ロッテ重光昭夫オーナー代行(58)が19日、伊東勤監督(51)の来季続投の方針を示した。都内でオーナー会議に出席し「まあ、複数年契約でやってますからね。今季限りということはないです」と話した。伊東監督は今季、2年連続Bクラスからの立て直しを期待されて就任した。前日18日に3位に後退したが、楽天、ソフトバンクと上位争いを続けている。同代行は「2位と3位じゃ随分違いますから。まだ(優勝を)狙って頑張って欲しい」と話した。
ロッテは19日、小野晋吾投手(38)が今季限りで現役引退することを発表した。日曜日の登板で9連勝するなど「サンデー晋吾」の愛称で親しまれた小野は、「正直20年間、プロの世界でやっていけるとは思っていませんでした。色々な形でサポートしてくれた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです」と球団を通じてコメントした。20日にQVCマリンで引退会見を行う。今季はここまで1軍登板がなく、伊東監督は「機会があれば上に上げたいと随分思った。05年の日本一の功労者でもあるし、早く順位とかも決まった上で、セレモニーやってあげたいんだけどなあ」とねぎらった。
ロッテ・重光昭夫オーナー代行(58)は19日、伊東勤監督(51)を2年目となる来季も続投させる方針を示した。来季も現体制で臨むかとの問いに、「もちろんです、そのつもりです。既定路線ということです」と明言。「まだまだ(優勝を)狙えると思いますので、ぜひ頑張って欲しい」と逆転優勝を期待した。
西村徳文前監督を継いで今季就任した伊東監督は昨季から大きな戦力補強のない中、西野、古谷両投手ら埋もれていた戦力を発掘し、5月9日から7月5日まで首位に立つなど、昨季まで2年連続Bクラスだったチームを活性化。1年目の今季は、ここまで67勝60敗2分けで2位の成績を残している。同監督は就任時に複数年契約を結んでおり、続投は既定路線だった。
ロッテ・重光昭夫オーナー代行(58)が19日、写真週刊誌「フラッシュ」(9日発売号)に掲載された「ロッテがLIXILに身売り」の記事は事実無根とし、発行元の光文社に抗議文を送ったことを明かした。
ロッテは19日、小野晋吾投手(38)が今季限りで現役を引退すると発表した。20日にQVCマリンで記者会見を行う。小野は「正直20年間プロの世界でやっていけるとは思っていなかったが、色々な形でサポートしてくれた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです」と球団を通じてコメントした。球団は引退試合を用意する。
1994年に静岡・御殿場西高からドラフト6位でロッテに入団。2000年には毎週日曜日に好投し「サンデー晋吾」の愛称で親しまれた。今季は1軍登板はなく、プロ20年間で通算293試合に投げて85勝77敗、防御率3.68だった。
ロッテ・伊東勤監督(51)の来季続投が19日、決定した。都内でオーナー会議に出席した重光昭夫オーナー代行(58)が、現体制の維持について「もちろんです」と明言した。
就任1年目の今季は「翔破〜頂点を目指して〜」をスローガンに掲げ、積極的な選手起用で昨季の5位から躍進。投手では古谷を先発に抜擢して飛躍させたほか、育成出身・西野の潜在能力を見抜いてブレークに導いた。野手では2年目の鈴木が不動の遊撃手に定着。得点504に対して失点は521だが、勝負所を見極めた采配で貯金7の2位につけている。
中長期的なチーム強化を望む球団は早い段階で続投方針を固めていたが、シーズン終了を待たずに重光オーナー代行が来季も指揮を任せることを明言。今後は、今秋のドラフトや来季のチーム構想について、伊東監督を交えて話し合いを行っていく。
ロッテは19日、小野晋吾投手(38)が今季限りで現役を引退すると発表した。20日にQVCで記者会見を行う。小野は「色々な形でサポートしてくれた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです」と球団を通じてコメントした。静岡・御殿場西高から1993年のドラフト6位でロッテに入団。13勝(5敗)を挙げた2000年には毎週日曜日に好投し「サンデー晋吾」の愛称で親しまれた。今季は1軍での登板はなく、プロ20年間で通算293試合に投げて85勝77敗、防御率3.68だった。
