わたしはかもめ2017年鴎の便り(9月)

便

9月24日

千葉ロッテ4x−3北海道日本ハム(ZOZOマリン)

ロッテがサヨナラ勝ち。1−3の9回に井口の2号2ランで追い付き、延長12回1死二、三塁から鈴木の右前適時打で勝負を決めた。12回を抑えた田中靖が2年ぶりの白星。日本ハムは9回に増井が同点を許したのが痛かった。

123456789101112R
北海道日本ハム0000002100003
千葉ロッテ001000002001x4x

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ロッテ涌井「絶対勝たないと」井口引退試合で気迫投[ニッカン]

ロッテ涌井が気迫を見せた。「井口さんの引退試合。絶対勝たないと」とアクセル全開。4回までパーフェクトだった。だが、6回先頭に左前打の後、左手親指と右ふくらはぎをつり降板。再取得したFA権を行使するかは明言していないが、この日が今季最終登板。ロッテでは最後の登板だった可能性もある。降板に「申し訳ない」と頭を下げたが、伊東監督は「気持ちが入っていた」と労った。

通算1500奪三振=涌井(ロッテ)
24日の日本ハム25回戦(ZOZOマリン)の4回、松本を空振り三振に仕留めて達成。プロ野球52人目。初奪三振は西武時代の05年3月29日の日本ハム2回戦(札幌ドーム)で小田から。

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「役者が違う」/伊東監督[ニッカン]

ロッテ井口が引退試合となった試合で9回に同点の2号2ラン。土壇場で追い付き、延長12回のサヨナラ勝ちにつなげた。伊東勤監督のコメント。

井口の1発に「役者が違う。出るからには全力を尽くし十分に発揮してくれる。この日のために2軍で適当にやるのではなく、自分なりに調整してきた」。

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背番号6に囲まれ「良い1日に感謝」/井口一問一答[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が引退試合となった日本ハム25回戦(ZOZOマリン)で、同点の2号2ランを放った。1−3の9回無死一塁で、増井の149キロをバックスクリーン右横に放り込んだ。土壇場で追い付き、延長12回のサヨナラ勝ちにつなげた。20年前のデビュー戦で満塁弾を放った男が、ラストゲームでも鮮烈な1発。日米21年間の現役生活を最高の形で締めくくった。

◇井口の一問一答

≫選手みんなが背番号6のユニホーム。
井口
「何かと思ったら。びっくりした。試合中も(ビジョンに流れたチームメートの)コメントを読んだりして、ウルッと来た。」
≫鈴木がサヨナラ打。
井口
「1番頑張っている大地が打ってくれた。良い1日に感謝です。」
≫21年間、続けられた訳。
井口
「目標設定を明確にしてきたから、ここまでやれた。これからは選手として野球に携わることはないが、勉強しながら野球界、ファンに恩返ししたい。」
≫9回、打席にはどんな気持ちで向かった。
井口
「清田がヒットを打って、ダブルプレーだったら、まずいなと(笑)。直球で勝負してくれた日本ハムに感謝しています。」
≫守備に就かなかった。
井口
「この展開で守る訳には。鈴木大地という二塁手がいる。勝ちが第一優先。本当、良かった。」

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さよなら弾の井口はや監督談「選手の皆さん期待」[ニッカン]

最後に、出た。ロッテ井口資仁内野手(42)が引退試合となった日本ハム25回戦(ZOZOマリン)で、同点の2号2ランを放った。1−3の9回無死一塁で、増井の149キロをバックスクリーン右横に放り込んだ。土壇場で追い付き、延長12回のサヨナラ勝ちにつなげた。20年前のデビュー戦で満塁弾を放った男が、ラストゲームでも鮮烈な1発。日米21年間の現役生活を最高の形で締めくくった。

サヨナラ打を打った訳じゃないのに、井口はびしょ濡れにされた。延長12回1死二、三塁。「勝ったら井口さんに水をかけよう」。ベンチで清田や吉田のひそひそ声が聞こえてきた。鈴木が右前打を放つのを見て「まずい」と逃げた。だが、すぐに水が飛んでくる。二塁付近で、もみくちゃ。みんな特別ユニホームの背番号「6」。誰が誰だか分からないが、嬉しい。「最後に、こんな勝ち方。みんな任せたぞ」。最高の気分だった。

求めてきた当たりが、劇的勝利につながった。2点を追う9回無死一塁、増井の149キロをバックスクリーン右横へ。土壇場で、代名詞の中堅から右方向への1発が飛び出した。「2軍で、あの打球を求めてやってきた。自分やみんなの思いが伝わってフェンスを越えた。まだまだやれると思う半面、すっきり辞められます」と穏やかに言った。

背中を見て育った男が、背中を見せる男になった。プロ入りした97年。ダイエーには球界を代表するスター、秋山(前ソフトバンク監督)がいた。「俺の背中を見ろ、と。憧れました。自分もそうなりたい。僕は秋山さんになりたかった」。それから20年。球界最年長となり、当時の秋山と同じ立場になった。特にこの1ヶ月は、2回り近く年下の若手と汗を流した。球拾い、グラウンド整備も一緒にやった。聞かれたことは何でも答えた。彼らの悩みを知った。「自分の財産です」。視野が広がった。

新監督就任が決定的となっている。今後については「今はゆっくり休めて。これからじっくり考えたい」としたが、球界やファンに恩返しの気持ちが強い。引退スピーチでは、チームメートに「マリンにチャンピオンフラッグを」と呼び掛け「選手の皆さん、期待しています」と言った。これからは指揮官として、強いロッテを見せていく。

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ロッテ井口21年間の現役に幕、王会長らメッセージ[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が日米通算21年間の現役生活を終えた。

この1ヶ月は2軍で調整してきた。久しぶりの実戦に「6番DH」でフル出場。2回先頭の第1打席で、高梨から左前打。いきなりの安打に両手をたたいて喜んだ。

4回の第2打席は二ゴロも、一塁へ全力疾走した。

6回の第3打席は、高梨の高め146キロをフルスイング。空振り三振に倒れた。

1−3で迎えた9回無死一塁、増井の149キロをバックスクリーン右横に放り込んだ。日米通算295号が、土壇場の同点弾となった。

延長11回、先頭で打席が回ってきたが、鍵谷に右飛。これが現役最後の打席となった。ベンチ前に戻ると、ヘルメットを取ってスタンドのファンに頭を下げ、感謝の気持ちを示した。

試合後のセレモニーでは、ホワイトソックスの監督だったギーエン氏ら、懐かしい顔が次々とビデオメッセージで登場。同氏の「寿司の正しい食べ方を私に教えてくれました」という話に、笑みをこぼした。

ソフトバンク王球団会長からは「井口君の印象は、とにかく頑丈。足も速かったし、守備もうまかったし、井口君のファインプレーで勝った試合が随分多かったな、という印象があります。僕は、本当はもっともっとやって欲しかったと思いますけど、とにかく自分で決めたことですから。この後の人生、まだまだ先は長いです。野球界のために、また家族の皆さんのためにも、大いに色々な形で頑張って欲しいなと思います。本当に、21年間ご苦労さまでした。おめでとうございます」と、メッセージを送られた。聞き入った井口は、目頭を熱くしていた。

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ロッテ伊東監督「最高の形」サヨナラで井口引退に花[ニッカン]

ロッテが劇的勝利で、井口資仁内野手(42)の引退試合を飾った。3−3の延長12回、1死二、三塁で鈴木大地内野手(28)が右前にサヨナラ打を放った。

伊東勤監督(55)は「最高の形。サヨナラで、(井口の引退に)花を添えられたと思う。若い選手は、独特の緊張感を味わったと思う。こういう緊張感の中、しっかり結果を出した選手もいる。来年、本拠地の開幕で、これだけの雰囲気の中で試合ができればいい」と話した。

また、引退試合の相手、日本ハムに「ハムさんにとっても負けられない試合の中で、協力してくれた。良い試合になった。感謝しています。やりづらいところもあったと思う」と、礼を述べた。

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ロッテ井口「最高の野球人生」/引退スピーチ全文[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が試合後、ファンの前で引退スピーチを行った。全文は次の通り。

「このようなセレモニーを行っていただいた、ロッテマリーンズの関係者の皆様、最後まで残っていただいたファンの皆様、本当にありがとうございました。
ホークスで8年、アメリカで4年、マリーンズで9年、常にチャレンジを忘れず、挑み続けてきました。入団当初の目標だった2000本安打、メジャー挑戦、40歳まで現役。他の選手では経験できないことを多く経験させていただき、自分自身の宝になりました。そして、21年間、多くの皆様に応援していただき、今日の引退試合、そしてこのセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います。
さい頃から夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また明日から次の夢、目標に向かって、精一杯頑張ります。そして、ますますの野球発展、野球振興のために尽くすことが、皆様への恩返しだと思っております。
我がマリーンズですが、このような順位で終わるチームではありません。まだまだ、伸びしろのある中堅、若手選手がたくさんいます。ぜひ、皆さん、今以上に熱い声援をよろしくお願いします。そして、選手の皆様、来シーズンはこの悔しさをファンとともにぶつけて、このマリンスタジアムにチャンピオンフラッグを掲げて下さい。選手の皆さん、期待しています。
最後になりました。21年間、熱い声援をいただいたファンの皆様、チームの皆様、サポートしていただいた球団の皆様、全ての皆様方に感謝して、今日、ユニホームを脱ぎたいと思います。21年間、本当に、本当に、ご声援ありがとうございました。」

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ロッテ涌井、緊急降板を謝罪「井口さんの引退試合」[ニッカン]

ロッテ涌井秀章投手(31)が緊急降板した。

6回、先頭の清水に左前打を打たれた後、左手の親指を気にする仕草を見せた。治療のため、いったんベンチに下がり、数分後にマウンドに戻った。だが、投球練習を数球行った後、今度は右足を気にした。ここで伊東監督が交代を決断した。

