現役引退を表明したロッテ・堀幸一内野手(41)が3日、千葉マリンで会見し、「全く悔いがないといえば嘘になるが、トライアウトも受けてやることはやった。今はスッキリしている」と心境を語った。
ロッテ一筋で23年間プレーし、オリオンズ時代を知る最後の“川崎戦士”だった。今後については、球団からはフロント入りを打診されており、「残った方が恩返しになるのか、外に出てもう1度野球を勉強するのがいいのか考えたい」と、7日に球団側と会談して答えを出す予定だ。
ロッテの堀幸一内野手(41)が3日、千葉マリンで引退会見を行った。トライアウトを受けるなど現役続行の道を模索していたが、先月30日夜に引退を決断。「まだやれると思っている。ただ、勝負の世界。やることはやって、すっきりしている」と吹っ切れた表情を見せた。
観客がスタンドで流しそうめんをした“伝説”まである川崎球場時代を知るロッテ一筋の23年間だった。「応援ではないことをやってる姿を見ながら野球をしたのは、強烈な印象に残っている」。低迷時代を感慨深げに振り返り、31年ぶりのリーグ優勝、日本一に輝いた05年は「一生忘れない」と悲喜こもごもだった。
球団は今後、フロント入りを打診する方針。「残って球団に恩返しした方がいいのか、外で勉強し直してから恩返しできたら、とも思う。もう1度、ユニホームを着たいというのはある」と将来は指導者の夢を抱いている。
ロッテから戦力外通告を受け、2日に現役引退を発表した「ミスターロッテ」堀幸一内野手(41)が3日、千葉マリンで会見。
合同トライアウトを受けるなど現役続行にこだわっただけに「全く悔いがないと言えばウソになる。自分では今でもまだやれると思っている」と未練も見せつつ「家族のことを考えないと。やるべきことはした。スッキリしている」と心境を語った。
92年に川崎から千葉に本拠地を移転する前のオリオンズ時代から在籍した最後の選手。通算2064試合で1827安打を放った。ロッテ一筋23年間の思い出は「優勝と口にできない弱いチームが、05年に優勝できたのは一生忘れられない」。今後は野球解説者を目指すが、球団からフロント入りを打診される可能性もあり、堀も将来は指導者として再びユニホームを着ることを夢に掲げた。
ロッテの堀幸一内野手(41)が3日、千葉マリンスタジアムで引退記者会見を行い、「全く悔いがないとは言えないが、すべきことはした。すっきりしている」と穏やかな表情で心境を語った。
9月に戦力外通告を受け、合同トライアウトも受けたが移籍先は見つからなかった。「自分ではまだやれると思っている。ただ、勝負の世界。しょうがない」と話した。球団はフロント入りを打診する予定だが、堀は態度を保留した。
1992年に川崎から千葉に本拠地を移転する前のロッテオリオンズ時代から在籍した最後の選手。「優勝と口にできない弱いチームが、2005年に優勝できたのは一生忘れられない」と話した。
堀は長崎・海星高から1988年にドラフト3位で入団。通算2064試合で1827安打を放った。
ロッテ成瀬善久投手(25)が3日、同じ左腕の大先輩である工藤公康投手(47)から激励を受けた。「ミズノアドバイザリープロスタッフ会議」に出席。会場の飲料コーナーで大先輩から「頑張れよ〜。投げる時期が遅れてもいいから、ケガをしない体作りをした方がいいよ」と話かけられた。直接面識はないが、通算224勝の大ベテランからアドバイスを受け「はい、頑張ります」と緊張した表情で答えていた。
ロッテ堀幸一内野手(41)が3日、千葉マリンスタジアムで引退会見を開いた。23年間の現役生活にピリオドを打ち、ユニホームを脱ぐ決断をしたことを報告した。トライアウトでは本塁打を放ってみせるなど、まだできるという自負はあったが「この世界は自分がやれると思ってもやれる訳ではない。やることはやったし、すっきりしてます」と話した。今後については7日に球団と話し合った上で決断する。