ロッテの重光昭夫オーナー代行(58)は19日、伊東勤監督(51)を2年目となる来季も続投させる方針を示した。
来季も現体制で臨むかとの問いに「もちろん、そのつもり」と語った。就任時に2年契約を結んでおり、続投は既定路線。あらためて続投要請はしない考えで「複数年契約を結んでいますからね。頑張ってもらいたい」と期待を寄せた。伊東監督は1年目の今季、西野や鈴木ら若手を積極的に起用し、ここまで67勝60敗2分けの2位。7月5日まで首位に立つなど、2年連続Bクラスに沈んだチームを立て直し、重光オーナー代行も手腕を高く評価していた。
ロッテは19日、小野晋吾投手(38)が今季限りで現役を引退すると発表した。20日にQVCマリンで記者会見を行う。
小野は球団を通じて「常に背中を押してくれたファンの方々、関係者をはじめサポートしてくれた皆さまに感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントした。同投手は御殿場西(静岡)から93年ドラフト6位でロッテ入り。00年には毎週日曜日に好投し「サンデー晋吾」の愛称に親しまれた。今季は1軍での登板がなく、プロ20年間で通算293試合に投げて85勝77敗、防御率3.68だった。
ロッテの重光昭夫オーナー代行は19日、伊東勤監督(51)を2年目となる来季も続投させる方針を示した。来シーズンも現体制で臨むかとの問いに「もちろん、そのつもり」と話した。
伊東監督は就任時に複数年契約を結んでおり、続投は既定路線だった。1年目の今季はここまで67勝60敗2分けの成績を残している。
ロッテは19日、小野晋吾投手(38)が今季限りで現役を引退すると発表した。20日にQVCマリンで引退会見を行う。
小野は球団を通じて、「今季限りでの現役引退を決断いたしました。正直20年間プロの世界でやっていけるとは思っていませんでしたが、常に背中を押してくれたファンの方々、そして関係者を始め、色々な形でサポートしてくれた皆様に感謝の気持ちで一杯です」とコメントした。
6月に国内FA権を取得しオフの去就が注目される西武・涌井秀章投手(27)が同じパ・リーグのロッテ移籍を基本線としていることが分かった。
昨オフ、球団が提示した2年契約を辞退し、単年契約を結んだ涌井はFA動向に関して「シーズンに集中するだけ」と明言を避けているが、ここ数年の球団との関係性、チーム内での立場の変化からFA移籍は確実視されている。近い関係者は「昨年の一連の週刊誌女性問題で守ってくれるどころか、矢面に立たされ世間のバッシングを受けた。コンプライアンスありきで上ばかり見ている球団との信頼関係はもはやないに等しいし、球団側の引き留め姿勢も本物ではない」と涌井と球団の冷え切った関係を語っている。
問題はその場合の行き先だが本人の意思は大方が予想するDeNAではなくロッテにあるようだ。涌井自身が千葉出身であること、現在の指揮官が西武入団時の伊東監督であることは便利な理由付けとなる。一方で、一番の動機となってくるのは公私に渡って交流が深く強い信頼関係を結ぶロッテ・大迫幸一フィジカルコーチ(60)の存在だ。
涌井が西武に入団した2005年から父親のように慕い信頼してきた同コーチは11年限りで西武を退団、昨年からロッテのフィジカルコーチを務めている。チームメートから「思ったことを何でも口にするので非常に誤解されやすいタイプ。自分を知っていてくれる理解者がいた方が力を発揮しやすい」と言われる涌井にとって、今の西武は居場所を見つけ難くこれ以上の上積みも望めない環境となっている。
涌井は現在でも深い交流の続く大迫コーチの仲介で、伸び悩む未完の大器・唐川の教育係としてもすでに一役買っており、今年から千葉県内で合同自主トレを行うなど移籍後の人間関係の下地も着々と作っている。またロッテには母校・横浜高の先輩・成瀬や元西武の清水外野守備走塁コーチ、立花打撃コーチなど涌井を理解する環境はすでに整備されている。あとは大手を振って希望を叶えるために残りの後半戦、FA選手の価値に恥じないよう結果を残すことか。
