球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。昨年オフの契約更改の際、球団に残り1年での引退を申し入れていた。今季の残り試合も1軍でプレーを続け、日米通算21年目でユニホームを脱ぐ。球団は実績や人柄を高く評価。次期監督の筆頭候補に挙がっている。
いつものさわやかな笑顔だった。スーツ姿で会見場に現れた井口は「今季限りでユニホームを脱ぐことを発表させていただきます」と切り出した。「周りの人以上に好き」と自負する野球をやめるが、涙は微塵もなかった。
球団には、昨年の契約更改で引退の意思を伝えた。「(13年に)日米通算2000安打を打ってから、引き際を考えてきた」。本来なら開幕前に発表のつもりだった。少しでも早く公表し、ファンやお世話になった人たちにプレーする姿を多く見てもらいたかったからだ。ただ、チームはオープン戦勝率1位。「良い流れを止めたくない」と自重し、試合がない交流戦終了後のタイミングを選んだ。
チームメートには、この日の練習前に円陣で伝えた。「厳しい状況だけど、全員で力を合わせて戦い抜こう」と呼び掛けた。借金25の最下位だけに、引退発表を自ら「起爆剤」と表現。「残りシーズン、頑張って、みんなで1個でも上の順位を目指したい」と力強く言った。
そういう姿勢もあり、球団からは「功労者というより人として素晴らしい」と評価される。今後について、林球団本部長からは「何も決まってないし、何も話し合っていません。ただ、とても大事な財産。できれば、チームの力になって欲しい」と期待された。25歳以下の若手や長距離打者が育たないチーム事情もある。野球やトレーニングの知識が豊富で、自身がスピードタイプから大砲へのスタイルチェンジにも成功した井口は、格好の監督候補といえる。
最終的な監督の決定権は重光オーナー代行にあるが、同じ青学大出身の井口ならば、首を縦に振る可能性は高い。現状、伊東監督の来季続投も選択肢にあり、監督交代がいつ発生するのかは未定だが、その時は井口が必ず候補になる。もっとも、引退後のプランを聞かれた井口は「何も考えていません。残り試合を精一杯、やり抜こうと思います」と即答。今は、目の前の試合に挑むことしか頭にはない。
球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。昨年オフの契約更改の際、球団に残り1年での引退を申し入れていた。今季の残り試合も1軍でプレーを続け、日米通算21年目でユニホームを脱ぐ。一問一答は以下の通り。
ロッテ井口が今季限りでの現役引退を表明した。伊東勤監督のコメント。
「ひたむきに練習する姿、試合に臨む気持ちは、今も昔も変わらない。プロ入りの時は、敵チームにイキのいい選手が入ってきたと思った。スピードも力もあったし、勝負強い。監督としては、大砲不在のチームで責任を果たしてもらった。勝負どころになったら井口と決めている」。
ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見し今季限りでの現役引退を表明した。
井口は残り試合で完全燃焼する意気込みを何度も口にした。
一問一答は以下の通り。
ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。
昨年の契約更改の際、球団に、あと1年での引退を伝えていたという。
「ここまで応援していただいたファンの方々のためにも、サポートしていただいた方々のためにも、1日でも、1試合でも多く見に来ていただきたい思いです。自分の中では、開幕の前に発表したい思いはあったんですけど、開幕前はチーム状態はすごく良かったので、今じゃなく、今回のタイミングの発表とさせていただきました。残念ながら、今、チームは非常に苦しい状態ではありますが、僕自身21年間やってきたことを残りシーズンしっかり出していきたいと思います」と話した。
シーズン終盤ではなく、早めに発表することで、引退までの間、なるべく多くのファンに球場に足を運んでもらい、実際のプレーを見てもらいたい思いがある。
球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。
ダイエー、ロッテのフロントとして井口獲得に携わった瀬戸山隆三氏(63=前オリックス球団本部長)は「王イズムの貴重な継承者だった」と今季限りの引退を惜しんだ。ダイエー球団代表だった96年ドラフトでは巨人、中日などとの争奪戦の末に青学大・井口の逆指名にこぎ着けた。当時のダイエーは王監督就任も2年連続Bクラス。王イズムの浸透に井口が必要な存在だったと考えた。
「王さんは常勝だった巨人育ち。勝つために全てをハードにやらないといけないと求めたが、弱小のダイエーに実行できる選手はいなかった。本当にやれたのは小久保(裕紀)が最初。井口なら続くことができると思った。全ての手段を使っても、入団してもらいたいと思った」。
瀬戸山氏によれば、王監督の井口への指導は厳しかった。松中、城島といった個性派に比べて内向的と感じた王監督は「もっと自分をさらけ出せ!」などと痛烈な言葉も浴びせた。それでも井口は「見返してやる」と負けん気を発揮。期待に応え強豪へ押し上げる屋台骨となった。
瀬戸山氏はロッテ球団社長としても米球界から井口を獲得。「修羅場をくぐっているという意味で井口の右に出る者はいなかった。彼は勝つ方法、そして勝つことがどれだけ苦しいことかも知っていた。長い間、本当にお疲れさま」とねぎらった。
球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。
1年春からレギュラーをつかんだ青学大時代の井口は、東都大学リーグ通算最多24本塁打、1シーズン8本塁打など数々の記録を塗り替え、4度のリーグ優勝に導いた。黄金期を支え、4年時には主将を務めた。河原井正雄氏(62=前青学大監督)は「(両翼)90メートルの球場で高さ30メートルのネットをロングティーで越していた。普通は無理。1年の時、4年に小久保がいて刺激を受けていた」と懐かしむ。
引退の正式な報告を受けたのは今春のキャンプ前だった。「最後だから石垣島に見に来て下さいって」。2軍キャンプを訪れると、1つだけリクエストした。「ショートを守ってくれ」。近年は一塁を守る井口は、守備練習で慣れ親しんだ位置についた。恩師は「動きは悪かったな」と笑いながら、「やっぱりショートだったから」と教え子の動きを目に焼き付けた。
