わたしはかもめ2013年鴎の便り(9月)

便

9月9日

千葉ロッテ4−3埼玉西武(QVCマリン)

ロッテは1回に鈴木の適時打などで2点を先行。2−2の7回1死二塁から代打福浦の左前打で勝ち越し、さらに細谷の適時二塁打で加点した。古谷は7回を3安打2失点にまとめ、6連勝で7勝目。西武は好機で攻めきれなかった。

123456789R
埼玉西武0010100013
千葉ロッテ20000020x4

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ロッテ古谷連投なんの!志願先発で6連勝[ニッカン]

ロッテ古谷拓哉投手(32)が志願の連投で西武戦2連勝に導き、10日からの楽天との本拠地3連戦に弾みをつけた。前日8日に2回4失点と打ち込まれたが、雨天ノーゲームに救われた。左肩の張りによる登録抹消から復帰したばかりだが、7回2失点で自身6連勝となる7勝目。首位楽天との差を6ゲーム差に詰めた。

秘めた闘志を白球に込めた。古谷は予定の5回を過ぎてもマウンドに立っていた。6回、西武の4番浅村までを3者凡退に打ち取ると、7回も3人切り。最後は外角低めにスライダーを沈め、熊代から空振り三振を奪った。「昨日があまりにふがいなかったので、絶対結果を出そうと。相手投手より先に降りたくなかった」と2失点投球を振り返った。

志願の連投だった。雨天ノーゲームとなった前夜、先発で2回を投げた。3連打や自らの悪送球で4失点。納得いかなかった。左肩の張りを訴えた8月24日以来の復帰登板で、球数も50に達していたことから、首脳陣は中継ぎ要員の藤岡の先発を決めていた。だが試合後、「僕、いけます」とスライド登板を直訴。川崎ブルペンコーチは「熱い男」と熱意を認めた。

3回に本塁打こそ浴びたが、被安打はわずか3。無四球の正確な制球で、見違えるような98球だった。打ち込まれたとは言え、前日のマウンドで久々の実戦感覚がよみがえった。これで7月17日のソフトバンク戦から、自身負けなしの6連勝だ。「本当にもう、ごっつぁん、みたいな感じです。ありがたい」と恵みの雨に感謝した。

チームは10日から、本拠地で首位楽天と対戦する。直接対決の3連戦はこれが最後。苦手の西武に勝ち越して臨めるのは大きい。古谷は「いや、自分のことで精いっぱいで、そこまで考えてなかったんですけど…」ととぼけたが、チームを救ったことに違いはない。

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雨れしい6連笑!ロッテ・古谷“復帰戦”飾った[サンスポ]

ロッテは9日、西武19回戦(QVCマリン)に4−3で競り勝った。雨のためノーゲームになった前日8日にも先発し、50球を投げた古谷拓哉投手(32)がこの日の先発も志願し、7回3安打2失点で7勝目をマーク。左肩の張りで離脱していたブランクを感じさせない投球で2日間で計148球を投げた。首位・楽天とのゲーム差は「6」と開いているが、10日からの本拠地3連戦で一気に差を縮める。

自分自身へのふがいなさが活力になった。先発の古谷が7回3安打2失点。直球は130キロ台後半と決して速くないが、要所をきっちりと締め、自身7月17日からの6連勝を飾った。

「気合を入れたつもりです。昨日の投球が本当にふがいなかったので、絶対結果を出そうと思っていた」。

8月24日の楽天戦(Kスタ宮城)で3回3失点。その後左肩に張りを訴え、出場選手登録を抹消された。復帰戦となった前日8日の西武戦は雨のため2回途中でノーゲームだったが、4失点した。納得がいかず、川崎ブルペンコーチにスライド登板を直訴。故障明けに加え50球を投げていただけに、首脳陣は当初、藤岡を先発させる方針だったが、その予定を覆させた。

抑えるイメージはできていた。緩い変化球を痛打された反省を生かし、この日は直球主体の投球。本塁打と犠飛で2点を失うも、降板した直後の7回に味方が勝ち越し。リベンジを果たし、白星も転がり込んだ。