立ち上がりから抜群の出来で、4回まではパーフェクト。4回1死で松本からこの試合7個目の三振を奪い、通算1500奪三振を達成した。5回0/3、2安打無四球無失点、9奪三振だった。

降板後、球団を通じ「今日は井口さんの引退試合なので、絶対に勝たなくてはいけない試合。最初から飛ばしていきましたが、ああいう形でマウンドを降りてしまい、申し訳なく思うし、松永に感謝です。とにかく、チームが勝ってくれることだけ。1500奪三振に関しては特にないですが、こういう試合で達成出来たことは良かったのではないでしょか。でも、今日は井口さん。井口さんの試合です。勝って花道を。それだけです」とコメントした。

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ロッテ井口、引退試合9回に同点2ラン本塁打[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)が同点の2号2ランを放った。

1−3の9回無死一塁で第4打席が回ってきた。引退試合の最終回。そのまま負ければ、現役最終打席となるところ。カウント2−1で、増井の149キロをバックスクリーン右横に放り込んだ。地鳴りのような歓声の中、ダイヤモンドを1周。「今年は、まだ右方向に良い当たりが出ていない。1本、打てれば」と話していたが、土壇場でセンターから逆方向へ、これ以上ない1発をかました。

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ロッテ加藤5号ソロ「成長した姿を井口さんに」[ニッカン]

ロッテ加藤翔平外野手(26)が先制の5号ソロを放った。

3回先頭で、日本ハム高梨の144キロを右翼席中段まで運んだ。この日は井口の引退試合。選手は全員、井口と同じ背番号6の特別ユニホームでプレーした。加藤はダイヤモンドを1周し、ベンチのチームメートとハイタッチを終えると、右翼席のファンに向かって背番号を誇示した。「打ったのはストレートです。井口さんの引退試合なので、選手もファンも勝って送り出したい思い。今までで一番のホームランが打てました。6番のこのユニホームが力を出させてくれました。偉大な番号です。恩返しというか、成長した姿を井口さんに見せられるように頑張ります。絶対に勝ちます」と話した。

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ロッテ涌井が1500奪三振達成、プロ野球52人目[ニッカン]

ロッテ涌井秀章投手(31)がプロ野球52人目となる通算1500奪三振を達成した。

初回から球威、制球とも抜群。3回まで1人の走者も許さず、毎回2つずつ三振を奪った。

4回1死走者なしで松本から150キロで空振り三振を奪い、この試合7奪三振目。これが、通算1500奪三振目となった。

この日は、井口の引退試合。場内ビジョンには各選手から井口へのメッセージが掲載されたが、涌井は「長い間お疲れさまでした。1年目のキャンプで食事に連れて行ってもらったこと、色々と相談に乗っていただいたこと、昨日のことのように思い出します。まずはゆっくり休んで下さい。また相談に乗って下さい!」と寄せた。

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ロッテ井口の長女琳王さんが始球式「いい思い出」[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)の長女・琳王(りお)さんが始球式に登場した。

引退試合に臨む父の背番号6のユニホームを着用。ワンバウンドにはなったが、大きくそれることなく捕手のミットまで届けた。大役を終えると「緊張しました。でも、友達とずっと練習をしてきたので、その成果は出たと思います。父の引退試合での初めての始球式。とてもいい思い出になりました。嬉しかったです」とコメントした。

ベンチでは、井口が穏やかな表情で見守っていた。

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ロッテ、井口の引退グッズ求めるファンの列[ニッカン]

ロッテ井口資仁内野手(42)の引退試合として行われる。

開場前から、球場前には引退グッズを求めるファンの列が出来た。正面には大型スクリーンが登場。前売り完売で入場できない人達のために、パブリックビューイングを実施する。

試合前の練習を終えた井口は「何打席、立つか分かりませんが、頑張ります。朝の目覚めは良かったし、楽しみの方が大きい。何とか、良い試合が出来たらいい」と意気込みを語った。

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ロッテ、全員が引退井口の「6」付けてプレー[ニッカン]

ロッテの選手は、全員が井口の背番号「6」の特別ユニホームを着用した。

井口資仁内野手(42)の引退試合として実施。本人には内緒で準備が進められていた。試合前のセカンドアップで披露された。

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ロッテ・井口、劇的有終弾でサヨナラ勝ち!「もう思い残すことはない」[サンスポ]

今季限りで現役を退くロッテ・井口資仁内野手(42)が24日、引退試合となった日本ハム最終戦(ZOZOマリン)で、劇的な同点2号2ランをたたき込んだ。ダイエー(現ソフトバンク)時代の1997年のプロデビュー戦で初本塁打を放った男が、20年後に鮮やかな一発締め。延長12回、4−3でのサヨナラ勝ちを演出し、鮮烈な記憶をファンに残して現役生活に別れを告げた。また、球団から就任要請があった来季監督について受諾の意思を固めたことも分かった。

3万96人が集まった超満員のスタンドから、地鳴りのような歓声が起こった。打球の行方を見届け、右腕を突き上げたのは井口だ。2点を追う9回無死一塁、増井の149キロの直球を捉え、白球をバックスクリーン右に運んだ。現役最終打席になったかもしれない引退試合の第4打席で、自ら放った同点2ラン。劇的な一振りに狂喜するファン、涙を流すファン…。ZOZOマリンスタジアムに喜び、悲しみ、寂しさが交錯した。

「真っ直ぐで勝負してくれた日本ハムの投手に感謝しています。最近はなかった感触。色々な思いがボールに伝わって、フェンスを越えてくれたと思う。もう思い残すことはない。すっきり辞められます」。

ダイエー(現ソフトバンク)の1997年5月3日、プロデビュー戦(対近鉄)で初本塁打を放った。それから20年。引退試合で日米通算295号を放ち、現役生活に別れを告げるのだから役者が違う。

「あの打球を追い求めて、この1ヶ月間打ち込んだ結果だと思う」。

開幕前に今季限りでの現役引退を決めて臨んだ日米通算21年目のシーズン。6月20日という早い時期に引退を表明したのは、低迷するチームを鼓舞する意味合いがあった。上位進出が絶望的になった8月下旬には「若い選手を使って欲しい」と自ら2軍落ちを志願した。

この1ヶ月間、2軍の若手選手と汗を流しプロの姿を背中で見せてきた。「引退試合で必ず結果を出す」。そのために、若い頃から追い求めてきた右方向へ強い打球を打てるよう必死に調整を続けた。

この日の試合前には伊東監督と話し合い「6番・DH」でフル出場と決めた。引退試合は本職の守備に就くことが通例で、井口の場合は二塁だが「(鈴木)大地がいるのに僕が守る訳にはいかない」と打席での勝負に徹した。

プロ魂の塊の井口を、チームメートはサプライズで迎えた。試合前にロッカーからベンチに向かうと、選手全員の背番号が「6」。井口には内緒で準備が進められていた。「びっくりしたけど、今日は気持ちが1つになっていた」。延長11回の最終打席は右飛に倒れたが、12回に鈴木がサヨナラ打。「こういう勝ち方ができるチーム」とうなずいた。

試合後のセレモニーで、井口は「最高の野球人生でした」と振り返り「選手は終わるが、次の目標に向かって精一杯頑張ります」とファンに約束した。球団から就任要請があった来季監督についても、受諾の意思を固めた。今度は指揮官として、チーム再建に全力を尽くす。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974(昭和49)年12月4日生まれ、42歳。東京都出身。国学院久我山高から青学大を経て、97年ドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)入団。盗塁王2度、二塁手でベストナイン、ゴールデングラブ賞に各3度。2005年にホワイトソックスへ。フィリーズなどを経て09年からロッテ。96年アトランタ五輪日本代表。1メートル78、91キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸1億3500万円。背番号6。

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ロッテ・井口、監督就任要請受諾の意思固める、今岡らコーチ候補に[サンスポ]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が引退試合を終えた24日、就任要請があった来季監督について受諾の意思を固めたことが分かった。近く球団に伝え、シーズン終了後に発表される見通し。

新監督としての初仕事は10月9日に開幕する「みやざきフェニックス・リーグ」(サンマリン宮崎など)の視察、初指揮は11月10〜12日の台湾代表との親善試合(台湾・桃園)が有力だ。

コーチの人選にも速やかに着手する。1996年のアトランタ五輪で二遊間を組んだ今岡真訪氏(43)=阪神2軍打撃兼野手総合コーチ=が、今季限りで阪神を退団することが判明。青学大時代の同期、清水将海氏(42)=ソフトバンク1軍バッテリーコーチ=らとともに候補になりそうだ。シーズン終了を待って、組閣に向けたリストアップ作業を進める。

◇「特例」初適用、1日限定で登録

井口の引退試合では、今季導入された「引退選手特例」が初めて適用された。出場選手登録されている28人とは別に1日限定で1度限り登録が可能となる制度で、8月に日本野球機構の理事会などで承認された。ベンチ入り人数は25人で通常と変わらない。この日は中日・森野にも同制度が適用された。

今岡真訪(いまおか・まこと)
1974(昭和49)年9月11日生まれ、43歳。兵庫県出身。大阪・PL学園高から東洋大を経て97年ドラフト1位で阪神入団。2003年に首位打者、05年に打点王。10年にロッテへ移籍し、12年に引退。通算成績は1309試合に出場、打率.279、122本塁打、594打点。昨季から阪神で2軍打撃兼野手総合コーチを務める。右投げ右打ち。
清水将海(しみず・まさうみ)
1975(昭和50)年1月9日生まれ、42歳。群馬県出身。東農大二高から青学大を経て97年ドラフト1位でロッテ入団。中日、ソフトバンクを経て2011年に引退。通算成績は683試合に出場、打率.212、9本塁打、119打点。12年からソフトバンクでコーチを務め、今季は1軍バッテリーコーチ。右投げ右打ち。