初めて学校を訪れた高校3年の時。遊撃を守る井口の姿に目を奪われた。「プロに行った方がいい。監督に謝ってすぐに帰ったんだ」。打撃力に加え、打球を追うスピードが「動物的だった」。数日後、両親から電話をもらった時もプロを勧めた。それでも本人の進学への思いは強かった。「下積みの人間の気持ちも、裏方さんの気持ちもよく分かってる。いい指導者になると思う」と確信している。
球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。
高校時代の井口を指導した高良武士氏(55=前国学院久我山監督)は「リーダーシップというより、みんなが自然についていくオーラがある。言葉より、プレーで引っ張るタイプのキャプテンだった」と言った。
同校のグラウンドは、左翼付近でサッカー部が練習していた。通常の練習では危険なためフリー打撃は行わないが「井口が引っ張らないので打たせて下さいって言うんです」。言葉通り、1球も左翼方向に行くことはなかった。「ボールを引き付けて右に打つのは、高校時代からうまかった」と懐かしんだ。右打者で約100メートル先の校舎にぶち当てたのも井口だけだった。
高校2年夏には「3番遊撃」で甲子園に出場。西東京大会では神宮球場の右中間スタンドに本塁打を放った。高校時代からプロのスカウトは訪れたが「大学に行って、アトランタ五輪に出たいと言っていた」と青学大を選んだ。「勉強もできた。普通に受験しても大学に入れたと思います」と文武両道の強打者だった。
阪神今岡真訪打撃兼野手総合コーチ(42)が20日、引退を表明したロッテ井口をねぎらった。
今岡コーチと井口は大学時代の96年、アトランタ五輪に出場。二遊間を組み、銀メダル獲得に貢献した。
今岡コーチは東洋大で、同じ東都大学リーグの青学大・井口はライバルだった。今岡コーチが阪神からロッテに移籍した10年からの3年間は、再びチームメートになり、互いを認め合う間柄だった。
井口は今岡コーチが引退した12年に「大学の時は同じ1年生で同じポジション。同級生に負けられない思いが強かった。ロッテでの3年は全てを後輩に伝える、いい兄貴分でした」とねぎらっていた。
この日は今岡コーチが井口へ言葉を贈った。「学生のころはライバルだったけど、最後の5年、10年は全ての面で尊敬でした。(96年アトランタ)オリンピックでは同じメンバー。プロに入ってからも、成績を気にすることがあった。全てにおいて素晴らしいプレーヤーでした。同い年で尊敬してました」。
若き頃のライバル、そして旧友の引退表明にメッセージを添えた。
ヤクルト石川雅規投手(37)が20日、青学大の先輩となるロッテ井口の引退を惜しんだ。
この日、神宮外苑軟式球場で行われた全体練習に参加。
引退を発表したことを問われ、「井口さん、小久保さんは青学大のスーパースターです。井口さんはお会いする度にご挨拶をさせてもらっていた。たくさん対戦して、いっぱい打たれました。でも、それで成長させてもらえた。寂しいですね。まだ打てそうな感じがするのに。寂しいです」と語った。
ソフトバンク内川聖一外野手(34)が20日、今季限りでの引退を発表した井口への思いを語った。頸椎捻挫で現在リハビリ中で、この日も福岡・筑後市のファーム施設で調整した。
内川は「子供の頃からの憧れの選手。(まだホームランテラスがない)ヤフオクドームで右中間に本塁打を打つ姿がすごい。右方向にあれだけ飛距離が出るのは本当に力がないとできない。(13年の)福島、いわきでの球宴で井口さんのバットをもらって、一振りでMVPになった。『オレのバットで』と言ってもらいましたよ」と、同じチームでプレーすることはなかったが、同じ右打者として尊敬する先輩の引退発表を惜しんだ。
巨人高橋由伸監督(42)がロッテ井口の引退に思いをはせた。20日、ジャイアンツ球場での練習後に、慶大時代に日本代表でも僚友で1歳上のスラッガーについてコメントした。
「大学時代から可愛がってもらい、ご飯に連れてもらったり、バットをもらったりした。東都のスーパースターで目標で憧れだった。1歳上だけど世代は同じだから」。
自身も2年前に監督就任にあたり、引退を決断し、同世代も次々とユニホームを脱いでいる。「寂しい?そうだけど自然なこと。大家も引退するしね。稼頭央(松井)、上原、福浦、岩瀬さんは頑張っている。イチローさんは別格だね。井口さんは、まだ試合があるし、今シーズン残りを頑張って欲しい」とエールを送った。
ロッテ井口資仁内野手(42)が今季限りでの現役引退を決めたことが20日、分かった。
井口は国学院久我山、青学大をへて、96年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入団。3拍子そろった主力として活躍し、99年のリーグ優勝、日本一に貢献した。
05年に米球界移籍。同年はホワイトソックスでリーグ優勝、ワールドシリーズ優勝に貢献。フィリーズ、パドレスでもプレー。09年にロッテに入り、日本球界に復帰した。
ロッテでも主力としてチームを引っ張り、10年の日本一に貢献した。13年には、日米通算2000安打を達成した。
今季はDHと代打を兼務。ここまで35試合、打率2割5分7厘、1本塁打、8打点。
ロッテ井口資仁内野手(42)が今季限りでの現役引退を決めたことが20日、分かった。
セ、パ両リーグは20日、交流戦の観客動員数を発表し、1試合平均観客数が昨季から0.4%増の2万9557人となり過去最多を更新した。パ首位の楽天が12.3%増の2万4218人と大きく伸ばした。
セの主催試合は0.3%減の3万3034人、パは1.2%増の2万6081人だった。
開幕から交流戦終了までの1試合平均観客動員数は、セが昨年同時期から1.7%増の3万2437人、パは0.4%減の2万5332人だった。
平均試合時間はセ、パともに3時間13分で、昨年同時期よりセが3分、パは6分短くなった。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。日米5球団でプレーし、日米通算2243安打を記録している現役最年長野手は昨年のうちに決意したことを明かし、低迷が続くチームの起爆剤となるため、この時点での表明を決断。「残り試合で自分の全てを出し切る」と完全燃焼を誓った。
井口の表情は晴れやかだった。日米通算21年に及んだ現役生活に終止符を打つことを表明した引退会見は、残り77試合に死力を尽くすという決意表明の場でもあった。
