わたしはかもめ2017年鴎の便り(12月)

便

12月29日

ロッテ1位安田に長野・上田市長から真田のお守り[ニッカン]

ロッテの黄金ルーキーに心強い援軍が届いた。ドラフト1位の安田尚憲内野手(18=履正社)宛てへの1通の手紙。送り主は、長野県上田市の母袋(もたい)創一市長だった。「安田選手が大の真田幸村ファンであると知り、非常に嬉しく思い、突然ではございますが筆を執らせていただきました」。今月5日の新入団選手発表会。安田は好きな戦国武将に真田幸村を挙げた。そのことを知った、真田氏ゆかりの地である上田の母袋市長から、リストバンド、タオル、手拭いといった真田グッズ、さらに上田城内にある真田神社のお守りをプレゼントされた。

真田氏は「上田合戦」で2度にわたり、徳川勢を撃退。いずれも圧倒的な戦力差をはね返しており、戦国の世に武名を高めた。そんな上田のお守りは、勝負事にはうってつけだ。安田は「真田幸村が『日本一の兵(ひのもといちのつわもの)』と言われたように、自分も日本一の打者と言われる日が来るよう、日々を必死に練習を重ねて頑張ります」と感激の面持ちだった。1月の新人合同自主トレへ向け、鍛錬の毎日。戦国パ・リーグへ、いざ、出陣だ。

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ロッテD1・安田、日本一の打者になる!真田の郷から六文銭グッズ届いた[サンスポ]

「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」になる! ロッテのドラフト1位・安田尚憲内野手(18)=履正社高=に、長野・上田市の母袋(もたい)創一市長(65)から手紙が届いたことが29日、分かった。そこには、あの戦国武将の家紋「六文銭」が示されていたという−。

ロッテファンのみならず、全国の野球ファンも期待するスーパールーキー・安田に手紙が届いたのは、今月下旬だった。

「安田選手が大の真田幸村ファンであると知り、嬉しく思い、突然ではございますが筆をとらせていただきました」。

送り主は、長野・上田市の母袋市長。そして手紙には、戦国武将・真田幸村の家紋「六文銭」が示されていた。

安田は、高校の社会科教諭で陸上部監督でもある父・功さんの影響で歴史好きに。中でも「大坂夏の陣で死を覚悟しながら自分の仕事をやり遂げた」と真田幸村の生き方に共鳴している。

そんな“歴男”に、幸村ゆかりの地の市長が“勝手連”を名乗り出たのだ。「六文銭は決死の覚悟を象徴しています。プロの世界は大変厳しいものと思いますが、本塁打王を目指して頑張ってください」という激励の言葉とともに、リストバンドなどの真田グッズ、真田神社のお守りが送られてきた。

「幸村が『日本一の兵』といわれたように、自分も日本一の打者といわれる日が来るように頑張ります」と安田。大きな“後ろ盾”を得て、プロへの一歩を踏み出す。

真田幸村とは
本名は信繁。武田氏に仕える信濃国(長野県)上田城主真田昌幸の次男として生まれた戦国武将。1600年関ヶ原の戦いで石田三成らが率いる西軍につき、敗退。九度山に幽閉された。1614年大坂の陣、翌年夏の陣で豊臣家につき、戦死。徳川家康が敵将ながらその戦いぶりに感服し、江戸幕府内で信繁を称えることを許したと伝えられており、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評される。昨年はNHK大河ドラマで「真田丸」が放映された。
安田尚憲(やすだ・ひさのり)
内野手。1999(平成11)年4月15日生まれ、18歳。大阪・吹田市出身。豊津第一小1年から豊津東少年野球団で野球を始め、小学6年時に阪神ジュニアチーム入り。豊津中では阪神OB・赤星憲広氏が主宰するレッドスターベースボールクラブに所属。履正社高では1年夏からベンチ入り。2年夏と3年春に甲子園出場。3年春は決勝で大阪桐蔭高に敗れ準優勝。9月にはU−18W杯日本代表に選出された。1メートル88、95キロ。右投げ左打ち。

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ロッテ、ドラ1安田「幸村魂」で目指す日本一の打者、ゆかりの地から激励も[スポニチ]

ロッテのドラフト1位・安田尚憲内野手(18=履正社)が、「真田幸村魂」で日本一の打者を目指す。好きな戦国武将である真田幸村ゆかりの長野県上田市からエールが届き、母袋(もたい)創一市長(65)から激励の手紙や真田神社のお守りなどを受け取った。戦国の荒波にもまれながら強い信念を持ち続けた武将。18歳のスラッガーは自らを重ね合わせ、「初陣」する。

驚き、そして背筋が伸びた。安田は真田家の拠点だった上田城の本丸跡にある真田神社のお守りを手にし、プロの世界での誓いを新たにした。

「まさかこのようなメッセージを頂けるとは思ってもいませんでした。真田幸村が“日本一の兵(ひのもといちのつわもの)”と言われたように、自分も“日本一の打者”と言われる日が来るように、日々必死に練習を重ねて頑張ります」。

