わたしはかもめ2022年鴎の便り(2月)

便

2月1日

160キロ遠くないロッテ佐々木朗希、背後から定点観察した1年前との違い[ニッカン]

◇潜入

プロ3年目を迎えるロッテ佐々木朗希投手(20)が1日、石垣島キャンプでブルペン入りし、直球のみ31球を投げた。受けた前里ブルペン捕手は出力6〜7割と表現しながら「恐ろしいよ」と一言。開幕ローテ入りへ順調に滑り出した。キャンプ初日のブルペン入りは2年連続ながら、去年とはどこが違うのか。大船渡高時代から取材するロッテ担当記者が、20歳になった剛腕の変化に潜入する。


「OKです!」。

テキパキと11球を投げ、準備完了。佐々木朗が声を掛けると、前里ブルペン捕手が座った。前日1月31日には「例年より仕上げは早いのかなと思います」と言った。手慣れたように、18.44メートルの投球に入った。

たまたま、目の前のマウンドを背番号17が選んだ。ブルペンを囲むネット越しの、5メートルほど前。広い背中に大きな尻。大人びてきた横顔がのぞく。この距離や角度だと、1年前との変化も一目瞭然だった。

19歳の2月1日、スッとプレートに直立した。グラブ位置は顔の前。オーケストラの指揮者のようなたたずまい。そこからテークバックを大きめに、オリックス山本を思わせるフォームにトライ。「答えはないと思います。試合によって、年によって変わると思うので」。進化した肉体に合う投げ方を探求していた。

5月の1軍初登板時は、160キロ台を出した高校時代に近いフォームに戻った。今回は冬をまたいでもフォームのベースは変えず。足を細かく左右に何度か揺らしながら、重心を確認。投球動作への準備を始める。セットポジションの足幅は2足半ほど。1年前は、しっくりこなかったのか何度も左足の踏み位置を置き直していた。この日はこの足幅を1度も調整しなかった。

定まったフォームからの直球はやはりすごい。やや浮きがちながら、前里ブルペン捕手は「恐ろしいよ」と言った。出力は6〜7割の印象ながら、体感で150キロ超も何球かあったという。「このままいけば160キロを超えられると思います」と続けた。ラスト5球はクイック投球。実戦対策も少しずつ始める。

開幕ローテ入りを明確に狙うのは、今年が初めてのようなもの。しかしこの若者は迷いを感じさせないほど、強く進む。取材4年目で初めて気付かされることもある。10球目前後から目立ち始めた、リリース直後の「ヨイショー!」「ウイショー!」。緊張の1年目や模索の2年目にはなかった、2月1日の自己表現。時に軽やかに発しながら、いっそうの球威を付加させた。あとどれほどの力を出現させ、ペナントへ臨むのか。主役に躍り出る予感が高まる。

井口監督(佐々木朗のブルペン投球について)
「1人だけちょっと別格でしたね。他の投手陣も仕上がりは良かったです。」

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ロッテ井口監督が3位広畑敦也ら評価「仕上げてきてくれている」初日からブルペン[ニッカン]

ロッテのドラフト3位、広畑敦也投手(24=三菱自動車倉敷オーシャンズ)が1日、沖縄・石垣島キャンプの初日からブルペン入りした。

コースを意識しながら、カーブやカットボールも交えつつ、69球を投げた。一塁走者がいる想定で、視線でのけん制も入れつつのクイック投球も行った。

捕手の後ろで視察した井口資仁監督(47)は、同じくブルペン投球した同5位の八木彬投手(24=三菱重工West)も含め「しっかりと(先乗りで)こっちに入って、仕上げてきてくれているなと思います」と評価していた。

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ロッテ1位松川虎生が「声」を反省、投内連携で「まだまだ薄かったと思う」[ニッカン]

ロッテドラフト1位の松川虎生捕手(18=市和歌山)が「声」を反省した。

キャンプ初日は中森らのブルペン投球を受けるなど精力的に動いた一方で、想像とのギャップを問われると「瞬時の声」と回答。「1つ1つの連係のプレーがすごくレベルが高かったので。投内連係でも、一瞬一瞬の声がまだまだ(僕は)薄かったと思うので」。少しずつプロに慣れていく。

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開幕投手候補のロッテ小島が初日からハイテンポ60球「ここからさらに上げて」[ニッカン]

開幕投手候補に挙がるロッテ小島和哉投手がキャンプ初日からアピールした。

ブルペンで変化球を交えて60球。5球または10球をひと束に、谷川を相手にハイテンポで投げ込んだ。昨季は10勝を挙げ、プロ4年目は新背番号14でのスタート。「ずっといい状態をキープできていると思うので、ここからさらに出力を上げてやっていけたら」と手応えを口にしていた。

