ロッテ・今江敏晃内野手(23)は12日、都内のジムで格闘家の「戦うフリーター」所英男(リバーサルジム)との合同自主トレを公開した。05年末の雑誌の対談から親交のある2人は「同じスポーツで共通する部分も多い」と話し、異色タッグが実現した。
今江の右ストレートが繰り出される度に、ズドンッ!という音が響き渡る。パンチ、キックの基本から、関節技の手ほどきまで受けた。「うまい。すごいッスね〜」現役の格闘家が太鼓判を押すほどの動き。ゴリというニックネームを持つ男の野性が、目覚めた瞬間だった。
「脇を締めた方が力強いパンチが出せるので、バッティングと似た部分がある。(野球でも)体重移動や体の力の入れ方とか意識してやってみたい」野球にも通じる動きを吸収し、手応えは十分だったようだ。
PL学園高の先輩、オリックス・清原とのセコンド対決にも「もっと僕が活躍してビッグな選手になってから」としつつも、まんざらでもない様子。今季目標は「3割」達成。パワーアップしたゴリが大暴れする。
ロッテ・今江敏晃内野手(23)が12日、東京都内のリバーサルジムで、親交の深い格闘家・所英男と合同トレを行った。格闘トレは初挑戦だが、所が「下半身もスゴイし、瞬発力もある。1ヶ月後には(格闘の)試合に出られる」と驚嘆する身体能力の高さを見せた。
繰り出す右ストレート、ミドルキックがミットを叩く度、関係者から「おぉ〜」という歓声が上がった。ミット打ちなどの打撃系から関節技まで、約2時間の練習をこなした今江は「体重移動、踏み込みが野球の打撃と共通している。それを再確認した」と充実の笑顔だ。
今季の目標に「チームの優勝と打率3割」を掲げた。「もっと活躍してビッグになったら(セコンドに)つきたい」と所との“共闘”も宣言。K−1で秋山成勲のセコンドを務めたPL学園の先輩、オリックス・清原を追い、格闘界“参戦”も視野に入れていた。
ロッテ今江敏晃内野手(23)が12日、都内で初の格闘技トレーニングを行った。親友で、大晦日の「Dynamite!!」にも出場した所英男と、パンチ、キック、関節技などを織り交ぜながら約2時間汗を流した。
最初は戸惑ったが、次第に力強いパンチやキックを繰り出し、ミットからも心地よい音が響いた。「楽しかった。パンチのときの一瞬で力を入れる感じや体重移動を、打撃にも生かせるようにしたい」。気分はすっきり、野球につながるヒントも得て、一石二鳥の練習を笑顔で振り返った。
昨季不本意な成績に終わった今江は「去年の成績を全て上回りたいし、打率3割を打ちたい。もっとビッグになって(オリックス清原や阪神下柳のように)所さんのセコンドにつきたい」と話していた。
ロッテ・今江が12日、05年の雑誌での対談以来、親交を深める総合格闘家・所英男と格闘トレに初挑戦した。「野球と体の使い方が似ているところもある。ヒントが得られれば」。見よう見まねながら迫力満点のパンチを披露し、スパーも敢行した。「1ヶ月で試合に出られる」と目を丸くした所に試合のセコンド参戦も頼まれ「もうちょっとビッグになったら」と大照れだったが、K−1で“番長”清原とのセコンド対決もあるかも?