今季初登板となった6月26日のオリックス戦では、あと1人でノーヒットノーランという快投を演じ、一躍、有名になったが、この日も存在感を示せた。

10日からは首位・楽天との3連戦。6ゲーム差あるが「今回は本拠地。地の利を利用しながら、明日から全部勝ちたい」と伊東監督。残り22試合、まだ諦めるつもりはない。

古谷拓哉(ふるや・たくや)
1981(昭和56)年7月14日生まれ、32歳。北海道出身。駒大岩見沢高から駒大、日本通運を経て2006年大学生・社会人ドラフト5巡目でロッテ入団。今季から投球フォームを脱力系に変更し5月30日に2軍のDeNA戦でノーヒットノーランを達成。今季1軍初登板となった6月26日のオリックス戦でも、あと1人でノーヒッターの快投を披露した。通算成績は8年間で105試合に登板、11勝2敗、防御率3.66(9日現在)。1メートル80、74キロ。左投げ左打ち。既婚。年俸1400万円。背番号27。

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古谷“男気連投”7勝目!「絶対に結果出したかった」[スポニチ]

2日合わせて148球。ロッテの古谷が7回2失点で7勝目を手にした。「前日がふがいなかったので、絶対に結果を出したかった」。

左肩痛からの復帰登板となった前日は、0−4とリードされた2回途中で降雨ノーゲーム。50球を投げたが、中止決定後、首脳陣にスライド登板を志願した。当初の予定だった5回の時点で2−2。西武の先発も連投の岡本洋で「先に降りたくなかった」と7回まで続投し、98球を投げた。

その7回に勝ち越すと、ベンチで雄叫び。前日の「恵みの雨」で自身6連勝とした8年目左腕は「“ごっつぁん”みたいな勝利」と喜んだ。10日からは本拠地で6ゲーム差で追う首位・楽天との3連戦。今季ホームで35勝22敗2分けの成績を誇る伊東監督は「地の利をうまく生かして全部取りたい」と意気込んだ。

福浦
「頑張っていた古谷を勝たせたかった。今日は9月9日。背番号(9)と同じ日なので打てたのかな。」(7回1死二塁から代打で決勝の左前打)

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古谷、志願連投7勝!前日50球→7回2失点[報知]

志願の連投が、白星を呼び込んだ。2回途中降雨ノーゲームに終わった前日から連投となった古谷が、7回3安打2失点で7勝目を挙げた。「昨日がふがいない投球だったので、絶対に結果を出そうという気持ちで投げた。勝ててよかったです」。左肩の張りから復帰後初戦で、結果を残した。

悔しさを1日で解消させた。8日の登板では、2回に4失点を喫するなど不本意な内容だった。左腕は「1回抹消されて時間をもらいながら、しっかり投げられなくて悔しかった」。50球を投じてはいたが試合後に首脳陣へ登板を直訴し、98球の熱投に結びつけた。

首位・楽天と6ゲーム差で、10日からの本拠地3連戦を迎える。伊東監督は「古谷もよく頑張ってくれた。明日からは今日とはまた違う集中力を出してくれると思う。全部取りたい」。頼もしい左腕の復帰が、チームに明るい光となった。

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ロッテ・細谷、久々の安打が貴重な適時打[サンスポ]

ロッテの細谷が7回に貴重な適時打を放った。この回に代打福浦の適時打で3−2と勝ち越し、なお1死一、二塁で左越え二塁打をマークした。6月30日以来となる安打に「角度も勢いもあったので抜けると思った」と振り返った。

4番の今江が故障し、代わりに6日から三塁を任されている。打撃練習中には伊東監督が自ら指導するなど期待は大きい。「全然打てないのに使ってもらっていた。貢献できたので良かった」と安堵の表情を浮かべた。

福浦
「何とか結果を出せるように一生懸命にボールに食らいついた。」(7回に代打で勝ち越しの左前打)

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福浦殊勲打は背番号のおかげ!?[ニッカン]

ロッテがベテラン力で勝ち越した。

同点の7回、先頭のサブロー外野手(37)が左前打で出塁。鈴木大地内野手(24)の犠打で1死二塁のチャンスをつくると、代打福浦和也内野手(37)が144キロの直球を左前へはじき返した。

殊勲打の福浦は「サブローが打ってチャンスをつくってくれたので、ボールに食らい付いた。ベテラン?たまたまです」。背番号9にちなみ「9月9日だから打てたのかな」と笑った。

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古谷、志願の連投で7勝目[ニッカン]

ロッテの先発、古谷拓哉投手(32)が7回2失点で7勝目を挙げた。

3回2死から西武鬼崎にソロ本塁打を浴びたものの、被安打はわずか3。雨天ノーゲームとなった前日に50球を投げていたが、連投でも尻上がりに調子を上げて98球を投げた。

