わたしはかもめ2013年鴎の便り(7月)

便

7月26日

東北楽天3x−2千葉ロッテ(Kスタ宮城)

楽天が今季2度目のサヨナラ勝ち。1−2の9回に銀次の二塁打から1死満塁と攻め、松井の押し出し四球で同点とし、続く嶋が中前にはじき返した。田中は9回2失点完投で開幕14連勝。ロッテは抑えの益田が踏ん張れなかった。

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千葉ロッテ0100010002
東北楽天010000002x3x

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井口、日米通算5人目2000安打達成[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(38)が日米通算2000安打を達成した。楽天11回戦の6回に、エース田中将大(24)の直球を左中間スタンドに運ぶ19号ソロで金字塔を打ち立てた。米大リーグでの494安打と合わせて、17年目で大台に到達した。日本選手の日米2000安打はイチロー(ヤンキース)、松井秀喜氏らに次いで5人目。昭和生まれ以降で200勝、2000安打、250セーブ達成者による「名球会」入りの条件を満たした。

祝砲だった。ロッテ井口は先頭で迎えた6回、初球147キロを豪快に振り抜いた。打球は雨上がりの夜空を裂き、120メートル先の左中間スタンドへ。一時勝ち越しのメモリアルアーチで、日米通算2000安打を達成した。「今年1番のスイング。2000本で一番インパクトのある1本になった」。敵地に響く「井口」コールの中、回るダイヤモンドは格別の輝きだった。

しかも相手は無敗の楽天田中だ。「球界NO.1投手。今日はないな」と家族を仙台に呼ばなかった。だが4回の左前打でマジック1とし、次の打席で予想外の到達。2000安打の先輩、楽天松井から花束を受け取ると、スタンドへ一礼した。

順風満帆な道のりではなかった。転機は入団5年目。東都大学リーグの本塁打王は長打を狙い、打撃フォームを見失う悪循環を繰り返していた。もがく井口を変えたのは、当時の島田誠コーチの一言。「同期を追い抜きたいなら何でもいい。タイトルを取れ」。

照準を定めたのは盗塁王。大振りはしない。地道にヒットを増やそう。投手の癖を探し、配球傾向を徹底的に調べた。走者の動きも含めて考えるうち「段々次に何の球が来るか見えてきてね」。01年、当時史上3人目の30本塁打・40盗塁を達成。打率は初めて2割5分の壁を破った。

「今思えば、その切り替えがプロで1番難しかった」。1発狙いの意識を変え、つかんだ打撃の形は王監督らの助言で固めていった。風呂場で裸で1本足打法を伝授されたこともある。

「投手の先手を取れ」。緩急を読み、自分のタイミングで打てという教えだった。洞察力に磨きをかけ、米国でも自分の打撃を貫いた。制約の多い2番打者でワールドシリーズを制覇したのも、緻密な観察力のたまもの。今年、王監督からの年賀状は「名球会で待ってます」と書かれていた。何よりの発奮材料だった。

ダイエー入団時の目標は「40歳まで現役」と「通算2000安打」。この日、通過点に変わった。「入ったころは32歳くらいでみんなオッサンだった。オレはまだ動けてる。45歳を目標にして、限界に挑戦ですね」。まだまだ、歩みは止められない。

井口が6回に田中から本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成した。初安打はダイエー時代の97年5月3日近鉄戦の山崎からで、日本で1506本、メジャーで494本記録。日米通算2000安打を達成した日本人選手はイチロー、松井秀喜、松井稼頭央、中村紀洋に次いで5人目になる。日本のプロ野球で2000安打は44人が達成しているが、2000本目を本塁打で決めたのは4人だけ。日米通算2000本目を本塁打で達成は、今年の5月1日中村に次いで2人目だ。対田中は前日まで57打数14安打(打率2割4分6厘)、1四球で本塁打は0。通算61打席目の対戦で田中から打った初アーチが記念の一打となった。

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マー君撃ち!ロッテ・井口「今年1番のスイング」[サンスポ]

