名前 | 年俸(万円) | 前年比 |
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内 | 3000 | ▼2400 |
種市 | 3000 | △2320 |
ロッテ種市篤暉投手(21)が11日、千葉市内の球団事務所で契約を更改し、今季の680万円から2320万円増の3000万円(金額は推定)でサイン。背番号も63から新たに「16」に変わることを明かした。
3年目は飛躍の年となった。開幕直後は中継ぎスタートで、今季初先発となった4月29日の楽天戦でプロ初勝利。9月までローテーションで回り、チームトップタイの8勝(2敗)で投手陣を支えた。「すごく評価していただいた。想像より(金額が)上だった。ローテの柱になってくれと言われた」と、思わず笑みがこぼれる会見となった。
球団からの評価は金額だけに終わらなかった。背番号16への変更を打診され、快諾した。「素晴らしい番号。他球団ではエースナンバーでもある。自分もエース級の活躍ができたら」。同じナンバーを背負う西武松坂の存在を「伝説」と言い「高校の時、すごく映像を見ていた。投げ合うことがあれば、勝ちたい」と闘志を燃やした。
またルーキーでは、同じ北東北出身の大船渡・佐々木朗希投手(18)が入団してくる。岩手と隣県の青森出身の右腕は「昨日、寮で会って、よろしくねと言いました。体がでかくて身長がめちゃくちゃ高くて、自分が後輩なんじゃないかと思った」と新人の“大物”ぶりに感嘆。アドバイスしたいことを問われると「新宿駅がすごい。出口がいっぱいあって(迷うから)ずっと上を向いてないといけない。青森で電車に乗ったことなくて、電車が分からなかったので(乗り換え)アプリは取って欲しいなと思います」と素朴な回答で笑いを誘った。
ロッテ内竜也投手(34)が11日、千葉市内の球団事務所で契約を更改し、減額制限を大きく超える44%(2400万円)減の3000万円(金額は推定)で合意した。
昨季はともに自己最多の登板58試合、26セーブで守護神として活躍したが、11月に右肘の関節鏡視下遊離体除去手術を受けた。その影響で今季はリハビリ中心の生活となり、1、2軍ともに実戦登板なしのままシーズンを終了。「振り返ることがない。(体は)回復傾向です。はじめから戦力にならないと意味がないと思っているので、来年の開幕に間に合わせたい。(ポジションは)どこでもいい」。
チームは若返りを図っており、2010年の日本一を知る選手も少なくなった。「(若手に)味わわせたいというより、自分がもう1回味わいたい」と優勝争いへ意欲を見せた。
ロッテ松本尚樹球団本部長(49)は11日、楽天とFAの人的補償に関するプロテクト名簿を交換したと明かした。
鈴木が楽天に移籍し、同じくFAで楽天から美馬が入団。双方に補償が発生する。人的補償の場合、楽天から獲得できるのはプロテクトされた28人と外国人、今年ドラフト指名された新人、FA宣言した則本昂を除く選手が対象。
松本球団本部長は「これから決めていく。井口監督とも連絡を取らないといけない」と検討を開始する。
プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。通夜は16日午後6時から、葬儀・告別式は17日午前11時半から、ともに東京都文京区大塚5の40の1、護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。
醍醐さんは早実3年の56年夏、当時1年生の王貞治さんとバッテリーを組み甲子園に出場。57年、毎日(現ロッテ)に捕手として入団。1年目に113試合に出場した。高卒1年目に100試合以上マスクをかぶったのは、50年山下健(阪急)と史上2人しかいない。同年10月3日西鉄戦では、稲尾の連勝を20で止める決勝打。71年7月には2試合にまたがり、王らと並ぶプロ野球記録の4打席連続本塁打。実働18年、打率2割3分4厘、81本塁打、472打点。強打の捕手として4番で4試合出場。74年には兼任コーチとして金田正一監督を支え、投手起用を任され日本一に貢献した。75年引退後はロッテで2軍監督、スカウト部長、1軍ヘッドコーチなどを歴任した。
ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンスタジアムで契約更改交渉に臨み、680万円から4.4倍増の3000万円でサインした。3年目の今季は4月にプロ初勝利を挙げ、チームトップに並ぶ8勝とブレーク。「8勝以上の評価をしてもらいました」とはにかんだ。
来季は同じ東北出身のドラフト1位・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=が加入する。青森出身の種市も1年目に首都圏の複雑な電車の乗り換えに四苦八苦しており「困っていればサポートしたい」と先輩として支える考えだ。