「まだ自分の野球人生を振り返るのは早い。残り試合で自分の全てを出し切って、これまで以上の思い出をつくりたい。振り返るのはシーズンが終わってからです」。
昨オフの時点で「現役はあと1年」と決め、契約更改交渉の時点で球団に伝えた。参考にしたのは開幕前に引退を表明して最後のシーズンを戦った米大リーグ、ヤンキースのデレク・ジーターやレッドソックスのデービッド・オルティスの姿だ。2005年にホワイトソックスでワールドシリーズを制覇するなど、米大リーグで4年間プレーした井口は「そうありたいと思っていた」と今季の開幕前に表明する考えだったが、チームはオープン戦を12球団トップの13勝2敗3分け。「チームの流れを止めるようなことはやめよう」と思いとどまった。
ところが、開幕するとチームは低迷。交流戦を終え、借金25を抱えている。1999、2003年にダイエー(現ソフトバンク)で、10年にロッテで日本一に輝き、誰より「勝利」を渇望する男は「チームが苦しい状況の中、起爆剤になれば。こういう状況でも、いい方向に持っていくのが自分の仕事」と、この時点での表明を決断した。
この日の練習前に伊東監督に伝えた後、ミーティングの中でナインに報告。「1つでも上を目指して頑張っていきましょう」と伝え、投内連係、フリー打撃も元気にこなし、「しんみりしたら申し訳ないと思ったけど、元気よく練習できたと思う」とうなずいた。
「9年間、彼が果たしてくれた役割は大きい。球団にとって大事な財産。来季以降は何も決まっていないし、話し合ってもいないが、将来的には(指導者として)力になって欲しいと思っている」とロッテ・林信平球団本部長。球団にとっては、近い将来の監督候補としての期待もある。
ダイエー時代の監督だったソフトバンク・王貞治球団会長には開幕の時点で伝え、「悔いのないよう、目一杯やってくれ」と激励を受けた。目指すのはダイエー時代から培ってきた右方向への強い打球で「まだ出し切れていない。打てるようやっていきたい」。野球人生の集大成となる残り77試合、井口が背中でロッテを引っ張る。
2014年の開幕前に引退を表明したヤンキースのジーターは、どの球場でも大歓声で迎えられた。レギュラーシーズン最終戦では宿敵レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークで試合前に30分以上もセレモニーが行われ、7回表終了後に同僚だったバーニー・ウィリアムズ氏がギターの生演奏を披露した。昨季限りで引退したレ軍のオルティスも、球宴(サンディエゴ)でスタンディングオベーションを受けるなど、ファンに引退を惜しまれた。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「残り試合で自分の全てを出し切る」と完全燃焼を誓い、サンケイスポーツに独占手記を寄せた。
読者の皆さんへ。井口です。まだシーズンは残っていますが、1つの区切りとして、ご挨拶させていただきます。これまで紙面を通して温かいご声援をいただきました。そして、たくさんのご支援を、どうもありがとうございました。心から感謝しています。
まだ現役は続けられる。そうは思っても、ベテランが抜ければ、若手には絶好のチャンスが来ます。自分が新人の頃は、がむしゃらでした。それがプロ野球という世界。ロッテには才能ある若手がたくさんいて、チームのことを考えると、答えはすんなり出ました。
日米通算21年目。ふとわれに返ると、確かに長かったかな。同じ年の松井秀喜(巨人、ヤンキースなど)は2012年に引退し、同学年は中日の岩瀬仁紀だけ。あの高橋由伸が巨人の監督をやっている時代ですからね。気がつけば、年上の選手がいなくなっていました。
実は引退を考えたことは、過去に1度ありました。パドレス時代(2008年)に右肩を脱臼。患部から5センチぐらい骨が飛び出て、痛くて眠れない夜が続きました。今だから笑って話せるけど、野球人生は終わったなと腹をくくりました。
整体の先生に4日間、1日2時間ほど骨をグイグイ押し込んでもらいました。涙が出て、脂汗が吹き出し、「ギャー」と叫びっぱなし。死ぬかと思いました。貧血で顔は真っ青。寝返りすら打てませんでした。
迷ったら一歩前に踏み出せ−。技術面で悩んだり、人生で大きな壁に当たっても、逃げませんでした。たとえ結果が伴わなくても、失敗ではありません。何事も経験が大事。落ち込んだり、考え込んだりせず、経験はやがて血となり骨となるぐらいの感覚で、これからもやっていきます。
40歳を過ぎてから、両親には「そろそろクビになるから」と言ってきました。現役生活を続けたくても、続けられない選手は多い。シーズン中に、自分の意志で引退という道を選べるなんて、恵まれた立場にいるんだなと感謝しています。
来年のことは想像がつきません。米大リーグのホワイトソックスと1日契約をして、引退試合を開催してくれたらいいなと想像するぐらい。時間をかけてマイナーを含めた米国の野球をみたい、現場を離れて違った角度から野球を勉強したいという気持ちもあります。
自分に携わってくれた全ての野球関係者に、感謝しています。これからは野球人口の拡大と発展のために恩返しをする立場。引退が新たなスタートです。今は残されたシーズンに集中し、全力で挑みます。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。井口がダイエー入団時の監督で、メジャーへ移籍するまでの8年間指導したソフトバンク・王貞治球団会長は、「日米の野球界で大活躍でしたね。42歳までよく頑張って、野球の虫というか、そんな生きざまを見せてくれた。本当にご苦労さま」とねぎらった。そして「これからも野球界のため、後進のために活躍して欲しいね」と今後も野球人としての活躍に期待した。
ロッテは23日のリーグ戦再開に向け20日、全体練習を行った。借金25を抱え、5位・日本ハムとのゲーム差も7.5と大きく離れているが、「まだ諦めていない。新外国人が加入して、チームはまとまりつつある。1つでも借りを返せるようにロッテらしい野球をやっていく」と伊東監督。18日の巨人戦でデビューしたペーニャは指名打者で起用し、打撃に専念させる考えだ。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。伊東監督はこの日の練習前に井口から報告を受け、「急だったので『えっ』という感じでした」と引退を惜しんだ。2013年に監督就任後、二塁から一塁へコンバートしたほか、今季は主にDH、代打として起用している。「自分に厳しく、ストイックで頼りがいのある選手。勝負どころは『代打・井口』と決めていた。自分で引き際を決められるのは選手として幸せなこと。1打席でも姿を見たいというファンは多いと思うので、考えながら起用していきたい」と話した。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。