最高のスイングで田中の147キロを捉えた打球は、モヤのかかった上空を切り裂き、左中間席中段へ飛び込んだ。伊東監督、主将の岡田、自身も日米通算2000安打を達成している楽天・松井から花束を贈られ、みるみる笑みが広がった。

「狙っていなかった。自分の中では今年1番のスイングだった。球界で1番いい投手なので、マー君(田中)から打てたことは、本当に嬉しい。本塁打になって、今は2000本目が1番の思い出になったかもしれない」。

13連勝中の田中が先発とあり、「今日はないだろうと」と、家族も来場していなかった。4回に左前打を放ってリーチをかけると、一気に達成。球宴と欠場1試合を挟み、出場5試合で10本の固め打ちに「残り10本ぐらいからトントンときたので、もう少し楽しみたかった」と予想外のハイペースに苦笑いだ。

「打ったのは嬉しいけど、今は負けたことの方が悔しい。目標が通過点となった。残りシーズンはチームが勝つことに力を注ぎたい」。敗戦で首位楽天との差は3ゲームに広がったが、諦める必要もない。日米通算6個目のチャンピオンリング獲得へ、井口は打ち続ける。

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ロッテ・井口の母「大きくない体で頑張った」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(38)が26日、楽天11回戦で田中から19号ソロを放ち、日本選手では史上5人目となる日米通算2000安打を達成した。

井口の母、昭子さん(65)は「決して大きくない体で、ここまで頑張ったと思います」と喜んだ。小中学生当時、母は週に3度、夕食後の約40分間のランニングを自転車で先導。自宅の庭でのティー打撃も手伝った。母はそれでも「2つ上の兄(伸一さん)の影響で特別に小学校1年生から入れてもらって、小さいので周りから“上手だよ”と褒めて育ててもらったのがよかったのかもしれません」と周囲に感謝した。

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井口2000安打記念でロッテシェーキ60円[サンスポ]

ロッテは26日、井口資仁内野手(38)の日米通算2000安打を記念して、27日から千葉県内のロッテリアで、ロッテシェーキを60円、JR海浜幕張の2店舗では6円で発売する。ハンバーガーセット、ハンバーガー単品を購入者に限る。2000杯に達したら終了となる。

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ロッテ逆転サヨナラ負け、抑えの益田が大誤算[サンスポ]

抑えの益田が1点リードを守れず、逆転サヨナラ負け。井口の日米通算2000安打達成を勝利で飾れず、首位の楽天と3ゲーム差に広がった。しかし伊東監督は「久々にいい試合だった。マー君を苦しめたし、ツキがなかっただけ。数字的には開いたけれど、こういう試合をやればいい。次につながるし、何の問題もない」と手応えをつかんだ様子だった。

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井口マー討ち弾で日米通算2000安打「まさかの本塁打」[スポニチ]

ロッテの井口資仁内野手(38)が26日、楽天戦の6回に田中将大投手(24)から19号ソロを放ち、日米通算2000安打を達成した。日本球界では1506安打目で、メジャーでの494安打と合わせ、プロ17年目での大台到達。日本選手の日米2000安打は史上5人目の快挙となった。なお、試合は9回に楽天がサヨナラ勝ち。田中は開幕14連勝を飾った。

節目の1本を豪快な一発で決めた。しかも相手は日本球界No.1投手の田中。野球人生において忘れられない一振りで、井口が史上5人目の金字塔を打ち立てた。「まさかの本塁打に自分でもビックリしている。今季1番のスイング。この数字を目標にしてきたので、最高の形で決められて良かった」。

4回の左前打でリーチをかけて迎えた第3打席。田中の初球はど真ん中の147キロ直球。「何も考えずにバットを振れた」。左中間席に勝ち越しの19号ソロ。悠然とダイヤモンドを1周した井口の表情は、達成感に満ちていた。

青学大時代の96年にアトランタ五輪で銀メダルを獲得。鳴り物入りでダイエーに入団したが、入団後の4年間は打撃不振に苦しんだ。救ってくれたのは、当時の王貞治監督ら首脳陣。島田誠コーチからは同期の松中や柴原の活躍を引き合いに出され「悔しくないか?何かタイトルを獲ってみろ!」と奮起を促された。

