わたしはかもめ2017年鴎の便り(1月)

便

1月16日

伊東勤氏が殿堂入り、熊本工の先輩川上氏の手紙励み[ニッカン]

球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが16日、都内の野球殿堂博物館で発表された。監督歴代10位の1181勝を挙げた楽天星野仙一副会長(69)と、大洋(現DeNA)で通算201勝を挙げた平松政次氏(69)はエキスパート表彰。黄金期の西武を正捕手として支えたロッテ伊東勤監督(54)がプレーヤー表彰を受けた。

伊東監督は「実感が湧かない」と繰り返した。ただ、スピーチでは、先に殿堂入りした川上哲治氏、広岡達朗氏、森祗晶氏、ウォーリー与那嶺氏ら恩人の名前を挙げ「1歩でも近づいたのかな」と喜んだ。特に、熊本工の大先輩である川上氏には、西武監督就任後に直筆の手紙を2通、もらったという。「体に気を付けて」「奥さんを大事に」。今でも取ってある。

渡辺久信、工藤公康、郭泰源等々。そうそうたる投手がそろう黄金期の西武を、正捕手として引っ張り続けた。「それぞれの個性に合わせた配球は、当然考えてやっていた。あと、私生活の観察。グラウンドを離れると人柄が変わる人もいる」。たゆまぬ努力、心がけが根底にあった。

14度のリーグ優勝、8度の日本一。ベストナイン、ゴールデングラブは2ケタに上る。栄光に彩られた選手生活だったが「誇れるものはない」と謙遜した後、こう続けた。「経験だけ。色んな局面、場面を体験しているので、そこは負けない自負がある。現役選手が困った時は、すぐアドバイスできる自信はある」。現役監督として、これからも次世代の選手を育てていく。

伊東勤(いとう・つとむ)
1962年(昭37)8月29日、熊本県生まれ。熊本工で甲子園出場。所沢高に転校して西武練習生になり、81年ドラフト1位で西武入団。03年まで22年でリーグ優勝14度(日本一8度)。ベストナイン10度、ゴールデングラブ賞11度。捕手の連続守備機会無失策はシーズン943、連続シーズン1263ともパ・リーグ記録。捕手として2327試合出場は谷繁元信、野村克也に次ぐ歴代3位。西武監督に就任した04年に日本一で正力賞。07年退任後、09年WBCの日本代表総合コーチ、韓国・斗山ヘッドコーチなどを経て13年からロッテ監督。

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ロッテ伊東監督が殿堂入り「実感が湧いていません」[ニッカン]

ロッテ伊東勤監督(54)が16日、野球殿堂入りした。

競技者表彰のプレーヤー表彰で選出された。都内の野球殿堂博物館で会見に臨み「野球界のたくさんの諸先輩方に申し訳ない気持ち。実感が湧いていません。本当に自分でいいのかと思います。ただ、歴代の方を見て、現役の頃、恩師で指導していただいた大先輩の川上さん、広岡さん、森さん、そしてウォーリー与那嶺さんに1歩でも近づいたのかなと思います」と挨拶した。

また、郷里の熊本の地震被害に触れ「少しでも郷里の皆さんの励みになれば」と話した。

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ロッテ球団ストアを改修工事、開幕戦でオープン予定[ニッカン]

ロッテは16日、ZOZOマリン隣の球団事務所1階にある球団オフィシャルストアのプラザ店を4月4日にリニューアルオープンすると発表した。

より広く、より便利で親しみやすいレイアウトや商品ディスプレー、会計待ち時間の短縮などを目指し、改修工事を実施している。3月14日のヤクルトとのオープン戦でプレオープンを予定。4月4日の日本ハムとの本拠地開幕戦でグランドオープンを予定している。

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ロッテ伊東監督、星野仙一氏、平松政次氏ら殿堂入り[ニッカン]

今年の野球殿堂入りが16日、東京都内の野球殿堂博物館で発表され、ロッテ伊東勤監督(54)、元楽天監督の星野仙一氏(69)、元大洋(現DeNA)の平松政次氏(69)、故郷司裕氏、故鈴木美嶺氏の5人が選ばれた。

競技者表彰のプレーヤー表彰で選出されたロッテ伊東監督は西武黄金時代の捕手として活躍。

エキスパート表彰で監督として中日、阪神、楽天の3球団でリーグ優勝、楽天では初の日本一に導いた星野氏、大洋のエースとして通算201勝、「カミソリシュート」を武器に活躍した平松氏が選ばれた。