井口のように早い段階で引退表明し、シーズンの試合に臨む引退の仕方は米大リーグでは珍しくない。最近ではヤンキースのジーターやレッドソックスのオルティスが開幕前に発表し、遠征先でも別れのセレモニーが行われた。
井口は「9月くらいに発表すると、なかなか見に来られないファンの方もおられるので」と説明。オルティスに影響を受けたそうで「地方に行って自分の姿を見せている。僕もそうありたいなと思った」とうなずいた。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。
井口が今季限りでの現役引退を表明したことを受け、かつてダイエーで同僚だった巨人の杉内は「体が強い。その姿を見て、プロに入ってからトレーニングの大事さを知った」と惜しんだ。昨年までロッテで同僚だったヤクルトの大松は「決して口で言うのでなく、背中でメッセージを与えた人。少しのけがでは何も言わずに試合で結果を出し続けていた」と言う。
阪神の今岡2軍打撃兼野手総合コーチは東洋大時代の96年にアトランタ五輪で井口とともに戦った。自らが引退後も現役を続ける姿に「尊敬の目で見ていた」とたたえた。
慶大出身の巨人の高橋監督は井口の1学年下。「大学の頃からご飯に連れて行ってもらったり、バットをもらったりした。大学のときは目標だったし、憧れだった。残り試合、頑張って欲しい」とエールを送った。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。
ロッテのチームメートはZOZOマリンスタジアムでの全体練習前に井口から今季限りでの引退を伝えられた。選手会長の角中が「びっくりしたのが1番」と語るなど驚きが広がった。
主将の鈴木は二塁手のプレーを教わったことを振り返り「寂しすぎる。安心して引退できるようにしっかりとしないと」と気持ちを新たにした。
伊東監督は「体が強い。5年間、絶対に手を抜かない、自分に厳しい選手だった」とたたえた。現役引退までの残りシーズンの起用法については「お客さんも1打席でも見られれば、という方がたくさんいる。配慮しながら使っていきたい」と語った。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。千葉市のZOZOマリンスタジアムで記者会見し「自分の中で昨年から決めていた。野球人生の全てを、残りの限られた打席で出し切りたい」と語った。
2013年に日米通算2000安打を達成してから「自分の引き際はどこだろうとずっと考えていた」と言う。球団には昨オフの契約更改交渉の場で、伊東勤監督やナインにはこの日の全体練習前に伝えた。シーズン中の発表を「応援していただいたファン、サポートしていただいた人に(残り試合を)多く見に来ていただきたい」と説明した。
現役最年長野手のロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役引退することが20日、発表された。
同内野手は国学院久我山高、青山学院大を経て、97年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。三拍子そろった内野手として活躍した。2005年に米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、08年までフィリーズ、パドレス、フィリーズに在籍した。
09年にロッテに移籍すると、翌10年の日本一に貢献。13年には日米通算2000安打を達成した。日本球界での通算成績は20日現在で、1885試合、打率.271、1749安打、250本塁打、1010打点、176盗塁。今季はここまで35試合に出場し、打率.257、19安打、1本塁打、8打点の成績を残している。
井口との一問一答は以下の通り。
現役最年長野手のロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役引退することが20日、分かった。
同内野手は国学院久我山高、青山学院大を経て、97年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。三拍子そろった内野手として活躍した。2005年に米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、08年までフィリーズ、パドレス、フィリーズに在籍した。
09年にロッテに移籍すると、翌10年の日本一に貢献。13年には日米通算2000安打を達成した。日本球界での通算成績は20日現在で、1885試合、打率.271、1749安打、250本塁打、1010打点、176盗塁。今季はここまで35試合に出場し、打率.257、19安打、1本塁打、8打点の成績を残している。
ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。日米5球団でプレーし、通算2243安打を記録。日本一3度、ワールドシリーズ制覇も経験した。球界最年長野手は、21年目を戦い終えてバットを置く瞬間まで全力を尽くす。
すがすがしい表情で、井口がカメラのフラッシュを一身に浴びた。
「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを発表させていただきたい。野球人生、21年目。その全てを残りの限られた打席の中で出し切りたい」。
66試合を終えたところでの早期発表。実は昨年12月の契約更改交渉の席で、球団に「1年だけ頑張らせて欲しい」と伝えていた。両親にも話し「最後までやり抜いて頑張りなさい」と激励された。
早い段階で引退表明してシーズンを戦うスタイルは、05〜08年にプレーしたメジャーリーグでは珍しくない。井口は昨年引退したオルティス(レッドソックス)に影響を受けたという。「色々な地方で自分の姿を見せていた。そういう姿で終わりたいなと思った」と、同様の開幕前の発表を望んでいた。