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ロッテ・井口の長女が始球式「友達とずっと練習をしてきた」[サンスポ]

今季限りで現役を退くロッテ・井口資仁内野手(42)が24日、引退試合となった日本ハム最終戦(ZOZOマリン)で、劇的な同点2号2ランをたたき込んだ。

井口の長女・琳王(りお)さん(17)が始球式を務めた。一塁ベンチから井口が笑顔で見つめる中、背番号6で登場してワンバウンド投球。父の引退試合に花を添えた。井口がプロ入りした当時のダイエー・王貞治監督が名前の由来という琳王さんは「緊張しました。でも、友達とずっと練習をしてきたので、その成果は出たと思います。とてもいい思い出になりました。嬉しかったです」と感激していた。

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[ロッテ・井口引退、球界コメント集]伊東監督「最高の形」[サンスポ]

今季限りで現役を退くロッテ・井口資仁内野手(42)が24日、引退試合となった日本ハム最終戦(ZOZOマリン)で、劇的な同点2号2ランをたたき込んだ。ダイエー(現ソフトバンク)時代の1997年のプロデビュー戦で初本塁打を放った男が、20年後に鮮やかな一発締め。

ロッテ・伊東監督
「最高の形。自分で決めて(同点弾)、試合も勝った。それにしても役者が違う。試合に出場するからには全力を尽くすという姿をみせてくれた。」
米大リーグ、ホワイトソックス時代の監督、オジー・ギーエン氏
「監督やコーチをしてくれることを願っています。貴方にはそのチャンスがあると思います。」
青学大、ダイエーで同僚だった小久保裕紀氏
「1番の思い出は(ダイエーの)初優勝がかかった試合で私が同点本塁打、井口が決勝本塁打を打ったこと。野球界に恩返しできるよう、ともに頑張っていきましょう。」
ダイエーで同僚だった城島健司氏
「米国に行ってからもよくアドバイスを受けた。自分が大リーグで4年間プレーできたのも井口さんのおかげでした。」
ダイエー時代の同僚、ソフトバンク・川崎
「井口さんで思い出すのはお酒に強いこと。いままでの野球選手でナンバーワンです。」
ダイエー時代の監督、ソフトバンク・王貞治球団会長
「日本一(1999年、2003年)になったときに大変貢献してくれた。大リーグで4年間プレーしたことはこれからの人生にプラスになったと思う。今後の人生も野球界のために頑張って欲しい。」
楽天・松井稼
「米国にいたときは食事に連れて行っていただくなど、常に刺激を受ける存在でした。」

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[広岡記者が見たロッテ・井口という男]高いプロ意識にいつも感心[サンスポ]

井口が米大リーグ、ホワイトソックスに移籍した2005年から取材をしている。5歳上の記者からみると、豪快で賢い弟のような存在だが、まめな一面も持っている。

バーベキューをすれば、後輩選手のために配膳、肉の仕込み、トングを使っての焼きまで担当。空き缶などゴミの選別、最後の掃除までこなす。

驚かされたのはメジャー1年目の春季キャンプ。食あたりを防ぐため、生ものを避ける選手が多い中、砂漠地帯のアリゾナで生ガキをバクバク食べていた。

一方で、高いプロ意識には、いつも感心させられた。1月恒例の自主トレーニングでは、今年も早朝6時からゴルフ場での40分間走を連日完走。「これをやってから足首のケガがない」と、あえて傾斜や起伏のある進路を選ぶなど一切妥協がなかった。

自身の持つ草野球チームでは素人相手にも常に本気だ。試合の数週間前から1日2試合分の先発メンバーを考え、決めるほど。「プロ野球は引退しても、草野球は引退しません」という根っからの野球好きだ。

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サヨナラ打のロッテ・鈴木、井口の同点2ラン「反則なぐらい格好良すぎる」[サンスポ]

ロッテの鈴木がサヨナラ打を放った。3−3の延長12回1死二、三塁で速球を右前へはじき返した。勝利が決まると、引退試合で9回に同点2ランを放った井口とともにもみくちゃにされ、喜びを爆発させた。

「自分が打った興奮より、井口さんが打った興奮の方が残っている。反則なぐらい格好良すぎる」と先輩をたたえた。今季から二塁手に転向し、井口に多くの助言を受けてきただけに「たくさん思い出がある。一緒に野球ができて幸せだった」と話した。

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脚つって降板のロッテ・涌井、井口の引退試合で「最初から飛ばしていった」[サンスポ]

ロッテの涌井は6回途中に左ふくらはぎがつって2安打無失点で降板した。9奪三振と快投したが、6回に左手親指付近がつり、治療して戻った後に今度は脚がつった。

井口の引退試合で「絶対に勝たなくてはいけない試合。最初から飛ばしていった」と言う。チームは延長12回でサヨナラ勝ち。今季最終登板となる見込みで、4回に通算1500奪三振を記録し「こういう試合で達成できたことは良かった」とうなずいた。

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ソフトB・王会長「井口君のファインプレーで勝った試合多かった」、関係者から労いのメッセージ[サンスポ]

引退試合を終えたロッテの井口にセレモニーで関係者から労いのビデオメッセージが贈られた。プロ入り時にダイエー(現ソフトバンク)の監督だったソフトバンクの王球団会長は2度の日本一を思い出に挙げ「とにかく頑丈。足も速かったし、守備もうまかった。井口君のファインプレーで勝った試合が多かった」とたたえた。

ダイエー時代に同僚で、同時期に米大リーグで戦った城島健司氏はキャンプで朝から晩まで打撃論を交わしたそうで「メジャーで4年間プレーできたのも井口さんのおかげ」と感謝した。

米大リーグ、ホワイトソックス時代の監督だったオジー・ギーエン氏は2005年のワールドシリーズ制覇に触れ「私は『MVPは井口だ』と言った。結果を残し、長く続けられたことは素晴らしい」と語った。

1年目のオフから自主トレーニングをともにしてきた阪神の鳥谷は「野球はもちろん、私生活についても勉強させていただいた。その人柄を生かして色々なことにチャレンジしてもらいたい」と期待した。

ソフトバンク・川崎宗則内野手
「たくさんのことを教えてもらった。次はどういうステージを見せてくれるか。寂しい気持ちはあるが、楽しみでもある。」
楽天・松井稼頭央外野手
「米国にいたときは食事に連れて行っていただくなど、年齢も1つ違いで常に刺激を受ける存在だった。プレーが見られなくなるのは寂しいが、次のステージでも活躍されることを期待している。」

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井口が9回にバックスクリーン右へ同点弾!ロッテは劇的サヨナラ勝ちで引退試合を白星で飾る[サンスポ]

今季限りで現役を引退し、ロッテの来季監督の就任が決まったことが判明した井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で日本ハム戦に先発出場。9回に同点2号2ランを放ち、試合を振り出しに戻した。延長に入ると12回に鈴木が右翼線にサヨナラ適時打を放ち、井口の引退試合を白星で飾った。

主役は井口だった。白球がグングン伸びる。1−3の9回無死一塁、井口は増井の速球を振り抜くと、バックスクリーン右へ飛び込んだ。一塁を回ると右腕でガッツポーズ。ロッテに新たな伝説が生まれた。球場は地鳴りのような大歓声に包まれた。

引退試合の敬意を表し、この日先発・涌井らロッテの選手は井口の背番号「6」をつけた。最後の戦い。井口は2回、先頭で相手先発の高梨から左中間への安打を放った。1−0の4回の第2打席は二ゴロ。6回の第3打席は空振り三振に倒れたが、9回に劇弾を放った。3−3の延長11回は右飛。サヨナラ勝ちが決まるとナインに水をかけられた井口は右翼席を埋め尽くしたファンの元へ。現役生活で忘れられない1日となった。

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ロッテ井口“さよなら”本塁打、第1章終幕も…監督で第2章[スポニチ]

ロッテの井口資仁内野手(42)が24日、本拠地の日本ハム戦で引退試合に臨んだ。「6番・DH」で出場し、9回に中堅右へ同点2ラン。日本一と世界一を経験した男は勝利にこだわり、4−3のサヨナラ勝ちを呼んだ。21年間の現役生活に幕を下ろしたが、球団からは次期監督の就任要請を受けており、新監督として強いマリーンズ復活へ第二の野球人生のスタートを切る。

バックスクリーン右へと、伸びていった。代名詞である右中間への打球、井口が21年間、追随を許さなかった技術だ。一塁ベースを回って右拳を突き上げた。1−3の9回無死一塁。プロ野球人生のフィナーレで飛び出した同点弾。3万96人のファンは総立ちだ。地鳴りのような「井口コール」にヘルメットを掲げて応えた。

「シーズン中はあの打球が失速していた。今日は自分の思い、ファンの思いが伝わってフェンスを越えてくれた。忘れかけていた感触でした。まだやれると思う半面、スッキリやめられます」。

1ヶ月間、この打球を追い求めてきた。元同僚の和田と対戦した8月27日のソフトバンク戦を最後に、若手に出場機会を譲るため1軍登録を外れた。残る出場は1試合でも、妥協はしない。それが日本とメジャーの舞台で頂点を極めた男の生き様だった。自ら「キャンプ」と称し、午前7時半にはさいたま市内の2軍施設に現れた。「今年、納得いく打球は2%くらい」とバットを振った。11回の現役最後の打席は右飛に終わったが、2回の左前打を含めて2安打。延長12回のサヨナラ勝ちを呼んだ。

97年5月3日、プロ初出場で史上初の満塁アーチを描き終わりもまた劇弾。「秋山幸二さんになりたい」と背中で引っ張る姿に憧れ、必死で追いかけたダイエー時代。メジャーでは世界一に輝く一方、トレードも戦力外も経験したが「メジャーでの4年間、毎日が記念日だった」。全ての経験を力に変え、21年先頭を走り続けてきた。

