わたしはかもめ2007年鴎の便り(1月)

便

1月27日

シェフ帯同で豪

バレンタイン監督、選手、スタッフが28日、成田空港からチャーター便でキャンプ地オーストラリアへ出発する。昨年は食事面で選手から大ブーイングが出たため、今年は日本人シェフ3人が帯同し、味付けもリクエストに応える万全の態勢。貴重なエネルギー源となる米も、昨年は現地で調達したものが不評だった。今年は全て日本米を使用しようと、約10俵(約600キロ)を持ち込み、食事面の改善からV奪回へのベースづくりを行う。

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大嶺に実戦教育施す[スポニチ]

高校生ドラフトでロッテ1巡目の大嶺(八重山商工)に実戦での英才教育が施される。荷物出しのため千葉マリンを訪れたバレンタイン監督が「大嶺は(紅白戦、オープン戦で)登板のチャンスはある。成長するところを見たいからね」と実戦を通しての成長に期待を寄せた。大嶺はキャンプ2軍スタートで、2月16日開始の鹿児島2次キャンプから1軍に合流予定。指揮官はそれまでの調整ぶりを見極め、黄金ルーキーに場数を踏ませるつもりだ。

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ロッテファン、応援今季も熱く…名物団長の遺影持参[河北新報]

プロ野球、千葉ロッテマリーンズの元東北地区応援団長で、仙台市若林区の無職笠松将成さんが昨年11月、65歳で死去した。ロッテが仙台を本拠地にした1974年から一筋に応援。地元球団が東北楽天ゴールデンイーグルスになっても心変わりしなかった。仙台市などのファンでつくる「仙台ロッテ会」は笠松さんをしのび、4月に本拠地の千葉マリンスタジアム(千葉市)で行われる開幕戦の観戦ツアーに遺影を持参し、故人と共に声援を送る。

オープニングゲームは北海道日本ハムファイターズ戦で、観戦ツアーには仙台ロッテ会のメンバーら約50人が参加する。笠松さんの写真のほか、笠松さんが応援で使った太鼓を持って行き、観戦を通じて故人への弔意を表す。

笠松さんは肺気胸とがんで亡くなった。楽天の本拠地、フルキャストスタジアム宮城(宮城野区)で昨年10月にあった楽天対ロッテの公式戦最終試合を観戦した直後に罹患が判明し、帰らぬ人となった。

笠松さんはロッテの初代の東北地区応援団長で当時の県営宮城球場の試合では毎回、スタンドで応援の指揮を執った。ロッテが仙台を離れた78年以降も、移転先の川崎球場(川崎市)などに足しげく通ったという。

楽天が仙台の球団として誕生したことも、笠松さんにとっては「地元でロッテの試合を生観戦する機会が増えた」という視点での関心事だった。フルスタ宮城のゲームではいつも敵地側の内野席に陣取った。

ピンクの運動着姿がトレードマークで、観客席ではよく、若いファンから記念撮影を求められた。球団からも一目置かれ、2005年にロッテが日本一になった時は、千葉市であった優勝パレードに応援団の1人として列に加わっている。

仙台ロッテ会会長の太白区、会社員坂本正志さん(43)は「笠松さんは仙台のロッテファンにとって父のような存在で、観客の喜ぶ顔が何より好きな人だった。故人の遺志を継ぎ、観戦ツアーでは精一杯応援したい」と話している。

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名古屋初V!杉下監督生涯初舞い…マスターズリーグ[報知]

名古屋80デイザーズが福岡ドンタクズを5−2で下し、6勝2敗で悲願の初Vを飾った。初回、4番・彦野利勝(42)=元中日=の左中間への2点二塁打などで3点を先制、7投手の継投で逃げ切った。リーグ創設6年目での頂点で、2万3000人のファンが見守る中、杉下茂監督(81)が5度、宙に舞った。これでマスターズリーグは今季の全日程を終了。2位以下は札幌(5勝3敗)、大阪(4勝4敗)、福岡(3勝4敗1分け)、東京(1勝6敗1分け)。

就任1年目での栄冠に杉下監督が感無量だ。胴上げで5度、宙を舞うと「この年で初めての胴上げなんです。いいもんですね」としみじみ。「和気あいあい、元気はつらつ」を合言葉に全員野球を掲げ、首位打者(4割7分6厘)の彦野、最多勝(3勝)の小野、最優秀防御率(0.00)の与田(いずれも元中日)と3人のタイトルホルダーを生んだ。「幸せ者ですねえ、私は」と笑顔が絶えなかった。

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名古屋が初優勝!マスターズリーグ[サンスポ]

マスターズリーグ(27日)首位の名古屋が5−2で福岡に勝ち、6勝2敗で初優勝を決めた。2位以下は札幌5勝3敗、大阪4勝4敗、福岡3勝4敗1分け、東京1勝6敗1分け。

◇マスターズリーグ勝敗表

順位チーム試合勝数負数引分勝率
1名古屋8620.750
2札幌8530.625
3大阪8440.500
4福岡8341.429
5東京8161.143

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5日断食し新たな発見[朝日新聞・千葉]

07年1月1日。渡辺俊介投手(30)はスタジアムすぐ近くの幕張浜にいた。静かに立ち尽くす、その視線の向こうには水平線が広がっている。そして海の向こうに、かすかに富士の山が見えた。「数字の目標は立てない。ただ、精一杯やるだけ。去年はファンの期待を大きく裏切ってしまった。今年はいい年越しを迎えられるように頑張るよ」。

06年は彼にとって悔しい1年となった。23試合に先発して5勝11敗。優勝した05年に15勝を挙げたことを考えれば、天と地ほどの差がある成績だった。「何ともいえないわだかまり。モヤモヤしたシーズンだった。自分の何かを変えたい。そう思った」。

10月1日にシーズンが終わるや渡辺俊は同じく不振に終わった久保康友投手(26)を連れて山形へと向かう。そこで挑戦したのが断食だった。5日間で口にしたのはおかゆや野菜ジュース程度。後はお風呂に入ったり、散歩をしたり、本を読んだりと穏やかな時間を過ごした。断食期間の5日が終わった時、渡辺俊は体中から今まで感じたことがないエネルギーがわき上がってくるのを感じた。「食事を取っていないために余分なエネルギーがなく、指先にいたるまでの体全体が敏感になった。集中力が異常に高まった。野性の本能みたいなものを感じた」。

その感覚でボールを握ると、同じボールのはずが不思議と断食前とは大きな違いを感じた。キャッチボールをすると、さらに大きな発見があった。バランス感覚の新たな発見。「企業秘密だよ」と本人は多くを語ろうとはしないが、その時につかんだ感覚が今季の自信のキッカケとなっている。もちろん、それだけではない。精神面でも大きな発見のある修行となった。

「心を広くするということを悟ったと思う。試合に負けた事でクヨクヨしたり、何かのミスでイライラしたり、野球の中のピンチで苦しくなったり。全て小さい事だなあと思えた。何か答えが出た感じがする。食事と精神面は関係がある。それがよく分かった」。断食という状況を自分自身で作り上げることで、渡辺俊は自分を見つめ直し、新たな発見をした。追い詰められていたからこその挑戦だったが、それが吉と出たようだ。

「もし去年も良い成績だったら、断食なんてしなかったと思う。つまり、新たな発見はなかった。成績が悪かったことが、結果的にボクの人生にとっては良かった。そういえるような年に、今年はしたい」。渡辺俊、そして千葉ロッテマリーンズの新しい1年が始まる。汚名返上、そしてV奪還へ。

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