背番号「63」から昨季まで涌井がつけた「16」への変更も決定。来季から同じ番号を背負う西武・松坂については「伝説です」としながら「(投げ合えば)勝ちたいです」と闘志を燃やした。
ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンスタジアムで契約交渉に臨み、今季年俸680万円から441%の大幅アップとなる、年俸3000万円で合意した。
「嬉しかったです。すごく評価していただいて、8勝以上の評価をしてもらいました」。
今季はロングリリーフ要員として開幕1軍入りを果たし結果を残すと、4月29日の楽天戦で先発しチーム平成最後の試合でプロ初勝利を挙げた。その後もローテーションの軸となり、一気にブレーク。開幕投手の石川と並び、チームトップの8勝を挙げた。
「リリーフから入れたのがすごくよかったと思う。1軍で全力で投げて通用するという自信にもつながった」。
来季は背番号が、昨季までエース涌井が背負った「16」に変更となることも決定。「評価していただいているので、その期待に応えられるように今年以上の結果を残したい」と鼻息を荒くした。
ロッテの内竜也投手(34)が11日、ZOZOマリンスタジアムにて交渉し、減額制限を超える44%ダウンの2400万円減となる年俸3000万円で契約を更改した。
「(年俸は)半分近く下がりました。振り返ることは特にないです」。
昨季は守護神として、58試合に登板し26セーブを挙げたが、昨年11月に受けたプロ入り後8度目の手術となる右肘のクリーニング手術のリハビリと、下半身の故障も重なり、今季は1、2軍ともに登板なしに終わった。
「回復傾向にはありますが、初めてなったケガなのでそれが今後どうなっていくか分からない」。
17年目となる来季に復活を誓う。「もちろん開幕を目指して。始めから戦力にならないと意味がない」。今季は益田に明け渡した守護神の座にもこだわらず「どこでもいい」と内。10年ぶりとなる日本一を目指し「自分がもう1回(優勝を)味わいたいという気持ちが強い」と意気込んだ。
ロッテ・松本尚樹球団本部長(49)は11日、フリーエージェント(FA)の補償を巡り、楽天との間でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したと明かした。鈴木大地内野手(30)がロッテから楽天へ、美馬学投手(33)が楽天からロッテにFAで移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。
両球団は人的補償か金銭のみかを選べる。松本球団本部長は「井口監督とも連絡を取り、これから決めていく」と説明した。
ロッテの松本尚樹球団本部長は11日、フリーエージェント(FA)の補償を巡り、楽天との間でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したと明らかにした。鈴木大地内野手がロッテから楽天へ、美馬学投手が楽天からロッテにFAで移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。
両球団は人的補償か金銭のみとするかどうかを選ぶことができる。松本球団本部長は「井口監督とも連絡を取らないといけない。色々話をして」と慎重な口ぶり。楽天の石井一久ゼネラルマネジャー(GM)は「相手があることなので、ご迷惑が掛からないように早く決めたい」と話した。
ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。81歳。葬儀・告別式は17日午前11時半から東京都文京区大塚5の40の1、護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。
東京都出身の醍醐さんは、東京・早実高で2年後輩の王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)とバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。57年に毎日(現ロッテ)に捕手として入団し、1年目に113試合に出場するなど活躍。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝の適時打を放ち、当時のプロ野球記録だった20連勝中の稲尾和久の記録を止めた。
71年7月に2試合にまたがって史上4人目の4打席連続本塁打をマークし、75年限りで現役を引退した。引退後は2001年にロッテで2軍監督やヘッドコーチを務めるなど指導者としても活躍。1999、2000年には米大リーグ、パドレスの極東担当スカウトも務めた。
プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は17日午前11時半から東京都文京区の護国寺で。喪主は長男象器(しょうき)氏。
東京・早稲田実業高で王貞治さんとバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。57年に毎日(現ロッテ)に捕手として入団。1年目に113試合に出場するなど活躍した。71年7月に2試合にまたがって4打席連続本塁打をマークし、75年限りで現役を引退した。実働18年間で1775試合に出場して、打率2割3分4厘、81本塁打、472打点。引退後は2001年にロッテでヘッドコーチを務めるなど指導者としても活躍した。
韓国紙の中央日報(電子版)は11日、ロッテのドラフト1位右腕・佐々木朗希投手(18)=大船渡高=について米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手(25)以来の剛速球投手と評した。
「身長190センチ、体重86キロの佐々木は4月、高校日本代表候補合宿で163キロの速球を投げた」と紹介。「球団は佐々木に背番号『17』が入ったユニホームを渡した。17番は大谷がLAエンゼルスで付けている番号だ」と高い関心を示した。
「韓国では大谷や佐々木のように160キロ台の速球を投げた選手はいない」とした上で、「大谷はMLBで1シーズン後にひじの手術を受けた。今年は投手ではなく指名打者で出場した。二刀流の副作用という分析だが、剛速球も原因の1つに挙げられた。大谷はMLBでも160キロ以上の速球を投げていた」と注目していた。
ロッテの高卒3年目・種市がZOZOマリンで契約交渉に臨み、680万円から341%増の年俸3000万円で更改。来季から背番号が「16」になることも発表された。
「(今季の)8勝以上の評価をしていただきました。来季はローテーションの柱になるように頑張りたい」。
開幕は中継ぎだったが、4月下旬から先発に転向すると、チームトップタイの8勝。松本尚樹球団本部長は「来季は倍くらい勝って欲しい」と16番を提示した理由を明かした。
10日にはさいたま市内の選手寮で見学中のドラフト1位・佐々木朗(大船渡)と遭遇。「(同じ)東北なんでよろしくね」と挨拶した青森出身の21歳右腕は「1年目は知らないことばかり。コミュニケーションをとりたい」と「令和の怪物」の「世話係」を買って出た。
今季チームトップタイの8勝を挙げたロッテ・種市篤暉投手(21)は11日、ZOZOマリンで交渉し、今季の680万円から341%増の年俸3000万円で契約を更改。来季から背番号が「16」になることも同時に公表された。
「8勝以上の評価をしていただきました。今年以上の結果を出したいと思い、はんこを押しました。ローテーションの柱になれるように頑張りたい」。
背番号は「63」から昨季まで涌井の背負った「16」に変更が打診され「素晴らしい番号。責任を背負って投げたい」と快諾。また、西武・松坂も背負う数字となり「(松坂は)伝説ですね。初登板の時の映像はすごかった。(投げ合って)勝ちたいです」と憧れた怪物との投げ合いへ、心躍らせていた。
ロッテ・内竜也投手(34)は11日、ZOZOマリンで交渉し、減額制限を大きく超える44%(2400万円)減の年俸3000万円で契約を更改した。
18年は守護神を務めたが、同年11月に行った右肘手術もあり、今季は全休。復帰過程で別の箇所も痛めるなど、リハビリ中心の日々だった。
実戦復帰のメドは立っておらず「回復傾向にはありますが、まだ、分からない。初めてなった箇所なので想像がつかない」と慎重に言葉を選んだ。
それでもプロ17年目となる来季へ「もう1度(優勝を)味わいたいという気持ちは強い」と前を向いた。(金額は推定)
楽天の石井一久GMとロッテの松本尚樹球団本部長がFAの補償を巡り、両球団でプロテクトした28選手以外で獲得可能な選手の名簿を交換したことを明らかにした。
鈴木がロッテから楽天、美馬が楽天からロッテにFA移籍し、双方に補償が発生する状況となっている。石井GMは「投手を選ばれたら、こちらも投手、野手なら野手になるかな」と方針を示し、松本本部長は「井口監督と連絡を取る」と話した。
元ロッテの醍醐猛夫氏が11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために都内の病院で死去。81歳だった。
早実では2学年下のソフトバンク・王貞治会長(79)とバッテリーを組み、56年夏の甲子園に出場。57年に毎日(現ロッテ)に入団すると、71年7月には2試合にまたがるプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打を放った。