なぜこのタイミングで?プロ野球の加藤良三コミッショナー(72)が19日、東京都内のホテルで行われたオーナー会議で、統一球問題の責任を取って今季のレギュラーシーズン終了後に辞任する意向を表明した。統一球問題を調査する第三者委員会の27日の最終報告を待たずに突然の辞意表明。後任は未定で、まさに山積する問題を“丸投げ”して球界を去ることになった。
引き際も「無責任」だった。オーナー会議の開会直後、加藤コミッショナーが辞意を表明した。会議後の記者会見で「統一球問題で野球ファン、関係者にご迷惑をかけた。それが大きな要因」と説明。統一球を調査する第三者委員会のヒアリングが一段落し、20年の東京五輪開催が決定したこともきっかけになったとし「スポーツ界にいい風が吹いている。野球界もフレッシュに体制強化を図っていくべき時期で、それは1日も早い方がいい」と、理由を語った。
会見ではきれいごとを並べたが「敵前逃亡」と言われても仕方がない辞任表明だった。8日後には統一球問題を調査する第三者委員会の最終報告書が明らかになる。コミッショナーの責任を厳しく追及する内容になるのは必至。やや沈静化していた批判の矛先が、統一球問題の“無責任会見”直後のように再び襲いかかってくる可能性が高い。第三者委から「辞めるべき」と通告される前に、自ら身を引いた形だ。
後任選びは難航が予想される。コミッショナー不在による球界の混乱を憂慮する一部のオーナーから「少なくとも日本シリーズ終了後まで続けるべきではないか」と慰留を促す声もあったが、加藤コミッショナーはかたくなにこれを拒否した。レギュラーシーズン終了(日本シリーズ開幕前日=10月25日)までに辞任することが決まった。
セは巨人が優勝目前。パも楽天が球団史上初の優勝へ向けカウントダウンに入っている。自身のプライドだけを守ろうとする姿勢が見え隠れする辞任表明に、会見ではタイミングを疑問視する質問が相次いだ。「なぜ今なのか?」「第三者委の報告を受けての辞任が自然なのでは?」「ペナントレースに水を差すと考えなかったのか?」。しかし、加藤コミッショナーは「たまたま社員総会(オーナー会議)があった」「なるべく早くフレッシュスタートを切った方がいい」など、同じような返答を繰り返した。
加藤コミッショナーは昨年7月に再任されて3期目(任期2年)の途中。7月10日のオーナー会議後に辞任する意思がないことを明らかにし「野球界が素晴らしい人材を次に選ぶということについて、協力もしたい。まずは第三者委員会に全面的に協力して報告を待ちたい」と話していた。後任にバトンを渡すまでは責任を持って組織改革に取り組む姿勢を示していたが…。最後はやっぱり「丸投げ」だった。
プロ野球の加藤良三コミッショナー(72)が19日、東京都内のホテルで行われたオーナー会議で、統一球問題の責任を取って今季のレギュラーシーズン終了後に辞任する意向を表明した。
ソフトバンク王貞治球団会長(73)は、都内で取材に応じ加藤コミッショナーの辞任を残念がった。同コミッショナーの特別顧問としてWBCの監督人事など後方支援に回っただけに、「残念です。野球界のため良かれと思って取り組んでいたと思う」と神妙な面持ちだった。巨人渡辺球団会長から次期コミッショナー候補に“指名”されている件については、「世論云々より、これから皆さんでどう決めるか。今日の(オーナー)会議でもどうこうというのはなかったでしょ?僕自身は何も聞いていないし、仮定の話をしても、ね」と語った。
プロ野球のオーナー会議(宮内義彦議長=オリックス)が19日、都内のホテルで開かれ、加藤良三コミッショナー(72)が日本シリーズ(10月26日開幕)前に辞任することを表明し、了承された。後任のコミッショナーについては、12球団のオーナーが話し合って選定していくことで合意した。だが、後任に望む人物像では、セ・リーグ球団は「最終の裁定者」、パは「ビジネス感覚のある人物」と真っ向から対立していることが判明。決定までには時間がかかりそうだ。
午後2時から始まったオーナー会議の冒頭、加藤コミッショナーは日本シリーズ前の辞任を表明した。会見では「統一球問題でお騒がせし、迷惑をおかけした」ことを辞任の理由に挙げた。