ロッテの今江が、東京・渋谷のリバーサルジムで総合格闘家の所英男(29)と初の合同自主トレを行った。05年末に雑誌の対談で知り合って以来親交を深め実現したもの。所の指導で三角絞め、胴絞めスリーパーを習得したほか、シャドー、スパーリングを含め、約2時間で合計7ラウンドをこなした。その体力に所は「あと1ヶ月もしたら(格闘技の)試合に出られるかも」と太鼓判。今江は「体の使い方で野球と共通するところがある。今後は打撃、ボールを投げることにしても、体重移動を意識してやりたい」と収穫を口にした。今季の目標は打率3割。会見後もスパーリングを申し入れ、汗だくになっていた。
ロッテの今江が12日、格闘技トレーニングに挑戦した。東京都渋谷区内のジムで、親交の深い格闘家の所英男と共に約2時間、打撃や関節技の練習で汗を流した。強烈なパンチを繰り出した今江の上達ぶりに、所も「すぐにいい動きになった。すごい」と賞賛を浴びせた。オフに初めて野球以外の練習に取り組んだという今江は「すごく楽しかった。体重移動、踏み込みなどは野球の打撃と共通。基本を再確認できた」と、手応えを感じていた。
ロッテ今江敏晃内野手(23)が12日、東京・リバーサルジムで格闘技トレーニングを行った。格闘イベント「Dynamite!!」にも出場するなど、今売り出し中の親友・所英男(29)の指導の下、約2時間にわたってパンチやキックで汗を流した。プロ格闘家の関節技を体験し、悲鳴を上げる場面もあった。練習後には「今まで使ってない筋肉を使ったので、もう張っています。毎年恒例みたいな感じで、これからもやらしてもらえれば嬉しいですね」と話した。
ロッテの今江が12日、格闘技トレーニングに挑戦した。東京都渋谷区内のジムで、親交の深い格闘家の所英男と共に約2時間、打撃や関節技の練習で汗を流した。慣れるにつれて強烈なパンチを繰り出した今江の上達ぶりに、所も「すぐにいい動きになった。すごい」と目を丸くした。オフに初めて野球以外の練習に取り組んだという今江は「すごく楽しかった。体重移動、踏み込みなどは野球の打撃と共通。基本を再確認できた」と、多くの収穫を得て満面の笑みだった。
プロ、アマ合同の日本野球規則委員会が12日、東京都内で開かれ、公認野球規則を米球界に沿う形で34ヶ所改訂することに決めた。プロ野球のオープン戦開幕前の2月中旬に発効の予定。
今回の改訂は試合のスピードアップ化が柱となった。打撃姿勢に入るのが遅い打者に対し、球審は投手の投球を待たずにストライクの宣告ができるようになるほか、無走者の場合の投手の投球間隔については、現行20秒以内だった制限時間が12秒以内に短縮された。
また、第3ストライク(振り逃げ)後の打者の行動範囲についても、今後は本塁を囲む直径約8メートルのサークル部から打者が出た時点でアウトになるように変更。このほか、危険防止の観点からベンチ内での捕球はアウトからファウルに変更され、これまで投球時の投手の軸足は投手板内になければいけなかったが、プロ野球に限り軸足の一部が投手板に触れていればいいことになった。
プロアマ合同の規則委員会が12日、都内で開かれ、34項目の変更が決まった。米国での野球規則の改正に伴う対応が協議で、35項目を議論したが、1項目は継続審議となった。一部ではプロとアマの適用が異なる。変更は多岐に及ぶが、主な点は次の通り。
アマ側の麻生規則委員は「今回は大改正です。分かりやすくシンプルに、スピーディーに、という狙いがあります」と説明をしていた。
球界の功労者をたたえる「野球殿堂入り」が12日、野球体育博物館(東京ドーム内)で発表された。競技者表彰は、阪急(現オリックス)で通算254勝を挙げた左腕、梶本隆夫氏が選ばれた。同氏は昨年9月23日に71歳で他界、生前に朗報を届けることはできなかった。特別表彰は、ロス五輪の野球(公開競技)日本代表監督を務め、金メダルを獲得した松永怜一氏(75)が選出された。表彰式は球宴第1戦(7月20日=東京ドーム)で行われる。これで殿堂入りは161人となった。
この日、代理で殿堂入り通知書を受け取った享子夫人(66)は、棺の中の安らかな顔を思い出した。昨年9月23日に逝去、同25日に最後のお別れをした。「主人がこの場にいないのは残念ですが」と前置きした上で、球界関係者へ感謝の言葉を繰り返した。そして「本人もこの名誉を何よりも大喜びしているでしょう」と代弁した。阪急の低迷期を支えた左腕は前年、わずかな差で落選していただけに、根来コミッショナーも「遅すぎた」と表現した。
