わたしはかもめ2019年鴎の便り(12月)

便

12月11日

契約更改

名前年俸(万円)前年比
3000▼2400
種市3000△2320

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ロッテ種市2320万円増「想像より上」背番16に[ニッカン]

ロッテ種市篤暉投手(21)が11日、千葉市内の球団事務所で契約を更改し、今季の680万円から2320万円増の3000万円(金額は推定)でサイン。背番号も63から新たに「16」に変わることを明かした。

3年目は飛躍の年となった。開幕直後は中継ぎスタートで、今季初先発となった4月29日の楽天戦でプロ初勝利。9月までローテーションで回り、チームトップタイの8勝(2敗)で投手陣を支えた。「すごく評価していただいた。想像より(金額が)上だった。ローテの柱になってくれと言われた」と、思わず笑みがこぼれる会見となった。

球団からの評価は金額だけに終わらなかった。背番号16への変更を打診され、快諾した。「素晴らしい番号。他球団ではエースナンバーでもある。自分もエース級の活躍ができたら」。同じナンバーを背負う西武松坂の存在を「伝説」と言い「高校の時、すごく映像を見ていた。投げ合うことがあれば、勝ちたい」と闘志を燃やした。

またルーキーでは、同じ北東北出身の大船渡・佐々木朗希投手(18)が入団してくる。岩手と隣県の青森出身の右腕は「昨日、寮で会って、よろしくねと言いました。体がでかくて身長がめちゃくちゃ高くて、自分が後輩なんじゃないかと思った」と新人の“大物”ぶりに感嘆。アドバイスしたいことを問われると「新宿駅がすごい。出口がいっぱいあって(迷うから)ずっと上を向いてないといけない。青森で電車に乗ったことなくて、電車が分からなかったので(乗り換え)アプリは取って欲しいなと思います」と素朴な回答で笑いを誘った。

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ロッテ内は減額制限超え44%ダウンの3000万円[ニッカン]

ロッテ内竜也投手(34)が11日、千葉市内の球団事務所で契約を更改し、減額制限を大きく超える44%(2400万円)減の3000万円(金額は推定)で合意した。

昨季はともに自己最多の登板58試合、26セーブで守護神として活躍したが、11月に右肘の関節鏡視下遊離体除去手術を受けた。その影響で今季はリハビリ中心の生活となり、1、2軍ともに実戦登板なしのままシーズンを終了。「振り返ることがない。(体は)回復傾向です。はじめから戦力にならないと意味がないと思っているので、来年の開幕に間に合わせたい。(ポジションは)どこでもいい」。

チームは若返りを図っており、2010年の日本一を知る選手も少なくなった。「(若手に)味わわせたいというより、自分がもう1回味わいたい」と優勝争いへ意欲を見せた。

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ロッテが楽天とFA人的補償のプロテクト名簿を交換[ニッカン]

ロッテ松本尚樹球団本部長(49)は11日、楽天とFAの人的補償に関するプロテクト名簿を交換したと明かした。

鈴木が楽天に移籍し、同じくFAで楽天から美馬が入団。双方に補償が発生する。人的補償の場合、楽天から獲得できるのはプロテクトされた28人と外国人、今年ドラフト指名された新人、FA宣言した則本昂を除く選手が対象。

松本球団本部長は「これから決めていく。井口監督とも連絡を取らないといけない」と検討を開始する。

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元ロッテ醍醐猛夫氏死去、早実で王氏とバッテリー[ニッカン]

プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。通夜は16日午後6時から、葬儀・告別式は17日午前11時半から、ともに東京都文京区大塚5の40の1、護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。

醍醐さんは早実3年の56年夏、当時1年生の王貞治さんとバッテリーを組み甲子園に出場。57年、毎日(現ロッテ)に捕手として入団。1年目に113試合に出場した。高卒1年目に100試合以上マスクをかぶったのは、50年山下健(阪急)と史上2人しかいない。同年10月3日西鉄戦では、稲尾の連勝を20で止める決勝打。71年7月には2試合にまたがり、王らと並ぶプロ野球記録の4打席連続本塁打。実働18年、打率2割3分4厘、81本塁打、472打点。強打の捕手として4番で4試合出場。74年には兼任コーチとして金田正一監督を支え、投手起用を任され日本一に貢献した。75年引退後はロッテで2軍監督、スカウト部長、1軍ヘッドコーチなどを歴任した。

