ロッテのドラフト1位、松川虎生捕手(18=市和歌山)が“本島行き切符”をつかんだ。今キャンプ初のシート打撃で攻守にアピールした。
まずは守備で見せた。育成の小沼とバッテリーを組み、ともに1死一塁の場面で二盗を2つ刺した。井口監督は「スローイングは非常に安定しているし、タッチゾーンにも必ず来ていた。持ち味を実戦でしっかりできている」と評価。さらにバットでは2打数1安打。無死一、三塁で左腕成田から右翼線二塁打を放ち“プロ初打席、初安打、初打点”をマークした。
二塁送球1秒8の強肩と、広角に長打を打てる打棒。指揮官は対外試合が始まる1軍の沖縄本島遠征にも「連れて行きますよ」と明言した。加えて「全てに関して平均値が高い。そのままいけば開幕もあるかもしれないし、それくらい今はいいものを見せてくれている」とたたえた。
高卒新人捕手の開幕1軍となれば、06年の西武炭谷以来となる。堂々と持てる力を発揮した18歳は、本島同行の知らせに「すごく嬉しいです。ここから結果が求められてくると思うので、やっぱりそこでしっかりアピールできるようにやっていけたら」。実戦形式ではない、本物の実戦を心待ちにした。
昨季イースタン・リーグ10勝のロッテ森遼大朗投手(22)がシート打撃に登板し、3者連続三振を奪った。
カウント1−1からの設定で加藤、福田光、柿沼を次々と空振りで仕留めた。打者のべ8人を無安打に抑え、続く小川に二塁打を許して予定の球数を終了。「ある程度、狙ったところに投げ込めたのはよかった。打者の反応を見る限りそんなに悪くないと思う」と話し、牽制の精度などを課題に挙げた。昨年12月に育成から支配下に昇格し、飛躍を狙う。
メキシカンリーグのドスラレドス・オウルズは7日(日本時間8日)、昨季まで2年間、ロッテに所属した右腕ホセ・フローレス投手(32)の獲得を発表した。関係者によると、先発投手として期待されている。
ベネズエラ出身のフローレスはUEマリアモンテソーリ高から米マイナー、米独立リーグ、メキシカンリーグ、BCリーグの富山をへて20年にロッテに入団。昨季まで2年間で通算24試合に登板し、3勝2敗1ホールド、防御率5.35の成績を残した。昨年は10試合で1勝0敗、防御率1.38だった。
新型コロナウイルス感染症から復帰したロッテ菅野剛士外野手と平沢大河内野手が8日、球団を通じてコメントを発表した。ともに第2クールから沖縄・石垣島キャンプに合流している。
ロッテは8日、荻野貴司外野手が新型コロナウイルスに感染したと発表した。
5日に発熱し、6日にPCR検査を行って陽性判定を受けた。その後、7日に沖縄・石垣市内の医療機関を受診。現在は宿舎で隔離、療養している。
ロッテは8日、公式ファンクラブ「TEAM26」有料会員限定の来場特典ボブルヘッド人形に、藤原恭大外野手、佐々木朗希投手、和田康士朗外野手を起用すると発表した。
ボブルヘッドは手のひらサイズで頭がぐらぐら揺れる人形。選手は昨年12月の会員対象ファン投票で決まった。昨年はマーティン、中村奨、安田の3選手だった。
藤原は昨年8月14日オリックス戦で2ランを打ったシーンがモデルで、6月10日と11日のDeNA戦で配布。佐々木朗は投球時の足を大きく振りかぶったシーンがモデルで、6月24日と25日のオリックス戦で配布。和田は盗塁で走りだすシーンをモデルに7月1日、2日の楽天戦で配布する。
いずれも2試合合計1万人で先着。合計6試合3万人に配布する。
元ロッテの高浜卓也さん(32)は昨季限りでユニホームを脱いだ。「お疲れさまでした」。労いの花が自宅に届いた。
南の香りがした。送り主は石垣島に暮らす夫婦。「キャンプで本当にお世話になって、気にかけていただいて。石垣島へ毎年行くのも難しくなるのかな…」。寂しそうな顔をした。ハマ、もしくはハマちゃん。強烈な1軍成績を挙げたことはなくとも、愛される選手だった。
