わたしはかもめ2023年鴎の便り(12月)

便

12月10日

[ロッテ]荻野貴司がDeNA三浦大輔監督に尋ねられたことは…プロ野球奈良県人会イベント参加[ニッカン]

ロッテ荻野貴司外野手(38)が10日、奈良県内で行われた「プロ野球奈良県人会」のイベントに参加し、子供達への野球教室などを行った。

19年以来の参加となり、会場ではDeNA三浦大輔監督(49)から「何歳になったんだ?」と尋ねられたという。38歳と答えると「ケガに気をつけて頑張れよ」と激励されたことを明かした。

また、8日に現役ドラフトが行われ、チームメートだった佐々木千隼投手(29)がDeNAに移る。三浦監督に「よろしくお願いします」と荻野からも伝えたという。

代わって、西武から愛斗外野手(26)が加入し、外野手争いがますます激しくなる。「みんなで競い合って個人個人がレベルアップしてチームの底上げができればいいと思っているので、本当にいい刺激になると思います」と楽しみにした上で「ライトゴロを気にしなくていい形になったので」とニヤリ。今季、田村が西武戦で愛斗にライトゴロを喫している。

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ロッテ・荻野貴司が現役ドラフトで加入の愛斗を歓迎、「チームを底上げできればいい。刺激になる」[サンスポ]

ロッテのチーム最年長38歳の荻野貴司外野手が10日、奈良・桜井南小で開催された「プロ野球・奈良県人会」の野球教室にDeNA・三浦監督らと参加。子供達と交流し「僕も少年時代の気持ちを思い出しながら、来年も頑張っていきたいなと思った」と笑った。

現役ドラフトで西武から愛斗が加入し、外野手争いが激化する中、来季が15年目のベテランは「皆で競い合って、チームを底上げできればいい。刺激になる」と歓迎した。

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ロッテ・荻野、故郷の奈良で小学生指導「少年の頃の気持ちを思い出して、頑張らないといけない気持ちに」[スポニチ]

「プロ野球・奈良県人会」が奈良県内で小学生約100人を相手に野球教室を開き、同県出身のロッテ・荻野が参加。

熱心に指導した38歳は「自分も少年の頃の気持ちを思い出して、頑張らないといけない気持ちになった」と話した。自身4年ぶりの参加で14年前の同会発足時から参加してきたDeNA・三浦監督にも挨拶。子供達からの「足がどうしたら速くなるか?」との質問には「色々なスポーツをした方がいい」と答えた。

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ロッテ荻野「プロ野球・奈良県人会」野球教室に参加「少年時の気持ちを思い出し、来年頑張る気持ちが」[スポニチ]

奈良県高市郡明日香村出身のロッテ荻野貴司外野手(38)が10日、「プロ野球・奈良県人会」による地元恩返しの一環として奈良在住の小学4〜6年生約100人の球児相手に野球教室を開講した。

桜井市の桜井南小体育館で、同県出身のDeNA・三浦大輔監督(49)、ヤクルト・大西広樹投手(26)、阪神・島本浩也投手(30)、オリックス・曽谷龍平投手(23)らが約2時間、キャッチボールや打撃、守備などを懇切丁寧に説明。あこがれのプロ野球選手の一挙手一投足に、子供達から歓声が沸き起こった。

同会4年ぶりの参加となる荻野は「目がキラキラして本当に純粋だった。自分も少年の頃の気持ちを思い出して、頑張らないといけない気持ちになった」と有意義な一時を振り返った。

三浦監督にも挨拶。「“何歳になった?”と聞かれたので“38歳です”と答えました」と話すと「佐々木千隼をよろしくお願いします」と現役ドラフトで移籍する後輩右腕のため、頭を下げた。

質問コーナーでは子供達からの「足がどうしたら速くなるか?」との聞かれると「ボクも小さい頃は田んぼを駆け回っていた。だから色々なスポーツをやった方がいいと思います」と答えた。

