わたしはかもめ2023年鴎の便り(3月)

便

3月11日

東北楽天6x−5千葉ロッテ(静岡)

楽天は開幕1軍を狙う伊藤裕がオープン戦2度目となる満塁本塁打をマークして猛アピールした。先発候補の辛島は球が高く、バックの乱れもあって5回4失点(自責点1)。ロッテは4番候補の山口が豪快な1号ソロを放った。

123456789R
千葉ロッテ0310010005
東北楽天050000001x6x

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[WBC]佐々木朗希が世界に投げ込んだ3・11、人生初マウンドを見守ったあの人は進化信じた[ニッカン]

佐々木朗希投手(21=ロッテ)が「3・11」に投げた。12年前、東日本大震災で父や祖父母を亡くした少年が立派に育ち、日の丸を背負う。大観衆のみならず列島中が見守った。

小3の秋、人生初のマウンドでは想像もできなかった光景だ。周囲ではリンゴ栽培が盛んな、岩手・陸前高田市立米崎小学校の校庭にある、静かなマウンド。「あそこで最初に投げたの、朗希は大人になっても覚えてましたね。堂々としていました」。高田野球スポーツ少年団で監督だった村上知幸さん(53)は驚く。1イニングだけのお試し登板。3者凡退で奪三振もあった。

対戦相手の米崎リトル、大和田武也監督(43)は「それがね、覚えていないんですよ、全然」と笑う。佐々木の人生初マウンドだったことは、最近になって知った。「これからはここで投げる子、覚えてなきゃね。朗希君みたいにいつ化けるか、分からないから」。当時はそれくらい、普通の野球少年だった。

ただ、そうは思わない人もいた。三塁側で静かに見守った大柄な人。佐々木の亡き父功太さん(当時37)が、米崎小でのデビュー登板を観戦していた。功太さんは同じ頃、禁煙貯金に励んでいた。資金をため、家族と東京ディズニーランド旅行をしたいと友人に話していた。念願かなって訪れた夢の国では夜になっても疲れた様子を見せず、愛する妻子と楽しんだ。「朗希は将来すごい投手になる」と信じ、キャッチボールでも次男に強く投げ続けた。数ヶ月後の3・11など誰にも想像できなかった。

若くして地域のリーダーだった。佐々木は父のことを「僕が言うのもあれですけど、みんなに愛されていたんだなと思います」と尊敬する。「人生で1番泣いた」と友人達に明かした日から、後悔しないようにストイックに生きてきた。身長は父より10センチ以上高くなり、父以上に知られる存在に成長した。

昨秋、帰省時に思い出のマウンドを再び踏んだ。当時のままではない。マウンドは校庭への仮設住宅建設で1度削られ、再び盛られた。12年が過ぎ、マウンドは生まれ変わり、自身は想像を超える投手に−。

岩手を応援したいと願い、岩手からも応援される。WBCへ挑む星に、地元では数百数千の寄せ書きが集まった。そこには、助走付きなら150キロ近くを投げ込むまで成長したという高2の弟怜希さんも、なぜか三角関数とともに書き入れた。

「ラムと留守番してます by弟」。

愛犬のトイプードルが尻尾を振り、父達が眠る故郷へ、誇り高き勲章を持ち帰る。次のマウンドは夢のアメリカだ。

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[WBC]佐々木朗希「応援ありがとうございました!」大谷翔平とのツーショット写真公開[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)が12日、WBC1次ラウンドのチェコ戦後に自身のインスタグラムを更新。同じ岩手出身の先輩、大谷翔平投手(28=エンゼルス)とのツーショット写真、さらに同学年リレーで勝利を演出した宮城大弥投手(21=オリックス)とのツーショット写真も公開した。

「応援ありがとうございました!まだまだ頑張りましょう」とコメントを添え、「#がんばろう東北」とも書き込んだ。

佐々木は先発し3回2/3を2安打1失点(自責0)の投球を見せ勝ち投手となった。東日本大震災から12年の特別な1日に快投。多くのファンに感動を運んだ。

大谷も同様のツーショットをインスタグラムで公開している。

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[WBC]大谷翔平、佐々木朗希との2ショット公開「まあまあやるやん」岩手出身後輩たたえる[ニッカン]

侍ジャパン大谷翔平投手(28=エンゼルス)が12日、WBC1次ラウンドのチェコ戦後に自身のインスタグラムを更新。先発し3回2/3を2安打1失点(自責0)の投球を見せ勝ち投手となった佐々木朗希投手(21=ロッテ)とのツーショット写真を公開した。

力こぶの絵文字を添え、「まあまあやるやん」と“大谷流”で同じ岩手県出身の後輩右腕をたたえた。

「愛あるコメントですね」「岩手っ子」「可愛い弟みたい」など、ファンのコメントが殺到した。

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[WBC]栗山監督「ボールを投げているというより、思いを届けている」佐々木朗希3・11登板に[ニッカン]

「3・11」のマウンドを託した佐々木の投球に、侍ジャパン栗山監督は「ボールを投げているというより、思いを届けている感じがした」と目を細めた。「導かれる」ように、3戦目の先発が佐々木になったという。大谷、ダルビッシュ、山本とあわせ、まず4人の先発は定まった。その上でローテ順をどうするか、準々決勝以降の戦いを見据えながら考えた。「色んな要因を考えていく中で、自然に(佐々木が3戦目に)なった」と明かした。

偶然では割り切れない、見えざる力だったのか。その意味を、こう解釈した。「野球の神様が朗希に『頑張れ』っていう風にメッセージを送ってる。朗希らしいピッチングをしてくれると信じている」。

チーム全員で練習前、グラウンドで円になり黙祷をささげた。栗山監督は、東日本大震災直後から被災地の学校の取材を続けたが「本当に自分の無力さ。何も手伝ってあげられないし、何もできない。そういうのをすごく感じた」。ただ、だからこそ、野球に携わる1人として、何ができるか考えてきた。「悲しい思いをした方が、いっぱいいらっしゃる。それを少しでも、なんて我々にはできないけど、一瞬でも元気になってもらいたい」。そんな日の先発は、やはり佐々木が相応しかった。

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[WBC]佐々木朗希3・11に勝利「僕が投げてる姿で何か感じてもらえたら」最速164キロ8K[ニッカン]

「令和の怪物」が衝撃のWBCデビューを飾った。侍ジャパン佐々木朗希投手(21)が「カーネクストWBC東京プール」のチェコ戦に先発し、3回2/3を2安打3四死球で1失点(自責0)。不運な失策から初回に先制を許すも、最速164キロの直球を軸に8三振を奪い、2回以降はチェコ打線を封じた。初回は直球10球全てが100マイル(約161キロ)超え。東日本大震災から12年となる「3・11」の特別な日に、被災地出身の思いも背負って世界を驚かせた。チェコに勝利し、4連勝での準決勝進出に王手をかけた。


満員のスタンドから降り注ぐ拍手と声援を、佐々木がお立ち台からかみしめた。「この満員のドームの中で今日は投げることが出来て嬉しいです」。21歳らしくちょっぴり照れくさそうに、でも言葉は力強かった。

剛速球がうなりをあげた。最速164キロ直球と140キロ台後半のフォークで8奪三振と圧倒した。4回1死一塁、スモラを空振り三振に仕留め、球数制限の上限65球を超えて降板。「球数がかさんでしまったんですけど、どうにか最少失点で投げることができて良かった」。栗山監督とナインからハイタッチをかわし、162キロで死球を当ててしまったエスカラへの謝罪も忘れなかった。

忘れられない1日になった。ちょうど12年前の3月11日、人生が一変した。東日本大震災で被災。父功太さんと祖父母を亡くした。自宅は津波で流され、故郷の岩手・陸前高田から大船渡への移住を余儀なくされた。12年後、運命に導かれるように、WBCデビューマウンドに上がった。宮崎での強化合宿中に栗山監督からこの日の先発を告げられた。「3・11」で自分が登板する意味も理解していた。「分かってはいたんですけど、チームの勝ちだったり、自分のピッチングができるように、今日まで準備してきました」と自らの役割に集中して未来を見つめてきた。

ド派手な剛速球の裏にはどっしりとした土台があった。マウンド上に残る右足を蹴る際に描かれた濃く、力強い「轍」。ほとんど“足跡”が残らない投手もいる中、佐々木のそれは人一倍深く、長い。特に平地のキャッチボールでは顕著で、約1メートルに及ぶことも。ロッテ小野投手コーチは「ボールを押し出す時間の長さと、力強さの証し」と言う。怪物右腕たる由縁が足元にあった。

マウンドに刻まれた轍のように、視線は力強く、深く未来を見つめた。東北から画面越しに見つめる子供達へ「僕が投げてる姿で何か感じてもらえたらなと思います」。立派に成長した「令和の怪物」。美しく圧倒的な1球1球が、人々の“希望の轍”となる。

◇佐々木は大谷超え

佐々木が大リーグの測定システムで最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。1回、3番フルプの打席で、左二塁打の1球を含めて2球あった(球場表示の164キロは1球)。大谷のメジャー最速球は、昨年9月10日アストロズ戦でマークした101.4マイル(約163.2キロ)。佐々木は0.5マイル(約0.8キロ)上回ったことになる。オープン戦の参考記録では、大谷は21年に最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。

◇日本の準々決勝進出条件

1次ラウンドは各組上位2チームが準々決勝に進む。日本は今日のオーストラリア戦に勝てば4勝となり、B組1位で通過。正午時開始のチェコ−韓国戦でチェコが敗れた場合はその時点で日本の2位以上が決まり、試合前に準々決勝進出が決定する。チェコ○、日本●の場合、日本、オーストラリア、チェコが3勝1敗で並ぶ可能性があり、その時は失点率などで順位が決まる。

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[WBC]佐々木朗希、山本由伸に重圧?「明日は由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれる」[ニッカン]

侍ジャパンの佐々木朗希投手(21=ロッテ)が、お立ち台から翌日12日のオーストラリア戦に先発予定の山本由伸投手(24=オリックス)にプレッシャーをかけた。

3回2/3を2安打1失点8奪三振で勝ち投手となり、ヒーローインタビューを受けた「令和の怪物」は明日への意気込みを問われると「明日は(山本)由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思うので、明日も応援よろしくお願いします」とニヤリ。先輩右腕の予告先発を発表し、スタンドを沸かせた。

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[WBC]松坂大輔氏が3・11登板の佐々木朗希をたたえる「素晴らしい結果として出ていた」[ニッカン]

「平成の怪物」が「令和の怪物」をたたえた。12年前のこの日に起きた東日本大震災で父功太さん、祖父母を亡くした侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)が「3・11」にWBC初登板した。

日本が連覇したWBC06、09年大会でMVPに輝いた松坂大輔氏(42)はテレビ中継後のニュース番組で「今日は色々な思いを背負ってマウンドに上がったと思う。それが素晴らしい結果として出ていたと思います」と心から敬意を表した。

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[WBC]チェコ監督「素晴らしいピッチャー。栗山監督が本当にうらやましい」佐々木朗希を評価[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)がWBCデビューを4回途中1失点で勝利に導いた。

チェコ・ハジム監督(佐々木朗希の投球に)
「本当に素晴らしいピッチャー。どの監督でも自分のチームに入れたいと思う。栗山監督が本当にうらやましい。」

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[WBC]吉井投手コーチ、佐々木朗希の投球評価「ちょっと力んでましたけどね(笑)」[ニッカン]

侍ジャパンがチェコに逆転勝利し、無傷の3連勝。12日の1次ラウンド第4戦、オーストラリアに勝てば、文句なしでB組1位通過が決まる。佐々木朗希は初勝利をあげた。

吉井投手コーチ(佐々木朗希に)
「緊張してマウンドに上がったと思うんですけども、その中でも自分のピッチングができていたと思う。ちょっと力んでましたけどね(笑)。」

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[WBC]なぜ?3回2/3の佐々木朗希が勝利投手で5回を投げた宮城大弥がセーブに[ニッカン]

3回2/3の佐々木朗希投手(21=ロッテ)が勝利投手で、5回を投げた宮城大弥投手(21)がセーブなのは、なぜ?

侍ジャパンがチェコに逆転勝利し、無傷の3連勝を飾った。

先発の佐々木朗希投手(21=ロッテ)は、3回2/3を投げて2安打1失点(自責0)。球数制限の65球を超えたため、イニング途中で降板した。

一方で5回から登板した3番手の宮城大弥投手(21=オリックス)は、5イニングを投げて2安打1失点。試合を締めた。発表された勝利投手は佐々木で、宮城にはセーブがついた。

シーズン中の公式戦であれば、先発投手は責任回数の5イニングを投げなければ勝利がつかず(コールドなどをのぞく)、それよりも早く降板した場合は「勝利をもたらすのに最も効果的な投球を行ったと記録員が判断した1人の救援投手に、勝投手の記録を与える」と、公認野球規則(9・17のb)に記されている。

つまり、この日の試合がシーズン中の公式戦であった場合は、宮城に勝利投手が記録されていたとみられる。

だが同規則には「選手権試合でないオールスターゲームのような場合には、本条(b)は適用されない。このような試合の勝投手の記録は、勝チームが試合の最後までリードを保ったときには、そのリードを奪った当時投球していた投手(先発あるいは救援)に与える」(9・17のe)と明記されており、球数制限がある今大会もこの項目に準じて記録がつけられ、佐々木が勝利投手となった。

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[WBC]佐々木朗希1回は10球の直球全てが「100マイル」超え、全66球中では21球[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)が初回に圧巻の「100マイルパフォーマンス」を披露した。

3回2/3を2安打1失点(自責0)、8三振を奪って2番手にマウンドを託した。立ち上がりから直球が走り、初回は10球の直球全てが、大リーグの測定システムで100マイル(約160.9キロ)以上と発表された。

最速は101.9マイル(約164キロ)。1回、3番フルプの打席で、左二塁打の1球を含めて2球あった。100マイル超えは全66球中、21球を数えた。

◇佐々木は大谷超え

佐々木が大リーグの測定システムで最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。1回、3番フルプの打席で、左二塁打の1球を含めて2球あった。大谷のメジャー最速球は、昨年9月10日アストロズ戦でマークした101.4マイル(約163.2キロ)。佐々木は0.5マイル(約0.8キロ)上回ったことになる。オープン戦の参考記録では、大谷は21年に最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。

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[WBC]佐々木朗希「真っ直ぐも簡単に打たれた、すごい打線だった」先制許したチェコ打線称賛[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)がWBCデビューを4回途中1失点で勝利に導いた。

