わたしはかもめ2022年鴎の便り(10月)

便

10月6日

[ロッテ]松永昂大が現役引退「肩痛に悩む選手の希望の光になりたかった」12年ドラフト1位[ニッカン]

ロッテは松永昂大投手(34)が現役引退すると発表した。

高松商(香川)から関西国際大、大阪ガスを経て、12年ドラフト1位で入団。ルーキーイヤーの13年から58試合に登板し、その後も7年連続で40試合に登板するなど、リリーフ左腕としてブルペンを支えた。

20年から肩、ひじのコンディションが悪化し、同年オフにはFA宣言するもそのまま残留に。その後は育成契約も経験し、今年7月末に支配下契約に返り咲いていたが、実戦登板なく引退となった。通算359試合に登板し、16勝15敗1セーブ、防御率2.91だった。

松永は「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。何とか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという思いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そして何よりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう1度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました」とコメントした。

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[ロッテ]田中靖洋が現役引退「人との出会いに恵まれた」西武戦力外からテスト経て15年入団[ニッカン]

ロッテは6日、田中靖洋投手(35)が現役引退すると発表した。

加賀(石川)から05年高校生ドラフト4巡目で西武に入団。10年間プレーした後、戦力外になり、入団テストを経て15年オフにロッテに入団。その後、7年間プレーした。

シュートなど動く球が投球の大半を占める個性を生かし、リリーフで活躍。プロ通算209試合に登板した。昨季終盤から打ち込まれるケースが目立ち、今季は15試合でリリーフ登板するも防御率8.36に終わっていた。

田中は「最近1、2年チームに貢献できなかった中、応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちしかありません。西武に入団し、ロッテに拾ってもらった17年間を振り返ると、本当に人との出会いに恵まれた野球人生だったなと思います。皆様のおかげで本当に幸せな野球人生を送ることができました」と感謝し「丈夫な体に産んでくれた両親、野球をはじめるきっかけとなった2人の兄、いつもサポートしてくれた家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。皆様、本当にお世話になりました」とコメントした。

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[ロッテ]9年目捕手の吉田裕太に戦力外通告、昨季は開幕戦で代打本塁打も今季は1軍出場なし[ニッカン]

ロッテは6日、吉田裕太捕手(31)に来季の契約を結ばないことを通知した。

プロ9年目を終えての戦力外になった。昨季は強打を買われての代打要員として開幕1軍入りし、いきなりソフトバンクとの開幕戦で代打本塁打。しかし故障もあり、力を発揮しきれず、今季は1軍出場はなかった。通算248試合出場で9本塁打。今後は現役続行を希望している。

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[ロッテ]川越英隆2軍チーフ投手コーチが契約満了で退団[ニッカン]

ロッテは6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチ(49)が契約満了で退団すると発表した。

川越コーチは11年に現役引退後、12年から11年間、1軍や2軍で投手コーチを務めていた。

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[ロッテ]矢面に立つ井口監督の思い阻んだブーイング、かき消す拍手と真夜中まで続いた感謝の輪[ニッカン]

5年間の監督生活と胴上げを終えたロッテ井口資仁監督(47)は、帽子を少しだけ浅くかぶり、今季最終戦後の報道陣の代表取材に姿を見せた。

10月2日夜。ファンの前で目を赤くし、電撃的に退任を告げた。慰労の花束さえ見当たらなかったことが事の緊急性を物語った。最後は安田らから支えられ、本塁ベース上で6度宙に舞った。

「胴上げは、今回しっかりしていたので良かったと思います。デカいやつばかりなので、その辺はしっかりドラフトした成果が出たかなと思います」。

笑っていた。退任発表直後とは思えない、キレキレのジョーク。よく分からないけれど、なんだか救われた気がした。ほんの数十分前を思えば−。

海風の球場、ZOZOマリン。生音を聞きたいから試合はいつも4階記者席で見ている。取材に備え、試合終盤には1階の室内記者室に降りる。でも、この日は監督のスピーチを屋外で聞きたかった。

1年を戦い終え、Bクラスに終わった井口監督の言葉に、集まったロッテファンはどう反応するのか。画面上やインターネット上では絶対に分からない、生の反応。この日、ロッテ関連で最も報じる価値がある事象と思った。速報記事の執筆より優先し、ネット裏でファンとともに聞いた。