目指したのは盗塁王だった。「首位打者や本塁打は難しくても、盗塁なら1ヶ月で3〜4個成功させればタイトルに手が届く」。まずは投手の癖を徹底的に分析。他球団の投手の特徴をノートに細かく書き込んだ。投手を研究したことは、打席でのタイミングの取り方にも生きた。相手の投球リズムを知ることで、それぞれの投手に合った最善のタイミングの取り方を覚えた。01年に44盗塁で初タイトルを獲得。同時に30本塁打、97打点と一気に飛躍を遂げた。

大台到達は、井口のもう1人のコーチも喜ばせた。母・昭子さんだ。中学までは自宅の庭でバドミントンのシャトルを打たせて打撃フォームをチェック。プロ入り後もテレビ中継で気になった点をメールし、毎年1月に行う自主トレにも同行してきた。昭子さんは「左で打たせておけば良かった。ヒットの本数が全然違いますから」と右打ちにしたことを後悔してきたが、そんな母の悔いをも払拭した。

メジャー移籍1年目の05年にホワイトソックスで、08年にはフィリーズで世界一を経験。メジャーで4年間プレーした後、09年にロッテに加入した。メジャー時代から二塁に強いこだわりを持ち、それを理由に移籍を拒否したこともあったが、今季、伊東監督からの一塁コンバート案を受け入れた。「試合に出られるなら、どこでもやります」。昨季は打率.255、11本塁打も、今季は守備の負担が軽減されたことで、打率.331、19本塁打と完全復活だ。

「5個あるチャンピオンリングを10個にしたいね。チームが優勝することが次の目標」。ダイエー時代とメジャーで各2回、ロッテで1回と5回の優勝経験を誇る。次の目標はロッテでの2度目の優勝だ。

伊東監督
「ホームランで決めたのはさすが。彼にとってはあくまで通過点。今まで通りチームを引っ張ってもらわなきゃいけない。何とか勝ちたかった。」
楽天・松井
「おめでとうございます、と言いました。あそこでホームランで決めるのはさすが。それも、相手が(田中)将大ですから。」(井口と同様に自身も日米通算で2000安打を記録。花束を手渡し)
ソフトバンク・秋山監督
「(後半戦開始から)3試合で7本は(ペースが)速いな。技術が凄いし、配球をよく見ている。技術と勉強だよ。あとは健康かな。」
井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年(昭49)12月4日、東京都生まれの38歳。国学院久我山から青学大を経て、96年のドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。01、03年に盗塁王。二塁手でベストナインと、ゴールデングラブ賞を3度ずつ受賞。05年にホワイトソックスへ移籍し、1年目にはワールドシリーズ制覇に貢献した。メジャー通算4年で44本塁打、48盗塁。09年からロッテでプレー。1メートル78、91キロ、右投げ右打ち。

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益田痛恨サヨナラ打浴びる…井口の偉業勝利で飾れず[スポニチ]

ロッテの守護神・益田が3四死球の制球難から松井に押し出し四球を与えると、最後は嶋に痛打されサヨナラ負け。井口の偉業を勝利で飾れなかった。

それでも伊東監督は「益田で勝ってきた試合もある。マー君を苦しめてあと一歩までいったけど、ツキがなかった」と淡々と振り返った。2回の鈴木、6回の井口の本塁打はともに初球を叩いた。初球から好球必打の姿勢で追い詰めた。楽天との差は3ゲームに広がったが、指揮官は「やるべきことをやった」と選手を称えていた。

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井口、日米通算2000安打!マー君から一発達成[報知]

楽天・田中が、チームの劇的サヨナラ勝ちで、開幕14連勝を手にした。9回2失点の粘投が報われた勝利で、開幕からの連勝記録は05年の斉藤和巳(ソフトバンク)の「15」に王手。昨年8月からの連勝も「18」に伸びた。ロッテの井口は、その田中から6回に左中間へ本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成。日本人ではイチロー(ヤンキース)、松井秀喜氏、松井稼頭央(楽天)、中村紀洋(DeNA)に続く5人目の到達となった。

