わたしはかもめ2011年鴎の便り(7月)

便

7月28日

埼玉西武0−1千葉ロッテ(西武ドーム)

ロッテは先発の上野が8回無失点で2勝目。2回以外は毎回走者を背負う苦しい投球だったが、要所で粘った。打線は0−0の9回2死無走者からカスティーヨの3号ソロで均衡を破り、連敗を3で止めた。西武の連勝は3でストップ。

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千葉ロッテ0000000011
埼玉西武0000000000

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ロッテ・カスティーヨ9回2死からV弾[ニッカン]

頼れる4番の活躍で、ロッテが後半戦初勝利をつかんだ。0−0で迎えた9回2死、ホセ・カスティーヨ内野手(30)が試合を決めた。高めに抜けたフォークをフルスイング。弾丸ライナーが左翼ポール際に突き刺さった。「最近は変化球ばかりで攻められていた。甘い球がきて良かった。チームの勝利に貢献できて最高だ」。決勝の3号ソロ。9回まで三塁すら踏めなかった苦しい試合を、一振りで決めた。

これぞ4番の仕事だ。西村監督は「気持ちを出してチームを引っ張ってくれている」と大絶賛した。3回2死満塁のピンチでは一塁側のカメラマン席に体を投げ出し、中村のファウルフライを好捕した。前日には平凡な内野ゴロで一塁へ気迫のヘッドスライディングも見せた。「あれはラテン特有のプレー。何でもいいからプレーで勝利に貢献したかった」。走攻守に渡ってチームを鼓舞する途中加入の助っ人は、今やロッテにとって不可欠な存在だ。

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ロッテ・上野8回無失点、粘って投げて2勝目[サンスポ]

ロッテ・上野が8回無失点で2勝目、チームも連敗を3で止めた。プロ入り初先発で完封勝ちを収めた17日の前回登板と違い、制球がまとまらず「蒸し暑い中、だらだらした投球を見せて申し訳ない」と5度も三塁まで走者を進められた。それでも要所を締め「いつか点を取ってくれる。粘って投げていこうと思った」と真っ向勝負で勝ち星をつかんだ。

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ロッテ・カスティーヨ9回V弾!新4番が躍動[サンスポ]

新主砲が爆発だ。ロッテのホセ・カスティーヨ内野手(30)が28日の西武13回戦(西武ドーム)で、0−0で迎えた9回2死、左翼席へ3号ソロを放ち、チームの連敗を「3」で止めた。前日27日には金泰均(キム・テギュン)内野手(29)の退団が決定。主砲の離脱で連敗し、4位転落寸前だったチームの危機を救った。

これぞ4番の仕事だ。0−0で迎えた9回2死。カスティーヨが平野の甘いフォークを強振。決勝の3号ソロを左翼席へライナーで突き刺した。「最近変化球で攻められていたけど甘い球がきた。チームの勝利につながって嬉しいよ」。

6月下旬にロッテに入団。1軍に合流した今月5日の日本ハム戦(QVCマリン)からチームの4番にすわる新大砲は、その責任をかみしめてグラウンドに立っている。

「キムさんがいなくなった。責任をもって仕事をしたい」。腰痛で韓国に帰国していた金泰均が退団。理由の1つに「カスティーヨが打っているし、日本でやっていく自信がなくなった」とあげたのを知り、決意を新たにした。そして、いきなり決勝弾を放ってみせた。

来月15日にはベネズエラから家族が来日予定。長男・ルイスくん(8)の元気な顔にも会える。「彼は今(ベネズエラでの)野球大会に出場してるよ。ショートとサードを守ってがんばってる。すごく励みになるんだ」。笑顔の新大砲が、豪快スイングでチームに猛チャージをかける。

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右ひじ手術のロッテ・ペン再来日、今後は未定[サンスポ]

右ひじ手術のため米国に一時帰国していたロッテのヘイデン・ペン投手(26)が28日、成田着の日航機で再来日した。今後については未定。

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上野、耐えて2勝!9安打浴びるも8回無失点[スポニチ]

プロ2度目の先発となったロッテ・上野が、9安打を浴びながら8回無失点。2勝目を手にした。

8回1死満塁のピンチも、直球勝負で内野ゴロ2つで切り抜けるなど気迫の投球を見せた。これで今季は3試合、19回1/3を投げて無失点と抜群の安定感。ヒーローインタビューでは「蒸し暑い中、ダラダラした投球をして申し訳ない。次はビシビシ抑えられるように頑張ります」とファンに約束していた。

