ロッテ鳥谷敬内野手(40)が現役引退を決断した。球団が10月31日、発表した。移籍2年目の今季は39歳9ヶ月で遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取りながら、32試合出場で打率1割7分。7月6日に出場選手登録を抹消されてからは2軍調整が続いていた。阪神16年間、ロッテ2年間で通算2099安打。プロ野球歴代2位の1939試合連続出場も達成したスター遊撃手が、18年間の現役生活に幕を下ろす。
鳥谷が決断を下した。18年間の現役生活に別れを告げ、ユニホームを脱ぐ。この日、球団に意思を伝えた。
移籍2年目の今季は新外国人エチェバリアの来日遅れ、藤岡の不振などが重なる中、開幕遊撃スタメンを勝ち取った。5月25日には603日ぶりの甲子園で古巣阪神を相手に代打タイムリーを放ち、ファンから大歓声を浴びた。前半戦は13試合に先発出場。ただ6月以降は調子を落とし、7月6日に出場選手登録を抹消されていた。
19年限りで阪神を退団。20年3月、春季キャンプ不参加の状態でロッテに電撃加入した。
「もちろん試合に出たい。でもチームを強くする上で球団や監督、コーチが求めているモノも考えないといけない。レギュラーを刺激する選手がいないなら、それになってやろう、と」。
移籍1年目からベンチを温める日々が続いた。それでもハードな練習を怠らず、若手からの相談には余すところなく経験を伝えた。
「自分が今できることは、試合に出る人を気持ちよく送り出すこと。出ていないおじさんが楽しくやっているのに、出ている選手が楽しくできないわけないでしょ、ということを見せたかった。その上でチームの勝ち負けにさほど影響がないとしても、この年齢でもこれぐらいできるんだ、という刺激を与えたかった」。
練習中は当たり前のようにフルメニューをこなし、時には大声で盛り上げ役も担った。慣れない一塁守備も笑顔で受け入れ、20歳近く年が離れた若手の一挙手一投足に熱くなった。2軍降格後もロッテ浦和で球界屈指の練習量をキープ。その道のりに悔いはない。
「自分には周りを幸せにする技量もないし、何もない。みんなが失敗しないように、今まで経験した成功例、失敗例を伝えるぐらいしかできない」。
謙虚に、懸命に役割を模索し続けた2年間。伝え続けた言葉の数々は今、後輩たちの血となり肉となっている。
チームは今季、シーズン最終章まで優勝を争い、51年ぶりにマジックも点灯させた。阪神、ロッテで一時代を築いたレジェンドは仲間の躍動を見届け、万感の胸中で新たな挑戦に向かう。
阪神で16年、
ロッテで2年。
色々な人と出会い、
色々な人に支えていただき、
ここまで現役をすることが出来ました。
今は感謝の気持ちで一杯です。
今シーズン、
チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、
力になることが出来ず、
ユニホームを脱ぐことを決断しました。
チームがまだ日本一を目指している時期に
個人的なことを発表させていただき
申し訳ありませんが、
ご報告をさせていただきます。
この18年間は苦しい時もありましたし、
いい時もありました。
その時間全ては
周りの人の支えがあってのものです。
皆様の支えと応援のおかげで
試合に出続けることが出来て、
プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。
感謝しかありません。
18年間ありがとうございました。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が10月31日、現役引退を決断した。この日、球団に伝えて発表された。移籍2年目の今季は39歳9ヶ月で遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取りながら、32試合出場で打率1割7分。7月6日に出場選手登録を抹消されてからは2軍調整が続いていた。阪神16年間、ロッテ2年間で通算2099安打。プロ野球歴代2位の1939試合連続出場も達成したスター遊撃手が、18年間の現役生活に幕を下ろす。
鳥谷が決断を下した。18年間の現役生活に別れを告げ、ユニホームを脱ぐ。この日、球団に意思を伝えた。
移籍2年目の今季は新外国人エチェバリアの来日遅れ、藤岡の不振などが重なる中、開幕遊撃スタメンを勝ち取った。5月25日には603日ぶりの甲子園で古巣阪神を相手に代打タイムリーを放ち、両チームのファンから大歓声を浴びた。前半戦は13試合に先発出場。ただ、6月以降は調子を落とし、7月6日に出場選手登録を抹消されていた。
19年限りで阪神を退団。20年3月、春季キャンプ不参加の状態でロッテに電撃加入した。
「もちろん試合に出たい。でもチームを強くする上で球団や監督、コーチが求めているモノも考えないといけない。レギュラーを刺激する選手がいないなら、それになってやろう、と」。
移籍1年目からベンチを温める日々が続いた。それでもハードな練習を怠らず、若手からの相談には余すところなく経験を伝えた。
「自分が今できることは、試合に出る人を気持ちよく送り出すこと。出ていないおじさんが楽しくやっているのに、出ている選手が楽しくできない訳ないでしょ、ということを見せたかった。その上でチームの勝ち負けにさほど影響がないとしても、この年齢でもこれぐらいできるんだ、という刺激を与えたかった」。
練習中は当たり前のようにフルメニューをこなし、時には大声で盛り上げ役も担った。慣れない一塁守備も笑顔で受け入れ、20歳近く年が離れた若手の一挙手一投足に熱くなった。2軍降格後も浦和球場で球界屈指の練習量をキープ。その道のりに悔いはない。
「自分には周りを幸せにする技量もないし、何もない。みんなが失敗しないように、今まで経験した成功例、失敗例を伝えるぐらいしかできない」。
謙虚に、懸命に役割を模索し続けた2年間。伝え続けた言葉の数々は今、後輩たちの血となり肉となっている。