「この満員のドームの中で今日投げることが出来て嬉しいです」。

4回表の3人目の打者を終えて66球を投じた時点で、球数制限のルールによりマウンドを降りたが、3回2/3を2安打8奪三振2四球1死球1失点(自責0)。最速は初回の164キロだった。

「イニング途中で代わってしまったり、球数もかさんでしまったんですけれど、最少失点で抑えることが出来て良かったと思います。フォアボールが多かったんですけれど、フォークボールを有効的に使うことが出来た。(チェコ打線は)真っ直ぐも簡単に打たれましたし、すごい打線だったと思います」。

小学生の時に岩手県陸前高田市で被災し、父功太さん(享年37)と祖父母を津波で亡くした佐々木にとって「3・11」は特別な1日だ。

「色々ありましたけれど、今日出来ることをしっかりやって、今日マウンドに立てたことに感謝しました」。

この日は生まれ育った陸前高田市と、震災後に移住した大船渡市でパブリックビューイングが開催され、地元の親戚、友人、知人らの熱い声援にも後押しされた。東京ドームの大歓声に包まれた。

「たくさんの応援は力になりますし、これからも引き続く応援をよろしくお願いします。明日は(山本)由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思うので、応援よろしくお願いします」。

佐々木からのオーストラリア戦予告先発でお立ち台を締め、大きな拍手と歓声を浴びた。


大多数が学生か野球以外が本業の“二刀流軍団”チェコが底力を見せた。1回2死、「大学5年生」フルプが佐々木の163キロ直球を左翼線へ二塁打。「営業マン」チェルベンカのゴロが遊撃・中野の一塁悪送球を誘う間にフルプが先制のホームを踏んだ。投げては先発の「電気技師」サトリアが100キロ台のチェンジアップを軸に3回3失点の粘投。「精神科医」のハジム監督も「ファンの皆さんの温かい視線、励まし、素晴らしいと思う。選手達もそれを感じて頑張ってプレーできた」と振り返った。

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[WBC]佐々木朗希、大晦日に亡き父思い出の味食べて出陣、父友人も「どんどん似てくる」[ニッカン]

侍ジャパンの佐々木朗希投手(21)が「3・11」に投げた。チェコ戦に先発し4回途中1失点、8奪三振で最速164キロの快投を見せた。

地元の岩手・陸前高田市の長田正広さん(57)は「3・11で投げて。地元もすごく盛り上がってた。何というか、特別な…みんな勇気もらったんじゃないかな」としみじみ話した。

11年3月に起きた東日本大震災で被災した。震災で亡くなった佐々木の父功太さん(当時37歳)とは、同じ町内会の仲間だった。長田さんは地元で長く愛される中華料理店「四海楼」を切り盛りしながら、仲間達との飲み会や年1度のスノーボード旅行を楽しんでいた。陸前高田市の高田町には、年に1度の夏祭り「うごく七夕」がある。団結力の強い町内会だった。

飲み会ではよく、オリジナルの鍋料理を差し入れした。挽肉や野菜がたっぷり入った担々鍋。佐々木の両親がその味にはまり、いつしか佐々木家の大晦日の風物詩になった。

「鍋を持っていくとさ、夜8時頃かな。功太が『御礼にこれどうぞ!』ってアワビの刺し身を持ってきてくれて」。除夜の鐘はいつも幸せを引き立てる音だった。

大津波が全てを壊した。長田さんは「何人も亡くなったよ。功太だけじゃない。一緒に飲み会してたケイタも、マサルも。悔しいよ。全部流された」と目を赤くする。

四海楼は仮設店舗を経て、19年4月3日、盛り土で10メートル以上かさ上げされた新しい大地に新店舗がオープンした。その3日後、佐々木が国内高校生史上最速となる163キロをマーク。奮い立たされた。

亡き友の忘れ形見が、プロ野球に挑む。長田さんは「もう1度、あれを作ろう」と決意し、担々鍋の〆としていつも準備していた「麻婆担々麺」にトライ。仕込みは大変だが、通常営業の傍らで懸命に試作を重ねた。プロ入り前の12月には佐々木家に完成品を披露。昨年、佐々木が完全試合を達成した後には店で通常メニューとして出し、売れに売れている。

佐々木は辛いものが苦手だが「あの担々麺は本当に美味しいんです」と嬉しそうに話す。麻婆担々麺はその後「もう少しマーボー豆腐を本格的にしたんだ」(長田さん)と、よりサンショウの効いた深い味わいになっている。

佐々木は地元などで猛練習に励んだ昨年12月31日、今も野球を続ける大船渡高野球部の仲間達とともに四海楼を訪れた。大晦日ながら、長田さんが激励の思いを込めて店を開けた。麻婆担々麺と、絶品として県内外で知られる杏仁豆腐を佐々木達に出した。

懐かしい味を大晦日に食べる−。佐々木にとっては家族全員で新年を迎えて以来、実に12年ぶりのこと。「うまい!」と若者達の夢中になる声が、何度も聞こえたという。

長田さんは今夜、テレビを見ながらあらためて感じた。「朗希、どんどん功太に似てくるんだよな。今日なんかずっとアップで映ってたし、アゴのあたりとか功太にそっくりだよ」と話す。「また来いよ」と見送った昨年の大晦日。「少し顔つきもスッキリするような気がするね。完全試合やったり、プロ野球の世界にちょっとずつ落ち着いてきたのもあるのかな」。嬉しそうに話す。

どんどん遠くに行ってしまうから、たまに会えると嬉しい。「朗希、いつかメジャーに行っちゃうんだろうな。もう165キロだもんね。すごいよな。あと2キロくらい出るんじゃないかな」。腕を振る姿に刺激をもらいながら、鍋を振る。

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[WBC]平成の怪物・松坂氏が令和の怪物・佐々木朗希を絶賛「フォークの出来が強化試合以上」[ニッカン]

「平成の怪物」が「令和の怪物」を絶賛した。日本が連覇した06、09年のWBCでMVPに輝いた松坂大輔氏(42)が、侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)の大会初登板について「ストレート、スピードも素晴らしかったですが、フォークの出来が強化試合以上のものを出してきましたね」と褒めたたえた。

松坂氏はこの日、テレビ中継の解説を務めた。試合前も佐々木に対し「いよいよ世界デビュー」、「ここから歴史をつくって欲しい」と年齢がちょうど半分という怪物の後輩へ、大きな期待を込めていた。

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[WBC]佐々木朗希は4回途中66球、球数制限で降板、8奪三振1失点、最速は164キロ[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)が4回途中66球で、球数制限のルールによりマウンドを降りた。3回2/3を2安打8奪三振2四球1死球1失点(自責0)のWBCデビューとなった。最速は初回の164キロだった。

4回は先頭の6番ムジークに対し、4球ファウルで粘られたが、最後は144キロの外角低めフォークで空振り三振を奪った。7番の左打者エスカラには1−2から力を入れた162キロ直球がひっかかり、打者の内角へ。打者がよけきれず、軸足の左膝内側に直撃し死球となった。

続く8番スモラには144キロフォークで、この日8個目の奪三振。制限の65球を超えたため、2番手の宇田川優希投手(24=オリックス)にマウンドを託した。

東京ドームの大観衆から大きな拍手と歓声を浴びてたたえられた。ベンチで待つ仲間とハイタッチを重ねて、帽子をとり汗を拭った。

◇佐々木は大谷超え

佐々木が大リーグの測定システムで最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。1回、3番フルプの打席で、左二塁打の1球を含めて2球あった(球場表示の164キロは1球)。大谷のメジャー最速球は、昨年9月10日アストロズ戦でマークした101.4マイル(約163.2キロ)。佐々木は0.5マイル(約0.8キロ)上回ったことになる。オープン戦の参考記録では、大谷は21年に最速101.9マイル(約164キロ)を計測した。

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[WBC]佐々木朗希、3回終え6奪三振49球、スタンドから母、弟が拍手送る[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)の勇姿に、スタンドから母陽子さん、弟怜希さんも、白い日本代表ユニホームを着て拍手を送った。

3回表は1番V.メンシクを2−2から144キロのフォークで空振り三振を奪った。

2番ソガードには161キロの直球を捉えられ、右前安打を喫し、3番フルプには四球を許し、1死一、二塁のピンチを迎えた。

だが、4番チェルベンカを真ん中低めの145キロフォークで空振り三振。5番M・メンシクも144キロ内角高めのフォークで中飛に打ち取った。

少しだけ笑みを見せ、黄色いグラブと右手で拍手して、野手をたたえた。

3回を終え、49球。6個の三振を奪っている。

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[WBC]佐々木朗希、2回は四球出すも無失点、打球が右足かかとに当たるも軽やかにベンチへ[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)が、2回は1四球を出したが、無失点に抑えた。

6番ムジークをスライダーで空振り三振。7番エスカラにはフォークで連続空振りを奪うと、最後は163キロの内角直球で1回から3者連続空振り三振で斬った。

8番スモラには四球。続く9番ハイトマルが初球を捉えた打球は佐々木の右足かかとに当たって遊撃方向へ。中野拓夢内野手(26=阪神)が難なくアウトにした。

当たった足が心配されたが、佐々木は長い足を軽やかに弾ませるかのようにベンチへ向かい、仲間とハイタッチ。大きな心配はなさそうだ。

2回を終え、計28球。この回は初回に投げなかったスライダーも2球投げた。

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[WBC]佐々木朗希、初球は162キロのストレート、エラーで先制許す[ニッカン]

侍ジャパン佐々木朗希投手(21=ロッテ)のWBC初球は162キロの外角低めストレートだった。ボールが2球続いた後は右飛で最初の打者を打ち取り、大きく息を吐いた。

2番打者には2ストライクと追い込んだ3球目フォークがホームベースの1メートル以上前でバウンドし、甲斐拓也捕手(30=ソフトバンク)が“顔面”でストップ。最後は146キロのフォークで空振り三振を奪った。

3番打者の初球には164キロをマーク。だが、3球目の163キロの低めストレートを左翼線に二塁打を浴びた。4番打者は初球を遊ゴロに封じたかと思ったが、今大会初スタメン中野拓夢内野手(26=阪神)がまさかの送球エラーで二塁走者の生還を許した。

佐々木は、5番打者をフォークで空振り三振に斬って後続を断つと、右袖で口元の汗を拭った。

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[ロッテ]西村天裕1回無失点デビュー「継続して抑えられるように」3・6日本ハムからトレード[ニッカン]

日本ハムから交換トレードで移籍した西村天裕投手(29)がロッテでのデビューを果たし、1回12球を投げて1安打1奪三振無失点に封じた。

「マリーンズでの初登板で少し緊張しましたが無失点で抑えることが出来て良かったです。継続して抑えられるようにしていきたいと思います」。4回から2番手でマウンドに上がって先頭の伊藤裕から空振り三振。2死後に辰己に右前打を許したが、最後は小深田を中飛に打ち取った。

試合は5−5の9回裏1死一塁から、広畑敦也投手(25)が渡辺佳に左翼へ適時二塁打を喫し、サヨナラ負けした。

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[ロッテ]美馬学が12日楽天先発「前回よりも良い投球を」5日ヤクルト戦は3回1失点[ニッカン]

ロッテは11日、先発ローテーション入りが有力な美馬学投手(36)が、12日に開催される楽天とのオープン戦(午後1時開始、静岡)に先発すること発表した。

美馬は球団を通じ、「前回登板で出た課題を修正して、前回よりも良い投球をしたいと思います」とコメント。5日のオープン戦ヤクルト戦(ZOZOマリン)に先発し、2回にヤクルト浜田に左越えソロを浴びるなど、3回3安打1奪三振1四球1失点だった。

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[ロッテ]開幕ローテ狙う本前郁也3回5失点反省「打者と勝負出来ていない」[ニッカン]

先発ローテーション入りを狙う左腕・本前郁也投手(25)が先発登板し、3回59球を投げて4安打1奪三振2四球5失点だった。

2回に連続四球と自身の失策で無死満塁のピンチを招いた。小郷の三塁内野安打で失点後、伊藤裕には左翼席に運ばれる満塁弾を喫し、「ゾーンを狙いすぎて球数が増え、自分の球を投げられず、打者と勝負出来ていませんでした」と反省した。

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[ロッテ]「マリーンズ算数ドリル、令和4年度春号」千葉市内の公立小学校109校に無料配布[ニッカン]

ロッテは11日、「マリーンズ算数ドリル 令和4年度春号」を発行し、千葉市内の公立小学校109校に無料配布したことを発表した。

マリーンズ算数ドリルは「NPO法人ちば算数・数学を楽しむ会」の協力のもと、ロッテや野球に関連した問題で構成されている自習用教材。11年に配布を開始して以降、今回が35度目の配布となった。令和4年度春号は3月までの学習内容の復習教材として制作されている。

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[WBC]古田敦也氏「世界にいよいよ羽ばたきますよ、佐々木朗希が」チェコ戦先発にエール[ニッカン]

プロ野球ヤクルトで捕手として活躍した古田敦也氏が11日、テレビ朝日系「今夜は侍ジャパン!WBC全力応援スペシャル」(土曜午前9時半)に生出演。侍ジャパンにエールを送った。

東京ドーム前から中継した古田氏は、前日の韓国戦大勝について「本当にいい試合できたんじゃないですか。昨日は3点先制されて嫌なムードも流れましたけど、しっかり大逆転してチームのムードも良いと思います」とコメント。反撃の適時打やダイビングキャッチを見せた日本代表ラーズ・ヌートバー外野手(25)の話題には「熱い姿。心打たれるくらい、チームを盛り上げてくれている」と笑顔を見せた。

大谷翔平投手(28=エンゼルス)については「強化試合から驚いていますけど、ここでもやってくれました。今日は負けられない一戦ですけど、やってくれると思います」。

チェコ戦の先発予定は佐々木朗希投手。「3・11」という特別な日にWBCデビューを果たす。古田氏は「去年の実績もありますし、非常に良い調整が出来ていますから、今日も良いピッチング。世界にいよいよ羽ばたきますよ」と笑顔を見せた。

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[野村弘樹ウイニングショット]WBC特別版、シュート回転の多さが気になった侍ジャパン・佐々木朗希[サンスポ]

佐々木朗は3回2/3で8三振を奪い、2安打1失点。先発として結果は文句なしだが、彼ほどの投手になると、WBCという厳しい大会を戦いながらも、持っている球種を試合でどのくらい操れていたかを考えないといけない。

3回無失点だった4日の壮行試合(対中日)と比べて、この日はスライダーは抜ける球が多かった。真っ直ぐは球速こそ申し分ないものの、シュート回転が多いことが気になった。

プロ4年目を迎えて体つきがしっかりしてきたので、スタミナは問題ないだろう。時期を考えると、調整は順調にきている。今後の戦いで投げるイニングが増えた場合、試合中に修正していかないといけない。