王貞治氏
「僕が1年生で醍醐さんは3年生でキャプテンでしたよ。高校時代はもちろんだけど、プロに入っても活躍して、4打席連続本塁打も打ったりした。寿命の長い人でしたよね。ちょっとメールをいただいてね、知りました。なかなか分からないところもあるから。あとはね、こればっかりはしょうがないよね。ずいぶん長い間、病気と闘いましたから。よく頑張られたんじゃないですか。」

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ロッテ・種市、“じぇじぇじぇ”年俸4・4倍[サンスポ]

ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンスタジアムで契約更改交渉に臨み、680万円から4.4倍増の3000万円でサインした。3年目の今季は4月にプロ初勝利を挙げ、チームトップに並ぶ8勝とブレーク。「8勝以上の評価をしてもらいました」とはにかんだ。

来季は同じ東北出身のドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=が加入する。青森出身の種市も1年目に首都圏の複雑な電車の乗り換えに四苦八苦しており「困っていればサポートしたい」と先輩として支える考えだ。

背番号「63」から昨季まで涌井がつけた「16」への変更も決定。来季から同じ番号を背負う西武・松坂については「伝説です」としながら「(投げ合えば)勝ちたいです」と闘志を燃やした。

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ロッテ・種市、4倍超3000万円でサイン、背番号「16」も決定[サンスポ]

ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンスタジアムで契約交渉に臨み、今季年俸680万円から441%の大幅アップとなる、年俸3000万円で合意した。

「嬉しかったです。すごく評価していただいて、8勝以上の評価をしてもらいました」。

今季はロングリリーフ要員として開幕1軍入りを果たし結果を残すと、4月29日の楽天戦で先発しチーム平成最後の試合でプロ初勝利を挙げた。その後もローテーションの軸となり、一気にブレーク。開幕投手の石川と並び、チームトップの8勝を挙げた。

「リリーフから入れたのがすごくよかったと思う。1軍で全力で投げて通用するという自信にもつながった」。

来季は背番号が、昨季までエース涌井が背負った「16」に変更となることも決定。「評価していただいているので、その期待に応えられるように今年以上の結果を残したい」と鼻息を荒くした。

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ロッテ・内が減額制限超え44%ダウンで更改、今季全休「振り返ることはない」[サンスポ]

ロッテの内竜也投手(34)が11日、ZOZOマリンスタジアムにて交渉し、減額制限を超える44%ダウンの2400万円減となる年俸3000万円で契約を更改した。

「(年俸は)半分近く下がりました。振り返ることは特にないです」。

昨季は守護神として、58試合に登板し26セーブを挙げたが、昨年11月に受けたプロ入り後8度目の手術となる右肘のクリーニング手術のリハビリと、下半身の故障も重なり、今季は1、2軍ともに登板なしに終わった。

「回復傾向にはありますが、初めてなったケガなのでそれが今後どうなっていくか分からない」。

17年目となる来季に復活を誓う。「もちろん開幕を目指して。始めから戦力にならないと意味がない」。今季は益田に明け渡した守護神の座にもこだわらず「どこでもいい」と内。10年ぶりとなる日本一を目指し「自分がもう1回(優勝を)味わいたいという気持ちが強い」と意気込んだ。

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ロッテ、プロテクト名簿を楽天と交換、松本球団本部長「井口監督と連絡取る」[サンスポ]

ロッテ・松本尚樹球団本部長(49)は11日、フリーエージェント(FA)の補償を巡り、楽天との間でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したと明かした。鈴木大地内野手(30)がロッテから楽天へ、美馬学投手(33)が楽天からロッテにFAで移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。

両球団は人的補償か金銭のみかを選べる。松本球団本部長は「井口監督とも連絡を取り、これから決めていく」と説明した。

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ロッテと楽天が名簿交換、鈴木と美馬のFA補償[サンスポ]