亡くなる1週間ほど前、享子夫人はベッドに横たわる梶本氏に向かって「山田(久志)さんも選ばれたことだし、パパ、来年は入れるよね」と励ますと「ウーン、そうかもしれないね」と返したという。
1950年代から70年代にかけて右のエース米田哲也氏と共に活躍した。通算867試合登板は歴代3位、9連続奪三振は日本記録。ただ新人年を含めて4度の20勝以上を記録しながら、新人王や最多勝などタイトルには無縁だった。それでも梶本氏の葬儀委員長を務めた400勝投手の金田正一氏は「技量、投球術など私より素晴らしいものを持っていた。ひたむきにやっていた姿は忘れられない」と振り返っていた。
日本でただ1人の金メダル監督は、殿堂入りの席でも来年の北京五輪が気になったようだ。松永氏は力強い声で「1番にならなきゃ意味がない。星野(仙一)君に夢を託したい。カリスマ性、リーダーシップが必要だから」と、就任が有力紙される同氏を指名した。
松永氏の五輪監督は84年のロス、53歳だった。「パワーとスタミナ」を日本の課題に、平均22.5歳の若い代表を結成した。外国人投手の重い球に対抗しようと「(右打者は)ボールの右斜め上をたたけ」のアイデアがあった。打撃投手を務め、打球を胸や肩に受けながら、一方では特性バットでノックを浴びせた。
「情熱を持ってやるのは当たり前。チームのため、選手のために命を懸けて取り組まないと」。法大時代の教え子が競技者表彰の候補に名を連ねた山本、田淵らであり、ロス五輪のメンバーには広沢、伊東昭、正田らがいた。監督を退いた後も現場にこだわる。JOCでは「水戸黄門」と呼ばれる。今もアマ野球をほっておけない。「東京6大学が低迷しているのが、気掛かりでならない。一、三塁にファウルが多いのは押されているんです。今のレベルなら斉藤君(早実)は山中の通算48勝に挑戦できる」と話した。その山中正竹氏(横浜専務)は「指導者の指導者」と評した。
松永氏は殿堂入りについては「無縁だと思っていたから正直驚いた。これが今後の指導者の励みになればいい」と話した。その一方で「(島巡りして野球を教える)村田兆治君がうらやましい」。野球への愛着はとどまるところを知らないようだ。
競技者表彰の得票数 | |
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氏名 | 得票 |
梶本隆夫 | 261 |
権藤博 | 220 |
星野仙一 | 195 |
外木場義郎 | 182 |
大沢啓二 | 197 |
山本浩二 | 179 |
田淵幸一 | 136 |
堀内恒夫 | 133 |
村上雅則 | 119 |
東尾修 | 81 |
[注]有効投票数305、当選必要数229。
野球殿堂入り | ||
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年度 | 氏名 | プロフィル |
59 | 正力松太郎 | 日米野球成功させ巨人創設 |
平岡熈 | 日本初の野球チームを創設 | |
青井鉞男 | 一高投手で野球規則を邦訳 | |
安部磯雄 | 学生野球の父 | |
橋戸信 | 都市対抗野球生みの親 | |
押川清 | 「日本運動協会」創設 | |
久慈次郎 | 函館オーシャンの名捕手 | |
沢村栄治 | 若くしてこの世を去った右腕 | |
小野三千麿 | 慶大投手で大リーグに快投 | |
60 | ※スタルヒン | 初の300勝投手 |
飛田忠順 | 早大の名捕手で監督も | |
河野安通志 | 初の球団創立に尽力 | |
桜井弥一郎 | 第1回の早慶戦で勝利投手 | |
62 | ※池田豊 | 学生・プロ球界の名審判 |
市岡忠男 | 職業野球連盟初代理事長 | |
63 | ※中島治康 | 日本球界初の3冠王 |
64 | ※若林忠志 | 七色の変化球を持つ好投手 |
宮原清 | 社会人野球協会初代会長 | |
65 | ※川上哲治 | 打撃の神様、V9巨人監督 |
※鶴岡一人 | 南海時代を築いた名監督 | |
井上登 | 第2代コミッショナー | |
