井口流改革で立て直す。ロッテ井口監督が14日、千葉市内のホテルで就任会見を開いた。現役時と同じ背番号6の新監督は「マリンを最大限に生かした攻撃的な野球をしたい」と宣言した。
来春の石垣島キャンプでは全員同じスタートラインに立たせる。「キャンプでは1、2軍の枠を撤廃したい。期間を区切り、競争を激しくする。人数が多すぎて順番を待つ時間をなくしたい」と従来の1軍、2軍2球場をフル活用。2月1日から実戦形式の練習を組むほか、練習開始時間にはアップを済ませておくことも要求するなど改革に取り組む。
メジャー経験者では初めて12球団の監督となり「(日米)両方の良いところを自分の色として出したい」と理念を掲げた。理想の監督像は、ホワイトソックスで仕えたギーエン監督。選手とのコミュニケーションを大事にしながら戦っていく。会見を終えると、宮崎へ直行。17日までフェニックスリーグを視察する。
ロッテ井口資仁新監督が就任会見を開いた。
「マリンを最大限に生かした攻撃的な野球をしたい」。
来春の石垣島キャンプでは全員同じスタートラインに立たせる。
「キャンプでは1、2軍の枠を撤廃したい。期間を区切り、競争を激しくする。人数が多すぎて順番を待つ時間をなくしたい」。
メジャー経験者では初めて12球団の監督となった。
「(日米)両方の良いところを自分の色として出したい」。
ロッテ井口資仁新監督(42)は14日、千葉市内のホテルで就任会見を行った。
3年契約で、推定年俸8000万円。背番号は現役時と同じ「6」。
抱負を問われ「来年以降、指揮を執らせて頂くことになりました。先月24日に現役のユニホームを脱がさせて頂いてから、こんなにすぐマリーンズのユニホームを着られる。球団には感謝しています。今シーズン、苦しい戦いになりました。ファンの方には満足していただけるシーズンではなかった。既に9日からフェニックス・リーグが始まっており、21日からは浦和で1軍に在籍した選手の練習が始まります。来年以降、マリーンズをしっかり常勝球団にするために全力で頑張っていきたいと思います」と話した。
ロッテ井口資仁監督(42)が14日、千葉市内のホテルで就任会見を行った。一問一答は次の通り。
ロッテ重光昭夫オーナー代行が14日、井口資仁監督(42)の就任について、次の通りコメントした。
ロッテ・井口資仁新監督(42)が14日、千葉市のホテルニューオータニ幕張で就任会見に臨んだ。米大リーグ移籍を視野に入れて今オフにフリーエージェント(FA)権を行使する意思を固めている涌井秀章投手(31)の残留を望み、直接交渉する考えを明らかにした。エース流出阻止へ、新指揮官が動く。
青色のネクタイにスーツ姿。晴れやかな表情で会見に臨んだ井口新監督が、エースの残留を熱望した。涌井について問われて、即答した。
「チームに必要な、欠かせない存在。FAは選手の権利なので、意思を尊重しながら、こちらとしてはしっかり話し合いをしたい。残ってもらえるなら残って欲しい」。
井口監督は2004年オフにダイエー(現ソフトバンク)を自由契約になり、米大リーグに挑戦。4年間プレーした。自身の経験も踏まえ、大リーグ志向の強い涌井の意思を尊重する意向だ。
涌井は、ロッテ残留も選択肢に入れており、球団も宣言残留を認める考え。そこで新監督が自ら交渉し、残留へ説得に乗り出す。「僕は(涌井と)直接、連絡を取れるので、色々な形で話をしていきたい」と意欲を示した。
井口監督と涌井は14年から今季まで4年間一緒にプレー。沖縄・石垣島の春季キャンプで食事に出かけるなど親しい関係にある。涌井は今季、打線の援護にも恵まれず5勝11敗、防御率3.99と低迷したが、投手陣の精神的支柱であり、存在感は絶大だ。
「現役時代は常に優勝したい、チームメートとビール掛けをしたいという気持ちで戦ってきた。その思いは同じ。今のメンバーと、またマリーンズを優勝させたい気持ちだけ」。
今季の最下位から、就任1年目の来季は優勝を狙うと誓った新指揮官。その思いが、エースに届くか−。
ロッテ・井口資仁新監督(42)が14日、千葉市のホテルニューオータニ幕張で就任会見に臨んだ。
ロッテ・井口資仁新監督(42)が14日、千葉市のホテルニューオータニ幕張で就任会見に臨んだ。井口監督は来春の沖縄・石垣島キャンプで選手同士の競争をより促すため1、2軍の枠を撤廃することを明らかにした。1、2軍の使用球場は隣接しており「2つの球場を効率よく使いたい。キャンプ中は徹底的に競争させるし、投手はキャンプ初日から打撃投手をさせる可能性もある。キャンプのスタイルを変えていく」と明言。米大リーグでプレーした日本選手で初めて、12球団の監督に就いた新指揮官が、新風を吹き込む。
ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで記者会見に臨み、「身の引き締まる思い。今シーズンまで一緒に戦ってきたチームメートとともに優勝したい」と抱負を語った。
井口監督はプロ21年間の現役を引退してすぐの就任で、来季のパ・リーグ監督ではただ一人の40代。米大リーグでプレー経験のある日本人としては12球団で初の監督となる。21日に始まる秋季練習で本格的に始動する。