8奪三振のうち、6つはフォークボールが決め球だった。追い込んでしまえば三振を取れる武器があるのだから、追い込むまでを気をつける必要がある。シュート回転しても、高めにいけば、簡単に捉えられることはない。同じ失投でも、ミスにならない失投だ。

佐々木朗の生命線は、何と言っても真っ直ぐ。どんどん投げ込めばいいのだが、あえて注文をつけるとすれば、カウントを稼ぐことができる組み立てをして欲しい。

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侍ジャパン・佐々木朗希、「3・11」に特別な1勝、3回2/3自責点0、最速164キロ8K、東北希望の星が世界デビュー/WBC[サンスポ]

「カーネクスト 2023ワールド・ベースボール・クラシック東京プール」は11日、東京ドームで1次リーグB組の2試合が行われ、日本はチェコに10−2で大勝して3連勝。先発の佐々木朗希投手(21)=ロッテ=が3回?を2安打1失点(自責点0)、8奪三振で勝利投手となった。東日本大震災で被災した岩手・陸前高田市出身の右腕が、12年後の「3・11」に日の丸を背負って快投を披露。日本は、12日のオーストラリア戦に勝てば1位での準々決勝進出が決まる。

運命か、それとも宿命か。佐々木朗のWBC初先発は、導かれたように「3・11」に巡ってきた。直球の球速が大型ビジョンに表示されるたび、4万1637人の観衆を飲み込んだ東京ドームが揺れた。家族も応援に駆け付けた中、「令和の怪物」は全身全霊で腕を振った。

「初戦と2戦目は大差で勝って、いい流れでバトンを渡してもらった。その流れに乗って投げることができた。今日、このマウンドに立てたことに、とても感謝していました」。

1回に中野の悪送球などで先制点を許したが、そこからは最速164キロを計測した速球と鋭いフォークボールで圧倒した。ダルビッシュに指導を仰いだスライダーを決め球に選び、外角へ鋭く曲げて空振り三振も奪った。球数が四回途中に1次リーグ上限の65球を超え、その打者を仕留めたところでお役御免。自身初の国際大会で3回2/3を2安打1失点(自責点0)にまとめ、毎回の8三振を奪う見事な世界デビュー≠飾った。

小学3年生だった12年前、少年は悲しみに暮れた。東日本大震災で被災。津波で岩手・陸前高田市の自宅が流され、当時37歳だった父・功太さんと祖父母を失った。避難所では借りもののグラブでキャッチボールを繰り返したが、何度も球を受けてくれた父への思いを拭い去れるはずもなく「そのときのつらさ、悲しみはなかなか消えない」と心の内を明かす。

学校のグラウンドには仮設住宅が建ち、河川敷などの空き地で練習を続けた。岩手・大船渡市への移住も余儀なくされたが、周囲に支えられながら白球を追った。「今あること、身近にいる人達のことを当たり前だと思わず向き合ってもらいたい」。そう強く願う。

大船渡高3年時に高校球界最速の163キロをたたき出し、全国区になった。ロッテにドラフト1位で入団し、高卒1年目は登板機会なし。「過保護だ」との声が上がっても、ぶれなかった。昨年4月に史上最年少で完全試合を達成し、この大舞台で先発を任されるまでに成長を遂げた。

ナインは練習前、円陣を組んで黙?をささげた。栗山監督は、月日が流れても悲嘆の記憶を風化させまいと、この日の先発を21歳に託した。「震災は時間がたって消える訳ではない。苦しまれている方は、いっぱいいる。野球の神様が朗希に『頑張れ!』というメッセージを送っている」という指揮官の熱い思いに、若き右腕は結果で応えた。

佐々木朗は「(震災当時は)たくさんの人から支えられ、頑張ることしかできなかった」と振り返る。ただ、今胸にあるのは使命感だ。「僕が話すことで思い出してもらったり、知ってもらうことに意味がある。勇気や希望を与える立場にある」。その思いは故郷、世界、そして天国にも届いたはずだ。

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侍ジャパン・佐々木朗希の奮闘が生きる原動力、小中高のチームメート・今野聡太さん語る『令和の怪物』への思い[サンスポ]

あれから12年−。「3・11」という忘れられない日に日の丸を背負ってマウンドに上がった佐々木朗希投手(21)=ロッテ=は、球友にも大きな力を与えていた。小中高時代のチームメートで、現在は盛岡大野球部に所属する今野聡太さん(21)だ。交通事故で死の恐怖に直面した今野さんも、東日本大震災で被災した1人。佐々木朗の奮闘は、様々な人の生きる原動力≠ニなっている。

大学1年の夏、今野さんは思わぬ事故に見舞われた。帰宅途中、自転車で横断歩道を渡ろうとした際に軽自動車と衝突。頭を強打して意識朦朧となる中、ドクターヘリで搬送された。一命は取りとめたが、入院とリハビリを余儀なくされた3カ月弱は生活もままならなかった。

「事故後、3日間はベッドから起き上がることもできなかった。朗希の存在は本当に大きかったです」。

岩手・大船渡高3年で高校球界最速となる163キロの剛速球を投げた「令和の怪物」は同級生で、小学3年時からのチームメート。プロ入りし、話題の的となった右腕の一挙一動が再起を期す心の励みになった。

大船渡高の正一塁手だった今野さんは、3年夏に足を肉離れした影響もあって大学で野球を続けなかった。だが、事故を機に心境が変化。「いつ死ぬか分からないと感じて、何がしたいかを考えたら野球が出てきたんです」。大学3年で野球部に入り「自分も、あそこ(プロの舞台)に立ちたい」と佐々木朗の背中を追う。

大船渡市出身。佐々木朗と同様、東日本大震災で被災した。地震が起きた12年前は小学3年生。学校の授業でテストを受けていたときに激しい揺れに見舞われ、恐怖を覚えながら校庭に避難した。家族6人とも無事だったが、カセットコンロで調理したインスタントラーメンでしのぐ生活が続いた。

「3・11」を経験し、事故で死の淵に立たされたからこそ、命の重みが分かる。「朗希は自分と違って大切な人を津波で亡くしている。朗希は朗希なりに考えて投げると思う。それを精一杯応援し、温かく見守りたい」と今野さん。「活躍する姿を見せることが1番の恩返し」と被災者の思いも胸に腕を振った佐々木朗の雄姿は、懸命に生きることの意味を多くの人の心に刻んだ。

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[佐々木朗希・一問一答]チェコの印象は「真っ直ぐも簡単に…すごい打線だった」、12日の先発も発表/WBC[サンスポ]

侍ジャパンは大量10得点を奪い、大差で3連勝。この日、侍ジャパンの先発を務めた佐々木朗希投手(21)=ロッテ=は3回2/3を2安打1失点(自責点0)と好投。岩手・陸前高田市出身で、東日本大震災で被災した右腕は、震災から12年目の3・11に8奪三振を記録し、チェコ打線を圧倒した。佐々木のヒーローインタビューの一問一答は以下の通り。

≫この大歓声、どのように感じますか。
佐々木朗
「満員のドームで今日投げることができて嬉しいです。」
≫WBCデビューのマウンドになった。
佐々木朗
「イニング途中で代わってしまったり、球数がかさんでしまったんですけど、どうにか最少失点で投げることができて良かったと思います。」
≫投球内容を振り返って。
佐々木朗
「四球が多かったんですけど、フォークボールを有効的に使うことができたかなと思います。」
≫チェコ打線の印象は。
佐々木朗
「真っ直ぐも簡単に打たれましたし、すごい打線だったと思います。」
≫今日はどんな思いでマウンドに上がったのか。
佐々木朗
「色々ありましたけど、今日自分ができることをしっかりやって、今日このマウンドに立てたことにとても感謝してました。」
≫大谷、ダルビッシュの投球から力をもらった部分はあったか。
佐々木朗
「初戦、2戦目を大差で勝って、いい流れでバトンを渡してもらったので、その流れに乗って投げることができたかなと思います。」
≫今日は地元・岩手の陸前高田の人へ。
佐々木朗
「たくさんの応援力になりますし、これからもまだまだ試合あるので、引き続き応援のほどよろしくお願いします。」
≫明日へ向けて。
佐々木朗
「明日は(山本)由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思うので、明日も応援よろしくお願いします。」

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侍ジャパン・佐々木朗希、東日本大震災から12年目の3・11世界デビュー≠ノ「チェコの良い打者に集中して投げられました」/WBC[サンスポ]

侍ジャパンの先発を務めた佐々木朗希投手(21)=ロッテ=は、66球を投げて、球数制限のルールにより3回?でマウンドを降りた。味方の失策が絡みながらも、2安打1失点(自責点0)と好投し、「フォアボールなどで球数が増えて4回を投げきれなかったですが、最少失点で戻れたのは良かったです」と振り返った。

岩手・陸前高田市出身で、東日本大震災で被災した右腕は、震災から12年を迎えた「3・11」に世界デビュー≠オ、8奪三振を記録。自己最速まで1キロに迫る164キロを計測する直球を軸に、フォークボール、スライダーを駆使してチェコ打線を圧倒し、「(WBC仕様の)マウンドやボールは気にならずチェコの良い打者に集中して投げられました」とうなずいた。

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侍・佐々木朗希「3・11」世界デビュー3回2/3を1失点8K、最速は164キロ/WBC[サンスポ]

日本代表「侍ジャパン」は、佐々木朗希投手(21)=ロッテ=が先発。東日本大震災で被災した岩手・陸前高田市出身の右腕が、震災から12年を迎えた「3・11」に世界デビュー≠オ、3回?を2安打1失点(自責点0)と好投した。

初回、先頭のV.メンシクに投じた第1球は162キロの直球。球場を沸かせた。2死から3番・フルプに左翼線への二塁打を浴び、続く4番・チェルベンカの遊ゴロを、中野が一塁へ悪送球して先制点を許した。それでも、自己最速まで1キロに迫る164キロの直球を軸にフォークボール、スライダーを駆使して、8奪三振。令和の怪物≠ヘ剛腕を披露し、マウンドを降りた。

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佐々木朗希、初球162キロ、特別な日「3・11」先発マウンドで魂の投球/WBC[サンスポ]

東日本大震災発生から12年となるこの日、岩手・陸前高田市出身の佐々木朗希投手(21)=ロッテ=が先発のマウンドに上がった。佐々木が投じた初球は外角低めのボール球だったが、162キロを計測。東京ドームがどよめいた。

佐々木朗は小学3年時に被災。父・功太さん(享年37)と祖父母を失い悲しみに暮れた。この日、練習前にチーム全員で輪をつくり、黙?をささげた。

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侍ジャパン・栗山監督、「3・11」に佐々木朗希先発の理由明かす、「野球の神様が朗希に頑張れというメッセージを送っている」/WBC[サンスポ]

試合前の会見に臨んだ日本代表・栗山英樹監督(61)は、東日本大震災発生から12年となるこの日、岩手・陸前高田市出身の佐々木朗希投手(21)=ロッテ=を先発起用した理由を明かした。

「大震災というのは時間がたったから消えるということは絶対にないですし、それを我々にできることはないけれど、一瞬でも元気になったり笑ったりして欲しいという思いはもちろんはあるので。そういう日に先発するというのは、野球の神様が朗希に頑張れというメッセージを送っていると僕は思っている」。

佐々木朗は小学3年時に被災。父・功太さん(享年37)と祖父母を失い悲しみに暮れた。この日、練習前に全員で輪をつくり、黙?をささげた。

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ロッテ、「マリーンズ算数ドリル令和4年度春号」を配布、千葉市内の公立小学校109校に[サンスポ]

ロッテは11日、「マリーンズ算数ドリル令和4年度春号」を発行し、千葉市内の公立小学校109校に無償で配布したことを発表した。

マリーンズ算数ドリルは「NPO法人ちば算数・数学を楽しむ会」の協力の下、千葉ロッテマリーンズや野球に関連した問題で構成されている自習用教材。2011年に配布を開始し、今回が35回目の配布となる。令和4年度春号は3月までの学習内容の復習教材として制作されている。

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佐々木朗希、忘れない3.11世界1勝8K、父と祖父母亡くした9歳の少年がWBC侍最年少21歳勝利投手[スポニチ]

特別な日に、「世界デビュー」で躍動した。侍ジャパンは11日、カーネクストWBC1次ラウンド東京プールのチェコ戦に佐々木朗希投手(21)が先発し、3回2/3を2安打1失点(自責0)、毎回の8奪三振。最速は164キロをマークした。WBCの日本選手では最年少の勝利投手となり、チームは3連勝で1位突破に王手。12年前の「3・11」に東日本大震災で父と祖父母を亡くした右腕が、大舞台で輝いた。

震災後に生まれた子供達も多くなった。東日本大震災から12年。佐々木朗は、風化させないために経験を発信する必要性を感じている。日本代表として「僕が投げている姿で何か感じてもらえたら」という思いだった。

天国に届けた。家族に届けた。被災地に届けた。日本中に、世界デビュー戦でWBCでの日本代表最年少勝利を届けた。「今日、満員のドームの中で投げることができて嬉しい。今日、このマウンドに立てたことに感謝しました」。観客席では母・陽子さん、弟・怜希さんも白い代表ユニホームを着て拍手を送った。幼い頃は、高校を卒業したら東北で静かに暮らそうと考えていた。意に反して日の丸を背負って、世界中から注目を浴びた。

直球36球の平均球速は160.6キロだった。「球数が許す限りイニングを多く投げたい」。初回フルプへの初球は164キロ。WBCでの日本代表投手最速だ。4日の中日との壮行試合で日本人最速165キロを計測し、大谷に並ぶまでの自己最速だ。163キロ直球を左翼線二塁打され、失策が絡み1失点。2回以降はフォーク、ダルビッシュに学んだスライダーを増やした。3回2/3を2安打1失点で球数制限のため66球で降板。8三振を奪った。

父とキャッチボールをする日常は突然奪われた。功太さんは37歳の若さで命を落とした。祖父母も奪われた。津波で家も流され、岩手県陸前高田市から大船渡市への移住を余儀なくされた。それでも「地元が大好き」と言う。成人式は陸前高田市と被災後に育った大船渡市との2カ所で出席した。2つの地元でパブリックビューイングが開催され、お立ち台で「応援は本当に力になる」と感謝した。

13年に東北に希望をともした楽天・田中将と同じ黄色のグラブを左手にはめ、世界デビュー戦でも使用した。震災当時9歳だった少年は田中将に勇気をもらい、大船渡3年時には163キロ。「令和の怪物」は、昨年4月10日のオリックス戦で史上最年少での完全試合を達成した。次回は米国で開催される準決勝の先発が有力視される。