9年間を過ごしたロッテは今季、最下位に低迷。井口には来季から監督として、チーム再建が託される。「色々な選択肢がある。いずれまた(ユニホームを)着たい気持ちはある。明日以降考えたい」としたが「この位置で終わるチームではない」と言う思いは誰よりも強い。

最後は「背番号6」をつけた後輩達の手で8度宙を舞った。委ねた体に、力を感じるように千葉の夜空に舞った。

井口資仁(いぐち・ただひと)
1974年(昭49)12月4日、東京都生まれの42歳。国学院久我山から青学大に進み、東都大学リーグ記録の通算24本塁打。4年時の96年にアトランタ五輪に出場して銀メダル。同年にドラフト1位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。05年からはホワイトソックスなどメジャーでプレーし、09年にロッテで日本球界に復帰。1メートル78、91キロ。右投げ右打ち。

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井口に聞く「みんなに感謝」「“絶対勝たせる”気持ちで戦ってくれた」[スポニチ]

◇井口と一問一答

≫引退試合で本塁打。
井口
「今日はみんなの気持ちが入っていた。決して打とうと思って打っていない。1ヶ月ぶりの実戦で感覚としてはイマイチなところがあったが、日本ハムの3人の投手が真っ向勝負をしてくれた。大事なシーズン中に、感謝しています。」
≫選手全員が背番号「6」をつけ、試合中にはビジョンにメッセージが表示された。
井口
「ビックリしたし、各選手のメッセージを見て、ちょっとウルッときた。」
≫延長12回にサヨナラ勝ち。ベンチを出るとウオーターシャワーを浴びた。
井口
「清田と吉田ですね(笑)。最後は1番頑張っている大地(鈴木)が打ってくれた。みんなに感謝です。最後の試合、みんなも“絶対に勝たせる”という気持ちで戦ってくれた。打たれた投手も“スミマセン”と言ってきて。1つになって勝っていたし、こうやってできる選手達。」
≫守備には就かなかった。
井口
「今年1回も守っていないし、この展開で守る訳にはいかない。チームの勝ちが最優先。そこに貢献できたことは良かったと思います。」
≫21年間、モットーとしてきたことは。
井口
「目標や軸を持っていた。それが21年間しっかりできたと思う。これから次の目標を設定してやっていければ。ファンの方、サポートしていただいた方、全ての方に感謝して今日ユニホームを脱ぎます。」

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ロッテ井口、引退挨拶要旨「最高の野球人生だった」[スポニチ]

ロッテ井口が24日の試合後に引退セレモニーを行い、ファンに挨拶した。以下要旨。

ホークスで8年、アメリカで4年、ここマリーンズで9年、常にチャレンジを忘れず、トライし続けてきました。他の選手では経験できないようなことをたくさん経験させていただき、本当に自分自身の宝になりました。そして、引退試合、このセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います。

小さい頃からの夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また、明日から、次の夢、目標に向かって、精一杯、頑張ります。

我がマリーンズですが、このような順位で終わるようなチームではありません。伸びシロのある中堅、若手選手がたくさんいます。ぜひ、皆さん、今以上に、熱い声援をこれからもよろしくお願いします。選手の皆さん、残り試合、来シーズン、この悔しさを、ファンの皆さんとともにぶつけて、このマリンスタジアムのポールに、チャンピオンフラッグを立ててください。

全ての方々に感謝して、今日ユニホームを脱ぎたいと思います。

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井口が達成した偉業…史上初満弾デビュー、全打順本塁打、日本一&世界一[スポニチ]

ロッテ井口が自身の引退試合の24日の日本ハム戦の9回に劇的同点2ランを放って、有終の美を飾った。井口のこれまでの足跡を振り返る。

史上初満弾デビュー
入団1年目の97年5月3日近鉄戦。4回に満塁本塁打。新人デビュー戦の1号が満塁弾は史上初。
初タイトル
01年に44盗塁で盗塁王。シーズン30本塁打&40盗塁は張本勲、秋山幸二に続く史上3人目。
日本タイ記録連発
03年6月3日のオリックス戦から同8日の日本ハム戦まで49年ぶり2人目の5試合連続猛打賞。同7月26日のオリックス戦では史上9人目の1試合4二塁打と、いずれも日本タイ記録をマーク。
世界一
ホワイトソックス移籍1年目の05年に世界一。日本シリーズとワールドシリーズをともに制覇したのは日本選手初となった。
1試合7打点
06年6月25日アストロズ戦で3ラン&9回2死からの同点満塁弾。1試合7打点は当時の日本選手最多。
全打順本塁打
09年4月7日の日本ハム戦で、4番でロッテ移籍1号となる通算150号。史上7人目の全打順本塁打を達成。
日米通算2000安打
13年7月26日の楽天戦で6回に田中(現ヤンキース)から19号ソロ。日本選手の日米通算2000安打は5人目。
日本球界最年長野手に
16年。松中が前年でソフトバンクを退団し、41歳で球界最年長野手に。
通算1000打点
16年9月1日のオリックス戦で5号3ランで達成。史上44人目。
通算250本塁打
17年5月25日のソフトバンク戦で5回の1号ソロで達成。42歳5ヶ月での到達は史上最年長。

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ロッテ担当記者が見た井口、貫いた笑顔…次のステージで見たい「嬉し涙」[スポニチ]

試合後に行われた引退セレモニー。ソフトバンクの王貞治球団会長のメッセージや愛娘の琳王さんから花束を渡された際には感極まった表情も見せた井口だが、涙は流さなかった。

実は「泣いたのは小学生のときに都大会で負けたときくらいかな。高校のときも泣かなかったし」と振り返るほど、泣いたことがないのだという。最後まで笑顔を貫いた。

そんな42歳も「家では映画とか見てしょっちゅう泣いているよ。涙腺は弱い」と話す。次なるステージではぜひ「嬉し涙」を流す場面を見せて欲しい。

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ロッテ井口、デビュー戦での満塁弾から21年…劇的最終戦[スポニチ]

ロッテ井口が現役最終試合で本塁打。ダイエーでプロデビューした97年5月3日近鉄戦では3打席目に満塁本塁打。

デビュー戦と現役最終試合で本塁打をマークしたのは最近では小野公誠(ヤ)が97年7月20日巨人戦でプロ初打席本塁打し、08年10月12日横浜戦の最終打席で本塁打した例がある。

他に公式戦最終試合で本塁打を放ったのは83年堀内恒夫(巨)、86年山本浩二(広)、89年中畑清(巨)、91年田代富雄(大洋=満塁)、95年原辰徳(巨)、99年山本和範(近鉄)、13年小池正晃(D=2本)らがいる。

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ロッテ鈴木サヨナラ打、井口の花道飾る「いつかまた一緒に」[スポニチ]

ロッテ主将の鈴木が引退する大先輩にささげるサヨナラ打だ。3−3の延長12回1死一、三塁、6打席目で出たこの日初安打が試合を決める右前適時打。

「自分で打ったことより井口さんのホームランの方が興奮した。反則と思うくらいかっこよすぎる。1人の野球人として一緒にプレーできたことが誇り」と笑顔。「(チームとしても)このまま終わってはいけない。いつになるか分からないけど、また一緒に野球がしたい」と続けた。

涌井
「今日は井口さんのために絶対勝たないといけない試合。ああいう形でマウンドを降りて申し訳ないが、勝ってよかった。」(通算1500奪三振達成も6回途中に左ふくらはぎの痙攣で降板)

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ロッテ井口の長女・琳王さん、花添えた始球式「いい思い出」[スポニチ]

ロッテ井口の長女・琳王(りお)さん(17)が始球式を務めた。

プロ入り当時のダイエー監督だった王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)を名前の由来とする琳王さんの投球はワンバウンドしたが「父の引退試合で、初めての始球式。とてもいい思い出になりました」と感慨深げ。

セレモニーではダイエー時代に同僚だった小久保裕紀氏、柴原洋氏、斉藤和巳氏らと花束を贈り、父の引退に花を添えた。

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ロッテ井口、選手からのサプライズメッセージに感動[スポニチ]

ロッテ選手が打席に入る際に、井口へ向けたメッセージが流されるサプライズ演出もあった。

角中は「また同じユニホームを着て戦えることを…」、福浦は「寂しいです。9年間一緒にプレーさせていただき勉強になりました」、平沢は「井口さんのように背中で引っ張れる選手になるよう頑張ります」と大型ビジョンに映し出され、その度に井口は目を細めていた。

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ロッテ井口に球界から惜別のコメント、王会長「ご苦労さま」[スポニチ]

引退試合を終えたロッテ井口に、ダイエー時代の監督で現ソフトバンク王貞治球団会長ら、球界から多くの惜別の声が届いた。

ソフトバンク王貞治球団会長
「野球の好きな井口君がメジャーに挑戦して4年間過ごしたことは、その後の人生にものすごくプラスになったと思う。もっともっとやって欲しかったけど、21年間ご苦労さまでした。」
城島健司氏(ダイエーで同僚)
「若い頃、キャンプで朝から晩まで『どうやったらバッティングがよくなるか』と話した思い出があります。自分がメジャーで4年プレーできたのも井口さんのアドバイスのおかげです。」
ソフトバンク川崎
「いつも正しい道を切り開いていく『井口スタイル』が次はどういうステージを見せるのか楽しみです。お酒の強さは野球選手でNo.1。とりあえず、飲みに行きましょう!」
楽天松井稼
「21年間の現役生活、お疲れさまでした。米国にいたときは食事に連れていっていただくなど、年齢も1つ違いですし、常に刺激を受ける存在でした。」

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青学大の先輩・小久保氏も井口見届けた「ともに恩返しを」[スポニチ]

青学大の3年先輩で、ダイエー(現ソフトバンク)でも同僚だった小久保裕紀前侍ジャパン監督もロッテ井口の引退試合を観戦。2人の恩師である河原井氏らと最後の勇姿を目に焼き付けた。