たまにファンから言われた。「すごく優しく接してくれる」「サインも嫌な顔せず書いてくれる」。意識して演じたことなどない。「僕らみたいな職業を応援してくれる人がいることに感謝して。記者の人にもそうです。僕らの人間性って、記事にして分かってもらえる訳だし」。
炎天下で取材した日、そっとミネラルウオーターを差し出してくれた。「今日、ほんと暑いですよね。日陰にいてください」。白い歯がキラッとしていた。
暖かさの原点は。「中学、高校と厳しくしてもらったのが生きてるんじゃないかな」。
全ての始まりは、松坂大輔の存在だった。1998年。ソフトボールから野球に転向した、小学4年の夏だった。強い日差しが水田で反射する、佐賀の街。朝から日没まで練習に夢中で、甲子園での伝説はリアルタイムで見ていない。でも。「僕、すごい高校野球マニアだったんですよ。『熱闘甲子園』とかも録画して、テープがすり切れるくらい何度も見て」。
特段、深い理由はない。「ただただかっこいい。あんな速い球投げて、騒がれて。かっこいいから、俺も入りたいって」。やっぱり、独特の投球フォームもまねた。日本中の野球少年達と同じように。
ソフトボールで作った地肩に、生まれ持つ身体能力がシンクロしていく。仲間や指導者にも恵まれた。軟式野球でプレーした中学時代は、最速138キロ右腕として全国大会に出場。横浜スタジアムでの躍動感あるプレーは、スタンドで視察する渡辺元智監督(当時)をワクワクさせた。地元の公立校に入学するつもりでいた。やがて約70校から誘いがあったことが判明。迷わず横浜を選んだ。
九州から横浜高校野球部の門をたたく、初めての中学生だった。越境入学に抵抗はなかった。「今みたいに年齢を重ねてたら、そういうところに行ったら大変って分かるじゃないですか。でも中学生だと、何とかなるでしょみたいな感覚だったんですよ。何も怖いものなしで行って」。
入学後にノックで右翼に入り、いきなり三塁へ低空ノーバウンド送球。手厳しい小倉清一郎部長(当時)をもうならせた。すぐに内野でも試され、背番号5を手にした。
スター街道を歩み始めた。一方で人知れず悩みも芽生えた。部員の多くが首都圏出身、または有名チームの出身だった。「関西の人もいましたけど、関西の言葉ってみんな分かるじゃないですか。九州は違うんです。しかも自分は無名の軟式出身。言葉のことを指摘されたことがあって、それがずっと尾を引いて」。
失意の15歳に、追い打ちをかけるような出来事があった。ある日、制服姿で外出した。バスの運転手に、行き先に関することを尋ねた。カバンの校名を見たのだろうか。当時の彼にとっては、冷たすぎる言葉が戻ってきた。「横浜高校の生徒なのに、そんなことも分からないの?高校生にもなって」。
いつしか、コンビニも気軽に行けなくなった。「温めますか?」と聞かれると、返事のイントネーションが正しいかをまず気にしてしまう。憧れの場所だったのに、どんどん苦しくなっていく。何か違う。無理かな。寮を飛び出した−。
横浜高校の校歌は港町の夜明けを描く。
朝日直射す、富岡の阜。紺碧の波、額に迫る−。
高校野球ファンによく知られた情景を迎える前に、動いた。その朝のことを今でも鮮明に覚えている。
「朝4時ぐらいですね、荷物持って能見台駅まで歩いて、京急の始発に乗って」。
羽田空港に着いた。そのまま飛行機に乗った。行き先は故郷・佐賀。「修学旅行の積立金か何かで、たまたま口座にお金が入っていたんですよ」。高1の5月、寮を脱走した。
言葉の違い。誰かと話をすることが苦しかった。直接の否定はなくとも、自身への否定のように感じてしまった。人と話すことに苦しさを感じた。「もう、ちょっと限界でしたね」。
