わたしはかもめ2017年鴎の便り(6月)

便

6月20日

今季引退の井口資仁、次期ロッテ監督の筆頭候補[ニッカン]

球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。昨年オフの契約更改の際、球団に残り1年での引退を申し入れていた。今季の残り試合も1軍でプレーを続け、日米通算21年目でユニホームを脱ぐ。球団は実績や人柄を高く評価。次期監督の筆頭候補に挙がっている。

いつものさわやかな笑顔だった。スーツ姿で会見場に現れた井口は「今季限りでユニホームを脱ぐことを発表させていただきます」と切り出した。「周りの人以上に好き」と自負する野球をやめるが、涙は微塵もなかった。

球団には、昨年の契約更改で引退の意思を伝えた。「(13年に)日米通算2000安打を打ってから、引き際を考えてきた」。本来なら開幕前に発表のつもりだった。少しでも早く公表し、ファンやお世話になった人たちにプレーする姿を多く見てもらいたかったからだ。ただ、チームはオープン戦勝率1位。「良い流れを止めたくない」と自重し、試合がない交流戦終了後のタイミングを選んだ。

チームメートには、この日の練習前に円陣で伝えた。「厳しい状況だけど、全員で力を合わせて戦い抜こう」と呼び掛けた。借金25の最下位だけに、引退発表を自ら「起爆剤」と表現。「残りシーズン、頑張って、みんなで1個でも上の順位を目指したい」と力強く言った。

そういう姿勢もあり、球団からは「功労者というより人として素晴らしい」と評価される。今後について、林球団本部長からは「何も決まってないし、何も話し合っていません。ただ、とても大事な財産。できれば、チームの力になって欲しい」と期待された。25歳以下の若手や長距離打者が育たないチーム事情もある。野球やトレーニングの知識が豊富で、自身がスピードタイプから大砲へのスタイルチェンジにも成功した井口は、格好の監督候補といえる。

最終的な監督の決定権は重光オーナー代行にあるが、同じ青学大出身の井口ならば、首を縦に振る可能性は高い。現状、伊東監督の来季続投も選択肢にあり、監督交代がいつ発生するのかは未定だが、その時は井口が必ず候補になる。もっとも、引退後のプランを聞かれた井口は「何も考えていません。残り試合を精一杯、やり抜こうと思います」と即答。今は、目の前の試合に挑むことしか頭にはない。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年(昭49)12月4日、東京都生まれ。国学院久我山2年夏に甲子園出場。青学大では東都大学リーグ最多の24本塁打を放ち、96年アトランタ五輪銀メダル。同年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入団。97年5月3日近鉄戦で新人初のデビュー戦満塁本塁打。01、03年盗塁王。01、03、04年にベストナイン、ゴールデングラブ賞。04年オフにダイエーを退団して渡米。05年、ホワイトソックスの2番・二塁に定着して88年ぶりワールドシリーズVに貢献。08年フィリーズでも、シリーズ出場はなかったが世界一。09年以降はロッテでプレー。09年4月7日に全打順本塁打をマーク。13年7月26日、日米通算2000安打達成。178センチ、91キロ。右投げ右打ち。01年、登録名を忠仁から資仁に変更した。家族は夫人と1女。

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ロッテ井口「勝つチームは自然と1つ」一問一答[ニッカン]

球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。昨年オフの契約更改の際、球団に残り1年での引退を申し入れていた。今季の残り試合も1軍でプレーを続け、日米通算21年目でユニホームを脱ぐ。一問一答は以下の通り。

≫振り返って。
井口
「残りの試合の中で、これまでのシーズン以上の良い思い出を作れたら。振り返るのは、全て終わってからと思う。」
≫球界最年長として。
井口
「最年長の意識は全くない。グラウンドに立てば年齢は関係ないし、若い選手と一緒に声を出して走ってという思い。」
≫残りの試合で見てもらいたいことは。
井口
「右方向の打球を追い求めてやってきたが、出し切れていない。もう1度、右方向に強い大きな当たりを打てるのを目指す。」
≫大リーガーの影響は。
井口
「昨年(シーズン前に引退表明したレッドソックスの)オルティスが、色んな地方でファンの方に姿を見せていた。そういう姿を僕も見せたいなと。」
≫チームを勝たせるために意識したことは。
井口
「決して、僕1人じゃない。勝つチームは自然と1つ。僕も、チームの和を1番大事にしている。」
≫こだわりは。
井口
「打って、守って、走っての3拍子。なかなか、できなくなってきたけど、理想です。(イチローは)理想の選手。年上の方があれだけ動ける。そこを目指したいと思っている。」

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「勝負どころになったら井口」/伊東監督[ニッカン]

ロッテ井口が今季限りでの現役引退を表明した。伊東勤監督のコメント。

「ひたむきに練習する姿、試合に臨む気持ちは、今も昔も変わらない。プロ入りの時は、敵チームにイキのいい選手が入ってきたと思った。スピードも力もあったし、勝負強い。監督としては、大砲不在のチームで責任を果たしてもらった。勝負どころになったら井口と決めている」。

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ロッテ井口「残り試合精一杯やり抜く」一問一答[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見し今季限りでの現役引退を表明した。

井口は残り試合で完全燃焼する意気込みを何度も口にした。

一問一答は以下の通り。

≫率直な思いは。
井口
「昨年、決めたことで、その思いでずっと自主トレから来ている。まだ70試合以上残っているから、頑張っていきたいという思いが今は強い。」
≫引退後は。
井口
「全く考えていない。残りの試合を精一杯やり抜こうと思っているだけ。」
≫プロ初出場で満塁本塁打を放った。
井口
「デビューの思い出はある。楽しみが非常に多かった。だいぶ前の話だったなと。」
≫今季は最年長野手で迎えた。
井口
「自分では意識は全くしていない。グラウンドに立てば年齢は関係ないと思っている。」
≫長く続けられた要因は。
井口
「野球が周りの人以上に好きなんじゃないかなと自分で思っている。」
≫見せたい打撃は。
井口
「今まで追い続けていた右方向への打撃。もう1度、右方向への強い当たりを目指して頑張っている。そういう当たりが1本でも出たらいい。」
≫こだわったのは。
井口
「野球人として打って走れて守れてと三拍子でやってきたが、40歳を超えるとなかなかできなくなる。理想は三拍子そろった選手。」
≫ダイエー時代の監督の王さんからは。
井口
「開幕前にお話しした。悔いなく目一杯やってくれという言葉をいただいた。」

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ロッテ井口が引退会見「1試合でも多く見に来て」[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。

昨年の契約更改の際、球団に、あと1年での引退を伝えていたという。

「ここまで応援していただいたファンの方々のためにも、サポートしていただいた方々のためにも、1日でも、1試合でも多く見に来ていただきたい思いです。自分の中では、開幕の前に発表したい思いはあったんですけど、開幕前はチーム状態はすごく良かったので、今じゃなく、今回のタイミングの発表とさせていただきました。残念ながら、今、チームは非常に苦しい状態ではありますが、僕自身21年間やってきたことを残りシーズンしっかり出していきたいと思います」と話した。

シーズン終盤ではなく、早めに発表することで、引退までの間、なるべく多くのファンに球場に足を運んでもらい、実際のプレーを見てもらいたい思いがある。

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瀬戸山隆三氏「王イズムの貴重な継承者」/井口引退[ニッカン]

球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。

ダイエー、ロッテのフロントとして井口獲得に携わった瀬戸山隆三氏(63=前オリックス球団本部長)は「王イズムの貴重な継承者だった」と今季限りの引退を惜しんだ。ダイエー球団代表だった96年ドラフトでは巨人、中日などとの争奪戦の末に青学大・井口の逆指名にこぎ着けた。当時のダイエーは王監督就任も2年連続Bクラス。王イズムの浸透に井口が必要な存在だったと考えた。

「王さんは常勝だった巨人育ち。勝つために全てをハードにやらないといけないと求めたが、弱小のダイエーに実行できる選手はいなかった。本当にやれたのは小久保(裕紀)が最初。井口なら続くことができると思った。全ての手段を使っても、入団してもらいたいと思った」。

瀬戸山氏によれば、王監督の井口への指導は厳しかった。松中、城島といった個性派に比べて内向的と感じた王監督は「もっと自分をさらけ出せ!」などと痛烈な言葉も浴びせた。それでも井口は「見返してやる」と負けん気を発揮。期待に応え強豪へ押し上げる屋台骨となった。

瀬戸山氏はロッテ球団社長としても米球界から井口を獲得。「修羅場をくぐっているという意味で井口の右に出る者はいなかった。彼は勝つ方法、そして勝つことがどれだけ苦しいことかも知っていた。長い間、本当にお疲れさま」とねぎらった。

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大学恩師河原井氏「裏方の気持ち分かる」/井口引退[ニッカン]

球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。

1年春からレギュラーをつかんだ青学大時代の井口は、東都大学リーグ通算最多24本塁打、1シーズン8本塁打など数々の記録を塗り替え、4度のリーグ優勝に導いた。黄金期を支え、4年時には主将を務めた。河原井正雄氏(62=前青学大監督)は「(両翼)90メートルの球場で高さ30メートルのネットをロングティーで越していた。普通は無理。1年の時、4年に小久保がいて刺激を受けていた」と懐かしむ。

引退の正式な報告を受けたのは今春のキャンプ前だった。「最後だから石垣島に見に来て下さいって」。2軍キャンプを訪れると、1つだけリクエストした。「ショートを守ってくれ」。近年は一塁を守る井口は、守備練習で慣れ親しんだ位置についた。恩師は「動きは悪かったな」と笑いながら、「やっぱりショートだったから」と教え子の動きを目に焼き付けた。

