わたしはかもめ2009年鴎の便り(9月)

便

9月18日

東北楽天9−5千葉ロッテ(Kスタ宮城)

楽天が今季4度目の2ケタ得点で、ロッテ戦球団初の6連勝、貯金を6とし2位ソフトバンクとは3差に縮め、4位西武との差は3と変わらず。楽天は同点の3回先頭・山崎武の36号ソロ、走者を置いてリンデンの9号2ランで3点を勝ち越し。4回以降も着実に加点しリードを広げた。先発・田中は9安打4失点ながら打線の援護で14勝目。今季両リーグを通じ初の本拠地球場10勝目、Kスタでチーム初のシーズン10勝目。ロッテは先発・清水が2本塁打含む9安打6失点で4回持たず7敗目、楽天戦の連勝は5でストップ。チームはKスタで5連敗。

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千葉ロッテ0020002105
東北楽天02311200x9
バレンタイン監督
「清水は見ての通り。制球がよくなく、痛打を浴びていた。」

◇ロッテ・井口、左手首打撲で2試合連続欠場

ロッテの井口資仁内野手(34)が左手首打撲のため、楽天20回戦(Kスタ宮城)を欠場した。16日の試合で左手首に死球を受けた影響で、前日17日に続き2戦連続欠場となった。

◇ロッテ始球式にジャニーズJr.の森本慎太郎

ロッテは26日のオリックス23回戦(千葉マリン)で、ジャニーズJr.の森本慎太郎(12)が始球式を行うと発表した。また、同日は兄でHey!Say!JUMPのメンバー、森本龍太郎(14)も来場する。

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ロッテ、先発の柱で負け越し決定[スポニチ]

開幕前には実績でも年俸でも先発陣の柱と期待された清水の乱調で、ロッテの今季負け越しが決まった。立ち上がりから不安定だった。淡泊に失点を重ね、一向に立ち直る兆しもなかった。4回途中まで毎回の9安打を浴び、早々と降板して6失点。チームを勢いに乗せられない黒星を繰り返した今季を象徴する内容に「何もできないまま、終わってしまった。それが情けない」と自嘲気味に言った。

バレンタイン監督
「これが今季のチームの姿。しっかりと勝ち越すプレーができなかった。」(日本での監督生活7年目で、2度目のシーズン負け越し)

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3年ぶり負け越し決定…ロッテ[報知]

ロッテは3年ぶりのシーズン負け越しが決まった。先発の清水が4回途中6失点。救援陣も打ち込まれ、打線も田中から4点を奪うのが精いっぱい。今季を象徴する試合運びにバレンタイン監督は「この状況がこれまでプレーしてきた姿」とぶ然。対楽天戦はワーストの6連敗。

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清水崩れた…ロッテ 3年ぶりの負け越し[スポニチ]

ロッテは今季71敗目を喫し、3年ぶりのシーズン負け越しが決まった。またも序盤に崩れた先発・清水は「何とかせなあかんのやけど…。何もできないまま終わってしまった。情けない…」。同点となった直後の3回、山崎武、リンデンに痛恨の被弾。今季は計73失点のうち5割以上を1〜3回に奪われており、立ち上がりの悪さは解消されないまま。バレンタイン監督も「見てもらった通り。制球が悪く、そして痛打を浴びた」と厳しい表情だった。

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楽天に6連敗で負け越し決定[ニッカン]

ロッテが楽天に6連敗を喫し、今シーズン負け越しが決まった。バレンタイン監督は「この状況がここまでの戦いの姿。勝ち越せるだけのプレーをすべきところをできていなかった」と淡々と振り返った。投打がかみ合わずに開幕から低迷。9月に入ってようやく状態が上向いてきたが、時すでに遅しだった。この日も苦手の田中から4点を奪うなど見せ場をつくったが、あと一歩及ばなかった。

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ロッテ清水「情けない」6失点KO[ニッカン]

ロッテのエース清水直行投手(33)が3回1/3の6失点KOで7敗目を喫した。1回から制球が甘く2本塁打を含む9安打とことごとく打ち返された。「何とかしないといけないのに、何もできないまま終わってしまった。それが情けないです」とぶ然。3回に味方が同点に追いついた直後に2本塁打を浴びる展開に「まだまだやねえ」と反省の弁が口をついた。

早川
「体に切れが出てきたし、打席で力を抜けるようになってきた。次につなげていきたい。」(田中から適時二塁打を含む2試合連続マルチ安打)

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西本聖氏がロッテ1軍投手コーチ…来季布陣固まる[報知]

ロッテの来季首脳陣の布陣が固まった。監督には西村徳文ヘッドコーチ(49)が2年契約で昇格することが決定。目玉人事では、1軍投手コーチとして巨人、中日などで165勝を挙げた西本聖氏(53)=野球評論家=の招聘に動くことがスポーツ報知の取材で分かった。野球に対する真摯な姿勢と、2003年には阪神1軍投手コーチとして投手陣を整備、チームをリーグ優勝に導いた手腕を評価。チーム防御率4点台の投手陣立て直しを託す。

来季のロッテ首脳陣の骨格が固まった。バレンタイン監督の後任には、西村ヘッドの内部昇格が決定。球団は監督と同時進行でコーチ人事にも着手し、幅広く人選を進めてきたが、複数の関係者の話を総合すると、この日までに西本氏の投手コーチ招聘で固まった。

チームはこの日、Kスタでの楽天戦を落としてシーズン負け越しが決定。不振の原因は防御率4点台と低迷した投手陣の不調だ。小林宏、渡辺俊ら先発投手が思うように勝ち星を伸ばせず、リリーフ陣も機能しなかった。「投手コーチは最重要ポイントと考えて、それなりに力を入れている」と球団関係者。球団では複数の候補者から絞り込み作業を行った中で、03年にリーグ優勝した阪神でコーチを務めた西本氏の名前が挙がっていった。