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ロッテ井口監督「和田康士朗がすごく良かった」課題の打撃成長にニンマリ[ニッカン]

石垣島キャンプ初日を終え、ロッテ井口資仁監督(47)は「心も体もフレッシュで臨んでくれて、今日は本当にみんな良かったと思います」と仕上がりを喜んだ。

動きが光った選手を問われると「和田康士朗がすごく良かった」と昨季の盗塁王を評価。「スタイルが変わっているというか、しっかり振れるようになってきています」と課題の打撃の成長に目を細めていた。

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ロッテ安田尚憲と藤原恭大はB組スタート、ランメニューを中心に体を動かす、新型コロナ療養明け[ニッカン]

ロッテ安田尚憲内野手(22)と藤原恭大外野手(21)が1日、沖縄・石垣島キャンプをB組(2軍)でのスタートで迎えた。

ともに当初はA組(1軍)スタートの予定だったが、新型コロナウイルスの陽性判定からの療養明けになったため、B組に変更。この日はランメニューを中心に体を動かした。井口資仁監督(47)は1月31日の取材で「なかなか体を動かせていない選手がいましたので、その辺がちょっと入れ替わりはあると思います」と示唆していた。

また、新型コロナウイルス感染症の療養者、濃厚接触者以外では、河村説人投手(24)が体調不良のため、初日の練習を不参加となった。井口監督は「ちょっと発熱があって、体調不良で何日か様子見ているというところですね」と状況を説明した。

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ロッテがキャンプイン、コロナ療養明けの安田尚憲、藤原恭大はB組スタート[ニッカン]

ロッテの春季キャンプが1日、沖縄・石垣島で始まった。

新型コロナウイルス感染症の療養明けとなる安田尚憲内野手(22)藤原恭大外野手(21)はB組スタートとなった。前日1月31日にはともにランメニューなどで練習。井口資仁監督(47)は31日に「なかなか体を動かせていない選手がいましたので、その辺がちょっと入れ替わりはあると思います」と示唆し「ただA、Bで常に入れ替えはしますので、あまり分けたという意識はないです」と話していた。A組、B組と同じ運動公園の敷地内でキャンプが行われる。

また、種市篤暉投手(23)らが濃厚接触者と判断されており、初日段階では練習に参加しない。

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ロッテ佐々木朗希が初日からブルペン入り、直球のみ31球「気持ちよく強い球を投げられた」[ニッカン]

ロッテ佐々木朗希投手(20)が1日、沖縄・石垣島キャンプの初日からブルペン投球を行った。

投内連係などを終えた後、午前11時にブルペン入り。前里ブルペン捕手が座った状態で直球のみ31球を投じた。関係者や報道陣の注目が集まり、ファンも遠目からながら視線を送った。「緊張感のある中でたくさんの人に見られながら久しぶりに投げたので、ちょっと力んでしまったりとかはあったんですけど、基本的には気持ちよく強い球を投げることを意識したので、それができたのかなと思います」と総括した。

終盤はクイックでも投球を行った。「動きだけでも早めにやっておいた方がいいのかなと思ったからです」と目標とする開幕先発ローテーション入りへ逆算して進めている。審判がついた状況でボール判定もややあったものの、球威あふれる投球を見せた。 昨年はキャンプ初日のブルペンで37球を投げた。

井口監督(佐々木朗のブルペン投球について)
「1人だけちょっと別格でしたね。他の投手陣も仕上がりは良かったです。」

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[あの自由枠の今]投げる広報担当は成瀬の前の背番17、二足のわらじ12年/ロッテ手嶌智氏1[ニッカン]

ロッテの背番号17と言えば誰が浮かぶだろうか。

22年現在は佐々木朗希投手。08年から14年までは成瀬善久投手(現BC栃木・投手兼任コーチ)が背負った。

では成瀬の前の17番は−。今も1軍のグラウンドで右腕を振っている。

04年のドラフト自由獲得枠で入団した手嶌智氏(39)は、広報と打撃投手の「二足のわらじ」で12年目を迎えた。(敬称略)

手嶌智(てじま・さとし)
1982年(昭57)6月16日生まれ、千葉・富津市出身。拓大紅陵から社会人の新日本石油を経て、04年ドラフト自由獲得枠でロッテ入団。09年限りで現役を退き、翌年は打撃投手兼スコアラー。11年から打撃投手と広報の兼任となった。現在背番号は104。

練習中も携帯電話が手放せない。マスコミ対応が仕事だから。同時にバッティングピッチャー(BP)として、打撃練習に登板しなくてはならない。

「選手取材と自分の投げるタイミングが重なりそうだったら、前もって選手に言っておく。投げる順番を変えられるんだったら変えてもらう。そういうのは計算して動きますね」。