実働18年間で1775試合、通算1132安打を放つなど打率.234、81本塁打、472打点。球宴は4度、出場した。今年10月6日に死去した金田正一氏(享年86)のもとで74年に1軍バッテリーコーチ兼任となり、24年ぶりの日本一に貢献。75年に引退後もコーチ、スカウト部長などを歴任した。
米ハワイでの名球会総会に出席した王会長は「僕が1年生で醍醐さんが3年生でキャプテン。高校時代はもちろん、プロに入っても活躍し、4打席連続本塁打も打った。(野球選手の)寿命の長い方でした。ずいぶん長い間病気と闘いましたから。よく頑張られた」と故人をしのんだ。
ロッテで名捕手として活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため、東京都内の病院で死去した。81歳。東京都出身。
早実3年時には1年生だった王貞治投手とバッテリーを組み、1956年夏の甲子園大会に出場。卒業後の57年に毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団し、1年目から正捕手として113試合に出場した。71年7月3〜4日には2試合にまたがってプロ野球タイ記録の4打席連続本塁打を記録。プロ18年で1775試合に出場して1132安打、81本塁打、472打点をマーク、3度のリーグ優勝と74年の日本一に貢献した。
75年の引退後はロッテで2軍監督、1軍ヘッドコーチ、バッテリーコーチなどを歴任した。
ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、2320万円増の3000万円でサインした。今季は中継ぎで開幕を迎え、4月に先発ローテに定着。チームトップタイの8勝(2敗)をマークし「8勝以上の評価。想像より上でした」と笑みがこぼれた。勝利投手の権利を得た後に味方が逆転される試合もあり“10勝査定”でアップ率は341%となった。
金額とともに驚いたのが昨季まで涌井がつけていた背番号「16」の提示だった。「素晴らしい番号で重みがある。他球団ではエースナンバーのチームもある。自分もエース級の活躍ができたら」と新たな柱としての自覚を口にした。
この日、西武・松坂が誕生し、同じ番号を背負うことが決まった。「伝説(の存在)じゃないですか。高校の時、すごく映像を見てました。投げ合うことがあれば、勝ちたい」と「16番対決」を熱望し、平成の怪物からの白星奪取を思い描いた。
ロッテ・種市篤暉(あつき)投手(21)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、680万円から今季球団最高となる341%増の3000万円でサインした。
今季は4月末に先発ローテに定着するとチームトップタイの8勝2敗防御率3.24の好成績を残した。「8勝以上の評価をしてもらいました。想像していたよりも高く評価してくれた」と笑顔を見せた。
球団からは昨季までエース涌井が背負った16番を提示された。「他球団ではエースナンバーになっているチームもある。自分もエース級の活躍をしたい」と決意を示した。
来季の目標は「2ケタ勝利は最低限。活躍できれば」と力を込めた。近未来のエースが来季もさらなる飛躍を目指す。
ロッテ・内竜也投手(34)が11日、ZOZOマリンで契約更改交渉に臨み、今季の5400万円から減額制限(1億円以下は25%)を超える3000万円でサインした。
昨年11月に右ひじ関節鏡視下遊離体除去術を受けた。長いリハビリを経て現在は回復しているが今季は08年以来の1軍登板に終わり「振り返ることは何もないです」と悔しさをにじませた。
若手の台頭や新外国人の補強もあり、プロ17年目となる来季は勝負の1年となる。「開幕から戦力にならないと意味がない。投げるところはどこでもいい。もう1回優勝を味わいたい」と胸の内を明かした。
ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のため都内の病院で死去した。81歳だった。
東京都出身の醍醐さんは、早実で王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)の2年先輩で、1956年夏の甲子園でバッテリーを組んだ。57年、毎日(現ロッテ)入りし、1年目から113試合に出場するなど、いきなり正捕手に。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝タイムリーを放って当時のプロ野球記録、20連勝していた稲尾和久の記録をストップさせた。2年目以降は打撃不振もあって控えに回り、60年大洋との日本シリーズは出番がなかった。64年に再び正捕手の座を奪い返し、65年から計4度オールスター戦に選出。70年にチーム10年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献した。71年7月の東映(現日本ハム)戦では当時、史上4人目の4打席連続本塁打をマーク。74年は控えながら日本一の一員となった。名前の画数が多くスコアボードに「ダイゴ」と表記されたことでも知られる選手だった。