各オーナーからは「コミッショナーだけの責任ではない」との声が上がったものの、辞任は了承され、焦点は早くも後任選びに移った。ところが、選考は早くも難航の様相だ。セとパが望むコミッショナー像が違いすぎている。
セのオーナー達はこの日、会場のホテルに正午に集まった。レストランで食事をともにして“緊急会合”。次期コミッショナーの人選にむけた意思統一を図る目的だったとみられる。セの望む人物像は「コミッショナーは最終的な裁定人という感じ」(ヤクルト・衣笠オーナー代行)という。
一方のパは、ビジネス優先だ。途中退席した楽天・三木谷オーナーは「実務派を選任すべきだ。著名人でなくても、若い人でもいい。山積している問題をきちっと処理できる人物を選んで欲しい」と注文をつけた。
球界の番人か、ビジネス優先か−。昨年も加藤氏の再任をめぐり、セとパは対立した経緯があり、今回も難航は必至。この日は各オーナーから「意中の人物」の具体名は出ず、腹の探り合いとなったようだ。
過去のコミッショナーは、長くプロ野球を主導してきた巨人などの人脈で決まることが多かった。宮内議長は「密かに何人かの名前が出てくるでしょう。ピックアップしてお互いに検討しようということ。私はリーダーではなくリエゾン(連絡役)として機能したい。12球団で決めていく」と、特定球団が主導するのではなく、オーナー会議で後任を決定する方針を示した。
次期コミッショナーの選任について宮内議長は「10月25日が1つのメド」としたが、10月中に予定される次回オーナー会議で結論が出る可能性は低く、空白期間が長く続く可能性もある。その場合、コンプライアンス担当のコミッショナー顧問で、弁護士の熊崎勝彦氏(71)が代行を務める可能性が高い。
DeNA・春田オーナーは「さらにコミッショナーの責任は重くなる。“この人の下でなら一致団結できる”という人が望ましい」と話した。巨人・渡辺球団会長が推す王貞治・ソフトバンク球団会長であれば、早期決着の可能性もあるが、王氏は就任を固辞しており、この日も「12球団が考えて選ぶべき」と語った。
加藤氏の電撃辞任で突如始まったプロ野球のリーダー選びは、全く着地点が見えない。シーズンの佳境を迎える中で混乱が長引けば、さらなるイメージダウンは避けられない。
辞任を表明した加藤良三コミッショナー(72)は都内のホテルでのオーナー会議後、記者会見を行った。大勢の報道陣に囲まれ、「統一球問題でお騒がせし、迷惑をかけたことが大きな要因」と辞任の理由を明らかにしたが、「統一球問題は大きな失態ではあったが、不祥事ではない」と改めて強調した。プロ野球選手会の関係者からは「ペナントレースが終盤で佳境に入ったこの時期になぜ」などと、疑問の声が相次いだ。
プロ野球の加藤良三・第12代コミッショナー(72)は19日、都内で行われた12球団オーナー会議(宮内義彦議長=オリックス・オーナー)で辞任を表明した。統一球隠蔽問題で球界に混乱を招いた責任を取った。日本シリーズ開幕前日の10月25日に退任を予定している。任期途中での辞任は4人目。オーナー会議は、速やかに後任の選定作業に入ることを確認した。
サバサバした表情で、加藤コミッショナーは会見場に現れた。オーナー会議の冒頭で辞任を表明した。「統一球問題でお騒がせし、ファン、関係者に迷惑をかけたことが大きな要因」。一連の騒動が、決断を後押ししたと認めた。
08年7月に就任して3期目。元駐米大使の経歴を生かし、国際化推進をライフワークとした。11年から導入した統一球もその一環だったが、来年6月末までの任期を残して無念の辞任となった。
ペナントレース佳境でもある。27日に行われる統一球問題を検証する第三者委の最終調査報告を待つことなく、なぜ今なのか。「第三者委には知っていることは誠実に申し上げた。フレッシュなスタートを切るには早い方がいい」と繰り返した。一部オーナーからは「体制にも不備があった」「日本シリーズ後までは続投を」との声も上がったが辞意は固かった。巨人の白石オーナーは「残念ですが、けじめをつけたいとのことでしたので、やむを得ない」と受け止めた。
宮内議長はシリーズ前日の10・25を「1つのデッドライン」と設定し、後任探しに着手する意向を明かした。具体的な名前は「今日までのところ全く出ていない」ため「12球団がこの人と思う方をピックアップして、それをお互いに検討する」とした。早ければ10月2日に予定される臨時オーナー会議でも議論される。