井口との思い出は99年のダイエー初優勝がかかった試合で「私が同点本塁打、井口が決勝本塁打だった」と振り返り「野球界に恩返しできるようにともに頑張っていきましょう」とエールを送った。

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井口とともに世界一、Wソックス元同僚ら賛辞「素晴らしい」[スポニチ]

ロッテ井口が05年ワールドシリーズ制覇に貢献したホワイトソックスの当時のメンバーからもメッセージが寄せられた。

オジー・ギーエン氏(元ホワイトソックス監督)
「貴方は私の好きな選手の1人です。世界一になった2005年、私はメディアに『MVPは井口だ』と言いました。とても優しい人で、寿司の正しい食べ方を教えてくれました。私はインスタグラムで貴方をフォローしているが、貴方の白髪を見たことがありません。野球の実績もさることながら、男として父親として素晴らしい方です。これからの人生を楽しんでください。」
ポール・コネルコ氏(元ホワイトソックス同僚)
「シカゴでの思い出はたくさんあります。君の守備範囲の広さに一塁手として横で守っていた僕は救われました。偉大な選手であり、素晴らしいチームメートでした。」
ケリー・ウィリアムズ氏(元ホワイトソックスGM)
「当時、オーナー会議に出席した私は日本から井口を獲得して二塁で起用したらWシリーズに進出できると宣言しました。君はシカゴに来て、攻守に信じられないプレーを披露してくれました。我々は貴方の帰りをいつでも歓迎します。」
ジェフ・ブラム氏(元ホワイトソックス同僚)
「君はいつも笑顔を絶やさず、一生懸命プレーしていました。Wシリーズ第3戦延長13回、君の代わりにセカンドに就いたが、あの出場がなければ私はWシリーズ制覇に貢献することはなかったでしょう。ありがとう。」
フィリーズ チャーリー・マニエルGMアドバイザー(07、08年フ軍監督)
「07年途中に移籍してきて、優勝を狙うチームに大きなインパクトをもたらした。チャンスに強く、守備も安定していた。同僚ともうまくやっていた。」
ロッキーズ バド・ブラック監督(08年パドレス監督)
「タダヒトは監督歴で唯一の日本人選手。パドレスでのプレーは1年で、ケガもあったが、サヨナラ本塁打を覚えている。彼の長いキャリアの中で、監督として関われたことを光栄に思う。」
ケン・ハレルソン氏(ホワイトソックス球団専属アナウンサー)
「世界一になったことで、貴方は常に私達の個々の中にいます。貴方の守備センスは、いつまでも我々の記憶に残っています。」
ジェリー・ラインズドルフ氏(ホワイトソックスオーナー)
「地区シリーズ・レッドソックス戦の逆転3ランは世界一につながる殊勲打になりました。ともに戦った仲間はみんな、貴方に尊敬と感謝の心を持っています。」

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[井口・引退試合アラカルト]全員背番号6、球場外PVに集結[スポニチ]

◇井口引退試合アラカルト

全員6番
試合直前の全体練習から選手全員が背番号6のユニホームを着用。井口を「セカンドアップの時間なのにみんな出てくるのが遅いなあと思った」と驚かせた。
PV
球場正面に大型モニターを設置。入場できなかったファンが集まった
配布
来場者に井口の顔型応援ボードを配布
設置
ロッテ、ダイエー、ホワイトソックスのユニホーム姿の等身大パネルを球場周辺10カ所に設置
販売
引退記念の高級リング(16万5000円)の販売受け付けを開始
冊子
来場者に球団広報誌の「引退特別号」(全12ページ)を配布
おもてなし
「九十九里浜の焼きはまぐり」が来場先着2000人に振る舞われた。

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日本ハム高梨、オール直球勝負、井口から感謝の直筆メッセージ入りバット贈られ感激[スポニチ]

気迫で投げ込んだ!日本ハムは24日、ロッテ戦で延長12回サヨナラ負け。先発した高梨裕稔投手(26)は7回1失点と好投し、引退試合だった井口資仁内野手(42)との3度の対戦もオール直球勝負を挑んだ。シーズンを通して本調子ではない右腕が、球界を代表してきた好打者との最後の対戦で貴重な経験を積んだ。

決めていた。決して変化球は投げない。6回2死。高梨が投じた146キロ直球は高めに抜けたが、井口もフルスイングで応えてくれた。空振り三振。3打席、全13球の直球勝負。「今後の野球人生にプラスになると思います」と胸を張った。

敵地で行われた井口の引退試合。異様な熱気の中、右腕を思い切り振った。2回は2ボールから左前打を許したが、4回は外角に制球して二ゴロ。最後の対戦も空振り三振に斬った。試合後、井口から「素晴らしい投球をありがとう。活躍を祈ってます」と記された直筆メッセージ入りのバットもプレゼントされた右腕は「こういう試合で投げることができて幸せです」と笑った。

昨季は10勝で新人王に輝き、リーグ優勝と日本一にも貢献。ただ有原とともに先発ローテーションの軸として期待された今季は開幕当初から不振に苦しんだ。7月上旬には2軍落ち。それでも直球の球威が戻って1軍に復帰した8月以降は5試合で無傷の3勝。この日も直球を軸に打者を押し込み、7回5安打1失点に抑えた。

9回に守護神・増井も井口に直球勝負を挑んで同点弾を浴び、延長12回の末にサヨナラ負けを喫した。それでも栗山監督は「素晴らしい。長年、技術を積み上げてきたからこそ」と井口の打撃を称賛。強気に攻めた高梨についても「よく粘った」と目を細めた。

「悪い時にどう粘れるか。前はできなかったけど、今はできている」と高梨。次回登板が今季最後の登板となる可能性が高い。悔しさばかりの2017年を、笑顔で締める。

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ロッテ井口、現役21年「自分自身の宝」、引退後は「野球振興に尽くし恩返しを」[スポニチ]

ロッテ井口資仁内野手(42)が自身の引退試合となる24日の日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)に「6番・DH」で出場。1−3と2点ビハインドの9回の第4打席では劇的な同点2ランを放ち試合を振り出しに戻すなど5打数2安打2打点と大活躍した。試合にはロッテの選手全員が井口に内緒で背番号6を着用して登場。引退試合を盛り上げた。

試合後の引退セレモニーで井口は「ホークスで8年、アメリカで4年、マリーンズで9年、常にチャレンジを忘れずトライし続けてきました。ファンの皆様、本当にありがとうございました」とファンに挨拶。

現役時代を振り返り「入団当初の目標だった、2000本安打、メジャー挑戦、40歳まで現役…。他の選手では経験できないことを経験させていただきました。これらは自分自身の宝となりました」とすっきりした表情を見せた。続けて「小さい頃からの夢だったプロ野球選手。明日からは次の目標に向かって精一杯頑張っていきます。野球振興に尽くすことで皆様への恩返しとしたい」とこれからも野球人生が続くことを宣言した。

最後には「我がマリーンズ、このような順位で終えるチームではありません。ぜひ今以上に熱い応援をお願いします」とファンに頭を下げ、「選手の皆さん!この悔しさをファンの皆様とぶつけて、マリンにチャンピオンフラッグを立ててください。期待しています」と後輩達を激励。球場は大歓声に包まれた。

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ロッテ伊東監督、引退試合で劇的弾の井口に感嘆「役者が違う」[スポニチ]

ロッテ井口資仁内野手(42)が自身の引退試合となる24日の日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)に「6番・DH」で出場。1−3と2点ビハインドの9回の第4打席では劇的な同点2ランを放ち試合を振り出しに戻すなど5打数2安打2打点と大活躍した。試合は3−3の12回、1死二、三塁で主将の鈴木がサヨナラ打を放ち、井口の引退試合に華を添えた。

試合後、ロッテの伊東監督は「役者が違うね」と42歳の大ベテランに感嘆。「(1軍)帯同ではなく2軍で調整していて、この引退試合に合わせてくるのだから」と手放しで称賛した。

チームは最下位に沈み、自身も今季限りでの監督退任が決まっているが「このようなしびれる雰囲気で試合ができて、来年活きてくるんじゃないか」と若手への好影響を予感していた。

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ロッテ井口、引退試合で9回劇的同点2ラン!ファン大興奮、最後は12回サヨナラ勝ち[スポニチ]

ロッテ井口資仁内野手(42)の引退試合となる日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)が24日行われ「6番・DH」で出場。2回の第1打席に左前安打を放った。試合には井口に内緒でロッテの選手全員が背番号6を着用して登場。引退試合を盛り上げた。1−3と2点ビハインドの9回には劇的な同点2ランを放ち試合を振り出しに戻した。

球団公式ツイッターでは背番「6」着用はサプライズ企画だったと明かし「サプライズ成功!井口選手には内緒で本日の試合、選手全員が背番号6でプレーをします。『セカンドアップの時間なのにみんな出てくるのが遅いなあと思ったよ!』と井口選手」とつぶやき、サプライズを喜ぶ井口の反応を報告した。満員御礼となったスタジアムの観客も「6」と書かれたボードを手にして声援を送った。

井口は2回の第1打席に左前安打を放ち塁上でニッコリ。4回の第2打席はニゴロ、6回の第3打席は空振り三振だった。

2点差の9回。代打清田が右安打で出塁すると、続く井口が第4打席で増井の直球を強振。右中間へ運ぶ2号2ランを放ち土壇場で同点に追いついた。劇的なドラマにZOZOマリンのファンは酔いしれた。延長11回の第5打席は右飛だった。

試合は3−3の12回、1死二、三塁で主将の鈴木がサヨナラ打を放ち、井口の引退試合に華を添えた。

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ロッテ涌井が緊急降板、通算1500奪三振達成も左手に異常感じ…[スポニチ]