ただ、チームはオープン戦で勝率1位。「かなりいい状況にあったので、この流れを止めるような発表はやめよう」と先送りした。交流戦を終えて、この日がチームの練習再開日。練習前の円陣で同僚にも報告した。
身の処し方すらフォア・ザ・チーム。常に勝利に貢献できる道を模索した結果が、ダイエー時代の99年に始まる日本一3度であり、メジャー1年目の05年からホワイトソックスで経験したワールドシリーズ制覇だった。「日本一&世界一」の達成は海を渡った日本選手で誰よりも早い。
日米通算2000安打を達成した13年頃から「引き際はどこなんだろう」と考えることが増えた。「走攻守三拍子」が1番のこだわりだったが、近年は出場が減り、出番は主に代打。「違和感はあっちもそっちも全部。回復という言葉はない」と話すほど満身創痍で戦ってきた。代名詞の右方向への強打も、少しずつ本来のものではなくなった。それでも「もう1度、右方向に強い大きな当たりを打ちたいと頑張っている」と自負は変わらず強い。
野球人生を振り返るのは「全て終わってから」だと言い切る。一方で、長いプロ生活を送れた要因を聞かれると「やはり、野球が周りの人以上に好きなんじゃないかと自分で思っています」と穏やかに笑った。自分らしく去り際を表明した42歳。雄姿を見られる時間は、77試合残されている。
ロッテ・林信平球団本部長は「野球に対する真摯な姿勢を毎日見ている。本人からの申し出がなければ来年も戦力でと思っていた」と井口の引退を惜しんだ。
来季以降の監督就任など、指導者としてチームに携わる可能性について「何も決まっていないし、何も話し合っていない」とした上で「とても大事な財産。いつ、どういう形でか分からないが、できることならこれからもチームの力になっていって欲しい」と話した。
ロッテの伊東監督は「寂しいが、引き際を自分で決められるのは幸せ」と井口の引退を受け止めた。
チーム成績が低迷し、指揮官が「野球人生でこんなに負けたことないだろう」と聞いたときは「監督もそうでしょう?」と言われたという。「勝負どころは井口と決めている」という指揮官は、「今の順位は本人も悔しいと思う。1つでも上に行きたい」と巻き返しを誓った。
これほどの実績を残した選手だが、決して偉ぶらない。目配り、気配りにたけ、周囲に慕われた。「(チームが)勝たないと面白くない」とロッテでも戦力の底上げへ若手の動きに注視。「こうした方がもっと良くなる」。押しつけがましくない助言で成長を促した。
自身にもハードワークを課し、結果を残す。だから西岡(現阪神)ら多くの選手が練習をともにし、井口門下生は増え続けた。遠征先で一緒に食事した時のこと。野球談議に花を咲かせつつ、記者のグラスに気を配るのも忘れない。「僕がやります」と焼酎の水割りを作り続けてくれた。おかげで二日酔いはきつかったが…。その年はリーグ3位からの下克上日本一。最後まで酔わせてくれた。
井口がメジャーに移籍したのは05年。まだ日本人内野手は珍しく、通用するかどうかと言われていた時期。だが、ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督が重視した「スモールボール」を忠実に遂行し、88年ぶりの世界一に大きく貢献した。
指揮官は「うちのMVP」と評したが、井口自身は決して理想の野球ではなかった。「3番から7番が打席の時は基本的には打つだけ」「走者三塁でも打てというだけでは、守る方は楽。サインだけは出して、もしかしてスクイズかなと思わせないと。そういう細かさがない」などと、熱く語っていた。
メジャーも、日本の野球から学ぶことがあると信じ「監督とそういう話をしたい」と言っていたのが印象的だった。ここまで言う日本人メジャーリーガーは少ない。強い信念のある野球人だった。
輝かしいキャリアの中でのターニングポイントは、01年の二塁コンバートだと思う。内野の華である遊撃からの配置転換に悔しさもあっただろうが、春季キャンプでは泥だらけになってノックを受けていた。
スマートなイメージが強いが、グラウンドでは練習の虫。小久保や川崎ら、とにかくよく練習した当時のダイエーの中でも、井口の量がNo.1だと証言する関係者もいた。グラブは小指、薬指を中指と同じ程度まで深く差し込めるように改良。逆シングルとなる二遊間の当たりを小指でもいいから当てて、ボールを止めようという狙いだ。その後のメジャーも、二塁手で挑んだことがプラスに働いた。端正なマスクの裏には、反骨心と高いプロ意識があった。
青学大入学から3年間担当したが、次々とリーグ記録を更新するので記者泣かせだった。2年生の94年秋にシーズン最多の8本塁打をマーク。95年は年間最多の12発(春7、秋5)を量産した。そのたびに記録メモを確認するから大忙し。ただ地味な東都大学が1面候補になるので、張り合いはあった。
3学年上の小久保が在学時、練習中の打球が民家の屋根を壊すからと横浜市港北区の綱島(当時)の同大グラウンドに「小久保ネット」を作ったが、井口はさらに飛距離が出るため「井口ネット」を新設。最終的に神宮新記録の24本塁打を放ったが「大きく扱ってくれますよね」と有言実行で打つんだから型破りな男だった。
ロッテ・井口のダイエー入団当時の監督だったソフトバンク・王貞治球団会長は「42歳までよく頑張って、野球の虫というか、そんな生きざまを見せてくれた。本当にご苦労さま」とねぎらった。井口からは今季開幕カードで顔を合わせた際にあと1年という思いを聞いた。「残りシーズン悔いなくやってくれ」と激励した。
96年ドラフトで井口が逆指名を表明した際は「ウチは若いチーム。井口君の加入が良い刺激剤になる」と喜んだ。「ホークスの強力打線の中心として2度の日本一、米国でも2個のチャンピオンリングを手にして、日米で大活躍だった」と称え、「これからも野球界のため、後進のために活躍して欲しい」とエールを送った。
慶大時代に東京六大学リーグ記録の23本塁打をマークした巨人・高橋監督は、ロッテ・井口について「東都のスーパースター。目標というか憧れだった」と話した。
1歳上の井口とは当時から親しく「可愛がってもらって、バットをもらったりご飯に連れていってもらった」と感謝した。
ロッテ・井口の青学大時代の監督で、現在は青学大野球部シニアアドバイザーを務める河原井正雄氏(62)が引退を惜しんだ。
