わたしはかもめ2019年鴎の便り(7月)

便

7月22日

ロッテ新外国人マーティン、26日から1軍合流も[ニッカン]

ロッテ井口資仁監督(44)が新外国人マーティンに期待を込めた。

ZOZOマリンで1軍打撃投手を相手に調整中の映像をチェックし「軽快にベースランニングもしてますし、いい感じに振っています。合流できそうならしようと思う」と26日楽天戦から1軍合流する可能性を示した。

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セ、パ両リーグが来季日程発表、東京五輪で変則開催[サンスポ]

セ、パ両リーグは22日、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年のセ・リーグ公式戦と交流戦の日程を発表した。五輪期間中に公式戦を中断するため、例年より1週間早い3月20日にセ、パ同時開幕し、逆にクライマックスシリーズ(CS)は10月24日から、日本シリーズは11月7日からと開催を遅らせる。

また、横浜スタジアムと神宮球場は五輪開催に伴い使用できない期間があるため、DeNAとヤクルトが一部の主催試合を巨人の本拠地の東京ドームなど他球団の本拠地球場や地方球場で行う。

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ロッテ、沖縄・糸満市でキャンプか、今季中に現地視察[スポニチ]

ロッテが2月のキャンプ地候補に沖縄県糸満市西崎球場を調査していることが22日、分かった。今季中に現地視察を行う予定だ。07年から沖縄・石垣市でキャンプを行うが、井口監督は実戦を重視し、今年は2月11日に1軍キャンプは終了。その後、沖縄本島で練習試合を組んだが、試合以外での練習場所の確保が難しく、拠点となる2次キャンプの場所を探していた。

山室晋也社長は「室内練習場は必要」と話しており、所有する糸満市側と建設の意思や使用している大学チームとの住み分けを話し合うことになりそうだ。

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NPB、来年の交流戦の日程発表、5月26日に開幕[スポニチ]

日本野球機構(NPB)は22日、来年の交流戦の日程を発表した。

5月26日に巨人−楽天、ヤクルト−日本ハム、DeNA−オリックス、中日−ソフトバンク、阪神−ロッテ、広島−西武の6試合で開幕する。

期間は6月14日までで、ホーム9試合、ビジター9試合の各チーム18試合。計108試合が行われる。

DeNAは横浜スタジアムが使用不可となる直前の6月7日まで、本拠地で試合の予定が入っている。

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新キャンプ地候補に糸満市、石垣島終了後に2次「使いたい」[報知]

ロッテが新たな春季キャンプ候補地の1つとして沖縄・糸満市を調査していることが22日、分かった。石垣島キャンプ終了後の2次キャンプ地として注目しており、昨年から球団関係者が同市にある西崎球場や周辺施設を訪れ、「キャンプ地として使いたい」と市側に要望を出したという。現時点では具体的な進展はないものの、今年中に球団幹部が訪問する予定で一気に交渉が進む可能性もある。

今年2月の石垣島キャンプでは若手に実戦経験を積ませるために初日に紅白戦を実施。同12日に沖縄本島に移動してから他球団と練習試合を重ねてきたが、ネックになったのが練習場の確保だった。“本拠地”を持たないため、試合が雨天中止となった際には相手球団の了承を得た上で限られた時間と場所での練習を強いられていた。

1989〜92年までオリックスがキャンプを行っていた糸満は、野球場、陸上競技場、体育館、プール、宿泊施設などを完備し環境面は抜群だ。ただ、室内練習場がないため雨天時の対策が課題だが、同市関係者は「室内練習場建設計画の基本構想は今年度内にできる予定です」と説明。数十億円規模の室内練習場の設計案があるといい、建設が実行されれば、21年以降の糸満キャンプ実現を目指すことになりそうだ。

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2020セ・リーグ日程は「東京五輪仕様」、巨人協力でヤクルト&DeNAが東京ドーム主催試合、DeNAはZOZO開催も[報知]

セ・リーグは22日、東京五輪が開催される2020年の公式戦日程を発表した。五輪期間中の公式戦中断(7月21日〜8月13日)に加え、ヤクルトの本拠地・神宮球場、DeNAの本拠地・横浜スタジアムが使用できない期間があることから、極めて特殊なシーズン日程となった。

20年の公式戦は例年より1週間早い3月20日にセ・パ同時開幕する。神宮球場は7月6日〜9月13日、横浜スタジアムは6月9日〜8月23日の期間、使用できない。そのため、ヤクルトは7月上旬から9月上旬に東京ドーム主催試合を4カード11試合、DeNAは6月下旬から7月上旬にかけて東京ドーム主催試合を2カード6試合行う。両チームの東京ドーム主催は初めてとなる。

神宮球場はメインスタジアムの新国立競技場に隣接しており、五輪開催に伴い関係者や来賓の待機場所、資材置き場として使用される予定。横浜スタジアムは野球・ソフトボールのメイン球場として使用される。東京五輪という大イベント開催のため、東京ドームを本拠地とする巨人が全面協力し、異例の日程が完成した。

また、DeNAは7月にロッテの本拠地・ZOZOマリンスタジアムでの主催試合も行う。その他、ヤクルト、DeNAは本拠地が使用できない間、地方での主催試合を組み込むなどして対応した。