アマ球界などが対象の特別表彰では、春夏の甲子園大会などで長く審判員を務めた故郷司氏、公認野球規則の編さんに尽力した新聞記者の故鈴木美嶺氏が選ばれた。

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ロッテ・伊東監督、野球殿堂入り!川上氏からV9のDNA継承[サンスポ]

2017年の野球殿堂入りが16日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。競技者表彰のプレーヤー部門は、西武の捕手として黄金時代を築いた現ロッテ監督の伊東勤氏(54)、エキスパート部門は中日のエースとして活躍し、監督として中日、阪神、楽天をリーグ優勝に導いた現楽天球団副会長の星野仙一(69)と、大洋(現DeNA)で通算201勝を挙げた平松政次(69)の両氏。殿堂入りは特別表彰の2氏を含め計197人となった。

晴れの舞台で胃がキリキリと痛んだ。伊東監督は大試合でも経験がないほど緊張していた。

「本来ならキャンプのことを考える時期ですけど、それどころじゃない。本当に自分がもらっていいのか。そんなことばかり考えていました」。

現役監督としては、昨年の工藤監督(ソフトバンク)に続く2年連続の殿堂入り。受賞スピーチで熊本工高の大先輩である故川上哲治氏、西武時代の監督だった広岡達朗、森祇晶の両氏、コーチの故与那嶺要氏と恩師の名前を挙げたが、西武入団時の編成管理部長だった故根本陸夫氏を飛ばしてしまった。

「自分をこの世界に導いてくれた方。“しまった”と思ったら、余計に焦った。頭の中が真っ白だった」。

伊東監督にとっては、支えてくれた全ての人への感謝しかない。中でも“打撃の神様”川上氏への思いは深い。

「プロアマ規定が厳しかった時代。大きな声では言えないけど…」。実は高校時代、川上氏から機会があるごとに、こっそりと指導を受けていた。すでに“時効”だが、川上氏も伊東監督の素質を見抜き、惚れ込んでいたという。

2004年、西武の監督に就任した伊東監督のもとに、川上氏から2通の手紙が届いた。就任のお祝いと激励に監督心得。さらには「奥さんを大事にしてください」という文面だった。この2通は、いまだに“家宝”として大切に保管している。

「勝つことでしか認められなかった西武時代。広岡さん、森さんが築かれたものですが、その源流はV9巨人にあったと思います」。

V9巨人の監督は、もちろん川上氏。伊東監督にはそのDNAも宿る。「昨年5月、故郷の熊本は大地震で被害を受けた。今回の受賞が明るいニュースとして伝わってくれたら嬉しい」。この言葉を、天国の川上氏も喜んでいるはずだ。

現役時代の好敵手、解説者時代の仲間、ロッテOBとしてお祝いスピーチを行った村田兆治氏
「捕手として分析力、判断力、決断力にたけていた。同じチームでバッテリーを組みたかった。(ロッテは)戦力のないチームだが、どう知恵を絞るかが監督の仕事。日本一をお願いします。」
西武でバッテリーを組んだソフトバンク・工藤公康監督
「一緒にプレーさせてもらった強い西武の時代の選手が、また1人殿堂入りされることとなり、とても嬉しく思います。配球の大事さ、勉強することの必要性を感じることができたのも伊東さんのおかげです。」

◇将来は政治家!?

「熊本地震」で大きな被害を受けた伊東監督の故郷・熊本市。「復興の役に立ちたい」と日々、テレビのニュースや一般紙で政治も勉強中だ。元々政治に関心がない訳ではなく、評論家時代の2008年には、ある市長選に「自民党公認」で出馬を打診されたこともある。「お声をかけていただくというのはありがたいこと。でも、もう少し野球をやらせてよ」。殿堂議員?殿堂知事 殿堂市長?近い将来、伊東監督に何かが起きてもおかしくない。