試合前にはナインとともに黙祷をささげた。「(3月11日は)分かってはいたが試合に集中した。チームが勝って良かった。自分自身も最低限の仕事はできた」。野球に没頭して悲しみを乗り越え、野球を通じて思いを届けた。

◇09年のダル抜いた

佐々木朗(ロ)が3回2/3を1失点(自責0)、8奪三振で勝利投手。佐々木朗は現在21歳4ヶ月。WBCの日本代表としては09年東京ラウンド・中国戦のダルビッシュ有(日=22歳6ヶ月)を抜く最年少勝利になった。また、1試合8奪三振は13年2次ラウンド・オランダ戦の前田健太(広=9奪三振)に次ぎ、06年準決勝・韓国戦の上原浩治(巨)、09年2次ラウンド・キューバ戦の松坂大輔(レッドソックス)と並ぶ2位タイ。

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朗希へ「自分のために投げて」、小3時入団「高田野球スポーツ少年団」当時の監督がエール[スポニチ]

◇YELL FROM 恩師

日の丸を背負った佐々木朗の姿に、地元も熱狂した。出身地の岩手県陸前高田市内と高校時代を過ごした大船渡市内の2カ所では、パブリックビューイング(PV)が開かれた。陸前高田市職員で佐々木朗の後援会の事務局長も務める村上知幸さん(52)も教え子の雄姿を見つめた。

右腕が高田小3年時に入団した「高田野球スポーツ少年団」で当時の監督を務めていた。プロ4年目での侍ジャパン入りに「160キロを超える直球を持っていたので、“いつかは入るのかな”と期待していたが、もっと先だと思っていた。びっくりだけど、嬉しいですね」と声を弾ませる。

寄せ書きがびっしりと書かれた5枚の応援旗。後援会が事前に同市内のショッピングモールに置き、市民からメッセージを募ったものだ。その応援旗が掲げられたPV会場で、村上さんも固唾をのんで投球を見守った。

東日本大震災発生から12年となる3月11日の登板。佐々木朗も父や祖父母を津波で失った。村上さんも次男を亡くした。被災した誰もがやり切れない思いを抱えながら、一歩ずつ前に進んできた。「あの時に、ああいう経験をしたもの同士。地元の人達は応援しない訳がない。それぞれの立場で12年、頑張ってきて今がある」と言う。

地元だけでなく、日本中の期待を一身に背負う。とはいえ、まだ21歳の若者。村上さんは「父ちゃんとかおじいちゃん、おばあちゃんも見ていると思うし、顔を思い浮かべながら投げるんだと思う。でも、自分のために投げてくれればいい」と気遣った。

佐々木朗に最後に会ったのは、昨年1月の成人式。右腕は昨年11月にもテレビ番組の取材のために陸前高田市に帰省したが、タイミングが合わずに対面できず。「自分の事情で会うことができなかったので残念だった」と振り返った。

もちろん世界一奪還も期待するが「大谷選手、ダルビッシュ選手にも話を聞いていると思うので、それを自分のものにして一段階、二段階も飛躍して欲しい。体を大事にして欲しいですよね」と語る。1番の願いは、大舞台を経験した先にある、教え子の成長だ。

村上知幸(むらかみ・ともゆき)
1970年(昭45)4月16日生まれ、岩手県出身の52歳。高田(岩手)では88年夏の甲子園に外野手として出場した。現在は陸前高田市役所に勤務し、観光交流課に所属。

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侍・朗希の世界デビューに米15球団スカウト集結「大谷以上のポテンシャル」[スポニチ]

佐々木朗の世界デビューを見るために、大リーグ15球団のスカウトがバックネット裏に集結した。

ジャイアンツのスカウトは「常に100マイル(約161キロ)以上を投げることができ、スプリットの落差も大きい。何よりコマンド(制球力)が良い」と絶賛。「大谷レベルか、それ以上のポテンシャルがあるのは間違いない」とした。別のナ・リーグ球団のスカウトも「とても印象的だった。見るのが楽しい投手だった」と語った。

米メディアにとっても待望の佐々木朗の登板だった。昨年、プロ野球史上最年少(20歳5ヶ月)での完全試合や13者連続を含む19奪三振などを記録した右腕は、大会最大の注目株。2月の宮崎合宿から取材している大リーグ公式サイトのマイケル・クレア記者は「フォームの再現性、球速ともにバーランダー(メッツ)のような投球に見えた」と驚いた。

また、現行ルールでメジャー契約を結べる25歳を故障なく迎えたと仮定し「契約年数は8〜10年で、最低でも3億ドル(約405億円)以上の契約規模になる」と断言。日本選手の米移籍時の契約総額は楽天・田中将が14年からヤンキースと結んだ7年総額1億5500万ドル(当時約158億円)が史上最高。その金額を優に上回る。

同記者は「30球団が獲得に興味を持っている」ときっぱり。一方、27球団が獲得に乗り出し、最終的にエンゼルスを選んだ大谷を引き合いに「日本選手は西海岸の球団を好む傾向があるし、現実的には資金力のある10球団程度に絞られるのでは」と分析した。移籍先候補にはドジャース、ヤンキース、レッドソックス、パドレスの4球団を挙げた。

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明桜出身のロッテ・山口がOP戦1号、「いい状態なので何も考えず」、2月からの対外試合含め計13戦6発[スポニチ]

秋田・明桜(現ノースアジア大明桜)出身のロッテ・山口が2点を追う3回2死からオープン戦1号となる左越えソロ。2月からの対外試合を含め、計13戦で6発目となり「いい状態なので何も考えず(打った)。やるべきことをやっていたら打てると思う」と自信をみなぎらせた。

今年1月、自主トレをともにした西武・山川はWBC日本代表として奮戦中。「次は3年後ですよね。行けるように」と言葉に力を込めた。

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前ロッテ監督の井口資仁氏が指摘、佐々木朗希と大谷翔平の共通点とは?[スポニチ]

前ロッテ監督の井口資仁氏(48)が11日、YouTube「プロ野球OBクラブチャンネル」に出演。佐々木朗希投手(21)と大谷翔平投手(28)の共通点を語った。

佐々木朗について、井口氏は「1年目からプロ中のプロだった。シーズン終わったら次の開幕戦は自分(が投げる)という意識で逆算して1日も無駄にせず過ごしている」と明かした。

シーズン中は休日でも遊びに出かけることもせず、体のケアにあてていたという。

佐々木朗を「真面目なだけでなく可愛い」と表した井口氏。「大谷選手もファイターズでは何年も寮で野球漬け。一緒ですね」と165キロの球速日本タイ記録を持つ侍ジャパン2人の右腕の共通点を指摘した。

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栗山監督、「3.11」の佐々木朗希は「1球1球、魂を込めて思いを届けるような感じ」[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は11日、1次ラウンドB組が東京ドームで2試合が行われ、ナイターで日本は第3戦となるチェコ戦に10−2で快勝し、3連勝となった。

栗山監督は無傷の3連勝にも表情を崩さず、「3試合ともそうなんですが、国際大会の難しさというか、じりじりする試合展開で、勝ち切りましたけど、改めて難しい試合だったと感じた」とした。

佐々木朗の「3.11」の先発については、「1球1球、魂を込めて目一杯投げている佐々木朗希の姿が感じられて、ボールを投げるというよりも思いを届けるような感じでした」とベンチで見守った心境を明かした。

WBC初安打が出た村上には、「バッターというのは調子がいい時となかなか思うように打てない時があるので、それは信じて」と、主砲が調子を取り戻すことを願った。

そしてここまでの戦いを振り返り「プロ野球のように相手のデータがない中で、点は取れてはいるが調子がいいかはっきり感じられるものとは違うものもある。それは置いておいて、1日1日、みんなで全力で束になって戦っていくだけ」と話した。

12日の豪州戦は山本由伸を立てて、4連勝で準々決勝進出を決める意気込みを示した。

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吉井コーチ「朗希は緊張してちょっと力んでいたが、自分のピッチングができていた」[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は11日、1次ラウンドB組が東京ドームで2試合が行われ、ナイターで日本は第3戦となるチェコ戦に10−2で快勝し、3連勝となった。

吉井コーチの試合後のコメントは次の通り。

≫佐々木朗希は緊張してマウンドに上がったと思うが。
吉井コーチ
「緊張してマウンド上がったと思うんですけど、その中でも自分のピッチングをできていたので、ちょっと力んでましたけど。」
≫3月11日ということで、何か声掛けとかは。
吉井コーチ
「何もないです。本人のピッチングができればいいと。余計なこと言うと、違うことやりだすので、何も言ってないです。」
≫宮城は。
吉井コーチ
「5イニングはあまり考えていなかったですけど、3から4はいって欲しいと思っていて、5いってくれて。球数も投げ切れたのでよかったと思います。」
≫ピッチングスタッフは。
吉井コーチ
「宇田川が連投になったが、他のピッチャーが休められたので、いけると思います。」
≫明日は。
吉井コーチ
「いいピッチャーばかりなので、全員で頑張ってゼロに抑えようと思います。」

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佐々木朗希、お立ち台で予告先発“発表”、大谷に続き…「明日は由伸さんが」に場内大歓声[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組は11日、東京ドームで2試合が行われ、日本はナイターでチェコと対戦。10−2で勝利して3連勝を飾った。先発の佐々木朗希投手(21=ロッテ)は3回2/3を投げ2安打1失点(自責0)で8三振を奪って勝利投手となった。

ヒーローインタビューのお立ち台に上がった佐々木朗は「明日は由伸さんが素晴らしいピッチングしてくれると思うので、応援よろしくお願いします!」と、明日12日豪州戦で山本由伸(オリックス)の予告先発を口にすると、場内は大歓声。初戦・中国戦で先発した大谷翔平がお立ち台で「明日、今日の勢いでそのまま試合につなげたい。先発、ダルビッシュさんなので」と先発を明かしたのに続いた。

岩手・陸前高田出身で、東日本大震災からちょうど12年となる「3・11」に国際大会デビューを果たした。練習開始前にグラウンドで円陣を組んで黙祷をささげた。母・陽子さんが観客席で見守る中、火の噴く直球を投げ込む。初回先頭のV.メンシクに3球連続160キロ台で右飛。2死後のフルプの初球は164キロだ。4日の中日との壮行試合で日本人最速165キロを計測し、大谷に並ぶまでの自己最速。163キロ直球を左翼二塁打され、負傷欠場した源田の代役として遊撃で本戦に初先発した中野の失策が絡んで1失点したが、自分を信じて腕を振った。

2回以降はフォーク、スライダーを増やして打者12人を1安打に抑えた。2回は2死一塁から、ハイトマルの中前に抜けそうな打球に対し、よけるように出した左足のスパイク部分に直撃する場面も。打球方向が変わって遊ゴロとなったが、ヒヤリとするシーンだった。3回は安打と四球で1死一、二塁にピンチを迎えたが無失点に抑えた。4回1死一塁からスモラを空振り三振に打ち取ったところで球数制限65球を超える66球となったため、お役御免となった。2番手の宇田川がハイトマルを空振り三振に打ち取ると、佐々木もベンチで拍手した。

佐々木朗は現在21歳4ヶ月。WBCの日本代表としては09年東京ラウンド・中国戦のダルビッシュ有(日=22歳6ヶ月)を抜く最年少勝利になった。また、1試合8奪三振は13年2次ラウンド・オランダ戦の前田健太(広=9奪三振)に次ぎ、06年準決勝・韓国戦の上原浩治(巨)、09年2次ラウンド・キューバ戦の松坂大輔(レッドソックス)と並ぶ2位タイとなった。

WBC初マウンドでみせたパフォーマンスは、日本に、被災地に、天国に届けるものとなった。

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佐々木朗希「今日このマウンドに立てたことに感謝」、侍史上最年少勝利投手、「3・11」に魅せた8奪三振[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組は11日、東京ドームで2試合が行われ、日本はナイターでチェコと対戦。10−2で勝利して3連勝を飾った。先発の佐々木朗希投手(21=ロッテ)は3回2/3を投げ2安打1失点(自責0)で8三振を奪って勝利投手となった。

ヒーローインタビューのお立ち台に上がった佐々木朗に超満員の観衆から拍手が注がれる。「満員のドームの中で投げることができて嬉しいです。色々ありましたけど、自分のできることをしっかりやって、今日このマウンドに立てたことにとても感謝しました。たくさんの応援は力になりますし、引き続き応援のほど、よろしくお願いします」と話すと、拍手はさらに大きくなった。

練習開始前にグラウンドで円陣を組んで黙祷をささげた。佐々木朗は母・陽子さんが観客席で見守る中、火の噴く直球を投げ込む。初回先頭のV.メンシクに3球連続160キロ台で右飛。2死後のフルプの初球は164キロだ。4日の中日との壮行試合で日本人最速165キロを計測し、大谷に並ぶまでの自己最速。163キロ直球を左翼二塁打され、負傷欠場した源田の代役として遊撃で本戦に初先発した中野の失策が絡んで1失点したが、自分を信じて腕を振った。

岩手県の陸前高田市出身。兄の影響で野球を始め、小学3年生で地元のスポーツ少年団に入団した。父や兄とキャッチボールをする日常は突然奪われた。父・功太さんは37歳の若さで命を落とした。祖父母も奪われた。津波で家も流され、大船渡市への移住を余儀なくされた。成人式では、陸前高田市と被災後に移って育った大船渡市、2つの成人式に出席した。佐々木朗は「地元が大好き」と言う。この日は2つの地元でパブリックビューイングが開催された。

13年に東北に希望をともした楽天・田中将と同じ黄色のグラブを左手にはめ、世界デビュー戦でも使用した。震災当時に9歳だった少年は田中将に勇気をもらい、大船渡3年時には163キロ。昨年4月10日のオリックス戦では完全試合を達成した。今は「みんなに見られる立場なので小さい子達の道標になれたらいい」と立場が変わった。

2回以降はフォーク、スライダーを増やして打者12人を1安打に抑えた。2回は2死一塁から、ハイトマルの中前に抜けそうな打球に対し、よけるように出した左足のスパイク部分に直撃する場面も。打球方向が変わって遊ゴロとなったが、ヒヤリとするシーンだった。3回は安打と四球で1死一、二塁にピンチを迎えたが無失点に抑えた。4回1死一塁からスモラを空振り三振に打ち取ったところで球数制限65球を超える66球となったため、お役御免となった。2番手の宇田川がハイトマルを空振り三振に打ち取ると、佐々木もベンチで拍手した。