春季キャンプの前、「今年で最後になると思うから絶対見に来てください」と連絡があったという。石垣島を訪ね、食事をともにした際に「井口、(大学時代に守った)ショートやってくれよ」と頼んだ。「守備練習の時にやってくれてその姿にジーンと来た」。キャンプ地を後にする時も「もう少し練習やります」と、黙々と打撃練習に励む姿が「印象的だった」という。
「ショックな気持ちはある。でも色んな場所でチャリティー活動をしたり、気配り目配りができる男。いつか監督になって、野球界に尽くして欲しい」。教え子への期待は、この先も大きい。
今季限りでの引退を表明したロッテ・井口との関係が深い、ヤクルトの2選手が20日、それぞれの思いを語った。
青学大の後輩にあたる石川は「大先輩ですからね…」と感慨深げ。「神宮でどでかいホームランを打たれたこともある。交流戦でご挨拶に伺ったときには“頑張れ!”と言われた。まさか引退されるとは思わなかった」と話した。
ロッテ時代の後輩で苦楽をともにした大松は「口でどうこう言うタイプではなく、常に背中でメッセージを与えてくれた。試合前には入念な準備をされていた。選手会長時代には色々と相談もさせて頂きました」と感謝を口にしていた。
季で現役を引退するロッテの井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアム内で会見を開いた。
ロッテの井口資仁内野手(42)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。
井口は国学院久我山から青学大に進学。大学4年時の96年にアトランタ五輪日本代表に選ばれ銀メダルを獲得した。同年のドラフトでダイエー(現ソフトバンク)を逆指名して1位入団。97年5月3日に日本選手としては史上初となるプロデビュー戦での満塁本塁打を放った。01、03年に盗塁王を獲得、ベストナイン、ゴールデングラブ賞にはともに3回(01、03、04年)輝いた。
05年からはメジャーリーグに挑戦。ホワイトソックスと契約、移籍1年目でワールドシリーズ制覇を果たし、新人ベストナイン(二塁手部門)に選出された。07年にフィリーズに移籍すると、08年はパドレスでプレー。ケガの影響で調子が上がらずに9月に解雇されたが、直後に古巣フィリーズと契約。チームがワールドシリーズを制し、2個目のチャンピオンリングを手にした。
日本復帰を果たした09年からはロッテでプレー。同年4月7日に史上7人目となる全打順本塁打をマークし、13年には史上5人目となる日米通算2000安打を達成した。16年から日本球界最年長野手となり、今年5月25日に史上60人目の日本通算250号本塁打を放った。日米通算300本塁打にはあと6本に迫っている。今季は35試合に出場し、74打数19安打1本塁打で打率.257。
セ、パ両リーグは20日、交流戦の観客動員数を発表。前年比0.4%増の1試合平均2万9557人で過去最多を更新した。
セは0.3%減の平均3万3034人で、パは1.2%増の2万6081人。
球団別ではセはヤクルトが5.2%増。中日が3.9%減、巨人が2.2%減だった。パは楽天が12.3%、西武が10.0%、日本ハムが8.6%増と大きく数字を伸ばした一方で、ロッテが14.3%減だった。
交流戦終了時点の観客動員数はセが昨年同時期より1.7%増の平均3万2437人、パが0.4%減の2万5332人となっている。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを表明した。昨季中に決断しており、シーズン中盤という異例のタイミングでの発表。日米5球団で通算2243安打をマークしている幹部候補生にとって、残り77試合が最後の花道となる。
晴れやかな表情だった。練習後、グレーのスーツに着替えた井口は「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを報告させていただきます」。アトランタ五輪銀メダル、デビュー戦満塁本塁打、3度の日本一と2度の世界一、日米5球団通算2243安打…。華々しい経歴を誇る球界最年長は最後まで笑顔だった。
決断したのは昨年だった。走攻守三拍子そろったプレーに限界を感じ「契約更改の時に『もう1年させて欲しい』とお伝えした。応援してくださったファンのために1日、1試合でも多く見に来ていただきたい」。今秋に発表しても、全ての人に見に来てもらうのは難しい。4月に表明した新庄剛志氏の例はあるが、ヤンキース・ジーターやRソックス・オーティズのように早い段階で発表し、残り試合を“御礼巡業”とする米国流は国内では異例だ。開幕前の発表も考えたが、オープン戦首位のチームに水を差すべきでないとの配慮から、このタイミングとなった。
恩師には一足先に思いを伝えた。ソフトバンクとの開幕カード。入団時の王監督(現球団会長)に決意を伝えると「シーズン、悔いのないように目一杯やってくれ」と温かい言葉をかけられた。この日の練習前。チームメートに「全力を合わせて上の順位を目指して頑張っていこう」とカツを入れた。
実績も経験も文句なし。チームにとって、貴重な幹部候補であるのは間違いない。林球団本部長は「とても大事な財産。どのタイミングか分からないけど、これからもチームの力になって欲しい」と“ラブコール”を送った。本人もシーズンに集中する構えながら、将来的な監督への憧れを口にしたこともある。
21年目の今季は通算250号を放ち、出塁率3割6分をマークするなど存在感は健在。伊東監督も勝負所は「代打・井口」と決めている。「振り返るのはまだ早い。今まで以上にいい思い出を作りたい」。残り77試合。惜しまれながら去る井口の雄姿を目に焼き付けよう。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを表明した。井口はチーム内ではどんな存在なのか。ロッテ担当の田島記者が「見た」。
思わず噴き出しそうになった。選手会長の角中が「福浦さんがお母さんなら、井口さんはお父さん。優しくて頼りがいがある」と表現したのだ。個人的には逆かもと思ったりするが、井口は大局的に温かい目で見守ってくれる大黒柱なのだろう。
誰からも慕われる人格者だ。担当になってまだ半年だが、偉ぶらず、悪く言う人を見たことがない。若手であっても敬意を払う。オフの自主トレ仲間で連続試合出場を続ける阪神・鳥谷と5月に会食した際には「出続けるってすごいね」と言葉をかけ「どの選手も目標にしてほしい選手」と賛辞を贈った。
