わたしはかもめ2023年鴎の便り(6月)

便

6月16日

横浜DeNA2−5千葉ロッテ(横浜)

ロッテは1回に角中が3点二塁打。1点差に迫られた8回は田村の2点打でリードを広げた。メルセデスは7回2失点で3勝目。9回を締めた益田が通算200セーブを達成した。DeNAは投打がかみ合わず、連勝が3で止まった。

123456789R
千葉ロッテ3000000205
横浜DeNA0000002002

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[ロッテ]信頼の裏返し、吉井監督「クローザーは決めてないけど、益田が1番安心して出せる」[ニッカン]

ロッテ吉井理人監督(58)が史上10人目の通算200セーブを達成した益田直也投手(33)について「よかったです。素晴らしいと思います」と祝福した。

昨季と比べて直球の質も上がっているという問いには「去年あんまり試合見てないので分かんないんですけども、“自分の知ってる益田”ですね」と吉井節で表現した。記念ボードを手渡した際には「400セーブいけ」と声をかけたという。益田の今後にも、独特な言い回しで期待した。

吉井監督は「今だと、まあクローザーは決めてないんですけども、どうしてもゲーム展開を見ると益田が一番安心して出せるので。早く益田を超える若い選手が出てきて欲しいと思ってます」と話した。

吉井監督も通算62セーブと、現役時代はクローザーを務めた経験がある。200セーブという数字については「これ、すごいと思います。自分達の時代は、1イニング限定のクローザーってことじゃなくて3イニング、4イニング投げてたんですけど、それにしてもやっぱり200セーブというのは、ほんとすごいと思います。なかなかできるもんではないと思います」と脱帽した。

益田のすごさについては「すごい抑えピッチャーみんなに言えることなんですけども、わりとマウンドではマイナス思考で、絶対にやっちゃいけないところから作戦をひねり出して。で、自分の作戦を決めると、それを遂行する勇気がある。それも典型的な益田の特長だと思います」と説明。さらに「ただ単に、野蛮な勇気で投げているクローザーは絶対失敗するんで」と付け加え、益田のすごさを解説した。

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[ロッテ]通算200セーブ達成の益田直也「フワフワしました。でも、タムが…」/一問一答[ニッカン]

ロッテ益田直也投手(33)が史上10人目の通算200セーブを達成した。3点リードの9回に登板し、3者凡退で節目に到達した。試合後の益田の一問一答は以下の通り。

≫200セーブ達成。
益田
「今日は緊張した。」
≫周囲の期待もあった。
益田
「それしかないです。」
≫あまり「緊張した」と言わない印象。
益田
「フワフワしましたね。でも、タム(田村)があそこ(8回)で2点タイムリー打ってくれたので。だいぶ楽になりましたし、3点あるので、いらん四球とか、そういうのだけ出さないように。何とかできてよかったなと思います。」
≫マウンド上で考えることもあった。
益田
「そんな考えては投げていないですけど、その時、何したらあかんかだけ、頭に入れて。先頭だったら四球だとか、そういうやったあかんことだけを、しないように投げていました。」
≫ほとんどの登板試合を覚えていると言っていたが。
益田
「全然覚えていますし、特にそういったところでは変わった部分がなかったので、うまく3人で終われてよかったなと思います。」
≫思い出が追加された。
益田
「特に200が、すごいという風には自分では思っていないですし、失敗した試合もたくさんあるので。何とかそれを取り返せるように、まだまだ投げていきたいなという思いしかないですね。」
≫吉井監督から記念ボードを受け取っていた。
益田
「監督からは『400セーブいけ』という風に、あの時に言われましたけど。監督も胴上げできるように頑張っているので、まずはそこをできるように。個人よりチームが何とか上に居続けられるように、いいところで投げさせてもらっているので頑張りたいなと思います。」
≫守護神のやりがいは。
益田
「節目、節目で、ああいう風にベイスターズファンの方からも拍手をもらえたり、いつもマリーンズファンの方にも拍手をもらえたり。いつも抑えて当たり前ですけど、こういう瞬間に嬉しくなりますし、頑張ってきてよかったなと思います。」
≫この12年間は長かったか、短かったか。
益田
「うまくいかない長い1年間もありましたし、うまくいく1年間もあって、本当に浮き沈みの激しい12年間だったんじゃないかなと個人的には思いますけど。その中で、こういう風に数字に残ったことができたというのは1つの自信になるし、いいことかなと思います。」
≫今季、いい結果が続いている要因は。
益田
「オフからやってきたことがシーズン中にうまくできているというのもありますし、チームの雰囲気も今は上位にいるのでいいですし、みんなが勝ちたいという思いが僕の1人の力じゃないので。打順の組み合わせだったり、色んなことがあって今日、9回ということになっていると思うので。みんなの頑張りがあってだと思うので、だからこの成績がついてきているのかなと思います。」
≫今季は勝負どころで真っ直ぐが増えている。益田にとって今季のストレートはどうか。
益田
「これがなかったら、なかなか戦えないんじゃないかなと思いますし。今日も変化球はクソみたいなワンバン投げてしまっていたので。ああいうのをなるべく、もうちょっとベース板に落とせるように修正して頑張りたいなと思いますけど。」
≫9回先頭の京田を見逃し三振に奪ったのは。
益田
「あれは真っ直ぐです。真っ直ぐをちゃんとライン、コースに乗せて投げただけです。思いきりというよりはコントロールを意識して、変化球タイミングだったので。インコース真っ直ぐは通るかなと思って、コントロールだけ意識して投げました。」

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[里崎智也]何度ブチ切れられても逃げなかった益田直也、タフな心に強い体、一気に名球会入って[ニッカン]

ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最遅となった。


ドラフト4位で入った益田が、同期の中でロッテ一筋でずっと最後まで活躍して、本当に素晴らしいと思います。僕も本当に嬉しいです。(※2011年のドラフトは12球団最少の4人=1位藤岡貴裕2位中後悠平3位鈴木大地)。

プロに入ってきた時は、真っ直ぐには力があるけど、変化球はスラーブと、それからシンカーもあったのかな?球種はそれくらいでした。

力のある真っ直ぐに加え、速いスライダーなどを覚え多彩な変化球で打者の反応を見ながら投球術をマスターして。そこから成長したのが印象的です。

1番思い出されるのが、コーチに怒られたのか、自分への不甲斐なさか分かりませんが、ロッカーで泣いていた姿です。本当に初々しくて。

もちろん、僕は慰めたりなんかしませんよ。冷たく聞こえるかもしれませんが、プロでは誰も助けてくれない。自分ではい上がって、主力の仲間に割って入ってこなきゃ、消えちゃうんです。あの時くじけなかったから、今の200セーブがあるんですよ。

益田は強いんです、メンタルが。なぜって、僕にブチ切れられながら、それでも食らいついてきたんですから。そりゃあ、気持ちは強いですよ。何度ブチ切れたんだろう?でも、益田は逃げなかったですね。

力のある真っ直ぐとシンカーだけじゃ、200セーブはたどりつかないですよ。やっぱり、強い心がないと。今の時代なら、僕のブチ切れは、パワハラって言われたかもしれませんね。でもこっちも必死、益田も命懸けだったと思います。

だから、こっちも一切の手加減なしで。真剣勝負で益田にはぶち切れたし、それだけぶつかって行ける強いやつでした。

タフな心に、強い体。あと50セーブ、行けるよ。一気に名球会に入って欲しい。まっすんならできる。ロッテ生え抜きでの名球会入りは、本当に誇れる。絶対にそこまでたどりついて欲しい。応援してます。

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[ロッテ]益田直也が史上10人目の通算200S 「監督からは『400セーブいけ』と」[ニッカン]

ロッテ益田直也投手(33)が「日本生命セ・パ交流戦」DeNA戦で、史上10人目の通算200セーブを達成した。いつも変わらないロッテファンの大声援に背中を押されマウンドへ。「今日は緊張した」。いつもと違うプレッシャーもある中で、守護神を全うした。