唖然とした。監督がスピーチを始める前からブーイングが聞こえる。ロッテファンが集う右翼席からのブーイングだったのは明白で、一部で誰かが大きく動いているアクションも視界に入った。

特定の事象に何を感じるかは個人の自由で、とりわけ2年連続2位を経ての5位ならば、懸命に応援するファンには不満も相当にあるだろう。井口監督も報道対応で「結果が出なかったことは本当に申し訳ない気持ちでいますし、ファンの人も歯がゆい気持ちではいたと思います」と否定的な思いも受け入れていた。

しかし。矢面に立とうとしていた人物の言葉を、ブーイングで阻害していいのか。話す中身を聞く必要もないほど、この5年間の歩みは完全悪なのか。

そもそも、なぜ応援席で「ブー」と大声を発しているのか。試合中にも、ネット裏4階記者席にまで声が届いた。右翼席から、明らかに録音されたものではない声援が聞こえる。

新しい観戦様式になり、3年目。新型コロナウイルスへの考え方も多様化している。しかしZOZOマリンではシーズン最終戦時点でも「大声での応援禁止」「接触がある応援禁止」「飛び跳ねるなどの応援禁止」と明文化し「応援ルール」としている。球場内でも多く掲示している。

選手や関係者たちは、時期によっては毎日のようにPCR検査を受け、ペナントレースを止めないよう努めてきた。ファンも声出し禁止のルールを順守し、手拍子や拍手で思いを届け続けた。日本一熱いとされるロッテファンが、そうしてきた。球場観戦のニューノーマルと皆知って、協力してきた。プロ野球観戦の文化をつなぎ、いつか元通りになるために。こうやって公然とルールが破られることで、立場が悪くなる運営責任者やスタッフだって間違いなくいるのだ。

右翼席にいた複数のロッテファンの証言を聞いた。ブーイングなどで騒いでいたのは、ごくごく一部の来場者達。試合前から井口監督の名がアナウンスされるとブーイングし「試合中も警備員や周囲の注意も無視して声を出したり、マスクを外して叫んだり、無法地帯でした」との声があった。「一部のブーイングをかき消すために、大勢のファンが大きな拍手をしていた」との証言もあった。

井口監督は退任を言い出す前、7秒ほど沈黙した。その間もブーイングが響く。5年間、時には若手の結果が出ないことに悩み、なかなか寝付けなかった夜もあったという。正面から取り組んだ常勝軍団への道。思いの発信も続けてきた。言葉を拝借すれば「道半ば」で辞任するリーダーへの最後の決意に対し、敬意のかけらもないブーイング。スタンドには指揮官の家族も訪れていたと聞く。

最後の取材対応。口元こそマスクで隠れていたが、目力の強い井口監督の視線はいつになく温かかった。劇的に敗れた試合直後でも、冷静に言葉を紡いでいたのを思い出す。試合終了後に退場を宣告された試合では、私のしつこい質問に「もういいです」と話を打ち切ったものの、堂々と場に姿を見せた。おとこ気のある監督だった。

ベンチ裏で選手達には再度、今季限りでの退任を報告した。1人1人と感謝を交わし合う輪は、日付が変わる間際まで途切れなかったという。

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ロッテ・松永昂大と田中靖洋が現役引退、吉田裕太は戦力外[サンスポ]

ロッテは6日、松永昂大投手(34)と田中靖洋投手(35)が今季限りで現役を引退すると発表した。また、吉田裕太捕手(31)と来季の契約を結ばないと発表。吉田は現役続行を希望している。

松永は大阪ガスから2013年ドラフト1位でロッテに入団し、10年間在籍した。1年目の13年から7年連続40試合以上に登板するなど主に中継ぎ、抑えで活躍。通算359試合に登板して16勝15敗1セーブで135ホールド、防御率2.91の成績を残した。21、22年は1軍戦未登板だった。

球団を通じて「(今季は)育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録していただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。ここまで359試合に投げさせていただきました。楽しい日々でしたし、やり残したことはありません」とコメントした。