シーズン中、BP専任のスタッフは試合終了と同時に帰れる。広報兼任だと、そこから取材対応が始まる。コロナ禍前は、12月も毎日のように選手のトークショーや野球教室、後援会イベントに付き添った。自分のトレーニング時間を捻出するのも大変だった。

「広報向いてないんですよ」と、よく言っていた。

最初はBP兼スコアラーだった。練習で投げて、試合が始まればスタンドでビデオを回した。投手は打たれないように投げるが、打撃投手は打ちやすいように投げる。

サブロー、里崎ら1軍野手は年上が多かった。

「打たれることに関しては、バッピになる前から結構打たれてたんで(笑)苦ではなかった。ストライクゾーンに入ればいいやと。ただベテランが多かったので、たまに投げた時は緊張しました。福浦さんとか『全然OKだよ』って毎回言ってくれて、ありがたかったです」。

11年、人員補充で広報兼務を打診された。

悩んだ。受けないとクビになるのだろうか。元々マスコミが苦手だった。

「僕みたいな活躍してない選手は、ドラフトの時に1番注目されて、その後(記者が)寄って来なくなる。そういうので1歩引いちゃう部分があって」。決断したのは球団に恩返ししたい思いから。「高い契約金をもらって全く貢献できなかった。その分を返さないと」。 手本がいた。榎康弘スカウト部長がBP・広報二刀流のパイオニア。動きを見て覚えた。人との距離感は難しい。報道陣に対しても、選手に対しても。

例えば試合中、先発投手やホームランを打った打者の談話がネットニュースに上がる。あのコメントは広報がベンチで聞いて、報道各社に流すものだ。勝ち試合ならいい。打たれた投手や、先輩に話しかけるのは配慮が要った。

「KOされると声を掛けづらい。聞きに行く1歩が踏み出せない。話してくれる人もいればくれない人もいる。外国人だと、アメリカは試合中にコメント聞く文化がないみたいで、なんだコイツって顔をされたり。色々難しさは感じましたね」。

戦力外の季節もつらかった。新人の入団時から関わるからこそ、見送る時は人一倍、心が重い。

何が正解か分からない。葛藤しながら仕事を続けた。広報という肩書は付いたが、なりきれてはいない気がしていた。心身のバランスを崩した時期もある。転機は17年秋、井口資仁監督就任のタイミングだった。

千葉・鴨川の秋季キャンプを終えて、台湾での親善試合に向かう車内。「榎さんが『俺、来年広報外れるから』って言うんですよ。ええ、じゃあ僕辞められないじゃないですか、どうしようって。でもそれでちょっと、鬱が晴れたんですよね」。

予期せぬスカウト転身の報告。ずっと「榎さんの補佐」だったのが「自分がやるしかない」に変わった。向いてないと言っていられなくなった。もちろん、業務には1人で判断できない案件もある。その時は梶原紀章広報室長に相談した。毎日「いっぱいいっぱい」だったのが、次第に「何とかなる」と思えるようになっていった。

「なるようになる」。プロに入った時、好きな言葉を聞かれてこう答えた。

「『なせば成る』じゃないなと思って。僕の人生、そうなんですよ。やってる中でどんどん道が開けてきた。もちろん、これまで関わってくれた方たちのおかげだと感謝しています」。

流れに身を任せて、導かれた先にプロ野球選手があった。プロになろうなんてそもそも考えてもいなかった。高校生まで、自分がなるのは漁師だと思っていた。それも、世界最大のカニ専門の。

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[あの自由枠の今]TV常連タカアシガニ漁師の父を継ぐはずが野球ルートに/ロッテ手嶌広報2[ニッカン]

千葉・富津の実家は海から徒歩1分。父照雄さん(74)と愛船「長五郎丸」は地元で有名だった。

「毎年3、4回とかテレビに出てて。いろんな番組が来た。ジャニーズの人も乗っていきました」。

父は現役のタカアシガニ漁師。オスはハサミ肢を広げると幅4メートルにも達する、巨大なカニとして知られる。

鋸南町の沖合は水深が深い。定置網にはクロムツなどの高級魚や、グロテスクな深海魚も引っ掛かった。千葉沖は幻の深海ザメ「メガマウス」も発見されている。そのため日本テレビ系「ザ ! 鉄腕 ! DASH !! 」からNHKのドキュメンタリーまで、幅広くクルーが来ていた。

小学生の頃、長五郎丸によく乗せてもらった。大きなかごや重たい網を、父と伯父はいくつも積んでは降ろしていた。兄弟は姉が1人。伯父の息子達も継ぐ気はなさそうだった。祖父の代から続く家業が途絶えてしまう。「じゃあ俺しかいないな。地元、好きだし」。漠然と思っていた。