初めて学校を訪れた高校3年の時。遊撃を守る井口の姿に目を奪われた。「プロに行った方がいい。監督に謝ってすぐに帰ったんだ」。打撃力に加え、打球を追うスピードが「動物的だった」。数日後、両親から電話をもらった時もプロを勧めた。それでも本人の進学への思いは強かった。「下積みの人間の気持ちも、裏方さんの気持ちもよく分かってる。いい指導者になると思う」と確信している。

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高校恩師高良氏「プレーで引っ張る主将」/井口引退[ニッカン]

球界最年長であるロッテ井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。

高校時代の井口を指導した高良武士氏(55=前国学院久我山監督)は「リーダーシップというより、みんなが自然についていくオーラがある。言葉より、プレーで引っ張るタイプのキャプテンだった」と言った。

同校のグラウンドは、左翼付近でサッカー部が練習していた。通常の練習では危険なためフリー打撃は行わないが「井口が引っ張らないので打たせて下さいって言うんです」。言葉通り、1球も左翼方向に行くことはなかった。「ボールを引き付けて右に打つのは、高校時代からうまかった」と懐かしんだ。右打者で約100メートル先の校舎にぶち当てたのも井口だけだった。

高校2年夏には「3番遊撃」で甲子園に出場。西東京大会では神宮球場の右中間スタンドに本塁打を放った。高校時代からプロのスカウトは訪れたが「大学に行って、アトランタ五輪に出たいと言っていた」と青学大を選んだ。「勉強もできた。普通に受験しても大学に入れたと思います」と文武両道の強打者だった。

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阪神今岡コーチ、井口引退に「尊敬してました」[ニッカン]

阪神今岡真訪打撃兼野手総合コーチ(42)が20日、引退を表明したロッテ井口をねぎらった。

今岡コーチと井口は大学時代の96年、アトランタ五輪に出場。二遊間を組み、銀メダル獲得に貢献した。

今岡コーチは東洋大で、同じ東都大学リーグの青学大・井口はライバルだった。今岡コーチが阪神からロッテに移籍した10年からの3年間は、再びチームメートになり、互いを認め合う間柄だった。

井口は今岡コーチが引退した12年に「大学の時は同じ1年生で同じポジション。同級生に負けられない思いが強かった。ロッテでの3年は全てを後輩に伝える、いい兄貴分でした」とねぎらっていた。

この日は今岡コーチが井口へ言葉を贈った。「学生のころはライバルだったけど、最後の5年、10年は全ての面で尊敬でした。(96年アトランタ)オリンピックでは同じメンバー。プロに入ってからも、成績を気にすることがあった。全てにおいて素晴らしいプレーヤーでした。同い年で尊敬してました」。

若き頃のライバル、そして旧友の引退表明にメッセージを添えた。

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ヤクルト石川、井口の引退に「まだ打てそうな感じ」[ニッカン]

ヤクルト石川雅規投手(37)が20日、青学大の先輩となるロッテ井口の引退を惜しんだ。

この日、神宮外苑軟式球場で行われた全体練習に参加。

引退を発表したことを問われ、「井口さん、小久保さんは青学大のスーパースターです。井口さんはお会いする度にご挨拶をさせてもらっていた。たくさん対戦して、いっぱい打たれました。でも、それで成長させてもらえた。寂しいですね。まだ打てそうな感じがするのに。寂しいです」と語った。

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ソフトバンク内川「憧れの選手」井口引退を惜しむ[ニッカン]

ソフトバンク内川聖一外野手(34)が20日、今季限りでの引退を発表した井口への思いを語った。頸椎捻挫で現在リハビリ中で、この日も福岡・筑後市のファーム施設で調整した。

内川は「子供の頃からの憧れの選手。(まだホームランテラスがない)ヤフオクドームで右中間に本塁打を打つ姿がすごい。右方向にあれだけ飛距離が出るのは本当に力がないとできない。(13年の)福島、いわきでの球宴で井口さんのバットをもらって、一振りでMVPになった。『オレのバットで』と言ってもらいましたよ」と、同じチームでプレーすることはなかったが、同じ右打者として尊敬する先輩の引退発表を惜しんだ。

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高橋監督、井口の引退に「目標で憧れだった」[ニッカン]

巨人高橋由伸監督(42)がロッテ井口の引退に思いをはせた。20日、ジャイアンツ球場での練習後に、慶大時代に日本代表でも僚友で1歳上のスラッガーについてコメントした。

「大学時代から可愛がってもらい、ご飯に連れてもらったり、バットをもらったりした。東都のスーパースターで目標で憧れだった。1歳上だけど世代は同じだから」。

自身も2年前に監督就任にあたり、引退を決断し、同世代も次々とユニホームを脱いでいる。「寂しい?そうだけど自然なこと。大家も引退するしね。稼頭央(松井)、上原、福浦、岩瀬さんは頑張っている。イチローさんは別格だね。井口さんは、まだ試合があるし、今シーズン残りを頑張って欲しい」とエールを送った。

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ロッテ井口資仁が今季限りでの現役引退を決意[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が今季限りでの現役引退を決めたことが20日、分かった。

井口は国学院久我山、青学大をへて、96年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入団。3拍子そろった主力として活躍し、99年のリーグ優勝、日本一に貢献した。

05年に米球界移籍。同年はホワイトソックスでリーグ優勝、ワールドシリーズ優勝に貢献。フィリーズ、パドレスでもプレー。09年にロッテに入り、日本球界に復帰した。

ロッテでも主力としてチームを引っ張り、10年の日本一に貢献した。13年には、日米通算2000安打を達成した。

今季はDHと代打を兼務。ここまで35試合、打率2割5分7厘、1本塁打、8打点。

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ダイエードラ1、日米2000安打も/井口資仁メモ[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が今季限りでの現役引退を決めたことが20日、分かった。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年(昭49)12月4日、東京都生まれ。父親の手ほどきで小1から野球を始め、国学院久我山高2年の時に甲子園に出場。
青学大時代は通算24本塁打を放ち、96年アトランタ五輪銀メダル獲得に貢献。同年ドラフト1位でダイエー入り。3拍子そろった主力として活躍し、99年のリーグ優勝、日本一に貢献した。
05年に米球界移籍。同年はホワイトソックスでリーグ優勝、ワールドシリーズ優勝に貢献。フィリーズ、パドレスでもプレー。09年にロッテに入り、日本球界に復帰した。
ロッテでも主力としてチームを引っ張り、10年の日本一に貢献した。13年には、日米通算2000安打を達成した。
通算成績はプロ野球が1885試合に出場して打率2割7分1厘、250本塁打、1010打点。メジャーでは493試合で打率2割6分8厘、44本塁打、205打点。血液型O。178センチ、91キロ。右投げ右打ち。

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1試合平均で過去最多更新、交流戦の観客動員数[ニッカン]

セ、パ両リーグは20日、交流戦の観客動員数を発表し、1試合平均観客数が昨季から0.4%増の2万9557人となり過去最多を更新した。パ首位の楽天が12.3%増の2万4218人と大きく伸ばした。

セの主催試合は0.3%減の3万3034人、パは1.2%増の2万6081人だった。

開幕から交流戦終了までの1試合平均観客動員数は、セが昨年同時期から1.7%増の3万2437人、パは0.4%減の2万5332人だった。

平均試合時間はセ、パともに3時間13分で、昨年同時期よりセが3分、パは6分短くなった。

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ロッテ・井口、今季限りで引退…異例のメジャー流早期表明[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。日米5球団でプレーし、日米通算2243安打を記録している現役最年長野手は昨年のうちに決意したことを明かし、低迷が続くチームの起爆剤となるため、この時点での表明を決断。「残り試合で自分の全てを出し切る」と完全燃焼を誓った。

井口の表情は晴れやかだった。日米通算21年に及んだ現役生活に終止符を打つことを表明した引退会見は、残り77試合に死力を尽くすという決意表明の場でもあった。

「まだ自分の野球人生を振り返るのは早い。残り試合で自分の全てを出し切って、これまで以上の思い出をつくりたい。振り返るのはシーズンが終わってからです」。

昨オフの時点で「現役はあと1年」と決め、契約更改交渉の時点で球団に伝えた。参考にしたのは開幕前に引退を表明して最後のシーズンを戦った米大リーグ、ヤンキースのデレク・ジーターやレッドソックスのデービッド・オルティスの姿だ。2005年にホワイトソックスでワールドシリーズを制覇するなど、米大リーグで4年間プレーした井口は「そうありたいと思っていた」と今季の開幕前に表明する考えだったが、チームはオープン戦を12球団トップの13勝2敗3分け。「チームの流れを止めるようなことはやめよう」と思いとどまった。

ところが、開幕するとチームは低迷。交流戦を終え、借金25を抱えている。1999、2003年にダイエー(現ソフトバンク)で、10年にロッテで日本一に輝き、誰より「勝利」を渇望する男は「チームが苦しい状況の中、起爆剤になれば。こういう状況でも、いい方向に持っていくのが自分の仕事」と、この時点での表明を決断した。

この日の練習前に伊東監督に伝えた後、ミーティングの中でナインに報告。「1つでも上を目指して頑張っていきましょう」と伝え、投内連係、フリー打撃も元気にこなし、「しんみりしたら申し訳ないと思ったけど、元気よく練習できたと思う」とうなずいた。

「9年間、彼が果たしてくれた役割は大きい。球団にとって大事な財産。来季以降は何も決まっていないし、話し合ってもいないが、将来的には(指導者として)力になって欲しいと思っている」とロッテ・林信平球団本部長。球団にとっては、近い将来の監督候補としての期待もある。