◇野球殿堂入りの対象者、選出方法

競技者表彰・プレーヤー部門
引退から5年以上の元プロ選手で今回の候補は16人。候補者でいられるのは15年間。野球報道にかかわって15年以上の委員が7人以内の連記で投票する。
競技者表彰・エキスパート部門
プロのコーチ、監督でユニホームを脱いで6ヶ月以上経過しているか、引退から21年以上の選手が対象。今回の候補は14人。すでに殿堂入りした人、表彰委員会幹事と野球報道30年以上の委員が5人以内の連記で投票する。
特別表彰
(1)
アマチュア競技者で選手は引退から5年以上、コーチと監督は引退後6ヶ月以上
(2)
プロ、アマの審判員で引退後6ヶ月以上
(3)
プロ、アマの組織などの発展に貢献
(4)
日本の野球の普及、発展に貢献
のいずれかに該当する人。プロ、アマの役員や野球関係の学識経験者が投票する。
データBOX
(1)
ロッテ監督の伊東氏が殿堂入り。現役監督で殿堂入りを果たしたのは1965年の川上哲治(巨人)と鶴岡一人(南海)、2011年の落合博満(中日)、14年の秋山幸二(ソフトバンク)、昨年の工藤公康(ソフトバンク)に次いで6人目。
(2)
昨年に続いて5人が殿堂入り。同一年に5人以上が殿堂入りするのは14度目。競技者表彰がプレーヤー部門とエキスパート部門に分かれた2008年以降、エキスパート部門で同年に2人が選出されたのは初めて。
伊東勤(いとう・つとむ)
1962(昭和37)年8月29日生まれ、54歳。熊本県出身。熊本工高から所沢高に転校し、西武球団職員を経て82年ドラフト1位で西武に入団。正捕手として黄金期を支え、2003年に引退した。ベストナイン10度、ゴールデングラブ賞11度。04年に西武監督に就任し、1年目に日本一。07年限りで退任し、韓国・斗山のヘッドコーチなどを経て13年からロッテ監督。右投げ右打ち。

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ロッテ・伊東監督、殿堂入りに「感謝でいっぱい」[サンスポ]

野球殿堂博物館は16日、今年の殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のプレーヤー表彰で西武黄金時代の捕手として活躍したロッテの伊東勤監督、エキスパート表彰で監督として3球団でリーグ優勝を果たした星野仙一氏、大洋(現DeNA)のエースとして活躍した平松政次氏が選ばれた。

1990年前後に黄金期を迎えた西武で絶対的な捕手としてチームを牽引したロッテの伊東監督は「感謝の気持ちでいっぱい。恩師の川上さん、広岡さん、森さん、そして与那嶺さんに一歩でも近づけたかなと」と受賞のスピーチで語り、緊張した顔を崩しながら喜びを表した。

同じリーグの名投手だった元ロッテの村田兆治氏からは分析力やキャッチングのうまさなどが紹介されたが、自身は「誇れるのは経験だけ」と控えめに言う。「色々な経験をしたのでそれは他の人達には負けない自負みたいなものがある」と胸を張った。

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ロッテが球団オフィシャルストアのプラザ店を4月4日にリニューアルオープン[サンスポ]

ロッテは16日、千葉市内の球団事務所1階にある球団オフィシャルストアのプラザ店を4月4日にリニューアルオープンすると発表した。

2006年のオープン以降、球場に隣接する旗艦店として人気を集めている。今後は親しみやすいレイアウトや会計待ち時間の緩和など、利用客が快適に過ごせる店舗を目指し、隣接するマリーンズミュージアムを含めた大規模なリニューアル改修工事を実施するという。

3月14日のヤクルトとのオープン戦(午後1時試合開始、ZOZOマリン)でプレオープンを予定。4月4日のファイターズとの本拠地開幕戦でグラウンドオープンを予定(工事状況などにより変更になる可能性あり)。

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伊東監督、大先輩・川上さん&恩師・広岡さんに感謝[スポニチ]

殿堂入りの候補になって9年目。伊東監督が野球人として最高の栄誉を手にした。1500試合以上に出場した捕手では野村克也氏、森祇晶氏、古田敦也氏に次いで4人目。「自分には縁がないと思っていた。まさかという気持ち。野球を一生懸命やってきてよかった」と喜びをかみしめた。

西武一筋で22年間プレーしたが、プロ野球の礎を築いた巨人の9連覇の継承者だ。「ジャイアンツOBに指導を受け、V9野球の血が流れている」。現役時代は広岡監督、森監督に師事。日本シリーズ14度出場に貢献し、8度の日本一に輝いた。

