わたしはかもめ2019年鴎の便り(8月)

便

8月19日

井口監督「切り替えて頑張る」20日から楽天3連戦[ニッカン]

ロッテは石川歩、小島和哉、土肥星也のローテで20日からの楽天3連戦に挑む。

18日までの20日間で19戦の過密日程を消化。9勝9敗1分けの5割で乗り切った。直近3試合は最下位オリックスに3連敗を喫し、1ゲーム差まで迫られたが、3位楽天とも2ゲーム差。今季10勝6敗2分けと相性のいい相手だけに3連勝でAクラス入りを狙う。

井口資仁監督は「あり得ないような日程の中で選手は頑張ってくれた。また切り替えて頑張りたい」と力を込めた。

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ロッテ2軍準本拠に浦安市検討、TDSのアトラクション&花火見える全面人工芝野球場[スポニチ]

ロッテが来季、浦安市運動公園野球場を2軍の「準フランチャイズ」に検討していることが19日、分かった。全面人工芝で東京ディズニーシーに「タワー・オブ・テラー」を望み、夢の国の花火も見える同球場は17年に完成した。プロ野球開催に支障があった防護ネットは、来年3月までに高さ25メートルから45メートルになる予定だ。

メインのロッテ浦和球場は埼玉にあり、千葉県内の2軍戦を推進する球団は、ナイター完備の同球場で特に夏の試合を増やしたい考えだ。浦安市は「実施も含めて検討中」と話している。

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マーティン残留へ…7月末に加入、22戦で2割8分4厘&7発[報知]

ロッテがレオネス・マーティン外野手(31)と来季も契約する方針であることが19日、分かった。6月までインディアンスでプレーし、7月末に加入したバリバリの元メジャーリーガーはここまで主に「2番・右翼」で22試合に出場。打率2割8分4厘、7本塁打、16打点、3盗塁と打線に欠かせない存在となっている。年俸30万ドル(約3195万円)の単年契約だが、球団は来季も必要戦力として判断。今月中にも残留に向けた交渉に臨む予定だ。

マーティン本人も「ロッテ・ファンの応援が大好きで、ライトスタンドからの声援が僕のモチベーションの1つになっている。どうなるかはまだ分からないけど、来年も日本に戻ってきたいと思うくらい気に入っているよ」と熱烈なファンの後押しもあり、残留に前向きな姿勢を示している。

球団はレアードの残留交渉も継続中。両助っ人が来季もロッテのユニホームに袖を通すことになれば、大きな“補強”となる。

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[千葉魂]三家、野球ができる幸せ実感、プロ入りから8年で初HR[千葉日報]

プロ初本塁打はカープ入りから8年。独立リーグを経てマリーンズで達成された。三家和真外野手が7月21日のファイターズ戦(札幌ドーム)でプロ1号本塁打を放った。スタメン予定だった角中勝也外野手が右腕の痛みを訴えて急遽巡ってきたチャンス。それでも貪欲に機会を待っていた男は1打席目で結果を出した。フルスイングした打球は左翼席に吸い込まれていく。連敗中の重いムードが漂うチームを救ったのは苦労人だった。

「いい意味でカープを見返したいという想いは常にあります。こうやってNPBに戻ってこられて、何とかいい形でカープ時代にお世話になった皆さまに頑張っている姿を見せて恩返しがしたいし、『あいつやるなあ』と思ってもらえるように見返したい。いつもそう思っています」。

プロ初本塁打を打った際には携帯電話に80件を超える祝福の連絡が届いたという三家は想いを語った。

市和歌山高から2011年育成ドラフトで広島に入団。若者を待っていたのは試練の日々だった。1年目の7月。練習中に右膝の半月板を痛めた。8月をリハビリに充て9月に復帰も、再び同じ場所に違和感を感じた。10月に手術。1年目を棒に振った。2年目は春季キャンプには参加をすることもできず、夏場にようやく復帰。しかし、オフに待っていたのは戦力外の通告だった。

カープでの育成2年間のほとんどはリハビリに明け暮れ、終わってしまった。野球をやめることも考え、悩んだが、高校時代の恩師や家族からは「まだ20歳と若いのだから可能性を探った方がいい」と背中を押された。そして信濃グランセローズで1年。石川ミリオンスターズで2年間、野球を続けながらNPB復帰の機会を狙った。

独立リーグでの日々は衝撃の連続。練習をしたくても専属のグラウンドや室内練習場はなく学生などが使っている場所を借りて限られた時間にしか使えない。経済的にも非常に厳しかった。給料はシーズン中しか出ず、手取りで10万円あるかないか。だから、オフはアルバイトをして過ごした。引っ越し業、ホテルでの配膳、食品工場では白衣を着てベルトコンベヤーでの作業を手伝った。

色々な仕事を朝から夜まで精を出しても生活は苦しかった。試合前の食事も白米を炊いて、ただそれだけを弁当に入れ込んで持参した。厳しい状況も復帰を信じ歯を食いしばり頑張った。そして16年秋、マリーンズの鴨川秋季キャンプでのテストを経て入団をした。

カープでの育成選手としての2年間、そして独立リーグでの3年間。チームメートが味わったことがないような様々な経験を積んできた自負がある。野球にひたむきに取り組み、自分の生きた道を信じてきた自信がある。だから今、野球ができる幸せを誰よりも感じ、日々と向き合えている。

「独立リーグは環境、施設が違う中、必死にやっている人がたくさんいる。その姿は1番目に焼き付いています。気持ちの面で特に勉強になった。いつでも独立リーグでの3年間を忘れずに気を引き締めてやっている」。

ハングリー精神を養った独立リーグ時代。プロの門をたたいたカープでは三家には忘れられない出会いもあった。カープ在籍2年目。高校出のルーキーが入団をしてきた。1つ年上の野手ということで世話役を言い渡され、寮での生活のルールなどの指導を任された。よく練習をする選手だった。夜、寮の隣の室内に明かりがいつまでもともっている。のぞいてみると大抵、その選手が練習をしていた。今、カープの主力として活躍をする鈴木誠也外野手だ。

「神っていると話題になりましたが、彼の活躍は全く驚きではなかった。それほどよく練習をしていた。野球に没頭していた。どこまでも満足をせずにバットを振る姿は、その後の自分の人生の中でもずっと頭に残っていた。彼が活躍をしている姿を見て努力は報われるのだなあと思い、自分も頑張れている」。

室内で必死に打ち込む後輩の姿が脳裏に焼き付いていた。だから独立リーグでの3年間、必死に生きた。環境に弱音を吐かず、努力を続けた結果、チャンスが訪れマリーンズ入団3年目の今年、ついに初ヒットと初ホームランが生まれた。これからも、ひたすらバットを振り、地道な努力を積み重ね、機会をうかがう。努力を積み重ねる大切さと野球ができる幸せを誰よりも知っている男のサクセスストーリーはまだ始まったばかりだ。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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