高校生になり、進路を決める時期。「継ぎたいんだけど」と父に告げると一蹴された。「お前じゃ絶対無理。朝早いし。魚も減ってもうからない。やめとけ」。ここで人生設計の漁師ルート≠ェ終了した。

サイはふりだしに戻った。何になろう。安定した職がいい。親戚がJRで働いていた。JRに就職しようか。すると今度は拓大紅陵の監督に止められた。「ちょっと待て。もう1回、考えてくれ。野球を続けなさい」。

大学に進む気はなかった。新聞や高校野球雑誌に少し載ることはあっても、野球で上にいけるとは思っていなかった。「野球でとってくれるところがあるなら、仕事しながら野球できるところがいいです、と言って。監督同士が仲が良くて日石三菱、今のENEOSに話をいただいた。全部お任せしてました」。

身を委ねて野球ルート≠ェ延長された。

プロを意識するにはまだ至らない。入社1年目当時、社会人野球は金属バットだった。

「おっさんばっか、しかも金属で、こんなんやっていけないよって。最初のキャンプも、夜中の12時過ぎてからウエートやるぞって言われて。部屋に隠れてボイコットしてました。ついていくのがやっと。試合で投げられないだろうと思いながらやってましたね」。

運命は回り出す。新日石の春季キャンプは鹿児島・指宿市。当時ロッテのキャンプ地も鹿児島だった。2年目の2月、ロッテキャンプで大学・社会人が練習できるシステムの派遣メンバーに選ばれた。当時中大の亀井善行(現巨人コーチ)が一緒だった。 専用に配られたユニホームにはなぜか背番号が付いていて、憧れのジョニー黒木と同じ54だった。

「気が引ける思いでしたけど、当時プロなんか考えられない選手が、ブルペンで一緒に投げられる。ジョニーさんのブルペンも見たりして、めちゃくちゃ刺激になったのは覚えてます」。

徐々に試合登板が増え、社会人野球の雑誌に取り上げられた。社会人日本代表の候補合宿にも呼ばれるようになった。東京ガス・内海哲也(現西武投手兼任コーチ)らと一緒だった。ドラフトにかかるかもしれないという話が出始めたのは、3年目だったか。

「自由獲得枠」。高校生を除く最大2選手と、ドラフト会議よりも前に契約を結べる制度があった。本格派右腕として4年目の秋、松下電器・久保康友とともにロッテ入団が決まった。実質のドラフト1位、2位と言える。

入団1年目のロッテは最強だった。

「2005年だから。こんなに強かったんだって思いながら。春先は調子がよかったんですけど、1軍に上がれるチャンスもなかった」。

ボビー・バレンタイン監督のもと、日本シリーズ無傷の4連勝(対阪神)で31年ぶりの日本一に輝いた年だ。5月には破竹の12連勝があっ

た。

チャンスは不意に訪れた。

「社会人の時から夏場に弱くて、調子が落ちてきた時だったかな。俊さん(渡辺俊介)が肘の違和感か何かでローテを飛ばすってことになって」。

6月22日の日本ハム戦で初登板、初先発することが決まった。前夜は緊張で眠れなかった。のちに何度か当時の試合映像を見返した。汗でびしょびしょになりながら、がむしゃらに投げている自分が映っていた。あの日のことは今も記憶が曖昧で、鮮明には思い出せない。(連載3に続く)(敬称略)

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[あの自由枠の今]最初で最後の1軍マウンド、「赤トンボの呪い」戦力外/ロッテ手嶌広報3[ニッカン]

初めての1軍マウンドが、最後の1軍マウンドになった。公式記録には3回4失点とある。

「初回1、2番を確か3球三振だったんですよ。デビュー戦で3者連続3球三振だったらすごいなと思って。で、小笠原(道大)さんに投げたらレフトポール際にホームラン打たれて。甘くねえな、と思って。周りが見えてなかったですね」。

わずか10球ほどで酸いと甘いを味わい、2回以降を覚えていない。

その後は故障もあって、入団当初148キロを計測した球速も全然出なくなった。1年目のオフの過ごし方を間違えたからだと思っている。「高校、社会人と練習内容が決まっていたのが、突然休みと言われて何をしていいか分からなかった。自分に投資できなかった。それが全てかな」。

3年間、結果が伴わなかった。球団に背番号変更を打診された。空き番から47を選んだのは「自分が付けてる17のアイテムに、1本線を足せばよかったから」だ。

この年、抜群の成績を残した左腕がいた。最優秀防御率で16勝1敗と文句なしの活躍。契約更改を前に、成瀬から着信があった。「番号、いいですか」。17番はエースに継承された。