西本氏はドラフト外で巨人に入団したが、その反骨心を糧に成長。同僚・江川卓をライバル視し、江川に負けないことを念頭にマウンドに立った。打者の懐をえぐるシュートを武器にして通算165勝をマーク。また、電車に乗る時、つま先立ちをして筋力を鍛えるなど、すさまじい練習量で一線級の投手になった。バレンタイン政権下ではキャンプ中、1日60球前後と投手の投球数が限られ、チーム内に練習不足を指摘する声もあっただけに、西本氏の就任は適任といえる。

チームは来季に向け、ロッテ一筋28年の西村ヘッド、卓越した投手理論を持つ江川卓氏(54)を軸に監督人事を進めていた。バレンタイン政権からのスムーズなチーム再建を見据え、チーム事情に精通した西村ヘッドが適任と最終的に判断。打撃コーチには現役時代、しぶとい打撃が売りだった金森栄治氏(52)=現BCリーグ・石川監督=の招聘が有力となった。

石川晃副代表(48)はこの日、「まだまだこれから。今はまだ何も言えない」と話すにとどめたが、今後は条件などの細部を詰め、チームの全日程終了後に正式発表する見込みだ。

西本聖(にしもと・たかし)
1956年6月27日、愛媛・松山市生まれ。53歳。75年に松山商高からドラフト外で巨人入り。江川卓と共に80年代のG投手陣を支え、89年から中日、93年はオリックスでプレー。94年、古巣・巨人に戻り、この年限りで引退した。評論家を経て03年には阪神1軍投手コーチ。現役通算成績は165勝128敗17セーブ。防御率3.20。沢村賞(81年)、最多勝(89年)、ゴールデングラブ賞(79〜85、89年)のタイトルを獲得。
西村徳文(にしむら・のりふみ)
1960年1月9日、宮崎・串間市生まれ。49歳。宮崎・福島高−鹿児島鉄道管理局を経て、81年のドラフト5位でロッテ入り。俊足巧打の野手として頭角を現し、86年から4年連続で盗塁王を獲得。90年には打率.338で首位打者となった。97年のシーズンを最後にユニホームを脱ぎ、コーチに就任。現在はヘッド兼外野守備走塁兼三塁ベースコーチを務めている。

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[マリーンの風]長いトンネル抜けて成長[朝日新聞]

5月19日以来、実に116日ぶりの勝利に唐川侑己投手(20)は、ちょっと照れくさそうな笑顔を見せた。そして熱い声援を送ってくれたスタンドに向かって両手を上げて応える。右手にはしっかりとウイニングボールが握られていた。12日の日本ハム戦。これが20歳になっての初勝利。プロ通算10勝目(今季5勝目)であった。

「正直、ここまで勝てなくなるとは思っていなかった」。そう振り返るほど、長くつらい日々だった。

トンネルは突然やってきた。5月19日の横浜戦を被安打5、1失点で2試合連続の完投勝利。10三振を奪い2試合連続の2ケタ奪三振。自身プロ2度目の無四死球完投勝利で、2年目で交流戦初勝利。誰もがこの勝利をきっかけにさらなる飛躍を期待した。しかし、野球にはピンチの後にチャンスがあり、チャンスの後にピンチがある。唐川はその後4ヶ月もの間、勝つことはなかった。

「先制点を取られることが多かったりと、ちょっとバタバタした投球。流れがなかなかこちらに来ないような投球をしてしまった。中継ぎの投手の方にも悪い流れを作って交代した試合も多かった。ただ運が悪かったからではなくて、反省すべき点はある」。

勝てそうで勝てない試合が続いた。8月16日の楽天戦は7回まで無失点。打線も6点を援護し、ほぼ勝利を手中に収めたと思った矢先、落とし穴が待っていた。8回に4失点で降板すると、後続が9回に2点を失い同点。延長12回にサヨナラ負けを喫した。8月23日の西武戦では6回終了まで走者を1人も許さないパーフェクト投球。しかし7回に2安打を許し1点を失うと、そのまま敗れた。9月5日のオリックス戦も、1点リードの9回に抑えのシコースキーがソロホームランを許し同点。勝ち星はスルリと逃げてしまった。

「やっと勝てるなあという試合が続いたから結構、落ち込んだこともあった。でも引きずりはしなかった。プロ1年目の昨年も所詮は5勝しかしていないピッチャー。これが今の自分の実力だと思い、次の登板に向けて調整した」。

冷静に自分の現状を見つめ直せるのが唐川の長所である。勝てない期間もビデオで投球を見直すなど反省と研究を重ね、成長をする努力を怠らなかった。

そして小中高校時代の恩師、仲間たちからの激励のメール。遠征先も含めてほぼ全試合を観戦してくれた両親。見守り、応援してくれる人達のために前を向き、マウンドに上がった。

「これから長いことプロで野球をやる中で、今回、勝てなかったことはいいきっかけになると思う。この間に精神的にも技術的にも進歩はあったし、いい経験もできた。勝てはしなかったけど成長はしていると思う。自分の中では内容の濃い期間。苦しいとかつらかったという気持ちはそれほどない」。

20歳の春から夏に味わった勝てない日々。それは将来、懐かしくちょっと淡い思い出として笑って振り返ることができる日が来る。そう唐川は信じている。だからこそ、勝っても泣くことも必要以上に喜ぶこともしない。唐川は前だけを見てまた歩き出した。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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