耐えられなくなり、前日に決意。2人部屋の相棒には、夜のうちに「帰るわ」と予告した。空の上の記憶はない。「寝てたんじゃないですかね、多分」。その後の記憶は鮮明だ。9時ごろ、佐賀空港に着陸。到着口へ向かうと「うわっ…」。母がいた。寮生活。誰かがいなければすぐに分かる。
「何してんの?」。
「もう無理や」。
「どうすんの?これから」。
帰宅し、部屋に飛び込む。苦しみがどっと抜けた。「こんにちは」。午後になって声が聞こえた。部屋にいても、それが誰だかすぐに分かる。
「渡辺監督がいらしてくださって」。
両親が対応し、自分は部屋にいた。多感な15歳。色々な感情が駆けめぐって「あの日のことは、覚えていないことも多くて」。けれど数日後、再び横浜の長浜グラウンドに立っていた。「普通に入って。何か言われるかなと思ったんですけど、みんな『何があった?大丈夫か?』と心配してくれました」。
いつも優しげな表情をしている。それゆえか、周囲には気付かれていなかった苦しみ。同級生に少しだけ、吐露した。
「そこからですよね。逆に(言葉を)いじるじゃないですけど。それまでは変な顔をされるだけだったのに、横浜に帰ってからは『イントネーション違うじゃん』とか、みんなが返してくれるようになって。こっちもそれに返して」
今となっては笑って振り返られるほど、濃密な野球人生だった。甲子園優勝、ドラフト1位、FAの人的補償、何度も変わった背番号、育成契約…色々あった。弟も同じ道を追いかけ、プロ野球選手になった。でももしあの日、渡辺監督が佐賀へ飛んできてくれなかったら。
「どこか近所の高校に入り直して、1年棒に振って、野球やってたかもしれないですけど。分かんないですね。でも渡辺監督は来てくださった。そんなことしてくれる人、なかなかいないので。この人に付いていこうと思ったのは、その時ですかね。それまでは憧れでしかなかった」
喜びも苦しみも、全ては15歳の自身の決断から始まった。もう1度、野球人生を歩めるならば。
「もう1回するでしょうね、同じ決断を。いないんじゃないですか、こんなたくさん経験できた人って。恩師や仲間達。本当に人に恵まれました。野球がなかったら多分、つまんない人間だと思うんで。野球があったから」
後輩達が安心して野球に打ち込めるよう、また自分で道を開きたい−。引退を決断し、渡辺監督に伝えた。「これからの人生をどう生きるかのほうが、よっぽど大事なんだから」。あの日、ピリオドを許してくれなかった師は、次へのスタートラインに優しい声を響かせてくれた。
ロッテのドラフト1位・松川虎生(こう)捕手(18)=市和歌山高=が8日、沖縄・石垣島キャンプで初のシート打撃に臨み、逆方向へ右翼線二塁打を流し打った。
「積極的に振って、いい結果が出た。もっとレベルアップしたいし、試合に近い練習ができて本当によかったです」
実戦を想定した守備では二盗を7度仕掛けられ、2度阻止。チーム内では「存在感と落ち着きは高校生とは思えない」と評価が高まっている。
首脳陣は当初、石垣島に残してB組(2軍)で調整させる方針だったが、井口監督は一転、14日に沖縄本島へ移動するA組(1軍)への帯同を明言。「全てに関して平均値が高い。いいものをずっと見せてくれている」と、沖縄本島で行う対外試合での起用を示唆した。
和田がシート打撃で自慢の俊足を生かし、右翼線への三塁打を放った。成田の内角球を捉え「初めての実戦だったので、結果は気にせず自分のスイングができたらいいなと思っていた」と振り返った。
昨季は主に代走の切り札として起用され盗塁王を獲得したが、今年はレギュラー定着を狙う。「やっぱり打撃でアピールしないとスタメンで出られない。頑張っていきたい」と気合を入れた。井口監督は「バッティングスタイルが非常によくなっている。外野争いが激しくなってくる」と評価した。9日は練習休み。