チームは今季、シーズン最終章まで優勝を争い、51年ぶりにマジックも点灯させた。阪神、ロッテで一時代を築いたレジェンドは仲間の躍動を見届け、万感の胸中で新たな挑戦に向かう。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が10月31日、現役引退を決断した。この日、球団に伝えて発表された。移籍2年目の今季は39歳9ヶ月で遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取りながら、32試合出場で打率1割7分。7月6日に出場選手登録を抹消されてからは2軍調整が続いていた。阪神16年間、ロッテ2年間で通算2099安打。プロ野球歴代2位の1939試合連続出場も達成したスター遊撃手が、18年間の現役生活に幕を下ろす。鳥谷は球団を通じて、コメントを発表した。
「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることが出来ました。今は感謝の気持ちで一杯です。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的なことを発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます。この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。
広島が今季限りで現役引退を表明したロッテ小窪哲也内野手(36)を来季のコーチとして招聘することが31日、分かった。
小窪は昨季まで13年間在籍していた広島を退団。その際に球団から指導者の打診を受けたが、他球団で現役の道を探ることを決断し、九州アジアリーグの火の国(熊本)を経て、今季8月末にロッテに入団。今月29日に、現役を退くことを発表していた。
小窪はPL学園、青学大を経て、07年の大学・社会人ドラフト3巡目で入団。選手会長に就任した16年に25年ぶりのリーグ優勝、17年の連覇に貢献した。広島、ロッテで通算712試合に出場し、386安打の打率2割5分7厘、19本塁打、155打点だった。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。本人が同日、球団に申し入れた。後日、記者会見を行う予定。鳥谷は2004年の阪神入団以降、正遊撃手として長く活躍し、昨年3月にロッテに加入。今季は32試合の出場にとどまっていた。歴代2位の1939試合連続出場を果たし、通算2099安打を放った名選手が、18年の現役生活に別れを告げる。
長きにわたって阪神の中心選手として活躍した鳥谷が、昨季から2年間在籍したロッテでバットを置く。球団を通じ、感謝のコメントを出した。
「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、支えていただき、ここまで現役をすることができた。今は感謝の気持ちでいっぱい」。
埼玉・聖望学園高から早大を経て2004年に自由獲得枠で阪神入り。早大の先輩でもあった当時の岡田彰布監督に「将来は阪神を背負っていく遊撃手になれる」と高い評価を受けた。1年目の9月9日から18年5月27日にかけて1939試合連続出場を果たし、衣笠祥雄(広島)に次ぐ歴代2位の記録を残した。
「練習の虫」として知られ、ナイター開催時でも午前中に球場入りし、ウエートトレーニング室で汗を流していた。今の阪神を担う大山や近本、糸原らが「鳥谷さんが練習しているから僕もやらないといけない」と周囲に漏らすほどだった。
転機は突然、訪れた。19年オフ、阪神からの引退勧告を拒否。現役続行を目指して退団し、春季キャンプ後の昨年3月にロッテに加わった。練習への真摯な姿勢、的確な助言で若手の成長を助け、現役時代に自主練習をともにした井口監督は「お手本として動いてくれる」とたたえていた。
プロ18年目の今季、鳥谷は3年ぶりに開幕スタメンの座をつかんだ(遊撃手としては5年ぶり)。5月25日の阪神戦では移籍後初めて甲子園球場に凱旋=B7回に代打で右前適時打を放って逆転勝ちに貢献し、虎党からも大きな声援を浴びた。
だが6月6日を最後に出場がなく、7月6日に出場選手登録を外れた。昨年12月の契約更改後に進退について「自分が辞めると思ったタイミングで辞めます」と言い切った。チームの優勝争いに貢献できず、レギュラーシーズン終了翌日に引退を申し入れた。
「チームが調子のいいときも悪いときもあった中で、力になることができず、ユニホームを脱ぐことを決断した。皆さまの支えと応援のおかげで試合に出続けることができ、プロ野球選手、鳥谷敬の形をつくれた」。
プロ18年の通算成績は2243試合に出場して打率.278(2099安打)、138本塁打、830打点。阪神で積み上げた2085安打は球団最多。16年7月に途切れた667試合連続フルイニング出場は、プロ野球歴代5位の記録だ。
負担の大きい遊撃手で出場を続け、17年には投球を受けて鼻骨を折っても、翌日にフェースガードを着用して現れた。引退会見は後日、行う。強い体とプロ根性が18年間の現役生活を支えた。
ロッテ・井口資仁監督(46)が31日、若手6人を選んで1日にZOZOマリンで行う練習を秋季幕張キャンプ≠ニ称した。本拠地で楽天を迎え撃つ6日からのクライマックスシリーズ・ファーストステージを前に猛練習を課す。
「若手だけピックアップで。他球団もキャンプインしますんで、秋季キャンプのつもりでやらしていきたいと思う」。
井口監督は佐藤都、安田、盗塁王を初受賞の和田、ドラフト3位・小川(国学院大)、藤原、山口をピックアップした。30日にレギュラーシーズン終了。31日のオフを経て若手から動き出す。
6日に楽天戦を控えているが「調整じゃない。彼らはそんな成績を残してないですし」とキャンプ並みの特打を行う。2日からの全体練習では、不振のマーティンも打ち込む予定。短期間だが、レベルアップを目指して再び試合に臨む。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。
鳥谷は球団を通じて「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることができました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。今シーズン、チームが調子のいいときも悪いときもあった中で、力になることができず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的なことを発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます」とコメントした。