ロッテの涌井が日本ハム戦の6回途中で緊急降板した。6回に左手親指付近がつり、治療して戻った後に今度は左ふくらはぎがつったという。

井口の引退試合となった一戦に先発。初回に大谷を151キロの直球で空振り三振に斬るなど、好調だった。4回にはプロ野球史上52人目の通算1500奪三振も達成。ところが、1点リードで6回先頭の清水に左前打を浴びた直後に異常を訴え、ベンチで治療し、1度はマウンドに戻ったが続投を断念した。

涌井は5回0/3で70球を投げ、2安打無失点。海外フリーエージェント(FA)の権利を取得した涌井は、この試合が今季の6勝目をかけた最終登板になる予定だった。井口の引退試合で「絶対に勝たなくてはいけない試合。最初から飛ばしていった」と言う。通算1500奪三振を記録し「こういう試合で達成できたことは良かった」と語った。

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ロッテ井口に球団&ナインがサプライズ!全員背番「6」で出場[スポニチ]

ロッテ井口資仁内野手(42)の引退試合となる24日の日本ハム戦(ZOZOマリンスタジアム)が行われ、ロッテの選手全員が背番号6を着用して試合に臨んだ。

球団公式ツイッターではサプライズ企画だったと明かし「サプライズ成功!井口選手には内緒で本日の試合、選手全員が背番号6でプレーをします。『セカンドアップの時間なのにみんな出てくるのが遅いなあと思ったよ!』と井口選手」とつぶやき、サプライズを喜ぶ井口の反応を報告した。

スタジアムの観客も「6」と書かれたボードを手にして引退試合を盛り上げた。

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涌井、プロ野球52人目の1500K[報知]

エースの涌井がラスト登板を井口にささげた。4回まで完全。通算1500奪三振も達成したが6回、先頭の清水に安打を浴びたところで左手親指付近をつってベンチ裏に下がると、再び行った投球練習で今度は右ふくらはぎをつり降板。6回途中無失点だった。

「ああいう形でマウンドを降りてしまい申し訳ない。今日は井口さんの試合です」。4日に海外FA権を取得も今季は5勝。メジャー挑戦の夢を持っており、決断次第では国内での登板は見納めの可能性もある。

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井口、満弾デビュー&同点弾締め「明日から次の夢」[報知]

井口は最後まですごかった−。ロッテ・井口資仁内野手(42)が、日本ハム戦(ZOZO)で引退試合を行い、2点を追う9回に惜別の同点2ラン。デビュー戦で満塁本塁打を放った男が、プロ生活21年間の最後も一発でファンの度肝を抜いた。日米通算2254安打のレジェンドは、来季から監督に就任する見通しだ。

ミラクルを超えた。どよめきが収まらない。2点を追う9回無死一塁で迎えた井口の日米通算9612打席目。増井の直球を振り抜き、鮮やかな放物線がバックスクリーン右に飛び込むと、右手で力強くガッツポーズを作った。満塁本塁打デビューから20年。2軍で取り組み直した「もう1度、右方向への強い打球を」−。起死回生の一発が、延長12回サヨナラ劇につながった。

笑顔を貫いた。サプライズで選手全員が着用した背番号6のユニホームに驚き、3万96人に見守られたフィナーレ。「シーズン中はあの打球は失速していた。自分の思いや、みんなの思いが打球に伝わった。何年か忘れかけていた感触。まだまだやれると思う反面、すっきりしています」と喜んだ。守備に就かなかったのは、自身の美学とチームへの配慮。セレモニーではナインの手で8度舞った。声を詰まらせても、最後まで涙はこらえた。

少年時代に捕手として野球を始め、事あるごとに高い目標を設定してきた。ライバルは人ではなく数字。「本塁打王を取れる訳じゃない。40盗塁だったり数字を追いかけてきた」。青学大時代の持ち味だった一発を捨て、その先に実現した日米通算2000安打、メジャー、40歳現役の夢。米国で2つのチャンピオンリングを手にした一方、トレードや戦力外も経験した。「自分自身の宝です。本当に最高の野球人生でした」。こんな濃密な経験をしている選手は他にいない。

心配りも超一流だ。8月に行われた若手選手を中心とした食事会。「1番頑張っているから」。直前に誕生日を迎えていた鈴木のために、自らサプライズでケーキを用意した。2軍でも親子ほどの若手と積極的に対話を重ねた。その鈴木はこの日、サヨナラ打。感無量の4時間2分。最年長野手に歓喜のシャワーが集中し、無邪気にはしゃいで喜びを共有した。

すでに、次期監督への就任要請を受け、近日中に交渉が本格化する。「小さい頃から夢だったプロ野球選手は今日で終わりますが、また明日から次の夢、目標に向かって精一杯頑張ります。選手の皆さん、マリンスタジアムのポールにチャンピオンフラッグを立ててください」。決して終わりじゃない。夢の続きはすぐにやってくる。

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井口が、引退試合で惜別2ラン…日米通算295本目[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が、引退試合で惜別2ランを放った。

2点ビハインドの9回。オフに自主トレを行う後輩の清田が代打で右前安打で出塁すると、増井の直球を狙いすましたようにバックスクリーン右へ2号同点2ラン。日米通算295本目のアーチに右手でガッツポーズを作って、ダイヤモンドを1周した。

井口はダイエーでデビュー戦の97年5月3日近鉄戦(福岡D)でプロ1号グランドスラム。日米21年間の幕開きとフィナーレを一発で飾った。

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涌井が1500奪三振、プロ13年目で達成、史上52人目[報知]

ロッテ・涌井秀章投手(31)が、プロ13年目で通算1500奪三振を達成した。

この日が今季最後の登板。井口の「6」を背負い、抜群の立ち上がりで3回まで毎回2個ずつの三振を稼ぐと、4回1死走者なしで松本から150キロ直球で空振りを奪った。プロ野球52人目。井口の引退試合に「長い間お疲れさまでした。1年目のキャンプで食事に連れて行ってもらったこと、色々と相談に乗っていただいたこと、昨日のことのように思い出します」と惜別のコメントを寄せた。

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井口が引退試合第1打席で安打…日米通算2253本目[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)が、引退試合の1打席目でいきなり安打を放った。

この日は「6番・DH」でスタメン出場。8月27日ソフトバンク戦(ヤフオクD)以来の出場で、満員の場内のボルテージが上がる中、高梨の2ボールからの直球を左中間へはじき返した。これが日米通算2253本目の安打。塁上で会心の笑顔を浮かべた。

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井口の長女・琳王さんが始球式「とてもいい思い出になりました」[報知]

ロッテ・井口資仁内野手(42)の引退試合で、長女・琳王(りお)さん(17)が始球式を行った。

井口がベンチから温かい笑顔で見守る中、投球は外角へのワンバウンド。「緊張しました。でも、友達とずっと練習をしてきたので、その成果は出たと思います。父の引退試合で初めての始球式。とてもいい思い出になりました。嬉しかったです」と喜んでいた。

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井口引退試合で選手全員が背番号「6」着用[報知]

ロッテは、この日が引退試合の井口資仁内野手(42)の功績に敬意を表し、ロッテ入りした09年からの背番号「6」を選手全員で着用する。試合直前のアップまでサプライズで準備されており、グラウンドで初めて知らされた井口は笑顔。場内は大きな拍手で出迎えた。

◇主な同一背番号着用

西武「24」
球界初の試みとして12年7月1日・日本ハム戦(西武D)、同4日・ソフトバンク戦(ヤフーD)で稲尾和久氏の「24」を着用。
巨人「14」&阪神「19」
14年3月10日のオープン戦・巨人・阪神(伊勢)で巨人が沢村栄治氏の「14」、阪神が西村幸生氏の「19」を着用。
広島「86」
広島原爆投下から70年の節目となる15年8月6日の阪神戦(マツダ)を恒久平和を願う「ピースナイター」として「86」を着用。
DeNA「18」
三浦大輔投手の引退試合、巨人戦(横浜)で、選手全員が初めて現役選手の背番号「18」を着用。
メジャーリーグ「42」
黒人の人種差別撤廃に貢献した元ドジャース、ジャッキー・ロビンソンの「42」を全球団が毎年4月15日に着用。

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引退試合「6番・DH」の井口「何とかいい形で自分らしいスイングを」[報知]

この試合限りで現役を引退するロッテ・井口資仁内野手(42)は、「6番・DH」でスタメン出場する。伊東勤監督(55)が本人と話し合い、練習後に明かした。

この日、今季から導入された1日限定の特例登録を適用してベンチ入り。指揮官は「最後まで出ます。気持ちでしっかりやってくれると思う」と説明。最後の練習を終えた井口も「何とかいい形で自分らしいスイングを」と普段通りの明るい表情だった。

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ロッテ・井口、惜別弾「僕の気持ち、みんなの気持ちが伝わって飛んだ」[デイリー]

ロッテ・井口が宙に舞った。1度、2度…計8度。押し上げるナインの力と心が嬉しい。引退試合での一発は、42歳のものとは思えない豪快弾そのものだった。

敗色濃厚の9回無死一塁。これが現役最後かという打席だった。増井の2−1からの149キロ直球を捉えた。打球は中堅右に飛び込む同点の2号2ランとなった。

「この打球を求めて1ヶ月やってきた。ここ数年忘れていた感触だった。僕の気持ち、みんなの気持ちが伝わって飛んだ」。

初出場は新人時代の97年5月3日・近鉄戦。1回に初安打を放つと、4回に満塁弾を左翼席に運んだ。新人日本選手のデビュー戦でのグランドスラムは、プロ野球史上初の快挙だった。

伝説とともに歩んだプロ人生を新伝説で締めくくった。最終打席はこだわり続けた右への打球。右飛だった。

負けられない。全選手が井口の背番号「6」を付け、気持ちを1つにした。延長12回。鈴木のサヨナラ打は出るべくして出た。

来季のロッテ監督就任を要請されている。気持ちは固まっている。だが、この日は「我がマリーンズですが、このような順位で終わるようなチームではありません」とファンに熱く訴えるだけにとどめた。