佐々木朗は現在21歳4ヶ月。WBCの日本代表としては09年東京ラウンド・中国戦のダルビッシュ有の22歳6ヶ月を抜く最年少勝利になった。また、1試合8奪三振は13年2次ラウンド・オランダ戦の前田健太の9奪三振に次ぎ、06年準決勝・韓国戦の上原浩治、09年2次ラウンド・キューバ戦の松坂大輔と並ぶ2位タイとなった。

「僕が投げている姿で何かを感じてもらえたらと思います」。WBC初マウンドでみせたパフォーマンスは、チームに、日本に、被災地に、天国に届けるものとなった。

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侍3連勝で「3・11」歴史的勝利、打線逆転でWBC初陣の朗希が勝利投手、1位突破かけ12日に豪州戦[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組が11日、東京ドームで行われ、日本はチェコに10−2で完勝。3連勝で1位の座は渡さず、12日に2連勝中のオーストラリアと直接対決でB組首位を争うことになった。

WBC初登板で先発の佐々木朗は、3回2/3を投げ2安打1失点(自責0)。最速164キロをマークするなど、今大会最多となる8三振を奪って降板した。岩手県の陸前高田市出身。2011年3月11日、震災ではキャッチボールに付き合ってくれていた父・功太さん(享年37)と祖父母が犠牲になった。特別な「3・11」に登板し、懸命に腕を振った。

そんな佐々木の姿に打線が奮起。チェコ先発右腕のオンジェイ・サトリアの緩い球に大谷でも苦しむ中、1点差を追う3回に吉田の逆転となる2点適時打、山田の適時打で3点を返した。さらに4回にはヌートバー、近藤、大谷の3者連続適時打などで4点を追加。試合を優位に進めた。

5回には鈴木誠也の代役として招集された牧原大が、大会初安打となる適時打を放つなど打線は盛況。8回には大谷の代打・牧が今大会2号となるソロ弾。続く村上には大会初安打も生まれた。

投手陣も盤石で、宇田川が好救援すると、宮城は5イニングのロングリリーフで1失点と試合を引き締め、投打に噛み合った試合内容でチェコを圧倒した。

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佐々木朗希、最速164キロで4回途中1失点、今大会最多8K、3・11WBCデビューで勝利投手の権利[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組は11日、東京ドームで2試合が行われ、日本はナイターでチェコと対戦した。日本は佐々木朗希投手(21=ロッテ)が先発し、3回2/3を投げ2安打1失点(自責0)、今大会最多となる8三振を奪って降板した。

9日の中国戦、10日の韓国戦に連勝。チェコ戦に勝てば、準々決勝進出に王手をかける一戦。そして特別な「3・11」に佐々木朗はマウンドに立った。初回先頭のV.メンシクへの第1球は162キロ直球。球場からもどよめきが起こった。2死無走者からフルプに163キロを左翼線二塁打され、2死二塁。4番のチェルベンカの遊ゴロを中野が一塁悪送球で先制点を献上した。それでも初回に投じた15球のうち、直球は10球、その全てが160キロ以上をマークした。

2回は2死一塁から、ハイトマルの中前に抜けそうな打球に対し、よけるように出した左足のスパイク部分に直撃する場面も。打球方向が変わって遊ゴロとなったが、ヒヤリとするシーンだった。3回は安打と四球で1死一、二塁にピンチを迎えたが無失点に抑えた。4回1死一塁からスモラを空振り三振に打ち取ったところで球数制限65球を超えたため、お役御免となった。2番手の宇田川が空振り三振に打ち取ると、佐々木もベンチで拍手した。

チームは練習開始前、グラウンド上で円陣を組み、30秒黙祷を捧げた。「活躍する姿を見せることが、1番の恩返し」。岩手県の陸前高田氏出身。2011年3月11日、震災ではキャッチボールに付き合ってくれていた父・功太さん(享年37)と祖父母が犠牲になった。様々な思いを背負って腕を振った。

4日の中日との壮行試合では、大谷翔平に並ぶ日本人最速165キロをマーク。万全の状態に仕上げた。「集中して自分のプレーをする。チームのために、自分ができることをやるだけかなと思っています」。世界が注目する「令和の怪物」が、その投球を日本中に、被災地に、天国に届ける投球だった。

佐々木朗
「フォアボールなどで球数が増えて4回を投げ切れなかったですが、最小失点で戻れたのは良かったです。(WBC仕様の)マウンドやボールは気にならずチェコの良い打者に集中して投げられました。」

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佐々木朗希、打球直撃にヒヤリ、左足スパイク部分に直撃[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組は11日、東京ドームで2試合が行われ、日本はナイターでチェコと対戦した。日本は佐々木朗希投手(21=ロッテ)が先発した。

9日の中国戦、10日の韓国戦に連勝。チェコ戦に勝てば、準々決勝進出に王手をかける一戦。そして特別な「3・11」に佐々木朗はマウンドに立った。初回先頭のV.メンシクへの第1球は162キロ直球。球場からもどよめきが起こった。2死無走者からフルプに163キロを左翼線二塁打され、2死二塁。4番のチェルベンカの遊ゴロを中野が一塁悪送球で先制点を献上。それでも初回に投じた15球のうち、直球は10球、その全てが160キロ以上をマークした。

2回は連続三振の後に四球を与えたが、ハイトマルの中前に抜けそうな打球に対し、よけるように出した左足のスパイク部分に直撃する場面も。打球方向が変わって遊ゴロとなったが、ヒヤリとするシーンだった。

チームは練習開始前、グラウンド上で円陣を組み、30秒黙祷を捧げた。「活躍する姿を見せることが、1番の恩返し」。岩手県の陸前高田氏出身。2011年3月11日、震災ではキャッチボールに付き合ってくれていた父・功太さん(享年37)と祖父母が犠牲になった。様々な思いを背負っていた。

4日の中日との壮行試合では、大谷翔平に並ぶ日本人最速165キロをマーク。万全の状態に仕上げた。「集中して自分のプレーをする。チームのために、自分ができることをやるだけかなと思っています」。世界が注目する「令和の怪物」が、その投球を日本中に、被災地に、天国に届ける戦いが始まった。

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佐々木朗希、初回に164キロ、中野の失策で1失点も、直球全10球が160キロ超え[スポニチ]

第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の1次ラウンドB組は11日、東京ドームで2試合が行われ、日本はナイターでチェコと対戦した。日本は佐々木朗希投手(21=ロッテ)が先発した。

9日の中国戦、10日の韓国戦に連勝。チェコ戦に勝てば、準々決勝進出に王手をかける一戦。そして特別な「3・11」に佐々木朗はマウンドに立った。初回先頭のV.メンシクへの第1球は162キロ直球。球場からもどよめきが起こった。2死無走者からフルプに163キロを左翼線二塁打され、2死二塁。4番のチェルベンカの遊ゴロを中野が一塁悪送球で先制点を献上。それでも初回に投じた15球のうち、直球は10球、その全てが160キロ以上をマークした。

チームは練習開始前、グラウンド上で円陣を組み、30秒黙祷を捧げた。「活躍する姿を見せることが、1番の恩返し」。岩手県の陸前高田氏出身。2011年3月11日、震災ではキャッチボールに付き合ってくれていた父・功太さん(享年37)と祖父母が犠牲になった。様々な思いを背負っていた。

4日の中日との壮行試合では、大谷翔平に並ぶ日本人最速165キロをマーク。万全の状態に仕上げた。「集中して自分のプレーをする。チームのために、自分ができることをやるだけかなと思っています」。世界が注目する「令和の怪物」が、その投球を日本中に、被災地に、天国に届ける戦いが始まった。

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ロッテにトレード加入の西村、移籍後初登板で1回無失点[スポニチ]

日本ハムからトレードで加入した西村天裕投手(29)が4回から2番手で移籍後初登板。1回を1安打無失点に抑えた。

先頭の伊藤裕を空振り三振に仕留めると、続く炭谷を中飛、辰己には右前打されたものの小深田を中飛に打ち取り、1回無失点と新天地で無難なスタートを切った。

登板を終えると西村は「マリーンズでの初登板で少し緊張しましたが、無失点で抑えることができてよかった。継続して抑えるようにしていきたい」と話した。

西村は6日に福田光輝内野手(25)とのトレードでロッテに加入していた。

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ロッテ山口、OP戦待望の1号、対外試合含め今春13Gで6発目「シーズンに取っていきたい」[スポニチ]

ロッテの山口航輝外野手(22)が今季オープン戦1号、対外試合を含めれば計13戦で早くも6発目をマークした。

2点を追う3回2死走者なしから左越えソロ。「多分ツーシームです。打ち方は悪かったけど、結果ホームランになっているんで…」と話すと好調モードを持続していると強調。「いい状態なんで何も考えずに…。勝手に(ホームランが)出るかな。やるべきことを変えずにやっていたら打てると思う」と自信をみなぎらせた。

自主トレをともにした西武・山川がWBCで奮闘中。本番では不発の“師匠”を心配しつつ「次(のWBC)は3年後ですよね。行けるように」と侍ジャパン入りへ夢は膨らむ。

開幕まで3週間。「これからはホームランをあまり打たないように…。シーズンに取っていきたいんで」とジョークもさえていた。

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ロッテ開幕ローテ入り目指す本前が2回に一挙5失点「ゾーンを狙いすぎ打者と勝負できなかった」[スポニチ]

開幕ローテーション入りを目指すロッテの本前郁也投手(25)がうな垂れた。初回は無失点に切り抜けながら、2回無死から連続四球を与えると自らの悪送球などから1点を失い、なお無死満塁から伊藤裕に満塁ホームランを喫した。

3回4安打5失点での交代に「ゾーンを狙い過ぎて球数が増え、自分の球を投げれず、打者と勝負できていませんでした」と深く反省していた。

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ロッテ、算数ドリル令和4年春号を千葉市内の小学校に―無償配布、今回で35度目[スポニチ]

ロッテはマリーンズ算数ドリル令和4年度春号をこのほど発行し、千葉市内の公立小学校109校に無償で配布したと発表した。

マリーンズ算数ドリルは「NPO法人ちば算数・数学を楽しむ会」の協力のもと、ロッテや野球に関連した問題で構成されている自習用教材で、2011年に配布を開始してから今回が35度目の配布となる。令和4年度春号は3月までの学習内容の復習教材として制作されている。

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佐々木朗希は一流の考え方や成功する方法を「どんどん教えてくれる」、中学時代の同級生の東北学院大・野中大輔投手[報知]

佐々木朗希の大船渡一中時代の同級生で、東北学院大の野中大輔投手(21)が世界の舞台で奮闘した右腕へメッセージを送った。


朗希、めちゃめちゃかっこよかったです!でも中学校の時は一緒にプロ野球の話とかをする友達だったので、侍のユニホームを着ているのが違和感でしかないです。ただ、一流の選手を普通に抑えている時点ですごいし、こうやって結果が出るのもオフの過ごし方だったり練習の姿勢、考え方がすごいからだと思います。自分にも色々教えてくれるし、そこは見習うべきだなって毎回思います。食事1つにしても、徹底しています。オフに会った時にウーバーイーツ(料理の配達)したお弁当に入っていた天ぷらの衣は絶対食べなかった。好き嫌いが多いのか分からないですけど(笑)。そういうところは細かいですね。遠征中とかキャンプ中も朗希から電話が来て、基本ふざけた話ばかり。でもやっぱり常に朗希がいてくれて、考え方とか成功する方法をどんどん教えてくれる。自分も社会人野球を目指して、今、大学野球を頑張っていて、朗希がいるからモチベーションも上がるし頑張れます。東北の人も朗希の頑張っている姿を見て、みんなパワーをもらえると思うので、これからもいつも通りの朗希でやって欲しいなって思います。僕も朗希に近づくじゃないけど、野球選手として良いプレーヤーになることを目標にして、負けずに頑張ります!

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佐々木朗希の故郷・陸前高田市の恩師が感激「『自分も頑張らなくちゃ』と市民に思わせてくれました」[報知]

WBC日本代表の佐々木朗希投手(21)が小3で野球を始めた時に所属していた「高田野球スポーツ少年団」で監督を務めていた、陸前高田市地域振興部・観光交流課長の村上知幸さん(52)が11日、スポーツ報知の取材に応じた。震災から12年の節目の日に教え子が先発し「こんな日が来るとは想像もできなかった。堂々と投げ切ってくれて嬉しい」と喜んだ。


試合1時間前から陸前高田市のパブリックビューイング(PV)会場でスタンバイしていた村上さんは、終始真剣な眼差しで投球を見つめていた。3回2/3を投げ、8三振を奪った教え子の姿に「ランナーを出してもちゃんと勝負してくれた。いつも以上に見る側も緊張しました」と笑顔を見せた。

佐々木は12年前、父・功太さん(享年37)や祖父母を津波で亡くした。忘れることができない3・11に先発したことは、特別な意味合いを持つ。村上さんも次男・祐太くん(享年6)を亡くし、佐々木の気持ちは「痛いほど分かる」という。「朗希もどん底を味わったけれど、野球と向き合いこんなにも輝いている」と表情を緩ませ「投げっぷりを見て、『自分も頑張らなくちゃ』と市民に思わせてくれました」と感謝した。

佐々木が、兄・琉希さんの背中を追い「高田野球スポーツ少年団」に入部したのは2010年4月。当時について「3年生だとキャッチボールすら半数以上できないですが、しっかりできていた。お父さんともよく練習していたみたい。寡黙に練習に取り組む子で多くを指導した記憶がない」と振り返った。

佐々木はチームの中心的存在で「同級生といるとワイワイ楽しくやっていて、次男らしく活発でしたよ」と明かした。兄が投手だったこともあり、早くから投手を志望。最も印象に残っているのは、同年11月に初登板を迎えた日のことだ。

「『自由に思い切り投げて』とマウンドへ送ると、1回をピシャッと3人で抑えたんですよ。昨年4月に完全試合を達成した9回の姿が当時と重なって、色んなことを思い出しました」。次回登板に向けて「朗希のお父さんも『もっと頑張れよ!』と言ってるんじゃないかな。まだまだ大会は続くから、力まず、らしさを発揮してください」とエールを送った。

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[侍ジャパン]吉井コーチ「自分の投球ができていた」、「3・11」好投の佐々木朗希ねぎらう[報知]

3大会ぶりの優勝を狙う侍ジャパンは、1次ラウンド(R)3戦目でチェコを下し、無傷の3連勝となった。

先発はロッテ・佐々木朗希投手。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。初回に先取点を献上したが、3回2/3を66球、2安打1失点(自責0)、8奪三振でWBCでは日本人投手最年少の勝利投手となった。「チームが勝って良かったと思いますし、自分自身も最低限の仕事はできたかなと思います」と振り返った。

