ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。
仲間からの黄色い花束はいったん置き、紫のネクタイをしっかり締め、鳥谷敬は会見場に現れた。
侍のように姿勢を正し、凜として話した。「1日、1ヶ月、1年の積み重ねで今日まで来て、本当に辞めるという日が来たんだなという感じなので。そんなに悔いもないですし、すっきりして終わります」。開幕戦に遊撃スタメンで出場するも、32試合で打率1割7分。減りゆく出番に覚悟は決めていた。
最後の1年は、40歳にして新人時代以来の2軍公式戦も経験した。背番号3桁の若手と汗にまみれた。「少なからず一緒にやったチームメートに対しては、どんな状況でもベストを尽くしてやっていく姿は見てもらえたんじゃないかなと思います」とし「自分が唯一残せたもの」と表現した。
長い現役生活で1割少々を過ごしたにすぎないロッテに、多くをもたらした。「始まるということは必ず終わりがある。選手のみんなも現役生活にいつかは必ず終わりがあるので、今ある時間を大切にして欲しい」。今なお強い体幹を感じさせつつステージを降りた侍は、CSに挑む後輩に思いを託した。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。阪神で16年、ロッテで2年の計18年間。誰にも負けない練習量で通算2099安打を放ったスター遊撃手に、涙はなかった。阪神時代の担当記者が鳥谷の心の内に迫った。
なぜ、現役を続けるのか。なぜ、最後まで早朝から体をいじめ抜くのか。
「好きだけで野球をやっていたら、とっくに辞めていたよ。仕事だから、できる。家族だったり周りの人だったり、続けたら喜んでくれる人もいる。得意だとも思うから、家族を養うためにもやる。それだけ」。
阪神を退団した2年前も、ロッテで現役続行を決断した1年前も、鳥谷のスタンスは不変だった。
昨秋、「けじめとして」1度は東京都内のマンションを引き払った。20年3月、春季キャンプ不参加の状態でロッテに電撃入団。出場機会が限られ、「引退」の2文字が現実味を帯びていた。それでもあえて重圧のかかる道を選択。覚悟の現役続行には「誰がために」という側面もあった。
直前の昨年10月28日ソフトバンク戦。突然、遊撃で先発起用された。当時の遊撃手記録となる通算1768試合出場。「自分が記録という日にスタメンで出してくれた。もっとチームに貢献していかないといけないと思った」。必要とされる限り力を尽くす。プロ野球人としての使命感がなければ、最後の1年は存在しなかったかもしれない。
引退会見では、プロに徹し続けた日々を思い返して本音もこぼれた。
「ロッテではそうでもなかったけど、阪神にいる間は『野球選手の鳥谷敬』を一生懸命演じている感じだった。私生活と野球選手は別物として考えて、『野球選手の鳥谷敬』としてどう振る舞うかを考えていた」。
プロで生き抜くと決めた早大時代から「好きとか楽しむという感情はもうなかった」。注目度の高いチームに入団後はさらに心を強める必要に迫られた。「自分より能力を持った選手が代わりに出ることに恐怖があった」。16年間の阪神時代は腰椎や鼻骨が折れてもグラウンドに立ち続けた。
ロッテでの2年間は何度となく後輩の相談に乗り、出番激減で潮時を悟った今夏以降も浦和球場で体をいじめ抜いた。「2軍に落ちても、試合に出られなくても、引退決断の日まで毎日しっかり準備を怠らずにできた。その日々は誇れるかな」。だから「心残りはない」と即答できる。
阪神退団から2年が過ぎた。「あのまま引退した方が楽」と理解した上で選んだ再挑戦の日々に今、心から感謝する。「この2年間は人間として本当にたくさんのことを勉強させてもらった。あそこで辞めなくて良かった」。鳥谷は最後、ようやくプロ野球選手の仮面を外し終えると、柔らかな表情で会見場を後にした。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見に臨んだ。
グレーのスーツで登場。「鳥谷敬は今シーズンをもってユニホームを脱ぐ決断をしました」と切り出し、引退決断の理由を問われると「1番は今年1年間、チームのためになかなか貢献できなかった。そろそろ自分も辞めないといけないなと思っていた」と落ち着いた口調で振り返った。
16年間プレーした阪神を19年限りで退団。引退を選ばず、20年3月にロッテに電撃入団した。出場機会が少なかったロッテでの日々について「人間として2年間、本当にたくさん勉強になった。あそこで辞めなくて良かったなと思う」と振り返った。
移籍2年目の今季は39歳9ヶ月で遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取りながら、32試合出場で打率1割7分。7月6日に出場選手登録を抹消されてからは2軍調整が続いていた。
「2軍に落ちても試合に出られなくても準備を怠らず、辞めると決める日までやってこれた」と納得し、現役生活について「心残りはないです。すっきりしています」と力を込めた。
阪神16年間、ロッテ2年間で通算2099安打を積み重ね、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場も達成。10月31日に現役引退を発表していた。