プロ18年目の今季は3年ぶりの開幕スタメン、遊撃手では5年ぶりの開幕スタメンを果たすなど1軍戦32試合出場で打率.170、0本塁打、2打点。4月3日の日本ハム戦(札幌)でプロ野球44人目の通算1000得点を達成した。
交流戦5月25日の阪神戦(甲子園)では、2020年3月のロッテ入団後初めて古巣と対戦。2点を追う7回に代打で右前適時打を放ち、逆転勝ちに貢献して阪神時代の本拠地で大きな声援を浴びた。
だが、6月6日のDeNA戦(横浜)を最後に出場から遠ざかり、7月6日に今季初の出場選手登録抹消。以降は2軍戦でプレーしていた。プロ18年の通算成績は2243試合に出場して打率.278(2099安打)、138本塁打、830打点。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役引退すると発表した。看板選手として活躍した阪神を19年限りで退団し、移籍2年目の今季は開幕スタメンも果たしたが、打撃の状態が上がらず、7月に2軍降格。優勝争いが佳境となった終盤も1軍昇格できなかった。通算2099安打を誇り、04〜18年には歴代2位となる1939試合連続出場も記録。18年の現役生活に静かに幕を下ろした。
鳥谷らしい幕の引き方だった。ラスト3試合までリーグ優勝の可能性を残していたことを考えて、静かにチームの行方を見守った。レギュラーシーズン終了から一夜明け、球団に今季限りでユニホームを脱ぐ意向を伝えた。
球団広報を通じたコメントに人柄がにじみ出た。「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることができました。感謝の気持ちでいっぱいです」と周囲へ感謝の言葉を並べた。
今季は遊撃手として開幕スタメンを果たしたが、6月6日のDeNA戦が最後の出場で、7月6日に出場登録を抹消されてからは2軍生活。「チームが調子のいい時も悪い時もあった中で力になれず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。日本一を目指している時期に個人的なことを発表させていただき申し訳ありません」と最後まで周囲を気遣った。
阪神時代の04〜18年には、広島・衣笠祥雄に次ぐ歴代2位となる1939試合連続出場を記録した。負担の大きな遊撃手としての記録だけに際立つ。通算2099安打の打撃も超一流だが、守備もゴールデングラブ賞を遊撃手で4度、三塁手で1度獲得し、球界屈指の名手だった。13年WBCは侍ジャパンの一員としてベスト4に貢献。2次ラウンド台湾戦では1点を追う9回2死で決死の二盗に成功し、奇跡の逆転勝ちにつなげた。
プロ入りした当初に掲げた「40歳でショートを守りたい」との目標は達成した。まさに、太くて、長い野球人生。近日中にも引退会見を行う予定だ。
ロッテは1日の1日限定で安田、藤原、山口、佐藤都、和田、小川による「ミニキャンプ」をZOZOマリンで行う。
楽天と本拠地で6日からのCSファーストSへ、2日から全体練習再開を控えるが、「キャンプのつもりでやらせたい。CSに向けた調整ではない。彼らは成績を残していないので、しっかりやってもらう」と井口監督。3時間以上の特打を予定し、CS前にたっぷり振り込ませる。
広島が今季限りで現役引退を表明したロッテ・小窪哲也内野手(36)をコーチとして招聘することが31日までに分かった。既に打診を済ませており、就任に支障はない模様。受諾すれば2年ぶりの古巣復帰となる。
小窪は13年間にわたって広島に在籍。16年には選手会長として25年ぶりのリーグ制覇に貢献し、球団は厚い人望やリーダーシップを高く評価していた。昨オフに指導者転向を打診されながら、現役にこだわって自由契約を選択。今年6月から独立リーグ・九州アジアリーグの火の国(熊本)でプレーし、8月31日にロッテ入団。出場7試合で打率.056、1本塁打だった。
昔のことはよく知らないが、阪神時代に大勢の報道陣に囲まれていた鳥谷を取材していた人達に聞くと、ロッテに移籍してからの雰囲気はかなり違うらしい。
昨年3月に加入し、新型コロナウイルスの影響で開幕が延期されていた昨年5月には、球団公式インスタグラムで、ファンからの質問に答えた。
朝はパン派かごはん派か?「ガッツリごはん派。朝にはパンはない」。
ジェットコースターに乗りますか?「ほとんど乗りません。苦手ではなくて、並ぶのが嫌です」。
好きな食べ物を教えてください?「肉です。1番好きなのを1つ選べと言われたらしょうが焼きです」。
こんなプライベートの柔らかな質問から、座右の銘を教えてください?「“ピンチと思うな。チャンスと思え”です。小学校の野球チームのコーチがボールの寄せ書きに書いてくれたもので、中学か高校の時に部屋の整理をしていてこのボールを見て、この言葉が目に留まりました」といった野球人生を支えた濃い話まで答えていた。
今春の石垣島キャンプ中には、球団公式YouTubeで「教えて!鳥谷先生!!」のコーナーも開設。野球技術でなく「人間・鳥谷敬」として「仕事で失敗したときの気持ちの切り替え方」「親に自分の意見を聞いてほしいとき、どうしたらいいのか」などを熱弁していた。
SNSを通じたファンとの交流だけではなく、若手にもプロとしての姿勢を伝えてきた。誰よりも早く球場に来て、試合のための準備を整えた。今年6月26日。自身40度目のバースデーでは、パーティーグッズのメガネをかけて、試合前の円陣でベテランが声出しも行った。
7月に2軍に降格して、10月に全日程が終了しても、最後までしっかりと練習に取り組んでいたと聞いた。求道者のイメージも強いレジェンドだが、若いチームのためにできることを全てやった。
チームには安田、藤原、山口、和田ら将来有望な逸材が多い。そんな若手に、鳥谷の姿勢が伝わり、結果に表れる日は来るだろう。それは、決して遠くないと思っている。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。この日、球団に本人より引退の申し入れがあった。