吉井投手コーチは「3・11」に朗希をマウンドに送り出すにあたり「本人の投球をやってくれればそれでいいと思っていた。余計なことを言うと違うことをやりだすので、何も言っていない」と説明。結果で応えた令和の怪物を「緊張してマウンドに上がったと思うんですけど、その中で自分の投球ができていた。ちょっと力んではいたが、良かったと思います」とたたえた。

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[侍ジャパン]佐々木朗希3連勝導いた、「集中して」3・11魂の66球、運命の日に世界デビュー[報知]

「カーネクスト2023 WBC東京プール」で、日本が1次ラウンド(R)第3戦のチェコ戦に臨み、ロッテの佐々木朗希投手(21)が、快投で世界デビューを果たした。初回に失策絡みで1失点したが、3回2/3で被安打2、8奪三振。東日本大震災から12年たったその日にWBCでは日本人最年少での勝利投手となり、故郷・岩手に、被災地に勇気を与えた。打線は同じく岩手出身のエンゼルス・大谷翔平投手(28)が打球速度約191キロの弾丸適時二塁打を放ち、3連勝に貢献。12日のオーストラリア戦に勝てば、B組1位での準々決勝進出が決まる。

ボールに精一杯の力を込めた。1点ビハインドの3回1死一、二塁。佐々木朗は4、5番打者を空振り三振、中飛に抑え、ベンチに戻る野手陣1人1人に感謝の思いを示すように出迎えた。「チームが勝ててよかったと思いますし、自分自身も最低限の仕事が出来たと思います」。2回まで沈黙していた打線が、3回裏につながって逆転し、WBCでは日本人投手最年少の勝利投手となった。

WBC初出場のチェコを相手にまさかの展開だった。初回はこの日最速164キロをマークするなど、東京Dをどよめかせ続けたが、2死二塁で遊撃手・中野の悪送球(記録は失策)で先取点を献上。2回までは打線も沈黙して、踏ん張るしかなかった。逆転した直後の4回もマウンドに上がり、2死一塁で65球の球数制限に到達して降板。3回2/3で66球を投げ、2安打1失点(自責0)、8奪三振の力投を見せ「満員のドームの中で投げることが出来て嬉しいです。どうにか最少失点で投げることが出来てよかった」とうなずいた。

運命に導かれるようにして上がった「3・11」のWBCデビュー戦だった。生涯忘れることの出来ない1日となった11年3月11日。生まれ育った陸前高田市は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母を亡くした。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームに身を寄せた。

生活するだけで必死だった日々を支えたのは、他でもない野球だった。「野球してる時が1番楽しかった」。大船渡に移住後の猪川小でも仮設のグラウンドへ向かう足は止めなかった。当時は照明設備もなく、保護者の車のライトだけが頼り。地面は荒れてボールは見えづらく、蛍光塗料を塗ったボールを無心になって追いかけた。

あれから12年。「今日このマウンドに立てたことに感謝しています」。日の丸を背負って、満員に埋まった東京Dで大声援を浴びた。バックには頼れる先輩達が守り、同じ岩手出身の大谷から声をかけられてマウンドに送り出された。歩みを止めなかったからこそ、世界への大きな第一歩を踏み「僕が投げている姿で何か感じてもらえたらなと思います」とメッセージを体現した。

侍ジャパンがWBCで優勝した06、09年は4、7歳で野球すらまだ本格的に始めていなかった。それでも09年に決勝でイチローが決勝打を放ち、ダルビッシュが試合を締めくくったことは、ハッキリと脳裏に刻まれている。頂点までは残り4試合。被災地に勇気と希望を与えた頼れる右腕は、登板の可能性が残される米フロリダ州マイアミでの準決勝以降へ向けて、再び歩み始める。

記録メモ
21歳4ヶ月の佐々木朗(ロ)が、先発で勝利投手。五輪では88年ソウルの予選L・台湾戦で野茂英雄(新日鉄堺)が20歳0ヶ月。96年アトランタの予選L・キューバ戦で小野仁(日本石油)が19歳10ヶ月で先発。
00年シドニーでは、松坂大輔(西)が20歳0ヶ月で3度(予選L2度、3位決定戦1度)先発した例があるが、WBCでは09年1次R・中国戦○、2次R・韓国戦●のダルビッシュ有(日)の22歳6ヶ月より若い、日本人投手最年少(プレミア12は15年大谷翔平=日が21歳4ヶ月で2度)。
白星もダルビッシュを抜き最年少で手にした(五輪は88年ソウルの野茂、プレミア12は15年松井裕樹=楽の20歳0ヶ月が最年少)。

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[侍ジャパン]栗山英樹監督、「3・11」先発で勝利投手・佐々木朗希の投球は「思いを届けるように見えました」[報知]

第5回WBCで2009年の第2回大会以来3大会ぶりの優勝を狙う侍ジャパンは、1次ラウンド(R)3戦目でチェコを下し、無傷の3連勝となった。

先発マウンドに上がったのは、ロッテ・佐々木朗希投手。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。初回に先取点を献上したが、3回2/3を66球、2安打1失点(自責0)、8奪三振でWBCでは日本人最年少の勝利投手となった。「チームが勝って良かったと思いますし、自分自身も最低限の仕事はできたかなと思います」と振り返った。

栗山英樹監督は、右腕について「まずは本当に1球1球、魂を込めて目一杯投げる朗希の姿がベンチにもすごく感じられて、球のスピードとか、ボールとかそういうことよりも、何か彼に色んなことを感じながら、ボールを投げるよりも思いを届けるように見えました。朗希だけではなく東北出身の選手達が結構ジャパンにいる中で、色んな全ての思いがあったと思うけど、もし今日の試合を見ていただいて、少しでも何か楽しかったり、笑顔になれたり元気になっていただけたら幸せです」と話した。

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堀内恒夫さん、三振取れる佐々木朗希「リリーフで投げてもらいたい」[報知]

「カーネクスト2023 WBC東京プール」で、日本が1次ラウンド(R)第3戦のチェコ戦に臨み、ロッテの佐々木朗希投手(21)が、快投で世界デビューを果たした。初回に失策絡みで1失点したが、3回2/3で被安打2、8奪三振。最速は164キロをマークした。東日本大震災から12年たったその日に、故郷・岩手に、被災地に勇気を与える66球だった。打線は同じく岩手出身のエンゼルス・大谷翔平投手(28)が打球速度約191キロの弾丸適時二塁打を放ち、チームの3連勝に貢献した。


初めて経験するWBC。独特のムード。平常心でいろというのは無理なのか。立ち上がりはいつもの佐々木朗ではなかった。

フォークがワンバウンドした原因は力み。ストレートのキレも悪かった。力を入れるとスピードは出ているように見えるが、打者の手元で伸びる球にはならない。初回に打たれた二塁打は“棒球”だ。外角低めを狙った球が逆球になった。高めならけがが少ないが、低めに来る球は打者に対応の時間を与えてしまう。すっぽ抜けたインハイのストレートに打者が空振りをするシーンをよく見ると思うが、高めの球にはバットを出す時間が取れないからだ。逆に低めの球はバットを出す時間を与えてしまう。

2回からは本来の投球を取り戻した。成長を感じたのは3回。1死一、二塁で4番打者を迎えた場面だ。力んで投げたら打たれたかもしれないが、冷静に自分を見つめ直した。ストレートで空振りさせ、フォークでファウル、最後もフォークで空振り三振を奪った。

次回の登板も見てみたい。先発は試合をつくれるダルビッシュや大谷に任せ、佐々木朗には「ここは三振が欲しい」という場面でリリーフで投げてもらいたい。またこの男の違った顔が見られるかもしれないから。

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[侍ジャパン]初陣勝利の佐々木朗希、12日の先発公表「山本由伸さんが素晴らしい投球をしてくれると思う」[報知]

第5回WBCで2009年の第2回大会以来3大会ぶりの優勝を狙う侍ジャパンは、1次ラウンド(R)3戦目でチェコを下し、無傷の3連勝となった。日本は12日のオーストラリア戦に勝利すれば、B組1位で準々決勝に進む。デーゲームで行われる試合で、現在1勝1敗のチェコが2敗の韓国に敗れると、その時点で日本の2位以内が確定し、準々決勝進出が決まる。

先発したロッテ・佐々木朗は初回に164キロをマークするなど全力投球を披露。失策が絡み1点を失い、その後も毎回走者を背負ったが、3回2/3を投げ、2安打1失点(自責0)、8奪三振で勝ち投手となった。

試合後のヒーローインタビューでは「明日は(オリックス・山本)由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思う」と、12日のオーストラリア戦先発を公表。初戦の大谷翔平に続きお立ち台で翌日の先発を“予告”すると、東京ドームは大きく沸いた。

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[侍ジャパン]佐々木朗希が3・11にWBCデビューで勝利投手「マウンドに立てることに感謝」、無傷の3連勝[報知]

第5回WBCで2009年の第2回大会以来3大会ぶりの優勝を狙う侍ジャパンは、1次ラウンド(R)3戦目でチェコを下し、無傷の3連勝となった。

先発したロッテ・佐々木朗が初回いきなり164キロをマークするなど、全力投球を披露。2死から左翼線へ二塁打を浴びると、続く打者の遊撃へのゴロを中野が一塁へ悪送球(記録は失策)して、先取点を献上した。

その後も毎回走者を背負ったが、得点は与えず。4回1死一塁で空振り三振を奪って66球目となり、65球の球数制限に到達して降板。3回2/3を投げ、2安打1失点(自責0)、8奪三振。4回2死一塁からは2番手でオリックス・宇田川がマウンドに上がり、3球で空振り三振に封じた。

打線は相手先発・サトリアの緩急を巧みに操る投球の前に、2回まで無得点。しかし1点を追う3回、2死一、二塁の好機で5番・吉田正が2点適時二塁打を放ち、逆転に成功。なおも2死二塁から山田がレフトへタイムリーを放ち、貴重な追加点を挙げた。

勢いは止まらず、4回はヌートバー、近藤、大谷の3者連続適時打などで一挙4点を奪い、8回に牧の本塁打などでリードを8点に広げた。

5回から登板した3番手・宮城は5回に1点を失ったが、その後はチェコ打線に安打を許さない好投を披露。初セーブを挙げた。

佐々木朗希のヒーローインタビューは以下の通り。

≫大歓声が起きた。
佐々木朗
「満員のドームの中で、今日投げることができて、嬉しいです。」
≫WBCのデビューマウンド。
佐々木朗
「イニング途中で降板したり、四球を出してしまったが、どうにか最少失点で投げることができてよかった。」
≫160キロ超えを連発し、8奪三振。
佐々木朗
「四球も多かったが、フォークを有効的に使うことができたかなと思う。」
≫チェコ打線の印象は。
佐々木朗
「真っ直ぐも簡単に打たれたし、すごい打線だったと思った。」
≫3月11日。どんな思いでマウンドに上がったか。
佐々木朗
「色々ありましたけど、今日、自分ができることをしっかりやって、今日このマウンドに立てることに感謝しました。」
≫初戦は大谷、2戦目はダルビッシュが先発。メジャーリーガーの投球に刺激を受けた部分は。
佐々木朗
「初戦、2戦目と大差で勝っていい流れでバトンを渡してもらたので、その流れに乗って投げることができたかなと思います。」
≫パブリックビューイングが行われている、地元・陸前高田への思いは。
佐々木朗
「たくさんの応援、力になりますし、これからまだまだ試合はあるので、引き続き応援のほどよろしくお願いします。」
≫明日のオーストラリア戦に向けて。
佐々木朗
「明日は由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思うので、明日もよろしくお願いします。」

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[WBC]チェコ代表選手のガッツに場内から大きな拍手、佐々木朗希の162キロが左膝直撃もプレー続行[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手が11日、チェコ戦に先発。4回1死、佐々木朗希の投じた162キロ直球が、チェコ代表の7番打者、エスカラの左膝に直撃した。球場内には鈍い音が響き、打者も倒れ込んだ。これにはエンゼルス・大谷もベンチで表情をゆがめたが、打者は立ち上がり、一塁方向へ。ダッシュする姿を見せると、場内からは大きな拍手が送られた。

佐々木朗は4回途中で66球を投げ、2安打、8奪三振、1失点(自責0)、最速164キロで降板。ベンチへ戻る際は、一塁走者・エスカラに対して帽子を取り、再度謝罪をしていた。

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[侍ジャパン]「3・11」先発の佐々木朗希は4回途中8Kで降板、最速164キロ「最少失点で戻れてよかった」[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が11日、WBC1次ラウンド(R)3戦目のチェコ戦に先発登板。4回途中で66球を投げ、2安打、8奪三振、1失点(自責0)、最速164キロで降板した。「四球などで球数が増えて4回を投げきれなかったですが、最少失点で戻れたのは良かったです。(WBC仕様の)マウンドやボールは気にならずチェコの良い打者に集中して投げられました」とコメントした。

初回は初球にいきなり162キロを計測して球場がどよめき。右飛、空振り三振で簡単に2アウトを奪ったが、163キロをはじき返されて左翼線への二塁打を浴びると、続く打者の遊撃へのゴロを中野が一塁へ悪送球(記録は失策)して、先取点を許した。初回は最速164キロをマークも、リードを許すまさかの展開になった。

2回は先頭打者から2者連続で3球連続空振りで三振。2死からは際どいコースをことごとくボール判定されて四球を与えて走者を背負ったが、遊ゴロに打ち取った。2回裏は1死満塁の好機を作るも中野、甲斐が連続で凡退。3回は先頭打者をフォークで空振り三振。右前安打と四球で1死一、二塁のピンチを背負うも空振り三振、中飛に打ち取った。

3回裏に吉田正、山田の連続適時打で3点を奪って逆転。朗希は2点のリードをもらって4回のマウンドにも立った。先頭打者から空振り三振を奪うと、続く打者には死球。1死一塁で空振り三振を奪って66球目となり、65球の球数制限に到達してマウンドを降りた。

特別な日にマウンドに立った。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。前日の10日には「ここ2試合緊張感のある中で試合が見られているので、その中で明日いいパフォーマンスが発揮できるようにしたいと思っています。まずは自分のピッチングに集中して、その中でいいパフォーマンスを、そして良い結果を出せるようにしたい。とにかくチームが勝つためにやっていきたいと思っています」と意気込みを口にしていた。試合前にはナインとともに黙祷もささげた。

大会前は、2月25日のソフトバンク戦(宮崎)、3月4日の中日戦(バンテリンドーム)で先発。計5回を投げて失点なしとここまで上々の調整を見せ、4日には大谷に並ぶ日本選手最速の165キロもマークした。栗山監督も「本当に状態がよく見えるので、しっかり投げ切ってくれると思います」と期待を込めていた。