熊本工の大先輩でもある「打撃の神様」の川上哲治氏にも影響を受けた。「高校時代にお話をさせてもらったことがある。西武の監督になった時には、直筆のお手紙も頂いた」。宝物にしている便箋には「監督業は大変だから、体にはくれぐれも気をつけるように。奥さんも大事にしなさい」と書かれていた。

「自分の原点」と話すように、プロ入りした時の指揮官だった広岡氏にはプロで生きていく基礎を学んだ。ロッテ監督就任後は電話で「昔と今では選手の気質も違う。大変だろうけど、頑張れよ」と激励も受けた。

「恩師の人達に少しでも近づくことができたのであれば光栄。色々な局面を経験させてもらった。経験だけは他の人に負けないので、次の世代に伝えていきたい」。昨年は故郷・熊本が被災。野球界への恩返しに加え、「この殿堂入りで少しは喜んで、励みになってくれれば」と郷里への思いも口にした。

伊東勤(いとう・つとむ)
1962年(昭37)8月29日、熊本県熊本市生まれの54歳。熊本工から所沢に転校し、81年ドラフト1位で西武入団。長く正捕手を務め、リーグ優勝を14度、日本一を8度経験。ベストナインを10度、ゴールデングラブ賞を11度受賞。引退直後の04〜07年に西武監督を務め、04年に日本一に輝き正力賞受賞。09年WBC日本代表コーチ、12年韓国・斗山コーチを歴任し、13年からロッテ監督。右投げ右打ち。
広岡達朗氏(西武入団時の監督)
「教え子が殿堂入りするのは正直嬉しい。努力でポジションを獲った男。座って投げる捕手もいるけど、一球一球立ち上がって投手にいい球を返していた。僕好みの捕手。僕が巨人でやってきた正々堂々戦う野球を受け継いで、監督として大成してもらいたい。」
村田兆治氏(ロッテOB、現役時代はライバル)
「分析力、判断力、決断力がある。かつてはライバルとして戦ったが、本当はバッテリーを組みたかった。ロッテが優勝して、日本一になることが彼の責務だと思って応援している。」
ソフトバンク工藤監督(現役時代の同僚)
「強い西武の時代の選手が、また1人殿堂入りされることとなり、嬉しく思います。配球の大事さ、勉強の必要性を感じることができたのも伊東さんのおかげです。」

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ロッテドラ2酒居、直球と同じ軌道「スローボール」[スポニチ]

ロッテのドラフト2位の即戦力右腕・酒居(大阪ガス)が新人合同自主トレを行うロッテ浦和で約40球を投げ込んだ。「前日より気温が高かったので体が動いた」とツーシームに加え、直球と同じ軌道で球速だけが落ちるスローボールも試投した。

「スローボールはチェンジアップと同じで打者のタイミングを外す球」と説明。多彩な変化球を駆使し、15年の都市対抗野球では敢闘賞にあたる久慈賞と新人賞にあたる若獅子賞をW受賞。「プロでも通用するのか早く打者を相手に試したい」と意気込んでいた。

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ロッテドラ7捕手・宗接、伊東監督の“殿堂の捕球”見てみた[スポニチ]

ロッテのドラフト7位捕手の宗接(むねつぐ、亜大)が「伝説の捕球」に胸躍らせた。野球殿堂入りが決まった伊東監督について「凄い。憧れの人」と素直に喜んだ。

1メートル83、90キロと大柄ながらダッシュメニューでは先頭を走る脚力も見せた。14、15年の石垣島キャンプでは指揮官が自らミットを持ってブルペン捕手を務めたこともある。宗接は「もし見られるなら本当に(捕球を)見たい」と期待した。

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殿堂入りの伊東監督、素直に喜び「間違いじゃなかった」[スポニチ]

ロッテの伊東監督は先輩方を前に恐縮した様子を見せながらも、素直に喜びをかみしめた。

≫率直な感想は。
伊東監督
「本当に自分でいいのかという気持ちが正直なところ。」
≫喜びは。
伊東監督
「恩師の人達と少し肩を並べられたのはすごく光栄に思う。野球を一生懸命にやっていて良かったなというのは実感としてある。」
≫西武の黄金期に主力であり続けたのは。
伊東監督
「勝つことを宿命付けられているというか、そのためだけに必死にやっていたというのはある。やってきたことは間違いじゃなかったと改めて思う。」
≫プロの世界に導いた根本陸夫さんには。
伊東監督
「道をつくっていただいたのも、根本さんのおかげ。喜んでくれていると思う。」
≫今後については。
伊東監督
「優勝とか良い思いを少しでも次の世代に伝えていければ。僕の場合、1年間、韓国で異国の地でもコーチとして勉強させてもらったので、日本だけでなく、野球を志している人がいれば(どこでも)今後、指導できたらいいなと思う。」