ロッテからドラフト3位で指名された、三菱自動車倉敷オーシャンズ・広畑敦也投手(23)が阪神との練習試合で3回2安打2奪三振無失点と好投した。「相手のレベルどうこうじゃなくて、ゼロで抑えて当たり前なのがピッチャーなのでそこは良かった。なかなか甲子園でできる機会がないので嬉しい」。初めての聖地のマウンドを楽しみ、大きな収穫を得た。
今秋ロッテからドラフト3位で指名された、三菱自動車倉敷オーシャンズ・広畑敦也投手(23=帝京大)が阪神との練習試合に登板した。3回無失点と挨拶代わりの好投を見せた。
1−4の6回から2番手で登板。先頭の近本光司外野手(26)を遊撃手の失策で出塁させたが、後続を左飛、空振り三振、右飛で打ち取り、難なくゼロで抑えた。
2−4となった7回は三ゴロ、二ゴロ、左飛と危なげなく3者凡退に抑えた。1死から陽川尚将内野手(30)を迎えた場面では、この日最速の149キロで二ゴロに打ち取った。
2点ビハインドの8回は2本の安打で1死一、二塁のピンチを招いたが、熊谷敬宥内野手(25)を二直、小野寺暖外野手(23)には外角いっぱいのスライダーで見逃し三振に斬り、ガッツポーズを見せた。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。一問一答は以下の通り。
(以上、約30分間の引退会見)
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。一問一答は以下の通り。
ロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。一問一答は以下の通り。
ロッテ佐々木朗希投手が3日、20歳の誕生日を迎えた。
球団を通じ「ここまで20歳になるまで、たくさんの人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなと考えています」との思いを発信した。
岩手・陸前高田市出身。小学3年時に東日本大震災で被災した。大船渡高時代に163キロを投げて話題になり、ドラフト1位でロッテ入りし今季で2年目。レギュラーシーズンは11試合に登板し3勝2敗、防御率2.27の成績だった。6日から始まるCSファーストステージ楽天戦(ZOZOマリン)でも先発起用が有力視されている。
現役引退を発表したロッテ鳥谷敬内野手(40)が3日、引退会見のためにZOZOマリンを訪れた。
CSに向けたチームの全体練習が一段落した午前11時19分、バイカラーのおしゃれなスーツ姿でグラウンドに姿を見せた。
胴上げは固辞し、全員の前で挨拶。「2年間短かったですが、ありがとうございました。なかなかチームの力になれなくて、自分自身ベストを尽くした結果なのでしっかり受け止めた結果なので」と決断について説明。「誰にも終わりがあるので。現役でいられる時間を大事にして欲しい」とメッセージを残し、ポストシーズンへ挑む選手たちを激励した。
選手会長の益田直也投手(32)から黄色い花束を受け取り、全員で記念撮影を行った。
ロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンスタジアムでの引退会見に先立ってグラウンドを訪れ、ナインを激励。「日本一になって欲しい」とレギュラーシーズン2位からの下克上を期待した。会見ではプロ初安打と通算2000安打を思い出に挙げ、18年間の現役生活に「心残りはもうない」と言い切った。
秋晴れが広がったZOZOマリンスタジアム。今季限りで引退する鳥谷が会見前にグラウンドに足を運び、6日から楽天とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージに臨む仲間に激励の言葉を掛けた。
「(CSまで)モチベーションを保つのが難しいところでしょうが、日本一になって欲しい」。
花束を受け取ったものの、胴上げはやんわりと拒否。18年間の現役生活に別れを告げたベテランは「誰にも終わりがあります。現役でいられる時間を大事にして欲しい」と力説した。
会見では通算2099安打のうち、プロ初安打を最も印象深い1本に挙げた。早大から阪神に入団して1年目の2004年の開幕戦(対巨人)の8回に左前打を放ち「プロ野球選手としてスタートした」と実感。17年9月8日のDeNA戦で2000安打に達し「プロとしてやってきてよかった」と、最も嬉しいシーンだと振り返った。
思い出に残る試合は13年のワールド・ベースボール・クラシック2次ラウンドの1回戦(対台湾)。1点を追う9回2死から二盗を決めて延長10回での勝利に貢献し「人生でその日だけ興奮していて、寝られない経験をした」と懐かしんだ。
プロ野球歴代2位の1939試合連続出場、同5位の667試合連続フルイニング出場など鉄人ぶりが際立った。「極められたものはない」と言うが、「心残りはもうない」ときっぱり。そして「野球があって自分がある。恩返しをしていかなくちゃ」。第2の人生を見据えた。
ロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、千葉市美浜区のZOZOマリンスタジアム内カンファレンスルームで引退会見を行った。スーツ姿で丸い眼鏡をかけた鳥谷は「鳥谷敬は今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決断しました。阪神で16年、ロッテで2年間。18年、たくさんのファンの方に応援していただいて感謝しています」と冒頭であいさつ。約30分の会見で質問に返答した。
18シーズンで通算2099安打を放った。最も印象深い1本については「プロが始まった初戦でヒットを打った。プロ野球選手としてスタートしたんだなというヒットというのは覚えています」と入団1年目の開幕戦2004年4月2日の巨人戦(東京ドーム)で、8回に前田幸長投手から放った左前打を挙げた。
17年9月8日のDeNA戦(甲子園)で通算2000安打を達成し「2000本を打ったときは、自分自身より周りの人の方がやったな≠ニ自分のことのように喜んでくれたんで。自分がプロ野球選手としてやってきてよかったと思った瞬間でした」と18年間の選手生活で最も嬉しいシーンと振り返った。
プロとして最後の出場は今年6月6日のDeNA戦(横浜)。以降は7月6日の出場選手登録抹消まで、1ヶ月間も1軍に在籍しながら出番がなく「そろそろ自分としてもやめなきゃいけないという気持ちになった」と引退を考え始めた。
歴代2位の1939試合連続出場、同5位の667試合連続フルイニング出場など数々の記録を打ち立てた。だが「極められたものはないです」と最後まで求道者。会見終了後、早大の後輩にあたる中村奨吾内野手から花束を渡され、関係者から大きな拍手を浴びて会見場を後にした。
今季限りで現役を引退するロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、引退会見前にZOZOマリンスタジアムのフィールド内に姿をみせ、全体練習後のチームメートへ挨拶を行った。
スーツ姿の鳥谷は「なかなかチームの力になれませんでしたが、ベストを尽くした結果です」とロッテに在籍した2年間を振り返った。さらに「今日で自分の18年の(現役)生活は終わりですが、誰にも終わりがあります。長くできる人、そうでない人にも終わりがある。現役でできる時間は短い。現役でいられる時間を大事にして欲しいです」と惜別のメッセージを送り、最後に花束を受け取った。
ロッテ・佐々木朗希投手が3日に20歳の誕生日を迎え、楽天と対戦する6日からのCSファーストステージに向け、全体練習に参加した。
入団2年目の今季は1軍デビューし、レギュラーシーズン11試合に登板して3勝2敗、防御率2.27。球団を通じて「これまで20歳になるまでたくさんの人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなあと考えています」とコメントした。
今季限りで現役引退するロッテ・鳥谷が、ZOZOマリンで引退会見を行い、晴れやかな表情で「心残りはない」と話した。
通算2099安打をマークし、歴代2位となる1939試合連続出場を記録した18年間の現役生活。看板選手として活躍した阪神時代は「楽しいよりは苦しい16年間だったかな」とし「野球選手の鳥谷敬というのを一生懸命、演じているという感じだった」と常に選手としての振る舞いを意識していたと明かした。20年から2年間プレーしたロッテでは出場機会は激減したが「途中出場の難しさ、2軍で若手と練習したことで、人間として勉強させてもらった。あそこで(阪神退団時に)やめなくて良かったなと思っている」と振り返った。
会見前にはグラウンドで全体練習を行うチームにあいさつ。ナインから胴上げを促されたが「今日は会見がメイン。その前に(スーツが)破れたり汚れたりしたら嫌なので」と断ったことを冗談めかした。チームメートには「みんなの現役生活も、いつかは終わる。今ある時間を大切にして欲しい」と伝えた。
今後は未定だが「野球のおかげで今の自分がある。野球に対して恩返ししたい。新しくやりたいことをここから探していきたい」と球界に貢献していくことを誓った。
ロッテ・佐々木朗が20歳の誕生日を迎えた。6日から始まる楽天とのCSファーストSに向けて、キャッチボールやランニングなどで調整。
取材対応はなかったが球団広報を通じ「20歳になるまでたくさんの人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなあと考えています」と20歳の誓いを披露した。
今季限りで現役引退するロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで会見を行った。オシャレな2色のグレースーツで登場。
以下、会見での一問一答。
今季限りで現役引退するロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで会見を行った。オシャレな2色のグレースーツで登場。「野球だけの毎日準備してきたので、この数日はそれがないので、楽な気持ちと、やることないなという気持ちがある」と現在の心境を勝った。
チームのシーズン最終戦から一夜明けた10月31日に球団に申し入れ、現役引退を発表した。