ロッテが8日、荻野貴司外野手(36)が新型コロナウイルスに感染したと発表した。2月5日に発熱し、6日にPCR検査を受けた結果、陽性反応と診断された。現在は、キャンプ地の沖縄・石垣市内の宿舎にて隔離療養中。球団は、一般社団法人日本野球機構(NPB)事務局に報告し、所轄保健所や医療機関と連絡をとりながら対応している。
ロッテは8日、荻野貴司外野手が新型コロナウイルスの陽性判定を受けたと発表した。5日に発熱し、6日にPCR検査を受けた。
7日にキャンプ地の沖縄県石垣市の医療機関を受診し、宿舎で隔離療養している。
開幕1軍も射止める。ロッテの高卒ドラフト1位捕手・松川(市和歌山)がシート打撃で攻守に存在感を示した。「打者相手でバッテリーを組むのは初めてだったが、投手と話し合いながらできた」と二盗を2度阻止し、バットでは右翼線に二塁打を放った。
2ボール2ストライクでスタートした西巻を二塁への好送球で仕留めると、ドラフト2位の池田(国士舘大)も二塁で刺した。「サインプレーや、声の質を上げていきたい」と満足していないが、実戦形式での初マスク。7度企図された中での2盗塁刺で、投手のクイックモーションが完成していない現時点では十分な結果だった。
2秒を切れば一流と言われる、捕球から二塁への送球タイムは1.8秒台。高校通算43本塁打の打力も売りだが、球団スカウト陣の評価は「肩も超高校級」だった。バットでも「初球からどんどん振っていこうと思った」と一、三塁の状況で成田のファーストストライクを捉え、右翼線に適時二塁打を放った。
井口監督は「全てに平均値が高い」と絶賛し、対外試合が中心となる15日からの沖縄本島での2次キャンプメンバー入りを明言。さらに「そのまま開幕(1軍)もあるかもしれない。それくらい、いいものを見せてくれている」と言い切った。
平成(89年)以降では、89年の大洋・谷繁、06年の西武・炭谷の2人しかいない高卒新人捕手の開幕1軍。松川は「ここから本当に結果が求められてくる。しっかりアピールしたい」と実戦へ向け引き締めた。その先に、16年ぶりとなる快挙が見えてくる。
高卒新人捕手の開幕1軍入りは、85年以降では89年谷繁元信(大洋)、06年炭谷(西=現楽天)の2人だけで、ロッテにはいない。ロッテの高卒新人が開幕1軍入りを果たすと、19年の藤原(外野手)以来になる。
ロッテの昨年12月に支配下契約となった5年目右腕の森がシート打撃に登板。打者9人と対戦して安打性の打球を1本に抑え「打者の反応を見る限り、感じは悪くない」と手応えを口にした。
育成契約だった昨季はイースタン・リーグで10勝を挙げ最多勝を獲得。直球と切れのあるスライダーで3者連続三振を奪うなどアピールに成功し「投げたいところに狙って投げた結果」と胸を張った。
新型コロナウイルス感染から復帰したロッテ・菅野剛士外野手と平沢大河内野手が8日、球団を通じてコメントを発表した。両選手ともに第2クールから沖縄・石垣島キャンプに合流している。
ロッテのドラフト1位・松川虎生(こう)捕手(市和歌山)が石垣島キャンプの第2クール最終日に行われたシート打撃でマスクをかぶり、二盗を2度阻止する強肩ぶりを発揮した。
走者を一、三塁に置いた打席でも成田から右翼線適時二塁打を放つなど大活躍だった。
ロッテは8日、荻野貴司外野手(36)が新型コロナウイルスの陽性判定を受けたと発表した。
5日に発熱があり、6日にPCR検査を行い、7日に春季キャンプ地である沖縄県石垣市内の医療機関で診断をうけた。
現在は宿舎で隔離療養中。今キャンプ中のチーム内での陽性判定は、中村稔に続いて2人目。
ロッテは公式ファンクラブ「TEAM26」有料会員限定の来場特典のボブルヘッド人形に藤原恭大外野手、佐々木朗希投手、和田康士朗外野手を起用することが決まったと発表した。
