わたしはかもめ2011年鴎の便り(12月)

便

12月5日

元虎・桜井に光!ロッテ獲得検討/トライアウト[サンスポ]

◇第2回12球団合同トライアウト(5日、QVCマリンフィールド)

阪神から戦力外通告を受けた桜井広大外野手(28)に対し、ロッテが獲得を検討していることが5日、明らかになった。桜井は千葉市内のQVCマリンフィールドで行われた第2回12球団合同トライアウトに参加し、実戦形式で4打数1安打3四球。特大ファウルも放ち、現役続行へ、光が見えてきた。

幕張の風にタテジマのユニホームをなびかせながら、鋭く左前へと弾き返した。2度目のトライアウトを受験した桜井が豪打健在を証明した。現役続行へ、最後のアピールに成功だ。テストの場となったQVCを本拠地に構えるロッテが熱視線を送っていることが、明らかになった。

「結果には満足はしていません。ですが、今の力は出せましたし、やることはやったので、悔いはないです。後は待つだけです」。

各球団の編成担当者が見守る前で、元オリックス・古木克明外野手(31)ら投手17人、野手10人の計27人が参加した。シート打撃形式での第3打席。元巨人・南和彰投手(30)の初球、137キロ直球を引っ張った。うなりをあげるようなライナーで「H」ランプを灯し、分厚い胸を張った。

元巨人・野口茂樹投手(37)と対決した第1打席でも、2球目の124キロスライダーを左翼ポール左へかっ飛ばす特大ファウルを放ち、バックネット裏の編成陣を沸かせた。7打席で1安打3四球。守備も無難にこなし、長い1日を終えた。

11月24日にも神戸で行われた第1回トライアウトを受験してからも、休む間もなくトレーニングを重ねた。他球団から正式なオファーはなかったが、球界関係者によると当初からロッテが高評価していたという。この日は西村監督がスタンドに駆けつけ、熱視線を送っていた。

ロッテ幹部は獲得候補選手について「これから編成部で話し合って、検討したい」と明言を避け、球団に一旦持ち帰った。桜井は右ひじ痛は完治していることや、育成枠でも受け入れることを表明。諸条件を踏まえて検討し、結論を出す構えだ。

「これから帰って、(今後について)家族と決めたいと思います」。師走にサクラが咲くか。虎党も祈っている。

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実行委、レンタル移籍と故障者枠審議続く[サンスポ]

プロ野球の実行委員会が5日、都内で開かれ、横浜DeNAが日本野球機構(NPB)に提出する誓約書の内容について議論した。会議後、横浜DeNA・笹川球団取締役は「青少年の健全育成」を誓約書に明記することを明かし、参入審査で繰り返し質問された携帯向けソーシャルゲームでの課金システムなどを意識した文言を盛り込むことになった。

また、選手のレンタル移籍と故障者枠の制度導入について協議したが継続審議となった。レンタル移籍は、楽天が移籍活性化のために提案してきた。故障者枠の案は、長期離脱する選手が支配下選手のまま70人枠から外れる案で、ソフトバンクが提案した。

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略称は「横浜DeNA」「DeNA」「横」「DB」[報知]

プロ野球12球団の実行委員会が5日、東京・内幸町の日本野球機構(NPB)で行われ、1日に誕生した「横浜DeNAベイスターズ」の略称などが内定した。近日中にセ・リーグから正式発表される。

地域名などが付いた名称で表記する場合(例・埼玉西武)は「横浜DeNA」、地域名なし(西武)なら「DeNA」、(西)のように1文字で書く場合は「横」、アルファベット(L)表記では「DB」となる予定だ。関係者は「今までの『YB』じゃ困るだろうし『D』の文字を使うように配慮しないと」と話した。これらの表記は、チーム成績や順位表、印刷物、対戦カード表示など、用途に応じて使用される。

また、新規参入球団は、野球協約「第36条の9」にのっとって、協約を順守する旨の誓約書を書かなければならない。新球団の幹部として同委に初出席した横浜DeNAの笹川取締役は、「青少年の健全な育成に努めます。DeNAは企業努力に取り組んでいる。より一層努力します、という内容です」と話し、業務内容の健全性をアピールする文言を盛り込む意向だ。

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プロ野球実行委、レンタル制導入は継続審議に[スポニチ]

プロ野球の実行委員会は5日、東京都内で開かれ、レンタル移籍と故障者枠の制度導入について協議したが、ともに長所と短所の意見が出たために継続審議となった。

レンタル移籍はかねて楽天が提案。移籍が活性化される、との声がある一方で「トレードの方がすっきりするのでは」といった意見も出た。

故障者枠の案はソフトバンクが提示していた。関係者によると、長期離脱する選手が支配下選手のままで、70人の枠から外れる案という。これについても「70人の枠内でやりくりすればいい」などの意見が出された。