ダイエー時代の監督だったソフトバンク・王貞治球団会長には開幕の時点で伝え、「悔いのないよう、目一杯やってくれ」と激励を受けた。目指すのはダイエー時代から培ってきた右方向への強い打球で「まだ出し切れていない。打てるようやっていきたい」。野球人生の集大成となる残り77試合、井口が背中でロッテを引っ張る。

◇メジャーのレジェンドは…

2014年の開幕前に引退を表明したヤンキースのジーターは、どの球場でも大歓声で迎えられた。レギュラーシーズン最終戦では宿敵レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークで試合前に30分以上もセレモニーが行われ、7回表終了後に同僚だったバーニー・ウィリアムズ氏がギターの生演奏を披露した。昨季限りで引退したレ軍のオルティスも、球宴(サンディエゴ)でスタンディングオベーションを受けるなど、ファンに引退を惜しまれた。

◇シーズン中に引退を表明した主な大物選手

新庄剛志(日本ハム)
2006年4月18日のオリックス戦(東京ドーム)のヒーローインタビューで「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」と宣言。
小久保裕紀(ソフトバンク)
12年8月14日のロッテ戦(ヤフードーム)の後に会見。同年限りでの引退を表明し「最後に燃え尽きて終わりたい」。
宮本慎也(ヤクルト)
13年8月26日に会見し、同年限りでの引退を表明。「レギュラーで出られないのでは退(ひ)くときかな」とすがすがしい表情で語った。
黒田博樹(広島)
日本シリーズ開幕4日前の昨年10月18日に会見。リーグ優勝を果たすなど「最高のシーズンを送れたので、悔いはないです」。
井口資仁(いぐち・ただひと)
1974(昭和49)年12月4日生まれ、42歳。東京都出身。国学院久我山高から青学大を経て、97年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入団。主に二塁手として活躍し、ベストナインとゴールデングラブ賞を各3度受賞。2004年オフにホワイトソックスへ移籍し、05年に世界一。フィリーズなどを経て、09年にロッテで日本球界に復帰し、13年に日米通算2000安打を達成した。96年アトランタ五輪日本代表。1メートル78、91キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸1億3500万円。背番号6。

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[独占手記]ロッテ・井口「才能ある若手がたくさんいて答えはすんなり出た」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「残り試合で自分の全てを出し切る」と完全燃焼を誓い、サンケイスポーツに独占手記を寄せた。

読者の皆さんへ。井口です。まだシーズンは残っていますが、1つの区切りとして、ご挨拶させていただきます。これまで紙面を通して温かいご声援をいただきました。そして、たくさんのご支援を、どうもありがとうございました。心から感謝しています。

まだ現役は続けられる。そうは思っても、ベテランが抜ければ、若手には絶好のチャンスが来ます。自分が新人の頃は、がむしゃらでした。それがプロ野球という世界。ロッテには才能ある若手がたくさんいて、チームのことを考えると、答えはすんなり出ました。

日米通算21年目。ふとわれに返ると、確かに長かったかな。同じ年の松井秀喜(巨人、ヤンキースなど)は2012年に引退し、同学年は中日の岩瀬仁紀だけ。あの高橋由伸が巨人の監督をやっている時代ですからね。気がつけば、年上の選手がいなくなっていました。

実は引退を考えたことは、過去に1度ありました。パドレス時代(2008年)に右肩を脱臼。患部から5センチぐらい骨が飛び出て、痛くて眠れない夜が続きました。今だから笑って話せるけど、野球人生は終わったなと腹をくくりました。

整体の先生に4日間、1日2時間ほど骨をグイグイ押し込んでもらいました。涙が出て、脂汗が吹き出し、「ギャー」と叫びっぱなし。死ぬかと思いました。貧血で顔は真っ青。寝返りすら打てませんでした。

迷ったら一歩前に踏み出せ−。技術面で悩んだり、人生で大きな壁に当たっても、逃げませんでした。たとえ結果が伴わなくても、失敗ではありません。何事も経験が大事。落ち込んだり、考え込んだりせず、経験はやがて血となり骨となるぐらいの感覚で、これからもやっていきます。

40歳を過ぎてから、両親には「そろそろクビになるから」と言ってきました。現役生活を続けたくても、続けられない選手は多い。シーズン中に、自分の意志で引退という道を選べるなんて、恵まれた立場にいるんだなと感謝しています。

来年のことは想像がつきません。米大リーグのホワイトソックスと1日契約をして、引退試合を開催してくれたらいいなと想像するぐらい。時間をかけてマイナーを含めた米国の野球をみたい、現場を離れて違った角度から野球を勉強したいという気持ちもあります。

自分に携わってくれた全ての野球関係者に、感謝しています。これからは野球人口の拡大と発展のために恩返しをする立場。引退が新たなスタートです。今は残されたシーズンに集中し、全力で挑みます。

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[引退表明一問一答]井口、同学年の中日・岩瀬と「もうそろそろかな」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。

≫引退決意はいつ。
井口
「日米通算2000安打(2013年)を打ってから、引き際はずっと考えていた。去年の時点で最後の1年間をやって終わろうという区切りの気持ちになった。」
≫この日の発表になったのは。
井口
「ファンに1試合でも多くユニホーム姿を見ていただきたいという思いです。9月頃に発表すると、見に来られないファンもいると思った。」
≫長く続けられた要因は。
井口
「野球が周りの人以上に好きなんじゃないかな、と思う。オンとオフをはっきりさせるよう心がけていた。引きずることがないように。」
≫球界最年長野手として。
井口
「同世代より1年でも長くやりたいという思いはあった。交流戦で(同学年の)中日・岩瀬と、『もうそろそろかな』なんて話もしました。」
≫こだわりは。
井口
「打って、走って、守れる三拍子そろった選手を理想としてやってきました。理想はイチローさん(現マーリンズ)。」
≫若手に言っておきたいことは。
井口
「自分が行動してみせることだけ。あえて言うことはない。」
≫引退後は。
井口
「(今は)残された試合を精一杯やり抜くだけです。」

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[井口引退表明コメント集]青学大時代の監督・河原井氏「キャンプ前に『最後になる』と連絡」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。

青学大時代の監督、河原井正雄氏
「キャンプ前に『最後になると思うので来てください』と連絡が入り、守備を見て、その時が来るなとは思っていた。先輩の小久保(裕紀)の練習に対する姿勢を見て、どんどんよくなって、とにかく打った。米国に行くときはよせといったけど、行ってあれだけの結果を残した。人間的に素晴らしいので、あとは指導者として、野球界で頑張って欲しい。」
国学院久我山高時代の監督で、同校教諭の高良武士氏
「野球の実力だけでなく、身だしなみや振る舞いも一流で、久我山にとっては宝のような存在。授業で在校生にお手本として話をしています。先月30日の阪神戦での2安打を球場で見たばかり。寂しい気もしますが、残りも頑張ってもらいたいです。」
ロッテ・鈴木主将
「同じ内野手として、教わったことはたくさんある。まだシーズンは半分以上残っているので、できるだけ井口さんから吸収したい。」
ロッテ・角中選手会長
「ボール球に手を出さないのがすごいし、野球以外のこともたくさん学んだ。このまま最下位で引退させる訳にはいかない。」
井口と同じ青学大出身のヤクルト・石川
「憧れもあって青学大に入学した。追いつきたいと思って頑張ってきた。(プロでは)打たれたことしか覚えていない。」
昨年までロッテに在籍したヤクルト・大松
「背中で後輩にメッセージを与える人。オフの(ロッテの)内野手会で『来年で(引退)』という話をされていた。」
ダイエー時代に同僚だったソフトバンク・工藤公康監督
「走攻守そろって、すごい選手が入ってきたと思った。色々な所で野球をした経験があるので、若い人の指導に努めて欲しい。」
慶大出身で1学年下の巨人・高橋監督
「大学時代によく練習試合をやり、ご飯に連れて行ってもらったり、バットをもらったりと、かわいがっていただいた。残りの試合を頑張って欲しい。」
1996年アトランタ五輪で二遊間を組み、ロッテでは同僚だった阪神・今岡2軍打撃兼野手総合コーチ
「大学(東洋大)から一緒にやっていて、その時はライバル。僕がレギュラーではなくなってからも彼はずっとレギュラーだった。尊敬の目で見ていた。」

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ダイエー入団時監督の王氏、ロッテ・井口に「本当にご苦労さま」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。井口がダイエー入団時の監督で、メジャーへ移籍するまでの8年間指導したソフトバンク・王貞治球団会長は、「日米の野球界で大活躍でしたね。42歳までよく頑張って、野球の虫というか、そんな生きざまを見せてくれた。本当にご苦労さま」とねぎらった。そして「これからも野球界のため、後進のために活躍して欲しいね」と今後も野球人としての活躍に期待した。

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ロッテ・伊東監督、借金25でも「まだ諦めていない」[サンスポ]

ロッテは23日のリーグ戦再開に向け20日、全体練習を行った。借金25を抱え、5位・日本ハムとのゲーム差も7.5と大きく離れているが、「まだ諦めていない。新外国人が加入して、チームはまとまりつつある。1つでも借りを返せるようにロッテらしい野球をやっていく」と伊東監督。18日の巨人戦でデビューしたペーニャは指名打者で起用し、打撃に専念させる考えだ。

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ロッテ・伊東監督、練習前に井口から報告受け「『えっ』という感じ」[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。伊東監督はこの日の練習前に井口から報告を受け、「急だったので『えっ』という感じでした」と引退を惜しんだ。2013年に監督就任後、二塁から一塁へコンバートしたほか、今季は主にDH、代打として起用している。「自分に厳しく、ストイックで頼りがいのある選手。勝負どころは『代打・井口』と決めていた。自分で引き際を決められるのは選手として幸せなこと。1打席でも姿を見たいというファンは多いと思うので、考えながら起用していきたい」と話した。