鳥谷は球団を通じてコメントを発表し、「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることができました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的な事を発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます」と引退を報告。
「この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」と感謝した。
東京都出身の鳥谷は早稲田大から2003年ドラフト自由枠で阪神に入団。16年間在籍した阪神では選手会長や主将など重責を務めるとともに13年連続全試合出場など“鉄人”ぶりも発揮して通算2000安打を達成、主に遊撃手として6度のベストナイン、5度のゴールデングラブ賞に輝くなどレジェンドとして活躍した。2019年に事実上の戦力外通告を受け、惜しまれつつ阪神を退団。翌20年3月にロッテ入りした。プロ18年間の通算成績は2243試合に出場して打率.278(7537打数2099安打)、138本塁打、830打点。今季は32試合に出場して打率.170(53打数9安打)、0本塁打、2打点だった。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。同日、本人が申し入れた。阪神、ロッテで通算2243試合出場で2099安打をマークした鉄人は、球団を通じて「今は感謝の気持ちでいっぱいです」などとコメントした。圧倒的な練習量で強靱な肉体を作り上げ、歴代2位の1939試合連続出場、遊撃手史上最長の667試合連続フルイニング出場など数々の記録を樹立。一時代を築いた名遊撃手が静かにユニホームを脱ぐ。
勝負強い打撃と華麗な守備で18年間、阪神とロッテのファンに愛されてきた鳥谷が、今季限りでの引退を決断した。後日、引退会見を開く予定で、球団を通じて「今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることができず、ユニホームを脱ぐことを決断しました」と胸中を明かした。
ロッテ移籍2年目の今季は3月26日のソフトバンクとの開幕戦(ペイペイD)に「7番・遊撃」で出場。39歳9ヶ月での遊撃手最年長開幕スタメンで順調に滑り出した。4月3日の日本ハム戦(札幌D)ではプロ野球44人目の通算1000得点を達成。5月25日の阪神戦(甲子園)では古巣相手に適時打を放つなど、要所で存在感を示した。
しかし次第に出場機会が減り、7月6日に出場選手登録抹消。2軍では若手に負けじと汗を流し、首位争いを展開した1軍から再び声が掛かるのを待ったが、チャンスは訪れなかった。18年目は32試合で打率1割7分、0本塁打、2打点。やり切ったという思いで、自らピリオドを打った。
03年に自由獲得枠で早大から阪神入団。1年目から遊撃手として活躍した。「この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました」。04〜18年にかけて衣笠祥雄(広島)に次ぐ歴代2位の1939試合連続出場、遊撃手としては史上最長の667試合連続フルイニング出場を果たした。17年には鼻骨を折りながら翌日にフェースガードを着用して登場するなど、鉄人として阪神をけん引。同年通算2000安打を達成したが、19年に球団から受けた引退勧告を拒否し、栄光と挫折を味わった阪神に別れを告げた。
キャンプ不参加で移籍先を求め続け、20年3月にロッテ入団が決定。新天地でも率先して練習し、豊富な経験をもとに若手の相談にも乗った。「皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることができて、プロ野球選手鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。レジェンドは、11年ぶりの日本一を目指してポストシーズンに臨むチームメートの姿を見届ける。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手が今季限りで現役引退することを発表した。
この日、本人から球団に申し入れがあった。「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることが出来ました。今は感謝の気持ちで一杯です。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的な事を発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます。この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手、鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」とコメントした。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手が今季限りで現役引退することを発表した。
この日、本人から球団に申し入れがあった。
鳥谷は20年3月に阪神からロッテに移籍。今季は61試合に出場し9安打、7打点、打率1割7分とどまっており、7月以降は1軍出場していなかった。
本人のコメントは下記の通り。
「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることが出来ました。今は感謝の気持ちで一杯です。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的な事を発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます。この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手、鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。