益田
「何したらあかんかだけ、頭に入れて。先頭だったら、四球は出さないように投げていました。」

先頭の代打京田にフルカウントまで粘られたが、最後は内角直球で見逃し三振。厳禁の四球だけは与えず、3者凡退で締めた。

記念パネルは吉井監督から受け取った。「監督からは『400セーブいけ』と、あの時に言われました」と笑顔で振り返った益田のすごさはどこなのか。

吉井監督
「割とマウンドではマイナス思考で、絶対にやっちゃいけないところから作戦をひねり出して、遂行する勇気がある。」

一流のクローザー・マインドを持つ益田が、やりがいを感じるのは「ファンの方に拍手をもらえる瞬間に頑張ってきてよかったなと」。まだまだ通過点だ。「200がすごいと自分では思っていない。失敗した試合もたくさんある。取り返せるように、まだまだ投げていきたい」。これからも大歓声を背に投げていく。

益田直也(ますだ・なおや)
1989年(平元)10月25日、和歌山県生まれ。市和歌山商、関西国際大を経て、11年ドラフト4位でロッテ入り。1年目にプロ野球新人記録を更新する72試合に登板。41ホールドをマークして新人王。13、21年最多セーブ。178センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸2億円。
通算200セーブ=益田(ロッテ)
16日のDeNA1回戦(横浜)で今季18セーブ目を挙げて達成。プロ野球10人目。ロッテでは小林雅227Sに次いで2人目。初セーブは12年8月5日のオリックス14回戦(京セラドーム大阪)。672試合目での達成は、22年平野佳(オリックス)の618試合目を抜いて最も遅い到達。
メルセデス(7回2失点の好投で3勝目)
「今日は自分らしいストライク先行の強気のピッチングができた。満足いくピッチングだったよ。」
角中(1回に決勝打となる先制3点適時二塁打)
「昨日(15日中日戦の9回に)満塁のチャンスで打てなかったので打てて良かったです。」

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[里崎智也]ロッテは強力打線でなくても確実に白星、相手がミスでくれたチャンス逃さない戦い方[ニッカン]

ロッテは4安打で5点を奪って、7安打2得点のDeNAを攻略した。打線を見れば決して強力打線ではない。3割バッターも、2ケタ本塁打の長距離砲もいない。相手チームに脅威を与える特別なものはない。

それでも確実に白星につなげる力が今のロッテにはある。これで交流戦も5割に戻した。やはりパ・リーグ首位を走るだけの戦い方ができている。それは相手がくれたチャンスを逃さない戦い方と言える。

野球では自力でチャンスメークして得点していくものと、相手のミスや四球を絡めてチャンスを広げていくケースがある。ロッテはまさに後者。そこで得点することで、チームは勝機を高めていく。

初回、先発浜口が制球に苦しむ中で2四球を絡めて、1死満塁から角中の走者一掃の二塁打で3点。7回に1点差と詰められた直後の8回、またしてもウェンデルケンが四球で走者を出すと、田村が2点タイムリーで突き放した。

この攻撃パターンは踏ん張る先発陣にとっては何よりの援護になる。先発メルセデスは、計算通りのピッチングで7回2失点と試合を作った。

右打者にはインコースへストレートで攻め、アウトコースへの緩い変化球。左打者にはアウトコースへのスライダー、ストレートでの出し入れで攻略。3回から連続4イニング3者凡退で、しっかり流れをつくったピッチングが光った。

これで先発の防御率はオリックスと並んで2.78でリーグトップ。強打とは言えない打線でしぶとく勝てるのは、先発陣の安定感と、勝機を逃さない打線が、きっちりかみ合っているからだろう。

最後、益田が通算200セーブで試合を締めくくったが、ファンにとっても、戦っている選手にとっても、会心の勝利と言える。投打でお互いに補完し合えるこの流れは、なかなか崩れそうにない。

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[ロッテ]高校では補欠だったのに…200セーブ達成の益田直也に「まさか」大学恩師が感無量[ニッカン]

ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最遅となった。


野球の転機は大学時代だった。関西国際大の恩師、鈴木英之監督(56)は通算200セーブの偉業達成に「まさか、まさか、まさか。大学に入ってきた時のことを考えたら驚きですよね。プロ野球の大投手になるとは思いもしない。これだけ長く活躍し続けるのはたいしたもんですよ」。教え子の姿に感無量だ。

益田も「あの4年間は本当に楽しかった。今でも会いたい監督と行きたい場所」と感謝の思いを口にする。

市和歌山商(現市和歌山)時代までは投手や遊撃などの控え選手だった。知人だった同校監督に頼まれ、鈴木氏は益田を受け入れたが「その学年で12、13人くらい投手がいたんですけれど、もちろん1番下ですよね」と懐かしむ。さらに高校時代には心臓の病も見つかり、片方の目の視力が落ちたこともあり「内野を守って顔にでも当たったら危ないので投手をしておいたらというレベル。当時は試合で投げられる投手になるなんて思ってもいなかったので。ケガなく4年間過ごしてくれたらと」。1度だけ、京都で行った立命館大とのオープン戦後、不整脈で救急搬送されたこともあったと言う。

「初めて投げているところを見たのは1年の秋くらいでした」と懐かしむ。コーチから「思っているより良い球投げますよ」と言われて「ほんまか?おうおうおう、ちょっとくらい使い物になるかもしれんな」と。2年春の大学選手権準決勝の法大戦に初抜てき。「連戦で投手が底をついたので、ほんなら益田いってこいと。神宮のスピードガンで147キロくらい投げて、みんな詰まっていた。そこからです。ビックリしました、あれは」。3年秋に背中を痛め、結果が出なかったことで、ドラフトイヤーに向けての意識が激変した。「目つき、顔つき、態度が変わった。『神宮で投げたのはまぐれやぞ、これがお前や。勘違いするな』と伝えたのも覚えています」。その冬がプロでの礎の1つだ。

その年はプロ希望が3人いたんですよ。「『すぐにクビになって路頭に迷うだけやから、社会人に行け〜』って言ったんですけれど、大企業からオファーがあったのに益田だけは言うこと聞かなかったんです」。1年目から新人王を獲得する活躍には「『ごめんなさい。オレの目よりもスカウトさんたちの目が正しかった』と言ったのは覚えています」と笑う。

「走ることだけは超人的でしたね。長短両方めちゃくちゃ速かった。プロで長くやり続けられるかどうかは、走れるかどうか」。大金を稼いでも、成績を挙げても練習を怠らない姿勢もたたえる。19年にFA権を行使せず残留したチーム愛も誇らしく思っている。「まだまだ行くと思う。あと5年以上は投げられると思う。(同じく教え子の)大勢なんかはいまだに投げている時に見ていてドキドキしますけれど、益田はしません。仮に打たれたとしても年に何回は打たれるよねえって感じで」。

さらなる夢もある。「出来ることならロッテの監督をするくらいまで頑張って欲しい。ミスターロッテで」。最後にあらためて満面の笑みを浮かべた。「ちゃんとした立派な大人になった。人は成長するんや」。

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[ロッテ]益田直也が通算200セーブ、672試合目で達成、投球でも焼き肉でも「炎上」厳禁[ニッカン]

ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最長となった。

11年ドラフト4位でプロ入りし、1年目の12年開幕戦で中継ぎとしてプロ初登板。同8月5日のオリックス戦でプロ初セーブを挙げるなど72試合に登板し、新人王を獲得した。13年には33セーブで、21年には38セーブで2度のセーブ王。昨年6月には史上3人目となる通算150セーブ150ホールドを達成するなど、全てリリーフで活躍してきた。

益田は「思い出の1試合なんて絞りきれない。たくさんありすぎる。打たれた記憶のほうが多いかもしれない」と苦笑いする。抑えて当たり前、クローズアップされるのは打たれてリードを守れなかった時という非常に厳しい立ち位置だからこそだ。気分を切り替える方法を問われても「先発投手と違って毎日投げる準備をしなくちゃいけないから、切り替えられないです。シーズン最後までずっと引きずる」と冗談交じりにリリーバーの苦労を表現した。