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ロッテ・井口、早い段階での引退表明はオルティスから影響「僕もそうありたいなと思った」[サンスポ]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。

井口のように早い段階で引退表明し、シーズンの試合に臨む引退の仕方は米大リーグでは珍しくない。最近ではヤンキースのジーターやレッドソックスのオルティスが開幕前に発表し、遠征先でも別れのセレモニーが行われた。

井口は「9月くらいに発表すると、なかなか見に来られないファンの方もおられるので」と説明。オルティスに影響を受けたそうで「地方に行って自分の姿を見せている。僕もそうありたいなと思った」とうなずいた。

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巨人・高橋監督、引退表明のロッテ・井口は「大学のときは目標だったし、憧れ」[サンスポ]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。

井口が今季限りでの現役引退を表明したことを受け、かつてダイエーで同僚だった巨人の杉内は「体が強い。その姿を見て、プロに入ってからトレーニングの大事さを知った」と惜しんだ。昨年までロッテで同僚だったヤクルトの大松は「決して口で言うのでなく、背中でメッセージを与えた人。少しのけがでは何も言わずに試合で結果を出し続けていた」と言う。

阪神の今岡2軍打撃兼野手総合コーチは東洋大時代の96年にアトランタ五輪で井口とともに戦った。自らが引退後も現役を続ける姿に「尊敬の目で見ていた」とたたえた。

慶大出身の巨人の高橋監督は井口の1学年下。「大学の頃からご飯に連れて行ってもらったり、バットをもらったりした。大学のときは目標だったし、憧れだった。残り試合、頑張って欲しい」とエールを送った。

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ロッテ・井口の引退発表に同僚達から驚きの声、角中「びっくりしたのが1番」[サンスポ]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。

ロッテのチームメートはZOZOマリンスタジアムでの全体練習前に井口から今季限りでの引退を伝えられた。選手会長の角中が「びっくりしたのが1番」と語るなど驚きが広がった。

主将の鈴木は二塁手のプレーを教わったことを振り返り「寂しすぎる。安心して引退できるようにしっかりとしないと」と気持ちを新たにした。

伊東監督は「体が強い。5年間、絶対に手を抜かない、自分に厳しい選手だった」とたたえた。現役引退までの残りシーズンの起用法については「お客さんも1打席でも見られれば、という方がたくさんいる。配慮しながら使っていきたい」と語った。

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ソフトB・王会長、現役引退表明のロッテ・井口に「42歳までよく頑張った」[サンスポ]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。千葉市のZOZOマリンスタジアムで記者会見し「自分の中で昨年から決めていた。野球人生の全てを、残りの限られた打席で出し切りたい」と語った。

2013年に日米通算2000安打を達成してから「自分の引き際はどこだろうとずっと考えていた」と言う。球団には昨オフの契約更改交渉の場で、伊東勤監督やナインにはこの日の全体練習前に伝えた。シーズン中の発表を「応援していただいたファン、サポートしていただいた人に(残り試合を)多く見に来ていただきたい」と説明した。

ソフトバンク・王貞治球団会長
「ホークスの強力打線の中心として2度の日本一。米国でも2個のチャンピオンリングを手にして、日米の野球界で大活躍だった。42歳までよく頑張って、野球の虫というか、そんな生きざまを見せてくれた。本当にご苦労さま。これからも野球界のため、後進のために活躍して欲しい。」
ソフトバンク・工藤公康監督
「(ダイエー時代の同僚で)走攻守そろって、すごい選手が入ってきたと思った。チャンスに強い打者のイメージ。米メジャーなど、色々な所で野球をした経験があるので、若い人の指導に努めて欲しい。」
阪神・今岡2軍打撃兼野手総合コーチ(アトランタ五輪で二遊間を組んだ同級生でロッテでは同僚)
「大学から一緒にやっていて、その時はライバルだった。僕がレギュラーではなくなってからも彼はずっとレギュラーだった。尊敬の目で見ていた。」

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[引退会見一問一答]ロッテ・井口、昨年で現役引退を決意、「これを起爆剤にして残りのシーズンをがんばっていきたい」[サンスポ]

現役最年長野手のロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役引退することが20日、発表された。

同内野手は国学院久我山高、青山学院大を経て、97年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。三拍子そろった内野手として活躍した。2005年に米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、08年までフィリーズ、パドレス、フィリーズに在籍した。

09年にロッテに移籍すると、翌10年の日本一に貢献。13年には日米通算2000安打を達成した。日本球界での通算成績は20日現在で、1885試合、打率.271、1749安打、250本塁打、1010打点、176盗塁。今季はここまで35試合に出場し、打率.257、19安打、1本塁打、8打点の成績を残している。

井口との一問一答は以下の通り。

≫引退を決意した時期は。
井口
「昨年の契約のときに1年だけ頑張らせて欲しいと伝えていた。1試合でも多く見に来ていただきたいという思いだった。残念ながらチームは厳しい状況だが、これを起爆剤にして残りのシーズンを頑張っていきたい。」
≫今後の目標は。
井口
「まだまだ70試合以上残っているので、頑張っていきたい。」
≫思い出に残っている試合は。
井口
「まだまだ振り返るのは早い。振り返るのは全てが終わってから。」
≫ここまで野球を続けられた理由は。
井口
「自分では最年長という意識はしていない。野球が周りの人以上に好きだからでは。」
≫ファンに対して。
井口
「素晴らしいファンの方々の前でプレーできている。自分の力を出し切りたい。ずっと応援していただいたファンの方々に、1試合でも多くユニホームを着ている姿をみて欲しい。」
≫チームメートには。
井口
「今シーズンでユニホームを脱がせてもらう。力を合わせて、上を目指して頑張っていこうと話した。しんみりしてしまって申し訳なかった。会見前に選手全員に伝えたかった。」
≫残りのシーズンへ向けて。
井口
「まだまだシーズンは残っている。今まで以上にいい思い出を作っていきたい。終わってからゆっくり振り返りたい。悔いのないシーズンにしたい。しっかり勝てるように、1つでも上を目指したい。」
≫昨年決断した理由は。
井口
「自分自身の引き際はどこだろうと2、3年考えていた。昨年の時点で区切りの気持ちになった。」

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ロッテ・井口、今季限りで現役引退、2010年日本一に貢献[サンスポ]

現役最年長野手のロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役引退することが20日、分かった。

同内野手は国学院久我山高、青山学院大を経て、97年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。三拍子そろった内野手として活躍した。2005年に米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、08年までフィリーズ、パドレス、フィリーズに在籍した。

09年にロッテに移籍すると、翌10年の日本一に貢献。13年には日米通算2000安打を達成した。日本球界での通算成績は20日現在で、1885試合、打率.271、1749安打、250本塁打、1010打点、176盗塁。今季はここまで35試合に出場し、打率.257、19安打、1本塁打、8打点の成績を残している。

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ロッテ井口、残り77試合で引退発表のワケ「自分の姿を見せて終わりたい」[スポニチ]

ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明した。日米5球団でプレーし、通算2243安打を記録。日本一3度、ワールドシリーズ制覇も経験した。球界最年長野手は、21年目を戦い終えてバットを置く瞬間まで全力を尽くす。

すがすがしい表情で、井口がカメラのフラッシュを一身に浴びた。

「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを発表させていただきたい。野球人生、21年目。その全てを残りの限られた打席の中で出し切りたい」。

66試合を終えたところでの早期発表。実は昨年12月の契約更改交渉の席で、球団に「1年だけ頑張らせて欲しい」と伝えていた。両親にも話し「最後までやり抜いて頑張りなさい」と激励された。

早い段階で引退表明してシーズンを戦うスタイルは、05〜08年にプレーしたメジャーリーグでは珍しくない。井口は昨年引退したオルティス(レッドソックス)に影響を受けたという。「色々な地方で自分の姿を見せていた。そういう姿で終わりたいなと思った」と、同様の開幕前の発表を望んでいた。

ただ、チームはオープン戦で勝率1位。「かなりいい状況にあったので、この流れを止めるような発表はやめよう」と先送りした。交流戦を終えて、この日がチームの練習再開日。練習前の円陣で同僚にも報告した。

身の処し方すらフォア・ザ・チーム。常に勝利に貢献できる道を模索した結果が、ダイエー時代の99年に始まる日本一3度であり、メジャー1年目の05年からホワイトソックスで経験したワールドシリーズ制覇だった。「日本一&世界一」の達成は海を渡った日本選手で誰よりも早い。

日米通算2000安打を達成した13年頃から「引き際はどこなんだろう」と考えることが増えた。「走攻守三拍子」が1番のこだわりだったが、近年は出場が減り、出番は主に代打。「違和感はあっちもそっちも全部。回復という言葉はない」と話すほど満身創痍で戦ってきた。代名詞の右方向への強打も、少しずつ本来のものではなくなった。それでも「もう1度、右方向に強い大きな当たりを打ちたいと頑張っている」と自負は変わらず強い。

野球人生を振り返るのは「全て終わってから」だと言い切る。一方で、長いプロ生活を送れた要因を聞かれると「やはり、野球が周りの人以上に好きなんじゃないかと自分で思っています」と穏やかに笑った。自分らしく去り際を表明した42歳。雄姿を見られる時間は、77試合残されている。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年(昭49)12月4日、東京都生まれの42歳。国学院久我山2年夏の甲子園に出場。青学大で東都大学野球リーグ記録の通算24本塁打。4年時の96年にアトランタ五輪に出場して銀メダルを獲得した。同年ドラフト1位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。05年からはホワイトソックス、フィリーズ、パドレスでプレーし、09年に日本球界に復帰してロッテ入団。盗塁王2度、ベストナイン、ゴールデングラブ賞各3度。オールスター出場9度。1メートル78、91キロ。右投げ右打ち。