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カスティーヨ「4番の責任」9回2死からV弾[スポニチ]

弾丸ライナーだった。0−0の9回2死。ロッテ・カスティーヨが鋭く振り抜いた打球は、あっという間に左翼席で弾んだ。「変化球、変化球で攻められていたので甘い球を打てて良かった。手応えはあったよ。勝利につながって嬉しい」。仕留めたのは139キロスプリット。1ボール1ストライクからの3球目が浮いたところを逃さなかった。

期するものがあった。27日に主砲・金泰均の今季限りでの退団が事実上決定。6月末に加入し、ここまで出場した19試合全てで4番に座るカスティーヨにとっては、一塁の定位置を奪った形になる。「そのこともあって4番の責任を感じてプレーしている」と言った。

だから一塁の守備でも体を張った。3回2死満塁で、中村の一塁ファウルゾーンへの飛球をフェンス際で捕球。カメラマン席へ倒れ込んで左膝を強打したが、ビッグプレーで大ピンチを切り抜けた。西村監督は「打つだけではなく、気持ちの面でも引っ張ってくれている」とうなずいた。

横浜でプレーした昨季は大振りが目立ったが、今季は違う。今月上旬の福岡遠征で、元同僚で仲の良いソフトバンク・内川と再会。食事を共にした際、コンパクトに打つよう助言を受け、実践している。チームはこの日敗れると、球団44年ぶりの同一カード4連戦全敗の危機だったが、一振りで救った。真夏の反攻へ、頼もしい男は金泰均のためにも4番に座り続ける。

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ロッテ・カスティーヨ決勝弾「貢献したい」[サンスポ]

ロッテのカスティーヨが0−0の9回に決勝の3号ソロを放った。試合を決める一振りに「(4番の)責任感を持って、プレーしている」と胸を張った。

守備でも見せた。3回2死満塁で中村の邪飛をカメラマン席に飛び込みながら、つかんだ。左膝を強打したが「チームに貢献したい」と痛みを感じさせなかった。

8月中旬にはベネズエラから家族が来日予定。8歳の息子が野球の全国大会に出場中で「毎日活躍して、励みになっている」と目尻を下げていた。

西村監督
「何回か苦しい場面があったけど、しっかり抑えてくれた。それが(9回の)本塁打につながった。」(好投の上野に)

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上野、8回無失点2勝目、カスティーヨ値千金3号…ロッテ[報知]

ロッテは先発の上野が8回無失点で2勝目。2回以外は毎回走者を背負う苦しい投球だったが、要所で粘った。打線は0−0の9回2死無走者からカスティーヨの3号ソロで均衡を破り、連敗を3で止めた。

0−0の8回2死満塁。上野は「やるしかない」と開き直って直球を投げ込む。代打平尾を外角高めで二ゴロに打ち取った。直後にカスティーヨが3号ソロを放ち、ロッテが連敗を3で止めた。

プロ入り初先発で完封勝ちを収めた17日の前回登板と違い、制球がまとまらない。「蒸し暑い中、だらだらした投球を見せて申し訳ない」。8回無失点だが、5度も三塁まで走者を進められた。

ただ、3回1死満塁で中島、中村を抑えるなど要所を締めた。緊迫した投手戦にも「いつか点を取ってくれる。粘って投げていこうと思った」と過度に気負うことはなかった。

今季、19回1/3を無失点。しびれる展開で投げ勝ち「自信になった」と笑顔を見せた。

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上野2勝も「ダラダラ」反省[ニッカン]

ロッテ上野大樹投手(24)が、8回無失点で今季2勝目を挙げた。西武打線に9安打を浴びたが「走者を出してから集中できていた」と要所を締めた。8回1死満塁の大ピンチも浅村、平尾を気迫の直球勝負で内野ゴロに打ち取った。試合後は、熱心な声援を送ってくれたファンに「蒸し暑い中でダラダラしたピッチングをしてしまった。申し訳ない」と反省したが、チームの連敗を止める快投だった。

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9回2死カスティーヨV弾[ニッカン]

ロッテの4番ホセ・カスティーヨ(30)が一振りで決めた。両軍無得点の9回、2死から西武平野の失投を仕留めた。左越えにライナーで3号決勝ソロを運び「抜けたフォーク。それまで変化球で攻められていたので、甘いボールがきてよかった。チームの勝利に貢献できて最高だ」と胸を張った。後半戦4戦目で初勝利の西村徳文監督(51)は「4連敗は避けなければいけない試合で、よく頑張ってくれた」と劣勢をはね返したナインをたたえた。