田中靖は加賀高(石川)から2006年高校ドラフト4巡目で西武入団。16年からロッテでプレーし、2球団で通算17年間プレーした。昨季は20年の右肘手術から復活して、中継ぎで38試合に登板した。通算209試合登板で10勝9敗2セーブ22ホールドで防御率3.81だった。

球団を通じて「西武に入団をしてロッテに拾ってもらった17年間を振り返ると、本当に人との出会いにめぐまれた野球人生だったなあと思います」とコメントした。

吉田は立正大から2014年ドラフト2位でロッテ入団。9年目の今季は1軍戦未出場だった。通算成績は248試合出場で打率.191、9本塁打、30打点。

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ロッテ・川越英隆2軍チーフ投手コーチが退団[サンスポ]

ロッテが6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチ(49)の退団を発表した。5日には鳥越裕介2軍監督(51)とコーチ4人の退団を発表。2日のソフトバンクとの今季最終戦後に、井口資仁監督(47)が電撃的に辞任し、河合オーナー代行兼球団社長も辞任を表明している。

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ロッテ・松永&田中靖、今季限りでの現役引退を発表、川越コーチは契約満了で退団[スポニチ]

ロッテ・松永昂大投手(34)と田中靖洋投手(35)が6日、今季限りでの現役引退を発表した。

松永は12年ドラフト1位で入団し、中継ぎで活躍。左肩痛で昨オフに育成契約となり、7月に再び支配下登録も登板なしに終わった。通算359試合で16勝15敗、1セーブ、135ホールド、防御率2.91。「最後の2年間、投げることができませんでしたが、今はすっきりとした気持ちです」とコメントした。

また、16年に西武から移籍した田中靖は今季15試合で防御率8.36。通算209試合で10勝9敗、2セーブ、22ホールド、防御率3.81だった。

◇川越コーチ、契約満了で退団

ロッテは6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチ(49)が契約満了で、退団することを発表した。井口資仁監督(47)が2日に電撃辞任し、前日には鳥越裕介2軍監督(51)と木村龍治投手コーチ(52)ら4コーチの退団が発表されており、これで6人目のコーチ陣の退団となった。

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ロッテ松永、田中靖が現役引退、吉田は戦力外、通算359試合登板の松永「すっきりとした気持ち」[スポニチ]

ロッテ・松永昂大投手(34)と田中靖洋投手(35)が6日、今季限りで現役引退することを発表した。

松永は12年ドラフト1位で入団し、1年目から中継ぎとして活躍したが、近年は左肩痛に苦しんでいた。昨オフに育成契約となり、今年7月に再び支配下登録となったが、今季登板なしに終わった。通算359試合に登板し16勝15敗、1セーブ、135ホールド、防御率2.91。「最後の2年間、投げることができませんでしたが、今はすっきりとした気持ちです」とコメントした。

田中靖は16年に西武から移籍し、通算209試合で10勝9敗2セーブ、22ホールド、防御率3.81。「西武に入団し、ロッテに拾ってもらった17年間、本当に人との出会いに恵まれた人生だった」と振り返った。

また、球団は吉田裕太捕手(31)とは来季契約を結ばないことを通達した。現役続行を希望している。

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「NPB AWARDS 2022」特別協賛社に大正製薬[スポニチ]

日本野球機構(NPB)が開催する今年度のプロ野球年間表彰式「NPB AWARDS 2022」の特別協賛社に、大正製薬が決定した。あわせて11月25日に開催する同表彰式の公式タイトルを「NPB AWARDS 2022 supported by リポビタンD」とすると発表した。

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ロッテ川越2軍投手コーチも退団、電撃辞任した井口監督にとって青学大の先輩[スポニチ]

ロッテは6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチ(49)が契約満了で、退団することを発表した。

同コーチは電撃辞任した井口資仁監督(47)にとって青学大の先輩だった。また、前日には鳥越裕介2軍監督(51)、木村龍治投手コーチ(52)、河野亮打撃コーチ(51)、清水将海バッテリーコーチ(47)、的場直樹戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐(45)の退団も発表されており、全員が古巣ダイエー時代の元同僚か母校・青学大のOBだった。

