わたしはかもめ2013年鴎の便り(11月)

便

11月12日

俊介、自主トレ公開、メジャー球で150球「投げやすい」[スポニチ]

ロッテを自由契約選手となり、メジャー挑戦を表明している渡辺俊介投手(37)が横浜市内で自主トレーニングを公開し「体調はシーズン中と変わらない。良いものを見せるために準備をしておく」と約2時間、汗を流した。

ブルペンでは日本の統一球より滑るといわれるメジャーの公式球を使って約150球。カーブやシンカーなどの変化球は「動いてくれるから投げやすい。抵抗はないし、投げにくさもない」と不安を感じていない様子だった。移籍先などの交渉は代理人の団野村氏に一任しており「興味を持っている球団があると聞いている。メジャーでやれるチャンスがあれば」と話すにとどめた。

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俊介、メジャー球で熱投150球[報知]

米大リーグ挑戦を表明しているロッテ・渡辺俊介投手(37)が12日、横浜市内で練習を公開した。メジャー使用球でブルペンで150球を投げ込むなど約2時間半、汗を流した。米球界からの接触について「僕の口から言えることはない」としたが、「いいものを見せられるように準備をする。それは楽しみ」と話した。最後の挑戦へ周囲の反応は賛否両論だと言うが、昨年までレッドソックスで指揮を執り、09年までロッテを率いたバレンタイン氏からは「スバラシイデスネ」と電話でエールを送られたという。現在は4勤1休で体を動かし、英会話教材で語学の習得にも余念がない。

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ロッテ・渡辺、米挑戦へ準備着々「正直楽しみです」[サンスポ]

来季から米大リーグへ挑戦する意向を表明しているロッテの渡辺俊介投手(37)が12日、横浜市内でトレーニングを公開し「いいものを見せるように準備する。それは正直、楽しみです」と充実感を漂わせながら話した。

ブルペンでは約1時間、直球やカーブなど1つ1つの球種を確認しながら投げ込んだ。既に米大リーグ公式球での練習も始めており「思ったより気にならない。ボールも動いてくれるから、変化球も投げやすい」と早くも手応えを感じ取っていた。

交渉に関しては代理人の団野村氏に任せ、来年1月には沖縄・石垣島での練習も予定している。右下手投げのベテランは「交渉ごとは僕にはできない。今、焦ってもしょうがない。(米国に)行って結果を出す」と落ち着いた表情だった。

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渡辺俊メジャー球使い投げ込み[ニッカン]

来季の大リーグ挑戦を表明しているロッテ渡辺俊介投手(37)が12日、横浜市内でトレーニングを公開した。

キャッチボール、ピッチング、ランニングで約2時間半。ブルペンではメジャー公式球を使い、変化球を交えて150球を投げ込んだ。交渉は代理人の団野村氏に一任している。「焦ってもしょうがない。いいものを見せられるよう準備して待つ。それは正直、楽しいです」と充実感を漂わせた。

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ロッテ戦力外の工藤が中日キャンプにテスト生で参加[スポニチ]

中日は12日、ロッテを戦力外となった工藤隆人外野手(32)がテスト生として21日まで秋季キャンプに参加すると発表した。

工藤は、早速この日の紅白戦にロッテのユニホームを着て先発出場し、適時二塁打など2安打とアピール。「チャンスをいただいて感謝の気持ちでいっぱい。新人らしく、元気はつらつでいきたい」と意気込んだ。

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選手会、ポスティング新制度案を13日にも了承へ[スポニチ]

労組・日本プロ野球選手会の松原徹事務局長は、日米間で見直しを進めているポスティング・システム(入札制度)の新制度について「昨日の夜から今日にかけて嶋(基宏)会長以下、12球団の選手会長と連絡を取った」と明かした。

選手会は前日の労使折衝で日本野球機構(NPB)に対して一両日中に態度を表明すると伝えている。同事務局長は、新制度について選手の意見を集めた上で「それを基に明日(13日)に事務局で今後の対応を決めたい」とした。13日にもNPBに新制度案を了承することを伝える模様だ。

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[千葉魂]さらばサブマリン、渡辺俊介、メジャーに挑む[千葉日報]