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ロッテ、4月に球団オフィシャルストアをリニューアルオープン[スポニチ]

ロッテは16日、千葉市内の球団事務所1階にある球団オフィシャルストアのプラザ店を4月4日にリニューアルオープンすると発表した。

06年のオープン以来、球場に隣接する旗艦店として多くのファンが訪れたが、より広く、より便利で親しみやすいレイアウトや商品ディスプレイ、会計待ち時間の緩和など、多くのファンが快適に過ごすことのできる店舗を目指し、隣接するマリーンズミュージアムを含めた大規模なリニューアル改修工事を実施する。

すでに改修工事を始めており、店舗は完成するまでの間、クローズとなる。

3月14日のオープン戦ヤクルト戦にてプレオープンを予定。4月4日の日本ハムとの本拠地開幕戦でグラウンドオープンを予定している。

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[球団トップに聞く]ロッテ・山室晋也社長「自由に発想できるのが球団文化」[スポニチ]

元銀行マンで自らを「野球素人」と言う山室社長が、球団内に自由な発想を生んでいる。例えば交流戦恒例の「挑発ポスター」。昨季は「非交流戦士 マジワラン」というロボットをデザインし、巨人戦では「勝ち星だけはロッテにクルーズ!」と敵軍に移籍した助っ人を挑発した。14年オフにはヤクルトにFA移籍した成瀬の人的補償ならぬ「鳥的補償」でマスコットの「つば九郎」を指名して物議を醸した。山室社長は「一歩間違えたら叩かれる。ヤクルトファンからもクレームが来た。苦情の電話が鳴ることもしょっちゅうだけど、自由な発想ができるのは球団の文化」と笑顔で言った。

夢は尽きない。ロッテだけにZOZOマリンを「お菓子の球場」にして、「トッポ」のように塗り替えた両翼ポールに「コアラのマーチ」のコアラがしがみついている。浜辺に隣接する球場の右翼壁をぶち抜いて海が見える球場にする。大リーグの球場の視察を重ねた社長が本気で語ったアイデアだ。「千葉ロッテっていうので、千葉県っていえばロッテだねと言われたい。広島といえばカープとみんなイメージする。そういう球団になりたい。千葉に生まれてロッテを応援するのが当たり前の状況をつくりだしていく」。子供達の球場招待や野球教室などにも力を入れている。

球団社長として難しいことは何か、聞いてみた。「事業サイドは自信あるけど、チーム強化は難しい。実績のある経験者でも正しい答えはない中で、ましてや野球経験者ではない私。結論は出ない」と即答。球団はFA補強にもほとんど参戦しない。「生え抜き選手で3、4年後のスターを育てたい。補強は生え抜き選手のチャンスを奪うことになりかねない訳で、補強ありきでやっていくつもりはない」と話す。鈴木、石川、角中ら、生え抜き選手が着実にスターへの階段を上っている。今月5日の仕事始め。2年連続3位から1位に上り詰めるという決意を込めて、社長自ら音頭を取り「3・3・1・ダー!!」と全職員が拳を突き上げた。球団事務所が一体感に包まれた。

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ロッテ・伊東勤監督、捕手で4人目の殿堂入りに「本当に自分でいいのだろうか」[報知]

今年の野球殿堂入りが16日、都内の野球殿堂博物館で発表され、プレーヤー表彰で西武黄金時代の捕手として活躍したロッテの伊東勤監督(54)、エキスパート表彰では、監督として3球団でリーグ優勝した星野仙一氏(69)と元大洋のエース・平松政次氏(69)が選出された。

冷静沈着な伊東監督が、緊張の色を隠せなかった。汗ばみながら「まだ実感がわいておりません。本当に自分でいいのだろうかという気持ちが正直なところであります」。1500試合以上出場した捕手の殿堂入りは野村克也、森祇晶、古田敦也に続き4人目。西武黄金期を支えた大捕手に新たな勲章が加わった。

