わたしはかもめ2013年鴎の便り(8月)

便

8月26日

大谷「再びチャンス」27日先発[ニッカン]

ロッテ大谷智久投手(28)が27日のソフトバンク戦に先発する。

再びチャンスが巡ってきた。今季は7月末から4試合に先発してきたが、前回17日のオリックス戦で制球が定まらず、1安打4失点でわずか3分の1回で降板。その後、22日の西武戦で中継ぎに戻されていた。

チームは2位ながら現在3連敗中。1ゲーム差に迫るソフトバンクとの初戦は是が非でも勝ちたいところだ。この日、ヤフオクドームで調整を行った大谷は「僕は立場的に1試合1試合が勝負になってくる。もう1回チャンスをもらえたんで、持てる力を出して勝ちにつなげたい」と話した。

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古谷離脱で左の先発ゼロ…藤岡が代役に急浮上[スポニチ]

左肩の張りで出場選手登録を抹消されたロッテ・古谷の代役に藤岡が急浮上した。

先発の駒不足が深刻で、古谷の離脱によって左投手がゼロに。開幕直後は先発だったが、不調により中継ぎに回った2年目左腕を期限付きで先発に復帰させる案を首脳陣は検討中だ。「2軍から昇格させる投手もいない。藤岡はもともと先発。何とか覚醒して欲しい」と川崎ブルペンコーチ。30日からの日本ハム3連戦(QVCマリン)で1ヶ月半ぶりに先発復帰を果たすことになりそうだ。

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侍ジャパン常設化へNPBが“強化委員会”設置[報知]

NPBが侍ジャパンの常設化へ向けて“強化委員会”を設置する方向であることが26日、分かった。4球団程度の代表者らで構成し、GMなどを置くことも検討されている。この日、侍ジャパン事業委員会で話し合われ、9月2日の実行委員会で諮られる見通しだ。

また、元ソフトバンク、巨人の小久保氏が候補に挙がっている、侍ジャパンの監督についてNPBの沼沢局次長は「議題の中に入っていない」。侍ジャパンは11月に台湾遠征を検討しているが、開催自体が不透明な状況。遠征が行われなかった場合の代表監督について、沼沢局次長は「進めていくつもり。常設ですから」と話していた。

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[千葉魂]開花した「ミスター遠回り」、古谷、松坂との思い出が運命変える[千葉日報]

忘れもしない。クリーニング店の上。6畳1間のアパートの2階だった。北海道から上京した若者はそこで1人、大学生活を始めた。野球とは縁遠い日々だった。それが古谷拓哉投手(32)の13年前の姿だ。

「カウンセラーになりたいと思っていました。だから、興味のあった分野に自分で選んで入りました。このまま野球を続けても、別に野球で生活出来る訳がない。だったら、辞めようと冷めた気持ちになっていた自分がいたんです」。

高校時代を過ごした駒大岩見沢では甲子園に2年夏と3年春と2度、出場した。3年の夏は南北海道予選決勝で自身のサヨナラ暴投で青春の幕を閉じた。そのショックで大学では野球部に入らなかったと周囲は口にした。が、当の本人は燃え尽きたような冷めた感覚が、グラウンドを遠ざけていた。大学では高校時代から興味を持っていた心理学部に指定校推薦で入った。付属の高校からたった1名の枠。学業成績によって勝ち取っての入学だった。野球もサークルで週に1回だけ楽しんだ。一塁を守った。ほどなく焼肉店でバイトを始めた。スポーツ刈りだった髪も伸びてきた。思い切って金髪に染めてみた。夜遅くまでバイトをして遊んで、陽が昇った頃に帰ってきて寝る。段々大学の授業にも出なくなった。不摂生な日々だった。「ひどい生活でした。ダラダラと毎日を過ごしていた。それこそ1日中寝ていた時もあった。授業も眠いから出ないという感覚でした」。

転機は大学1年の夏に訪れた。その時の事を鮮明に覚えている。1人、自室でなにげなくテレビを見ていた。シドニー五輪が行われていた。カーテンを閉めたままの薄暗い部屋で、ゴロゴロしながら見ていると野球が始まった。松坂大輔が投げていた。日本の若きエースは堂々としていた。ハッとさせられた。全身に電流が走ったような気さえした。

「1枚の写真の事を思い出しました。大切にしている写真。その瞬間ですね。『このままでいいのか?』ともう1人の自分が自分に問いかけてきたんです」。

慌ててアルバムを探した。1枚の大切している写真がそこにはあった。高校2年夏に出場した甲子園大会の事。開会式で横浜高校のエース・松坂に声をかけた。1年年上のアイドル選手と記念写真を撮らせてもらい、お互いの健闘を誓った。日本全国がその名を知る大会屈指の注目選手と出場校の1つの主力選手。その違いは確かに大きかった。しかし、まがいなりにも同じ舞台にいた。同じ時間を共有し、同じ空気を吸っていた。1枚の写真がそれを証明していた。それが今はどうだ。何度となく自問自答した。そして、とてつもない悔しさがこみ上げてきた。初めての経験だった。

「向こうはオリンピック。こっちは暗いアパートの部屋ですからね。どれだけ差が開いてんだよって。その瞬間ですね。今の生活の空しさを感じたのは。結果的にどうなるか分からないにしてもなにかに一生懸命向き合うことの大切さを痛感しました」。

思い立ったら早かった。金髪だった髪をバッサリと切った。そして名門・駒澤大学野球部の門を叩いた。途中入部という無謀な行為に周囲は驚いた。しかし、若さというエネルギーを取り戻した若者はただ前に進んだ。

「付属校出身で、さらに左投手だったこともあって、幸いにも入れてもらえた。今思うとよく入れてもらえましたよ。でも間違いなくあの時、テレビを見ていなかったら、体からエネルギーが沸き起こることはなかった」。

古谷の人生を振り返るとエリートとは程遠い、曲り道を歩んでいる。一歩違えば野球を辞めていた瞬間は何度も訪れている。大学も結果的には通算1勝7敗。野球を諦めかけ、就職活動を始めようかとした大学4年の春、日本通運と行ったオープン戦で好投をし、幸運にも社会人野球に誘われた。そして社会人でも芽は出ない。都市対抗でエースが打たれ、登板予定がなかったところを敗戦処理で登板。5回を1安打に抑え、プロのスカウトの目に留まった。そしてプロでも我慢と努力を重ね8年の月日が流れた。遅咲きの花が今、確実に大きく開こうとしている。

「僕は『ミスター遠回り』ですよ。でも、1人ぐらい、こんな人生を歩んでいるプロ野球選手がいてもいいじゃないですか」。

キラキラと輝き、自信に満ち溢れたエリート達がひしめくプロの世界にあって古谷の醸し出す雰囲気は確かに独特だ。ただ、泥臭い人生を歩んできた選手が今、遅咲きの輝きを放っていることは、この混沌とした先行き不透明な時代にあって1つの希望になりうるはずだ。25日に残念ながら左肩に張りを訴えて、出場選手登録を抹消されたが、一日も早い復帰が待たれる。あの日の古谷のように、その投球を見て人生が変わる若者がいるかもしれないのだから。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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