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伊良部元投手が死去、自殺か[ニッカン]

ロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースで投手として活躍、日米通算106勝を挙げた伊良部秀輝さんが、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去していたことが28日、分かった。42歳。ロサンゼルス郡保安官事務所当局者が明らかにした。同事務所は自殺とみている。

連絡が取れないことを心配した友人らの通報を受け、同事務所が27日に自宅を調べ、遺体を発見した。

香川・尽誠学園高から1988年にドラフト1位でロッテ入り。97年にはヤンキースに移籍して活躍した。2003年に阪神で日本球界に復帰し、18年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、04年に戦力外となった。

伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)
1969年(昭44)5月5日生まれ、兵庫県尼崎市出身。尽誠学園から87年ドラフト1位でロッテ入団。93年の西武戦で清原との対戦で当時の日本最速となる158キロをマーク。94年には15勝を挙げ最多勝、95、96年には2年連続で最優秀防御率のタイトルも獲得した。97年ヤンキースに移籍し、エクスポズ−レンジャーズと大リーグを6年間経験。03年阪神で日本復帰し、04年オフに退団。09年、米独立リーグのロングビーチ・アーマダで現役復帰すると、同年8月には独立リーグ高知入り。NPB復帰を目指したが右手首の故障などで翌10年1月に2度目の引退を表明した。日米通算では106勝をマーク(日本通算72勝69敗11セーブ、大リーグ通算34勝35敗16セーブ)。04年当時は193センチ、108キロ。右投げ右打ち。

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自殺?伊良部秀輝氏、自宅で死亡「最近は思い悩んでいるようだった」[スポニチ]

ロッテ、阪神や大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝(いらぶ・ひでき)元投手が27日(日本時間28日)、自宅がある米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外で死亡した。42歳。死因は不明で、一部には自殺との情報もある。 近年は事業の失敗など激動の人生を送っていた日本屈指の剛速球右腕が短い生涯に幕を下ろした。

関係者によると、伊良部氏は米国時間27日に、ロサンゼルス郊外の自宅で死亡しているのを知人が見つけた。ロサンゼルス市警の検視官が死因などを調べているという。自殺との情報もあり、同関係者は「最近は思い悩んでいるようだった」と話した。

04年阪神退団後は、ロスでうどん店を経営していた時期もあったが、野球への未練を断ち切ることができず、09年6月に米独立リーグで電撃現役復帰。同年8月には、四国・九州アイランドリーグの高知に入団したが、右手腱鞘炎のため、わずか2試合で退団した。昨年1月には自身のブログで「アスリートとして“老い”というものが現実に迫ったと受け止めるしかない。第2の人生を考えていきたいと思っています。今後、野球界に何らかの貢献をする機会に恵まれたなら、全精力をつぎ込んで取り組んでいきたい」とコメントしていた。

伊良部氏は87年ドラフト1位でロッテ入団。1年目から1軍のマウンドを経験し、西武・清原和博との対戦は「平成の名勝負」と言われ、93年5月3日の対戦時に当時の日本最速となる球速158キロをマークした。

96年オフのメジャー移籍の際にはFA権を持たずに、ヤンキース入りを直訴。パドレスとの三角トレードでヤ軍入りしたが、ルール無視の行動に日米球界を巻き込んだ騒動となった。ポスティング・システム(入札制度)が生まれたのもこの一件が契機となった。ヤンキースでは2年連続2桁勝利を挙げるなど活躍。トラブルも絶えなかったが、練習法や投球フォームへのこだわりは強く、理論派としても知られていた。

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伊良部氏、急死か?ロス自宅で変死体が発見[報知]

ロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースなどで活躍した伊良部秀輝さん(42)の米ロサンゼルスの自宅で、伊良部さんと思われる日本人男性の変死体が発見されたことが28日、分かった。遺体は現地の警察の遺体検視所に安置されており、警察が身元の確認を急いでいる。

衝撃的な出来事が起きた。日本を代表する剛腕投手で、日米通算106勝27セーブ(104敗)をマークした伊良部さんと思われる遺体が、ロサンゼルス近郊の自宅で発見された。親しくしている知人によると、第一発見者は伊良部さんが現在、指導している現地のアマチュア野球チームの関係者3人だったという。27日に大勢でバーベキューを楽しむ予定だったが、会場に来なかったため、自宅に向かった。すると、カギが1ヶ所あいていたので入ったところ、すでに死亡しているのを確認。現地の警察に通報した。

