わたしはかもめ2011年鴎の便り(7月)

便

7月31日

千葉ロッテ0−2東北楽天(QVCマリン)

楽天の田中が8回無失点の力投で3年連続となる10勝目を挙げた。要所で球を低めに集め、決定打を許さなかった。打線は4回、山崎の2点適時打でリードを奪った。ロッテの小野は自らの失策が響いて今季初黒星を喫した。

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東北楽天0002000002
千葉ロッテ0000000000

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元ロッテ八木沢監督、訃報に「ショック」[ニッカン]

92〜94年にロッテ監督を務めた八木沢荘六氏が、自宅で首つり自殺をした伊良部秀輝氏(享年42)の思い出を口にした。千葉移転20年目を記念したオールドユニホームデーで始球式に登場。当時を振り返り「突然の訃報でショックです。何か(他に)方法はなかったのかな?持ち味の剛速球をアピールしていこうと、彼とは色々話をした」と残念そうだった。

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無敗の復刻ユニホームもマー君には通じず…今季9度目の零敗[スポニチ]

ロッテは楽天・田中の前に8回無得点で今季9度目の零敗。4位楽天に再び0.5差に迫られた。2回1死満塁など好機は何度もつくりながらあと1本が出ず。

「立ち上がり、今日は相手投手も良くないと思ったけど。満塁で犠飛を打つとか、何とか先取点を取らないと」と西村監督。これで田中には09年7月31日を最後に2年間6試合白星がなく、今季は3試合27イニングでわずか1得点。今季3戦全勝だった92〜94年の復刻ユニホームで臨んだが、その連勝も途絶えた。

小野
「自分らしい投球はできていたんですが。やはり(バント処理の)あのミスですね。」(8回4安打2失点も、自らの悪送球で招いた4回の失点が響き今季初黒星)
福浦
「チームに迷惑をかけた分、これから取り戻せるように頑張りたい。」(5試合ぶりに先発復帰し今季初の3安打)

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八木沢元ロッテ監督、伊良部氏の訃報に「残念でなりません」[スポニチ]

ロッテは今季4試合目の復刻ユニホームデー(92〜94年)となった楽天戦の始球式を、当時監督だった八木沢荘六氏(現BCリーグ・群馬投手コーチ)が務めた。

千葉移転初年度の92年から率いたチームは6、5、5位と低迷し、94年シーズン中に休養してそのまま辞任した当時を振り返り「当時は責任重大としてやってきた。今はお客さんも入るしチームも強い。嬉しい限りです」と懐かしの背番号80に袖を通した。一方、教え子の伊良部秀輝氏の訃報には「当時は彼も結果を残せずよく話して“速球を生かそう”と。あの頃のことを考えると残念でなりません」と視線を落としていた。

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またマー君から1点も取れず[ニッカン]

ロッテ打線が田中将大投手(22)を攻略できず、後半戦2カード連続の負け越しとなった。得点圏に5度も走者を進めながらも、ことごとく決定打を欠き、西村徳文監督(51)は「少ないチャンスをモノにできないと、上位には上がれない」と厳しい表情。田中とは今季3度目の対戦で0勝2敗。前回7月1日の対戦でも完封負けを喫しており、これで20イニング連続無得点となった。

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ベテラン福浦が今季初猛打賞[ニッカン]

ロッテ福浦和也内野手(35)が、0封負けの打線にあって気を吐いた。楽天田中将大投手(22)から3安打し、今季初の猛打賞を記録。「いつもはファウルになっている球を、一発で仕留められた。田中は直球も速いし、変化球もいい。スプリットもあるから、いかに低めの球を見極めることができるか」と振り返った。

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ロッテ・小野、失策が失点につながりガックリ[サンスポ]

ロッテの小野は4回の失策が痛かった。無死一塁で内村のバントを一塁に悪送球。ピンチは広がり、山崎に先制の2点適時打を許した。

降板した8回まで三者凡退が6度。スライダーとシュートを両コーナーに散らす持ち味を発揮できていただけに、自らのミスが招いた失点は悔やまれた。「自分らしい投球はできてはいたが…。あそこで2点を与えたことが(田中を)気持ち良く投げさせた原因」とうなだれた。

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好機逃したロッテ…マー君崩せず残塁の山[サンスポ]

ロッテは田中を追い詰めることができなかった。2回1死満塁など再三チャンスをつくったが決定打が出ず、残塁は10を数えた。

田中との顔合わせは今季3度目だったが、計27回でわずか1点しか奪えていない。完封を許した前回の対戦から好機を逃す状況が続いており、西村監督もいら立ちを隠せなかった。「1点でもいいから先に点をとらないと。競った試合では大事になる」と打線の奮起を促した。

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千葉“初代”監督が始球式[ニッカン]

千葉移転20年目を記念した「オールドユニホームデー」で、移転初年度の92年に監督を務めた八木沢荘六氏(66)が始球式を行った。懐かしの背番号「80」に袖を通した八木沢氏は「このユニホームを着るとは思っていなかったから緊張した」と話した。

米国で自殺した伊良部秀輝氏(享年42)は、監督時代の教え子。「突然の訃報でショック。持ち味である剛速球をアピールしていこうと、彼とは色々話をしたことを覚えている。ご冥福をお祈りしたい」と当時に思いをはせていた。

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