甲子園やマリンを沸かせたレジェンドが、18年の現役生活にピリオドを打つ。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が31日、今季限りでの現役引退を球団に申し入れ、了承された。ロッテ移籍2年目の今季は史上最年長遊撃手開幕スタメン出場を果たしたが、7月6日に出場選手登録を抹消され2軍で調整を続けていた。阪神、ロッテで現役生活18年間、通算2099安打を放ったレジェンドがユニホームを脱ぐ。
阪神で16年、ロッテで2年間プレーし、通算2243試合に出場し、限界までやりきった。18年目の今季は32試合の出場にとどまり、今までのパフォーマンスが出せなくなったことで、現役引退を決断した。
「色々な人と出会い、支えていただき、ここまで現役をすることができました。今は感謝の気持ちでいっぱいです。今シーズン、チームが調子いいときも悪いときもあった中で、力になることができず、ユニホームを脱ぐ決断をしました」。
不惑を迎えた今季。若手に負けじと、オフは妥協なきトレーニングで自らを追い込み、開幕ショートスタメンを目標に掲げた。「自分が一番、パフォーマンスを出せるポジション。しっかり勝負できるように。年齢で判断されないようにみせられるものはみせていきたい」。その言葉通り、2年ぶりに参加の春季キャンプでは、率先して声を出し、3月26日開幕戦は39歳9ヶ月の史上最年長遊撃スタメンを勝ち取った。
「行くだけではつまらない。しっかりグラウンドに立っていられるように」。もう1つの目標だった交流戦での古巣・阪神との対戦も実現させた。5月25日。2年ぶりの甲子園で代打で適時打を放ち、勝利に貢献。阪神ファンからも大きな拍手をもらい、プレーできたことは、大きな思い出となった。
シーズン序盤は若手に負けないプレーをみせていたが、年齢からくる衰えは隠せなかった。6月6日の横浜戦が1軍での最後の出場となった。7月6日に出場選手登録を抹消。その後はイースタンの試合にスタメンで出続け、出番を待ったが、若手の台頭もあり、1軍再復帰はかなわなかった。
「この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることができてプロ野球選手、鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。プロ野球歴代2位の1939試合連続出場、通算2099安打という輝かしい栄光を残し、グラウンドを静かに去る。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が31日、今季限りでの現役引退を球団に申し入れ、了承された。阪神からロッテに移籍2年目の今季は史上最年長遊撃手開幕スタメン出場を果たしたが、7月6日に出場選手登録を抹消され2軍で調整を続けていた。
担当スカウトとして鳥谷を獲得した元阪神東日本統括スカウトの菊地敏幸氏(71)は「18年間、ご苦労さまでした。高校、大学時代から野球中心の生活が続いていたので、のんびりして欲しいね」とねぎらった。
早大時代、スター選手だった鳥谷を巡り、巨人など複数球団で争奪戦となった。毎日のように鳥谷をマークした菊池氏だが、最終的に阪神を選んでくれた時には「今までのスカウト生活の中で1番感動した」と振り返る。「鳥谷のすごさは一言でいえば“努力の天才”。飛び抜けてすごいものがあった訳ではないけど、コツコツと努力を重ね、それを継続できる体力はすごかった。当時の早大のマネジャーから、深夜の風呂場で物音がするのでのぞいてみたら、体のケアをしている鳥谷がいたという話を聞いたが、野球をするために何事にも努力を厭わないという人間だった」と懐かしんだ。
現時点では今後は未定だが、「これからどうするか分からないけど、テレビで解説としかしたら意外と面白いかも。本当は面白い男だから」と笑った。
ロッテの井口資仁監督(46)は10月31日、安田尚憲内野手(22)、藤原恭大外野手(21)、山口航輝外野手(21)に1日から仮想“秋季キャンプ”を敢行し、黙々とバットを振らせるプランを明かした。
次代を担うスター候補生を昨年に続き強化指定選手に指名した。1日は全体練習休日ながら「秋季キャンプのつもりで、もっと上を目指させてやらせます。彼らは調整ではない」と井口監督。3選手とも6日からのCSのメンバー入りは確実だが、それをにらみつつも来季へ向けハードメニューに取り組ませる。
7、8月度の月間MVPを受賞した藤原と、開幕4番の安田は終盤、結果を残せなかった。2人について井口監督は「まだまだレギュラーにはほど遠い。終わってからもキャンプ地で鍛えていきたい」。潜在能力は高いだけに、妥協なく鍛えていく。
プロ野球ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。阪神、ロッテと2球団で18年間プレーし現役通算2099安打。その中で最も安打を記録した対戦相手などを振り返る。(相手投手の球団は最終対戦時)
一方、対戦球団別打率は
ちなみに、ロッテ移籍後、阪神とは今季の交流戦で対決。甲子園を舞台に3試合に出場し、5月25日には代打でタイムリーを放ち逆転勝利に貢献した。
また、阪神時代のチームメートで今季からオリックスでプレーする能見とは5月18日に対戦して結果は空振り三振。今シーズン前など、両者はお互いに対戦を心待ちにするコメントを発していた。
プロ野球ロッテは31日、通算2099安打の鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。本人から同日に申し入れがあったという。球団を通じて「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、支えていただき、ここまで現役をすることができた。今は感謝の気持ちでいっぱい」とコメントした。
鳥谷内野手は阪神からの引退勧告を拒否し、昨年3月にロッテに加入。今季は32試合の出場で打率1割7分、0本塁打、2打点だった。
2004年に自由獲得枠で阪神に入団し、遊撃手として活躍。1939試合連続出場を果たし、衣笠祥雄(広島)に次ぐ歴代2位の記録を残した。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役引退することを発表した。この日、鳥谷から球団に申し入れがあり、引退会見は後日行われる。