◇井口の主なNPB記録

プロ野球記録
パ・リーグ記録
ロッテ球団記録
その他

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将来監督就任は?ロッテ球団本部長、井口は「とても大事な財産」[スポニチ]

ロッテ・林信平球団本部長は「野球に対する真摯な姿勢を毎日見ている。本人からの申し出がなければ来年も戦力でと思っていた」と井口の引退を惜しんだ。

来季以降の監督就任など、指導者としてチームに携わる可能性について「何も決まっていないし、何も話し合っていない」とした上で「とても大事な財産。いつ、どういう形でか分からないが、できることならこれからもチームの力になっていって欲しい」と話した。

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ロッテ井口と一問一答「チームの中の和を1番大事にしている」[スポニチ]

◇ロッテ・井口と一問一答

≫思い出に残っている試合は。
井口
「デビューしたときの思い出はあります(プロ初出場で満塁本塁打)。楽しみが非常に大きかった。だいぶ前の話だったなと。」
≫1番の恩師は。
井口
「小さい頃から育てていただいて色々サポートしていただいた全員だと思います。」
≫日本一と世界一を経験した。チームを勝たせるために心がけていたことは。
井口
「決して僕が勝たせた訳ではない。勝つチームは自然と1つになっている。自分自身、チームの中の和を1番大事にしている。」
≫現在、チームは6位に低迷している。
井口
「これ(引退発表)をチーム浮上の起爆剤として、残りシーズンを頑張って、1つでも上の順位を目指して頑張っていきたい。」
≫引退後について。指導者は。
井口
「それは理想。でも今は残りシーズンのことしか頭にない。精一杯やり抜こうと思っているだけです。」

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こんなに負けたことないだろ?伊東監督に井口「監督もそうでしょう?」[スポニチ]

ロッテの伊東監督は「寂しいが、引き際を自分で決められるのは幸せ」と井口の引退を受け止めた。

チーム成績が低迷し、指揮官が「野球人生でこんなに負けたことないだろう」と聞いたときは「監督もそうでしょう?」と言われたという。「勝負どころは井口と決めている」という指揮官は、「今の順位は本人も悔しいと思う。1つでも上に行きたい」と巻き返しを誓った。

鈴木
「寂しすぎる。偉大な方なのにそんな空気をつくることなくベンチでも一緒に声を出してくれる。色々教えられたし、もっともっと吸収したい。」
角中
「びっくり。チームでは福浦さんがお母さんで井口さんがお父さん。優しくて頼りがいがある。最下位で引退させる訳にはいかない。」
石川
「まだシーズンは長い。一緒にできる。実感はないが、これから徐々に出てくると思う。」
小林投手コーチ
「プロ初登板の相手が井口だった。彼の経験は日本球界の財産。お酒でも飲みながらざっくばらんな話をしたい。」

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増え続ける井口門下生…どこまでも謙虚、人望厚い気配りの男[スポニチ]

◇担当記者が明かす井口の素顔

これほどの実績を残した選手だが、決して偉ぶらない。目配り、気配りにたけ、周囲に慕われた。「(チームが)勝たないと面白くない」とロッテでも戦力の底上げへ若手の動きに注視。「こうした方がもっと良くなる」。押しつけがましくない助言で成長を促した。

自身にもハードワークを課し、結果を残す。だから西岡(現阪神)ら多くの選手が練習をともにし、井口門下生は増え続けた。遠征先で一緒に食事した時のこと。野球談議に花を咲かせつつ、記者のグラスに気を配るのも忘れない。「僕がやります」と焼酎の水割りを作り続けてくれた。おかげで二日酔いはきつかったが…。その年はリーグ3位からの下克上日本一。最後まで酔わせてくれた。

ロッテ時代(09〜17年)
09年1月にロッテ入団。10年にはリーグ2位の103打点で、チームはシーズン3位から「史上最大の下克上」で日本一に。12年5月28日広島戦で史上98人目の日本通算200本塁打。13年7月26日の楽天戦では田中(現ヤンキース)から史上5人目の日米通算2000安打を達成した。09〜13年球宴出場。16年から現役最年長野手としてプレー。

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井口は信念の野球人、メジャーも日本から学ぶことあると信じていた[スポニチ]

◇担当記者が明かす井口の素顔

井口がメジャーに移籍したのは05年。まだ日本人内野手は珍しく、通用するかどうかと言われていた時期。だが、ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督が重視した「スモールボール」を忠実に遂行し、88年ぶりの世界一に大きく貢献した。

指揮官は「うちのMVP」と評したが、井口自身は決して理想の野球ではなかった。「3番から7番が打席の時は基本的には打つだけ」「走者三塁でも打てというだけでは、守る方は楽。サインだけは出して、もしかしてスクイズかなと思わせないと。そういう細かさがない」などと、熱く語っていた。

メジャーも、日本の野球から学ぶことがあると信じ「監督とそういう話をしたい」と言っていたのが印象的だった。ここまで言う日本人メジャーリーガーは少ない。強い信念のある野球人だった。

大リーグ時代(05〜08年)
04年オフに自由契約となりホワイトソックスと契約。05年4月4日のインディアンスとの開幕戦で「2番・二塁」でデビューした。同年に日本選手2人目のワールドシリーズ制覇。日本シリーズとのダブル戴冠は初だった。07年7月にトレードでフィリーズに移籍し、同年オフにパドレスと契約。08年4月26日ダイヤモンドバックス戦で日本選手2人目のサヨナラ本塁打を放った。6月に右肩を脱臼し、9月に解雇されフ軍復帰。2個目のチャンピオンリングを手にした。

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井口、転機となった二塁へのコンバート、メジャーでもプラスに[スポニチ]

◇担当記者が明かす井口の素顔

輝かしいキャリアの中でのターニングポイントは、01年の二塁コンバートだと思う。内野の華である遊撃からの配置転換に悔しさもあっただろうが、春季キャンプでは泥だらけになってノックを受けていた。

スマートなイメージが強いが、グラウンドでは練習の虫。小久保や川崎ら、とにかくよく練習した当時のダイエーの中でも、井口の量がNo.1だと証言する関係者もいた。グラブは小指、薬指を中指と同じ程度まで深く差し込めるように改良。逆シングルとなる二遊間の当たりを小指でもいいから当てて、ボールを止めようという狙いだ。その後のメジャーも、二塁手で挑んだことがプラスに働いた。端正なマスクの裏には、反骨心と高いプロ意識があった。

ダイエー時代(97〜04年)
96年ドラフト1位(逆指名)で入団。97年5月3日の近鉄戦でのプロ1号は満塁本塁打で、新人のデビュー戦での満塁弾は史上初だった。99年に初の優勝&日本一。01年から登録名を忠仁→資仁に変更し、44盗塁で初タイトルに輝いた。同年はベストナイン、ゴールデングラブ賞(ともに03、04年にも受賞)。03年には2度目の盗塁王。01〜04年に球宴出場。

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井口、次々記録量産した青学大時代、記者泣かせの東都の[スポニチ]

◇担当記者が明かす井口の素顔

青学大入学から3年間担当したが、次々とリーグ記録を更新するので記者泣かせだった。2年生の94年秋にシーズン最多の8本塁打をマーク。95年は年間最多の12発(春7、秋5)を量産した。そのたびに記録メモを確認するから大忙し。ただ地味な東都大学が1面候補になるので、張り合いはあった。

3学年上の小久保が在学時、練習中の打球が民家の屋根を壊すからと横浜市港北区の綱島(当時)の同大グラウンドに「小久保ネット」を作ったが、井口はさらに飛距離が出るため「井口ネット」を新設。最終的に神宮新記録の24本塁打を放ったが「大きく扱ってくれますよね」と有言実行で打つんだから型破りな男だった。

青学大時代(93〜96年)
2年秋に打率.348、8本塁打、16打点で東都大学野球リーグ史上唯一の3冠王。シーズン8本塁打や3年時の年間12本塁打、通算24本塁打はリーグ記録。1、4年時に全日本大学選手権を制した。4年時の96年にはアトランタ五輪に出場。銀メダルを獲得した。

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王さん、井口をねぎらう「野球の虫というか、そんな生きざま」[スポニチ]

ロッテ・井口のダイエー入団当時の監督だったソフトバンク・王貞治球団会長は「42歳までよく頑張って、野球の虫というか、そんな生きざまを見せてくれた。本当にご苦労さま」とねぎらった。井口からは今季開幕カードで顔を合わせた際にあと1年という思いを聞いた。「残りシーズン悔いなくやってくれ」と激励した。

96年ドラフトで井口が逆指名を表明した際は「ウチは若いチーム。井口君の加入が良い刺激剤になる」と喜んだ。「ホークスの強力打線の中心として2度の日本一、米国でも2個のチャンピオンリングを手にして、日米で大活躍だった」と称え、「これからも野球界のため、後進のために活躍して欲しい」とエールを送った。

小久保裕紀氏(前侍ジャパン監督。青学大、ダイエーでともにプレー)
「以前から聞いていたので驚かなかったが、この時期の発表はファンを思ってのことだと思う。一番の思い出は王監督の初優勝を決めた(99年9月25日)日本ハム戦で俺が同点3ラン、井口が勝ち越しホームランを打ったこと。チャンスが大好きで勝負強かった。」
ソフトバンク・工藤監督(ダイエー時代の同僚)
「ここぞというところで素晴らしい打撃をしていた。米国での経験も凄く大きいので、若い選手に伝えて欲しい。」

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由伸監督、井口さんは「目標というか憧れだった」[スポニチ]