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[侍ジャパン]佐々木朗希が3回まで2安打1失点6Kの力投、打線沈黙で追いかける展開に[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が11日、WBC1次ラウンド(R)3戦目のチェコ戦に先発登板。3回までで49球を投げ、2安打1失点(自責0)、6奪三振、最速164キロの好投を見せている。

初回は初球にいきなり162キロを計測して球場がどよめき。右飛、空振り三振で簡単に2アウトを奪ったが、163キロをはじき返されて左翼線への二塁打を浴びると、続く打者の遊撃へのゴロを中野が一塁へ悪送球(記録は失策)して、先取点を許した。初回は最速164キロをマークも、リードを許すまさかの展開になった。

2回は先頭打者から2者連続で3球連続空振りで三振。2死からは際どいコースをことごとくボール判定されて四球を与えて走者を背負ったが、遊ゴロに打ち取った。2回裏は1死満塁の好機を作るも中野、甲斐が連続で凡退。3回は先頭打者をフォークで空振り三振。右前安打と四球で1死一、二塁のピンチを背負うも空振り三振、中飛に打ち取った。

特別な日にマウンドに立った。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。前日の10日には「ここ2試合緊張感のある中で試合が見られているので、その中で明日いいパフォーマンスが発揮できるようにしたいと思っています。まずは自分のピッチングに集中して、その中でいいパフォーマンスを、そして良い結果を出せるようにしたい。とにかくチームが勝つためにやっていきたいと思っています」と意気込みを口にしていた。試合前にはナインとともに黙祷もささげた。

大会前は、2月25日のソフトバンク戦(宮崎)、3月4日の中日戦(バンテリンドーム)で先発。計5回を投げて失点なしとここまで上々の調整を見せ、4日には大谷に並ぶ日本選手最速の165キロもマークした。栗山監督も「本当に状態がよく見えるので、しっかり投げきってくれると思います」と期待を込めていた。

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[侍ジャパン]「3・11」に先発の佐々木朗希、2回まで1安打1失点で4K、最速164キロ[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が11日、WBC1次ラウンド(R)3戦目のチェコ戦に先発登板。2回までで28球を投げ、1安打1失点(自責0)、4奪三振、最速164キロの好投を見せている。

初回は初球にいきなり162キロを計測して球場がどよめき。右飛、空振り三振で簡単に2アウトを奪ったが、163キロをはじき返されて左翼線への二塁打を浴びると、続く打者の遊撃へのゴロを中野が一塁へ悪送球(記録は失策)して、先取点を許した。初回は最速164キロをマークも、リードを許すまさかの展開になった。

2回は先頭打者から2者連続で3球連続空振りで三振。2死からは際どいコースをことごとくボール判定されて四球を与えて走者を背負ったが、遊ゴロに打ち取った。

特別な日にマウンドに立った。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。前日の10日には「ここ2試合緊張感のある中で試合が見られているので、その中で明日いいパフォーマンスが発揮できるようにしたいと思っています。まずは自分のピッチングに集中して、その中でいいパフォーマンスを、そして良い結果を出せるようにしたい。とにかくチームが勝つためにやっていきたいと思っています」と意気込みを口にしていた。試合前にはナインとともに黙祷もささげた。

大会前は、2月25日のソフトバンク戦(宮崎)、3月4日の中日戦(バンテリンドーム)で先発。計5回を投げて失点なしとここまで上々の調整を見せ、4日には大谷に並ぶ日本選手最速の165キロもマークした。栗山監督も「本当に状態がよく見えるので、しっかり投げきってくれると思います」と期待を込めていた。

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[侍ジャパン]佐々木朗希、初回から最速164キロで場内どよめき、初回直球全球160キロ超え[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が11日、WBC1次ラウンド(R)3戦目のチェコ戦に先発登板。初球に162キロを計測して場内をどよめかせると、右飛、空振り三振であっという間に2アウトを奪った。2死からは最速164キロもマークしたが左翼線への二塁打を浴び、続く打者の遊撃へのゴロを中野が悪送球(記録は失策)して先取点を献上した。

初回は15球を投げて、10球が直球。全てが160キロを超えた。世界デビュー戦で圧巻のボールを見せている。

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[侍ジャパン]佐々木朗希、3・11WBCデビューも初回にいきなり失点、160キロ超え連発でどよめきも[報知]

侍ジャパンのロッテ・佐々木朗希投手(21)が11日、WBC1次ラウンド(R)3戦目のチェコ戦に先発登板。初球に162キロを計測して場内をどよめかせると、右飛、空振り三振であっという間に2アウトを奪った。2死からは最速164キロもマークしたが左翼線への二塁打を浴び、続く打者の遊撃へのゴロを中野が悪送球して先取点を献上した。

特別な日にマウンドに立った。12年前の11年3月11日。当時9歳だった朗希は、岩手・陸前高田市の高田小で震災を経験した。生まれ育った街は津波にのみ込まれ、父・功太さん(当時37歳)と祖父母は帰らぬ人となった。自宅も流され、母・陽子さんと兄、弟の4人で老人ホームでの生活を余儀なくされた。

忘れることの出来ない「3・11」にWBCデビュー。前日の10日には「ここ2試合緊張感のある中で試合が見られているので、その中で明日いいパフォーマンスが発揮できるようにしたいと思っています。まずは自分のピッチングに集中して、その中でいいパフォーマンスを、そして良い結果を出せるようにしたい。とにかくチームが勝つためにやっていきたいと思っています」と意気込みを口にしていた。試合前にはナインとともに黙祷もささげた。

大会前は、2月25日のソフトバンク戦(宮崎)、3月4日の中日戦(バンテリンドーム)で先発。計5回を投げて失点なしとここまで上々の調整を見せ、4日には大谷に並ぶ日本選手最速の165キロもマークした。栗山監督も「本当に状態がよく見えるので、しっかり投げきってくれると思います」と期待を込めていた。

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[ロッテ]現役ドラフトで加入の大下誠一郎がオープン戦初安打[報知]

現役ドラフトで加入したロッテの大下誠一郎内野手がオープン戦初安打をマークした。

1点を追う6回1死一塁、渡辺翔の3球目を左翼前へと運び、1軍では移籍後初安打。2回には三塁の守備でも好プレーを見せ、攻守でアピールした。今季は安田との三塁手争いが期待されている25歳。ベンチでは声でチームを盛り上げ存在感を示した。

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[ロッテ]トレードで加入の西村天裕が移籍後初登板で1回無失点の好投[報知]

日本ハムからトレードで加入した西村天裕投手が4回から2番手で移籍後初登板。1イニングを1安打無失点に抑えた。

先頭の伊藤を変化球で空振り三振に仕留めると、続く炭谷をスライダーで中飛、辰己には右前安打を許したものの、最後は小深田を中飛に打ち取り1回無失点の好投を見せた。

西村は6日に福田光輝とのトレードでロッテに加入していた。

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[ロッテ]マリーンズ算数ドリルを千葉市内の公立小学校109校に無償配布[報知]

ロッテは11日、マリーンズ算数ドリル令和4年度春号を千葉市内の公立小学校109校に無償で配布したことを発表した。

この算数ドリルは「NPO法人ちば算数・数学を楽しむ会」の協力のもと、マリーンズや野球に関連した問題で構成されている自習用教材。2011年に配布を開始し今回が35回目の配布で、令和4年度春号は3月までの学習内容の復習教材として制作されている。

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ロッテ・山口、OP戦1号、侍の戦いに刺激「自分も(将来)出られるように」[デイリー]

ロッテ・山口がオープン戦出場6試合目で初本塁打を放った。

3回に辛島の変化球を左越えへ放り込み「打ち方は理想の形ではなかったが、結果的にホームランになった」と振り返った。オフの自主トレで指導を仰いだ西武・山川がWBCに臨んでいる。日本代表の戦いに刺激を受けている様子で「自分も(将来)出られるように頑張りたい」と意欲を新たにしていた。

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侍・佐々木朗希、1次L突破王手星、最速164キロ&今大会最多8K、「3・11」に勝利導いた[デイリー]

「カーネクスト2023 WBC1次リーグ東京プール」が11日、東京ドームで行われ、B組の野球日本代表「侍ジャパン」はチェコに10−2で圧勝し、3連勝を飾った。12年前の東日本大震災で被災した岩手県出身の佐々木朗希投手(21)が先発し、3回2/3を2安打1失点(自責点0)で今大会最多の8奪三振を記録。"3・11"の特別な日に勝利投手となった。最速は164キロをマークした。日本はオーストラリアと戦う12日にも準々決勝進出が決まる。

忘れることのできない日に巡ってきた大役。一歩ずつ、ゆっくりと佐々木朗はマウンドへ歩みを進めた。センター方向に視線を向け、フッと息を吐く。悲しい過去を乗り越え、たどり着いた「3・11」のWBC初先発。チーム、ファンのため、そして被災者の思いを背負って、東京ドームで懸命に腕を振った。

「満員のドームで今日投げることができて嬉しかった。今日のマウンドに立てたことを感謝していました」。

自己最速にあと1キロと迫る164キロ、奪三振ショーなど多くの見せ場があったが、思いが色濃く表れたのは2点リードの4回だ。1死一塁でスモラから今大会最多となる8個目の三振を奪取。ただ、ここで1次リーグの投球制限(65球)を超える66球に到達。途中降板にベンチでは悔しさがにじみ出た。

それでも降板する際に大観衆からは万雷の拍手が降り注いだ。「四球などで球数が増えて四回を投げきれなかったですが、何とか最少失点で良かったです」。試合を作れた安堵感でいっぱいだ。

12年前の2011年3月11日。東日本大震災により、大好きだった家族との幸せな日常が奪われたが、震災前の大切な"記憶"は胸にしまい込んでいる。大津波にのまれて亡くなった父・功太さんとのキャッチボールは、野球を大好きになれた原点。いつも優しかった祖父母と過ごした時間もかけがえのない思い出であり、宝物だ。

「野球をしている時が1番楽しかった。つらい時だって頑張れたんです。プロ野球選手の自分にしかできないことがあります。それは夢や希望を与えること。そんな存在になって地元に貢献したい」。

大好きな野球で今、最高の仲間達と戦っている。大船渡高時代から憧れだった大谷、合宿期間中から助言をもらってきたダルビッシュから先発のバトンを託された。「初戦、2戦目が大差で勝っていい流れでバトンを渡してもらったので」と自分も勢いに乗った。

母・陽子さんが球場で、空の上から父、祖父母が見守る中で勝利投手になった。日本中を明るく照らした熱投。チェコファンも興奮状態で「佐々木」コールが鳴りやまない。悲しみに暮れた9歳のあの日から12年後の「3・11」。佐々木朗希が、WBCの舞台で伝説の1ページを刻んだ。

◇日本代表、12日にも突破

日本代表の1次リーグ突破は、オーストラリアが中国に勝利したため日本&オーストラリア&チェコの3国が3勝1敗で並ぶ可能性があり、12日以降へ持ち越し。12日正午からの「チェコ−韓国」でチェコが敗れれば日本の1次リーグ突破が決定する。さらに、チェコが敗れて、日本が同日のオーストラリア戦で勝利すれば4戦全勝で1位突破となる。

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侍・佐々木朗希、満員の大歓声「たくさんの応援が本当に力になります」[一問一答][デイリー]

野球日本代表「侍ジャパン」はチェコに10−2で圧勝し、3連勝を飾った。12年前の東日本大震災で被災した岩手県出身の佐々木朗希投手(21)が先発し、3回2/3を2安打1失点(自責点0)で今大会最多の8奪三振を記録。“3・11”の特別な日に勝利投手となった。佐々木朗との一問一答は以下の通り。

≫大歓声。
佐々木朗
「えー、この満員のドームの中で今日投げることができて嬉しいです。」
≫先発マウンドでWBCデビューとなった。
佐々木朗
「そうですね、イニング途中で代わってしまったり、球数かさんでしまったんですけど、何とか最少失点で良かったと思います。」
≫160キロを連発。8つの三振を奪った。
佐々木朗
「そうですね、フォアボールだったりが多かったんですけど、フォークボールを有効的に使うことができたかなと思います。」
≫チェコ打線は。
佐々木朗
「本当に真っ直ぐも簡単に打たれましたし、すごい打線だったなと思います。」
≫栗山監督から先発を託された。どんな思いだったか。
佐々木朗
「色々ありましたけど、今日、自分ができることをしっかりやって今日このマウンドに立てたことに感謝をしていました。」
≫初戦は大谷、2戦目はダルビッシュ。力をもらったか。
佐々木朗
「初戦、2戦目、大差で勝って良い流れでバトンを渡してもらったので、その流れに乗って投げることができたかなと思います。」
≫岩手・陸前高田でもパブリックビューイングで応援が。
佐々木朗
「そうですね、あのたくさんの応援が本当に力になりますし、これからもまだまだ試合があるので、引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。」
≫これで3連勝。
佐々木朗
「明日は由伸さんが素晴らしいピッチングをしてくれると思うので、明日も応援よろしくお願いします。」

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佐々木朗希「僕の投げる姿で感じてもらえたら」運命の3・11にWBCデビュー、勝利投手に[デイリー]

先発した佐々木朗希投手は、3回2/3を2安打1失点(自責0)、66球でマウンドを降りた。8奪三振は戸郷の7を抜き、今大会最多となった。

お立ち台では「今日投げることができて嬉しいです。イニング途中で代わってしまったんですが、最少失点で投げることができて良かったなと思います」と語り、「今日このマウンドに立てたことに感謝しています」と語った。

この日は自己最速にあと1キロと迫る164キロをマーク。WBC仕様のマウンドや公式球についても「気にならず、チェコのいい打者に集中して投げられました」と影響を感じさせなかった。

初回に3番・フルプに左翼線二塁打を打たれ、2死二塁から遊撃・中野の悪送球でいきなり1点を失った。それでも後続をしっかりと打ち取り、以降は危なげない投球で先発の役割を果たした。

3・11は東日本大震災で被災し、大切な家族を失った。「僕の投げている姿で感じてもらえたら」と語った右腕。あの日から12年、運命的とも言えるWBCデビューをチームの勝利で飾った。

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侍Jがチェコ撃破で3連勝!佐々木朗希3・11に快投、吉田正3打点、大谷190キロ驚がく打、3戦31得点と打線好調[デイリー]

日本代表が逆転勝ちで3連勝。準々決勝進出に一歩前進した。

打線はチェコの技巧派右腕サトリアに翻弄され、2回までは無得点。だが、3回に吉田正の2点適時打、山田の適時打で3点を奪い逆転した。

4回にはヌートバー、近藤、大谷が3連続適時打、吉田正の犠飛で一挙4点。大谷の一打は打球速度190キロと驚がくの一打。吉田正は今大会8打点と、出場選手トップの活躍をみせている。5回には大会直前に鈴木誠也の代役で選出された牧原が左前適時打を放ち、リードを広げた。チームは2戦連続2桁得点で、計31得点となった。