また、ある関係者は、伊良部さんがここ4日間ほど音信不通になっていたこともあり、心配していたという。身元確認を急いだが、日本時間28日の夜まで夫人ら家族と連絡が取れない状態が続いた。さらに、自宅で首をつった状態だったとの情報もある。

伊良部さんは03年に阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた後、04年限りで退団。その後、09年に米独立リーグで現役に復帰した後、同年に四国・九州アイランドリーグ(IL)の高知でプレー。話題を集めたが、右手首痛のため同年9月に契約解除となった。10年1月18日、自身のブログで、患部の回復が難しい状況であることを明かし「今回はボールを置いて、第二の人生を考えていきたい」と引退を宣言。以後は生活の拠点を米国に置いていた。最近は地元の少年らに野球を教えるなどしていたようだが、関係者によれば、ふさぎ込むようなことがあったといい、日本に帰りたい、とも漏らしていたという。

◇伊良部さんの主な出来事

1969年5月5日
兵庫・尼崎市で生まれる。
87年11月18日
86、87年に尽誠学園(香川)を夏の甲子園に導いた右腕は、ロッテからドラフト1位指名された。
88年8月14日
阪急戦で先発し、6回途中2安打3失点でプロ初勝利。
93年5月3日
敵地での西武戦で、清原を相手に当時の日本最速の158キロをマーク。
96年6月28日
日本ハム戦で28日ぶり登板も、5回途中5失点KO。試合後に広岡GM(当時)を約20分にわたって痛烈批判。
97年4月22日
独占交渉権を持つパドレスが、ヤンキースへトレードすることで合意。
5月29日
ヤ軍と契約金850万ドル(当時のレートで約9億8000万円)を含む総額1280万ドル(約14億7000万円)の4年契約で合意した。
6月9日
フロリダ州タンパでの練習で報道陣と衝突。記者の名刺を破り、ペンを折るなどした後、「あんたらはイナゴと同じ」と発言。
7月10日
タイガース戦で6回2/3を5安打2失点に抑え、日本人初のメジャー初登板勝利を挙げた。MAX97マイル(約156キロ)。
8月9日
3Aシャーロットで調整中に、投球練習のボールが本紙カメラマンに3球連続で直撃も、本人は「すっぽ抜けです」。
98年3月7日
日本人メディアとの関係修復のために持った話し合いを撮影したカメラマンに怒り、ビデオテープとフィルムを取り上げた。
99年4月1日
インディアンス戦で6回から登板。平凡な一ゴロでベースカバーが遅れて内野安打にするなど、3回2/3で5失点。スタインブレナー・オーナー(当時)の「ヤツは太ったヒキガエル」という発言に「何言ってんだ、バカヤロー」と反発。
01年9月6日
エクスポズ(現ナショナルズ)から解雇された。8月末に3Aで遠征中に飲酒による脱水症状を起こして入院、登板予定を回避して7日間の謹慎と給料カット(約570万円)処分を受けていた。
02年4月17日
レンジャーズで抑えを任され、エンゼルス戦でメジャー初セーブ。
7月15日
肺付近の血管に小さな血栓(血の塊)が見つかり、緊急入院した。
11月26日
阪神と年俸200万ドル(約2億4000万円)で1年契約を結ぶことで合意した。
03年11月25日
FA宣言した右腕は阪神に2年総額7億円で残留。
04年2月9日
春期キャンプ中に沖縄・石川市内での飲食店で、男性客と口論トラブル。球団から厳重注意と罰金30万円の処分受ける。
10月5日
阪神から戦力外通告された。
08年8月20日
大阪市北区のバーで、暴行の現行犯で逮捕された。提示したカードでの支払いを断られ、男性店長の髪の毛や胸ぐらをつかんで壁に押しつけたもの。生ビール中ジョッキ20杯ほど飲んでいたという。示談成立もあり、起訴猶予処分とされた。
09年5月18日
米独立リーグ「ロングビーチ」入団会見。「マウンドに立てる喜びを感じて楽しくやりたい」
8月23日
四国・九州アイランドリーグ「高知」で先発デビュー。愛媛相手に最速144キロで7回7安打3失点。
10年1月19日
痛めていた右手首の回復が難しく、05年4月に続く2度目の引退を表明。
5月17日
ロサンゼルス近郊で酒気帯び運転のため逮捕された。停車中の車にぶつかりそうになったところを警察に止められ、5000ドル(約45万円)を払って保釈された。

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