今、佐々木朗の背中を見て思う。

「プロに入って最初に付けさせていただいた番号なんで、思い入れはありますね。やっぱね、右ピッチャーだし、頑張って欲しい。僕が付けてたって知らないでしょうし、言わないけど。ははは」。

戦力外通告はすんなり受け入れられた。09年10月だった。2軍の浦和球場には、入団した時から都市伝説があった。赤とんぼが体に止まると、その年限りで戦力外になるという通称「赤とんぼの呪い」。「辞める時とかね、ああ、止まったって。そこまで気にしないですよ、笑い話です」。そろそろかと思っていた。

裏方になっても、雇用契約が1年更新なのは選手時代と変わらない。打撃投手やブルペン捕手といった技術職は加齢との戦いだ。「絶対に衰えてくる。今の目標は福嶋さんです」と、94年からBPを務める54歳のベテランを挙げた。

2年に1度はギックリ腰になる。投げたくても投げられない時が来るかもしれない。それでも「もう要らないって言われるまで」は続けたい。

かつて失敗したオフの使い方もうまくなってきた。「年数を重ねると、体がしばらく休んでも投げられるようになってくる。12月は1回だけ壁当てしましたけど、そういうのも経験っていうか、体が変わってくるんだなと思って」。1月に選手の自主トレを手伝いながら、キャンプまでに十分体が動くよう調整していく。

「なるようになる」はおまじないのような言葉だ。仕事で悩むことがあっても、1人の時間に「何とかなる」と思えば気持ちが落ち着いた。

野球を始めたのは小1。小さな街の少年チームで放課後、毎日練習に明け暮れた。田舎で遊びが少なかったからかもしれない。生活の中で野球はやっているのが当たり前だった。もし今後、野球から離れることがあれば、大型車の免許を取ろうかなと考えている。養う家族がいるから、今から漁師になるのはちょっと難しいな、と思う。

実家には今も、プロ入り記念につくった練習用グラブがとってある。タカアシガニのイラストと、長五郎丸の文字の刺繍が入った思い出の品だ。

「インパクトがあるのがいい、人と違うのがいいなと思って。昔は目立ちたがりだったんで。今は全くですけど(笑)」。

今年で40歳になる。野球に向き合い、野球に導かれて歩いてきた。「やることをやっていれば、道は開ける」。人生は、なるようになる。(敬称略)

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ロッテが石垣島でキャンプイン、井口監督「頂点を、つかむ」、セレモニーで宣言[ニッカン]

ロッテの春季キャンプが1日、沖縄・石垣島で始まった。今年で15回目。

キャンプインに先立ち、会場の石垣市中央運動公園野球場でセレモニーが行われ、チーム側からは河合克美オーナー代行兼球団社長(69)井口資仁監督(47)益田直也選手会長(32)中村奨吾キャプテン(29)の4人が代表で出席した。

石垣市の中山義隆市長(54)は「心から歓迎申し上げます。お帰りなさい」と挨拶すると、雲間から朝日が差し込んだ。2年ぶりの有観客キャンプ。「この球場に球音と選手の声とともに熱気が戻ってくることを大変嬉しく思っております。どうぞこのキャンプでチーム力を鍛えていただき、日本一獲得に向けて突き進んでいきたいと思います」と期待を込めた。

井口監督は「我々の今年の思いは1つです。頂点を、つかむ。昨年の悔しさを晴らす時が来たと思っております。この石垣でしっかりと練習し、石垣市の皆さんとともに1年間戦って、最後に優勝をつかむ。これをまた実現して、また来季戻ってきたいと思います」と力強く宣言した。

地元各企業、団体からは石垣島や沖縄の特産品がチームに贈呈された。

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ロッテ・小島がブルペンで60球、「さらに出力を上げていきたい」[サンスポ]

4年目左腕の小島がブルペンで60球を投げた。「このキャンプでは投げる体力をしっかりとつけて、テンポを意識して投げ込みたい。ずっといい状態を維持できているので、さらに出力を上げていきたい」と上々スタートを切った。昨季はチームトップで自身初の2桁勝利となる10勝を挙げて、開幕投手の期待がかかる。

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ロッテD3位右腕の広畑敦也、キャンプ初日にアピール、新人捕手の松川相手に69球[サンスポ]

A組(1軍)スタートのドラフト3位・広畑敦也投手(三菱自動車倉敷オーシャンズ)がブルペンに入り、テンポのいい投球を披露した。ドラフト1位・松川虎生捕手(市和歌山高)を座らせ、69球。即戦力として期待される新人右腕が初日から、首脳陣にアピールした。