試合前の練習では真夏でも長袖を着用して、汗をたっぷり流す姿も特徴的だ。もちろん体の動きを円滑にする目的もあるが、「何かつらいことをやったんだという自分への自信みたいな…。後ろ盾になるかなあと」。厳しいマウンドに臨む準備段階で自身に負荷をかけることも1つの理由だ。

シーズン中、気分を変えることが出来る1つの手段は食事だ。外食のほとんどは好物の焼き肉。後輩達も連れて行く“益田会”は自身のリラックスだけでなく、若手選手にとっては激励会&決起集会に変わる。「最初はタン塩でしょ。あとの順番なんて決まってない。好きなものを好きなように。基本的には脂身の多い肉は食べないです」。食べるのは赤身肉が中心で、味付はタレではなく塩だ。「ホルモンは食べない。油がたれて炎が上がるじゃないですか。あれが嫌なんです」。マウンドでは火消し役だけに、食事中も火が上がるのは厳禁だ。毎日、朝と夜に計測している体重はルーキー当時から変わらない。「誤差は300グラムくらいですね」。マウンドで消費した体に的確な量と質を栄養補給し、徹底的に自己管理出来る能力も強みだ。

グラウンド内外でチームメートの兄貴分となる思いやりの男だ。次は名球会入りする250セーブという記録もあるが、1番大事にしているのは「チームが勝てばいい」。益田のセーブ数はチームに勝ちをもたらした証しだ。

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[ロッテ]益田直也「自分はプロ野球の中で1番下手」専属の深沢将之トレーナー明かす鉄腕の秘訣[ニッカン]

ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最長となった。

プロ12年目を迎えてもトップレベルを維持出来る益田の強さの秘訣とは−。専属トレーナーの深沢将之さん(50)が明かした。

「根本的な体の強さはありますが、体のコンディションづくり、メンテナンスに妥協せず、徹底的にやるところが一番の強み。『自分はプロ野球の中で1番下手だと思っている。だからやらなきゃいけないんです』。この言葉を聞いた時はビックリしました」。

過去にはバスケットボール田臥勇太、バレエダンサーの熊川哲也さん、総合格闘技の選手などを担当した。チームの中でも上位な益田の足の速さも原動力の1つだと言う。

「人一倍、下半身の筋肉が強く大きい。打球を飛ばすことが出来たり、速い球を投げられる選手は、だいたい足が速いんです。瞬発的な爆発させる力が強いので、体の使い方が出来ると、野球の競技の方でも秀でた部分が出てくるんじゃないかなと思います。これまで見てきたアスリートの中でも身体能力という点では本当に1番秀でている」。

調子が上がらず登板数が減った17年ごろ。背中側とお腹側の筋肉の使い方のバランスが崩れていた時期があった。助言を受けての修正能力にも長けている。

「野球は背中側の筋肉を使う選手が多い中で、もう少しうまくお腹側の筋肉を使えると効果があるんじゃないかと取り組んでいただいた。そこから球速が戻って、もう1回上げられるようになったとおっしゃっていた。知らなかったものを自分のものにして向上させていくことが出来る方」。

今季は150キロ台中盤まで直球の球速も増し、安定感は抜群だ。

「お尻からハム(太もも)にかけて大きさがビルドアップしているので筋肉量が増えた。去年は疲労がたまって体の回復が遅れてしまうことが多かったシーズンで、すごく苦しんでいたので、しっかりとオフにリフレッシュした自主トレから順調。ずっと体が良い状態。『怖いくらい状態良いよね。プロ入って1番良いかもしれないね』って話はしていました」。

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[ロッテ]益田直也の“イジワル”な金言、昨年ルーキーだった関西国際大の後輩・巨人大勢が発奮[ニッカン]

ロッテの益田直也投手(33)が「日本生命生命セ・パ交流戦」のDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球史上10人目で、球団としては228セーブの小林雅英以来2人目。672試合目での達成は史上最長となった。益田の関西国際大の後輩の巨人大勢投手(23)が、先輩への思いを語った。

先輩が積み上げた1セーブごとに、勇気づけられてきた。巨人大勢にとって、ロッテ益田は関西国際大で10歳上の大先輩。兵庫・多可町ののどかな町で育った大勢にとって、未知のプロ野球界の中で身近な存在だった。200セーブの大記録に「ヤバいと思います。ただ単にすごい。グラウンドだけではない、大変な努力があるんだろうなと思います」と尊敬の眼差しを向けた。

1年目の開幕から2ヶ月が過ぎた昨年の交流戦。19セーブで乗りに乗っていた時、何げない言葉が残った。益田から「現状に満足してないと思うけど、俺は1年目で70試合近く投げたからお前ももっと投げろよ(笑)」と冗談交じりに言われた。満足なんてまだまだ早い。「1試合1試合抑えて益田さんのような安心感を」とさらに上を目指すきっかけになった。

昨年はグラブも先輩をリスペクトして同じような真っ青のグラブを注文。13日に通算50セーブに到達した大勢は言った。「益田さんがもうすぐ200セーブ。しっかり意識して、200セーブいきたい」。後輩が大きな背中を猛追する。

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[ロッテ]1番中堅でスタメンの岡大海と大塚コーチがDeNAバートと“ほっこり交流戦”[ニッカン]

ロッテベンチで“ほっこり交流戦”が繰り広げられた。試合開始30分前に、DeNAの「I☆YOKOHAMAシンボルキャラクター」のバートとチャピーがベンチ内にズンズンと侵入。バートがスケッチブックに似顔絵を描くようリクエストしたのは、ベンチに座っていた1番中堅でスタメン出場する岡大海外野手(31)だ。神対応でササッと描いてくれた岡からスケッチブックを受け取ったバートは、チャピーとともにスタンドのファンに岡の絵を見せびらかした。

再びロッテベンチへズンズンと戻ったバートは、今度は大塚明外野守備兼走塁コーチ(48)に似顔絵をリクエスト。快く描いてもらうと、今度はダッシュしながらスタンドに大塚コーチの似顔絵をアピールしていた。

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[ロッテ]2人組レゲエユニット「Def Tech」7・16来場、試合後スペシャルライブも[ニッカン]

ロッテは16日、7月16日楽天戦(ZOZOマリン)に2人組レゲエユニット「Def Tech」が来場すると発表した。

当日は21年から続く夏のスペシャルイベント「BLACK SUMMER WEEK supported byクーリッシュ」を開催。試合終了後にグラウンド内で「Def Tech」のスペシャルライブが行われる。Microは「父と母の故郷は東京と千葉。そのMixtureでボクは誕生した。燃え続ける信念と情熱でどんな困難をも乗り越え、ボクはマウンドに立ちマイクを握る。音楽は愛と希望を!野球は勇気と感動を!」とコメント。

Shenは「この特別な時間を皆さんと共に過ごし、心のこもった演奏を共有できることを本当に楽しみにしています。是非、ハワイと日本の間で分かち合うマナとアロハを感じてください。Love you,千葉!」とコメントした。

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ロッテ・田村龍弘、200セーブ達成の益田直也へ祝福メッセージ、自分が打った試合を締めてくれた…「あれが1番嬉しかったなぁ」[サンスポ]

ロッテ・益田直也投手がプロ野球史上10人目の通算200セーブを達成。長年バッテリーを組んできた田村龍弘捕手(29)がサンケイスポーツに祝福メッセージを寄せた。

益田さん、200セーブ達成、おめでとうございます。100セーブくらいは一緒に組んでいるのかな?