ロッテの松本尚樹球団本部長は11日、フリーエージェント(FA)の補償を巡り、楽天との間でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したと明らかにした。鈴木大地内野手がロッテから楽天へ、美馬学投手が楽天からロッテにFAで移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。

両球団は人的補償か金銭のみとするかどうかを選ぶことができる。松本球団本部長は「井口監督とも連絡を取らないといけない。色々話をして」と慎重な口ぶり。楽天の石井一久ゼネラルマネジャー(GM)は「相手があることなので、ご迷惑が掛からないように早く決めたい」と話した。

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元ロッテ捕手・醍醐氏、急性骨髄性白血病で死去…71年に4打席連発[サンスポ]

ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。81歳。葬儀・告別式は17日午前11時半から東京都文京区大塚5の40の1、護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。

東京都出身の醍醐さんは、東京・早実高で2年後輩の王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)とバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。57年に毎日(現ロッテ)に捕手として入団し、1年目に113試合に出場するなど活躍。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝の適時打を放ち、当時のプロ野球記録だった20連勝中の稲尾和久の記録を止めた。

71年7月に2試合にまたがって史上4人目の4打席連続本塁打をマークし、75年限りで現役を引退した。引退後は2001年にロッテで2軍監督やヘッドコーチを務めるなど指導者としても活躍。1999、2000年には米大リーグ、パドレスの極東担当スカウトも務めた。

醍醐猛夫(だいご・たけお)
1938(昭和13)年11月15日生まれ。東京都出身。早実高では3年夏に甲子園出場。57年に毎日(現ロッテ)入団。71年には4打席連続本塁打を放ち、プロ野球タイ記録を樹立した。74年からは兼任コーチとして日本一に貢献。75年に現役を引退し、ロッテで2軍監督やコーチを務め、解説者としても活躍した。通算成績は1775試合に出場し、打率.234、81本塁打、472打点。右投げ右打ち。

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元ロッテ名捕手、醍醐猛夫さんが白血病のため死去、81歳[サンスポ]

プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は17日午前11時半から東京都文京区の護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。

東京・早稲田実業高で王貞治さんとバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。57年に毎日(現ロッテ)に捕手として入団。1年目に113試合に出場するなど活躍した。71年7月に2試合にまたがって4打席連続本塁打をマークし、75年限りで現役を引退した。実働18年間で1775試合に出場して、打率2割3分4厘、81本塁打、472打点。引退後は2001年にロッテでヘッドコーチを務めるなど指導者としても活躍した。

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韓国紙、ロッテD1・佐々木は「大谷翔平以来の剛速球投手」[サンスポ]

韓国紙の中央日報(電子版)は11日、ロッテのドラフト1位右腕・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=について米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手(25)以来の剛速球投手と評した。

「身長190センチ、体重86キロの佐々木は4月、高校日本代表候補合宿で163キロの速球を投げた」と紹介。「球団は佐々木に背番号『17』が入ったユニホームを渡した。17番は大谷がLAエンゼルスで付けている番号だ」と高い関心を示した。

「韓国では大谷や佐々木のように160キロ台の速球を投げた選手はいない」とした上で、「大谷はMLBで1シーズン後にひじの手術を受けた。今年は投手ではなく指名打者で出場した。二刀流の副作用という分析だが、剛速球も原因の1つに挙げられた。大谷はMLBでも160キロ以上の速球を投げていた」と注目していた。

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ロッテ種市先輩が朗希の世話係、同じ東北人「コミュニケーションをとりたい」[スポニチ]

ロッテの高卒3年目・種市がZOZOマリンで契約交渉に臨み、680万円から341%増の年俸3000万円で更改。来季から背番号が「16」になることも発表された。

「(今季の)8勝以上の評価をしていただきました。来季はローテーションの柱になるように頑張りたい」。

開幕は中継ぎだったが、4月下旬から先発に転向すると、チームトップタイの8勝。松本尚樹球団本部長は「来季は倍くらい勝って欲しい」と16番を提示した理由を明かした。

10日にはさいたま市内の選手寮で見学中のドラフト1位・佐々木朗(大船渡)と遭遇。「(同じ)東北なんでよろしくね」と挨拶した青森出身の21歳右腕は「1年目は知らないことばかり。コミュニケーションをとりたい」と「令和の怪物」の「世話係」を買って出た。