前夜は左肩の張りで登録抹消となった8月24日以来の実戦復帰だった。「ケガ明けでもしっかり調整する時間をもらっていたので、1発目からしっかり投げたかったのにそれができなかった。悔しくて、今日こそ結果を出そうと思った」と志願の連投を振り返った。

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鈴木「体がうまく反応」適時打[ニッカン]

ロッテ鈴木大地内野手(24)が9月初打点を挙げた。

クレイグ・ブラゼル内野手(33)の犠飛で先制した1回、なおも1死満塁で右越え適時打を放ち、2点目を入れた。8月31日の日本ハム戦以来となる適時打で「打ったのはカーブです。先制した後で、さらに満塁だったので、1点で終わるわけにはいかないと思っていました。最低でも外野までは打たないとと思っていました。体がうまく反応してくれました」と話した。

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野球&ソフト、東京五輪で復活も[ニッカン]

野球・ソフトボールが2020年東京五輪で復活する可能性が出てきた。20年夏季五輪の開催地は、国際オリンピック委員会(IOC)総会(7日=日本時間8日早朝)で、東京がイスタンブールを破り、アジアでは初となる2度目が決まった。また、レスリングが実施競技に決定。一方、野球・ソフトボールの五輪競技への復帰を後押しする声が出てきた。正式復帰は容易ではないが、IOC会長選もからみ、可能性は残る。今後の行方は流動的だ。

桐光学園の松井が投げ、日本ハム大谷が打つ。そんな夢プランが、20年東京五輪で見られるかもしれない。IOCの一部委員が、東京五輪での野球・ソフトボールの復活に前向きな姿勢をみせた。

8日のIOC総会では20年東京五輪競技を選ぶ投票が行われた。2月のIOC理事会で除外候補となったレスリングが過半数(48票)を超える49票を獲得。野球・ソフトボールは24票(スカッシュは22票)で落選した。関係者は落胆に暮れていただけに、一部のIOC委員の意向は、一筋の希望の光になる。

IOC委員でもある日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は一部委員の声に「そりゃそうですよ。五輪憲章を変える必要はあるが、日本では一番人気のあるスポーツですから」と言えば、青木剛専務理事も「加えていただければありがたいし、期待したい」と話す。実際、前回64年東京五輪でも野球は行われた。公開競技ではあったが、米国大学選抜を相手に日本の大学選抜と社会人選抜が戦っている。

追い風もある。10日のIOC総会でジャック・ロゲ会長の後任を決める選挙が控える。本命はドイツ人の弁護士トーマス・バッハ氏。バッハ氏は現会長の路線とは違う独自の考えを持つ。ロゲ会長は夏季五輪の肥大化を防ぐため28競技の上限に厳格だった。バッハ氏は競技数の増加に寛容といわれる。

野球・ソフトボールの復活の夢は広がる一方で、実現までの道のりは簡単ではない。IOCの憲法ともいうべき五輪憲章には「競技数は28を超えない」と明記されている。現段階で20年東京五輪の競技数は上限の28。野球・ソフトボールは29競技目になるため、五輪憲章を改正しなければならない。改正には、委員の投票総数の3分の2の賛成が必要。開催都市決定の過半数に比べ、ハードルは高い。

それでも、前夜の落選から一縷の望みが出てきたことは事実。人気の高い野球はもちろん、08年北京五輪で金メダルを獲得したソフトボールの勇姿は、まだ記憶に新しい。野球・ソフトボールの復活なら、20年東京五輪がさらに盛り上がることは間違いない。

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五輪落選の「野球」…復帰にはMLBの協力不可欠[スポニチ]

20年東京五輪の競技から落選したことを受け、全日本野球協会と日本ソフトボール協会は都内で会見を開き、今後も両団体が協力し、2024年での五輪実施競技復帰を目指す意向を示した。

全日本野球協会の鈴木義信副会長は、今年4月に発足した「世界野球ソフトボール連盟(WBSC)」の存続を明かし「これにめげず、野球とソフトボールは引き続き復活を目指したい」と語った。

野球の五輪競技復帰へ向けては、一線で活躍するメジャーリーガーの出場が不可欠。同副会長は「今回の(落選した)1番の要因はMLBの完全協力を取り切れなかったこと。プロ野球がある日本、台湾、韓国などが結束して、IBAF(国際野球連盟)に働きかけることが必要」と訴えた。さらに、世界的な普及活動を通して、野球とソフトボールの魅力をアピールしていく構えだ。

