わたしはかもめ2011年鴎の便り(1月)

便

1月8日

ロッテ逆輸入の藤谷は佑見て日本語勉強[ニッカン]

異色の逆輸入ルーキー、ロッテのドラフト6位藤谷周平投手(23=南カリフォルニア大)が8日、さいたま市の選手寮に入寮し、日本語力のアップを誓った。おもむろにバッグから取り出したのはボールペン字練習帳。7歳から米国生活の藤谷は、日本語を書く機会に乏しかった。「英語はテストがあったので書きましたけど、日本語は…。自分でも下手だと思ったので、昨日から始めました」と、プロ第1歩は、憧れのきれいな字を目指しての始動になった。

元々話の受け答えはしっかりしているが、さらに上を目指す。日本ハム斎藤佑を教材に話し方を学ぶ考えだ。米国での大学4年間は部屋にテレビを置かず、五輪の結果もチリの落盤事故も遅れて知ったほどだが「少しでも彼のインタビューを見て勉強したい。斎藤くんを追いかけるためにもテレビを買わないといけませんね」と決断した。

これまで斎藤との接点は、高校日本代表の米国遠征で試合を見たのと、早大の米国遠征の際に現地での案内役を務めたこと。セ・リーグとパ・リーグもよく分かっていなかったという藤谷も、斎藤のことは夏の甲子園で優勝したころから注目してきたという。今は先生役だが「いつか同じフィールドに立てれば光栄です」と、世代を代表する投手との投げ合いを熱望した。

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藤谷、逆輸入右腕は習字練習帳持参で入寮…ロッテ[報知]

ロッテのドラフト6位新人・藤谷周平投手(23)=南カリフォルニア大=が、プロ生活と並行して習字のトレーニングで達筆になる珍目標を掲げた。7歳から米国で育った異色の経歴の逆輸入右腕で、8日に入寮したさいたま市内の合宿所に習字練習帳を持参。「読むのは大丈夫でも書くのは苦手。もっときれいな字を書きたいと思った」と意外な悩みを打ち明けた。

自室に持ち込んだ私物は野球道具がほとんどで、あえて必須アイテムに選んだのがノートパソコンと習字練習帳だった。父親の仕事の関係で渡米して以来、現地で日本語を書く機会は当然ながら少なく「書いて勉強していたのは、中学時代に通った日本人向けの補習学校以来ですからね」と頭をかいた。野球以外の分野にも努力を惜しまぬ姿勢は、本業にも通じる向上心をのぞかせた。

ファンへのサインは英語の筆記体で書いているというが、「日本人なので日本語のサインを作ろうと思っています」と新バージョンを考案中。日本を舞台に成功するために、“和”の力を磨くことが大切と考えている。

藤谷周平(ふじや・しゅうへい)
1987年8月12日、東京生まれ。23歳。8歳から野球を始める。アーバイン高から北アイオワ大へ進学するが、3年時に野球部が解散。4年から南カリフォルニア大に編入した。190センチ、77キロ。右投右打。家族は両親と姉。

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ロッテ・藤谷、プロ第一歩は“日本語練習帳[スポニチ]

ロッテのドラフト6位・藤谷(南カリフォルニア大)が8日に入寮し、日本語練習帳を持ち込んだ。

1メートル90の大型右腕は父の仕事の関係で7歳から米国で生活。日常会話に問題はないが、日本語を書く機会が少なかったという。「書くのがちょっと苦手。サインも日本語のものを考えたいので」。一方、英語力は一級品。昨春の早大米国キャンプで案内役を務めた縁で知り合った日本ハム・斎藤に向けて「Best of luck to you!And hope to be on the same field someday(頑張ってください。いつか同じフィールドに立てれば光栄です)」とエールを送った。

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