「(引退を決めた理由は)1番は今年1年間の中でチームのためにと覆ったが、貢献度がなかった。そろそろ自分も辞めないといけないなと思っていた。日程が終わったときに、その気持ちは変わらなかった」。
阪神の看板選手として活躍しながら、19年限りで退団。春季キャンプに参加せず、自宅のガレージに壁当てするなどの自主トレをして、20年3月からロッテに入団した。
「その瞬間、その瞬間、自分のできるベストを探した。(ロッテでの2年間は)このチームに貢献したいと思ったが、それはできなかったが、タイガースで経験できなかった後から出場することや、2軍でも経験することができた。あそこでやめなくてよかった」。
プロ18年間で、通算2099安打をマークしたが、今季は32試合出場で、打率.170。歴代2位となる1939試合連続出場を誇るレジェンドらしく、「数字に対しては、凄いものを残したことないが、トータルで試合に出続けることを意識してきた。本当にやめると決めるまで、そこまでやって来られたことが誇れること」と笑った。
39歳9ヶ月で遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取ったが、7月に出場選手登録を抹消されてから、再昇格を果たすことはできなかった。「心残りはない。入ったときから、明日辞めるとしたらどうするかとを考えてやってきた」と完全燃焼した18年間を口にした。
ロッテ・佐々木朗希投手が3日、20歳の誕生日を迎えた。
この日はZOZOマリンで、6日から始まるCSファーストステージに向けて、調整を行った。
取材対応はなかったは、球団を通じ、「ここまで20歳になるまでたくさんの人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなあと考えています」と成人の誓いをコメントした。
今季限りで現役を引退することを発表したロッテ・鳥谷敬内野手が3日、ZOZOマリンで全体練習を行っているチームに挨拶へ訪れた。2色のグレースーツでグラウンドに登場し、井口監督らと談笑。益田選手会長からは花束をもらった。
ナインから胴上げも催促されたが、鳥谷は「この後、会見があるから」と言って、これを笑顔で拒否。代わりに、全員で記念写真の撮影を行った。
最後は後輩たちの前で「2年と短かったですが、ありがとうございました。今日で自分の野球生活、18年が終わりますが、誰にでも、現役の長い人もそうでない人にも終わりは来ます。現役でいられる時間を大事にして欲しい」と、数々の記録を残したレジェンドらしい言葉を伝えていた。
ロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンで引退会見を行った。18年の現役生活を振り返り「阪神では、野球選手の鳥谷敬を一生懸命演じている感じ。私生活とは別物。どう振る舞うかということを考えていた」と、歴代2位1939試合連続出場、遊撃手史上最長の667試合連続フルイニング出場の苦悩を告白した。
穏やかな表情の中にプロで生き抜いた自負がにじんだ。03年、自由獲得枠で早大から阪神入団。「大学生でプロになると決めた時から数字に追われるし、プロも当然。好き、楽しむという感情はなかった」。レギュラーを張り続け、「出続けないとその場を奪われてしまう恐怖があった。楽しいよりは苦しい(阪神での)16年間だった」と吐露した。
19年オフ、阪神から受けた引退勧告を拒否して20年にロッテ入団。今季は開幕スタメンも1軍出場は6月6日が最後。7月6日に抹消され「勝利に貢献できない」とシーズン終了後に引退を決断した。「2年間、たくさん勉強させてもらって、あそこでやめなくてよかった。野球に対して恩返ししたい。心残りはもうない。すっきりして終わります」。没頭した野球への感謝を、鳥谷は忘れず歩んでいく。
ロッテの佐々木朗希投手(20)が6日のクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ(S)初戦の楽天戦(ZOZO)で開幕投手を務めることが3日、決定的となった。20歳0ヶ月でチームのプレーオフ、CS初戦先発は、06年第2Sのダルビッシュ(日本ハム)の20歳1ヶ月、14年第1Sの大谷の20歳3ヶ月(日本ハム)などを抜き、パ・リーグ最年少。両リーグでも13年第1Sの藤浪(阪神)の19歳6か月に次ぐ2番目となる。
令和の怪物が大一番を託される。2年目の今季は11試合で3勝2敗、防御率2.27だが、後半戦は2勝無敗、防御率1.22と安定感が増した。さらに楽天戦は3戦1勝無敗で、防御率1.35と好相性。シーズン終盤は井口監督が「どんな状況でも自分の投球ができる」と、評するなど首脳陣の信頼も急上昇。チーム唯一の2ケタ10勝を挙げた小島や、経験豊富な石川を差し置いての抜擢となる。
佐々木朗は10月23日の日本ハム戦(ZOZO)に先発。その後は順位が確定したため、CSへの調整を優先していた。この日はZOZOでの全体練習に参加。ブルペンで調整したとみられ、その後、約50メートルのダッシュを行った。同じ開幕候補の小島は、右腕より距離の長いポール間をダッシュ。調整面も朗希の登板が近いことを示していた。