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ロッテ・佐々木朗がキャンプ初日にブルペンに入り31球の力投[サンスポ]

ロッテ・佐々木朗希投手(20)がキャンプ初日に軽快な動きを見せた。投内連係を終えた後にブルペンに入り、捕手を座らせて31球を投げた。首脳陣が見守る前で、球を受けた前里史朗ブルペン捕手(46)のミットを響かせた。

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ロッテ・朗希、6、7割で150キロ超え!井口監督「一人だけ別格」[スポニチ]

ロッテ・佐々木朗は「3年目の自覚」を示した。初日から捕手を座らせて31球のブルペン投球。30球目に「ラスト!」と宣言も力んで高めに抜けると「もう1球」と志願の「おかわり」で最後を締めた。「強い球を気持ちよく投げることを意識した。それはできた」。オール直球で途中からクイックも試した。

3年連続の石垣島キャンプ。1年目は打ち上げの日に初めてブルペン投球を行い、昨年の初日は立ち投げだっただけに、視察した井口監督も「1人だけ別格だった」と絶賛。女房役を務めた前里ブルペン捕手も「本人は6、7割と言っていたけど150キロを超えるような球もあった。このままいけば160キロを超えられる」と驚く。

この日の守備練習では黒と赤のグラブを使ったが「明るい色が好きなので…」とブルペンでは鮮やかな青色のグラブに“お色直し”もした。そんなところにも余裕が垣間見える。昨季は3勝ながら終盤はローテーションに定着してCSも経験した「令和の怪物」が、大ブレークを狙う3年目をスタートさせた。

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ロッテ1位・松川「気が引き締まった」、背番2背負い軽快な動き披露、井口監督「1年目とは思えない」[スポニチ]

ロッテの将来の正捕手候補であるドラフト1位・松川(市和歌山)は背番号2のユニホーム姿で軽快な動きを見せた。

ズボンが少し大きめだったが「ユニホームを着て初めて練習したので気が引き締まった」と振り返り、ブルペンでは2年目の中森の投球も受け「いい投手といい話ができたので次につながる」と笑顔。井口監督も「どっしり感が1年目とは思えない」と評した。

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ロッテ小島、初日からブルペン60球、「体力つけ、テンポを意識したい」[スポニチ]

ロッテ・小島和哉投手が1日、石垣島キャンプで初日からブルペン入りし、いきなり60球を投げ込んだ。「投げる体力をしっかりとつけるように、テンポとかそういう部分を意識していきたい」と口にした。

昨季は自身初の2桁となる10勝をマークした。左腕エースとして4年目は、新たな背番号「14」と同じ数字の勝ち星を追い求めていく。

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ロッテドラ1松川「気が引き締まった」高卒新人でA班抜てき、井口監督「どっしり感が1年目と思えない」[スポニチ]

ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手(市和歌山)が1日、石垣島キャンプ初日を終えた感想を語った。

「ユニホームを着て練習するのが初めてだったので、気が引き締まった。1つ1つの連係がすごくレベルが高く、もっと元気を出してやらないといけないと思った」。

ブルペンでは、2年目・中森、ドラフト5位・八木(三菱重工West)の投球を受けた。「あれだけ(報道陣やメディアに)見られているのは初めて。その中でいい投手といい話ができたので、次につなげられる」と前向きに捉えた。

井口監督も「高校から1年目でプロに交じって普通にやっているのはすごいこと。どっしり感が1年目とは思えない」と感心していた。

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ロッテ朗希 初日から捕手を座らせ31球に「気持ちよく強い球を投げられた」[スポニチ]

ロッテ・佐々木朗希投手が1日、石垣島キャンプ初日からブルペンで捕手を座らせて31球投じた。

練習後、取材に応じ、「久しぶりに緊張感ある中で練習ができてよかったし、暖かい中で入れてよかった」と振り返った。

昨年のキャンプは無観客だったが、今年は有観客となった。「たくさんの人に見られながら投げたので、ちょっと力んでしまったが、基本的には気持ちよく強い球を投げることを意識したので、それはできた」と、テーマに掲げた「力強さ」には満足げだった。

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ロッテ佐々木朗希、初日からブルペン!捕手を座らせて31球[スポニチ]

ロッテ・佐々木朗希投手が1日、沖縄・石垣島キャンプの初日からブルペン入りし、捕手を座らせて31球を投じた。

直球だけで、右打者のインコースとアウトコースを投げ分け、クイックでの投球も行った。「ラスト!」と言ってから投げ込んだ30球目が高めにいくと「もう1球」とおかわりをして最後を締めた。

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ロッテ石垣島キャンプ、安田&藤原B班スタートに変更[スポニチ]