パ・リーグの花井史朗光統括が年内で退任することが報告された。

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略称は横浜DeNAかDeNA、実行委員会で承認[スポニチ]

参入承認後初めてDeNAがセ理事会、実行委に出席。前身の横浜で連盟担当を務めた笹川博史取締役が冒頭に挨拶した。

実行委ではオーナー会議で提出を求められた誓約書の内容についても検討。笹川取締役は「協約(36条の9)に基づいてのもので、青少年の健全性に努めるという内容になると思う」と説明した。また、理事会ではチームの呼称について承認。略称は横浜DeNA(例=東京ヤクルト)、またはDeNA(例=ヤクルト)で、頭文字の場合は「横」、ローマ字は「DB」となる。

加藤良三コミッショナー
「(DeNAの誓約書について)大事なのは文化的公共財としての責務を認識していくこと。合理的な内容になる。」

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横浜DeNA提出の誓約書に「健全育成」盛り込む[スポニチ]

プロ野球への加盟が認められた横浜DeNAが野球協約に従って日本野球機構に提出する誓約書に、青少年の健全育成を約束する内容が盛り込まれることが5日、実行委員会で決まった。

加盟審査では楽天が携帯電話で遊ぶソーシャルゲームの健全性について問題を指摘し続け、正式承認された1日のオーナー会議でも唯一、反対していた。この日の実行委ではオーナー会議での議論を踏まえて誓約書の内容を決めた。

新規参加が認められた球団は、「野球協約の遵守及び球界の秩序維持」などに関して誓約書を提出することが決められている。

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横浜DeNA、高田GM就任を発表[スポニチ]

プロ野球の横浜DeNAは5日、前ヤクルト監督の高田繁氏(66)のゼネラルマネジャー(GM)就任を発表した。横浜市内の球団事務所で記者会見を行った高田氏は「1人1人の能力を把握して戦力アップさせたい」と話した。

高田氏は現役時代に巨人の9連覇に貢献。日本ハムの監督を経て、2004年に日本ハムでGMに就任し、06年にはチームを日本一に導いた。08年からはヤクルトの監督を務めたが、昨年のシーズン途中に辞任していた。自身2度目となるGM就任で、4年連続最下位に低迷するチームの再建に取り組む。

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「GM中心」譲らず…高田新GM残りの組閣も自らの手で[スポニチ]

開始5分。就任会見で発した高田新GMの言葉で、会見場に衝撃が走った。「一言で言えば監督とGMの信頼関係が築けなかった。交渉を断念する、そう監督候補に話しました」。監督を要請していた工藤氏との交渉決裂を明らかにした。

DeNAの意向もあり、高田GMは工藤氏に監督候補を一本化したが、コーチ人事や補強をめぐって意見の相違が浮き彫りとなった。「こんなことは予想できなかった。監督とGMがスタート地点から意見が違う。不幸なこと」。高田氏が貫いたのは「GM職」に対する信念だった。

「GMを中心にスタートしたチームですから。従来のチームと違ってね。GMを中心にやりましょうということ」。交渉の中で人事、戦力補強などチーム編成の権限をめぐって工藤氏との間に生じた溝を解消することはできなかった。

高田GMが信念を貫くことは驚きではない。日本ハム監督時代には、大晦日に全選手、スタッフが故大社義規オーナー邸に集結する慰労会をただ1人欠席し続けた。翌年から日本ハムGM就任が決定していた04年秋の千葉・鴨川キャンプでは、当時の首脳陣らによる画一化された打撃に対し「個々に合った打撃がある」と小1時間も議論。主張を曲げなかった。

すでに1軍コーチ陣は、GM主導でヘッドコーチに山下大輔元横浜監督(59)、外野守備走塁コーチに元巨人の二宮至氏(58)らを招聘することが固まっている。新たに掲げた監督像は「元気はつらつな人。若くなくても気持ちが若い人はいる。40、50代でもね。オーナーには任されている」。DeNAが希望した「若くて、語れる人」にもこだわらない。今後は信頼関係が築ける新監督を含めて、残りの組閣を早急に進めていく。

◇高田GM「GMを中心にチーム編成をします」

≫GM就任の経緯は。
高田GM
「11月の始め頃でしょうかね、『ちょっと野球の話を』と言われて初めて(春田)オーナーと(池田純)社長に会いました。GMをやってくれと言われて、野球が分かる人がいないと、編成のこと、チームづくりをと、言われました。」
≫監督について。
高田GM
「監督候補の人とは、今までも話してきたけど、一言で言えば監督とGMの信頼関係が築けなかった。この時点で交渉を断念すると(工藤氏)本人にも話をした。」
≫いつ決断して、いつ話をしたのか。
高田GM
「最近のことです。ちょっとどうかなというのがあって、もし、信頼関係がない中でスタートしたら、それはお互いが不幸なことになるから。まあ、(この日の)午前中に話をして、それで、できませんと。」
≫破談について。
高田GM
「こんなこと予想できなかった。もちろん、私にも責任はある。彼にも申し訳ない。私がGMでなければうまくいったかもしれない。」