新コミッショナー像はまだ固まっていない。「できるだけ常任に近い人」(宮内議長)は大前提として、両リーグでは大きく思惑が異なる。セが「野球の最終的な裁定人」(ヤクルト・衣笠オーナー代行)ととらえているのに対し、パは「裁判官というよりビジネスが分かって、パイを大きくできる方」(ロッテ・重光オーナー代行)というのが代表的な意見だ。
「大変難しいが、とりあえず12球団が全力で努力する」と宮内議長。残り36日。「空白は作ってはいけないという認識はある」とNPB幹部は話した。もし、10・25までに間に合わない場合は、代行を置くことも視野にある。球界が、短期間で難事業に臨む。
※ソフトバンクは笠井和彦代行が欠席し、高田浩一郎執行役員が陪席(敬称略)
プロ野球の加藤良三・第12代コミッショナー(72)は19日、都内で行われた12球団オーナー会議(宮内義彦議長=オリックス・オーナー)で辞任を表明した。統一球隠蔽問題で球界に混乱を招いた責任を取った。日本シリーズ開幕前日の10月25日に退任を予定している。任期途中での辞任は4人目。オーナー会議は、速やかに後任の選定作業に入ることを確認した。
薄笑いを浮かべて会見場に現れた加藤コミッショナーは、ひたすら淡々と質問に答えた。任期を全うできずの辞任。努めて無表情を装う姿に無念さがにじみ出た。
「統一球問題で野球ファン、関係者に大変ご迷惑をお掛けしたのが大きな要因。(東京五輪開催も決まり)スポーツが前に進むべき時期に、なるべく早く身を引いた方がいいと判断した」。
辞任理由をそう説明したが、セ、パの優勝争いが佳境に入った今、球界内には「なぜ、この時期に?」の声が上がる。辞任表明のタイミングについて、27日に統一球変更の経緯などを調査する第三者委員会の最終報告があることを明かして「早くフレッシュな体制でスタートを切った方がいいと思った」とした。しかし、ペナントレースの盛り上がりに冷や水を掛けた感は否めない。
加えて第三者委の最終報告が厳しく責任を問う可能性もあり、批判の矢面に立つのを避けるため先手を打って辞任したとも受け取れる。外務省出身の元エリート官僚。その高いプライドと球界のバランス感覚に欠けた側面が、後味の悪い引き際にしてしまった。
08年7月に就任して以来、球界のグローバル化を掲げて改革に取り組んできた。ただ、具現化したものは少なく、今春のWBCでも監督人事が遅れ、3連覇を逃す一因となった。そんな中で最大の功績だったのが統一球導入。加藤氏の肝いりで自身のサインまで入れた統一球が皮肉にも辞任の引き金となった。
「第三者委員会には知ってること全て申し上げた。問題がこういう展開になったのは非常に遺憾です」。その言葉に球界のリーダーとしての威厳は全くなかった。
任期中に辞任したコミッショナーは過去に3人いる。
第6代の金子鋭氏(元富士銀行相談役)は、78年ドラフト会議で江川卓の去就をめぐる騒動「江川事件」の責任をとり、79年2月に任期2年7ヶ月で辞任。第8代の竹内寿平氏(元検事総長)は健康問題を抱えたため、88年6月に任期2年1ヶ月で職を退いた。98年3月から務めた第10代の川島広守氏(元内閣官房副長官)は04年3月の任期満了を前に、キャンプインに合わせて同年1月31日で辞任した。
加藤良三コミッショナー(72)は19日、都内でのオーナー会議で、統一球を今季から飛びやすく変更しながら公表していなかった問題の責任を取って辞意を表明した。日本シリーズ開幕前日の10月25日までには退任する。コミッショナーの任期は2年で、加藤氏は昨年7月に再任されて3期目に入っていた。任期途中の辞任は4人目となる。後任は未定だが、王貞治氏(73=ソフトバンク球団会長)を最有力候補に12球団の意見を集約し、10月上旬に臨時オーナー会議を開く。
加藤コミッショナーの突然の辞任表明を受け、王コミッショナー擁立への動きが急加速するとみられる。王氏はこれまで「体力的に無理」と終始否定的な見解を示してきたが、この日都内の自宅前で取材に応じ「僕自身も何も聞いていない。仮定の話をしても(オファーが)来るのか来ないのかも分からない」と話した。