自分の中で思い出のセーブは2021年の仙台での楽天戦(8月29日)です。9回表に打って1−0になって、益田さんがセーブをしてくれた試合。あの頃は全然試合に出ていなくて、たまたま途中から出てチャンスで回ってきて打って。その後、益田さんが抑えてくれた。あれが1番嬉しかったなぁ。

(13年に)入団したときから益田さんを見ていますが、益田さんのすごさは強さだと思います。もちろん体の強さもそうですし、試合でのメンタルの強さもそう。お酒を飲むのもそうだね(笑)。とにかく何をするにも弱いところを見せない。隙を見せないというか、常にトップに君臨している感じがします。

昔は決まった人としか一緒にいないイメージがあって若い子からしたら絡みに行きづらい感じがしていたけど、年齢を重ねて今は、誰にでも話かけるし、誰とでもご飯を食べに行く。チーム全体を見て、やりやすい雰囲気をつくってくれます。

去年、自分はファームにずっといたけど、益田さんが常に気にかけてくれました。「体は大丈夫なん?」「絶対必要とされる時期がくるから準備しとけよ」と連絡をくれて。プライベートでも家族ぐるみで仲良くさせてもらっていて、すごく感謝しています。

これからも益田さんはすごい記録をいっぱいつくっていくと思う。それをサポートするって言ったら言い方が失礼かもしれないけど、一緒に頑張っていけたらいいかな。まだまだ一緒にバッテリーを組んでいきたい。もう益田さんもおっちゃん≠ネので、支えられるところはしっかり支えられたらいいなと思います。

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ロッテ一筋12年守護神・益田直也が通算200セーブ!リーグトップ18セーブ目、パ首位の原動力[サンスポ]

ロッテ・益田直也投手(33)が16日、DeNA1回戦(横浜)の9回から登板し、無安打無得点に抑えた。今季18セーブ目を挙げ、史上10人目の通算200セーブを達成した。672試合目での大台到達はオリックス・平野佳寿投手の618試合を超えて最も遅い。初セーブは2012年8月5日のオリックス戦。ロッテでの達成は06年の小林雅英以来2人目。

9回2死、戸柱を中飛に打ち取ると捕手の田村と抱き合い、喜びを分かち合った。益田が9回を三者凡退に抑え、プロ野球史上10人目となる通算200セーブを達成した。

「(ブルペンで)ベンチの映像を見たら、皆の勝ちたい思いが伝わってきた。何とかその思いに応えられるようにしっかり投げました」。

プロ12年目。右横手気味から投げ込む鋭いシンカーを武器に、毎年のように50試合以上に登板した。常に重圧と隣り合わせで、マウンドでは「ずっと不安」と話す。通算62セーブの吉井監督は「マウンドではマイナス思考で、絶対にやっちゃいけないことから作戦をひねり出し、それを遂行できる勇気があるのが益田の特徴」と、その細心さこそが抑えの適性と認めている。

抑えは「誰かの何かを背負って投げないといけないポジション」と語る33歳。投手だけでなく、野手の後輩にも積極的に声をかける。開幕から2戦目まで6三振と苦しみ涙を流した22歳の若き主砲の山口を食事に誘った。

「打てなかったのにご飯にいっている場合じゃない」と拒んだ後輩に「そうじゃない。ゲームの中の1つ1つの積み重ねが結果につながる。1人の責任じゃないから」と語りかけた。「その(食事した)子のタイムリーでリードしていたら、絶対に守りたいという感情も沸くじゃないですか」。仲間の思いも背負ってマウンドに上がる。

リーグトップの18セーブ目で、チームが首位を走る原動力になっている。「ロッテが勝てるようにこれからも頑張っていく」。18年ぶりのリーグ優勝へ、ロッテ一筋の右腕がセーブを積み重ねる。

益田直也(ますだ・なおや)
1989(平成元)年10月25日生まれ、33歳。和歌山県出身。市和歌山商(現市和歌山)高、関西国際大を経て2012年にドラフト4位でロッテに入団。同年に72試合に登板し、41ホールドをマーク。新人王に輝いた。13、21年に最多セーブのタイトルを獲得。178センチ、80キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸2億円。背番号52。

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ロッテ・吉井監督、200セーブ達成の益田を祝福、元チームメイト中日・涌井もエール「最多登板という記録も塗り替えて欲しい」[サンスポ]

通算200セーブを達成したロッテの益田を吉井監督が祝福した。試合後、記念撮影に納まり「なかなかできることではない。素晴らしい。早く益田を超える若い選手が出てきて欲しい」と力強く話した。

元チームメートの中日・涌井は「今でも登板する時は見ているし、打たれた時も心配する数少ない選手の1人。200セーブという数字はすごいが、最多登板という記録も塗り替えて欲しい」と今後の活躍を願っていた。

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ロッテ・益田直也が通算200S達成、史上10人目、最も遅いペース[サンスポ]

ロッテの益田直也投手(33)が16日、横浜スタジアムで行われたDeNA1回戦で今季18セーブ目を挙げ、史上10人目の通算200セーブを達成した。672試合目での大台到達はオリックスの平野佳寿投手の618試合を超えて最も遅い。初セーブは2012年8月5日のオリックス戦。ロッテでの達成は06年の小林雅英以来2人目。

益田は5−2の9回から登板し、無安打無得点に抑えた。

益田は市和歌山商高(現市和歌山)−関西国際大から12年にドラフト4位でロッテに入団。同年に72試合に投げて新人最多登板のプロ野球記録を樹立し、41ホールドでも新人最多記録を塗り替えて新人王に選ばれた。13、21年は最多セーブのタイトルを獲得した。

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ロッテ・角中勝也が先制の満塁走者一掃二塁打、幕張の交流戦男≠ェ本領発揮[サンスポ]

幕張の交流戦男≠ェ敵地でチームを勢いづけた。ロッテ・角中勝也外野手(36)が1回、3点を先制する適時二塁打をマークした。

「5番・左翼」で先発出場し、1死満塁で左打席に入ると、左腕の浜口が投じた初球を捉えた。ライナー性の当たりは遊撃手の頭上を越え、左中間を真っ二つに破って走者一掃の3点二塁打となった。二塁ベース上で右手を胸に当てて左手を斜め上に掲げるパフォーマンスを披露したベテランは「状況を考え、頭を整理してから打席に入りました」と胸を張った。

延長12回の末に1−1で引き分けた前日15日の中日戦(バンテリンドーム)では、9回2死満塁の好機で打順が回ってきたが、二ゴロに倒れており「昨日の試合、満塁のチャンスで打てなかったので打てて良かったです」。リベンジを果たす一打となった。

プロ17年目。2012、16年と2度も首位打者に輝いた経験のある安打製造機は、15日現在で交流戦通算610打数205安打、打率.336を誇る交流戦男≠セ。出場6試合連続安打をマークしている頼れるベテランの一振りが輝いた。

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ロッテ・カスティーヨがビジターで初先発、17日のDeNA戦「自分のリズムでしっかり投げたい」[サンスポ]

ロッテは17日のDeNA戦にドミニカ共和国出身の助っ人右腕、ルイス・カスティーヨ投手(28)が先発する。16日は試合前の練習でキャッチボールなどで調整した。

2度目の先発となった前回8日のヤクルト戦で7回途中無失点の好投を見せ、来日初勝利をマーク。自身2連勝に向けて「ビジターでの先発登板は初めてだけど、自分のリズムでしっかり投げたいと思います。チームの勝利のために全力を尽くします」と力を込めた。

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DeNA、レジェンドOB1打席対決で内川聖一が清水直行氏に勝利、ハマスタでかつての応援歌流れ「感動しました」[サンスポ]

試合前にレジェンドOB1打席対決として、内川聖一内野手(現九州アジアリーグ・大分B−リングス)と清水直行氏が対戦。三塁を強襲する安打で、現役選手の内川が勝利した。

内川は横浜時代の背番号「2」のDeNAのユニホーム姿で打席に立ち、ハマスタの右翼席からは横浜時代の応援歌が流れた。内川は「つくってくださった応援歌の歌詞の意味も感じながらプレーをさせてもらった。実際そのような選手になれたかは分かりませんが、あの応援歌を聞くと自分がベイスターズ時代に打席に立ったのを思い出しましたし、感動しました」と振り返った。

NPB引退後初めて、かつての本拠地でのイベント参加に「このような場に呼んでいただけるなんて、数多くのレジェンドの方がいる中で選んでいただいたことをすごく光栄に思います。こういう機会をいただけなければあの打席にも立てなかったので、一生の思い出になります」と笑みを浮かべた。