50歳までプレーすると思っていた。3月に横浜C・三浦知良が最年長ゴールを決めた話題を振ったら「イチローさんもすごいですよ」と話していた。1歳年上のイチローが持つ「50歳までプレーしたい」思い。その背中を追いかけて欲しい気持ちでいた。
練習から妥協を許さず、オンとオフの切り替えも見事。試合後、真っ先に球場を後にするのには理由がある。「自分がいることで若い選手が帰れず、気を使わせたくないんです」とある選手は説明。早く帰ってもケアや映像のチェックに余念がない。社会活動にも熱心。誰もが目指すべき存在だ。
ロッテ・井口資仁(ただひと)内野手(42)が20日、今季限りで現役を引退することを表明した。球界からは、ねぎらいの言葉や引退を惜しむコメントが相次いだ。
ロッテ・井口資仁内野手(42)は20日、ZOZOマリンスタジアム内で会見を行い、今季限りで現役を引退することを表明した。
日米通算2243安打、アトランタ五輪銀メダル、3度の日本一にワールドシリーズ制覇…。数々の勲章を手に、現役最年長の井口がユニホームを脱ぐ。グレーのスーツ姿で会見場に現れると「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことになりました」と口にした。
試合がないこの日も全体練習に顔を出し、精力的に投内連係や打撃練習に参加。残りシーズンももちろん、貴重な戦力だ。練習前に報告を受けた伊東監督は「今シーズン限りというのは寂しい限り。練習するひたむきな姿、試合に臨む気持ちは今も昔も変わらない。1つでも上(の順位)に行けるよう、このままで終わる訳にいかない」と語った。
ロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。
井口は青学大から96年のドラフト1位でダイエー入団。99年の日本一に貢献したのをはじめ、盗塁王2度、ベストナイン、ゴールデングラブ賞3度ずつを獲得した。05年から4年間はメジャーでプレー。09年にロッテ入りし、13年に日米通算2000本安打を達成した。今季から中日・岩瀬と並んで、日本球界最年長。日米通算2378試合に出場し、通算打率2割7分、294本塁打、1215打点、224盗塁をマークしている。
セ・パ両リーグは20日、交流戦と交流戦が終了した19日時点の観客動員数を発表した。交流戦全108試合の1試合平均は前年比0.4%増の2万9557人で、昨年に続いて過去最多を更新した。セは前年比0.3%減、パは同1.2%増。球団別では同12.3%増の楽天、同10%増の西武、同8.6%増の日本ハムの3球団が大幅増。人気の高い巨人戦と広島戦の2カードがあったことが有利に働いた模様だ。
交流戦終了時までの両リーグ入場者数は、セが1試合平均3万2437人で前年同時期比1.7%増。パが2万5332人で同0.4%減だった。また、平均試合時間(9回試合)はセが昨年同時期より2分短い3時間7分、パが4分短い3時間9分だった。
球界現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで晴れやかな表情で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。21年間の現役生活を「野球が周囲の人以上に好きだった」と感慨深そうに話した。
日米5球団で大きな足跡を残してきた井口が今季限りでユニホームを脱ぐ。
「まだシーズン中ですが、今季限りで引退します。色々な思い出があるが、まだ振り返りません」と話し、21年間の現役生活の秘訣をこう続けた。
「野球が周囲の人以上に好きだった」。
引退会見にもかかわらず、感傷や湿っぽさはなかった。吹っ切れた明るい表情だった。
昨年12月3日の契約更改交渉。その席で井口は林球団本部長に「来年1年やらせてください」と事実上の引退を申し入れた。
井口は理想の野球選手像を「(走攻守の)三拍子そろった選手」としているが、年々忍び寄る年齢によって理想像はほころびを見せるようになった。
09年にロッテで日本球界復帰。出場試合数は翌10年の143をピークに減少し、15年は87、16年は79と100を切るようになっていた。
伊東監督はこの日、監督室で井口から決断を告げられ「エッ」と一瞬絶句したという。「バリバリの時と比較すると、あの年齢ですから。衰えてくるでしょう。寂しい」と理解を示した。
本当は開幕前に発表する予定だった。だが、オープン戦首位のチームに水を差すと思い直した。交流戦が終わり、「ファンの方々に応援していただきたいという思いになった」という。
全体練習前にはナイン全員が集まった輪の中で、今季限りの引退を告げた。称賛の声が上がった。試合前には若手と同じ量の汗をかき、出番がない時でもベンチで大声を張り上げる。後輩たちの信頼を得て、その姿はお手本だった。
現役への別れに後悔はない。残り77試合。「1つでも多くの勝利と1つでも上の順位を目指したい。チームの力となって全力を尽くす」。井口は最後の最後まで全力で走り続ける。野球が大好きだから。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「自分の中で昨年から決めていた。野球人生の全てを、残りの限られた打席で出し切りたい」と語った。
2013年に日米通算2千安打を達成してから「自分の引き際はどこだろうとずっと考えていた」と言う。球団には昨オフの契約更改交渉の場で伝え、伊東勤監督やナインにはこの日の全体練習前に告げた。
ロッテの林球団本部長は引退表明した井口について、「正直、見事な決断だと思います」とした。
昨年暮れの12月3日、井口との契約更改交渉に臨んだ際、本人から「来年1年、やらせていただきたい」と事実上の引退の申し出があったことを認めた上で、「来年(18年)の戦力とも考えていた。だいぶ前から言われていたがビックリした」と話した。
ロッテには09年から17年まで9シーズン在籍する。「(球団にとって)大事な財産だと思います。できることなら(今後も)チームの力になって欲しいと思います」。林本部長はまた、ロッテの“財産”であることを強調していた。
まだシーズン途中ですが、今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました。応援して下さったファンの方に1日、1打席でも見ていただきたい。