初めてロッテのユニホームに袖を通した5日の新入団発表。安田は野球以外に得意なことを聞かれると「日本史」と答え、好きな武将に真田幸村を挙げた。その報道を目にした長野県上田市の母袋市長から、球団を通じて手紙やタオルなどの真田グッズとお守りを贈られた。幸村ら真田家が、わずかな戦力で徳川家の大軍を2度退けた上田合戦で知られ、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」の舞台にもなった「本場」からの激励だった。

手紙に記されていたのは「真田家の家紋である六文銭は決死の覚悟を象徴しています。プロの世界は大変厳しいものと思いますが、これまで積み上げてこられたものを信じ、揺るぎない幸村魂で本塁打王を目指して頑張ってください」などの熱い言葉だった。三途(さんず)の川の渡し賃といわれた六文銭を旗印に、険しい戦いを重ねた幸村。思いを受け取った18歳は「プロに入ってからも、色々な人に応援してもらっているのだということを胸に刻みながら過ごさないといけない」と決意を込めた。

高校通算65本塁打の看板を引っ提げ、プロの世界に飛び込むスラッガー。球団では1986年の落合博満を最後に遠ざかっている本塁打王に向けて、心強い「援軍」となった。

真田幸村
戦国時代の武将で本名は真田信繁。上田城を築いた真田昌幸の次男で、豊臣秀吉に出仕した。関ケ原後は九度山に幽閉されたが、脱出して大坂冬の陣に豊臣方として参戦。「真田丸」と呼ばれるとりでを造り、徳川方を相手に果敢に戦った。大坂夏の陣で再び徳川家康を追い詰めたが、討ち死に。幸村の精鋭部隊は赤色の鎧、かぶとを着用し「赤備え」と称された。

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安田に幸村が“援軍”真田家ゆかり長野・上田市長から手紙&グッズ届く[報知]

ロッテのドラフト1位、安田尚憲内野手(18)=履正社高=が、真田家ゆかりの地として知られる長野・上田市からエールを送られたことが29日、分かった。日本史が得意な安田は、5日の新入団発表で好きな武将を真田幸村と即答。「信念をしっかり持ってやり遂げる」とプロの世界に飛び込む自身を重ねる姿に、昨年の大河ドラマ「真田丸」にも登場した上田市が動いた。

きっかけは6日付の本紙だった。関係者によると、「安田 幸村魂で本塁打王」と報じた記事を見た同市の母袋(もたい)創一市長(65)から球団にこのほど手紙が届いた。「真田家の家紋である六文銭は決死の覚悟を象徴しています。プロの世界は大変厳しいものと思いますが、ご自身がこれまで積み上げてこられたものを信じ、その揺るぎない幸村魂で本塁打王を目指して頑張ってください!」などと記され、上田城内にある真田神社のお守りなども贈られた。

予想もしなかった激励に、安田は驚きを隠せない。「真田幸村が日本(ひのもと)一の兵(つわもの)と言われたように、自分も日本一の打者と言われる日が来るように日々必死に練習を重ねて頑張ります」と感激しきり。真田氏との新たな絆が生まれ、思いも新たにした。

安田尚憲(やすだ・ひさのり)
1999年4月15日、大阪・吹田市生まれ。18歳。豊津第一小1年から「豊津東少年野球団」で野球を始め、豊津中時代は元阪神の赤星憲広氏がオーナーを務める「レッドスターベースボールクラブ」に所属。履正社高で2016年夏、17年春の甲子園に出場。高校通算65本塁打。今年のドラフトでロッテから1位指名を受け、契約金1億円、年俸1240万円で入団。188センチ、95キロ。右投左打。背番号5。

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ロッテ・ドラ1安田に頼もし“援軍”、真田幸村グッズ届いた[デイリー]

ロッテのドラフト1位・安田尚憲内野手(18)=履正社=に頼もしい“援軍”だ。好きな戦国武将は真田幸村という歴史好きだが、その真田家ゆかりの長野県上田市の母袋(もたい)創一市長(65)から29日までに激励の手紙と真田グッズが届いた。

同市長からの手紙は「大の真田幸村ファンであると知り、非常に嬉しく思い」の書き出しで、「真田家の家紋である六文銭は決死の覚悟を象徴しています。(中略)その揺るぎない幸村魂で本塁打王を目指して頑張ってください!」などと熱くつづられていた。

真田グッズのタオル、手拭い、お守りなどが同封されており、安田は「真田幸村が『日本一の兵』と言われたように、自分も『日本一の打者』と言われる日が来るように、必死に練習を重ねて頑張ります」と思わぬ“援軍”に大喜びだった。

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