ロッテ・安田尚憲内野手と藤原恭大外野手が1日の石垣島キャンプで、B班スタートになった。

主力として期待される若手コンビだが、いずれも1月中旬に新型コロナウイルスに感染し、自主トレーニングの調整が遅れていた。

前日に行われた全体ミーティング後、井口監督は「コロナで体を動かせていない選手がいたので、ちょっと(A、B班の)入れ替わりはある」と明かしていた。

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ロッテ石垣島キャンプ、歓迎セレモニー、井口監督「思いは1つ。最後に優勝つかむ」[スポニチ]

ロッテの石垣島春季キャンプが1日、スタートする。午前9時からの練習前には、石垣市中央運動公園野球場のメイン球場で、「歓迎セレモニー」が行われた。

河合克美オーナー代行兼球団社長、井口資仁監督に加え、選手を代表して益田直也選手会長、中村奨吾キャプテンが出席し、地元特産品の石垣牛などが贈呈された。

井口監督は「我々の思いは1つです。“頂点を、つかむ。”です。最後に優勝をつかむ。これを実現して来季戻ってきたい」と挨拶。セレモニー中、最初は曇っていた南国の空も、少しずつ太陽の光が差し込んでいた。

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[ロッテ]佐々木朗希、今月中の実戦へ最速調整…初日から捕手座らせ31球、クイックも披露[報知]

新人時代から佐々木朗希を取材し、3度目の石垣島キャンプ。1年目は球の威力に衝撃を受けたが、今年は安定感と主力投手の自覚も感じ取れた。

この日は午前11時にブルペン入り。立ち投げで9球を投げた後、全て直球で捕手を座らせ31球を投げ「久しぶりにたくさんの人に見られながら投げたのでちょっと力んだけど、気持ちよく強い球を投げられた」。言葉通り、迫力あるミット音がブルペン中に響いた。

昨年のキャンプは初日にブルペン入りも、捕手を座らせたのは2月3日。今年はすでにクイックでも数球投じるなど、2月中の実戦登板に向け最速で調整を進めている。昨年まではポーカーフェースで淡々と投げる姿が印象的だったが、最近では投げる度に「よっしゃ」と声を出すなど、感情を出すようになった。受けた前里ブルペン捕手は「恐ろしい。このままいけば(1軍戦では記録していない)160キロを超えられる」と称賛。井口監督も「1人だけ別格でした」と想像以上の仕上がりに驚いていた。

「まずは次のステップに向けて、やらなきゃいけないことをやる。開幕ローテに入れるようにやりたい」。体づくりに専念した我慢の1年目が今、確実に土台となっている。今年の朗希はさらなる進化を見せてくれそうだ。

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[ロッテ]ドラ3広畑敦也、ドラ5八木彬らも初日ブルペン入り、50球以上投げ込む[報知]

ロッテのドラフト3位・広畑敦也投手=三菱倉敷オーシャンズ=と同5位・八木彬投手=三菱重工West=が1日、石垣島キャンプ初日からブルペン入りした。

広畑は69球、八木は65球を投げ込み、気迫あふれるピッチングを披露。即戦力として期待される2人は初日から豪快に腕を振り、実戦へと仕上げていく。

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[ロッテ]佐々木朗希が初日にブルペン31球、剛球にキャッチャーミットから爆音[報知]

ロッテの佐々木朗希投手が1日、沖縄・石垣島キャンプで初日からブルペン入りした。

投内連係などの練習を終えた午前11時にブルペン入り。はじめは前里ブルペン捕手を立たせ9球、その後に同捕手を座らせ31球を投じた。後ろに立った審判の判定ではボール判定もあったが、豪快に腕を振り、ブルペン中にすさまじいミットの音を響かせた。

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[ロッテ]石垣島キャンプスタート、井口資仁監督「昨年の悔しさを晴らす」[報知]

ロッテの石垣島春季キャンプが1日、スタートした。練習前に行われたキャンプインセレモニーでは河合オーナー代行、井口資仁監督、中村奨、益田ら4人が出席した。

中山義隆市長は「今年は2年ぶりの有観客で、球場に熱気が戻ってくること、大変嬉しく思っております。選手の皆さんにはしっかりチーム力を鍛えていただき、日本一獲得に向けて務めて頂きたいと思います」などと激励。井口監督は「今年の我々の思いは一つです。頂点をつかむ。昨年の悔しさを晴らすときが来ました。石垣市でしっかり鍛えて日本一を勝ち取ってまた石垣市に戻ってこれるように頑張りたいと思います。よろしくお願いいたします」などとスピーチした。

全体練習は午前9時から行われる。

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ロッテ・佐々木朗160キロいける、ブルペン捕手断言[デイリー]