鳥谷は球団を通じて「皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」などとコメントを発表した。
以下は鳥谷のプロ入り後の主な経過。
ロッテは31日、鳥谷敬内野手(40)が今季限りで現役引退することを発表した。この日、鳥谷から球団に申し入れがあり、引退会見は後日行われる。
阪神でもプレーした鳥谷は、現役18年の思いを球団を通じて発表した。
「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることが出来ました。今は感謝の気持ちで一杯です。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的な事を発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます。この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。
鳥谷は2003年度に自由獲得枠で阪神に入団。20年シーズンからロッテでプレーした。今季は1軍で32試合にプレー。5月25日には甲子園で適時打も記録した。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が31日、現役引退することが分かった。本人が球団に申し入れた模様。引退会見は後日行われる。鳥谷は球団を通じて以下のコメント。
「阪神で16年、ロッテで2年。色々な人と出会い、色々な人に支えていただき、ここまで現役をすることが出来ました。今は感謝の気持ちで一杯です。今シーズン、チームが調子のいい時も悪い時もあった中で、力になることが出来ず、ユニホームを脱ぐことを決断しました。チームがまだ日本一を目指している時期に個人的な事を発表させていただき申し訳ありませんが、ご報告をさせていただきます。この18年間は苦しい時もありましたし、いい時もありました。その時間全ては周りの人の支えがあってのものです。皆様の支えと応援のおかげで試合に出続けることが出来て、プロ野球選手 鳥谷敬の形を作れたのだと思います。感謝しかありません。18年間ありがとうございました」。
鳥谷は2003年度に自由獲得枠で阪神に入団。20年シーズンからロッテでプレーした。今季は1軍で32試合にプレー。5月25日には甲子園で適時打も記録した。
「『この1点を、つかみ取る。』というスローガンの下、開幕からチーム一丸、束となり戦ってきました。残念ながら優勝は逃しましたが、この経験、悔しさが必ず来年の肥やしになると思います」(井口資仁監督 最終戦セレモニー挨拶)
ロッテは最終盤までオリックスとリーグ優勝を争ったが、67勝57敗19分の2位でシーズンを終えた。
昨季は投手陣を中心にした守り勝つ野球で07年以来13年ぶりに2位でAクラス入りを果たし、今季は「この1点を、つかみ取る。」をチームスローガンに掲げリーグ制覇を目指した。
昨季2位に入り、リーグ優勝への機運が高まった中で幕を開けたペナントレースだったが、まさかの開幕5連敗。痛かったのが昨季チームの躍進を支えたセットアッパー・ハーマン、守護神・益田直也が2試合連続で失点し、それが敗戦に繋がったことだ。開幕3戦目の3月28日のソフトバンク戦は、3−2の8回にハーマンがデスパイネに逆転2ランを許した直後の9回に、代打で登場した菅野剛士が逆転2ランを放ち、これで今季初勝利かと思われたが、益田が代打・川島慶三にライト前に2点適時打を打たれ、2試合連続でサヨナラ負け。
昨季低調だった打線も開幕してから5試合で10得点しか奪えず貧打に喘いだ。開幕から4連敗し、最終的には球団ワーストの87敗を喫した2017年を思い出すようなスタートだった。
4月1日の楽天戦で12安打16得点を奪い大勝し今季初勝利を挙げると、風向きが変わる。この試合から引き分けを挟んで4連勝。4月18日のオリックス戦では、1−2の8回に登板した佐々木千隼が3番・安達了一から始まる打順をリズムよく10球で抑えると、直後の9回に打線が2点を奪い逆転勝利し、8回の1イニングを無失点に抑えた佐々木が19年8月15日の日本ハム戦以来となる白星を挙げた。この勝利で、チームも今季初めて貯金「1」とした。
開幕から先発、救援陣が今一つピリッとしないなかで、佐々木千隼の存在が光った。「ビハインドだったらできる限り傷口を広げないように、そのあと逆転できるように流れが持ってこれるようなピッチングができたらいいなと思って心がけています。ただ、そんなに簡単ではないので、結果的にそうなればいいなと思います」。
ビハインドの場面で登板しテンポよく無失点に抑え、その直後に味方が逆転し白星を挙げることが多かった。2勝目を挙げた4月21日の日本ハム戦も、4−5の9回から登板し、三者凡退に仕留め、その裏に岡大海の逆転2ランでサヨナラ勝ち。5月25日の阪神戦では三者凡退に抑えた直後の8回にマーティンの逆転2ランが飛び出し、4勝目を手にした。
ビハインドゲームで結果を残し続けた佐々木は序列を上げていき、6月に入ってからは勝ちパターンを任されるようになった。勝ちパターンで投げるハーマン、唐川侑己が1軍登録抹消されたときに、勝ち試合のリリーフに苦労しなかったのも、佐々木の活躍があったからだ。
佐々木の投球とともにシーズン序盤は、リーグトップの得点数を誇った打線の力が大きかった。4月1日の楽天戦で16得点を挙げた試合をきっかけに状態が上がり、得点力が急激にアップした。1番・荻野貴司、2番・マーティン、3番・中村奨吾、4番・安田尚憲の上位打線が機能し、マーティンは4月29日の西武戦でパ・リーグ最速の10号本塁打を放てば、安田も4月終了時点でチームトップの29打点。4月終了時点でチーム得点は、リーグトップの146得点を挙げた。
4月終了時点で2本塁打、8打点とやや乗り遅れていたレアードも、5月に入ると一気に調子を上げた。5月2日の楽天戦では1−4の6回に角中勝也の適時打で1点を返し、なお1死一、二塁の好機でレアードが、先発・早川隆久からレフトへ一時逆転となる3ランを放つと、5月14日の西武戦では2−4の9回1死二塁の場面で、ギャレットから値千金の同点2ラン。月間MVPこそ逃したが、5月はリーグトップの9本塁打、リーグ2位の23打点、打率も.303と、ポイントゲッターとして機能し、打線に厚みをもたらす、そんな活躍だった。