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[ロッテ]田中靖洋が現役引退「ファンの皆様には感謝の気持ちしかありません」[報知]

ロッテは6日、田中靖洋投手が現役引退すると発表した。

田中靖洋選手コメント
「最近1、2年、チームに貢献できなかった中、応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちしかありません。西武に入団をしてロッテに拾ってもらった17年間を振り返ると本当に人との出会いに恵まれた野球人生だったなあと思います。監督、コーチ、スタッフ、選手との出会いに恵まれました。皆様のおかげで本当に幸せな野球人生を送ることができました。最後に丈夫な身体に産んでくれた両親、野球をはじめるキッカケとなった2人の兄、いつもサポートをしてくれた家族にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。皆様、本当にお世話になりました。」

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[ロッテ]松永昂大が現役引退「肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという思いでやってきた」[報知]

ロッテは6日、松永昂大投手が現役引退すると発表した。

松永は高松商、関西国際大、大阪ガスを経て12年ドラフト1位でロッテ入団。

1年目の13年から7年連続40試合以上に登板し、貴重なリリーフとしてチームを支えた。

近年は左肩痛に苦しみ、育成選手契約も経験。今年途中に支配下登録に復帰したが1軍登板なしに終わった。

松永投手コメント
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。何とか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという思いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そしてなによりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう1度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました。」

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[ロッテ]吉田裕太に戦力外通告、現役続行を希望[報知]

ロッテは6日、吉田裕太捕手に来季の契約を結ばないことを通知したと発表した。

吉田は日大三高、立正大を経て13年ドラフト2位でロッテに入団。近年は捕手だけでなく打力をいかすため一塁にも挑戦していた。

吉田は現役続行を希望している。

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[ロッテ]川越英隆2軍チーフ投手コーチの退団発表、首脳陣7人目の退任[報知]

ロッテは6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチが契約満了に伴い、退団すると発表した。

前日5日には鳥越裕介2軍監督、木村龍治1軍投手コーチ、河野亮1軍打撃コーチ、清水将海1軍バッテリーコーチ、的場直樹1軍戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐が今季限りで退団すると発表されていて、2日に電撃退任を発表した井口監督含め、川越コーチで7人目の首脳陣退任となった。

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[ロッテ]井口資仁監督退任余波、首脳陣5人退団…鳥越裕介2軍監督&1軍コーチ4人、体制刷新へ[報知]

ロッテは5日、鳥越裕介2軍監督(51)、木村龍治1軍投手コーチ(52)、河野亮1軍打撃コーチ(51)、清水将海1軍バッテリーコーチ(47)、的場直樹1軍戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐(45)が今季限りで退団すると発表した。2日の今季最終戦(対ソフトバンク、ZOZO)で井口資仁監督(47)が退任を電撃発表したことに伴い体制を刷新するとみられる。

鳥越2軍監督、清水、的場両コーチは、18年の井口監督就任時にコーチングスタッフ入り。河野コーチは19年から、木村コーチは今季からコーチを務めていた。球団によると鳥越2軍監督からは退団の申し出があり、4コーチは契約満了による退団という。

球団は現在、後任監督の選定作業中。河合オーナー代行は前日4日にOBか外部かを含めて「白紙」と説明したが、球団生え抜きの福浦和也1軍打撃コーチ(46)らを候補に人選を進めていくとみられる。

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ロッテ・松永が引退「悔いはありません」、吉田は戦力外[デイリー]

ロッテは6日、松永昂大投手(34)が今季限りで現役引退することを発表した。昨オフに育成で再契約後、今年7月に支配下登録され1軍復帰を目指したが、左肩痛の影響もあり登板機会なしに終わった。「ここまで359試合投げさせていただき、本当に楽しい日々でした。やり残したこと、悔いはありません」と振り返った。

15年オフに西武からロッテに移籍した田中靖洋投手(35)も現役引退を表明。吉田裕太捕手(31)は戦力外通告を受けた。

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ロッテ、松永と田中靖が引退吉田は戦力外[デイリー]