栄光の流れを受け継いだ。恩師に挙げた川上哲治氏、広岡達朗氏、森氏、与那嶺要氏は巨人OB。「勝つことを宿命づけられた時期があって、必死でやっていた。V9時代のジャイアンツの血が少しは流れていると思います」。その巨人に90年日本シリーズで4連勝したのは誇り。15年秋山幸二氏、16年工藤公康氏に続く殿堂入りは、一時代を築いた証しだろう。

天職だ。気を配り、自分を殺して戦う激務。「捕手はナイチンゲール」と語ったことがある。小学生の時に2歳上の兄・修さんがやっていただけでマスクをかぶった。入団時は黒田正宏らの陰に隠れながら、ブルペンで数多くの投手と言葉を交わして性格を把握。「個性に合わせた配球を考えて、私生活を観察することを大事にしていた」。84年に正捕手の座をつかむと、好リードで球史に残る投手達を育成。22年間の現役生活でリーグ優勝14度、日本一8度を経験した。通算134盗塁も、捕手としては出色だ。

昨年、故郷の熊本が地震に見舞われた。「今回のニュースが少しでも郷土の皆様の明るい希望と未来に役立っていただければ」と願ってやまない。

伊東勤(いとう・つとむ)
1962年8月29日、熊本市生まれ。54歳。所沢高から81年ドラフト1位で西武入り。捕手としてゴールデン・グラブ賞11度は最多、1263回連続守備機会無失策はリーグ記録。03年に現役引退。04〜07年に西武監督を務め、1年目に日本一と正力賞。09年WBC総合コーチ、12年韓国・斗山ヘッドコーチを経て、13年からロッテ監督。監督通算572勝538敗13分け。右投右打。

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伊東監督、殿堂入りスピーチで故郷・熊本への思い語る[報知]

野球殿堂入りしたロッテ・伊東勤監督(54)は16日、発表会見でのスピーチで昨年地震に見舞われた故郷の熊本への思いを述べた。

「熊本に大惨事が起きまして、現在も多くの皆さまが苦しまれています。郷土の代表として、今回の殿堂入りという明るいニュースが少しでも郷土の皆さまに明るい希望とこの先の未来に役立って頂ければと思います」。

熊本工出身の同監督の実家は、震度7を観測した益城町から車で30分の距離。家族が車中泊を強いられ、震災後にはファンの励ましに涙を見せていた。「うちはおかげさまでそんなに被害を受けなかったけど、5分、10分歩くと悲惨な状況。僕らは野球を通じてしか(支援)できないから」と1日も早い復興を願っていた。

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球団オフィシャルストアを4月4日にリニューアルオープン[報知]

ロッテは16日、ZOZOに隣接する球団オフィシャルストアのプラザ店を4月4日にリニューアルオープンすると発表した。

同ショップは2006年にオープン。より広く、より便利に利用できるよう改良し、会計の待ち時間を緩和するために、すでに隣接するマリーンズミュージアムを含めた大規模なリニューアル改修工事を実施している。3月14日のヤクルトとのオープン戦でプレオープンし、4月4日の日本ハムとの本拠地開幕戦でグランドオープンする予定だ。

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殿堂入りのロッテ・伊東監督、故川上氏から2通の直筆手紙、西武監督就任時に[デイリー]

野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表した。競技者表彰のプレーヤー表彰では西武の黄金期を司令塔として支えた伊東勤氏(54)=現ロッテ監督=が選ばれた。

伊東監督が巨人V9監督の故川上氏から、04年の西武監督就任時に2通の直筆手紙をもらっていたことを明かした。熊本工の先輩と後輩の間柄で、伊東監督は高校時代に指導を受けたこともあり、「体に気をつけること。奥さんが大変なので大事にしなさい」と書かれていたという大事な宝物だ。

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ロッテ・伊東監督が殿堂入り「諸先輩方に申し訳ない」、歴代恩師に謝意[デイリー]

野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表した。競技者表彰のプレーヤー表彰では西武の黄金期を司令塔として支えた伊東勤氏(54)=現ロッテ監督=が選ばれた。

現役時代、さらに監督としても輝かしい実績を持つ伊東監督だが、その声は緊張で上ずっていた。

「(プロ野球界の)諸先輩方に申し訳ない。今でも自分でいいのだろうかと思っています。縁のないものだと思っていた」。恩師に川上哲治、広岡達朗、森祇晶、ウォーリー与那嶺の4氏の名前を挙げ、謝意を示した。だが会見後、「道をつけてくれた恩人で忘れちゃならないのに、頭の中は真っ白だった」と振り返り、根本陸夫氏の名前を挙げ忘れた非礼を詫びた。