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ロッテ、種市、341%増、3000万円で更改、チームトップ8勝、背番号63→16に[スポニチ]

今季チームトップタイの8勝を挙げたロッテ・種市篤暉投手(21)は11日、ZOZOマリンで交渉し、今季の680万円から341%増の年俸3000万円で契約を更改。来季から背番号が「16」になることも同時に公表された。

「8勝以上の評価をしていただきました。今年以上の結果を出したいと思い、はんこを押しました。ローテーションの柱になれるように頑張りたい」。

背番号は「63」から昨季まで涌井の背負った「16」に変更が打診され「素晴らしい番号。責任を背負って投げたい」と快諾。また、西武・松坂も背負う数字となり「(松坂は)伝説ですね。初登板の時の映像はすごかった。(投げ合って)勝ちたいです」と憧れた怪物との投げ合いへ、心躍らせていた。

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ロッテ、内、制限超える44%ダウン、3000万円で更改、今季1軍登板なし[スポニチ]

ロッテ・内竜也投手(34)は11日、ZOZOマリンで交渉し、減額制限を大きく超える44%(2400万円)減の年俸3000万円で契約を更改した。

18年は守護神を務めたが、同年11月に行った右肘手術もあり、今季は全休。復帰過程で別の箇所も痛めるなど、リハビリ中心の日々だった。

実戦復帰のメドは立っておらず「回復傾向にはありますが、まだ、分からない。初めてなった箇所なので想像がつかない」と慎重に言葉を選んだ。

それでもプロ17年目となる来季へ「もう1度(優勝を)味わいたいという気持ちは強い」と前を向いた。(金額は推定)

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楽天、ロッテと「プロテクト外」名簿交換、石井GM「投手選ばれたら投手、野手なら野手」[スポニチ]

楽天の石井一久GMとロッテの松本尚樹球団本部長がFAの補償を巡り、両球団でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したことを明らかにした。

鈴木がロッテから楽天、美馬が楽天からロッテにFA移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。石井GMは「投手を選ばれたら、こちらも投手、野手なら野手になるかな」と方針を示し、松本本部長は「井口監督と連絡を取る」と話した。

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元ロッテ醍醐猛夫氏が死去、81歳、早実で王氏とバッテリー[スポニチ]

元ロッテの醍醐猛夫氏が11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために都内の病院で死去。81歳だった。

早実では2学年下のソフトバンク・王貞治会長(79)とバッテリーを組み、56年夏の甲子園に出場。57年に毎日(現ロッテ)に入団すると、71年7月には2試合にまたがるプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打を放った。

実働18年間で1775試合、通算1132安打を放つなど打率.234、81本塁打、472打点。球宴は4度、出場した。今年10月6日に死去した金田正一氏(享年86)のもとで74年に1軍バッテリーコーチ兼任となり、24年ぶりの日本一に貢献。75年に引退後もコーチ、スカウト部長などを歴任した。

米ハワイでの名球会総会に出席した王会長は「僕が1年生で醍醐さんが3年生でキャプテン。高校時代はもちろん、プロに入っても活躍し、4打席連続本塁打も打った。(野球選手の)寿命の長い方でした。ずいぶん長い間病気と闘いましたから。よく頑張られた」と故人をしのんだ。

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元ロッテ・醍醐猛夫さん死去、81歳、71年に4打席連続本塁打を記録[スポニチ]

ロッテで名捕手として活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため、東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。

早実3年時には1年生だった王貞治投手とバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。卒業後の57年に毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団し、1年目から正捕手として113試合に出場した。71年7月3〜4日には2試合にまたがってプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打を記録。プロ18年で1775試合に出場して1132安打、81本塁打、472打点をマーク、3度のリーグ優勝と74年の日本一に貢献した。

75年の引退後はロッテで2軍監督、1軍ヘッドコーチ、バッテリーコーチなどを歴任した。

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種市、西武・松坂と16番対決「勝ちたい」[報知]

ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、2320万円増の3000万円でサインした。今季は中継ぎで開幕を迎え、4月に先発ローテに定着。チームトップタイの8勝(2敗)をマークし「8勝以上の評価。想像より上でした」と笑みがこぼれた。勝利投手の権利を得た後に味方が逆転される試合もあり“10勝査定”でアップ率は341%となった。

金額とともに驚いたのが昨季まで涌井がつけていた背番号「16」の提示だった。「素晴らしい番号で重みがある。他球団ではエースナンバーのチームもある。自分もエース級の活躍ができたら」と新たな柱としての自覚を口にした。

この日、西武・松坂が誕生し、同じ番号を背負うことが決まった。「伝説(の存在)じゃないですか。高校の時、すごく映像を見てました。投げ合うことがあれば、勝ちたい」と「16番対決」を熱望し、平成の怪物からの白星奪取を思い描いた。

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種市、10勝級の評価341%増の3000万円で更改、来季は背番16「エース級の活躍をしたい」[報知]

ロッテ・種市篤暉(あつき)投手(21)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、680万円から今季球団最高となる341%増の3000万円でサインした。

今季は4月末に先発ローテに定着するとチームトップタイの8勝2敗防御率3.24の好成績を残した。「8勝以上の評価をしてもらいました。想像していたよりも高く評価してくれた」と笑顔を見せた。

球団からは昨季までエース涌井が背負った16番を提示された。「他球団ではエースナンバーになっているチームもある。自分もエース級の活躍をしたい」と決意を示した。

来季の目標は「2ケタ勝利は最低限。活躍できれば」と力を込めた。近未来のエースが来季もさらなる飛躍を目指す。

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内、08年以来の1軍登板なし「振り返ることは何もない」減額制限超え3000万円で更改[報知]

ロッテ・内竜也投手(34)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、今季の5400万円から減額制限(1億円以下は25%)を超える3000万円でサインした。

昨年11月に右ひじ関節鏡視下遊離体除去術を受けた。長いリハビリを経て現在は回復しているが今季は08年以来の1軍登板に終わり「振り返ることは何もないです」と悔しさをにじませた。

若手の台頭や新外国人の補強もあり、プロ17年目となる来季は勝負の1年となる。「開幕から戦力にならないと意味がない。投げるところはどこでもいい。もう1回優勝を味わいたい」と胸の内を明かした。

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醍醐猛夫さんが死去…早実で王貞治会長とバッテリー、ロッテ時代4打席連発[報知]

ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため都内の病院で死去した。81歳だった。

東京都出身の醍醐さんは、早実で王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)の2年先輩で、1956年夏の甲子園でバッテリーを組んだ。57年、毎日(現ロッテ)入りし、1年目から113試合に出場するなど、いきなり正捕手に。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝タイムリーを放って当時のプロ野球記録、20連勝していた稲尾和久の記録をストップさせた。2年目以降は打撃不振もあって控えに回り、60年大洋との日本シリーズは出番がなかった。64年に再び正捕手の座を奪い返し、65年から計4度オールスター戦に選出。70年にチーム10年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献した。71年7月の東映(現日本ハム)戦では当時、史上4人目の4打席連続本塁打をマーク。74年は控えながら日本一の一員となった。名前の画数が多くスコアボードに「ダイゴ」と表記されたことでも知られる選手だった。

現役引退後はロッテの2軍監督やバッテリーコーチ、ヘッドコーチなどを歴任。勉強家で現場から離れた時期には心理学の学校に3年間通った。また、98〜2000年と3年間はパドレスの極東担当スカウトを務めた。

葬儀・告別式は17日午前11時30分から東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は長男・象器(しょうき)さん。

醍醐猛夫(だいご・たけお)
1938年11月15日、東京・北区生まれ。早実から57年に毎日(現ロッテ)入団。75年に引退後はロッテで1軍ヘッド、2軍監督、スカウト部長などを歴任。98年から3年間はパドレスの極東担当スカウトも務めた。
ソフトバンク王貞治球団会長
「僕が1年生の時、醍醐さんは3年で主将でした。高校時代はもちろんだけど、プロに入ってからも活躍して4打席連続本塁打も打ったりした。(訃報は)ちょっとメールをいただいて知りました。ずいぶん長い間、病気と闘いましたから。よく頑張られたんじゃないですか。」