現役引退後はロッテの2軍監督やバッテリーコーチ、ヘッドコーチなどを歴任。勉強家で現場から離れた時期には心理学の学校に3年間通った。また、98〜2000年と3年間はパドレスの極東担当スカウトを務めた。
葬儀・告別式は17日午前11時30分から東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は長男・象器(しょうき)さん。
ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫(だいご・たけお)さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために都内の病院で死去した。81歳だった。
東京都出身の醍醐さんは、早実で王貞治投手(現ソフトバンク球団会長)の2年先輩で、1956年夏の甲子園でバッテリーを組んだ。57年、毎日(現ロッテ)入りし、1年目から113試合に出場するなどいきなり正捕手に。10月3日の西鉄(現西武)戦では決勝タイムリーを放って当時のプロ野球記録の20連勝していた稲尾和久の記録をストップさせた。
2年目以降は打撃不振もあって控えに回り、60年大洋との日本シリーズは出番がなかった。64年に再び正捕手の座を奪い返し、65年から計4度オールスター戦に選出。70年にチーム10年ぶりのパ・リーグ優勝、71年7月の東映(現日本ハム)戦では当時、史上4人目の4打席連続本塁打をマーク。現役最終年の74年は、控えながら日本一の一員となった。
通算1775試合に出場し1132安打、81本塁打、472打点。打率は2割3分4厘だった。
現役引退後はロッテの2軍監督やバッテリーコーチ、ヘッドコーチなどを歴任。 勉強家で現場から離れた時期には心理学の学校に3年間通った。また、1999、2000年と2年間はパドレスの極東担当スカウトを務めた。
ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、契約更改交渉に臨み、2320万増の3000万円でサイン。プロ3年目の今季はプロ初勝利を含むチームトップの8勝を挙げ、球団は大幅増の提示で応えた。(金額は推定)
「すごい評価でした。8勝以上の評価でした」。大幅増に自然と右腕の目尻は下がる。
さらに金額だけでなく、背番号を「63」から「16」へ変更することも決定。「来年は責任を背負って投げたいと思います。最低の目標は2ケタ勝利です」と鼻息は荒い。
青森・八戸市出身で、同じ東北の岩手県・大船渡から佐々木朗が入団した。10日、新人達の浦和寮見学の際に顔を合わせ「体がでかかった。逆に自分が後輩なのではと…」と笑った。ドラ1ルーキーの相談事はいつでもOKだ。
ロッテ・種市篤暉投手(21)が11日、契約更改交渉に臨み、2320万増の3000万円で更改した。(金額は推定)
プロ3年目の今季、プロ初勝利を含むチームトップの8勝を挙げた。飛躍の1年となり、球団サイドは大きな評価を与えた。
「すごく評価していただきました。8勝以上の評価でした」。
年俸大幅アップとともに、球団は新背番号を用意していた。「63」から「16」への変更だ。来季、ローテの中心になって欲しい。この願いからだ。
「素晴らしい番号をいただいた。来年は責任を背負って投げたいと思います」。
青森・八戸の出身。同じ東北の岩手県・大船渡から佐々木朗希投手が入団した。
10日、新人達は浦和寮を見学したが、その際に挨拶を交わした。「体がでかかった。逆に自分が後輩なのではと…」とユーモアを交えて語った。
もちろん、困ったことがあればアドバイスを惜しまない。種市が来季、さらにまた大きく羽ばたく。ロッテは11日、OBの醍醐猛夫氏が白血病のため、同日に死去したことを発表した。81歳だった。
早実時代は2学年下の王貞治(現ソフトバンク球団会長)とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。57年に毎日オリオンズ(現ロッテ)に入団した。
1年目から正捕手として活躍。71年には2試合にまたがって、プロ野球タイ記録の4打席連続本塁打をマークした。プロ18年で通算1775試合に出場し、打率.234、1132安打、61本塁打、472打点の成績を残した。