この日は20歳の誕生日を迎え、投手陣から拍手を送られるなど祝福を受けた。「20歳になるまでたくさんの人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたら」。日本一への挑戦は、令和の怪物の恩返し投球からスタートする。
鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリン内で引退会見を行った。
主な一問一答は以下の通り。
鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリン内で引退会見を行った。
引退の理由について「1番は自分が1年間、チームの勝利への貢献度がなかった」と説明した。
新人から16年在籍した阪神時代について「本当に苦しいというか、毎日が大変な日々だった。毎日、試合出て繰り返しになるし、勝った、負けた、打つ、打たない。楽しいと言うよりは苦しい16年間だった」と振り返った。
鳥谷は03年に自由獲得枠で早大から阪神入団。1年目から遊撃手として活躍した。歴代2位の1939試合連続出場、遊撃手史上最長の667試合連続フルイニング出場など数々の記録を樹立した。19年に阪神から受けた引退勧告を拒否。20年3月にロッテ入団。移籍2年目の今季はソフトバンクとの開幕戦(ペイペイD)にスタメン出場。要所で存在感を示したが、次第に出場機会が減り、7月6日に出場選手登録抹消。2軍で再び声が掛かるのを待ったが、チャンスは訪れず、先月31日に引退を発表していた。
ロッテの佐々木朗希投手が3日、20歳の誕生日を迎えた。
この日は先発が予想されるCSファーストステージへ向け、ZOZOで全体練習に参加した。
投手陣から大きな拍手を送られる場面もあった。球団を通じ「ここまで20歳になるまで沢山の人に支えられてきました。これからも周りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなあと考えています」とコメントした。
10月31日に引退を発表したロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンを訪れ、練習後のナインに挨拶した。
ナインを前にスーツ姿で「2年間短かったですけどありがとうございました。なかなかチームの力になれなくて申し訳ない。自分自身ベストを尽くした結果なので。誰にでも終わりはある。現役でいられる時間を大事にして欲しい」などとメッセージを送った。
その後、ナインと記念撮影も、胴上げの雰囲気を感じ取り「小窪の(胴上げ)見たけど、この後会見があるから!」と丁重に断っていた。
今季限りでの現役引退を表明していたロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンスタジアムで引退会見に臨んだ。阪神で16年、ロッテで2年と計18年の現役生活を振り返り、「心残りはもうない。すっきりして終わります」と完全燃焼したことを告白した。通算2099安打、歴代2位の1939試合連続出場など、輝かしい数字を残したレジェンドは爽やかな表情で現役生活に別れを告げた。
完全燃焼しての現役引退。悔いはない。鳥谷は勝負師の表情を一切、見せなかった。やりきったという顔で、ユニホームを脱ぐことを表明した。
冒頭で「今年1年、チームの勝利のためにと思ってきたが、貢献できなかった。そういう意味で、そろそろ自分で辞めないといけない気持ちでいた。シーズンが終わった時もその気持ちに変わりはなかったので、辞めようと思いました」と公の場で初めて引退理由を明かした。現在の心境については「心残りはないです。すっきりして終わります」と正面を見つめて語った。
開幕戦となった04年4月2日の巨人戦。「7番・遊撃」でプロ初出場を果たし、積み上げた出場試合数は、歴代2位の1939試合連続出場を含む2243試合。18年間、プロ野球選手でいられたことに感謝する。
プロ入り後は「40歳でショートを守る目標を持ってやってきた」。不惑シーズンは史上最年長での開幕遊撃スタメンを勝ち取った。「守れる状態でできたし、達成感はある」。体の限界まで慣れ親しんだポジションに就けた充実感がある。
16年間在籍した阪神時代については「試合に勝った負けた、打つ打てない。色んなことが毎日あった。そういう意味で楽しいよりも苦しい16年間だった」と振り返った。
ナイター前の午前中の日課にしていた、球場でのランニング中の光景は今も忘れない。「阪神でもロッテでもそうでしたけど、グラウンドを整備してくれる人、ゴミを拾ってくれる人、色んな人に支えてもらっているんだなと感じた。自分の調子や感情だけで逃げ出すことはできないという思いが常にあった」。様々な人のサポートでここまで来ることができたと謝意を述べた。
昨年3月、ロッテに入団。古巣を離れ、甲子園の良さに気づかされたことがある。今年の交流戦3試合でプレーし「打席の雰囲気、球場の雰囲気というのは離れてみて『逆にあそこはやりやすかったのかな』と感じた」と聖地の偉大さを再発見した。
会見の最後に早大の後輩で、助言を送ってきた中村奨から花束を受け取ると、笑みをこぼした。野球界に数多くの功績を残したレジェンドが、さわやかにZOZOマリンスタジアムを後にした。