最後は横浜のファンへ「私が在籍していた間は、なかなかファンの方に喜んでいただける機会が少なかったですから、これだけ勝ち数を重ねてファンを喜ばせてくれているベイスターズの方々には感謝しています。僕も日本シリーズで対戦させていただきましたが、ぜひ今年は日本一を目指して頑張っていただきたい」とコメントした。

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ロッテ、7月15日の楽天戦にDef Techが来場、試合後にスペシャルライブを実施[サンスポ]

ロッテは16日、ハワイ育ちのShen、東京出身のMicroによる2人組レゲエユニットDef Techが7月15日の楽天戦(ZOZOマリンスタジアム、午後6時開始)に来場することを発表した。

同戦では2021年から続く夏のスペシャルイベント「BLACK SUMMER WEEK supported by クーリッシュ」を開催。Def Techは試合終了後にグラウンド内にてスペシャルライブを実施する。

Microは「父と母の故郷は東京と千葉。そのMixtureで僕は誕生した。燃え続ける信念と情熱でどんな困難をも乗り越え、僕はマウンドに立ちマイクを握る。音楽は愛と希望を!野球は勇気と感動を!」とコメント。

Shenは「この特別な時間を皆さんと共に過ごし、心のこもった演奏を共有できることを本当に楽しみにしています。是非、ハワイと日本の間で分かち合うマナとアロハを感じてください。Love you,千葉!」と呼びかけた。

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ロッテ・西野勇士と種市篤暉を後押ししたファンの声、トミー・ジョン手術から復活の励みに/武田千怜のアナザーストーリー[サンスポ]

6月13日付けのサンケイスポーツ東京版で、ロッテ・西野勇士投手(32)と種市篤暉投手(24)の対談を掲載した。ともに2020年に右肘の内側側副靱帯再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。西野は今季リーグトップタイの6勝(2敗)をマークし、種市は14日の中日戦(バンテリンドーム)で4勝目(2敗)を挙げた。

先発ローテーションの柱としてチームを支える2人がもがき苦しみながら描いた復活への軌跡は、記者にとっても勉強になる話ばかりだった。

試合中に半袖姿で力強く右腕を振る姿からは想像できないほどの苦悩の跡が垣間見えた。復帰の過程で特に苦しんだのは、ブルペンでの投球練習を開始してからだったという。ともによく口にした言葉は「一進一退」。種市が「言葉では言い表せないほどきつかった。良くなって悪くなっての繰り返し。本当に復活できるのかなと不安になった」と話せば、西野も「痛い、痛くない、を繰り返して、一喜一憂した。本当に回復しているのか分からなかった」と当時の心境を語った。

手術を受けてから実戦復帰を果たすまで、西野は1年3ヶ月、種市は1年7ヶ月を要した。暗く長いトンネル。苦しいとき支えになったのは、「応援の声」だったという。球団公式ツイッターなどのSNSで、両投手の復帰の状況が投稿されるとファンから次々と励ましのメッセージが届いた。

種市は「(球団)広報の方が僕について投稿してくれたのに対して、たくさんの応援メッセージが届いて、頑張らないといけないなという気持ちになりました」。西野も「広報の方がSNSで復帰状況を伝えてくれて、それに届くコメントを見て頑張ろうと思ったし、本当に色んな人に支えられているなと思いました。感謝しています」。ファンから届いた声≠ノ背中を押されて踏ん張り、リハビリと向き合ったことで復活を遂げた。

復帰を果たしたいまでも、登板日翌日の右肘の腫れ具合などを情報共有し、切磋琢磨し合う西野と種市。ファンの声援を浴びて、マウンドで輝く2人の姿から熱い思いがにじんだ。

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[独占手記]200S達成ロッテ・益田「どの試合も誰かの何かを背負っている」伊東監督に怒られ気がついた[スポニチ]

ロッテの益田直也投手(33)が16日、DeNA戦の9回に登板し1回無安打無失点に抑え、NPB史上10人目となる通算200セーブを達成した。12年の入団からロッテ、救援一筋で金字塔を打ち立てた右腕はスポニチ本紙に独占手記を寄せた。

敵地での記録達成でしたが、ロッテファンだけでなく、DeNAファンからも拍手を頂いて、嬉しいですし、頑張ってきて良かったなと思いました。200セーブがゴールではないので、長かったなとか、早かったなとか、感傷的になることはないですけど、偉大な人たちの名前が並ぶ記録に自分が到達できたことは誇りに思います。支えてくれた家族、チャンスをくれた球団や監督、コーチ、先輩や後輩、スタッフ、そしてファンの方々…自分に関わってくださった全ての方々に感謝したいです。

プロ生活をスタートさせた12年に新人王となり、13年にはセーブ王のタイトルも手にしましたが、正直、あまり数字は考えていませんでした。それが少し変わったのは14年6月の広島戦、3点リードの7回に登板して逆転満塁弾を打たれて敗戦投手になったことでした。僕としては「仕方ないこと」という感じでしたが、当時の伊東監督に怒られました。「お前がどんな気持ちで投げてたか分からないけど、木村(優太投手)のプロ初勝利が懸かっていたんだぞ」と。僕自身、必死にやっていたけれど、そういうことも少し意識していれば、結果は違ったのかなと。経験を積み、立場も変わった今は責任感というか、「どの試合も誰かの何かを背負っている」ということを意識して投げています。だから、抑えた試合よりも、打たれて負けた試合の方が強く記憶に残っています。

打たれた日はすぐ帰宅せずに、気持ちを整理してから帰ります。それでも家で機嫌良くはできない。僕はそういう起伏が激しいので、妻は大変だったろうなと思います。子供達も僕が打たれると泣いたりすることもあったみたいだし。妻がうまく対処してくれて、苦労かけました。もちろん産んでくれた母にも感謝してますけど、プロに入ってから1番の支えは家族。本当に感謝しかないです。

今はチームの雰囲気も良いですし、僕1人の力ではなく、みんなの勝ちたいという思いが今季の成績につながっていると思います。個人の成績よりチームが何とか上位にいられるように、そして吉井監督を胴上げできるように、みんな1つになって頑張っていけたらと思っています。

◇「少し緊張した」代打3人斬り

3点リードの9回に登板した益田は京田を見逃し三振、森を三邪飛、戸柱を中飛と代打3人を打ち取り、デビューから672試合で大記録に到達。高校では補欠の内野手で、投手に転向した関西国際大でも全国的には無名だった。「今日は少し緊張した。3点あったので先頭への四球とか、いらんことをやらないことだけ心掛けた」と振り返った。

◇中継ぎでは161ホールド

益田(ロ)がDeNA戦で今季18セーブ目を挙げ、通算200セーブを達成した。プロ野球10人目、チームでは小林雅英に次ぎ2人目。初セーブは12年8月5日のオリックス戦。33歳7ヶ月は4番目の年長達成となり、通算672試合目は平野佳(オ)の618試合を抜く最も遅い到達ペースになった。ただし、益田は抑えだけでなく中継ぎも多く務めたための結果で、通算200セーブ以上の投手では藤川球児(神)の163ホールドに次ぐ161ホールドを挙げている。

益田直也(ますだ・なおや)
1989年(平元)10月25日生まれ、和歌山県出身の33歳。市和歌山商から関西国際大を経て、11年ドラフト4位でロッテに入団。1年目の12年に72試合に登板し、2勝2敗41ホールド1セーブ、防御率1.67で新人最多登板、同最多ホールド記録を更新し、平成生まれ初の新人王となった。13、21年に最多セーブのタイトル獲得。1メートル78、80キロ。右投げ右打ち。

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ロッテOBで守護神の先輩・小林雅英氏も200セーブの益田を祝福「丈夫な体に産んでくれた親に感謝」[スポニチ]

ロッテの益田直也投手がNPB史上10人目の通算200セーブを達成した。

中継の解説席に座っていたロッテOBで、歴代6位の通算228セーブの記録を持ち、「幕張の防波堤」の異名を誇る小林氏は「本人の努力はもちろんですが、丈夫な体に産んでくれた親にも感謝しないといけないですね」と祝福した。