昨季課題だった攻撃力は上がり、開幕直後不安定だった救援陣も5月はチーム救援防御率2.94と安定してきてはいたが、今一つチームとしてのりきれなかった。20勝19敗7分、首位と3ゲーム差の3位で交流戦に突入するも、交流戦は8勝9敗1分。交流戦が終わったときには、28勝28敗8分で首位と3.5差の4位に後退した。
交流戦で勝ちきれなかった原因の1つに、田村龍弘、柿沼友哉が不在の期間が長かったことが挙げられる。4月28日に『左大腿二頭筋肉離れ』で正捕手の田村が離脱し、開幕から田村に次ぐ2番手捕手として出場していた柿沼も5月17日に特例措置2021で1軍登録を抹消となり、その後新型コロナウイルスの陽性判定を受けた。柿沼は6月2日に再昇格するも、“打てる捕手”佐藤都志也への負担がかかった。
交流戦でチーム最多の13試合でスタメンマスクを被った佐藤は、今季は開幕2軍スタートもファームでスタメン出場し、14連勝したときも12試合で先発マスクを被った。捕手として力をつけて4月23日に今季初昇格を果たしたが、「(昇格)直後は自信を持ってやっていたんですけど、1つのミスで自分のなかで精神的に弱気になった部分があった。上がってきたときの精神状態と、ミスしてしまったときの精神状態では、天と地くらいの差がありました。本当に自分がまだまだ未熟なところだなと思いました」と悔しがった。
交流戦直後にロッテは動いた。6月14日にDeNAの国吉佑樹と有吉優樹のトレードを成立させると、翌15日には中日の加藤匠馬と加藤翔平のトレードが決まった。さらに16日にはエンニー・ロメロを獲得。
ロッテが得意にする“的確補強”だった。勝利の方程式が確立できず、捕手陣も故障者が相次ぎ2軍の捕手が育成(当時)の 植田将太のみという時期もあった。
先発陣も岩下大輝が交流戦終了時点で4勝を挙げていたが、“エース格”の石川歩が6月3日に『右肘関節クリーニング手術』を行い、美馬学も交流戦で2試合連続2桁失点、今季さらなる成長が期待された二木康太、小島和哉も今一つの内容だった。
選手を補強し、リーグ戦再開を迎えたが、大きな連勝はないが、大きな連敗もない。5割前後をいったりきたりする戦いは続いた。
この状況を変えたのが、高卒3年目の藤原恭大だった。今季は開幕1軍をつかんだが、22試合に出場して、打率.161(56−9)、4打点の成績で4月22日に1軍登録抹消。ファームでの再調整を経て、7月3日に1軍再昇格した。
昇格即スタメンとなった同日の楽天戦に『2番・センター』で出場しマルチ安打をマークすると、翌4日の楽天戦では史上70人目(75度目)となるサイクル安打は逃したが、今季初本塁打を含む3安打4出塁でチームの連勝に貢献した。
さらに7月6日のソフトバンク戦では、エース・千賀滉大から初回に左中間を破る三塁打でチャンスメイクすると、3回には左中間への適時二塁打、この回だけで2度目の打席となった第3打席には2点適時二塁打と、3安打3打点の大暴れ。チームも、11−3とソフトバンクに大勝し4連勝で単独2位に浮上した。
お立ち台に上がった藤原は「しっかりとした自分のスイングができました」と納得の表情を浮かべ、「(2軍に)落ちたときよりは確実に良くなっている。自分のスイングを続けられるように頑張ります」と継続して活躍することを誓った。
その言葉通り藤原は、7月の月間打率.400(35−14)、1本塁打、5打点と、1番・荻野、3番・中村に繋ぐ役割を見事に果たした。
藤原の勢いとともに、チームは息を吹き返し、藤原が再昇格した7月3日の楽天戦から7日のソフトバンク戦にかけて5連勝。前半戦を37勝34敗12分、首位と2.5差の3位で終えた。
東京五輪による1ヶ月の中断が明け、8月13日にペナントレースが再開した。後半戦最初のカードは、本拠地・ZOZOマリンで首位・オリックスとの3連戦。最低でも勝ち越したいところだったが、1勝2敗と負け越し。続く西武との初戦にも2−8で敗れ、首位・オリックスとの4差に広がってしまった。
このままズルズルといくかと思われたが、8月18日の西武戦に“1つ先の塁を狙った走塁”が得点に結びつき5−3で勝利すると、そこから引き分けを挟んで3連勝。
8月20日のソフトバンク戦は2−2の9回にエチェバリアが値千金の3ランを放ち5−3で勝利すると、0−5の7回に5点を挙げ同点に追いついた8月21日のソフトバンク戦では、5−5の9回にレアードの適時内野安打で勝ち越し、佐藤の2ランで3点を挙げ、8−6で勝利した。
8月は序盤に失点しても、逆転勝ち、引き分けに持っていく試合が多かった。8月24日の日本ハム戦ではチャンスを作りながら8回まで得点を挙げられず、0−3のまま9回を迎えたが、先頭の藤岡裕大、続く田村の連打で1点を返すと、荻野、中村の適時打で同点に追いつき、引き分けに持ち込んだ。8月29日の楽天戦は0−0の9回に田村の適時打が飛び出し1−0で勝利。8月13日から8月28日にかけてイニング別では9回が最も多い11得点と、終盤の粘りが光った。
終盤に得点を挙げる打線の粘り強さを支えたのがリリーフ陣。“勝ちパターン”で投げる国吉、佐々木千隼、益田をはじめ、東妻勇輔、田中靖洋、中村稔弥といったリリーフ陣がしっかりと“0”に抑えたからこそ、試合終盤での勝ちに結びついていった。
その一方で、先発陣は早いイニングで失点し、8月のチーム先発防御率は「4.33」、8月終了時点のチーム先発防御率「4.40」と、打線がリーグトップの得点数を誇り、リリーフ陣が5月以降安定していたなかで、“勝負の9月”を前に先発陣の不安は解消されなかった。
9月最初の1日の西武戦では岩下が2回を投げ6失点、3日の日本ハム戦は7−5で勝利したが、小島が4回1/3を投げ5失点、翌4日の日本ハム戦も鈴木昭汰が4回3失点でマウンドを降りた。
5日の日本ハム戦でロメロが7回1失点に抑えゲームを作ると、この試合を境に先発陣が安定。5日の日本ハム戦から20日の日本ハム戦にかけての13試合で、5回を投げきれなかった先発は15日のソフトバンク戦で3回1/3で降板した美馬だけ。そのほかの12試合は先発投手が5イニング以上投げ、6イニング以上投げた試合は10試合もあった。チームも9月8日のオリックス戦に勝利し、首位に浮上した。
