わたしはかもめ2007年鴎の便り(6月)

便

6月29日

福岡ソフトバンク1x−0千葉ロッテ(ヤフードーム)

ソフトバンクが今季6度目の3連勝でリーグ40勝1番乗り、首位ロッテと0.5ゲーム差とした。ソフトバンクは9回裏2死から、柴原が3月29日楽天戦以来の今季2本目、自身3本目となるサヨナラ6号ソロを放ち今季3度目のサヨナラ勝ち。先発・杉内は被安打5、四球1、奪三振9で今季3度目、自身7度目の完封で10勝目、防御率も1.77で共にリーグトップ。2年ぶり3度目の2ケタ勝利でロッテ戦5連勝。ホークスのサヨナラ本塁打による1−0の勝利は南海時代73年6月7日・太平洋戦以来34年ぶり。ロッテは今季初のサヨナラ負け。

123456789R
千葉ロッテ0000000000
福岡ソフトバンク000000001x1x
里崎
「(サヨナラ本塁打を浴びたのは)スーパー(思いっきり)逆球。」
西岡
「(試合中に)修正して、1本出たのは、明日につながる。」(首痛から復帰し、第4打席に左前打)
井上投手コーチ
「一時期の悪い状態は脱した。もう心配ない。」(渡辺俊に)

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ボビー「運がない」、俊介痛恨の逆球

渡辺俊が一発に泣いた。0−0で迎えた9回裏2死走者なし。生命線のスローカーブが真ん中に入った。「スーパー逆球」(里崎)という失投を柴原に右翼ポールに運ばれサヨナラ負け。「長打はないと思っていたんですが、甘かったです」と悔やんだ。バレンタイン監督は「あれだけ素晴らしいピッチングをしながら勝てないのは運がない」。それでもここ2試合は交流戦の11日中日戦で今季最短の3回6失点KO。20日巨人戦は5回途中4失点降板と不調だっただけに、復調の兆しとなる力投だった。

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渡辺俊あ然痛恨の一球[報知]

目を疑った。あ然とした表情で立ち尽くす渡辺俊。切れるかのように見えた柴原の打球は、右翼ポール直撃のサヨナラ弾となった。「長打は正直、考えてなかった。フライだったら大丈夫だと思ってた。甘かったです」9回2死まで無失点に抑えながら、まさかの111球目。内角への逆球のカーブが命取りになった。

相手エース・杉内と最高の投げ合いを演じた。走者を背負っても連打を許さず、0−0のまま8回までわずか1四球の6安打無失点。最後まで打線の援護に恵まれなかったが「遅い球も抜けていたし、速い球も切れてた」と、自身の復調に手応えを感じた様子だ。

1ヶ月近く白星に遠ざかっている右腕。それでもバレンタイン監督は「あれだけ素晴らしい投球をしていながら、(打線が)打てないのは運がない感じだ」とかばった。

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“王者の投球”にわずかな油断…ロッテ・渡辺俊が1球に泣く[サンスポ]

9回2死まで快投を見せていた渡辺俊が、1球に泣いた。111球目に投じたカーブは右翼ポールを直撃した。「長打(を打たれると)は考えていなかった。フライなら大丈夫と。甘かったです」。顔も真っ赤。悔しさが体中にあふれていた。バレンタイン監督も「王者のような投球だったのに」とため息を漏らした。

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「長打ないはず」渡辺俊痛恨1球[スポニチ]

ロッテの渡辺俊が9回に柴原に6号ソロを被弾し、チームは今季初のサヨナラ負けを喫した。柴原には互いに無得点で迎えた7回に左翼線二塁打を許しており、9回2死の場面では「長打はないと思っていた」と投げた外角へのカーブが中に入って痛恨の一発を浴びた。6月11日の中日戦(ナゴヤドーム)以来3試合連続でドーム球場での勝ち星はなし。30日にも敗れると3位転落の危機だが、バレンタイン監督は「この敗戦を引きずることはない」と前を向いた。

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ロッテ・渡辺俊1球に泣く[報知]

ロッテ・渡辺俊が1球に泣いた。0−0の9回2死、柴原に右翼ポール直撃のサヨナラ本塁打を浴びた。111球目のカーブが、高めへ甘く入った。柴原の打球は無情にも右翼ポールに当たった。「長打は考えてなかった。甘かった」とマウンド上でぼう然と立ち尽くしたサブマリン。「あれだけ素晴らしい投球をしながら、勝てなかったのは、運がない」と、バレンタイン監督はかばった。