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[千葉魂]一走入魂、入念な準備と研究、伊志嶺、ベンチにはストップウオッチ[千葉日報]

その瞬間、場内の雰囲気が一変した。スタンドもベンチもサヨナラ勝ちへの流れを確信した。相手は動揺した。9月1日、日本ハム戦(QVCマリン)。同点で迎えた九回2死一塁。カウント2ボール、1ストライクの4球目。代走で起用されていた伊志嶺翔大外野手(25)が走った。二塁に足からスライディング。確信があった。だから、審判の判定を待つまでもなかった。小さかったチャンスが大きなチャンスに変わった瞬間だ。そして打席の根元が左前打。この当りで三塁を蹴ってホームに帰ってきた。戻ってきた背番号「5」は、こぶしを握りしめて喜びを表現した。入念な準備と研究を重ねて成功させたスチール。そしてそれが生んだサヨナラ劇。サヨナラ打のヒーローではない。この盗塁が報道でクローズアップされることも少ないだろう。それは本人も分かっている。それでも充実感はいつも以上にあった。

「ベンチからのサインでした。でもサインが出なくてもつねに盗塁をする準備をしている。そうしないといざサインが出た時に盗塁はできません。あの場面、監督に使ってもらって、自分も走るつもりでいて盗塁のサインが出て成功した。その結果、ホームに帰ってこれて、勝った。役割を果たせたという充実感がありました」。

ベンチスタートの多い2013年シーズン。その中で心がけていることがある。それは精一杯の準備。出番が来た時にその場に応じて最高の結果を出せるように、出来る限りの準備、予習を怠らないように心がけている。

「ベンチにいて漠然と試合を見るのではなくて、何かすることはないかといつも考えています。自分がプレーしているつもりで打席を見ますし、守備もチェックします。そうすることでいざ、出番が来た時にしっかりとした対応ができる」。

今年からベンチに持ち込んでいるものがある。それがストップウオッチだ。代走で起用される機会の多い今季。その中で最高の仕事を果たせるにはどうすればいいか?考え抜いた末、思いついた。

「誰かに言われた訳ではありません。相手投手のクイックの速さとか、投球動作に入って、ミットに届くまでの時間とかを図って、気が付いたことがあったらメモをしています」。

大きな発見があった。投手によってはアウトカウント、ボールカウントによって大きな時間差が生じていた。自ずと盗塁を狙える状況が見えてきた。タイムだけではなく、牽制をする時の癖など、いろいろと気が付いたことをメモに取る。いつ代走で指名されてもいいように。そしていつでも走れるように。この備えが伊志嶺に自信を与えた。

「ベンチに座っている時も自分はいつも頭の中で一塁ランナーのつもりでそのピッチャーをイメージしてスタートを切るイメージトレーニングをしています。つねに試合の中に入っています」。

試合の合間、ベンチ裏で入念にストレッチを行い、ブルペンへとつながる細い廊下でダッシュを繰り返す伊志嶺の姿もよく目にする。声がかからず、その準備が報われない時だって多々ある。しかし、それについての悔いはない。大事なのは1日の中で出来る限りの備えをした事。出来るはずだった準備を怠り、いざチャンスを与えられた時に失敗をすることが1番の後悔だと考える。

後日、ロッカーのソファーに腰を下ろし、試合のVTRを入念にチェックしていた伊志嶺にあの盗塁の事を聞いた。ちょっと間があった。そしてどのような言葉で表現したらよいか思い悩んでいるような表情をして、しかし嬉しそうに振り返ってくれた。

「ここで走ると決まった瞬間にでしたね。不思議とアウトになるイメージは全く湧きませんでした。たまにあるんですよ。そういう瞬間。不思議な感覚。こういうのをゾーンに入るというのですかね」。

9月1日、夏休み最後の日曜日。オリオンズ時代のユニホームを着て試合を行ったレジェンドシリーズの最終戦。あのワンプレーでチームは同一カード3連勝を決めた。9回2死。待ちに待って最後の最後の場面で代走という形で出番が回ってきた。そこで記録された、たった一つの盗塁の中に、伊志嶺の全てが凝縮されていた。それは『ゾーン』という言葉で片付けられるものではない。準備と研究。今年1年を通して積み重ねてきた努力が作り上げた自信と結果だと思う。だから、走る前から分かった。一歩目で成功を、そして二歩目で勝利を確信できたのだと思う。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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