慶大時代に東京六大学リーグ記録の23本塁打をマークした巨人・高橋監督は、ロッテ・井口について「東都のスーパースター。目標というか憧れだった」と話した。

1歳上の井口とは当時から親しく「可愛がってもらって、バットをもらったりご飯に連れていってもらった」と感謝した。

巨人・杉内(ダイエー時代の同僚)
「体が強くて逆方向に強い打球が打てる打者。ロッテ戦ではよく打たれた。まだまだやれるとは思う。昨春に僕のケガを気にかけて連絡をいただいた。寂しいですね。」
巨人・村田(日大時代は井口の東都リーグ歴代トップ24本塁打を目標に、同2位タイの20本塁打)
「追いつけなかったけど目標だった。それほどのホームランを打っていると(プロで)成功できると分かった。」
巨人・阿部(01年W杯の日本代表で同僚)
「メジャーも経験されて野手最年長としてここまでできているのは凄い。レジェンドがまた1人去る。」
ヤクルト・石川(青学大の後輩)
「青学大といえば小久保さんと井口さん。(2人に)憧れて入った。追いつけるようにとやってきた。プロで真剣勝負できて良かった。」
日本ハム・栗山監督
「青学、ホワイトソックスでも取材させてもらった。長年、野球界を引っ張ってもらって感謝しているし、年下だけど尊敬してます。」

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恩師・河原井氏、最後のキャンプでも井口は「もう少し練習やります」と[スポニチ]

ロッテ・井口の青学大時代の監督で、現在は青学大野球部シニアアドバイザーを務める河原井正雄氏(62)が引退を惜しんだ。

春季キャンプの前、「今年で最後になると思うから絶対見に来てください」と連絡があったという。石垣島を訪ね、食事をともにした際に「井口、(大学時代に守った)ショートやってくれよ」と頼んだ。「守備練習の時にやってくれてその姿にジーンと来た」。キャンプ地を後にする時も「もう少し練習やります」と、黙々と打撃練習に励む姿が「印象的だった」という。

「ショックな気持ちはある。でも色んな場所でチャリティー活動をしたり、気配り目配りができる男。いつか監督になって、野球界に尽くして欲しい」。教え子への期待は、この先も大きい。

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ヤクルト、石川&大松、井口に感謝「まさか引退されるとは」[スポニチ]

今季限りでの引退を表明したロッテ・井口との関係が深い、ヤクルトの2選手が20日、それぞれの思いを語った。

青学大の後輩にあたる石川は「大先輩ですからね…」と感慨深げ。「神宮でどでかいホームランを打たれたこともある。交流戦でご挨拶に伺ったときには“頑張れ!”と言われた。まさか引退されるとは思わなかった」と話した。

ロッテ時代の後輩で苦楽をともにした大松は「口でどうこう言うタイプではなく、常に背中でメッセージを与えてくれた。試合前には入念な準備をされていた。選手会長時代には色々と相談もさせて頂きました」と感謝を口にしていた。

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ロッテ、井口、引退発表会見「昨年から決めていたこと[スポニチ]

季で現役を引退するロッテの井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアム内で会見を開いた。

◇冒頭挨拶

井口
「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを報告させていただきたい。引退は昨年決めた。ファンの1日でも1試合でも多く見に来て頂きたいと、開幕前の発表も考えたが、そのときはチームの状態もよかった。発表するのは今のタイミングかと思った。残りのシーズンしっかり頑張って1つでも順位を上を目指したい。」
≫笑顔が見えるが?
井口
「僕自身昨年から決めていたこと。まだ残りある。頑張っていきたい。」
≫現役を振り返って?
井口
「まだ振り返るのは早い。これからもっといい思いがあると思う。」
≫思い出は?
井口
「デビューのとき。楽しみが多かった。だいぶ前の話ですけど。」
≫メジャーの思い出は?
井口
「思い出はまだ終わってからです。」
≫1番の恩師は?
井口
「小さい頃から育てて頂いた、サポートして頂いた全員です。」
≫長く続けられた要因は?
井口
「野球が周りの人より好きだからじゃないかな。」
≫若手に伝えることは?
井口
「一緒にやっている中で、あえて言うことはない。」
≫残りのシーズンに向けて?
井口
「今年21年目の野球人生の全てを残りの打席で出したい。少しでも長くプレーしたい。悔いのないシーズンにしたい。」
≫この時期の発表になったのは?
井口
「ずっと応援してくださったファンの方に1試合でも多く見に来て頂きたいので、僕自身は1日でも早く発表したかった。」

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ロッテ・井口、今季限りで引退へ、日米で活躍、42歳、現役最年長野手[スポニチ]

ロッテの井口資仁内野手(42)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。

井口は国学院久我山から青学大に進学。大学4年時の96年にアトランタ五輪日本代表に選ばれ銀メダルを獲得した。同年のドラフトでダイエー(現ソフトバンク)を逆指名して1位入団。97年5月3日に日本選手としては史上初となるプロデビュー戦での満塁本塁打を放った。01、03年に盗塁王を獲得、ベストナイン、ゴールデングラブ賞にはともに3回(01、03、04年)輝いた。

05年からはメジャーリーグに挑戦。ホワイトソックスと契約、移籍1年目でワールドシリーズ制覇を果たし、新人ベストナイン(二塁手部門)に選出された。07年にフィリーズに移籍すると、08年はパドレスでプレー。ケガの影響で調子が上がらずに9月に解雇されたが、直後に古巣フィリーズと契約。チームがワールドシリーズを制し、2個目のチャンピオンリングを手にした。

日本復帰を果たした09年からはロッテでプレー。同年4月7日に史上7人目となる全打順本塁打をマークし、13年には史上5人目となる日米通算2000安打を達成した。16年から日本球界最年長野手となり、今年5月25日に史上60人目の日本通算250号本塁打を放った。日米通算300本塁打にはあと6本に迫っている。今季は35試合に出場し、74打数19安打1本塁打で打率.257。

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交流戦の観客動員数は過去最多、楽天が12.3%と大きく伸ばす[スポニチ]

セ、パ両リーグは20日、交流戦の観客動員数を発表。前年比0.4%増の1試合平均2万9557人で過去最多を更新した。

セは0.3%減の平均3万3034人で、パは1.2%増の2万6081人。

球団別ではセはヤクルトが5.2%増。中日が3.9%減、巨人が2.2%減だった。パは楽天が12.3%、西武が10.0%、日本ハムが8.6%増と大きく数字を伸ばした一方で、ロッテが14.3%減だった。

交流戦終了時点の観客動員数はセが昨年同時期より1.7%増の平均3万2437人、パが0.4%減の2万5332人となっている。

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井口、ジーター流引退早期発表!残り77戦全国“御礼巡業”[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを表明した。昨季中に決断しており、シーズン中盤という異例のタイミングでの発表。日米5球団で通算2243安打をマークしている幹部候補生にとって、残り77試合が最後の花道となる。

晴れやかな表情だった。練習後、グレーのスーツに着替えた井口は「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを報告させていただきます」。アトランタ五輪銀メダル、デビュー戦満塁本塁打、3度の日本一と2度の世界一、日米5球団通算2243安打…。華々しい経歴を誇る球界最年長は最後まで笑顔だった。

決断したのは昨年だった。走攻守三拍子そろったプレーに限界を感じ「契約更改の時に『もう1年させて欲しい』とお伝えした。応援してくださったファンのために1日、1試合でも多く見に来ていただきたい」。今秋に発表しても、全ての人に見に来てもらうのは難しい。4月に表明した新庄剛志氏の例はあるが、ヤンキース・ジーターやRソックス・オーティズのように早い段階で発表し、残り試合を“御礼巡業”とする米国流は国内では異例だ。開幕前の発表も考えたが、オープン戦首位のチームに水を差すべきでないとの配慮から、このタイミングとなった。

恩師には一足先に思いを伝えた。ソフトバンクとの開幕カード。入団時の王監督(現球団会長)に決意を伝えると「シーズン、悔いのないように目一杯やってくれ」と温かい言葉をかけられた。この日の練習前。チームメートに「全力を合わせて上の順位を目指して頑張っていこう」とカツを入れた。

実績も経験も文句なし。チームにとって、貴重な幹部候補であるのは間違いない。林球団本部長は「とても大事な財産。どのタイミングか分からないけど、これからもチームの力になって欲しい」と“ラブコール”を送った。本人もシーズンに集中する構えながら、将来的な監督への憧れを口にしたこともある。

21年目の今季は通算250号を放ち、出塁率3割6分をマークするなど存在感は健在。伊東監督も勝負所は「代打・井口」と決めている。「振り返るのはまだ早い。今まで以上にいい思い出を作りたい」。残り77試合。惜しまれながら去る井口の雄姿を目に焼き付けよう。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年12月4日、東京都生まれ。42歳。東都大学リーグ記録の通算24本塁打を引っ提げ青学大から96年にダイエーを逆指名し、ドラフト1位で入団。05年、自由契約選手としてWソックスに移籍。09年にロッテ入りした。盗塁王2度、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞3度ずつ受賞。178センチ、91キロ。右投右打。年俸1億3500万円。

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井口はマリーンズの「頼りがいあるお父さん」…担当記者が見た背番号6[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、ZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを表明した。井口はチーム内ではどんな存在なのか。ロッテ担当の田島記者が「見た」。

思わず噴き出しそうになった。選手会長の角中が「福浦さんがお母さんなら、井口さんはお父さん。優しくて頼りがいがある」と表現したのだ。個人的には逆かもと思ったりするが、井口は大局的に温かい目で見守ってくれる大黒柱なのだろう。