西武黄金時代の礎を築いた根本氏は、西武監督時代に熊本工の伊東少年に惚れ込み、所沢高に転校させて獲得にこぎつけた。

「細かいことは言わずに見守っていた。喜んでくださっていると思う」。

選手としては広岡、森の巨人OBに鍛えられた。「やってきたことは間違いではなかった。ベースは巨人だと思います」。陰の努力と素直に感謝する心こそ、伊東監督が貫くモットーだ。

「これからは(球界に)恩返しをしていきたい」と話しながら、「何かにつけ背中に負う感じがしますね」と照れた。“殿堂監督”が挑む17年シーズン。ライバル球団をなぎ倒し、12年ぶりリーグ優勝を飾る。

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西武黄金期に活躍、千葉ロッテ・伊東監督、殿堂入り[千葉日報]

野球殿堂博物館は16日、今年の殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のプレーヤー表彰で西武黄金時代の捕手として活躍した千葉ロッテの伊東勤監督、エキスパート表彰で監督として3球団でリーグ優勝を果たした星野仙一氏、大洋(現DeNA)のエースとして活躍した平松政次氏が選ばれた。

アマ球界などが対象の特別表彰では、春夏の甲子園大会などで長く審判員を務めた故郷司裕氏、公認野球規則の編纂に尽力した故鈴木美嶺氏が選ばれた。

伊東氏は1982年にドラフト1位で西武に入団し、実働22年で通算2379試合に出場。日本シリーズに13度出場し、そのうち7度でチームを日本一に導いた。ベストナインに10度、ゴールデングラブ賞に11度選ばれた。

星野氏は中日での現役時代に通算146勝34セーブをマーク。闘志あふれる投球で「燃える男」の異名を取り、巨人の10連覇を阻んでリーグ優勝した74年には、15勝10セーブで沢村賞を受賞した。現役引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任して計4度のリーグ制覇を果たし、楽天を率いた2013年に日本一に輝いた。

平松氏は「カミソリシュート」と呼ばれた切れ味鋭いシュートを武器に通算201勝を挙げた。巨人戦51勝は歴代2位で、1970年から2年連続最多勝に輝いた。

野球殿堂
日本野球の発展に大きく貢献した人達の功績をたたえ、顕彰することを目的に1959年に創設された。プロ球界で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰と、指導者も対象となるエキスパート表彰)と、審判員やアマを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出はいずれも投票で75%以上の得票が必要。今回で競技者表彰は92人、特別表彰は105人となった。殿堂入りした人は東京ドームにある野球殿堂博物館にレリーフが飾られる。

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「感謝でいっぱい」、千葉ロッテ・伊東監督、殿堂入り[千葉日報]

1990年前後に黄金期を迎えた西武で絶対的な捕手としてチームを牽引した千葉ロッテの伊東監督は「感謝の気持ちでいっぱい。恩師の川上さん、広岡さん、森さん、そして与那嶺さんに一歩でも近づけたかなと」と受賞のスピーチで語り、緊張した顔を崩しながら喜びを表した。

同じリーグの名投手だった元ロッテの村田兆治氏からは分析力やキャッチングのうまさなどが紹介されたが、自身は「誇れるのは経験だけ」と控えめに言う。「色々な経験をしたのでそれは他の人達には負けない自負みたいなものがある」と胸を張った。

黄金期の西武投手陣は多士済々で、それを束ねる捕手としては個性を生かすことに腐心したという。「個性に合わせた配球を考えながらやっていた。普段はどういう性格をしているのか。私生活を観察することを大事にしていた」と振り返る。

昨年被災した故郷の熊本のことが頭を離れない。「野球を通じてしか(貢献が)できないけど、この殿堂入りで少しは喜んで、励みになってくれれば。引き続き支援できたらなと思う」と郷里について何度も口にした。

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[千葉魂]シーズン無安打記録から逆襲、吉田「大きく変わる年に」[千葉日報]

悔しい1年となった。吉田裕太捕手のプロ3年目。不名誉な記録だケガ残った。24試合に出場し、30打数(35打席)無安打。昨シーズンの日本プロ野球における最多打数ノーヒット。そして野手に限るとシーズンを通しての無安打新記録となってしまった(これまでは1973年、広島・久保俊己のシーズン32打席無安打)。苦しみ、もがき、悔しい思いをした一年を終え、吉田は新たなスタートを切った。