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元ロッテの名捕手、醍醐猛夫さん死去、現役時代に4打席連続本塁打を記録[報知]

ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために都内の病院で死去した。81歳だった。

東京都出身の醍醐さんは、早実で王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)の2年先輩で、1956年夏の甲子園でバッテリーを組んだ。57年、毎日(現ロッテ)入りし、1年目から113試合に出場するなどいきなり正捕手に。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝タイムリーを放って当時のプロ野球記録の20連勝していた稲尾和久の記録をストップさせた。

2年目以降は打撃不振もあって控えに回り、60年大洋との日本シリーズは出番がなかった。64年に再び正捕手の座を奪い返し、65年から計4度オールスター戦に選出。70年にチーム10年ぶりのパ・リーグ優勝、71年7月の東映(現日本ハム)戦では当時、史上4人目の4打席連続本塁打をマーク。現役最終年の74年は、控えながら日本一の一員となった。

通算1775試合に出場し1132安打、81本塁打、472打点。打率は2割3分4厘だった。

現役引退後はロッテの2軍監督やバッテリーコーチ、ヘッドコーチなどを歴任。 勉強家で現場から離れた時期には心理学の学校に3年間通った。また、1999、2000年と2年間はパドレスの極東担当スカウトを務めた。

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ロッテ・種市、高評価にじぇじぇじぇ〜!背番号「63」から「16」で2ケタ星だ[デイリー]

ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、契約更改交渉に臨み、2320万増の3000万円でサイン。プロ3年目の今季はプロ初勝利を含むチームトップの8勝を挙げ、球団は大幅増の提示で応えた。(金額は推定)

「すごい評価でした。8勝以上の評価でした」。大幅増に自然と右腕の目尻は下がる。

さらに金額だけでなく、背番号を「63」から「16」へ変更することも決定。「来年は責任を背負って投げたいと思います。最低の目標は2ケタ勝利です」と鼻息は荒い。

青森・八戸市出身で、同じ東北の岩手県・大船渡から佐々木朗が入団した。10日、新人達の浦和寮見学の際に顔を合わせ「体がでかかった。逆に自分が後輩なのではと…」と笑った。ドラ1ルーキーの相談事はいつでもOKだ。

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ロッテ種市、背番号16に「責任を背負って投げたい」年俸も2320万増[デイリー]

ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、契約更改交渉に臨み、2320万増の3000万円で更改した。(金額は推定)

プロ3年目の今季、プロ初勝利を含むチームトップの8勝を挙げた。飛躍の1年となり、球団サイドは大きな評価を与えた。

「すごく評価していただきました。8勝以上の評価でした」。

年俸大幅アップとともに、球団は新背番号を用意していた。「63」から「16」への変更だ。来季、ローテの中心になって欲しい。この願いからだ。

「素晴らしい番号をいただいた。来年は責任を背負って投げたいと思います」。

青森・八戸の出身。同じ東北の岩手県・大船渡から佐々木朗希投手が入団した。

10日、新人達は浦和寮を見学したが、その際に挨拶を交わした。「体がでかかった。逆に自分が後輩なのではと…」とユーモアを交えて語った。

もちろん、困ったことがあればアドバイスを惜しまない。種市が来季、さらにまた大きく羽ばたく。

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ロッテOB、醍醐猛夫氏が死去、81歳、71年に4打席連続本塁打[デイリー]

ロッテは11日、OBの醍醐猛夫氏が白血病のため、同日に死去したことを発表した。81歳だった。

早実時代は2学年下の王貞治(現ソフトバンク球団会長)とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。57年に毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団した。

1年目から正捕手として活躍。71年には2試合にまたがって、プロ野球タイ記録の4打席連続本塁打をマークした。プロ18年で通算1775試合に出場し、打率.234、1132安打、61本塁打、472打点の成績を残した。

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