200セーブを達成し、ヒーローインタビューで益田は追加点を叩き出した田村に感謝したり、「ベイスターズファンの皆さんも自分なんかのために拍手を送って下さって大変ありがたい」とコメントした。

投手コーチとしても益田を指導した小林氏は「だいぶ大人になりましたね」と目を細めていた。

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ロッテの守護神・益田直也が通算200セーブ達成!史上10人目、1位は岩瀬仁紀、2位は高津臣吾…[スポニチ]

ロッテの益田直也投手(33)がNPB史上10人目の通算200セーブを達成した。

記念のボードを吉井監督から手渡され祝福を受けた益田は「みんなの勝ちたいという思いに応えられるようにしっかり投げました」と益田らしい言葉で記念のセーブを振り返った。

5−2の9回、益田はロッテ応援団の熱狂的な声援の中でマウンドに上がると、DeNA打線を抑え、今季18セーブ目。通算672試合目の登板で200セーブの大台に乗せた。

NPB歴代セーブ数ランキングは次の通り(6月15日現在の成績)

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DeNA−ロッテ戦前にOB対決で清水直VS内川が実現、内川「感謝です」清水直「たくさんの声援」に感激[スポニチ]

交流戦のDeNA−ロッテ戦(横浜スタジアム)試合前に、両チームOBによる「1打席対決」が行われ、ともに横浜(現DeNA)OBである清水直行投手と、内川聖一選手が対決した。

対決は真剣勝負で行われ、3ボール1ストライクから内川が三塁強襲の内野安打をマークし終了。2人は勝負を終えると笑顔を見せ、内川は「NPBを引退した時点でここの打席に立てると思っていなかったので感謝です」と話し、清水は「たくさんの声援をもらい、ありがとうございます」と汗をぬぐった。

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ロッテ・カスティーヨ、17日DeNA戦先発「自分のリズムでしっかり投げたい」[スポニチ]

ロッテのルイス・カスティーヨ投手(28)が17日のDeNA戦(横浜スタジアム)に先発することが発表された。DeNAは大貫晋一投手(29)が先発する。

昨季、米タイガースでメジャーデビューし、3試合に登板したカスティーヨは今季開幕から中継ぎで2試合に登板し、その後2軍で再調整。6月1日の巨人戦で来日初先発を果たし、同8日のヤクルト戦では6回0/3を4安打無失点で初勝利を飾っている。

右腕は「ビジターでの先発登板は初めてだけど、自分のリズムでしっかり投げたいと思います。チームの勝利のために全力を尽くします」とコメントした。

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7・15ロッテVS楽天戦後に、レゲエユニット「Def Tech」がスペシャルライブ開催[スポニチ]

ロッテは7月15日の楽天戦(ZOZOマリンスタジアム、午後6時開始)に2人組レゲエユニット「Def Tech(デフテック)」が来場すると発表した。同日の楽天戦は、2021年から続く夏のスペシャルイベント「BLACK SUMMER WEEK supported by クーリッシュ」を開催されており、Def Techは、試合終了後にグラウンド内にてスペシャルライブを行う。

Def Techは、ハワイ育ちのShenと東京出身のMicroによるユニット。2005年に発売したファーストアルバム「Def Tech」は280万枚超を売上げた。2020年に結成20周年、デビュー15周年を迎え、これまでに10枚のスタジオアルバムを発表し、今夏には新曲もリリース予定。9月からは待望のホールツアー「The Sound Waves」を全国5都市で開催する。

Microは「父と母の故郷は東京と千葉。そのMixtureでボクは誕生した。燃え続ける信念と情熱でどんな困難をも乗り越え、ボクはマウンドに立ちマイクを握る。音楽は愛と希望を!野球は勇気と感動を!」、Shenは「この特別な時間を皆さんと共に過ごし、心のこもった演奏を共有できることを本当に楽しみにしています。是非、ハワイと日本の間で分かち合うマナとアロハを感じてください。Love you,千葉!」と球団を通じてコメントを寄せた。

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[ロッテ]益田直也、小4長男が200セーブ祝福「僕は完全試合できる選手になりたい(笑)」[報知]

ロッテ・益田直也投手(33)が史上10人目となる通算200セーブを達成した。DeNA戦(横浜)で5−2の9回に登板。3者凡退で今季18セーブ目を挙げた。通算672試合での大台到達は、史上最多登板での達成となった。長男の輝々(きき)くん(9)が、偉大なパパに祝福のメッセージを寄せた。

パパ、200セーブおめでとう!マウンドにいる時は真剣に投げてて、家にいるときは一緒に遊んだり、笑顔のパパ。家だと野球の話をしたり、キャッチボールをしたりしています。妹とケンカしたり、宿題やらない時は怒られます(笑)。

パパのすごいところは、誰よりも体力があって、誰よりも前にも進んでいくこと。あとは後輩よりもたくさん走ることです。

1番の思い出は、今年1月に一緒にマリンでキャッチボールしたことです。今は少年野球を始めたので2週間に1回くらいしか応援には行けないけど、平沢大河選手が逆転2ランを打って、その後にパパが投げてセーブを挙げた試合(4月8日の楽天戦)はよく覚えています。すごいなあって、いつも思います。

僕は小学4年生で、ピッチャーとレフトをやっています。パパの言葉で一番印象に残っているのは「思いっきり投げろ!」と言われたこと。試合の時に、仲間から「(球が速くて怖いから)ゆっくり投げて」って言われたけど、その時にパパが「気にせず思いっきり投げろ!」って言ってくれた。ゆっくり投げてた時は打たれちゃったけど、思いっきり投げたら全然打たれなかった!それで5月14日の練習試合で初めて完封しました。

僕の将来の夢はパパと同じプロ野球選手です。パパとは違うけど、先発ピッチャーで完全試合できる選手になりたいです(笑)。

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[ロッテ]池田来翔、右手薬指骨折も1軍でプレー継続…「粘れ」−父の言葉に背中押された[報知]

「粘れ」−。その2文字に奮い立った。ロッテの2年目・池田来翔内野手は右手薬指を骨折しながらもプレーを続けている。

5月30日の巨人戦(ZOZO)の7回、巨人・鈴木康の145キロが右手に直撃。苦悶の表情を浮かべながら一塁へと歩いたが、右手はすでにパンパンに腫れ上がっていた。その翌日に右手薬指骨折が判明した。この試合では「1番・一塁」で出場し、3打数2安打をマーク。5月20日の楽天戦(楽天モバイル)から6試合連続安打をマークするなど、絶好調中の悲劇だった。

比較的指の先端部分の骨折だったことにより、試合出場が不可能ではないと判断した吉井監督は、池田をそのまま1軍に帯同させた。「少しずつ結果も出始めて、今しかないと思っていた。1軍に残してくれると言われたときは嬉しかった」。ドクターストップもあったものの、痛みに勝る思いがあった。

痛み止めを飲みながらプレーを続ける池田に、父・真樹(なおき)さんからLINEでメッセージが届き、その中の2文字が息子の胸に響いた。

「粘れ」−。

「何とかしがみついて、結果残さないとって思いました」。真樹さんは報徳学園、日大を経てNTT関東(現NTT東日本)に入社。都市対抗でも本塁打をマークするなど、池田にとって今も憧れの存在だ。

父の言葉に背中を押され、息子は患部をテーピングでグルグル巻きにしてグラウンドに立つ。6月6〜8日のヤクルト3連戦(ZOZO)で計5安打2打点をマークするなど痛みをものともしない結果を残し、15日現在で打率は3割1分2厘をマークしている。

吉井監督は池田をタレントの「ラッキィ池田」にあやかり「ラッキー池田」と呼ぶが、飛躍の予感を見せる23歳がここからマリーンズに幸運を運ぶ選手になることを期待している。

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[ロッテ]益田直也、史上10人目200セーブ…最多672試合で達成「浮き沈みの激しい12年間」[報知]

ロッテ・益田直也投手(33)が史上10人目となる通算200セーブを達成した。DeNA戦(横浜)で5−2の9回に登板。3者凡退で今季18セーブ目を挙げた。通算672試合での大台到達は、史上最多登板での達成となった。セットアッパーから始まり、様々な葛藤と壁を乗り越えてきた鉄腕クローザーが勲章を手にした。