完璧に捉えた打球が、左中間席中段で弾み、偉業は成し遂げられた。ダイヤモンドを1周する井口には、球場中から大きな拍手が送られた。同点の6回。節目の一打は、球界を代表するエース・田中から放った。「何も考えずにバットを振り抜けたし、今シーズン1番のスイングができた。マー君から打てたことも嬉しい」。4回の左前打で王手、この日2本目で一気に記録を達成。残り100本で迎えた今季、出場83試合目で到達した。一塁ベンチ前では伊東監督、岡田、楽天・松井から花束を受け取り、笑みを浮かべた。

師の存在が、井口の礎となっている。「付きっきりで見てくれたし、監督には1番感謝している」と入団してから8年間お世話になった、当時の王監督(現・ソフトバンク球団会長)への言葉を口にした。入団して3年目には「投手が先手ではなく、打者が先手になるくらいのタイミングの取り方をしなければいけない」との金言を授かり、自身の打撃に反映させた。

打撃の調子が悪くなれば、“世界の王”に躊躇なく質問をぶつけた。所構わずの打撃指導は、時には風呂場でも行われた。そこでは監督自らが裸で一本足打法を見せ、現役時代の自身の打撃感覚をアドバイスしてくれた。井口は「自分のタイミングで打てていない時には、王さんに言われたことを書いたノートを見て思い出していた」と原点を忘れなかった。メジャーでも日本球界に復帰してからも貫いた、不変の打撃スタイルでここまでたどりついた。

今季の目標の1つは達成した。「ここまで長くやれて、その積み重ねで2000本はある。目標が今日で通過点になった。とにかく残りシーズンは、チームが勝つことに自分の力を注いでいきたい」。残る目標はただ1つ。ロッテではいまだ経験のない、チームをリーグ優勝へ導くことだ。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年12月4日、東京都生まれ。38歳。青学大で東都大学リーグ通算最多の24本塁打をマーク。96年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入り。05年、自由契約選手として米大リーグ、Wソックスに移籍。その後フィリーズ、パドレスなどに在籍。09年にフィリーズからロッテ入りし、日本球界に復帰。盗塁王2度、ベストナイン3度、ゴールデン・グラブ3度受賞。178センチ、91キロ。右投右打。

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ロッテ・伊東監督「本塁打で決めたのはさすが」[サンスポ]

井口の日米2000安打達成をロッテのチーム関係者が祝福した。伊東監督は「本塁打で決めたのはさすが」とコメント。2年目の内野手でこの日は先制ソロを放った鈴木は「感動しました。一緒に野球をやれて幸せ」と話した。

16日の試合の死球による打撲の影響を感じさせなかった。立花打撃コーチは「すごいですよ。体も強いですしね。プロフェッショナル」と賛辞を惜しまなかった。

グライシンガー
「試合をつくれた。要所は締められた。」(7回1失点)
斉藤投手コーチ
「しんどかったね。腕が振れていなかった。」(益田に)

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ロッテ・益田が乱調…痛い逆転サヨナラ負け[サンスポ]

ロッテは痛い逆転サヨナラ負けを喫した。抑えの益田が乱調で逃げ切れず、首位楽天との直接対決の初戦を落とした。伊東監督は「最後の詰めが甘かった」と嘆いた。

打線もソロ2本で2得点とつながりを欠いた。楽天とのゲーム差は3に開き、辛うじて2位は守ったが3位西武とはゲーム差なしに迫られた。指揮官は「数字的には開いたが、この悔しさをバネにして欲しい」と奮起を促した。

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ロッテ・鈴木大地、マー君から一発「まぐれ」[サンスポ]

ロッテのプロ2年目、鈴木が田中から本塁打を放った。球界を代表する右腕からの一発に「まぐれです。自分でもびっくりしています」と喜んだ。

2回2死走者なし。初球の甘く入ったスライダーを捉え、右越えに運んだ。好調を維持する左打者は、これで7試合連続の安打。「いい投手なので、追い込まれたら厳しい。初球から積極的にいこうと思っていました」と自慢げだった。