ロッテは6日、松永昂大投手(34)と田中靖洋投手(35)が現役を引退すると発表した。

松永は香川・高松商高-関西国際大-大阪ガスを経てドラフト1位で2013年に入団し、主に救援で通算359試合に登板。球団を通じ「やり残したことはない」とコメントした。肩の状態が悪く、20年が最後の登板となった。

田中靖は石川・加賀高から高校生ドラフト4巡目で06年に西武入りし、16年からロッテでプレー。通算209試合に登板し「本当に人との出会いに恵まれた野球人生だった」と談話を出した。

また、吉田裕太捕手(31)に対し、来季の契約を結ばないことを通告したと発表した。

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ロッテ、12年ドラ1松永昂大が現役引退「やり残したことはありません」[デイリー]

ロッテは6日、松永昂大投手、田中靖洋投手の今季限りでの現役引退を発表した。

松永は12年のドラフト1位で入団し、通算359試合に登板。16勝15敗1セーブ、防御率2.91だった。18年には60試合に登板するなど、リリーフ左腕として活躍。昨オフに育成契約となった後、今季7月30日に支配下登録されたが、左肩痛の影響もあり、1軍登板機会はなかった。

松永
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。
何とか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。
ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そしてなによりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう1度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました。」

田中は06年から西武、ロッテで17年間プレー。通算209試合の登板で10勝9敗2セーブ、防御率3.81。今季は15試合の登板に終わった。

田中
「最近1、2年、チームに貢献できなかった中、応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちしかありません。西武に入団をしてロッテに拾ってもらった17年間を振り返ると本当に人との出会いに恵まれた野球人生だったなあと思います。監督、コーチ、スタッフ、選手との出会いに恵まれました。
皆様のおかげで本当に幸せな野球人生を送ることができました。最後に丈夫な身体に産んでくれた両親、野球をはじめるキッカケとなった2人の兄、いつもサポートをしてくれた家族にこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。皆様、本当にお世話になりました。」

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ロッテ、13年ドラ2吉田裕太に戦力外通告、12年ドラ1松永昂大、田中靖洋は現役引退[デイリー]

ロッテは6日、吉田裕太捕手に対して来季の契約を結ばないことを通達したと発表した。また、松永昂大投手、田中靖洋投手が現役を引退することも併せて発表した。

吉田は日大三、立正大を経て13年ドラフト2位でロッテ入り。強打の捕手として期待され、ルーキーイヤーは50試合、2年目は65試合に出場。17年も61試合に出場したが、徐々に出場機会が減少。今季は高卒ドラフト1位の松川らの台頭もあり、1軍での出場がなかった。現役続行を希望しているという。

松永は12年のドラフト1位で入団。昨オフに育成契約となった後、今季7月30日に支配下登録されたが、左肩痛の影響もあり、1軍登板機会はなかった。

松永
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。」

田中は06年から西武、ロッテで17年間プレー。通算209試合の登板で10勝9敗2セーブ、防御率3.81。今季は15試合の登板に終わった。

田中
「最近1、2年、チームに貢献できなかった中、応援してくださったファンの皆様には感謝の気持ちしかありません。西武に入団をしてロッテに拾ってもらった17年間を振り返ると本当に人との出会いに恵まれた野球人生だったなあと思います。監督、コーチ、スタッフ、選手との出会いに恵まれました。皆様のおかげで本当に幸せな野球人生を送ることができました。」

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ロッテ、川越英隆2軍コーチが退団、契約満了、前日の4コーチに続いて[デイリー]

ロッテは6日、川越英隆2軍チーフ投手コーチが契約満了に伴い、退団すると発表した。

川越コーチは12年にロッテコーチに就任後、11年間、ロッテの1、2軍のコーチを務めた。

ロッテは5日、木村龍治1軍投手コーチ、河野亮1軍打撃コーチ、清水将海バッテリーコーチ、的場直樹戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐が契約満了により退団すると発表した。

鳥越裕介2軍監督からはこの日、退団の申し出があり受理したことも発表した。2日には井口資仁監督(46)が辞任していた。

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新人の2013年から7年連続40登板…2010年代のロッテブルペンを支えた松永昂大[BASEBALL KING]