先発陣の安定に大きく貢献したのが、後半戦からスタメンマスクを被る機会を増やした加藤だ。「最初はビックリしたというのがありましたが、僕にとったらチャンス」と6月15日に加藤翔平とのトレードで中日から加入すると、交流戦明け初戦の6月18日にさっそく1軍登録される。翌19日の西武戦、8回から守備につき移籍後初出場。前半戦は移籍直後ということもあり、1度もスタメンマスクはなかったが、出場8試合・11イニング・5失点・3自責点、防御率にすると2.45だった。
移籍して間もない加藤はブルペンで「まずは持ち球を聞いたり、どのボールが一番自信があるか、“左にはこう投げる”、“右にはこう投げる”など左右によっては違うと思うので、大まかに聞いています」と投手の特徴を聞いた。
「ゲームで組んだあとに“ここはこうだった”、“あそこはよかった”など、コミュニケーションをとるように意識しています」と、投手との関係性を築くために積極的に声をかけた。
マリーンズ投手陣の良さを引き出したのが9月だ。9月11日の楽天戦でプロ初完投勝利、19日の日本ハム戦ではプロ初完封勝利を挙げた小島には、序盤からストライク先行の投球で、少ない球数で打者を封じていく好リード。9月は24試合中20試合でスタメンマスクを被り、加藤がスタメン出場した試合、チームは11勝7敗2分と勝ち越し、先発マスクを被ったときの9月のチーム先発防御率は「2.83」だった。
課題だった先発陣が安定し、一時は2位・オリックスに4ゲーム差をつけ首位を走っていたロッテだが、1勝すれば優勝マジックが点灯する9月28日からの2位・オリックスとの3連戦で3連敗。雨天中止となった10月1日に、2位・オリックスが勝利したため2位に陥落した。
10月7日の楽天戦から9日の日本ハム戦にかけて3連敗を喫し、首位・オリックスとのゲーム差が3に広がった。9月までの好調から一転、苦しい戦いが続いたロッテだが、この窮地を救ったのが岡大海だった。
10日の日本ハム戦、2−4の9回2死一塁で回ってきた第4打席、守護神・杉浦稔大が1ボール2ストライクから投じた134キロのスライダーを振り抜き、左中間スタンドに運ぶ値千金の第4号同点2ランを放った。敗戦を覚悟したなかで、岡の一発で同点に追いつき、引き分けに持ち込んだ。
岡の劇的弾で2.5差の2位で、10月12日からの敵地・オリックス戦に挑んだ。12日の第1戦は2−0の8回に先発・小島が宗に同点の2ランを浴び、2−2の引き分け。
これでマリーンズが敗れるとオリックスに優勝M7が点灯と、もう1敗も許されない状況になった第2戦は、打線が9月12日の楽天戦以来となる2桁16安打を放ち8得点を挙げれば、先発・石川が9回・97球、6安打、2失点で完投勝利。
勝てば2位ながら優勝マジック9、引き分ければ優勝マジック10が点灯し、敗れるとオリックスに優勝マジック7が点灯となる第3戦は、ロッテ・佐々木朗希、オリックス・宮城大弥による“高卒2年目の同学年投手”による投げ合い。主導権を握ったのはマリーンズだった。初回にレアード、エチェバリアの適時打で3点を先制すると、2回には中村の適時打、3回に山口、藤岡の適時打などで3回までに5点を奪った。佐々木朗希は、カウントをとるフォーク、空振りを奪うフォークをうまく投げ分けオリックス打線に的を絞らせず6回無失点の好投。6−1で勝利し、2位ながら優勝マジック9が点灯した。ロッテの優勝マジック点灯は1970年以来51年ぶりの快挙だった。
また、この3連戦で国吉、佐々木のセットアッパーの2人の登板がなく、守護神・益田の登板も1試合のみ。勝ちパターンを休ませながら勝てたことが翌15日のソフトバンク戦にいきた。
先発・岩下が5回1失点の粘投を見せると、0−1の5回に加藤の第2号ソロで試合を振り出しに戻す。6回以降は6回・唐川、7回・国吉、8回・佐々木、9回・益田が、ソフトバンク打線を封じ込めると、1−1の9回2死一塁で打席が回ってきた岡が、守護神・森唯斗が3ボール1ストライクから投じたカットボールを振り抜き、打球は左中間スタンド最前列に突き刺すサヨナラ2ラン。劇的勝利で優勝マジックを「8」とした。
ロッテは優勝マジックを着実に減らしていき、10月23日からの日本ハムとの2連戦に連勝し優勝マジックを3としたが、オリックスは最終戦となった10月25日の楽天戦に勝利し、ロッテはソフトバンクに7−15と大敗。これでロッテは優勝するために残り3試合を3勝、もしくは2勝1分で終えなければいけない状況になった。
もう1敗も許されない27日の楽天戦、初回にレアードの適時二塁打で幸先よく先制し、先発・小島も5回2死まで楽天打線をわずか1安打に抑える好投を見せた。しかし、5回2死走者なしから田中和基に四球を与えると、辰己涼介にライト前に運ばれ一、三塁とされる。ここを踏ん張りたい小島だったが、太田光に適時打を打たれ同点に追いつかれた。
1−1の8回にセットアッパー・佐々木が、1死一、二塁から代打・小深田大翔にライト前に運ばれ勝ち越しを許し、1−2の9回は3番・マーティンから始まる好打順も3人で打ち取られ試合終了。主力選手の故障や不振による離脱をカバーし、“全員野球”で勝利を積み重ねてきたが、1974年以来の勝率1位でのリーグ優勝に今年も届かなかった。優勝したオリックスには山本由伸という絶対的なエースがいて、打線には吉田正尚、杉本裕太郎といった生え抜きの中心選手がいた。一方のマリーンズは期待の若手や生え抜きの中心選手はいるものの、試合を決定づける日本人のポイントゲッター、勝ちが計算できる絶対的エースが不在だった。期待の若手がどこまで主力と呼べる存在に近づけるかも、来年に向けての課題の1つに残った。
ただ、戦いは終わらない。11月6日からクライマックスシリーズが始まる。CSを勝ち抜けば2010年以来となる日本一の挑戦権が残されている。井口監督は30日の日本ハム戦後に行われた最終戦セレモニーで、「6日から始まるCSファーストステージ、そしてファイナル、日本シリーズと、もう1度チーム一丸となって戦ってまいりますので、引き続き熱い声援よろしくお願いします」と宣言した。リーグ制覇を目指してきたなかで、2位から日本シリーズを狙うのは悔しい部分ではあるが、日本一になるチャンスはある。2010年以来の日本一を達成するため、“この1点を、つかみ取る。”戦いは続く。