今季限りでの現役引退を表明していたロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンスタジアムで引退会見に臨んだ。阪神で16年、ロッテで2年と計18年の現役生活を振り返り、「心残りはもうない。すっきりして終わります」と完全燃焼したことを告白した。通算2099安打、歴代2位の1939試合連続出場など、輝かしい数字を残したレジェンドはさわやかな表情で現役生活に別れを告げた。
鳥谷は引退会見前、CSへ向けて練習しているチームメートに挨拶した。グレーのスーツでグラウンドに現れ「2年間、ありがとうございました。誰にでも終わりはある。現役でいられる時間を大事にしてほしい」と後輩にエールを送った。胴上げの声には「この後、会見があるから。スーツが汚れちゃうので」とやんわりと拒否した。
今季限りでの現役引退を表明していたロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンスタジアムで引退会見に臨んだ。鳥谷の一問一答は次の通り。
今季限りでの現役引退を表明していたロッテ・鳥谷敬内野手(40)が3日、ZOZOマリンスタジアムで引退会見に臨んだ。阪神で16年、ロッテで2年と計18年の現役生活を振り返り、「心残りはもうない。すっきりして終わります」と完全燃焼したことを告白した。通算2099安打、歴代2位の1939試合連続出場など、輝かしい数字を残したレジェンドは爽やかな表情で現役生活に別れを告げた。
マスクでいつも以上に顔を隠し、静かに涙を流した。最後の姿が見たいと願って出席した引退会見。プロ18年間で、私が鳥谷担当をできたのはわずか1年だったが、それでもかけがえのない時間だった。
どうしても聞きたいことがあった。これまで何度も聞いた「野球は仕事。楽しいと思ったことはない」の言葉。幸せだった瞬間はあるのか−と。鳥谷は意地悪そうに「毎年シーズンが終わった日が1番幸せですね」と笑い、言葉を続けた。
「2000安打を打った時は、周りの人が自分のことのように喜んでくれた。そこがプロ野球選手としてやってきてよかったなと思えた瞬間ですね」。
10月31日に引退を発表。すぐさま携帯を握り、迷うことなく発信ボタンを押した。枯れるまで泣くと、その先で鳥谷が笑っていた。「たった1年でしょ。でも、ありがとうっていい言葉だよね。こちらこそ、ありがとう」。誰もが憧れ、夢を抱いたスーパー遊撃手。その裏で誰よりも努力していた。その姿を絶対に忘れない。
ロッテの鳥谷敬内野手が3日、ZOZOマリンスタジアムで現役引退会見を行い、思いの丈を語った。代表者による質疑応答は以下の通り。
ロッテにドラフト3位指名された三菱自動車倉敷オーシャンズ・広畑敦也投手(23)が、2番手で3回2安打無失点と好投した。
「昨日(ホンダ熊本との練習試合で)悪いピッチングをしてたので、反省というのを含めて、できなかったことを修正できたのが良かったかなと思います」。
6回からマウンドへ。先頭・近本は味方失策で出塁を許したが、後続を3人で抑えた。7回は三者凡退に。8回には、江越、近本に安打を浴びるなど1死一、二塁のピンチを招いたが、熊谷を二直、代打・小野寺を見逃しの三振に斬った。
初めての甲子園での実戦マウンドとなった広畑は「本当にワクワクしていました」と笑顔。出場が決まっている都市対抗野球へ向けて「今日くらいのピッチングを毎回しないといけないのが都市対抗なので。今日いいイメージがすごいあったので、次に次に続けていくっていう気持ちで都市対抗に向けてやっていければと思います」と意気込んだ。
米東部コネティカット州第2の都市スタンフォードの市長選が2日投開票され、プロ野球ロッテや米大リーグのメッツの元監督、ボビー・バレンタイン氏(71)=無所属=は落選。不在者投票の開票まで勝敗が決まらない激戦だった。
当選したのは女性のシモンズ州下院議員(35)で、3選を目指したマーティン市長(68)を民主党予備選で破り、オバマ元大統領から支持を受けた。米メディアによると、バレンタイン氏はレンジャーズの元共同オーナーのブッシュ(子)元大統領から献金を受けていた。
バレンタイン氏は2005年にはロッテを31年ぶりの日本一に導いた。
今季限りで現役引退するロッテの鳥谷敬内野手が3日、ZOZOマリンスタジアムで記者会見を行い、プロ野球歴代2位となる1939試合連続出場の成績を残した18年間を振り返って「心残りはない。すっきりして終わる」とさわやかな表情を浮かべた。
阪神からの引退勧告を拒否して2019年限りで退団し、昨年3月にロッテに加入した。1軍での出場は今年6月6日が最後で7月6日に出場選手登録を外れるまで約1ヶ月間、出番がなかったことで「チームの勝利に貢献できなかった」と引退を決断したという。
40歳で現役生活に別れを告げる。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が3日、現役引退会見を行い、阪神時代の思い出を語った。
プロ入団後から16年間、タイガースでプレー。注目球団での苦労はあったという。ファンからの熱い視線に「阪神にいる間というのは、野球選手の鳥谷敬というのを一生懸命、演じている感じだったので、私生活と野球選手というものを別物として考えてやっていた」と当時の振る舞いを明かした。