プロ入りした2013年から7年連続で40試合以上に登板し、通算359試合に登板した松永昂大が6日、現役引退を発表した。

松永は球団を通じて「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです」、「何とか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません」とコメント。2年連続2位に入った20年以降は1軍でのマウンドで投げる機会が減少したが、間違いなく2010年代、益田直也とともにマリーンズのブルペンを支えた功労者だ。

◇1年戦う上での流れ

松永がマリーンズのブルペンを支えていた時代、1年間戦い抜くためのルーティンを決めていた。

「シーズンが始まったら走れるうちに走っておこうと。夏とかきたら、ドームとかだったら空調が効いているので1年中走れる。マリンは夏が暑いので、それまでに貯金じゃないですけど、そこで減らない量にするため、シーズンに入ったら走る量はちょっと増えるかもしれないですね」。

19年の8月には気温30度を超える真夏のマリンスタジアム、試合前練習がはじまる1時間以上前の13時すぎに、「9月後半、10月にバテないというか、ちゃんと投げられるように先を見越してランニングです」と、グラウンドで1人黙々とランニングしている姿があった。

シーズンが終わってからも、シーズンオフは「休む人は休むし、投げたい人は投げる」と話した上で、松永自身は「18年と19年はシートと紅白戦があったので、1月にブルペンに入りましたけど、基本的にはキャンプまではブルペンに入らない感じですね」とキャンプインまでは本格的な投げ込みを行わないのが、“松永流”の自主トレでの過ごし方だった。

◇様々な局面で登板

松永は現役時代、勝ちパターンのリリーフで登板することもあれば、左のワンポイント、走者を背負った場面でマウンドにあがり、そのままイニングまたぎをするなど、様々な局面で登板する中継ぎのスペシャリストだった。

18年に取材したときには、ピンチでマウンドにあがったときは「1球目にストライクをとること。ランナーを返さないこと」を強く意識すると話していた。1球目にストライクをとることについて、「相手バッターを探る意味ではボールよりもストライクで入った方がいい。ただ、初球を打たれるのももったいないので、その辺は難しいです」と語り、主導権を握るための駆け引きに腐心していた。

また、イニング跨ぎの際には「1回スイッチを切っています。中継ぎなので、オンとオフはすぐに入れ替えられる」と語っていた。イニング頭、イニング途中でマウンドにあがっても、精神的な疲労、肉体的な疲労は「どっちも一緒。先発と違って中継ぎは、イニング頭からいっても途中からいっても精神的には変わらない」という。

登板に備えて肩を作りながらも、登板しないケースもある。そういった難しいポジションの中で、チームを勝利に導くため、自身の役割を全うした。

◇マリンで本塁打を許さない男

ZOZOマリンスタジアムでは“本塁打”を許さない男だった。

14年6月14日の広島戦で丸佳浩に本塁打を浴びたのを最後に、19年5月19日の楽天戦で浅村栄斗に本塁打を打たれるまで、ZOZOマリンでの公式戦では123試合にわたって本塁打を打たれなかった。

ZOZOマリンスタジアムでは19年から、外野席の手前に『ホームランラグーン』と呼ばれるエリアを設置。18年までのフェンスの位置から最大で4メートル手前にフェンスがせり出した。

19年の開幕前に球場が狭くなったことで投球面や心理面などの変化がないかと聞くと、松永は「特にないですけど、球場が狭くなるので、ホームランは打たれると思いますよ」と意に介していない様子を見せ、「打たれた時に狭く感じるくらいかなと思います。僕自体は全然」と全く球場が狭くなることについて気にした素ぶりを見せなかった。“ホームランラグーン”対策についても「何もしていないですね」と特に何かを変えることはなく、これまで培ってきた“経験”、“投球術”で抑えていく考えを示していたのが印象的だった。

最後の2年間は故障に苦しんだが、それでも「通算359登板」、「新人から7年連続40登板」、チームのために来る日も来る日もマウンドで腕を振り続けた姿、そしてどんなピンチでも涼しい顔で抑えた姿を、マリーンズファンは心に刻んでいるはずだ。

[松永昂大の通算成績]
359試 先発7 16勝15敗135H 1S 300回1/3 振238 与四124 防2.91
松永昂大コメント
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。何とか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手達の希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そして何よりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう1度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました。」

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