重圧から解放された瞬間、益田が表情を緩ませた。3点リードの9回2死。戸柱を中飛に仕留めて試合を締めた。史上10人目の通算200セーブを達成。女房役の田村と強く抱擁を交わした。左翼席に張られた「祝・200S」の横断幕に目をやり、再びこみ上げる感激をはにかむように「今日は緊張したぁ」と笑った。

「うまくいかない長い1年もあったし、うまくいく1年もあった。本当に浮き沈みの激しい12年間だった」。1年目はセットアッパーとして新人王。偶然、1度だけ大役が巡ってきた。12年8月5日のオリックス戦(京セラD)。薮田の不調と内の故障が重なり、プロ初セーブを挙げた。当時の感覚は今も忘れない。

「めっちゃ緊張して、何とか抑えられた。8回よりも難しさを感じながら投げた記憶があるね」。

頑強な肉体と太いメンタルを買われ、2年目の13年に伊東監督から守護神に指名された。14年以降は時にセットアッパーもこなしながら12年間で672登板。先発の白星だけではなく、勝利打点は誰なのかまで考えマウンドに立つ。全てを背負って投げるのがクローザーの務めと考えるからだ。

「みんなの生活がかかっている。あまりスポットライトは当たらないけどシーズン終わった時に大切さが分かるポジション」。

19年以降は順調にセーブを積み上げてきたが、昨季途中は不振に陥り、終盤はオスナにその座を譲った。

「いつも心はバキバキに折れてるけど、やっぱり悔しかった。でも、あの経験が良かった」。

自分がどれほど抑えにやりがいを感じていたか、再確認した。33歳。1月から例年以上に走り込み、9回のマウンドを奪った。

「1回打たれて10回抑えても『まだまだ』って見られるポジション。なかなか(失敗時の)傷は癒えへんけどね。やりがいは経験した人にしか分からない」。

心身を削って打ち立てた金字塔。吉井監督からパネルを渡され「監督には『400セーブ行け!』って言われました」と笑った。「失敗した試合もたくさんあるので、何とかそれを取り返せるようにまだまだ投げていきたい」。益田は特別な場所に今なお、魅了されている。

◇ちょっといい話

益田が守護神の務めを全うする理由には、“お家の事情”もある。「打たれたら子供達(輝々くんら3きょうだい)が泣くんですよ」。ピシャリといかなかった試合後に自宅に戻ると、1番最初に待っているのは子供達からの“おとがめ”だという。「子供達のそういう姿を見たり話を聞いたら『やらないと』って思う。野球を理解してるし、周りの友達も野球をやっているのでね」。セーブ成功を1番祈っている最愛の子供達の姿が、背番号「52」の背中を押している。(実)

益田直也(ますだ・なおや)
1989年10月25日、和歌山・紀の川市生まれ。33歳。市和歌山商(現市和歌山)では内野手の控えとして3年夏に和歌山大会ベスト4。関西国際大で投手に転向。11年ドラフト4位でロッテに入団。1年目に新人最多72登板で41ホールドをマークし新人王。13年にセーブ王。178センチ、80キロ。右投右打。既婚。2男1女の父。

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[ロッテ]通算200セーブ達成の益田直也「失敗した試合もたくさんある。何とかそれを取り戻せるように」一問一答[報知]

ロッテの益田直也投手が史上10人目となる通算200セーブを達成した。3点リードの9回に登板し1イニングを完全投球。チームの後ろを締める鉄腕守護神が偉大な記録に肩を並べた。

以下は試合後の益田の一問一答。

≫200セーブ達成。
益田
「今日は緊張したぁ。ふわふわしましたね。でも、タム(田村)があそこ(8回)で2点タイムリー打ってくれたので。だいぶ楽になりましたし、3点あるのでいらん四球とかそういうのだけ出さないように。何とかできてよかったなと思います。」
≫マウンドでは考える事もあった。
益田
「そんな考えては投げていないですけど、そのとき何したらあかんかだけ。頭に入れて先頭だったら四球だとか、そういうやったあかんことだけをしないように投げていました。」
≫思い出が追加された。
益田
「特に200がすごいという風には思っていないですし、失敗した試合もたくさんあるので。何とかそれを取り返せるように、まだまだ投げていきたいなという思いしかないですね。」
≫吉井監督から記念にパネルを。
益田
「監督からは『400セーブいけ』という風に言われました(笑)。監督を胴上げできるように頑張っているので、まずはそこをできるように。個人よりチームが何とか上に居続けられるように良いところで投げさせてもらっているので。頑張りたいなと思います。」
≫守護神のやりがい。
益田
「節目、節目でああいう風にベイスターズファンの方からも拍手をもらえたり、いつもマリーンズファンの方にも拍手をもらえたり、いつも抑えて当たり前ですけど。こういう瞬間に嬉しくなりますし、頑張ってきてよかったなと思います。」
≫12年間は長かった、短かった。
益田
「うまくいかない長い1年間もありましたし、うまくいく1年間もあって、本当に浮き沈みの激しい12年間だったんじゃないかなと。その中でこういう風に数字に残ったことが、できたというのは1つの自信になるし、いいことかなと思います。」

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[ロッテ]益田直也が史上10人目となる通算200セーブ達成「緊張したぁ。それしかないです」[報知]

ロッテの益田直也投手が史上10人目となる通算200セーブを達成した。球団では06年8月18日に達成した小林雅英以来2人目となった。

「緊張したぁ。それしかないです」。3点リードの9回から登板し、1イニングを三者凡退に抑え、リーグトップとなる今季18セーブ目をマーク。プロ12年目で通算200セーブを達成した。「200セーブがすごいとは思っていない。失敗した試合もたくさんあるでもそれを取り戻していけるように」と気を引き締めた。

パネルを渡された吉井監督からは「『400セーブいけ!』と言われました」と笑った益田。200セーブはまだ通過点。最後に目指すのは「優勝」の2文字だ。

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DeNA・浜口遥大−ロッテ・メルセデス…スタメン発表[報知]

[ロッテ]
1(中)岡、2(遊)藤岡、3(二)中村奨、4(一)山口、5(左)角中、6(三)安田、7(捕)田村、8(右)菅野、9(投)メルセデス
[DeNA]
1(中)関根、2(右)大田、3(左)佐野、4(二)牧、5(三)宮崎、6(一)ソト、7(遊)大和、8(捕)伊藤、9(投)浜口

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[ロッテ]7・15の楽天戦で「Def Tech」がスペシャルライブ[報知]

ロッテは16日、7月15日の楽天戦(ZOZOマリン)で2人組レゲエユニット「Def Tech」が来場することを発表した。

同戦では2021年から続く夏のスペシャルイベント「BLACK SUMMER WEEK supported by クーリッシュ」を開催。2人は試合終了後にグラウンド内でスペシャルライブを行う。

9月からはホールツアー「The Sound Waves」を全国5都市で開催する予定で、Microさんは「父と母の故郷は東京と千葉。そのMixtureでボクは誕生した。燃え続ける信念と情熱でどんな困難をも乗り越え、ボクはマウンドに立ちマイクを握る。音楽は愛と希望を!野球は勇気と感動を!」とコメント。Shenさんは「この特別な時間を皆さんと共に過ごし、心のこもった演奏を共有できることを本当に楽しみにしています。是非、ハワイと日本の間で分かち合うマナとアロハを感じてください。Love you,千葉!」とコメントした。

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ロッテ・益田、史上10人目通算200S、ルーキー時代から背中を追い続ける他球団の先輩とは[デイリー]

着実に結果を残し続け、通算200セーブに到達した。チームには不可欠な守護神。ロッテ・益田直也投手(33)が5−2の9回から登板し、3人でピシャリ。見事な投球で偉業を達成し、「緊張しました」と笑顔を浮かべた。