◇また機会があれば…工藤氏「横浜市民として応援したい」

≫球団に色々と要望したことが決裂の原因だったのか。
工藤氏
「どれがということではなく、終わった話ですし、そういうのに関しても時間が足りなかったと思っている。」
≫まとまらなかったのは時間だけの問題か。
工藤氏
「それを言うよりは僕自身はこれからやりたいこともある。あとは子供達の育成をしっかりやっていきたいという思いもある。今回こういうお話をいただいて前向きに考えてこられた。凄く勉強になったし、これを生かして子供達にも色んなことを伝えていきたい。」
≫残念という気持ちはあるのか。
工藤氏
「また機会があれば、僕自身頑張って(監督に)なれるように、僕自身がより大きくなって帰ってこられるようにしたいと思います。」
≫最後にOBでもあるベイスターズへの思いは。
工藤氏
「僕自身は監督は駄目になりましたが、他の方もいますし、僕はベイスターズを強くしてくれればそれで構いません。ぜひ、ベイスターズには頑張っていただきたいし、同じ横浜市民として応援していきたい。」

◇春田オーナーは高田GMを信頼「一任していますから」

1日のオーナー会議で正式に球界参入が承認され、その4日後の衝撃の監督破談劇。横浜DeNAの春田真オーナーは苦笑いしながら「高田さんに一任していますから。こんな感じのことはよくある」と話した。ITベンチャーだったDeNAはいまや東証1部上場企業。苦労を重ねたその成り立ちになぞらえて表現したが、戸惑いは隠せないようだ。

球団事務所でのGM就任会見に同席した後は、都内の本社に戻り、業務に専念した。再び報道陣の前に姿を現したのは、午後10時前だった。その際には、後任監督について言及し「OB中心?そんなことはないですよ。(若いことが条件か)若いことだけを言っているのではない。ちゃんと広報発信をしてくれる方にお願いしたい」と話していた。

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急転!DeNA新監督に中畑清氏、高田GM「元気はつらつな人」[スポニチ]

横浜DeNAベイスターズの初代監督に元巨人の中畑清氏(57)の就任が決定的であることが5日、分かった。

高田繁ゼネラルマネジャー(GM=66)が、春田真オーナー(42)とともに横浜市の球団事務所で会見を行い、元西武の工藤公康氏(48)との監督就任交渉の打ち切りを発表。新生球団のフレッシュなイメージに合致する中畑氏に白羽の矢を立て、近く監督就任要請を行うことになった。

高田GMは自らの就任会見で工藤氏との交渉打ち切りを発表した。工藤氏とコーチ人事や補強面で意見の相違があり「どうしても信頼関係を築けなかった」と説明。新生球団の船出からつまずいた形だが、新たな監督の人選にも着手していることを明かした。「候補者はもちろんいますよ。明るく、元気でファンサービスもできる人。若い?気が若い人もいる。40、50代でもね。元気はつらつな人ね」。

新球団のイメージに沿う人物として、高田GMが白羽の矢を立てたのが中畑氏だった。

中畑氏は巨人での現役時代に主軸として活躍。持ち前の明るさで「ヤッターマン」「絶好調男」の愛称で親しまれた。引退後は長嶋茂雄第2次政権がスタートした93年から打撃コーチに就任し94年の日本一に貢献。監督経験はないが、04年アテネ五輪では長嶋茂雄監督の下でヘッドコーチを務め、長嶋監督が脳梗塞で倒れた後は現場を指揮。プロ選手の出場が解禁された00年シドニーから08年北京五輪までの3大会で、唯一のメダルとなる銅メダルに導いている。

当初から候補だった中畑氏、高田GMは日本ハム時代にも監督を打診 横浜DeNAベイスターズの初代監督に元巨人の中畑清氏(57)の就任が決定的であることが5日、分かった。

DeNAが当初挙げた複数の監督候補の中にも中畑氏の名前はあった。その後は元巨人の桑田真澄氏が有力候補に浮上。最終的には工藤氏に一本化されたものの、今回の交渉決裂によって、中畑氏が再び浮上した。

高田GMとは巨人時代からの師弟関係で、互いの野球観も熟知する。高田GMは日本ハムGM時代の07年オフに中畑氏に非公式ながら監督就任を打診している。当時、中畑氏は同じ業種の伊藤ハムとCM契約を結んでいたために断ったが、信頼関係に揺るぎはない。