「ボブルヘッド」は手のひらサイズで頭がぐらぐら揺れる人形で、モデルとなる選手は昨年12月に「TEAM26」会員を対象として行われたファン投票で決まった。
いずれも2試合合計1万人のTEAM26有料会員に先着で、合計6試合で3万人に配布する。ボブルヘッド人形は現在製作中。
ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手(18)=市和歌山高=が8日、沖縄・石垣島キャンプで“プロ初安打&プロ初盗塁阻止”で、15日から始まる沖縄本島遠征の切符をつかみ取った。井口監督は状態次第では開幕1軍入りの可能性もあることを示唆した。
第2クール最終日に行われたシート打撃。走者を一、三塁に置いた打席で左腕・成田から右翼線適時二塁打を放ち、「初のシート打撃で初球からどんどん振っていこうという意識で入った。その中でいい結果が出たかなと思う」とうなずいた。さらに守備では1死一塁の場面から二盗を2度阻止し、攻守で存在感を見せた。
井口監督は「全てに関して平均値が高い。もっと伸びそうな感じ」と、15日からの沖縄本島での練習試合起用を明言。「そのままいけば開幕もあるかもしれない」と絶賛した。松川は「嬉しい。ここから本当に結果が求められてくると思うのでしっかりアピールできるように」と、表情を引き締めた。期待の18歳が正捕手の座を狙う。
ロッテの菅野剛士外野手と平沢大河内野手が8日、沖縄・石垣島キャンプ第2クールを振り返った。
両選手は1月末に新型コロナウイルスに感染したが、6日から始まったキャンプ第2クールから復帰。菅野は「動き出しなのでしっかり体の状態を確認しながらできればと思い取り組みました。石垣島の気温にも慣れてきたのでここから徐々に上げて1日も早く本隊に合流することを目指したいと思います。オープン戦や練習試合でアピールできるようにまずは体力や技術のベースをしっかり作っていきたいと思います」とコメント。
平沢も「体力的な部分はちょっと落ちてはいますけど、ある程度は動けていますし、ここから徐々にしっかりと強度を上げていきます。第3クールからは部分的に合流する予定ですし体の状態も上がってきているので自分でも楽しみです。スタートで出遅れているので少しでもアピールしていかないといけないですし、少しでも人より目立つようにやっていければと思います」と10日からの第3クールへ意気込んだ。
ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手=市和歌山高=が8日、沖縄・石垣島キャンプで強肩をアピールした。
午後に行われたシート打撃ではどちらも1死一塁の場面からドラ2・池田の二盗、西巻の二盗を刺し強肩をアピール。さらに打撃では右翼線二塁打をマークするなど、存在感をアピールした。
ロッテは8日、荻野貴司外野手が新型コロナウイルス陽性判定を受けたと発表した。
荻野は5日に発熱し、6日のPCR検査で陽性が判明。7日に石垣市内の医療機関で診断を受け、現在は宿舎で隔離療養している。
ロッテの小島和哉投手が8日、沖縄・石垣島キャンプでブルペン入りし84球を投げ込んだ。
捕手はドラ1・松川虎生=市和歌山高=が務め、直球、チェンジアップ、カーブ、カット、シュートなどを時折打者を立たせながら投球。キャンプ初日のブルペンから60球、65球、84球と球数を徐々に増やしながら調整を続けている。
ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手=市和歌山高=が8日、沖縄・石垣島キャンプで憧れの益田直也とバッテリーを組んだ。