井口監督は東京・国学院久我山高から青学大を経て1997年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。2005年から4年間、大リーグでプレーし、09年にロッテで日本球界に復帰した。日本一に3度輝き、メジャー移籍1年目にホワイトソックスでワールドシリーズ制覇に貢献。日米通算2254安打を放った。
ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで記者会見に臨み「来年以降、マリーンズを常勝球団にするために全力で頑張りたい」と抱負を語った。背番号は現役時代と同じ「6」。米大リーグでプレー経験のある日本人としては12球団初の監督就任で、21日から始まる秋季練習で本格的に始動する。
プロ21年間の現役を引退してすぐの就任で、来季のパ・リーグ監督ではただ一人の40代。会見終了後には宮崎県に移動して秋季教育リーグを視察予定。今季最下位に終わったチームの立て直しに向け「わくわくしている。コミュニケーションを取ってチームを1つにしていきたい」と話した。
東京・国学院久我山高から青学大を経て1997年にドラフト1位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。2005年から4年間、大リーグでプレーし09年にロッテで日本球界に復帰した。日本一に3度輝き、メジャー移籍1年目にホワイトソックスでワールドシリーズ制覇に貢献。日米通算2254安打を放った。
ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで就任会見に臨んだ。大リーグでプレーした日本人として初めて12球団の監督に就任。現役時代と同じ背番号「6」を背負って今季最下位から巻き返し、常勝球団をつくると誓った。そのために、来年2月に沖縄・石垣島で行われる春季キャンプでは「井口流」の大幅な改革を宣言した。
9月24日の引退試合でユニホームを脱いでからわずか20日。井口新監督は借金33で最下位に沈んだチーム再建に向け「マリーンズを常勝球団にさせていくために全力で頑張っていきたい。ワクワクしている部分と、このチームをどう変えていかないといけないか考えている」と語った。
9人目の引退即監督就任。ロッテでは87年有藤道世(現通世、本紙評論家)以来となる。42歳の青年監督が1番に求めたのは「チーム内競争」で、来年2月の春季キャンプから大きな改革を行う。
まずは1、2軍枠の撤廃。チーム全体が沖縄・石垣島で行うことからあえて枠を設けず、一定期間までは全員一線の競争を課す。さらに「初日から実戦ができる体づくりをしてきてもらう」と2月1日のキャンプインから実戦形式のシート打撃を行い、投手には打撃投手として登板させる可能性も口にした。
今年は午前10時開始だった全体練習を最低でも1時間繰り上げるプランも披露。練習後に個々が課題に取り組む時間を増やす狙いがあり、メジャーも経験した井口監督ならではの合理的なスタイルだ。
理想には「攻撃的な野球」を掲げた。「選手にはグリーンライト(選手の判断で走ってもいいサイン)を勝ち取って欲しい」と機動力を重視する。現役時代に2度の盗塁王に輝いた自身のように、走れる選手を求めた。
指揮官としても再び背番号6を背負うが「欲しいという選手がいれば明け渡す準備をしています」と若手の台頭を求め、フェニックス・リーグを視察するため宮崎入りした。
ロッテ・井口新監督は、海外FA権を行使して大リーグに挑戦する意向を持っている涌井について、直接引き留めに乗り出す考えも口にした。
「FAは選手の権利。意見を尊重しながら」とした上で、食事をともにするなど公私ともに交流の深い後輩だけに「チームに本当に必要だし、欠かせない存在。色々な形で話していきたい」と語った。
ロッテは14日、井口資仁新監督の就任会見を行った。
井口新監督就任に伴う、重光昭夫代表取締役オーナー代行のコメントは以下の通り。
ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内で就任会見に臨み、「来年以降、マリーンズを常勝球団にするために全力で頑張っていきたい。マリンスタジアムを最大限に生かした攻撃野球をしたい」と今季最下位に終わったチームの立て直しを誓った。3年契約で、背番号は現役時代と同じ6。会見後はフェニックス・リーグ視察に向けて宮崎入り。21日から始まる秋季練習で本格的に始動する。
日米通算21年間の現役を引退してすぐに監督に就任。米大リーグでプレー経験のある日本人の監督就任は12球団初となる。井口監督は「まずはチーム内の競争を激しくしていかなければいけない」とレギュラー争いの必要性を口にし、キーマンを問われると「全員です」ときっぱり。目指す野球について「足を使った、機動力野球」とし、来春のキャンプでは「練習スタイルを変えていきたい。1、2軍の枠を撤廃して競争させる」と構想を語った。