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オリ、吉井をロッテに放出…粛清トレードで改革の愚[夕刊フジ]

◇不満分子一掃の思惑

オリックスが30日の期限を目前に駆け込みトレードを敢行。26日の萩原、歌藤両投手の放出に続いて、29日に吉井理人投手(42)とロッテ・平下晃司外野手(29)との交換を発表。不満分子一掃の思惑がありそうだ。

話題の少ない球団だけに、ネームバリューのある吉井は認められてきた。が、1勝6敗の不振を理由に今月2日、1軍登録を抹消され逆ギレ。「先発でない限り意味がない。スターターとして使ってもらえないならトレードに出して欲しい」と言い放ったのだ。

吉井にも言い分があった。「中継ぎで10球投げようが、先発で100球投げようが疲労度は同じ。それが年齢というもの。この感覚は経験した者でないと分からない。だから毎試合スタンバイしなければならない中継ぎより5、6日の間隔がある先発と主張した」。

だが先日、日本ハムへ放出された萩原、歌藤にしても今季は1軍登録ナシ。今回の3選手は起用法にクレームをつけたのが発端だ。口封じまがいのトレードでチームが改革できる訳がない。

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サブロー外野手[朝日新聞・千葉]

27日、交流戦の表彰選手が発表された。最優秀選手賞は日本ハムのライアン・グリン投手。そして、活躍が目立った選手に贈る日本生命賞には、千葉ロッテマリーンズからサブロー外野手(31)が選ばれた。交流戦24試合で打率3割4分7厘。打点は23で交流戦期間での数字としては12球団トップだった。また、9打数連続安打の球団記録を更新するなど明るい話題を提供したことが評価されての受賞となった。

サブローには、真っ先に報告したい人物が2人いた。1人は「東京の親父」と慕っていた。そして、もう1人は「師匠」と呼んでいた。残念ながら2人とも、すでにこの世にはいない。だから、心の中で報告した。

「いつも見守ってくれている気がする。そう思うと気が楽になる」。2人の話題になると今もサブローの声は震える。「東京の親父」と慕っていた人物は都内でチャンコ店を営んでいた。岡山から知り合いもなく上京したサブローを、自分の子供のように可愛がってくれた。当時は食べたい盛りだが、そんなにお金を持っていない。「出世払いでいいよ」と笑顔を見せ、腹いっぱいになるまで食べさせてくれた。なにか悩みがあると真摯に聞いてくれた。知り合いの少ない関東での生活は心細いことが多かっただけに、今も感謝の気持ちを忘れない。ちなみにサブローが美智代夫人と出会ったのも、このお店だった。

開幕当初、打撃不振で悩んでいた時、そのチャンコ店の奥さんが試合観戦に訪れた。そして、元気のないサブローに「大丈夫。お父さんが見てくれているから」と声をかた。そのなにげない一言が大きな勇気となった。その後の活躍は偶然ではなく、「東京の親父が見守ってくれているから」と感謝している。

もう1人、サブローを見守ってくれている人物がいる。師匠と呼ぶ高畠導宏氏。01年から02年にかけて千葉ロッテマリーンズのコーチを務めた。退団後、福岡で高校の教員を務め、04年7月1日、60歳で永眠した。出会った頃のサブローは打てないと人一倍落ち込むタイプの選手だった。そんな若者の胸をたたきながら高畠コーチは言った。「そんなこと気にするな。打てないことに文句を言うヤツに、『じゃあ、オマエが打ってみろ』と言うぐらいの気持ちでいろ!」。コーチからのその一言で、不思議と気持ちが楽になったのを覚えている。

今も苦しんでいる時には、必ず当時書き留めたノートを見直す。それはもうボロボロになっている。サブローはこのノートと向き合うことで亡き師匠と会話をする。

「どうしてもアカンと思った時は当時のメモを見直す。もちろん、そのほとんどは体に染み込んでいるけど、見直したくなる時がある」。遠征用バッグには、師匠の笑っている写真が張られたストラップがずっと付いている。「忘れたらアカンという思い」からとサブローは言う。今でも、どんな時も見守ってくれている。時に弱気になると「大丈夫や」と声をかけてくれるような気がする。今年も、すでに何度も励まされた。

そんな2人の故人への感謝の気持ちを忘れることなく、バットに込め、サブローは千葉ロッテの4番として、07年の交流戦で立派な数字を残した。シーズンは佳境に突入する。見えない力に後押しされ、励まされ、サブローがチームを引っ張る。

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