今は1つでも多くの勝利と1つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。そして、残りのシーズンでいままで以上の思い出を作っていけたらいいと思います。
開幕前(の発表を)を考えていましたが、チームの状態がよく、今じゃないと思いタイミングの発表を図っていた。交流戦が終わり、(引退が)起爆剤的なものになれば。
ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉のZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを発表した。昨年には引退を決めていたとも明かした日本球界最年長野手は「今まで以上にいい思い出を作りたい」と残り試合での活躍を誓った。
日本球界では42歳同級の中日・岩瀬仁紀投手に次ぐ年長となる井口は、今季35試合に出場し、打率.257、1本塁打、8打点の成績。プロ17年間でゴールデングラブ賞は3度受賞しているが、今季の出場機会は指名打者での先発(19試合)や代打出場に限られていた。
引退は「昨年決めたこと」と話し、契約更改の席ですでに球団本部長に伝えていたという。長く続けてこられた秘訣については「野球が好きだったから」と答えた。チームは現在リーグ最下位に沈む。この時期の発表については「ファンの方々に応援して頂きたいなという思い。今まで以上に良い思い出を作りたい」と残り試合での巻き返しも誓った。
伊東監督はこの日、監督室で「今季限りでユニホームを脱ごうと思います」と井口から直接、引退を報告されたという。13年のロッテ監督就任以来、チームの柱として頼りにしてきたが、「バリバリの時と比較すると、あの年齢(42)です。衰えてくるでしょう」と引退に理解を示した。
井口の略歴は以下の通り。
ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を発表した。96年度ドラフト1位で青学大からダイエーに入団。新人時代から存在感は際立っていた。
初本塁打は満塁弾だった。新人だったダイエー時代、1軍デビュー戦となった97年5月3日・近鉄戦(福岡ドーム)で初回にまずは左前打でプロ初安打。さらに4回の第3打席で同じ山崎から満塁アーチを放った。
さらに、井口は全打順本塁打も記録しており、4番に座った09年4月7日の日本ハム戦で達成。当時でプロ野球史上7人目。この一発は、大リーグから復帰してからの初アーチでNPB通算150号の“メモリアルアーチ”でもあった。
03年7月26日オリックス戦では1試合4二塁打を記録。史上9人目となるプロ野球タイ記録だった。
日米通算2000安打を達成したのは13年7月26日の楽天戦。田中将大から左翼への19号ソロ本塁打で大台に到達させている。
また、現時点でのNPB通算146死球は現役最多。清原和博(オリックス)の196、竹之内雅史(阪神)の166、衣笠祥雄(広島)の161に次ぐ歴代4位となっている。
※球団は現役での最終在籍
ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉のZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを発表した。井口の引退は伊東監督にとっても、“寝耳に水”だった。
この日は午前11時からZOZOマリンで全体練習。監督室に到着すると、すぐに井口が「お話があります」と訪ねてきた。
井口が「今季限りでユニホームを脱ごうと思います」と話し始めると、伊東監督は「エッ!」と絶句した。
13年のロッテ監督就任以来、井口にはチームの大きな柱として頼りにしてきた。二塁から一塁へのコンバートとともに、和製大砲として期待し、さらには勝負所で起用した。
伊東監督は、「バリバリの時と比較すると、あの年齢(42)です。衰えてくるでしょう」と引退に理解を示しつつ、こう続けた。
「寂しいけど、この世界は毎年毎年が勝負です。(この世界で)何十年も生きて、自分で引退を決められるのは幸せなこと」。
井口は97年、ダイエー(現ソフトバンク)でデビューした。伊東監督は西武の正捕手だったが、「スピードがあって身体も強かった。勝負所でよく打ったし、アメリカでもそれなりの成績を残した」と思い出を語った。
最近、こんな会話を交わしたという。
伊東監督が、「現役生活でこんなに負けたことはないだろう」と問いかけると、井口は「ありません。監督はどうですか?」と返した。
もちろん、伊東監督の返事も「オレもだよ」だった。
そして、2人は「このままじゃ終われない」で一致した。
ロッテは最下位にドップリと浸かっている。だが、最下位で井口を送るワケにはいかない。指揮官は「1つでも上に行けるように」とリーグ戦再開をにらんだ。
ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りで現役を引退することが分かった。井口は今季はここまで35試合に出場し、打率.257、1本塁打、8打点をマークしている。午後からZOZOマリンで引退会見を開く。
井口は国学院久我山から青学大を経て96年ドラフト1位で福岡ダイエーに入団。05年からは米大リーグへ活躍の舞台を移し、ホワイトソックス、フィリーズ、パドレス、フィリーズを経て09年から千葉ロッテに入団した。今年は現役野手最年長としてシーズンを迎えていた。
2013年7月26日には日米通算2000安打も達成。ホワイトソックス時代にはワールドシリーズ制覇にも貢献した。
通算成績はNPBでは1885試合に出場し、打率.271、250本塁打、1010打点。メジャーでは493試合で打率.268、44本塁打、205打点。
プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が、今季限りで現役を引退することが20日、分かった。同日午後に記者会見を開く。
プロ21年目の今季はここまで35試合の出場で打率2割5分7厘、1本塁打、8打点。
1997年に青学大からドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。01、03年に盗塁王に輝き、ベストナインとゴールデングラブ賞を3度ずつ受賞した。05年には米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、1年目にワールドシリーズ制覇に貢献。09年にロッテで日本球界に復帰し、13年に日米通算2千安打を達成した。