この日のオーナー会議では具体名は出なかったが、セ・リーグのある球団幹部は「王貞治コミッショナーにして、その下に補佐を置くという構想を進めている」と明かした。新たなコミッショナーについてあくまで球界からの選任を主張するセに対し、パ・リーグは侍ジャパン事業などビジネス面を拡大できる実務に強い人物を希望してきた。しかし、この日のオーナー会議で、日本ハム・津田敏一臨時代理人(球団社長)は「トップが常勤で実務的な方か、トップができないならNo.2にしっかりと実務的な方が来る必要がある」と折衷案に言及した。
統一球問題の発覚後、今年7月には巨人・渡辺恒雄球団会長(87)が「人格、識見、人柄。これ以上の人はいない。野球界が奇麗になるんじゃないか」と王氏を強く推薦。現在、コミッショナー特別顧問の肩書も持つ王氏。加藤コミッショナーの前任、根来泰周コミッショナーが約1年半「代行」を務めていた際から「王コミッショナー待望論」はあった。
統一球問題に端を発するNPBに対する不信感は、今や野球ファン、球界全体に対するものに広がっている。それだけにDeNA・春田真球団オーナーが「ファン、野球界、世間を騒がせた状況を考えると、火中のクリを拾ってくれる方にならざるを得ない。そんなにたくさん具体名は浮かばない」と話し、改革のリーダーシップを取れる人物が望ましい。その意味で王氏が最高の適任者であることは疑いようがない。
オーナー会議議長のオリックス・宮内義彦オーナーは「(後任選びは)10月25日が1つのデッドライン。待遇に柔軟性を持たせることも必要」と話した。コミッショナーの報酬は年2400万円といわれる。ソフトバンクの球団会長職を辞するに当たり、その差を埋める必要もある。時間はないが、王氏の擁立は球界を変えるというファンへのメッセージでもある。
統一球問題の発端となったNPBの下田邦夫事務局長は、加藤コミッショナーの辞任表明を受けて「本当に申し訳ないの一言です」と話した。
昨年10月に統一球の反発係数の調整をミズノ社に発注。現場の混乱を避けるため公表しなかったことが、結果的に大きな混乱を招いた。今回のオーナー会議で下田氏の進退が話されることはなかったが「処遇はコミッショナーに一任しております」と神妙な表情だった。
加藤コミッショナーの辞任を受け、労組・日本プロ野球選手会からは球界再建を望む声が上がった。嶋基宏会長(楽天)は「今後、良くなるか悪くなるかは次のコミッショナーの人選次第。野球界が良い方に向かっていくような方を選んでいただきたい。選手会とNPBが協力してプラスになっていけば」と期待を込めた。
選手会は6月27日、統一球の変更を知らなかったとする加藤コミッショナーの態度を問題視し、NPBに要望書を提出。「強いリーダーシップを発揮できるコミッショナーが必要」と訴え、事実上の退任要求を突きつけた。それから約3ヶ月後の突然の辞任劇となり、松原徹事務局長は「なぜこのタイミングなのか、という疑問はあるが、球界の将来のため、リーダーシップの取れる強いコミッショナーの下で立て直してもらいたい」と話した。
プロ野球の加藤良三コミッショナー(72)は19日、東京都内でのオーナー会議で、統一球を今季から飛びやすく変更しながら公表していなかった問題の責任を取って辞意を表明した。日本シリーズ開幕前日の10月25日までには退任する。加藤氏は記者会見で「統一球問題でお騒がせし、迷惑を掛けたことが大きな要因」と説明した。後任は未定。
コミッショナーの任期は2年で、加藤氏は昨年7月に再任されて3期目に入っていた。任期途中の辞任は4人目となる。
後任の人選に関し、オーナー会議の議長を務めるオリックスの宮内義彦オーナーが中心となり12球団の意見を集約する。10月2日に臨時オーナー会議を開く方向で調整している。
プロ野球を統括する日本野球機構(NPB)は6月に2年前から導入していた統一球の仕様変更を認めたが、加藤氏は「全く知らなかった」と釈明。ファンからの批判や、日本プロ野球選手会からの退任要求を受けても辞任を否定していた。
統一球変更の経緯などを調査する第三者委員会からの最終報告が出る9月27日を前に一転して、自ら退任を決めた。優勝争いが大詰めを迎えている時期での表明に、加藤氏は「なるべく早くフレッシュなスタートを切った方がいいと考えた」と話したが、選手会の新井貴浩前会長(阪神)は「どうしてこのタイミングなのか」と疑問を呈した。
