わたしはかもめ2011年鴎の便り(1月)

便

1月5日

ロッテ逆輸入学生プロ藤谷、契約金200万[ニッカン]

ロッテのドラフト6位藤谷周平投手(23=南カリフォルニア大)が5日、正式契約を結び、千葉マリンで入団会見を行った。かつてのエース黒木がつけた背番号54を背負う190センチ右腕は、7歳から米国で生活し日本での野球経験はなし。09年にはメジャーからドラフトで指名されたが、辞退。セ、パ両リーグの違いはドラフト指名後に覚えたという変わり種だ。契約金200万円、年俸450万円と大卒クラスの選手としては異例の“格安”契約となった。これで昨秋のドラフトで指名された全68人と各球団の契約が完了した。

これぞ、本物の逆輸入選手!?ロッテとの契約を終えた藤谷が素直に告白をした。「ドラフトで指名されるまで、セ・リーグとパ・リーグもよく分かっていませんでした。(日本の)選手もWBCに出場した選手ぐらいしか分かりませんでしたからね」。それもそのはず。食品会社に勤務する父親の転勤で7歳で渡米した。そのころは「Jリーグが始まった時期」で、サッカーに夢中だった。一時帰国したことは何度かあるが、背番号54を継承することになった黒木の投球も実際見たことはない。

メジャーや独立リーグを経ず、米国の大学から日本球界に入るのは初めて。異色の経歴の持ち主は、しばらくは大学生兼プロという異例の生活を送る。南カリフォルニア大では社会学部で統計学を学ぶ。卒業時期は6月。卒業課題として、担当教授から日本での統計調査を命じられたという。「日本のどこにどれぐらいの外国人が集まって、どんな仕事をしているのか。それを調べます」。休日を利用して関東各地の市役所などに調査に出向くという。石川球団本部長は「全面的にバックアップしていきたい」と、約束した。

経歴は異色だが、素材は折り紙付き。190センチから繰り出す直球は最速96マイル(154キロ)。07年に憧れの野茂英雄氏に会った際に握り方を教わった、落差のあるフォークが決め球で「縦の高低差を生かして勝負するタイプです」。在籍していた北アイオワ大の野球部が解散した09年には、ドラフトでパドレスに指名された。小さな頃から、米国でもまれてハートも強い。「日本の野球の文化に慣れるようにやっていきたい。将来的には3ケタ(100勝)が目標です」。話題先行で終わらせるつもりはない。

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逆輸入・ロッテ藤谷、黒木の「54」継承[サンスポ]

東京生まれで、7歳から渡米した逆輸入右腕のロッテD6位・藤谷(南カリフォルニア大)が5日、契約金200万円、年俸450万円で入団した。今年6月の卒業を目指し統計学の勉強との二刀流が続くが、元エース黒木の背番号「54」を継承。1メートル90の長身から繰り出す最速154キロの直球のほか「憧れの野茂英雄さんに教わったフォーク」を武器に活躍を誓った。

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藤谷、黒木魂継ぐ!背番号54「光栄」[スポニチ]

ロッテのドラフト6位の藤谷周平投手(23=南カリフォルニア大)が5日、千葉マリン内の球団事務所で契約金200万円、年俸450万円で契約した。

背番号はかつてのエース黒木氏が背負った54。大学の試験のため帰国が遅れた右腕は「プロの世界に入れて嬉しい。人気があり、成績も残している方の番号で光栄」と話した。

父の仕事の関係で7歳で渡米後、8歳から野球を始めた。名門・南カリフォルニア大では統計学を専攻。入団後も関東周辺で外国人の居住分布などのフィールドワークを行い6月に卒業を目指す意向で、石川球団運営本部長は「球団としてもバックアップしたい」と文武両道を後押しする。1メートル90の長身右腕は野茂氏から握りを教わったフォークが武器。「日本の野球に慣れて早く勝利に貢献したい」と意気込んだ。

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藤谷、黒木背番54に「光栄」[ニッカン]

ロッテのドラフト6位ルーキー藤谷周平投手(23=南カリフォルニア大)が5日、千葉マリンスタジアムで入団会見を行った。大学の試験の関係で帰国が遅れていたが、会見に先立ち契約金200万円、年俸450万円で正式契約。「やっとプロ野球の世界に入れて、すごく嬉しいです」と話した。背番号「54」はカリスマ的な人気を誇った黒木知宏氏が07年に引退してから空き番となっていた番号だ。「すごく人気があって、すごい成績も残している投手。光栄です」と照れ笑いを浮かべた。

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藤谷と契約「早く勝利に貢献したい」…ロッテ[報知]

ロッテは5日、千葉市内の球団事務所でドラフト6位で指名した南カリフォルニア大の藤谷周平投手(23)=190センチ、77キロ、右投右打=と契約金200万円、年俸450万円で契約した。背番号はかつてのエースだった黒木がつけていた54。

藤谷は7歳から米国で生活。8歳から野球を始めた。セ、パ両リーグの違いも、ドラフト指名後に覚えたという右腕は「日本の野球の文化に慣れるようにやっていきたい。背番号に負けないように活躍して、3桁(通算100勝)勝ちたい」と抱負を話した。

決め球のフォークボールは、2006年に憧れの元大リーガーの野茂英雄氏に会った際に握り方を教わった。「早く勝利に貢献したい」と力強かった。(金額は推定)

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