毎年、有望選手が入団する中で、ショートレギュラーを張り続けたことには不安もあったという。「出続けないと自分がその場を奪われてしまうのではないかという思いが強くて、当然結果として出続けたんですけど、出続けないと自分の立場は確立できないという。毎年、新しい選手が入って来ますし。打つことに長けた選手、守備に長けた選手、足に長けた選手、それぞれ、自分より能力を持つ選手代わりにでるという恐怖があったので、出続けるしかなかった」と、日々の葛藤を懐かしそうに語っていた。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が3日、現役引退会見を行った。
まず始めに鳥谷から「鳥谷敬は今季をもってユニホームを脱ぐことを決断しました。18年間、たくさんのファンの方に応援していただき感謝しています」と挨拶。「野球をするためだけに毎日過ごしてきた。(今は)楽な気持ちとやることないなという気持ちがある」と話した。現役生活を終えることには「心残りはないです」とした。
阪神からロッテに移籍したこの2年間は「タイガースの時に経験できなかった途中から試合に出て行く難しさだったり、2軍で若い選手と一緒にやる時間だったり。人間として勉強させてもらった。あそこで辞めなくてよかった」と振り返り、悔いなくユニホームを脱ぐ。
引退決断に至った理由について、「1番は今年1年間勝利のために貢献度がなく、やめないといけないなと思っていた」と説明。事前に相談したことはないとし、自身1人で決めた背景を明かした。
「心が折れそうなときに助けてもらった」とファンの声援に感謝。数々の偉業を数字を残してきたが、「トータルで試合に出続けることは頭に入れていた。引退を決める最後まで、しっかり準備を怠らず、毎日できた。数字よりはそういう日々が誇れる」と胸を張った。
記憶に残った試合には、今も語り草になる2013年WBCの台湾戦を挙げた。「WBCの台湾で盗塁して勝った試合がある。これまでは興奮して寝づらいことはなかったけど、あの日は興奮して寝られない経験をした」と振り返った。
阪神で16年、ロッテで2年。プレーできる喜びを感じ、グラウンドに立つことにこだわってきた18年間だった。悔いはない。通算2099安打、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場にも達した名遊撃手が笑顔で現役生活に別れを告げた。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が3日、現役引退会見を行った。
阪神で16年、ロッテで2年。プレーできる喜びを感じ、グラウンドに立つことにこだわってきた18年間だった。「苦しい16年間だった」と振り返った阪神時代。正遊撃手、またチームの顔として戦い続けた日々は辛い時間の連続だった。
その後20年にロッテへ移籍。この2年間は「タイガースの時に経験できなかった途中から試合に出て行く難しさだったり、2軍で若い選手と一緒にやる時間だったり。人間として勉強させてもらった。あそこで辞めなくてよかった」と振り返り、悔いなくユニホームを脱ぐ。
練習の虫だった。球場に誰よりも早く入り、朝から体を動かして試合に向けた準備を始める。だが、それは鳥谷にとって当たり前のことだった。
「僕自身練習をたくさんしている感覚はない。人より劣っていることがたくさんあったので、当然練習しないと追いつくことも追い抜くこともできなかった。自分に足りないものを毎日考えたら、練習するしかなかった」。
誰にも相談することなく決断したという現役引退。最後まで涙はない。通算2099安打、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場にも達した名遊撃手が笑顔で現役生活に別れを告げた。
ロッテの鳥谷敬内野手(40)が3日、現役引退会見を行った。記憶に残った試合には、ファンに鮮烈な印象を与えた2013年WBCの台湾戦を挙げた。
記憶に残った試合について、「WBCの台湾で盗塁して勝った試合がある。これまでは興奮して寝づらいことはなかったけど、あの日は興奮して寝られない経験をした」と振り返った。
第2ラウンドの台湾戦は1点を追う展開で九回を迎えた。2死で一塁の走者だった鳥谷は、失敗すれば敗れる場面で盗塁を敢行。しびれる状況で成功させ、井端の同点タイムリーで生還した。
阪神で16年、ロッテで2年。プレーできる喜びを感じ、グラウンドに立つことにこだわってきた18年間だった。通算2099安打、プロ野球歴代2位の1939試合連続出場にも達した名遊撃手が笑顔で現役生活に別れを告げた。
ロッテの佐々木朗希投手が3日、ZOZOマリンスタジアムで「クライマックスシリーズファーストステージに向けての1軍練習に参加。20歳の誕生日を迎え、チームメートから祝福された。
グラウンドでは益田を相手にキャッチボール後、ランニングなどで調整。節目の年齢となり両手で20の文字を作り笑顔をみせた。
「ここまで20歳になるまでたくさんの人に支えられてきました。これからも回りの人に助けてもらいながら、恩返しをしていけたらいいなあと考えています」と感謝の思いを述べた。