この日ブルペンに入った益田の捕手を務め、50球以上を捕球。「ナイスボール!」と何度も声を響かせた。松川は年始に今年の目標として「高校の大先輩の益田さんとバッテリーを組みたい」と明かしており、石垣島で一足早く“和歌山コンビ”でのバッテリーが実現した。
ロッテの小島和哉投手がブルペン入り。ドラフト1位・松川(市和歌山)とバッテリーを組んでカーブ、チェンジアップを交えて84球、投じた。
この日はドラフト2位・池田(国士舘大)、中村奨を打席に立たせての投球も内外角に直球を投じた。受けた松川もナイスボールを連発していた。
昨季プロ入り初の2桁、10勝をマークした左腕は、佐々木朗とともに開幕投手候補に挙がっている。
ロッテは8日、公式ファンクラブ「TEAM26」有料会員限定の来場特典のボブルヘッド人形に藤原恭大外野手、佐々木朗希投手、和田康士朗外野手を起用したと発表した。
「ボブルヘッド」は手のひらサイズで頭がぐらぐら揺れる人形で、モデルとなる選手は昨年12月に「TEAM26」会員を対象として行われたファン投票で決定した。なお、2021年はマーティン、中村奨吾、安田の3選手が起用された。
ボブルヘッド人形詳細。
いずれも2試合合計1万人のTEAM26有料会員に先着で配布。合計6試合で先着3万人に配布する。
ロッテは8日、荻野貴司外野手がPCR検査を行った結果、新型コロナウイルスの陽性判定を受けたと発表した。
荻野選手は2月5日に発熱し、6日にPCR検査を行った。7日に石垣市内の医療機関で診断を受け、現在は宿舎にて隔離療養をしている。
この件については、一般社団法人日本野球機構(NPB)事務局に報告。今後も所轄保健所や医療機関と連絡をとりながら対応を行っていく。
ロッテは8日、荻野貴司外野手が新型コロナウイルスの陽性判定を受けたと発表した。5日に発熱し、6日にPCR検査を受けた。
7日にキャンプ地の沖縄県石垣市の医療機関を受診し、宿舎で隔離療養している。
ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手がシート打撃に出場し、2打数1安打。盗塁を2つ刺して強肩でもアピールした。
打撃では成田の外角球を捉えて右翼線へ二塁打を放ち、“初打点”をマーク。福浦1軍打撃コーチも非凡な打撃に感心していた。
捕手としても森、小沼と投球後は積極的に会話を交わすなど、井口監督が「コミュニケーション能力が高い」という資質を見せていた。
ロッテの育成選手・小沼健太投手がシート打撃に初登板し、打者8人に対し、1安打4三振を奪う力投をみせた。
カウント1−1の想定でスタート。A組のキャンプに参加中の右腕は、山口を外角低めの直球で見逃し三振。「たぶん、変化球を張っていたので。しっかり真っ直ぐで三振を取るというのが今年のテーマなので、そこは出せてよかったと思います」。
昨季のイースタン・リーグセーブ王に輝き、支配下を目指す右腕。第3クール以降もシート打撃などに登板予定。「このまましっかりアピールしていければ、大丈夫だと思うので、頑張っていきたいと思います」と意気込みを明かした。
新型コロナウイルスの陽性判定を受けた後、第2クールから石垣島キャンプに合流した平沢大河内野手と、菅野剛士外野手が球団を通じ、第3クールからの巻き返しを誓った。
平沢は「体力的な部分はちょっと落ちてはいますけど、ある程度は動けていますし、ここから徐々にしっかりと強度を上げていきます。第3クールからは部分的に合流する予定ですし体の状態も上がってきているので自分でも楽しみです」。
続けて「スタートで出遅れているので少しでもアピールしていかないといけないですし、少しでも人より目立つようにやっていければと思います」と、10日から始まる第3クールへの意気込みを明かした。