◇中畑氏、すでに「たちあがれ日本」離党「お話があれば前向きに」

中畑氏は5日、川崎市内で開かれた巨人OB会のゴルフコンペに参加した。

中畑氏は「私の名前が挙がっているのだとしたら嬉しいけど、まだお話はありません。そんな段階で仮定の話はしたくないけど、もしお話があれば前向きに考えます」と語った。

昨年7月の参院選で「たちあがれ日本」から出馬したが、次点で落選。今年8月末日付で正式に離党しており、現場復帰に支障はない。今年は福島県出身でもあり東日本大震災後は、精力的に東北地方の被災地を回っていた。高田GMから正式に監督就任を要請される見込みで、近日中にも「横浜DeNA・中畑監督」が誕生する。

◇高田氏「GM中心」譲らず、就任会見が交渉決裂発表に「焦りはありますよ」

高田新GMは就任会見で、横浜DeNAのチームづくりの方向性を明確に打ち出した。

「GMを中心にスタートしたチームですから。従来のチームと違ってね。GMを中心にやりましょうということ」。DeNAの意向もあり、高田GMは工藤氏に監督候補を一本化したが、コーチ人事や補強をめぐって意見の相違が浮き彫りとなった。

結果的に「監督とGMの信頼関係が築けなかった」と交渉打ち切り、新監督候補を中畑氏に切り替えた。他球団は組閣を終え、補強を進めている。会見では「焦りはありますよ。明日(監督が)決まったところで早過ぎるということもない」と早急に交渉を進める意向も明かした。

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工藤氏、新監督就任破談、最大の衝突は「達川ヘッド」[スポニチ]

まさかの結末だ―。元西武・工藤公康氏(48)の横浜DeNA新監督就任が急転、破談となった。高田繁ゼネラルマネジャー(GM=66)が5日、春田真オーナー(42)と横浜市の球団事務所で就任会見に臨み、明らかにした。横浜DeNAは工藤氏に初代監督への就任要請を行っていたが、チーム編成の権限などをめぐり、高田GMと意見が合わずに契約交渉の打ち切りを通告された。

ハシゴを外されたも同然だった。午後5時。横浜市内の自宅前で工藤氏はサバサバとした表情を浮かべ、淡々とした口調で語った。無念、憤り、悔しさ…。そんな素振りは最後まで見せなかった。

「やっぱり時間がなかったということ、タイミングもあったと思う。残念というよりは、こういうのは縁とか巡り合わせが重なってチャンスを頂くという風に思っているので、今回はチャンスがなかったということ」。

4日までに交渉が決裂。同日夜に高田GMが春田オーナーに伝え、了承された。そして5日午前中、工藤氏は同GMから既に内諾していた監督就任がなくなったことを伝えられた。

11月下旬から工藤氏は水面下で高田GMと交渉を行ってきた。最初の交渉の席上、高田GMから「従来のやり方とは違いますよ」と監督に編成権がないことを伝えられていた。

しかし、コーチ人事や選手補強で意見交換をする際にことごとく衝突。最大の食い違いがヘッドコーチの人選だった。工藤氏は自らの参謀役として広島で監督も務めた達川光男氏の入閣を要求したが、高田GMは監督、ヘッドコーチがバッテリー出身者となることで難色。チーム編成上、ヘッドコーチは野手出身が望ましいとの観点から最終的にはフロント主導で球団OBである元横浜監督の山下大輔氏に一本化された。

◇工藤氏と高田GM、補強面でも温度差、日本ハムとのラインに反発

横浜DeNAは工藤氏に初代監督への就任要請を行っていたが、チーム編成の権限などをめぐり、高田GMと意見が合わずに契約交渉の打ち切りを通告された。

ヘッドコーチを巡っての意見の相違もあったが、補強面でも温度差があった。

高田GMは日本ハムを戦力外になった菊地を獲得することを決めたが、工藤氏は高田氏がGMを務めた古巣の日本ハムとのラインで補強を進める姿勢に反発した。工藤氏も「一枚岩でなくてはいけないというのは僕も同じ考え」と振り返った。

◇選手兼任監督を熱望した工藤氏、今後は一投手として…

横浜DeNAは工藤氏に初代監督への就任要請を行っていたが、チーム編成の権限などをめぐり、高田GMと意見が合わずに契約交渉の打ち切りを通告された。

現役投手でもある工藤氏は選手兼任監督を熱望。この件は高田氏にも了承を得ていたという。「現役引退は考えてなかった。(監督を)引き受けたとしても、もう少しやりたいという気持ちが出てきたのは確か」。

ヤクルトの古田敦也監督以来のプレーイングマネジャー就任は幻に終わったが、現役への思いは一層強くなったようだ。「今辞めなくても、もう少し続けていってもいいんじゃないかと。肩のこともあって悩んだこともありましたけど、もっともっと前向きに考えてもいいじゃないかと思っている」。監督就任は破談となっても、一投手として将来を見据えた。

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