誰からも慕われる人格者だ。担当になってまだ半年だが、偉ぶらず、悪く言う人を見たことがない。若手であっても敬意を払う。オフの自主トレ仲間で連続試合出場を続ける阪神・鳥谷と5月に会食した際には「出続けるってすごいね」と言葉をかけ「どの選手も目標にしてほしい選手」と賛辞を贈った。

50歳までプレーすると思っていた。3月に横浜C・三浦知良が最年長ゴールを決めた話題を振ったら「イチローさんもすごいですよ」と話していた。1歳年上のイチローが持つ「50歳までプレーしたい」思い。その背中を追いかけて欲しい気持ちでいた。

練習から妥協を許さず、オンとオフの切り替えも見事。試合後、真っ先に球場を後にするのには理由がある。「自分がいることで若い選手が帰れず、気を使わせたくないんです」とある選手は説明。早く帰ってもケアや映像のチェックに余念がない。社会活動にも熱心。誰もが目指すべき存在だ。

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「憧れ」「世代引っ張ってくれた」「えっと思った」…井口の引退表明に球界から惜しむ声続々[報知]

ロッテ・井口資仁(ただひと)内野手(42)が20日、今季限りで現役を引退することを表明した。球界からは、ねぎらいの言葉や引退を惜しむコメントが相次いだ。

巨人・高橋由伸監督
「大学(慶大)時代から、ご飯に連れて行ってもらったり、バットをいただいたり、かわいがってもらいました。大学時代は(井口の青学大と)よく練習試合もしましたね。井口さんが1つ上だけど一緒の世代。大学の時は目標であり、憧れの存在でした。東都のスーパースターですからね。同世代(の現役選手)が減っていくのは仕方のないこと。今シーズン残り試合を頑張っていただきたいと思います。」
巨人・阿部慎之助内野手
「アメリカでも経験して、ここまで長年できるのは本当にすごい。本人の頑張りがあったからだと思う。レジェンドがまた1人、去ってしまう。」
巨人・杉内俊哉投手(ダイエー時代に3年間ともにプレー)
「雲の上の存在でした。すごく練習されているのを見てトレーニングの大切さを知った。逆方向に強い打球を打てる打者でロッテ入団後は良く打たれた。僕のケガの心配をして連絡もくれた。寂しいです。」
ソフトバンク・内川聖一外野手(井口も達成している通算2000安打まで残り40本)
「右方向にも大きい当たりを打てる打撃に憧れた。(13年の)オールスターでもらったバットでひと振りで(決勝打を打ち)MVPになって嬉しかった。日本、アメリカと長くやってきたすごさも感じる。」
ソフトバンク・工藤公康監督(ダイエー時代の1999年日本一のチームメート)
「走攻守そろった素晴らしい選手。体はそれほど大きくないが、本塁打、長打が魅力的だった。(監督としては)チャンスに強い井口くんの前でいかに切るかを考えていた。長い間、お疲れさまでした。」
ソフトバンク・倉野信次投手統括コーチ(青学大のチームメートでダイエーに同期入団)
「大学時代から僕らのトップを走って世代を引っ張ってくれた。身体能力、技術も比較にならなかった。ずっとやって欲しいと思っていたけど、そういう訳にはいかない。寂しい気持ちが大きい。」
ロッテ・伊東勤監督
「(20日に)球場に着いたら訪ねてきて、えっと思った。今シーズン限りというのは寂しい限り。何十年この世界で生きてきて、自分で引き際を決められるのは幸せなことと言いました。」
ロッテ・鈴木大地内野手
「寂しすぎます。年上だからと変な空気を出すことなく、僕達と一緒に声を出してくれる。まだまだ戦力の中心でやっている方。早く消化試合にしたくない。」
ヤクルト・石川雅規投手(青学大の後輩)
「僕らにとって小久保(裕紀)さんと井口さんは雲の上の存在。何とか追いつきたいと頑張ってきた。まだまだ打てそうなのに…。寂しいです。」
ヤクルト・大松尚逸内野手(昨年までロッテに在籍)
「少しのケガでは休まないとか、言葉だけでなく背中で色んなことを教えていただいた。甘いところがあったロッテを変えてくれた方。教わったことを僕も若い人達に伝えていきたい。」
青学大・河原井正雄シニアアドバイザー(青学大時代の監督)
「野球はもちろんだけど、井口のすごいところは、プロに入ってから色んな支援活動をしてきたところ。去年の熊本地震の寄付もそうだし、車いすを寄贈したり。本当に感心するよ。人間的にも素晴らしい。引退するのは残念だけど、将来は(青学大OBの)小久保(裕紀)と一緒に、プロで監督をやっている姿を見てみたいね。」
日本ハム・栗山英樹監督
「長い間野球界を引っ張ってもらって感謝しているし、素晴らしいプレーヤーだった。姿勢、マインド、生き様とか、野球界を背負うってこういうことなんだって見せてもらった。俺の方が年上だけど、感謝もしているし、尊敬もしている。長い間お疲れ様でした。」

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井口が現役引退表明会見「ユニホームを脱ぐことになりました」[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)は20日、ZOZOマリンスタジアム内で会見を行い、今季限りで現役を引退することを表明した。

日米通算2243安打、アトランタ五輪銀メダル、3度の日本一にワールドシリーズ制覇…。数々の勲章を手に、現役最年長の井口がユニホームを脱ぐ。グレーのスーツ姿で会見場に現れると「今シーズン限りでユニホームを脱ぐことになりました」と口にした。

試合がないこの日も全体練習に顔を出し、精力的に投内連係や打撃練習に参加。残りシーズンももちろん、貴重な戦力だ。練習前に報告を受けた伊東監督は「今シーズン限りというのは寂しい限り。練習するひたむきな姿、試合に臨む気持ちは今も昔も変わらない。1つでも上(の順位)に行けるよう、このままで終わる訳にいかない」と語った。

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井口が今季限りで引退、13年、日米通算2000本安打達成[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。

井口は青学大から96年のドラフト1位でダイエー入団。99年の日本一に貢献したのをはじめ、盗塁王2度、ベストナイン、ゴールデングラブ賞3度ずつを獲得した。05年から4年間はメジャーでプレー。09年にロッテ入りし、13年に日米通算2000本安打を達成した。今季から中日・岩瀬と並んで、日本球界最年長。日米通算2378試合に出場し、通算打率2割7分、294本塁打、1215打点、224盗塁をマークしている。

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交流戦観客動員は過去最多を更新、1試合平均2万9557人[報知]

セ・パ両リーグは20日、交流戦と交流戦が終了した19日時点の観客動員数を発表した。交流戦全108試合の1試合平均は前年比0.4%増の2万9557人で、昨年に続いて過去最多を更新した。セは前年比0.3%減、パは同1.2%増。球団別では同12.3%増の楽天、同10%増の西武、同8.6%増の日本ハムの3球団が大幅増。人気の高い巨人戦と広島戦の2カードがあったことが有利に働いた模様だ。

交流戦終了時までの両リーグ入場者数は、セが1試合平均3万2437人で前年同時期比1.7%増。パが2万5332人で同0.4%減だった。また、平均試合時間(9回試合)はセが昨年同時期より2分短い3時間7分、パが4分短い3時間9分だった。

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ロッテ・井口、今季限りで引退 晴れ晴れ会見「野球が周囲の人以上に好きだった」[デイリー]

球界現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテ・井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで晴れやかな表情で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。21年間の現役生活を「野球が周囲の人以上に好きだった」と感慨深そうに話した。

日米5球団で大きな足跡を残してきた井口が今季限りでユニホームを脱ぐ。

「まだシーズン中ですが、今季限りで引退します。色々な思い出があるが、まだ振り返りません」と話し、21年間の現役生活の秘訣をこう続けた。

「野球が周囲の人以上に好きだった」。

引退会見にもかかわらず、感傷や湿っぽさはなかった。吹っ切れた明るい表情だった。

昨年12月3日の契約更改交渉。その席で井口は林球団本部長に「来年1年やらせてください」と事実上の引退を申し入れた。

井口は理想の野球選手像を「(走攻守の)三拍子そろった選手」としているが、年々忍び寄る年齢によって理想像はほころびを見せるようになった。

09年にロッテで日本球界復帰。出場試合数は翌10年の143をピークに減少し、15年は87、16年は79と100を切るようになっていた。

伊東監督はこの日、監督室で井口から決断を告げられ「エッ」と一瞬絶句したという。「バリバリの時と比較すると、あの年齢ですから。衰えてくるでしょう。寂しい」と理解を示した。

本当は開幕前に発表する予定だった。だが、オープン戦首位のチームに水を差すと思い直した。交流戦が終わり、「ファンの方々に応援していただきたいという思いになった」という。

全体練習前にはナイン全員が集まった輪の中で、今季限りの引退を告げた。称賛の声が上がった。試合前には若手と同じ量の汗をかき、出番がない時でもベンチで大声を張り上げる。後輩たちの信頼を得て、その姿はお手本だった。

現役への別れに後悔はない。残り77試合。「1つでも多くの勝利と1つでも上の順位を目指したい。チームの力となって全力を尽くす」。井口は最後の最後まで全力で走り続ける。野球が大好きだから。

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ロッテ井口選手、今季限りで引退 42歳、現役最年長野手[デイリー]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉市のZOZOマリンスタジアムで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「自分の中で昨年から決めていた。野球人生の全てを、残りの限られた打席で出し切りたい」と語った。

2013年に日米通算2千安打を達成してから「自分の引き際はどこだろうとずっと考えていた」と言う。球団には昨オフの契約更改交渉の場で伝え、伊東勤監督やナインにはこの日の全体練習前に告げた。

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ロッテ・林球団本部長、引退の井口に「大事な財産。(今後も)チームの力に」[デイリー]