菅野は「いきなり上げ過ぎて怪我だけは避けたいので気を付けてやっていきたいですが、石垣島の気温にも慣れてきたのでここから徐々に上げて1日も早く本隊に合流することを目指したいと思います。オープン戦や練習試合でアピールできるようにまずは体力や技術のベースをしっかり作っていきたいと思います」とコメントした。
ロッテのドラフト1位・松川虎生捕手(18)=市和歌山=がシート打撃に初登場。打っては右翼線適時二塁打。守っては盗塁を2度刺し、強肩をアピールした。井口監督は15日から沖縄でのA組(1軍)2次キャンプ帯同を明言。今後の結果次第では開幕1軍入りの可能性も示唆した。
打撃も捕手としての能力も高校生離れしていると指揮官は確信した。一、三塁想定の“プロ初打席”。対戦経験のない成田の初球、シュートを逆方向にはじき返し“初適時打”となった。「どんどん振っていこうという意識の中で打席に入っていい結果が出た。ここからも結果が求められるのでしっかりやっていきたい」。指揮官と森脇ヘッドも顔を見合わせ、驚いた表情を見せた。
98キロの大きな体ながら俊敏性も十分。ドラフト2位・池田(国士舘大)と西巻を刺した。井口監督は「全てに関して平均値が高いですよ。このままいけば開幕もあるかもしれない」。高卒新人捕手の開幕1軍が実現すれば、06年の炭谷銀仁朗(西武)以来となる。大きな可能性を秘めた大型新人だ。
「頂点を、つかむ。」。2022年のチームスローガンが決まった。石垣島キャンプスタート前日の1月31日。井口資仁監督は全選手の前で恒例のスピーチを行った。絶対に優勝をするという強い想い。そして個人目標を設定する大事さを説いた。
「個人的にもしっかりとみんな自分の目標をもってキャンプインしてくれると思うし、もちろん最後まで持ち続けるという事も大事なことなんだけれど、シーズン中も再確認するとともに、もう少し短期的に目標設定をみんなにしてもらいたい。それが10試合、20試合なのか1ヶ月、2ヶ月なのか。シーズンの半分でもいい」。
リーグ優勝という大きな目標がある。そこに向かうには選手1人1人の力を結集する必要がある。選手達には具体的な目標。そしてそれに向かうための中期目標。さらに短期の目標設定を求めた。
求めるだけではなく井口監督自身が現役時代に目標を達成するために取り入れた考え方を紹介した。今季、30本塁打を目標に掲げる山口航輝外野手に語り掛けた。
「山口は今年何本打つんだっけ?30本か。今は0から30だけを見て求めたらなかなかハードルが高いけど、それを週単位、月単位で考えてみたらどうだろう。月で計算したら5本、1週間で計算したら1本ほど。そう考えて取り組んで欲しい」。
これは指揮官が初めてのタイトルとなる盗塁王をとった01年に取り組んだ考え方だ。当時、30盗塁以上がタイトル獲得のための現実的な数字であると目標を設定した。続いて大きな目標を逆算して小さく分解することで達成する可能性が見えてきた。1シーズンは6ヶ月あると考えると1ヶ月5盗塁で30盗塁。最低でも週に1つ成功させていけば数字に繋がると考えると、気持ちが楽になった。自宅のカレンダーには盗塁をするたびにシールを貼って、より自覚を持って挑んだ。結果的に01年シーズン、140試合に出場。打率2割6分1厘、30本塁打、97打点。44盗塁で盗塁王を獲得すると同時に打撃部門の他の数字も大きく伸ばした。目標を設定し、それに向かい突き進んだことで思わぬ副産物も生まれた。将来豊かな若い選手の多いマリーンズ。少し発想を転換しただけで気持ちが大きく変わることを伝えたかった。
「数字を自分達でポジティブに考えながら、数字を短期的に追い込んで、そういうポジティブな気持ちをもって今年はやっていこう。我々マリーンズの野球は隙を見せず相手の隙をつく。当たり前のことを当たり前にプレーするのがマリーンズの野球なので、開幕3月25日、日本シリーズ第7戦が10月30日。この1年間みんなで戦いきれるように頑張っていこう。お願いします」。