10月27日、楽天に敗れた瞬間、ロッテの16年ぶりのリーグ優勝の夢はついえた。シーズン終盤はオリックスとの激しいデッドヒートが続き、自力で優勝できる可能性も残していたが最後に力尽きた。なぜ、ロッテは優勝に手が届かなかったのか。その要因を考察した。
まず挙げられるのは不安定な先発投手陣。左腕の小島和哉が、9月11日のプロ入り初完投勝利をきっかけに自身初の二桁勝利(10勝4敗)を挙げるなど飛躍した。だが、次に勝ち星が多いのは岩下大輝の8勝(8敗)。チームの躍進にシーズン前半は貢献した岩下だったが、後半は未勝利に終わった。
故障で離脱していた石川歩の復帰、シーズン途中から先発に転向したルーキーの河村説人や令和の怪物・佐々木朗希の台頭、途中加入のエンニー・ロメロの安定した投球などもあった。そのため、最後まで粘りの戦いを見せていたものの、本来は先発の柱として牽引しなければならない美馬学(6勝7敗)と二木康太(5勝7敗)が、1つも貯金できなかったことが最終的に響いた。
被本塁打146本は12球団ワースト。チームがいよいよ勢いに乗りかけるかという大事な試合で先発投手が序盤に被弾し、あっさりと逆転されるケースも散見された。
本来は中軸を担うべき中堅野手が不在だったことも大きい。2018年に打率.292、24本塁打、99打点を記録して覚醒し、2020年までの3年間で231打点を挙げた井上晴哉が抜けた穴は大きかったと言わざるをえない。レオネス・マーティンとブランドン・レアードが揃って活躍し、2人で170打点を稼いだが、その前後に本来の井上の姿があれば打線の厚みも違い、相手に脅威を与えていたはずだ。
今季はわずか4試合の出場に終わった福田秀平や、昨季一定の活躍を見せた菅野剛士も本来は攻守でチームの中心になってほしい選手だった。ベテランの荻野貴司が全試合に出場し、若手の山口航輝が78試合に出場して9本塁打を放つなどポテンシャルの高さを垣間見せたが、井上や福田ら中堅が働くことができていれば、ベテランの負担が減り、若手が感じるプレッシャーはもっと少なかったはずだ。
打線が外国人助っ人頼みであることも課題の1つ。前述したように、マーティンとレアードは、好不調はありながらもシーズンを通じて多くの勝利に貢献した。しかし、マーティンが後半の勝負所で自打球による足の骨折で離脱すると、レアードへのマークが厳しくなるなどの悪循環を招き、打線全体が下降線をたどった。
優勝したオリックスは吉田正尚、杉本裕太郎ら日本人強打者が核となっている。そして、長打力のあるスティーブン・モヤやT−岡田らがその脇を固め、勝負所で効果的な一発を放つなど勝利に貢献した。
ロッテは近年、荻野の出塁と外国人助っ人の長打力に得点力を依存している傾向がある。本来は中軸を担うべき井上らの復調や今季経験を積んだ山口、また、安田尚憲、藤原恭大らの成長がなければ、毎年同じことの繰り返しになるだろう。
シーズン終盤にはマーティン、レアード、アデイニー・エチェバリアの3人がクリーンナップを組む試合もあった。中長期で強いチームを作っていくという観点からも、外国人助っ人に頼らなくてもいい打線の形成は重要だ。
今季1軍デビューを果たした山口は、開幕戦で5番を任されるなど将来の長距離砲として期待された。途中、不振により2軍で調整する期間がありながらも、78試合に出場して9本塁打を放つなど大器の片鱗を見せた。
一方、昨季は113試合に出場し経験を積んだ安田と、昨季終盤に頭角を現わした藤原は今季の躍進が期待されたが、活躍できた期間は限定的だった。安田は4月だけで28打点を挙げるなどシーズン序盤は好調な打線の中心として活躍を見せたが、以降は長打が出なくなるなど苦しんだ。
藤原は7月3日に一軍再昇格を果たすと、荻野とクリーンナップをつなぐ不動の2番として機能し、7月に打率.400、8月は.316と打ちまくり、7・8月度の月間MVPを初受賞。しかし、9月5日の試合で受けた左ふくらはぎへの死球の影響も重なり、9月は.091、10月は.080と低迷し、最後まで状態を上げることはできなかった。
技術の追求はもとより、そのベースとしてシーズンを通じて戦う体力の維持も課題だ。中堅野手の層が薄いため若手の成長に期待さぜるをえない点も課題ではあるが、彼ら若手には、シーズン終盤の勝負所でベンチ要員となった悔しさを来季に活かして、レギュラーの座をつかみ取って欲しい。
来季はトミー・ジョン手術からの復帰を目指す種市篤暉と西野勇士には、再び先発ローテーションの一角に加わることが期待される。また、10月30日に右手首を手術した井上の復調も同様だ。イースタン・リーグで10勝を挙げ、最多勝利投手賞を獲得した育成4年目の森遼大朗など期待の若手もいる。
先発投手陣に厚みが生まれれば白星が計算できる。中堅野手が奮起することで打線に厚みができれば、安田や藤原、山口ら若手のプレッシャーが緩和し、伸び伸びとプレーできる。ベテラン・中堅・若手の間に相乗効果が生まれるはずだ。
優勝マジックを点灯させ、あと一歩というところで優勝を逃した感があるが、一歩足りなかった要因は複合的であり根深い。浮き彫りになった課題をいかに解決していくか。来季以降の戦いぶりに注目したい。