宮武三郎 | 慶大投手で阪急初代主将 | |
景浦将 | タイガースの4番兼投手 | |
66 | 守山恒太郎 | 一高時代の名投手 |
67 | 腰本寿 | 慶大黄金時代の名監督 |
68 | 鈴木惣太郎 | 草創期に日米交流に尽力 |
田辺宗英 | 後楽園スタヂアム第4代社長 | |
小林一三 | 阪急球団結成 | |
69 | ※苅田久徳 | 一世を風靡した二塁手 |
三宅大輔 | 巨人、阪急初代監督 | |
田部武雄 | 巨人結成時の二塁手 | |
森岡二朗 | 日本野球連盟の初代会長 | |
島田善介 | 慶大・三田倶楽部の名捕手 | |
有馬頼寧 | 東京セネタース結成に尽力 | |
70 | ※天知俊一 | 中日監督時代に日本一 |
※二出川延明 | パ・リーグの初代審判部長 | |
田村駒治郎 | 松竹ロビンスのオーナー | |
直木松太郎 | 規則を本格的に翻訳出版 | |
中馬庚 | ベースボールを野球と訳す | |
71 | 小西得郎 | 独特の話法で野球アピール |
水野利八 | 野球用具の改良に尽力 | |
72 | ※石本秀一 | 広島の初代監督 |
中野武二 | 審判の権威、信頼を確立 | |
太田茂 | スポーツ記者の草分け | |
73 | 内海弘蔵 | 明大野球部を創設 |
天野貞祐 | 学生野球協会の第2代会長 | |
広瀬謙三 | 記録の第一人者 | |
74 | ※藤村富美男 | 初代ミスタータイガース |
※藤本定義 | 5球団率いた名監督 | |
野田誠三 | 甲子園の設計工事責任者 | |
76 | ※中上英雄 | 日本の完全試合第1号 |
小泉信三 | 学徒出陣壮行早慶戦 | |
77 | ※水原茂 | 巨人黄金時代の名監督 |
※西沢道夫 | 投打に活躍した中日強打者 | |
森茂雄 | 早大監督からプロの監督も | |
西村幸生 | 戦前のタイガース投手 | |
78 | ※松木謙治郎 | 初代タイガース主将 |
※浜崎真二 | 48歳で投げた小さな大投手 | |
伊丹安広 | 早大の名捕手 | |
吉原正喜 | 巨人黄金期の名捕手 | |
岡田源三郎 | 明大の万能選手 | |
79 | ※別所毅彦 | 通算310勝の巨人エース |
平沼亮三 | 東京6大学野球第2代会長 | |
谷口五郎 | 大正時代の早大投手 | |
80 | ※大下弘 | 「青バット」の天才打者 |
※小鶴誠 | 1シーズン51本の本塁打王 | |
千葉茂 | 猛牛の異名持つ名二塁手 | |
81 | ※飯田徳治 | 1246試合連続出場 |
※岩本義行 | 1試合4ホーマーの神主打法 | |
佐伯達夫 | 第3代日本高野連会長 | |
小川正太郎 | 社会人野球協会結成に尽力 | |
82 | 鈴木龍二 | セ会長として発展に貢献 |
外岡茂十郎 | 学生野球憲章制定に尽力 | |
83 | ※三原脩 | 「魔術師」と呼ばれた知将 |
内村祐之 | 第3代コミッショナー | |
84 | 桐原真二 | 早慶戦復活に尽力 |
85 | ※杉下茂 | フォークボールの神様 |
※白石勝巳 | 巨人の名遊撃手 | |
※荒巻淳 | パの100勝投手第1号 | |
田中勝雄 | 早大時代3度の首位打者 | |
山内以九士 | 規則・記録の研究で貢献 | |
86 | 中河美芳 | 華麗な一塁の守備で魅了 |
松方正雄 | タイガース初代会長 | |
87 | 藤田信男 | 法大初優勝の名監督 |
山下実 | 慶大時代を築いた強打者 | |
88 | ※長嶋茂雄 | 背番号3、ミスタープロ野球 |
※別当薫 | 強打者で監督も歴任 | |
※西本幸雄 | 8度パ優勝に輝く名将 | |
※金田正一 | 通算400勝、4490奪三振 | |
横沢三郎 | プロ野球草創期の名審判 | |
芥田武夫 | 早大の名外野手 | |
永田雅一 | 大毎の名物オーナー | |
89 | ※島秀之助 | 初代のセ審判部長 |
※野村克也 | 捕手で3冠王 | |
※野口二郎 | 延長28回投げた鉄腕 | |
池田恒雄 | 球界に貢献大の出版人 | |
伊達正男 | 捕手から鉄腕投手に変身 | |
90 | ※真田重蔵 | 速球とドロップの好投手 |