主な“五輪仕様”のカードは以下。

[ヤクルト]
中日戦(7月7〜9日・東京D)
阪神戦(7月14〜16日・東京D)
阪神戦(8月22〜23日・東京D)
巨人戦(8月25〜26日・松山)
中日戦(9月4〜6日・東京D)
[DeNA]
阪神戦(6月26〜28日・東京D)
中日戦(6月30〜7月2日・東京D)
巨人戦(7月17〜18日・ZOZO)
ヤクルト戦(8月14〜16日・新潟)

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五輪でプロ野球変則スケジュール セ・リーグ来季日程発表[デイリー]

セ、パ両リーグは22日、来季のセ・リーグ公式戦と交流戦の日程を発表した。東京五輪・パラリンピックが開催されるために横浜スタジアムと神宮球場が使用できない期間があるため、DeNAとヤクルトが一部の主催試合を東京ドームなどで開催する変則日程となった。同一リーグの他球団の本拠地で主催試合を行うのは異例。パの来季日程は29日に発表される。

DeNAは6月26日からの阪神3連戦など6試合を巨人の本拠地の東京ドーム、7月17日からの巨人2連戦をロッテの本拠地ZOZOマリンスタジアムで主催する。ヤクルトも7月7日からの中日3連戦など東京ドームでホームゲームとして行う。

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[千葉魂]原、母への想いを胸に。故障乗り越え、命日に登板[千葉日報]

7月3日。ロッテ浦和球場ではマリーンズの2軍とジャイアンツの3軍による練習試合が行われていた。曇り空の下、行われたこの試合で特別な想いを胸にマウンドに上がった投手がいた。プロ4年目の原嵩投手だ。昨年は右肩鏡視下手術、および右肘神経移行術でリハビリを余儀なくされ登板はゼロ。今年は2軍で順調に登板を重ねていた。この時点で中継ぎとして9試合に登板。6月9日のイースタン・ジャイアンツ戦では白星も記録していた。そんなどん底から地道な努力を重ねて、はい上がってきた若者にとって、7月3日はとても大事な日だった。

「母の命日なんです。1年目の時にも7月3日にビジターのイーグルスとの2軍戦で先発予定だったのですが、その時は雨で中止となった。そういう意味ではプロに入って初めて母の命日に投げることができた。とても感慨深いものがありましたし、何か緊張してしまいました」。

原は遠い空を見上げながら、特別な想いでマウンドに上がった理由を話してくれた。高校2年夏の大会前に原はガンで母を失った。小さい時から野球にのめり込んでいた原のよき理解者であり、いつもそばで見てくれるかけがえのない存在だった。ショックのあまり、なかなか立ち直れず、食事も喉を通らない日々が続いた。前を向くキッカケとなったのは母の想いだった。

「母は家族の誰よりも野球が好きで、自分が甲子園に出ること、プロに入ることを願ってくれていた。ボクの当時の夢も甲子園で投げている姿を見せることと、プロに入って母を自分が投げる1軍の試合に招待することだった。だから、そこから甲子園とプロを目指して必死に頑張りました」。

高校3年夏。専大松戸高校のエースとしてチームを引っ張った原は習志野高校との決勝戦でランニング満塁本塁打を放つなどの活躍で甲子園出場を決めた。オフにはマリーンズが5位で指名し入団した。夢は1つ、また1つとかない、次はプロの1軍での活躍となった。1年目は2軍で8試合、2年目は13試合に登板と順調に成長線を描いていた矢先に手術を余儀なくされた。私生活にも支障をきたすほどの故障。1年以上のリハビリ。周囲から「もう投手として復帰できないのではないか」、「肩が元には戻る事はないのではないか」という声も耳に入ってきた。野手転向を薦める人もいた。だが迷いはなかった。

「投げている姿が大好きだった母のために何としても投手としてマウンドに戻ると決めていました。家族からも自分が投げている姿を見たいと言われていた。だから色々な言葉は耳には入ってきましたが、迷いは一切なかった。投手としてやってやるという強い気持ちでリハビリに取り組みました」。

原は復帰した。7月3日。母の命日に2番手として4回からマウンドに上がった。ファンもまばらな2軍球場での3軍チーム相手の一戦。それでも特別だった。どこからか母が見てくれているような不思議な感覚がした。だからマウンドから堂々と元気に投げている姿を見せようと意気込んだ。3回を無失点。MAXは146キロを記録した。手術前のMAXが147キロ。順調に来ていることを証明してみせた。

「早く1軍に上がって、家族を試合に招待をしたいと思っています。母はいつもボクが大舞台、プロの1軍で投げている姿を見たいと言ってくれていた。その姿を1日も早く見せたいと思っています。そして大きな手術をしても肩がここまで治ることをケガで苦しんでいる人達のために証明したいです。リハビリに付き合ってくれたスタッフの皆さんや励ましてくれた人にも恩返しがしたいです。今はおかげで肩に全く不安がなくなったことでこれまで以上に腕を強く振れるようになりました」。

7月9日のイースタン・リーグのファイターズ戦(浦和)では今年初めて先発で登板。負けはしたものの5回を投げて被安打3、2失点に抑えた。若い投手が続々と1軍登板を重ねるマリーンズにあって原が投げる日も遠くはない。

原は決めている。1軍のマウンドに上がったら、落ち着くために大きく深呼吸をして空を見上げる。野球が大好きで息子が1軍で投げる姿を誰よりも楽しみにしていた母が見守ってくれていると信じ、第1球目を投じるつもりだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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