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ロッテ・井口、日米通算2000安打達成[サンスポ]

ロッテの井口資仁内野手(38)が26日、Kスタ宮城で行われた楽天11回戦の6回に田中から左本塁打を放ち、日米通算2000安打を達成した。日本で1506安打。メジャーで494安打。プロ17年目、通算2016試合目での大台到達を果たした。日本選手で日米通算2000安打を達成したのはイチロー(現ヤンキース)、松井秀喜(昨年12月に現役引退)、松井稼頭央(現楽天)、中村紀洋(現DeNA)に続いて5人目。

日米通算2000安打まで残り2本で迎えたこの試合、3回の第2打席で左前打を放ち王手をかけた。そして6回先頭の第3打席、左翼席へ19号ソロを放ち偉業を達成した。井口は楽天・松井から花束を受け取り笑顔を見せた。「本塁打は狙っていなかった。来た球をいつも通り打っただけ。初球を打ってしまったから、雰囲気を楽しむ余裕もなかった」と振り返った。

井口は1997年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。04年オフに自由契約となりメジャーリーグ挑戦を表明。ホワイトソックスに移籍した。05年チームのワールドシリーズチャンピオンに貢献。フィリーズなどを経て、09年に日本球界復帰し、ロッテに移籍した。プロ初安打は97年の近鉄バファローズ戦でマーク。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞も3度受賞している。

井口
「今年はこの数字を1つの目標にやってきたので、最高の形で決められて良かった。素直に嬉しい。初球を打ってしまったから、雰囲気を楽しむ余裕がなかった。」
伊東監督
「本塁打で決めたのはさすが。あくまでも通過点だと思う。今まで通りチームを引っ張ってもらわないと。せっかく打ってくれたが勝ち試合で決めたかったね。」
ソフトバンク・王球団会長
「最初はプロの球に苦労もしていましたが、右方向への長打が特長で、二塁手にコンバートしてからは、肩の強さとともに、打撃が売りの期待通りの活躍をしてくれました。(米国から)帰国後も活躍する選手が少ない中、チームの主軸としての活躍は、たいしたものです。いままでの経験を生かし、2000本は通過点として、これから1本でも多くのヒットを打って欲しいですね。」

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伊東監督「いい試合だった」[ニッカン]

逆転サヨナラ負けのロッテ伊東勤監督(50)。会見の第一声は「いい試合だった」だった。

先発グライシンガーが7回を1失点。継投で逃げ切るプランだったが、守護神・益田が力尽きた。ただし「彼で勝ってる日もある」と、益田を責めることはなかった。最善策を尽くした結果の敗戦に「しょうがない。もう1本のところまで、マー君を苦しめたし。最後の詰めが甘かった。今日は悲観しない。やることはやった。次につながります。何の問題もない。この悔しさをバネに、明日、やってくれればいい。こういう試合をやればいいんだ。仮に負けてもね」と、話した。

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井口弾で日米通算2000安打[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(38)が、日米通算2000安打を、楽天のマー君から、ホームランで達成した。

6回無死走者なし。初球の147キロ直球を左中間スタンドまで飛ばした。

4回の左前打で王手をかけており、2打席連続安打で決めた。ホームに生還すると、伊東監督と楽天松井から花束を贈られた。

「打ったのはど真ん中のストレート。ホームランは狙ってないですよ。来た球をいつも通り打っただけ。今年はこの数字(2000安打)を1つの目標にやって来たので、最高の形で決められて良かった。素直にうれしいですね。でも、チームの勝利。大事な試合だから勝たないといけない。初球を打ってしまったから、雰囲気を楽しむ余裕がなかったよ。試合はまだ終わってないから、今は試合に集中するだけ。試合後にじっくり振り返りたいね」とコメントした。

井口の初安打はダイエー時代の1997年5月3日、近鉄山崎慎太郎から奪った左前打。日本では通算1506安打、大リーグではホワイトソックスなどで通算494安打を放っている。

日米通算の大台到達は、イチロー(ヤンキース)、ヤンキース、巨人などで活躍した松井秀喜氏らに次いで日本選手5人目となる。

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