※張本勲 | 3085安打の安打製造機 | |
佐伯勇 | 近鉄球団オーナー | |
91 | ※牧野茂 | V9導いた参謀コーチ |
※筒井修 | 3000試合出場の名審判 | |
※島岡吉郎 | 明大率いた御大監督 | |
中沢良夫 | 春夏甲子園の基盤をつくる | |
92 | ※広岡達朗 | セ・パで日本一監督に輝く |
※坪内道則 | 1000試合、1000安打第1号 | |
※吉田義男 | 牛若丸と呼ばれた名遊撃手 | |
吉田正男 | 中京商夏の甲子園3連覇 | |
93 | ※稲尾和久 | 西鉄時代築いた鉄腕投手 |
※村山実 | 2代目ミスタータイガース | |
94 | ※王貞治 | 868本世界のホームラン王 |
※与那嶺要 | 走攻守揃った日系2世 | |
広岡知男 | 野球の五輪参加に貢献 | |
95 | ※杉浦忠 | 日本シリーズ4戦全勝 |
※石井藤吉郎 | アマ強打者は全日本監督も | |
呉昌征 | 「人間機関車」は快足強肩 | |
村上実 | プロ草創期の阪急代表 | |
96 | ※藤田元司 | 巨人のエーズから名監督へ |
※衣笠祥雄 | 2215試合連続出場の鉄人 | |
牧野直隆 | 第4代日本高野連会長 | |
保坂誠 | 初の屋根付き球場建設 | |
97 | ※大杉勝男 | セ・パ1000本安打1000試合 |
山本英一郎 | キューバなどの交流に貢献 | |
98 | 井口新次郎 | 和歌山中、早大の名選手 |
中尾碩志 | 通算209勝の巧投手 | |
99 | ※中西太 | 怪童と呼ばれた強打者 |
※広瀬叔功 | 盗塁王の名外野手 | |
※古葉竹識 | 赤ヘル時代を築いた名監督 | |
※近藤貞雄 | 投手分業制のアイデア監督 | |
吉国一郎 | 第9代プロ野球コミッショナー | |
00 | ※米田哲也 | 通算350勝でタフネス右腕 |
福島慎太郎 | パ会長で人気回復に尽力 | |
01 | ※根本陸夫 | 西武黄金時代の基礎築く |
※小山正明 | 抜群の制球力で320勝 | |
武田孟 | 日米大学野球開催に尽力 | |
長谷川良平 | 広島支えた小さな大投手 | |
02 | ※山内一弘 | シュート打ちで2271安打 |
※鈴木啓示 | 「草魂」モットーに317勝 | |
※福本豊 | 俊足自慢は通算1065盗塁 | |
※田宮謙次郎 | 打者に転向し首位打者獲得 | |
中沢不二雄 | パ連盟初代会長は名解説も | |
生原昭宏 | 日米球界の懸け橋役果たす | |
正岡子規 | 野球文化の普及に貢献大 | |
オドール | 日米野球で親善に尽力 | |
03 | ※上田利治 | 通算1322勝の闘将監督 |
※関根潤三 | 投手・野手で球宴出場 | |
松田耕平 | 赤ヘル時代を築いたオーナー | |
ウィルソン | 野球を最初に伝えた米教師 | |
鈴鹿栄 | 少年用軟式ボールを考案 | |
04 | ※仰木彬 | イチロー発掘の人気監督 |
秋山登 | タフネス下手投げ193勝 | |
05 | ※村田兆治 | マサカリ投法で215勝 |
※森祇晶 | 日本一6度の名将 | |
志村正順 | スポーツの語り部アナ | |
06 | ※門田博光 | 44歳で44本塁打を打つ |
※高木守道 | 走攻守そろった名二塁手 | |
※山田久志 | 通算284勝のサブマリン投手 | |
川島広守 | プロアマ雪解け導く | |
豊田泰光 | 西鉄黄金時代の遊撃手 | |
07 | ※梶本隆夫 | プロ野球記録の9連続奪三振 |
松永怜一 | ロサンゼルス五輪金メダル監督 |
[注]※は競技者表彰委員会選出
梶本氏のように他界してからの殿堂入りでは遅いという声もあって、来年から表彰規定が変わりそう。野球体育博物館では現在、改正案を検討している。現行規定では、現役を退いても指導者になれば候補になれない。監督、コーチ、審判員も現役と見なしているからだ。
そこで競技者表彰を選手と、指導者の2部門に分ける。現役引退後5年を経過すれば、指導者であっても選手部門の候補者とする。そうすれば、殿堂入りの時期が早くなるし、選手と指導者の評価が混在することもない。現状でいえば落合、原、岡田監督らも候補者になれる。6月の理事会で正式決定する予定だ。