った野球への思い

「親子」のゴミ回収は順調に進んだ。4、5、6月が無事にすんで、季節は夏。甲子園予選が始まり、8月には合宿もある。伊志嶺吉盛(53)も大嶺祐太(18)も野球漬けの毎日だった。

ところが9月の声を聞くと大嶺に変調が起きた。ゴミ収集に姿を見せなくなったのだ。祖父武弘(68)は「肩の調子がよくなかったようで、練習にも行かず、家でブラブラするようになりました。悩んでいるようで、野球をやめようと思っている、などという言葉も聞きました。サッカーをやりたいなどとも言いましたっけ」。“家庭崩壊”の兆候である。

当然、武弘から「何とかしてくれ」との連絡が入る。「3ヶ月しか持たなかったか」と伊志嶺は落胆したが、あえて放り出した。するとさらに状況は悪化した。大嶺が親戚筋のガソリンスタンドでアルバイトを始めたのである。午前9時から午後3時まで。時給が600円、就業時間が長くなった分、伊志嶺の払っていた1日2000円の倍近くの収入になる。「彼の最後の抵抗だったんでしょう。でも黙って見ていました」。

校庭で大嶺がサッカーボールを蹴っている姿を校舎脇から見詰めた。時たま擦れ違うと「(野球)やめるんだろ」と挑発もしてみた。もっとも野球を離れて大嶺も「自分には野球しかない」ということに気が付き始めていた。何が自分に必要なのか、理解し始めていたようである。

抵抗は年明けの2月まで続いた。ある時、ここが潮時と見て声を掛けた。サッカーボールを追いかける大嶺の姿がいかにも寂しげに映ったからだ。時折、伊志嶺にちらちら視線を送ってくる。

「野球、やりたいんだろ」。「少しだけ…」。消え入りそうな声だったが、この一言で十分だった。

高校2年生になって大嶺が全日制に編入した。晴れてナインと合流した。ところが、5月の練習試合で右肩関節を痛め、全治3ヶ月。長期間にわたるノースローのピンチだったが、もう心配はなかった。野球に全てを打ち込む大嶺の姿があった。「全て信頼関係。その代わりオレを裏切ったらどうなるか」。親子の信頼は多分の緊張感を保ちながらも、甲子園への道を歩み始めた。アクシデントに見舞われながら、一冬走りこんだ大嶺は大きく成長した。入学時127キロだったストレートは、復活した秋季大会では最速143キロをマーク。06年のセンバツでは最速147キロ、高岡商相手の17奪三振、夏も150キロ超えで「最南端から来たチーム」の快進撃を支えた。

「甲子園なんか夢のまた夢と思っていた。それがセンバツに出場できて、甲子園、甲子園と言い続けた監督の言葉を初めて受け止めることができるようになりました。初めて信頼関係ができたというか。野球の上では、監督は本当の父です」と大嶺は振り返る。この関係をつくるのに、親子は小学2年から高校3年まで長い年月を必要とした。

夏の甲子園大会も終わった。次はドラフトが待っている。第1志望は石垣島からも近い、福岡を本拠地とするソフトバンク球団だった。(敬称略)

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