背番号は現役時代と同じ6となるが、「6番を欲しい選手がいれば明け渡す準備はある」と話した指揮官。前日には約100人のドラフト候補の映像をチェックしたが、「欲しい選手も何人もいた」と明かした。
井口監督は国学院久我山から青学大に進み、東都大学リーグ記録の通算24本塁打。4年時の96年にアトランタ五輪に出場して銀メダルを獲得した。同年にドラフト1位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。05年からはホワイトソックスなどメジャーでプレーし、09年にロッテで日本球界に復帰した。日本一に3度輝き、ホワイトソックスではワールドシリーズ制覇を経験。日米通算2254安打を記録している。
ロッテ・井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで就任会見を行い、日本野球とメジャー流をミックスした井口流チーム改革プランを披露した。今季までの21年間の現役生活のうち、MLBを4年間経験。来季で83年目となるプロ野球で初めてメジャー経験を持つ日本人指揮官が誕生した。
3度の日本一と2度のワールドシリーズ制覇を知るV請負人らしい。「(日米)両方のいいところを自分の色として出していけたら」と所信表明。第1弾がキャンプでの1、2軍振り分けの撤廃だ。石垣島で全員が同じ敷地内にいる約3週間がサバイバルになる。2月1日がスタートではない。「競争意識をもっと激しくする。初日から実戦をできる体作りをしてもらいたい」と予告した。
Wソックス時代のギーエン監督が理想。選手との直接対話を意識し、効率を重視する。これまでのキャンプは午前10時から1時間近くもアップに時間をかけていた。「(開始が)1時間は早くなるでしょうね。アップまでの過ごし方は変わる。集合時間に動ける状態で集まって欲しい」。会見後にはフェニックス・リーグ視察のため、すぐに宮崎へ移動した。
ロッテ・井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで就任会見に臨んだ。推定年俸8000万円で、3年契約。背番号は現役時代と同じ「6」と正式に発表された。
引退試合からまだ20日。メジャー経験を持つ初の日本人監督が誕生した。「こんなにすぐにマリーンズのユニホームを着られるということで球団に感謝しております」と感慨深げ。05年から4年間のメジャー生活で2度のワールドシリーズ制覇を経験した。「全てメジャーがいい訳ではない。日本のいいところもありますので、自分の経験を含めて両方のいいところを自分の色として出していけたらいいと思います」と優勝請負人は力強く宣言した。
ロッテ・重光昭夫オーナー代行(62)は14日、井口資仁新監督(42)の就任に対し、球団を通じて次の通りコメントした。
ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉市内のホテルで会見。大リーグでプレー経験のある12球団初の指揮官のチーム強化策は日米融合のハイブリッドトレーニングだ。
「全てメジャーがいい訳じゃない。日本のいいところもある。両方のいいところを自分の色として出していけたら」。
時間の使い方も一新する。「全体の練習量は減るけど、グラウンドでやり尽くして帰って欲しい」。チームで動く時間を短縮し、自主性を重視する。
会見後はみやざきフェニックス・リーグ視察のために移動。21日からの秋季練習で本格始動する。背番号は現役時代と同じ6。「マリーンズを常勝軍団にするため全力で頑張りたい」。パ・リーグ唯一の40代監督がチーム改革を先導する。
プロ野球・ロッテの井口資仁新監督(42)が14日、千葉・ホテルニューオータニ幕張で監督就任会見を行った。井口監督はロッテでの現役時代と同じ背番号6番で指揮を執ることを明らかにした。
山室晋也球団社長と共に現れた井口新監督は「チームをどう変えていくのかということで、ワクワクしている。気の引き締まる思いです」と、チーム再建に意欲。
メジャー経験がある日本人選手が監督に就任するのは初めてで、「全てメジャーがいいという訳ではなく、日本のプロ野球にもいいところがたくさんありますので、自分の経験を含めて両方のいいところを自分の色として出していきたい」と、日米のハイブリッド野球を目指す方針を表明した。
また、現役時代に2度の盗塁王を獲得した韋駄天らしく「足に関しては好不調はないので、もっともっと足を使った野球をしたい」と、機動力野球もアピールした。
チーム強化については「チーム内の競争をもっともっと激しくしていく。キャンプでは1、2軍の枠を撤廃して、一定期間、競争させます。今年のオーダーは日替わりで出る選手が多く、なかなか固定できていない。しっかりレギュラー争いして、レギュラーを勝ち取ってもらいたい」と選手に猛ゲキ。
山室球団社長は「あれだけの実績があるにもかかわらず謙虚で人望がある。勝ち方を知っていると思いますので、メジャー経験を生かして新しい監督像を作っていただきたい」と期待を寄せていた。