先発・佐々木朗は東日本大震災の3月11日に3回2/3を1失点と快投し、66球で降板した。初回に163キロを二塁打にされ、続く4番の遊ゴロを中野が悪送球。まさかの形で先制点を献上した。

だが、2回以降はチェコ打線を圧倒。8奪三振は戸郷の7を抜き、今大会最多。自己最速にあと1キロと迫る164キロをマークした。1次リーグは65球の投球制限があり、超えた打者を抑えたところで交代となった。

4回は宇田川が打者1人を抑え、5回からは宮城が5回1失点と力投した。

日本は12日にオーストラリア代表と対戦する。

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佐々木朗希、4回途中1失点降板も大会最多8奪三振、最速164キロを計測[デイリー]

日本の先発・佐々木朗は3回2/3を1失点、66球でマウンドを降りた。8奪三振は戸郷の7を抜き、今大会最多。この日は自己最速にあと1キロと迫る164キロをマークした。この大会は、1次リーグは65球の投球制限がある。

初回に3番・フルプに左翼線二塁打を打たれ、2死二塁から遊撃・中野の悪送球で1点を失った。3回には1死からソガードに右前打、続くフルプに四球を与え一、二塁とされた。しかし後続は三振と中飛に打ち取った。2回まで49球を投げていた。

4回は先頭を空振り三振。続くエスカラに死球を与えた。

後を受けた宇田川は無失点でこの回を終えた。

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佐々木朗希、WBC用マウンドも公式球も「気にならず集中して投げた」、今大会最多8三振[デイリー]

先発・佐々木朗は3回2/3を2安打1失点(自責0)、66球でマウンドを降りた。8奪三振は戸郷の7を抜き、今大会最多となった。「四球などで球数が増えて4回を投げきれなかったですが、最少失点で戻れたのはよかった」と振り返った。

この日は自己最速にあと1キロと迫る164キロをマーク。WBC仕様のマウンドや公式球についても「気にならず、チェコのいい打者に集中して投げられました」と影響は感じなかった様子。

初回に3番・フルプに左翼線二塁打を打たれ、2死二塁から遊撃・中野の悪送球でいきなり1点を失った。4回は先頭を空振り三振。続くエスカラに死球を与えた。エスカラは左膝を押さえて倒れ込み、しばらく悶絶した。その後の打者も空振り三振に仕留め、2番手・宇田川にマウンドを譲った。

この大会は1次リーグは65球の投球制限がある。

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佐々木朗希の剛速球がエスカラの左膝直撃、えぐい衝撃音&大谷もベンチで頭抱える→直後に全力ダッシュ[デイリー]

佐々木朗希投手の剛速球がチェコ代表・エスカラの左膝を襲った。

カウント1−2からの5球目だった。平均球速160キロオーバーのストレートが、エスカラの左膝を直撃。えぐい衝撃音を残し、その場に仰向けに倒れ込んだ。ベンチの大谷も思わず頭を抱え、顔をしかめるほどの衝撃。三塁ベンチから関係者が飛び出し、佐々木も心配そうに見つめた。

それでもエスカラは起き上がり、一塁へ向かって歩き出す。その直後、一塁ベースを超えて右翼線付近までダッシュを見せた。この姿に東京ドームのスタンドから大きな拍手が降り注いだ。

一塁塁上では山川が帽子をとって謝罪。その後、佐々木も降板する際にエスカラに帽子をとって頭を下げていた。

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佐々木朗希が初回に失策から失点、大谷翔平が一声かけてマウンドへ送り出す、最速は164キロ[デイリー]

佐々木朗希投手が先発マウンドに上がったが、いきなり失策で1点を失った。

初球に162キロを計測すると、スタンドは大きなどよめきに包まれた。先頭打者を161キロで押し込んで右飛に仕留めると、続くソガードは追い込んでから146キロのフォークで空振り三振。3番・フルプには最速164キロをマークするも左翼線二塁打。得点圏に走者を置いて、4番を遊ゴロに打ち取ったかに見えたが、源田に代わって入った中野が一塁へ悪送球。適時失策となって先制の1点を失った。

直前には早くマウンドへ向かおうとしたが関係者に制された。その様子を見てか、ベンチから大谷が右腕に一声かけた。そしてうなずきながら拍手で送り出し、ほどよい緊張感でマウンドへ向かって走り出した。

4日の壮行試合・中日戦では自己最速&日本人最速タイの165キロをたたき出し、ベンチで見ていた日本人最速記録保持者の大谷も思わず笑うなど、大きなインパクトを残した。

自身も被災し、家族を失った東日本大震災から12年後の3・11。運命とも言える日にWBCデビューを果たしたが初回に失点。それでも後続はしっかりと打ち取った。2回は2死から四球を与えるたが、遊ゴロに仕留めた。その際に打球が足に当たったようにも映り、甲斐が駆け寄ったが、右腕は笑顔で問題がないことを強調した。

3回は1死一、二塁のピンチを招いたが、チェコの中軸をしっかりと打ち取った。

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佐々木朗希、震災の記憶胸に先発、日の丸背負い、忘れられない日に[デイリー]

忘れられない3月11日に日の丸を背負ってマウンドに立った。野球のWBC日本代表の佐々木朗希(21)=ロッテ=は12年前の東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市出身で、津波により父と祖父母を亡くした。使命感を胸に「まずは自分の投球に集中して、その中でいい結果を出したい」と投げた。

兄の影響で野球を始め、小学3年生で地元の高田野球スポーツ少年団に入団した。とにかく負けず嫌いで、当時の監督の村上知幸さん(52)は「同級生と言い合いするような元気な子。勝ち気な性格だった」と言う。

父や兄とキャッチボールをする日常は突然奪われた。津波で家も流され、同県大船渡市への移住を余儀なくされた。学校のグラウンドには仮設住宅が建ち、河川敷などの空き地で練習した。苦労を経験し「今ある当たり前なことや、身近にいる大切な人達のことを当たり前だと思わず向き合ってもらいたい」と強く願う。

大船渡高3年時に163キロをマークしてその名をとどろかせ、ドラフト会議では1位で4球団競合の末にロッテへ入団した。

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大谷翔平、佐々木朗希に「まあまあやるやん」、好投した“岩手の後輩”を称える[Full-Count]

◇チェコ戦を終え、インスタグラムを更新

野球日本代表「侍ジャパン」の大谷翔平投手(エンゼルス)は11日、「カーネクスト 2023 WORLD BASEBALL CLASSIC 1次ラウンド 東京プール」のチェコ戦の試合後に、インスタグラムを更新。この試合で4回途中1失点と好投した佐々木朗希投手(ロッテ)に対して「まあまあやるやん」と、同じ岩手出身の後輩を称えた。

大谷は「3番・指名打者」で先発出場し、4回の第3打席で右越え適時二塁打を放ち、3試合連続安打と打点をマークした。マウンドでは同じ岩手出身の佐々木が、3回2/3を投げ、8奪三振1失点と存分に力を発揮した。

投稿では佐々木との2ショットとともに、「まあまあやるやん」との一言が添えられた。“先輩”大谷が好投した後輩を労っていた。

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佐々木朗希、運命の3.11にWBC初白星「今日このマウンドに立てたことに感謝」[BASEBALL KING]

野球日本代表・侍ジャパンの佐々木朗希投手(21=ロッテ)が11日、『カーネクスト 2023 WORLD BASEBALL CLASSIC? 東京プール 1次ラウンド』の第3戦・チェコ代表戦に先発登板。毎回の8三振を奪うなど4回途中2安打1失点(自責点0)と好投し、WBC初白星を手にした。

初回、先頭のメンシクを右飛に仕留めると、メジャー経験者の2番・ソガードはフォークで空振り三振。簡単に2死を奪ったが、3番・クラップに163キロを左翼線へ運ばれ2死二塁のピンチを招いた。4番・セルヴェンカは遊撃正面のゴロに打ち取ったが、これを今大会初スタメンの中野(阪神)が一塁へ悪送球。思わぬ形で先制点を失った。

2回は2死から四球を与えたが、9番・ハイトマーを遊ゴロに退け無失点。3回は1死から安打と四球で一、二塁のピンチを招いたが、セルヴェンカを145キロのフォークで空振り三振。続くメンシクは中飛に退けた。

3−1と逆転してもらった4回は、先頭で粘るムジクをフォークで空振り三振。続くエスカラには追い込んでからの直球が引っ掛かり死球を与えた。それでも、続くスモーラはフォークで空振り三振。ここで投球数が大会規定の65球を越え降板となった。リリーフした宇田川(オリックス)がハイトマーを三振に仕留め、佐々木の登板結果は4回途中66球、2安打1失点(自責点0)、8奪三振3四死球。最速は164キロを記録した。

5回からは同い年で仲の良い宮城(オリックス)が力投。9回までの5イニングを2安打1失点に抑え、こちらはWBC初セーブを記録した。打線は1点を追う3回、5番・吉田(レッドソックス)の2点適時二塁打などで逆転に成功。4回は、1番・ヌートバー(カージナルス)、2番・近藤(ソフトバンク)、3番・大谷(エンゼルス)の3連続適時打などで一気に4点を加えた。5回以降も代打・牧(DeNA)の左越えソロなどで3点を追加。終わってみれば10−2の大勝で、1次リラウンド突破に王手をかけた。

白星は佐々木につき、WBC初白星をゲット。試合後はお立ち台に上がり、「イニング途中で代わってしまったり、球数がかさんでしまったが、どうにか最少失点で投げることができてよかった。フォークを有効に使うことができました」と振り返った。

岩手・陸前高田市出身で、12年前の3月11日に東日本大震災を経験。父と祖父母を亡くした。「色々ありましたけど、自分ができることをしっかりやって、今日このマウンドに立てたことに感謝しました」と右腕。この日は地元でもパブリックビューイングが行われ「たくさんの応援が力になりますし、これからも試合はあるので、引き続き応援のほどよろしくお願いします」と次なる戦いを見据えた。

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佐々木朗希、4回途中8奪三振の好投、適時失策で1失点も堂々のWBCデビュー[BASEBALL KING]

◇12年前に被災、運命の3月11日にWBCデビュー

野球日本代表・侍ジャパンの佐々木朗希投手(21=ロッテ)が11日、『カーネクスト 2023 WORLD BASEBALL CLASSIC? 東京プール 1次ラウンド』の第3戦・チェコ代表戦に先発登板。4回途中2安打1失点、毎回の8三振を奪う好投で後続にバトンを託した。

WBCデビューを果たした令和の怪物。初回、先頭のメンシクを右飛に仕留めると、メジャー経験者の2番・ソガードはフォークを続け空振り三振に仕留めた。簡単に2死を奪ったが、3番・クラップには163キロを左翼線へ運ばれ2死二塁。4番・セルヴェンカは遊撃正面のゴロに打ち取ったが、これを今大会初スタメンの中野(阪神)が一塁へ悪送球し、思わぬ形で先制点を失った。

2回は2死から四球を与えたが、9番・ハイトマーを遊ゴロに退け無失点。3回は1死から安打と四球で一、二塁のピンチを招いたが、セルヴェンカを145キロのフォークで空振り三振。続くメンシクは中飛に退けた。

3−1と逆転してもらった4回は、先頭で粘るムジクをフォークで空振り三振。続くエスカラには追い込んでからの直球が引っ掛かり死球を与えた。それでも、続くスモーラはフォークで空振り三振。ここで投球数が大会規定の65球を越え降板となった。リリーフした宇田川(オリックス)がハイトマーを三振斬り。佐々木の登板結果は3回2/3で66球、2安打1失点(自責点0)、8奪三振3四死球となり、最速は164キロを記録した。

岩手・陸前高田市出身の右腕は、12年前の3月11日に東日本大震災を経験。父と祖父母を亡くした。運命とも言える日にWBCデビュー。リードした状況でチームメイトにバトンを渡し、自らの役割を果たした。

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ZOZOマリンに選手を後押しする声が復活!ロッテ・美馬「コールがあると頑張ろうという気持ちになります」[BASEBALL KING]

2023年3月4日。マスクを着用した状態で声を出しての応援が解禁となり、ロッテの本拠地・ZOZOマリンスタジアムに選手達を後押しするあの大声援が戻ってきた。

ロッテの美馬学は19年オフに楽天からFAでロッテに加入した際、「今年(2019年)は東京ドームで投げさせていただいたときに、正直あの応援に圧倒されたというのがあったので、その応援を味方にできるというのは嬉しく思います」と、マリーンズファンを味方にして投げることをとても楽しみにしていた。

しかし、20年3月に世界的に新型コロナウイルスが大流行。オープン戦は無観客で開催したものの、当初3月20日に予定されていたプロ野球の開幕は延期。結局6月19日に無観客でプロ野球が開幕し、人数制限などをして公式戦を開催した。21年、22年は143試合の公式戦を開催し、CS、日本シリーズを戦ったが、応援スタイルはなかなか日常に戻ることがなかった。昨季まで3年間マリンスタジアムでの声を出しての応援ができなかったため、手拍子の応援はあったが、美馬は移籍してからの3年間、マリーンズファンの“声”での後押しを受けたことがない。

2023年3月5日のヤクルトとのオープン戦。声出し応援が解禁となり、移籍後マリンスタジアムでは初めて『み〜ま、み〜ま』の大コールを受けてマウンドに上がった。

「応援があるだけで雰囲気が変わるので、いいチームだなと思います」。

マリーンズの攻撃が終了し、美馬が次のイニングに向けてマウンドへ向かう時も、いつものコールがマリンスタジアムに響き渡った。

「何もなかったのに慣れていたので、コールがあると頑張ろうという気持ちになります」。ファンの美馬コールは、美馬の気持ちを奮い立たせている。

今季、移籍4年目にして初めて、マリーンズファンの大声援を受けて戦うことになる。「応援はすごいなと改めて思いました。解禁の日、溜めていたものがという感じの応援だったので、あの応援がシーズンも入って人が増えて応援が大きくなると考えたら力になるなと思います」。

マリーンズファンの声が選手の力になり、選手達の活躍、パワーにつながっている。マリーンズの選手達には熱いファンがついている。この声援を味方に、今季も熱い投球でチームに白星をたくさんもたらし、マリーンズファンを笑顔にさせて欲しい。そして秋には、選手、スタッフ、ファンがZOZOマリンスタジアムで歓喜の瞬間を迎え、大きな声を出して喜びを分かち合いたい。

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