雨中のマウンドに渡辺俊介(37)が向かった。グラウンドに人影のまったくない午前11時。雨が強く降りしきる中、その感触を何度も確かめるようにマウンドの土を踏み続けた。セットポジションから1度だけシャドーピッチングを行った。最後に無人のライトスタンドの方を見上げた。誰もいないスタンドから「俊介」コールが聞こえた気がしたのかもしれない。ニコリと笑うと、QVCマリンフィールドのグラウンドを後にした。11月4日。メジャー挑戦を表明する会見の4時間前の出来事。千葉ロッテマリーンズで時代を築いたサブマリンは想い出の1つ1つを噛みしめるように時を過ごしていた。慣れ親しんだ一塁側ブルペンにも別れを告げ、帰りの廊下の途中で独り言のように話し出した。

「あのマウンドに何百回も行ったよね。でも、これが最後。そう思うとさすがにこみ上げるものがあった。寂しかった。ブルペンに向かう道のりもそう。ここを何百回も通った。嬉しかった時もあったし、辛かった時もあった。この球場には本当に色々な思い出が詰まっている」。

サブマリン投法。どこまでもこの風の強いQVCマリンというスタジアムが似合う男だった。下手投げの独特の投法は多くのファンを魅了した。2005年の日本一はこの男の力投によるものが大きい。そんな背番号「31」とも別れなくてはいけない時が来てしまった。人生には必ず別れの日は来る。それは辛い。しかし、それを自ら選んだ。その決断に私はある曲を思い出した。

日本一になった05年の年末。彼が運転する車中で、唄が流れた。思い出の唄だと話してくれた。ドラフト4位。周囲からは大きな期待をされての入団ではない。ドラフト上位の選手と違い、1軍へのレールなど用意されていない中でのプロ生活。自分の力で数少ないチャンスを必死で掴み、這い上がらないといけない立場だった。「2軍球場から自宅までの帰りの車でよく聴いていた曲なんだ」。1軍に上がっては落とされる日々だった。そんな苦しい時にずっと聞いていた曲だと教えてくれた。泣きながらも自分を奮い立たせるために聞いていた。それがコブクロの「轍(わだち)」だった。

「歌詞は全部好き。その中でも特に2つある。『眠れないほど悩んで見えた答えがあるなら君さえ知らない君を見つける旅に出かけようよ。轍さえもない道をただ進め』という部分。そして『昨日を振り返るなら見えない明日に目を凝らせ』という歌詞の部分かな」。

若かりし渡辺は1軍で活躍するためにはどうすればいいか。悩みに悩み抜いて、答えを導き出し、その道を信じて、自分の手でつかみとったチャンスという名の道を突き進んだ。昨日の失敗に落ち込み過ぎず、過去の成功にいつまでも浸らずに生きてきた。今と明日を大事にする精神。それは今も大事にしているポリシーでもある。

「何かに迷ったりした時に今まで歩んできた道のりは正しかったのだと思い返すことが出来る。不安になる時もあるけどオレは自分の考え方のもとでやることはやってきたと言える人生でありたいと思っている」。

あの日、渡辺がハンドルを握りながら語ってくれた一言一言を今も鮮明に覚えている。年末の空気が澄んだ、夕焼けの綺麗な日だった。メジャー挑戦という彼の決断を聞いた時、その時の風景がハッキリと思い出された。『眠れないほど悩んで見えた答えがあるなら君さえ知らない君を見つける旅に出かけようよ。轍さえもない道をただ進め』。彼は眠れないほど悩んで答えを出したのだろう。そして遠い旅に出る事を決意した。37歳、アンダースロー投手のメジャー挑戦。それは轍さえもない道だ。

「00年にドラフトで指名されて以来、13年間、マウンドに上がる度に『俊介』コールをしていただきました。あの感動は一生忘れません。アメリカに行っても、千葉ロッテファンの声援の中で投げていたことを誇りにマウンドから投げたいと思っています。皆さんの声援を思い出して、自信を持って投げたいと思っています」。

会見で力強くコメントした。外は雨が降っていた。大粒の雨だった。渡辺俊介は雨男だった。だからではないだろう。千葉の空も、マリーンズの誇るサブマリンとの別れがこの上なく寂しかったのだろう。トレードマークでもある赤色のスポーツカーが、QVCマリンフィールドの駐車場を飛び出していった。「今までありがとう」。関係者に別れを告げて、旅立って行った。いつの間にか、雨は止んでいた。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

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