指揮官の野太い声がミーティング会場に響いた。2月1日、マリーンズの春季キャンプがスタートした。戦いはここを起点に10月末まで続く。それぞれが具体的な目標を設定し、それに向かう過程を明確化させながら束を少しずつ大きくして一丸となって挑む。頂点を、つかむシーズンが始まった。
「力強いストレートと落差のあるフォーク。落差、球の強さをブルペンで見せにいっています」。
ロッテのドラフト5位・八木彬(三菱重工West)は、改めてストレートと武器であるフォークでアピールしていると語った。
ブルペンではキャンプ序盤、抜ける球もあったとのことだが、ここ最近はコースに決まり、捕手陣からも力強い球という言葉をかけてもらい、フォークに関しても「言うことがない」と絶賛されたそうだ。
春季キャンプで2度打撃投手を務めているが、「1回目より、2回目の方が強い球がいっていましたし、徐々に調子が上がっているなという感じがあります」と手応えを掴む。
ストレートは社会人時代の2年間で大学時代から6キロアップし、最速152キロを誇る。球速アップの要因に「1番は体重が増えたこと」を挙げ、「大学の頃は肘の痛みがあったんですけど、体重が増えたことで、肘の痛みもなくなって気持ちよく投げたら球が速くなったという感じでした」と説明した。ちなみに体重は大学時代の83、4キロから社会人時代の2年間で、約10キロ増えて94、5キロ。ベスト体重は95キロとのことだ。
武器であるフォークは落差の大きいフォークと、ストライクゾーンに投げるフォークの2種類。ストライクゾーンで投げるフォークは早いカウントで投げ、打たせて取るイメージだそうだ。
フォークに関して、「今のところは2種類ですけど、3、4種類増やしていけたらいいなと思っています」とさらに種類を増やしていく考えを示す。
昨年12月に行われた都市対抗の投球を見ると、ストレートとフォークの2種類を中心に投げていた。本人も「去年とかは真っ直ぐ、フォークだけでやっていたという感じでしたね」と振り返る。
プロではそこに他の球種を加える考えはあるのだろうか−。「スライダー、カーブでもカウントが取れる」と、ストレートとフォークが中心になるが、スライダーやカーブも織り交ぜていく予定だ。
第2クールが終了し、来週の15日からは練習試合がはじまる。1軍のリリーフ陣は年々、層が厚くなっており、競争が熾烈だ。八木は「練習試合からというより、今からアピールしていかないといけない。結果を残すだけです」と“結果”にこだわっていく。
新型コロナウイルス陽性判定を受けて隔離療養を行っていたロッテの菅野剛士が、第2クールから石垣島春季キャンプに合流し元気な姿を見せている。
菅野は球団を通じて「今はまだ自分にとって第1クール。動き出しなのでしっかり体の状態を確認しながらできればと思い取り組みました」と、第2クールを振り返った。
「いきなり上げ過ぎて怪我だけは避けたいので気を付けてやっていきたいですが、石垣島の気温にも慣れてきたのでここから徐々に上げて1日も早く本隊に合流することを目指したいと思います」と意気込んだ。
菅野は20年に自己最多の81試合に出場して、打率.260、2本塁打、20打点、出塁率.389をマークし、守っても外野で60試合、一塁で12試合に出場したが外野、一塁ともに無失策と、レギュラーに近い存在までにのぼりつめた。しかし、昨季は33試合に出場して、打率.194、2本塁打、5打点と悔しい結果に終わった。
「オープン戦や練習試合でアピールできるようにまずは体力や技術のベースをしっかり作っていきたいと思います」。
新型コロナウイルスの陽性判定を受けて、出遅れてしまったが、ここから巻き返していく。