井口がにじむ視線の先に見たのは、ナインの手によって再び宙に舞う姿だったか。

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井口資仁「最高の野球人生だった」万感の引退スピーチ[デイリー]

引退試合となった井口資仁内野手が試合後の引退セレモニーで、思いを語った。ソフトバンクから米メジャーへ、そしてロッテへと活躍の場を移した21年間のプロ生活を「自分自身の宝」、「最高の野球人生だった」と表現し、ファンやチームメート、関係者に何度も感謝の言葉を述べた。

9回に同点2ランを放ち、千両役者ぶりを発揮した井口。引退スピーチでは、時折、言葉を詰まらせながら思いを語った。

「入団当初の目標であった2000本安打、そしてメジャー挑戦、40歳まで現役、ほかの選手では経験できないようなことをたくさん経験させていただき、本当に自分自身の宝になりました。そして21年間、多くの皆様に応援していただき、そして、今日最後、引退試合、そしてこのセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います」。

今後については、「明日から次の夢、目標に向かって精一杯頑張ります。そして、ますますの野球発展のために、野球振興のために尽くすことが皆様への恩返しだと思っております」。ロッテのチームメート、スタッフへ向けては「我がマリーンズですが、このような順位で終わるようなチームではありません。まだまだ、伸び代のある中堅、若手選手がたくさんいます」と断言した。さらに、「選手の皆さん、残り試合、来シーズン、この悔しさをファンの皆さんとともにぶつけて、このマリンスタジアムのポールにチャンピオンフラッグを立ててください。皆さん、期待しています」と熱く語りかけた。

ファンの大歓声を浴びながら、「最後になりますが、21年間、熱い声援をいただいたファンの皆様、そして、チームの皆様、サポートしていただいた皆様、全ての皆様に感謝して、今日、ユニホームを脱ぎたいと思います。21年間、本当に本当にご声援ありがとうございました」と感謝し、球場内を1周。白いテープが投げ込まれる中、帽子を振ってスタンドに笑顔を見せていた。

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ロッテ井口、同点弾で引退に花 サヨナラ勝ちに笑顔で別れ[デイリー]

ロッテの井口資仁内野手(42)が24日、ZOZOマリンスタジアムで行われた日本ハム戦での引退試合に出場し、9回に同点2ランを放つなど2安打2打点の活躍で延長12回、4−3のサヨナラ勝ちに貢献し、日米21年間の選手生活を終えた。ファンに「2千安打、メジャー挑戦、40歳まで現役。本当に最高の野球人生だった」と笑顔で挨拶し別れを告げた。

ロッテの全選手が井口の背番号6を付けてプレー。2回の第1打席で左前打を放つと、3−1の9回無死一塁でバックスクリーン右へ2号2ランを運び「自分と、みんなの思いが打球に伝わってフェンスを越えてくれた」と喜んだ。

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ロッテ伊東監督、井口の花道飾り「最高の形で送り出すことができた」[デイリー]

今季4度目のサヨナラ勝ちで、井口の引退試合を飾った。

伊東監督は試合後、開口一番「最高の形で送り出すことができた」とホッとした表情を浮かべて、さらにこう続けた。

「自分で決めた。やっぱり役者が違う。(試合に)出るからには全力を尽くす。そういう形を発揮した。この日のために2軍で調整をしてきた」。

9回無死一塁。井口が起死回生の2号同点アーチを中堅右にたたき込んだ。引退試合で自ら花道を飾った。

8月28日に出場選手登録を抹消されて以来、ロッテ浦和球場で早朝の7時半には姿を見せた。若い選手の邪魔にならないようにとの配慮からで、1人黙々と打ち込んできた。

ロッテナインは誰もが知っている。「今日は絶対に勝とう」が合言葉だった。

井口の1発で延長戦に突入して延長12回1死二、三塁。最後は主将の鈴木が右へはじき返して決めた。

この日のZOZOマリンスタジアムには超満員となる3万96人が詰めかけた。盛り上がりは最高だった。

「若い選手もこういう環境、緊張感の中でしっかりやって結果を出した選手もいる。来年の開幕戦はこういう雰囲気になる」。

今季限りでユニホームを脱ぐ伊東監督がさりげなくゲキを飛ばした。

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ロッテ、延長サヨナラ勝ちで井口のラストゲームを飾る、鈴木が殊勲タイムリー[デイリー]

ロッテが延長12回にサヨナラ勝ち。引退試合の井口は1−3の9回に同点の中越え2号2ランを放った。この日の井口は5打数2安打2打点。自らの記念ゲームで名実ともに主役を演じた。

12回は先頭の代打・肘井が左中間二塁打で出て、1死二、三塁から鈴木が右前にサヨナラタイムリーを放った。

ロッテはこの日、伊東監督、コーチ陣、選手の全員が井口の背番号「6」をつけてプレーした。

先発・涌井は5回まで被安打1で奪三振9という素晴らしい投球だったが、6回に先頭の清水に左前打されると左足にアクシデントが発生し降板した。

ロッテは3回に加藤の5号ソロで先制したが、日本ハムの先発・高梨に7回までその1点だけに抑えられた。

日本ハムは1点を追った7回に逆転。3番手・南から先頭の松本が右前打で出塁すると、大谷が四球で一、二塁。この好機に中田が左へ同点の適時打。続くレアードが中堅左へ逆転打をはじき返した。8回には西川が4番手の大谷から適時三塁打して2点のリード。8回からマーティン、9回には増井を投入し、逃げ切り態勢を敷いたが、井口のバットが打ち砕いた。

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ロッテ、井口が引退試合の9回に同点2ラン!奇跡の一発にサポーター絶叫![デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

井口は9回無死一塁で、日本ハムの3番手・増井のカウント2ボール1ストライクからのストレートをたたき、打球は中堅バックスクリーン右のスタンドに飛び込んだ。絶叫にも似た大歓声の中、奇跡の同点弾ボールはロッテの縦じまユニホームを着た女性サポーターが手にしていた。

井口の一発で試合は延長戦に突入。井口は11回に先頭で第5打席が回ってきたが、1ストライクから右飛に倒れた。高く上がった打球に日本ハムの中堅・西川と右翼・大田がお互いを見合うシーンも見られた。

現役最後の勇姿とあって、この日のZOZOマリンスタジアムは超満員。ロッテはこの日、伊東監督、コーチ陣、選手の全員が井口の背番号「6」をつけてプレーした。

「まだ実感はない。現役の最後…悔いのない自分らしいスイングをしたい」と試合前に

力を込めていた井口は、2回の第1打席で左中間への安打を放った。日本ハムの先発・高梨のボール2からの低めストレートを鋭く振り抜くと、打球は放物線を描きながら左中間方向へ。左翼・大田がショートバウンドでグラブに収めた。

4回1死での第2打席ではカウント2−1からニゴロ。6回2死での第3打席はカウント3−2から146キロの高め速球に空振り三振となった。

井口はすでに球団から監督就任の要請を受けており、来季から指揮を執ることは決定的と見られている。この日を入れて残り試合は9。「何とかいい形でつなぐことができれば」と今季、そして来季をにらんだ。

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日本ハム・増井、井口に被弾、脱帽「引退する方のバッティングじゃない」[デイリー]

日本ハム・増井浩俊投手(33)がこの日が引退試合だったロッテ・井口の同点本塁打に脱帽した。

2点リードの9回からマウンドへ。先頭、清田に右前打を浴びた後、打席に井口を迎えた。「対戦できるなら、全部、真っ直ぐでいこうと思っていた」とオール直球勝負で挑み2ボール1ストライクからの4球目。149キロ直球をバックスクリーン右へ運ばれた。この回を無失点に抑えれば、井口は最後の打撃となっていたが、21年目のベテランに意地の一発を浴びた。

現役最後の本塁打を浴びた増井は「(ストライクを)取りにいったボールだったのでしょうがないけど、あそこまで飛ばすのは引退する方のバッティングじゃない」と振り返った。

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ロッテ、涌井が通算1500奪三振を達成、引退・井口の背番号6で花束受ける[デイリー]

ロッテの先発・涌井がプロ通算1500奪三振を達成した。プロ野球史上52人目。

1−0の4回1死から日本ハムの松本をこの日7個目の「K」となる空振り三振に仕留め、節目の記録を達成。続く大谷からも空振り三振を奪い、ダッグアウトへ。ここで場内ビジョンに「祝通算1500奪三振」のメッセージが出され、花束が贈られると場内から大歓声が湧いた。

この日は井口の引退試合。ロッテは全員が背番号「6」をつけてプレーした。

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ロッテ、加藤が先制弾、引退・井口を「勝って送り出したい」[デイリー]

ロッテ・井口の引退試合に花を添える1発となった。3回、先頭打者の加藤が2−0から高梨の144キロストレートをフルスイング。打球は右翼席中段に飛び込む先制の5号ソロ弾となった。

14日の日本ハム戦(札幌ドーム)以来の本塁打に、「井口さんの引退試合なので、選手もファンも勝って送り出したい思い。この試合で今までで1番のホームランが打てました」と“1番”を強調し、こう続けた。

「6番のこのユニホームが力を出させてくれました。偉大な番号です。恩返しと言うか、成長した姿を井口さんに見せられるように頑張ります。絶対に勝ちます」。

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ロッテ、引退試合の井口、第1打席でヒット放つ「6番・DH」で出場[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場し、引退試合に臨んだ。現役最後の勇姿とあって、この日のZOZOマリンスタジアムは超満員となった。

ロッテはこの日、伊東監督、コーチ陣、選手の全員が井口の背番号「6」をつけてプレー。その中で井口は2回の第1打席で左中間への安打を放った。日本ハムの先発・高梨のボール2からの低めストレートを鋭く振り抜くと、打球は放物線を描きながら左中間方向へ。左翼・大田がショートバウンドでグラブに収めた。

ロッテは3回に加藤が右越えに5号ソロを放ち1点を先制。井口は4回1死から第2打席に入り、カウント2−1からニゴロ。6回2死からの第3打席はカウント3−2から146キロの高め速球に空振り三振となった。