ロッテの林球団本部長は引退表明した井口について、「正直、見事な決断だと思います」とした。

昨年暮れの12月3日、井口との契約更改交渉に臨んだ際、本人から「来年1年、やらせていただきたい」と事実上の引退の申し出があったことを認めた上で、「来年(18年)の戦力とも考えていた。だいぶ前から言われていたがビックリした」と話した。

ロッテには09年から17年まで9シーズン在籍する。「(球団にとって)大事な財産だと思います。できることなら(今後も)チームの力になって欲しいと思います」。林本部長はまた、ロッテの“財産”であることを強調していた。

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ロッテ井口、「残りのシーズンで今まで以上の思い出を」、引退会見一問一答[デイリー]

◇引退の挨拶

まだシーズン途中ですが、今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました。応援して下さったファンの方に1日、1打席でも見ていただきたい。

今は1つでも多くの勝利と1つでも上の順位を目指し、チームの力となって全力を尽くしていきたい。そして、残りのシーズンでいままで以上の思い出を作っていけたらいいと思います。

開幕前(の発表を)を考えていましたが、チームの状態がよく、今じゃないと思いタイミングの発表を図っていた。交流戦が終わり、(引退が)起爆剤的なものになれば。

≫引退を考えたのは?
井口
「昨年の契約更改で(球団に)あと1年だけやらせてもらいたいと話していた。」
≫今までの中で1番の思い出は?
井口
「今まだ残りゲームがある。頑張っていきたい。まだまだ…残りゲームの中でいい思い出があるかもしれない。振り返るのは全てが終わってから。」
≫メジャーの思い出は?
井口
「思い出は終わってからにします。」
≫恩師は誰になるのか?
井口
「1番の恩師は(試合に出た時から)育てていただいた全員だと思います。」
≫これまでやれた秘訣は?
井口
「野球が周囲の人以上に好きだった。本当に素晴らしいファンの前でプレーできて、出せるものを出し切れたと思う。」
≫若手へのアドバイスは?
井口
「あえて言わないことにします。」
≫残りゲームで(ファンに)見せたいものは?
井口
「自分の中で右方向への打球にこだわってきた。右方向への、そういう当たりが1本でも出ればいい。」
≫今後は?
井口
「全く考えていない。残りゲームをしっかりとやっていきたい。」
≫練習前に仲間に伝えたようだが?
井口
「今年、ユニホームを脱ぐと伝えました。“よくここまで頑張った”と。(伊東)監督さんからは素晴らしい言葉をいただいた。」
≫どんな言葉ですか?
井口
「秘密です。」
≫(プロ人生での)こだわりは?
井口
「自分の中では野球をやっていく上で、(走攻守)三拍子そろった選手というのがあった。」
≫ダイエー時代の監督だった王さん(現ソフトバンク名誉会長)には伝えたか?
井口
「開幕の時にお会いした時に『今シーズンを限りに引退させていただきます』と伝えさせていただきました。」
≫どんな言葉が?
井口
「『目一杯やってくれと』言われました。」
≫奥さんからは?
井口
「『最後までやりきって、頑張って』と。子供からも『頑張って』と言われた。」

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ロッテ井口が引退会見、昨年には引退決意「今まで以上にいい思い出作りたい」[デイリー]

ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉のZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを発表した。昨年には引退を決めていたとも明かした日本球界最年長野手は「今まで以上にいい思い出を作りたい」と残り試合での活躍を誓った。

日本球界では42歳同級の中日・岩瀬仁紀投手に次ぐ年長となる井口は、今季35試合に出場し、打率.257、1本塁打、8打点の成績。プロ17年間でゴールデングラブ賞は3度受賞しているが、今季の出場機会は指名打者での先発(19試合)や代打出場に限られていた。

引退は「昨年決めたこと」と話し、契約更改の席ですでに球団本部長に伝えていたという。長く続けてこられた秘訣については「野球が好きだったから」と答えた。チームは現在リーグ最下位に沈む。この時期の発表については「ファンの方々に応援して頂きたいなという思い。今まで以上に良い思い出を作りたい」と残り試合での巻き返しも誓った。

伊東監督はこの日、監督室で「今季限りでユニホームを脱ごうと思います」と井口から直接、引退を報告されたという。13年のロッテ監督就任以来、チームの柱として頼りにしてきたが、「バリバリの時と比較すると、あの年齢(42)です。衰えてくるでしょう」と引退に理解を示した。

井口の略歴は以下の通り。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年12月4日生まれ、42歳。東京都出身。東京・国学院久我山高から青学大を経て96年度ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。99年にはリーグ優勝と日本一に貢献。01年と03年には盗塁王に輝いた。05年に米大リーグ、ホワイトソックスに移籍して1年目にワールドシリーズ制覇。フィリーズとパドレスでもプレーし09年にロッテで日本球界に復帰し10年に日本一。13年に日米通算2000安打を達成した。今季はここまで35試合の出場で打率.257、1本塁打、8打点。NPB通算はここまで1885試合で打率.271、250本塁打、1010打点。大リーグ通算成績は493試合で打率.268、44本塁打、205打点。

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引退の井口、初アーチは満塁弾、全打順本塁打&現役最多死球[デイリー]

ロッテ井口資仁内野手(42)が20日、今季限りでの現役引退を発表した。96年度ドラフト1位で青学大からダイエーに入団。新人時代から存在感は際立っていた。

初本塁打は満塁弾だった。新人だったダイエー時代、1軍デビュー戦となった97年5月3日・近鉄戦(福岡ドーム)で初回にまずは左前打でプロ初安打。さらに4回の第3打席で同じ山崎から満塁アーチを放った。

さらに、井口は全打順本塁打も記録しており、4番に座った09年4月7日の日本ハム戦で達成。当時でプロ野球史上7人目。この一発は、大リーグから復帰してからの初アーチでNPB通算150号の“メモリアルアーチ”でもあった。

03年7月26日オリックス戦では1試合4二塁打を記録。史上9人目となるプロ野球タイ記録だった。

日米通算2000安打を達成したのは13年7月26日の楽天戦。田中将大から左翼への19号ソロ本塁打で大台に到達させている。

また、現時点でのNPB通算146死球は現役最多。清原和博(オリックス)の196、竹之内雅史(阪神)の166、衣笠祥雄(広島)の161に次ぐ歴代4位となっている。

※球団は現役での最終在籍

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ロッテ・井口引退、伊東監督も寝耳に水「寂しいけどこの世界は毎年が勝負」[デイリー]

ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、千葉のZOZOマリンスタジアムで会見し、今季限りで現役を引退することを発表した。井口の引退は伊東監督にとっても、“寝耳に水”だった。

この日は午前11時からZOZOマリンで全体練習。監督室に到着すると、すぐに井口が「お話があります」と訪ねてきた。

井口が「今季限りでユニホームを脱ごうと思います」と話し始めると、伊東監督は「エッ!」と絶句した。

13年のロッテ監督就任以来、井口にはチームの大きな柱として頼りにしてきた。二塁から一塁へのコンバートとともに、和製大砲として期待し、さらには勝負所で起用した。

伊東監督は、「バリバリの時と比較すると、あの年齢(42)です。衰えてくるでしょう」と引退に理解を示しつつ、こう続けた。

「寂しいけど、この世界は毎年毎年が勝負です。(この世界で)何十年も生きて、自分で引退を決められるのは幸せなこと」。

井口は97年、ダイエー(現ソフトバンク)でデビューした。伊東監督は西武の正捕手だったが、「スピードがあって身体も強かった。勝負所でよく打ったし、アメリカでもそれなりの成績を残した」と思い出を語った。

最近、こんな会話を交わしたという。

伊東監督が、「現役生活でこんなに負けたことはないだろう」と問いかけると、井口は「ありません。監督はどうですか?」と返した。

もちろん、伊東監督の返事も「オレもだよ」だった。

そして、2人は「このままじゃ終われない」で一致した。

ロッテは最下位にドップリと浸かっている。だが、最下位で井口を送るワケにはいかない。指揮官は「1つでも上に行けるように」とリーグ戦再開をにらんだ。

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ロッテ井口が今季限りで現役引退、午後から会見[デイリー]

ロッテの井口資仁内野手(42)が20日、今季限りで現役を引退することが分かった。井口は今季はここまで35試合に出場し、打率.257、1本塁打、8打点をマークしている。午後からZOZOマリンで引退会見を開く。

井口は国学院久我山から青学大を経て96年ドラフト1位で福岡ダイエーに入団。05年からは米大リーグへ活躍の舞台を移し、ホワイトソックス、フィリーズ、パドレス、フィリーズを経て09年から千葉ロッテに入団した。今年は現役野手最年長としてシーズンを迎えていた。

2013年7月26日には日米通算2000安打も達成。ホワイトソックス時代にはワールドシリーズ制覇にも貢献した。

通算成績はNPBでは1885試合に出場し、打率.271、250本塁打、1010打点。メジャーでは493試合で打率.268、44本塁打、205打点。

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ロッテの井口選手が現役引退へ、日米で活躍、プロ21年目[デイリー]

プロ野球の現役最年長野手で、日米通算2243安打を記録しているロッテの井口資仁内野手(42)が、今季限りで現役を引退することが20日、分かった。同日午後に記者会見を開く。

プロ21年目の今季はここまで35試合の出場で打率2割5分7厘、1本塁打、8打点。

1997年に青学大からドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。01、03年に盗塁王に輝き、ベストナインとゴールデングラブ賞を3度ずつ受賞した。05年には米大リーグ、ホワイトソックスに移籍し、1年目にワールドシリーズ制覇に貢献。09年にロッテで日本球界に復帰し、13年に日米通算2千安打を達成した。

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