ロッテの佐々木朗希投手(20)が、キャンプ初日から捕手を座らせ31球投げた。いきなりの快速球の連発にボールを受けた前里ブルペン捕手はプロ最速160キロの今季達成に太鼓判を押した。

昨年のこの時期とはケタ違いの投球で周囲をうならせた。伸び上がる直球で捕手のミットに鋭い音が響き渡る。ファンの視線をくぎ付けにし「気持ちよく強い球を投げることができてよかった。見ていただくことで気持ちも高まりますしすごく集中できた」。昨年の無観客キャンプとは違い充実感を漂わせた。

2年目の昨季、初日は立ち投げでフォームの感覚を確かめながらの投球だったが、「今年は開幕ローテに入れるようにやっている。やらなきゃいけない」と早めの仕上げを目指し、1月からブルペン入りしてきた。前里ブルペン捕手は「まだ6割くらいの出力だと思うが、初日とは思えないくらいのキレとスピードがあった。捕手目線で150キロを超えていると思う球が何球かあった。末恐ろしい」とうなった。

昨季CSファーストSでプロ最速159キロをマークした怪物に同ブルペン捕手は「このままいけば160キロは超えられると思います」と断言。井口監督も「1人だけ別格でしたね」と成長している姿に目を細めた。

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ロッテ・小島は「出力を上げて」、2年連続2桁勝利へ初日から60球[デイリー]

ロッテの小島和哉投手が初日からブルペン入りし、捕手を座らせ60球を投げた。

プロ3年目の昨年は自身初の10勝、2完封をマークした。今季も2桁勝利と、規定投球回到達を目標に掲げる左腕は「このキャンプでは投げる体力をしっかりとつけるように、テンポとかそういう部分を意識して投げ込んでいけたらなと思います。ずっといい状態をキープできているので、ここからさらに出力を上げてやっていけたら」と力を込めた。

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ロッテのドラ1松川は充実の初日、ブルペンでは堂々とキャッチング、高卒新人でA組抜擢に[デイリー]

ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手(市和歌山)が充実のキャンプ初日を終えた。

高卒ルーキーながらA組スタートの捕手はキャッチボール、走塁練習を行った後、ブルペンではドラフト5位・八木(三菱重工West)のボールを受けるなど、初日から精力的に動いた。午後は屋外フリー打撃を行い、フルスイングで右へ左へ快音を響かせ、1日の動きに井口監督も合格点を与えていた。

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ロッテ・佐々木朗が調整に手応え「強い球を投げることができた」[デイリー]

ロッテの佐々木朗希投手がキャンプ初日のブルペン入りを振り返り「気持ちよく強い球を投げることを意識したので、それができてよかった」と手応えを明かした。

初日は午前中に石川とキャッチボール、投内連係を行った後、ブルペン入りし直球を31球、投じた。有観客になり、ファンの視線を感じながらの投球。「久しぶりに緊張感のある中で、練習ができてとても良かったです。ピッチングも暖かい中で入れてよかったです」と充実感を漂わせた。

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ロッテ、佐々木朗希が初日ブルペンで31球、昨年との違いも見せる[デイリー]

ロッテの佐々木朗希投手が昨年に続き、初日からブルペン入りした。昨年は立ち投げだったが、今年は捕手を座らせる“違い”も。31球、伸びのある直球を投じた。

この日はコーヒースペシャリストの資格を持つドラフト3位・広畑もブルペン入りし、69球、内外角に直球を投じ、変化球を交えて投球。井口監督も視察した。

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プロ野球の12球団キャンプイン2年ぶり観客入れ始動[デイリー]

プロ野球の12球団は1日、宮崎、沖縄でキャンプインした。新型コロナウイルスの第6波が拡大し、両県とも「まん延防止等重点措置」が適用されているが、2年ぶりに観客を入れ、感染対策に気を配りながら開幕への準備を進める。

日本ハムの新庄剛志新監督は沖縄県国頭村での2軍キャンプから始動。昨季20年ぶりに日本一に輝いたヤクルトは同県浦添市で調整を始め、昨年25年ぶりにパ・リーグを制したオリックスや巨人は宮崎市で汗を流す。

2月23日にオープン戦が始まり、公式戦は3月25日にセ、パ両リーグが同時に開幕する。

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ロッテ、安田、藤原がB組スタートに変更、1月に新型コロナ感染で[デイリー]

1月に新型コロナウイルスに感染した安田尚憲内野手、藤原恭大外野手がB組スタートに変更となった。

井口監督はキャンプ前に「コロナの中で若干、体を動かせていない選手がいるので、若干、入れ替わりはあると思います」と話していた。安田は31日の自主練習に参加しており、大事をとりB組に変更したとみられる。

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