「キツかったですね。ヒットが欲しいと焦ると、ますます打撃がおかしくなる。悪い方にどんどんいってしまった。ヒットを打ちたい気持ちばかりが前に出て、気持ちも落ち着かない。打撃フォームも少し結果が出ないと変えてしまって、そしてまた打てなくて修正をしてという感じ。悪循環に陥ってしまっていました」。

快晴の空の下、マリンでの練習を終えると、グラウンドに腰を下ろしながら少しずつ話しだした。ムードメーカー的な明るさが持ち味の若者が、シーズン終盤は寡黙になっていた。年が明けて真っ白になった状態になった今、ようやく屈辱にまみれた2016年シーズンを振り返りだした。

最高のスタートを切った。シーズン開幕前日の打撃練習中に伊東勤監督から声を掛けられた。「オマエで行くぞ!」。プロ入り初となる開幕スタメンを言い渡された。相手はファイターズ。先発は日本中が注目をする投手・大谷翔平。本拠地が満員に膨れ上がったゲームでヒットこそ出なかったもののリードでチームを勝利に導いた。幸先のよいスタート。心地よい気分に包まれていた。しかし、地獄の日々はそこから徐々に始まった。

「打撃に関して去年、イメージと違うという思いはずっとあった」。

とにかく打てなかった。捕手ながらの力強い打撃を評価されてプロ入り。1年目は50試合で27安打(2本塁打)。2年目は巨人戦(6月24日)でサヨナラ打を放つなど25安打を放った男が勝負の年として挑んだ3年目に大きく自分の打撃を見失った。もがけばもがくほど、どつぼにはまった。ついに5月31日に1軍登録抹消された。そして、そこから長かった。ファームで必死に汗を流し再度、チャンスを待ったがなかなか声は掛からない。ようやく呼ばれたのは8月24日。約3ヶ月が過ぎていた。

「よし、やってやるぞと汚名返上のチャンスに燃えていたのですが…。あれは落ち込みました」。

若者は今度こそとばかりにやる気にみなぎっていた。しかし、現実は残酷だった。結果が出ずに8月27日に登録を抹消された。3ヶ月出番を待ち、4日で落ちた。自分が情けなくなった。

「色々な人から声を掛けてもらいました。高校、大学のチームメート、先輩や後輩。でも、みんな気を使って、オブラードに包んで連絡をくれるんです。その気持ちがすごく伝わった。ありがたかったし、申し訳なくもあった。オレが活躍をしてみんなを喜ばせないといけないのに逆に気を使わせてしまって…。オレ、なにやっているんだよって」。

チームの先輩選手もメールをくれた。「ここで野球が終わる訳じゃない。だから一からファームでやり直せ」。みんなの気持ちが痛いほど伝わったからこそ、すぐに立ち上がった。試合後には2軍バッテリーコーチとミーティングをしてリードを反省した。自宅に戻ってからも1軍の試合をあえて見た。打撃も一から見つめ直した。

「打撃に関してはあれこれ考え過ぎでしたね。グリップの位置がどうだとか。最初の構えがしっくりこないとか。大事なのはボールに当たる少し前から瞬間のバットの入れ方であったりする訳で、その辺を見つめ直しました」。

結局、シーズン無安打のまま1年を終えた。しかし、吉田は前向きに練習に取り組んだ。秋季キャンプ、その後の自主トレ。例年は先輩選手達と行う自主トレも今回はあえて1人で黙々と行うことを選んだ。昨年の悔しさを胸に野球漬けの日々を送った。

深く心に残ったメッセージがあった。知人とのメールのやりとり。「昨年は大変な1年でした」とメールをすると、「大丈夫だよ」と返信が来た。「大変は、大きく変わると書く。きっと大きく変われるよ」。言葉とは不思議なものだ。そう聞くと、胸の奥底から希望と勇気が湧いてくるような感覚になった。思わず空を見上げた。冬の空は澄んでいて星空が輝いて見えた。思えば昨年はずっとうつむき加減で空を見上げることがなかったことに気が付いた。「やってやるぞという気持ち。大きく変わる年にします」。屈辱の1年から栄光の1年へ。吉田は大きく変わろうと、懸命に生きている。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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