試合前の井口は、「まだ実感はない。現役の最後…悔いのない自分らしいスイングをしたい」と力を込めていた。

井口はすでに球団から監督就任の要請を受けており、来季から指揮を執ることは決定的と見られている。この日を入れて残り試合は9。「何とかいい形でつなぐことができれば」と今季、そして来季をにらんだ。

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ロッテ、井口が「6番・DH」で引退試合に臨む、同僚は全員背番号「6」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が引退試合に臨んだ。ロッテはこの日、伊東監督、コーチ陣、選手の全員が井口の背番号「6」をつけてプレーした。

井口はすでに球団から監督就任の要請を受けており、来季から指揮を執ることは決定的と見られている。

現役最後の勇姿とあって、この日のZOZOマリンスタジアムは超満員となった。

井口は「6番・DH」で出場となった。

記念の引退試合であっても、シーズン中の真剣勝負。試合前、伊東監督は井口に「どうする?」と声を掛けて打順を決めた。

8月28日に出場選手登録を抹消され、ファームで調整を続けてきた。当初は「4番・DH」かと思われていたが、伊東監督は「実戦から遠ざかっているからね。打順を下げた」と説明した。

引退試合の試合前の井口は、「まだ実感はない。現役の最後…悔いのない自分らしいスイングをしたい」と力を込めていた。

この日を入れて残り試合は9。「何とかいい形でつなぐことができれば」と今季、そして来季をにらんだ。

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ロッテ、井口の長女が引退試合の始球式務める[デイリー]

ロッテ・井口の引退試合で始球式を務めたのは長女・琳王(りお)さんだった。

「緊張しました。でも、友達とずっと練習をしてきたので、その成果は出たと思います」と振り返り、「父の引退試合での初めての始球式。とてもいい思い出になりました。嬉しかったです」と感激していた。

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[井口へのメッセージ1]ダイエー時代の指揮官・王会長「ファインプレーで勝った」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

王貞治ソフトバンク球団会長
「井口くん、1997年にホークスに入って一緒にやってきたけど、最初は弱くてね。でも本当に頑張ってくれて1999年と2003年、日本一になった時に大変貢献してくれました。野球の好きな井口くんがメジャーに挑戦して4年間過ごしたということは、その後の井口くんの人生にものすごくプラスになったと思います。
これからの人生もまだまだ前途洋々ですが、その間、やはりこの4年間がものすごく活きるのではないかと思います。井口くんの印象は、とにかく丈夫。足も速かったし、守備もうまかったし、井口くんのファインプレーで勝った試合が随分多かったな、という印象があります。ボクは本当はもっともっとやって欲しかったと思いますけど、とにかく自分で決めたことですから、この後の人生、まだまだ先は長いです。野球界のために、またご家族の皆さんのためにも、大いに色々な形で頑張って欲しいと思います。本当に21年間ご苦労様でした。おめでとうございます。」

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[井口へのメッセージ2]阪神・鳥谷「一緒に自主トレ、私生活でも色々勉強」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

阪神・鳥谷敬
「井口さん、21年間の現役生活、お疲れさまでした。井口さんとは、自分が入団して1年目のオフから一緒に自主トレをやらせてもらっていますが、野球はもちろん、私生活においても色々な部分を勉強させていただきました。ありがとうございました。
これから第2の人生が始まると思いますが、井口さんのその人柄を生かして色々なことにチャレンジしてもらいたいと思います。自分も、井口さんのように誰からも好かれるような野球選手を目指して頑張っていきたいと思います。本当にお疲れさまでした。」

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[井口へのメッセージ3]阪神・西岡「まだまだ背中を追ってボクも成長」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

阪神・西岡剛
「井口さん、現役生活お疲れさまでした。井口さんからはマリーンズ時代に色々なことを学ばせてもらい、ボクもアメリカに渡るなど、色々な経験や勉強をすることができました。
まだまだ井口さんの背中を追って、ボクももっと成長していきたいと思います。井口さんは現役を終えてからまた野球に携わると思いますが、また新しい人生を歩んで、僕達の見本となる人でいてください。本当にお疲れさまでした。」

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[井口へのメッセージ4]青学大&鷹の先輩・小久保氏「1番の思い出」本塁打共演V[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

小久保裕紀氏
「井口選手、21年間に渡る現役生活、本当にお疲れ様でした。井口とは彼が大学1年生の時に、青山学院大学でともにプレーしました。当時はまだ細く、長打力はなかったのですが、ウエート・トレーニングを重ね、身体を大きくして、東都大学リーグの本塁打記録を塗り替えるという快挙を成し遂げました。そして福岡ダイエーホークスに入団し、また共に同じユニホームを着てプレーすることになりました。
井口との思い出は初優勝のかかった試合で私が同点本塁打、そして井口が決勝本塁打でした。それでパ・リーグ優勝を決めたあの日の試合が、1番思い出に残っています。今後の野球人生も、これまで培ってきた自分の経験を後輩達に伝え、この先、野球界に恩返しできるように、ともに頑張っていきましょう。本当に、今日までの長い間、お疲れ様でした。」

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[井口へのメッセージ5]ムネリン「お酒の強さは歴代1位、飲みに行きましょう」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

ソフトバンク・川崎宗則
「井口資仁先輩、21年間本当にお疲れさまでした。井口さんがメジャーに行くまで一緒にやらせてもらいました。1番に井口さんで思いますのは、お酒に強いことです。今までの歴代野球選手でナンバーワンです。冗談ばっかり言っているようですけど、井口さんからたくさんのことを教えてもらいました。
当時、車椅子を寄付する運動を井口さんがされていて、僕も一緒にやらせてもらって井口さんの人柄はすごいなと感じていました。寂しい気持ちはありますが、僕は楽しみでもあります。
井口さんはいつも正しい道を切り開いて行くスタイルなので、『井口スタイル』が次はどういうステージを見せてくれるのか楽しみです。ぜひ、またお話を聞かせてください。『お疲れさまでした』なのですが、取りあえず、飲みに行きましょう!バイバイ井口さん、またね!」

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[井口へのメッセージ6]Wソックス元監督ギーエン氏「貴方の家族が大好きです」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

メジャーリーグでワールドシリーズ優勝のチャンピオンリングを2つ持つ井口には米国からもメッセージが届けられた。

オジー・ギーエン氏(2004年〜11年ホワイトソックス監督)
「私にとって、アメリカで偉大な功績を残した貴方を監督できたことは、光栄なことでした。貴方は私の好きな選手の1人です。世界一になった2005年、私はメディアに対して『チームMVPは井口だ』と言いました。
我々とともに戦ってくれてありがとう。貴方はとても優しい人で、唯一、寿司の正しい食べ方を私に教えてくれました。私は貴方の家族が大好きです。野球選手として結果を残し、長く続けられたことは本当に素晴らしいことです。
貴方は白髪さえ生えていない。私はインスタグラムで貴方をフォローしているが、貴方の白髪を見たことがありません。とにかく、お疲れさまでした。コーチや監督をしてくれることを願っています。貴方にはそのチャンスがあると思いますし、経験も豊富です。チーム、シカゴ、アメリカ、そして家族を代表して気持ちを伝えます。野球の実績もさることながら、男として選手として父親として素晴らしい方です。これからの人生を楽しんでください。」

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[井口へのメッセージ7]ロッテ福浦「寂しいです」涌井「また相談に乗ってください」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

この日、全員が背番号「6」をつけてプレーしたロッテナインの主なメッセージは次の通り。

角中
「お疲れさまでした。また同じユニホームを着て戦えることを…。」
鈴木
「現役生活お疲れさまでした。一緒に野球ができて幸せでした。たくさん思い出がありますが、またいつか一緒に野球ができることを楽しみにしています。ありがとうございました。」
福浦
「寂しいです。9年間一緒にプレーさせていただき勉強になりました。21年間、本当にお疲れさまでした。」
平沢
「21年間お疲れさまでした。同じ内野手として井口さんを目標に頑張ります。2年間という短い間でしたが、ありがとうございました。」
ペーニャ
「日米での素晴らしい功績を残されての引退ということで本当にお疲れさまでした。若手の良き手本となる選手でしたので、今後はぜひ、野球界に戻って来て欲しいと思います。」
涌井
「長い間お疲れさまでした。1年目のキャンプで食事に連れて行ってもらったこと、色々と相談に乗っていただいたこと、昨日のように思い出します。まずはゆっくりと休んでください。また相談に乗ってください!」
チェン
「野球を始めた小さい頃から井口さんの活躍を拝見していました。ロッテに入団後もたくさん投球のテクニックを教えていただいたり、とても優しい先輩でした。21年間本当にお疲れさまでした。」

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[井口へのメッセージ8]日米でアドバイス受けた城島氏「同じ右打者、朝から晩まで」[デイリー]

今季限りでの引退を表明していたロッテ・井口資仁内野手(42)が「6番・DH」で先発出場して引退試合に臨み、1−3の9回の第4打席では中越えに2号同点2ランを放った。試合は延長12回にロッテがサヨナラ勝ちした。

試合後の引退セレモニーでは井口の野球人生に関わってきた多くの先輩、後輩、戦友達からメッセージがビジョンを通じて贈られた。

城島健司氏
「井口さんの元同僚の城島健司です。まず井口さんとの思い出と言いますと、まだお互い若かった頃、同じ右打者ということもあり、同じグループで打撃練習もしていたのですが、キャンプの時は朝から晩まで『どうやったらバッティングがよくなるか』ということを話していた思い出があります。
井口さんは自分よりも1年先にメジャーに行かれることになりましたが、自分もその後に挑戦し、アメリカに行ってからも井口さんのアドバイスを受けました。自分がメジャーで4年間プレーできたのも井口さんのおかげだったと思っています。本当に、長い間ご苦労さまでした。」

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