加藤氏は1965年に外務省に入省し、2001年から駐米大使を務めた。08年7月から第12代コミッショナーに就き、11年からの統一球導入では主導的な役割を果たした。
プロ野球の加藤良三コミッショナー(72)は19日、東京都内でのオーナー会議で、統一球を今季から飛びやすく変更しながら公表していなかった問題の責任を取って辞意を表明した。
プロ野球の加藤良三コミッショナーは記者会見で硬い表情を崩さず辞任の理由などを語った。
突然の方向転換だった。加藤良三コミッショナーは任期途中で職を辞すことを明らかにした。統一球問題を検証する第三者委員会の最終報告を27日に控えての辞意表明には「なぜ今なのか」との疑問がぬぐえない。
問題が明るみに出た直後、加藤コミッショナーは進退に関し「コミッショナーの職に求められるものを、1日1日実行していく」と辞任を否定したものの、「第三者(委員会)から意見が出れば留意すべきこと」と話し含みを持たせていた。外部の識者の見解を踏まえてから、自身の進退を判断すると受け止めるのが自然だ。
第三者委の調査では、日本野球機構(NPB)のガバナンス(統治)の在り方が焦点の1つとなっている。最終報告が組織の最高責任者にとって厳しいものになる可能性もあり、先手を打って辞任することで、今後、批判の矢面に立つことを回避しようとしたとみられても仕方がない。
この日の記者会見ではこれまでの発言を翻し「私が知っている限りのことは第三者委に話した。なるべく早く身を引いた方がいい」と説明したが、後味の悪さが残る引き際となった。
プロ野球の加藤良三コミッショナー(72)は19日、東京都内でのオーナー会議で、統一球を今季から飛びやすく変更しながら公表していなかった問題の責任を取って辞意を表明した。
任期途中でコミッショナー職を辞するのは、加藤氏で4人目になる。
第6代の金子鋭氏は1979年2月、江川卓投手が野球協約の盲点をついて巨人入りした「空白の1日」事件の責任を取り辞任。第8代の竹内寿平氏は病気のため、88年6月に退いた。第10代の川島広守氏は2004年3月まで任期があったが、キャンプインの2月1日は新体制で迎える方が好ましいとして、1月末で身を引いた。
加藤良三コミッショナー(72)が、任期を残して辞任することになった。統一球の導入をはじめ野球の国際化に意欲を見せながら、突然の辞意表明に至った裏には、高まる孤立感があった。3回の緊急連載で、プロ野球の問題点を探る。「なぜ事務局長が独断でやったのか、今もって分からない」−。
加藤コミッショナーは、サンケイスポーツの取材に辞意を明かした前日18日、苦しそうな表情を浮かべた。外交官として、国と国との間で、信義に基づいて行動してきた者として、不本意だったのだろう。
6月11日に統一球の仕様を変更しながら隠蔽していた問題が発覚。2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)以降、加藤氏が統一球の導入に精力を注いだことは野球ファンにも周知の事実だった。それだけに、隠蔽は知らなかったと話した加藤氏に、NPBの職員でさえ「コミッショナーも知らないはずがない」と疑念を抱いたほどだった。
昨年7月のオーナー会議で、加藤氏の再任に注文をつけた一部球団が、責任問題に火を付けた。13年のWBC出場へむけ、日本代表のスポンサー権を日本に帰属させようとした問題で、加藤氏が積極的に動かなかったことを批判していた日本プロ野球選手会は、“不信任”を突きつけた。
孤立感と無力感を、加藤氏は深めていった。3月には米大リーグのバド・セリグコミッショナーと会見し、数年に1度のペースで日米覇者による「真のワールドシリーズ」を米西海岸で実施するプランを提示していた。「アイデアは披露したが、自分には補佐してくれる人間もいなかった」とため息をついた。
オーナー会議後の会見では、なぜ第三者委員会の報告前に辞意を表明したのかと問われ、「これまで皆さんにお話しした通りのことを、私が信ずるところを委員会には誠実にお話ししてある」と言い切った。もはや地位に恋々とはしない。自らには一点の曇りもないという矜持から、辞任を決断したように見えた。