1年目から、目指す人は変わらない。当時からオリックスのリリーフを務めていた平野だ。「試合前に会えば話してくれるし、本当に同じ境遇」。昨年6月に200セーブを挙げ、同じ抑えを務める6つ年上の先輩の背中を追い続けてきた。

ベテランならではの悩みも打ち明けてきた。「調整法とか『年取って痛いところないですか』とか『その時どうやってますか』とか聞くことはある」。昨年、足に痛みを感じた際にも相談を持ちかけ、助言をもらった。

史上10人目で、ロッテでは小林雅英に続く2人目の快挙だ。プロ12年目。「うまくいかない長い1年間もあればうまくいく1年間もあった。数字に残ったことは1つの自信になる」。マリーンズを引っ張る鉄腕が、日本一へ導く。

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ロッテ、益田が通算200S達成、史上10人目の快挙に「数字に残ったことは1つの自信になる」[デイリー]

ロッテの益田直也投手が、史上10人目となるプロ通算200セーブを達成。「今日は緊張した」と、ほっとした表情で振り返った。

5−2の9回から登板し、京田、森、戸柱の代打3人をピシャリと抑えた。快挙を成し遂げた鉄腕はグラブを2度たたき、捕手を務めた田村とハグ。今季18セーブ目を通算200セーブ目とし、両軍のファンから万雷の拍手を浴びた。

プロ12年目。672試合目での大記録は、過去に達成した10人の中で最も遅いペース。「うまくいかない長い1年間もありましたし、うまくいく1年間もあって、本当に浮き沈みの激しい12年間だったんじゃないかな。その中でこういう風に数字に残ったことは1つの自信になる」。着実に積み重ねてきた努力が結果につながった。

吉井監督からは200セーブのパネルを手渡され「『400セーブいけ』という風に言われた」と、早速ハッパをかけられたという益田。「特に200がすごいという風には自分では思っていない。失敗した試合もたくさんあるので。何とかそれを取り返せるように、まだまだ投げていきたい」。信頼の厚い鉄腕が、マリーンズを日本一へ導く。

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ロッテ益田が200セーブ達成、10人目、最も遅いペース[デイリー]

ロッテの益田直也投手(33)が16日、横浜スタジアムで行われたDeNA1回戦で今季18セーブ目を挙げ、史上10人目の通算200セーブを達成した。672試合目での大台到達はオリックスの平野佳寿投手の618試合を超えて最も遅い。初セーブは2012年8月5日のオリックス戦。ロッテでの達成は06年の小林雅英以来2人目。

益田は市和歌山商高(現市和歌山)-関西国際大から12年にドラフト4位でロッテに入団。同年に72試合に投げて新人最多登板のプロ野球記録を樹立し、41ホールドでも新人最多記録を塗り替えて新人王に選ばれた。13、21年は最多セーブのタイトルを獲得した。

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ロッテ、引き分け挟んで2連勝!メルセデスが3勝目「強気の投球できた」守護神・益田が通算200セーブ達成[デイリー]

ロッテが初回からのリードを守り、勝利。引き分けを挟んで2連勝となった。

初回、先頭・岡が四球を選び、1死一塁では中村奨が左翼線二塁打。山口が四球で1死満塁と好機を拡大すると、角中が左中間へ走者一掃の3点適時二塁打を放ち、先制点を奪った。

さらには3−2の8回だ。四球と安打で2死二、三塁とすると、田村が中前2点適時打を放ちリードを拡大した。

投げては先発したメルセデスが7回7安打2失点と粘りの投球を披露。6回までは、要所を締め無失点に抑えた。7回には4安打を浴び2失点したが、「今日は自分らしいストライク先行の強気のピッチングができた。野手のみんなが良いプレーで鼓舞してくれた。満足いくピッチングだったよ」と振り返った。

3点リードの9回には、守護神・益田が登板。3人でしっかりと抑え、通算200セーブを達成した。

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DeNAとロッテのOBが共演、内川聖一氏VS清水直行氏「1打席対決」がっちり握手も[デイリー]

『交流戦SERIES 2023』が開催され、DeNAのOBで2009年WBCで世界一に輝いた内川聖一氏と、DeNA、ロッテのOBで2006年WBCで世界一に輝いた清水直行氏による1打席対決が行われた。

内川氏と清水氏はそれぞれDeNAとロッテでの現役時代のユニホームに身を包み登場。内川氏はカウント3−1から、清水氏が投じた5球目の98キロを三塁強襲の安打とし、元チームメートのレジェンド対決を制した。

熱戦の後は、がっちりと握手。内川氏は「直さんが投げてる後ろを守らせてもらったこともある。NPBを引退した時点で打席に立つ機会はないと思っていた。このような機会をいただけて感謝しています」、清水氏は「たくさんのファンの声援をもらい、ありがとうございました」と話した。

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ロッテ、7・15楽天戦、Def Techが来場、スペシャルライブ実施へ[デイリー]

ロッテは16日、7月15日・楽天戦(ZOZOマリンスタジアム)に2人組レゲエユニットDef Techが来場することを発表した。試合終了後にグラウンド内にてスペシャルライブを行う。

Def TechのMicroは「父と母の故郷は東京と千葉。そのMixtureでボクは誕生した。燃え続ける信念と情熱でどんな困難をも乗り越え、ボクはマウンドに立ちマイクを握る。音楽は愛と希望を!野球は勇気と感動を!」とコメント。Shenは「この特別な時間を皆さんとともに過ごし、心のこもった演奏を共有できることを本当に楽しみにしています。是非、ハワイと日本の間で分かち合うマナとアロハを感じてください。Love you,千葉!」と話した。

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ロッテ・土肥星也「いい感じで今は投げられています」直球、制球に自信[BASEBALL KING]

「自分の中でも制球も安定してきて、球速も出てきているので、いい感じで今は投げられています」。

ロッテの育成・土肥星也は制球力が上がり、ストレートが力強くなった。育成選手ではあるが、2月に行われた1軍の練習試合では4試合・7イニングを投げ、0失点。3回を無失点に抑えた2月23日の日本ハムとの練習試合では、4−0の5回2死一、三塁で石井一成を1ボール2ストライクから144キロの外角ストレートで空振り三振に仕留めるなど、強いストレートを投げていた。3月1日のソフトバンクとの練習試合でもストライク先行の投球で2回を無失点。

オープン戦では1軍での登板がなく、支配下選手登録復帰を目指しファームで奮闘する。ファームでは主にロングリリーフを担当。4月25日の西武2軍戦から6月7日の楽天2軍戦にかけて7試合・13イニングを投げ無失点に抑えた。

5月26日の日本ハム2軍戦では、先頭の宇佐見真吾に対して147キロを記録するなど、145キロ前後のストレートを投げ、2−2の6回無死一塁で石井を0ボール2ストライクから見逃し三振に仕留めた外角145キロのストレートが良かった。

特に今季の土肥はきっちりと制球できている時は安定していて、7試合連続無失点中の与四死球は0。一方、与四球があった試合は全て失点している。

土肥本人も「四球がある時は球もそんなに強くないですし、バッターにも打たれている」と反省しつつ、「最近は制球も良いし球も良いので、あんまり打たれていない感じですね」と自己分析する。

打たれなくなった要因について「最近、良くなってきたのは肘を下げたというか、自分の中で下の方で投げています」と、肘を下げたフォームがしっくりきたことが関係しているようだ。

気になったのが、コロナ禍前に取材の度に口にしていた“下半身主導のピッチング”。 2020年以降、新型コロナウイルス感染拡大による取材制限があり、3年近く土肥を取材できていなかったが、現在は「今はめっちゃ意識しているという訳ではないですが、そこは大前提としてあります。あとは肘を下げて投げてという感じです」と教えてくれた。

「育成選手ですし、期間もあんまりないので調子を落とさずやっていきたいです」と話すように、1軍のマウンドに上がるためには支配下選手に復帰する必要がある。「今は中継ぎで入っているので、ワンポイントでもロングでもどこでも対応できる投手になっていきたいです」。1軍の左のリリーフは坂本光士郎のみと手薄。ファームで結果を残し続けた先に、支配下選手復帰、1軍登板が待っているはずだ。

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