ロッテは17日、木村雄太投手の登録名を木村優太に変更すると発表した。木村は「入団以来、満足な結果を残すことができず、本当に悔しい気持ちでいっぱいだった。心機一転、頑張っていきたい」とコメントした。
ロッテ・翔太が禁酒で1軍昇格を目指す。今江とQVCマリンで自主トレを行い、打撃の熱血指導を受けた。大嶺の弟として注目を集めたが、入団3年間で1軍出場はない。
「今年がダメだったらもうクビだと思っている。だから、今江さんにお願いした」。今年から大好きな酒も断ち「生活の全てを野球にささげます」。見据えるのは地元・石垣島で行われる1軍キャンプへの初参加だ。
ロッテは17日、木村雄太投手(27)の登録名を「木村優太」に変更すると発表した。1軍では通算17試合で0勝1敗。都内で自主トレ中の左腕は球団を通じ「5年目のシーズンを迎えるにあたり、心機一転して頑張っていきたいと思い、決意しました」とコメントした。
日本高野連(奥島孝康会長)は17日、プロ経験者が高校の監督などの指導者になるための規定「中学、高校で2年の教諭歴」を撤廃し、座学による研修を受ければ資格を認めるという条件緩和案をプロ側に示した。
既に指導者の受け入れを進めている社会人や大学と足並みをそろえる形になり、半世紀に及んだプロ側とアマ側のこじれた関係が大幅に改善される。
プロ経験者が指導者になるための規定を話し合う「学生野球資格に関する協議会」がこの日、東京都内で開かれ、日本高野連が日本野球機構(NPB)に提示した。
日本高野連は17日、プロ野球経験者の高校球児指導条件を撤廃する決断を下し、半世紀に及んだプロ側とアマ側のこじれた関係が雪解けを迎えた。「学生野球資格に関する協議会」が都内で開かれ、高校の監督などの指導者になるための規定「中学、高校で2年の教諭歴」を撤廃し、座学による研修を受ければ学生野球資格を認めるという大幅な条件緩和案を日本野球機構(NPB)に提示した。
プロ、アマ両者の関係が新たな局面を迎えた。これまでプロ経験者が学生を指導するには高校などで教諭や臨時講師を2年以上務めることが条件となっていたが、これを撤廃。NPBの研修を受けた上で、日本学生野球協会が公認する研修制度を受講すれば、学生野球資格の回復が認定されることになった。プロ退団者にとって、ハードルが高かった高校野球の指導者への道が身近になる。
昨年11月、プロ側は教員資格に代わるNPBの研修制度を提案したが、日本高野連は難色。「高校野球はあくまで教育の一環」として、プロ経験者の受け入れに難色を示す抵抗勢力も多かったが、風向きを変えたのは労組・日本プロ野球選手会の新井貴浩前会長(阪神)だった。昨年12月の選手会定期大会で「このままでは何も変わらない。一番かわいそうなのは(高校)球児」と訴えた。選手会には03年から始まったシンポジウム「夢の向こうに」で高校生の指導を続けた実績がある。日本高野連の田名部和裕理事は「(新井選手の発言は)高野連全体として効いた。このままではいかんとなった」と歩み寄るきっかけとした。
アマ側の研修は「校内における部活動の位置づけ概論」など8項目あり、1項目に対して1時間。計8時間を3日間で行う方向。これまで教諭として最低2年を要していた資格回復が、3日に短縮される。受講資格があるのは最終所属球団の推薦を得て、NPBによる研修を経た者。人数も1球団につき5人が目安で、1年60人程度。資格は高校・大学共通となる。
NPBの下田邦夫事務局長は「思った以上の回答」と話した。NPBが11年秋に行った「セカンドキャリア」の調査でも、回答した223選手のうち最多28.4%が、引退後の希望進路に高校野球の指導者を選んでいる。選手会の松原徹事務局長は「お互いやってきたことに間違いはなかった」と感謝を口にした。
日本高野連はセンバツ開幕前日の3月21日に全国理事会で47都道府県高野連に理解を求め、今オフからの実施を目指す。61年の柳川事件に端を発したプロアマの断絶。日本高野連の竹中雅彦参事は「氷が解けた水が川となり、大河となる過程」と表現した。50余年の時を経て、日本球界の歴史が大きく動いた。
社会人は97年に元プロ選手の受け入れが決まり、02年には監督、コーチも届け出制で就任できることになった。
昨年の都市対抗、日本選手権を制したJX−ENEOSは元近鉄の大久保秀昭監督が率いている。大学は05年に規定が緩和され、退団後2年経過すれば監督、コーチへの就任が可能になった。11年の全日本大学選手権準決勝では、元広島で東京国際大の古葉竹識監督と、中日や巨人でプレーした慶大の江藤省三監督が対戦。プロアマ交流の活発化を象徴する組み合わせとして大いに注目された。なお、中学生以下は特別な規定がない。