わたしはかもめ2012年鴎の便り(3月)

便

3月29日

ロッテ、清田でマー君には勝たせない[ニッカン]

ロッテ清田育宏外野手(26)がマー君攻略の切り込み隊長に指名された。30日の開幕戦楽天戦に向けた29日の最終調整。オープン戦まで控えだった清田が右翼手に入った。サブローが左翼手に回り、伊志嶺が先発から陥落した。大逆転でのスタメン奪取だが「去年は1年目(の活躍)があって出たい気持ちも強かったが、今年は冷静です」と静かに燃えた。

対田中は09年から7連敗中。昨季は5勝を献上した。伊志嶺は天敵に20打数6安打の打率3割も、オープン戦8分2厘と大不振。清田は対田中は8打数2安打で、1番は昨季の3試合のみで11打数2安打と抜群の成績ではない。ビジターの先頭打者は開幕戦最初のプレーに絡む。西村監督も現役時代に開幕戦1番でズボンにベルトをずれて通していたことに気付かないほど緊張した。それでも大胆策に打って出た指揮官は「悩んだが、決めた。1、2番が出ないと得点力が上がらない。清田はオープン戦の最後に調子を上げてきた」と理由を明かした。

清田は3年目の飛躍にかけてきた。「毎日のようにフォームを変えた」と試行錯誤。だが東日本大震災から1年の11日ソフトバンク戦で黙祷セレモニー1分後に打った本塁打でつかんだ。「今は傘を差すような感じでバットを構えている。感じはいい」と言う。

プロ3年目で初の開幕スタメン。昨季はオープン戦ではレギュラーだったが、寸前で外れた。「去年の経験があったから、今年は控えでも1年は長いという思いでやれた」。清田がマー君に牙をむき、開幕戦連敗を6で止め、8年ぶりの勝利に導く。

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成瀬、甲子園50勝の恩師に開幕初白星贈る!…ロッテ[報知]

ロッテの成瀬善久投手(26)が、母校の恩師に祝福の開幕白星を贈る。30日の楽天戦で3年連続開幕投手を務めるエース左腕は29日、Kスタでのナイター練習で最終調整。この日はセンバツで母校・横浜が勝利し、恩師の渡辺監督が甲子園通算50勝を達成。03年のセンバツで準優勝したエースはテレビで観戦し「あらためてすごい監督だなと思った。自分も勝って後祝いができたらいい」と意欲を見せた。

3年連続の大役は、黒木知宏(99〜01年)以来、球団4人目。過去2年は西武・涌井、楽天・岩隈と投げ合いながらも、ともに逆転負けした。今年は昨季の沢村賞右腕・田中との激突だが「去年はチームもマー君にやられている。今年は勝てるという流れをつくりたい」と“三度目の正直”を目論んだ。

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3度目の度目の正直だ!成瀬3年連続開幕投手で初勝利狙う[スポニチ]

3年連続の大役を担うロッテの成瀬が、楽天・田中に投げ勝って開幕戦自身初勝利を狙う。過去2度の開幕戦は敗戦投手。3度目の正直へ「チームとしても去年はマー君にやられている。一発目(1試合目)が大事」と必勝を期した。

新年早々、自身のブログが不正アクセスを受け、引退騒動が持ち上がるなど、心配をかけたファンのために快投で今季初戦を飾る。チームにとっても開幕戦は過去10年で1勝8敗1分けの鬼門。「何個四球を出してもいい。勝てれば内容にこだわらない」と意気込むエース左腕が敵地で白星をつかむ。

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ロッテ早打ち作戦!マー君の肩温めない[サンスポ]

“敵地の利”にしてみせます。仙台の30日夜の予想気温は6度。ロッテ打線は、楽天・田中の肩を温めない“早打ち”作戦を仕掛ける。

オープン戦で12球団打率2位の.390と波に乗る根元は「いい球が来たら、早いカウントから積極的に打っていきます」と強気。回を追うごとに威力を増すマー君を、エンジン全開となる前にたたく構えだ。

3番・井口も「早い回に点を取って、マウンドから引きずり下ろさないといけない」と表明。一致団結した速攻で、マー君攻略に挑む。

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ロッテ・成瀬、3年連続開幕「楽しみたい」[サンスポ]

プロ野球は30日、セ・パ両リーグが同時開幕し、ナイター6試合が行われる。ロッテの成瀬は3年連続の開幕投手に「年に1度しかないので野球を楽しみたい。1回目の開幕投手のときは何を言われても上の空だったが、年々緊張しなくなっている」と話したが、いつもの笑顔は少なく、表情は硬かった。

過去2年とも、中盤まで好投しながら本塁打を浴びて負けている。3度目の正直に向け「そろそろ勝ちたい。初戦に勝てばチームも乗ってくるので大事な試合になる」と気を引き締めていた。

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首位打者2回、榎本喜八さん75歳死去[ニッカン]

毎日(現ロッテ)などで活躍し、2度の首位打者に輝いた榎本喜八(えのもと・きはち)氏が大腸がんのため、14日に都内の病院で死去していたことが29日、分かった。75歳だった。葬儀・告別式は既に執り行われた。

榎本氏は1936年(昭11)12月5日東京生まれ。早実で3度甲子園に出場した後、55年にテストで毎日に入団した。高卒新人ながら、シーズン開幕から5番を打ち(高卒新人の開幕クリーンアップは2リーグ制以降、榎本1人)、139試合に出場。打率2割9分8厘、16本塁打、67打点で新人王に輝いた。

山内一弘、田宮謙次郎らとともにミサイル打線の中核を成し、大毎がリーグ優勝を果たした60年に打率3割4分4厘で首位打者を獲得。抜群の選球眼と巧みなバットコントロールで「安打製造機」の異名を取り、史上最年少の24歳9ヶ月で通算1000安打を達成した。2000安打到達も史上最年少の31歳7ヶ月で、この2つはいまだに日本記録だ(日米通算2000安打では、イチローの30歳7ヶ月が最年少)。

王貞治を育てた荒川博氏に学び、その後、合気道を打撃に取り込み、独自の技術を会得したことは有名。オリオンズで17年間プレーした後、72年に西鉄に移籍して、その年限りで現役引退した。実働18年で2222試合に出場、2314安打(歴代15位)、246本塁打、979打点、通算打率は2割9分8厘。ベストナインにも9度、選出された。引退後は野球界から離れ、「伝説の強打者」と言われていた。

榎本喜八(えのもと・きはち)
1936年(昭11)12月5日、東京生まれ。55年、早実からテストで毎日オリオンズ(現ロッテ)に契約金150万円、月給1万円で入団。内野手。1年目、シーズン開幕から5番を打ち、139試合に出場、打率2割9分8厘、16本塁打、67打点で新人王。史上3人目の2000本安打を達成した元祖「安打製造機」。17年間、オリオンズに在籍したが、71年オフに西鉄に移籍、72年に現役引退した。通算2222試合に出場し、歴代15位の2314安打を放った。打率2割9分8厘、246本塁打、979打点。60、66年に首位打者を獲得した。

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