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ロッテ荻野、DeNA三浦監督に現役ドラフトで移籍の佐々木千を「よろしくお願いします」、奈良県人会野球教室に参加[デイリー]

ロッテの荻野貴司外野手(38)が10日、奈良県の桜井市立桜井南小学校で行われた「プロ野球・奈良県人会 地元に恩返しスペシャル」にDeNA・三浦大輔監督らと参加し、野球教室やトークショーを行った。

2019年以来の参加となった荻野は、現役ドラフトでロッテからDeNAへ移籍した佐々木千について、三浦監督に「『よろしくお願いします』と、挨拶をさせていただきました」と話し、ともに戦ってきた元チームメートの背中を押した。

ロッテには、現役ドラフトで西武から愛斗が入団。外野手のレギュラー争いはさらに熾烈となるが「みんなで競いあって個人個人がレベルアップしてチームの底上げができればと思っているので、いい刺激になる」と話した。

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現役ドラフトで移籍の佐々木千隼が「人目もはばからず泣いた夜」牛タンを手に部屋を訪れたのは…「お兄さんみたい」朗希も慕う右腕の旅立ち〈ロッテ→DeNA〉[Number Web]

その日もいつもと同じようにZOZOマリンスタジアムを訪れた。現役ドラフトが行われた12月8日。ウェート場に佐々木千隼投手の姿があった。

「もちろん頭には、“自分かもしれない、移籍するかもしれない”という想いはありました。だから電話が鳴るかもしれないと思いながら過ごしていました」。

佐々木千隼は運命の1日をそう振り返る。練習を終え、ロッカールームに戻っている時に本当に電話が鳴った。そしてベイスターズへの移籍を告げられた。

◇国吉、西野ら仲間達の言葉

「最初に感じたのはロッテを離れる寂しい想い。でも、やっぱりプロ野球選手としてはチャンスだという気持ちになりました。2球団、経験できることはプラスですし、セ・リーグを経験することが出来るのも自分にとってプラス。すぐに前向きな気持ちになれました」。

現役ドラフトでの移籍が発表されると、色々な人に報告をした。偶然にもロッカールームには21年にベイスターズからマリーンズに移籍をしてきた国吉佑樹投手がいた。

国吉からは「ベイスターズはものすごく雰囲気はマリーンズに似ていると思うよ」と声をかけられ、様々な助言をもらった。練習を共にするなどこれまで様々なアドバイスをもらってきた西野勇士投手からは「チームが替わっても自分のやることは変わらない。シンプルにそう思うことだと思う。自分のやるべきことをやる。やらなくてはいけないことをやる。そうだろ?」と優しく話しかけられた。

吉井理人監督は監督室にいた。「頑張ってこい」と送り出された。入団以降、先発を中心に起用されていた佐々木千隼を21年にセットアッパーで起用をしたのが当時投手コーチだった吉井監督だった。2016年ドラフトで5球団競合の末、鳴り物入りで1位指名を受け入団し、1年目こそ先発で4勝を挙げたものの、翌18年は右肘を手術して1軍登板なし。19年は2勝で20年は春季キャンプ中に右肩を痛めて大きく出遅れ、わずか5試合の登板で未勝利に終わった。勝負の5年目となった翌21年、54試合に登板をして防御率1.26で8勝。抜群の安定感でチームを支え、大きく飛躍した。

◇人目もはばからず泣いた夜

オールスターゲームにも選ばれるなどセットアッパーとして大車輪の活躍をみせたシーズンで、忘れられないゲームがある。佐々木千隼の活躍もありマリーンズは優勝マジックを点灯させていた。1シーズン制での優勝マジック点灯は70年以来、51年ぶり。マジックは着実に減り、リーグ優勝が現実味を帯びていた。

残り3試合でマジック「3」。対象チームのバファローズが全試合を消化し、残りは勝つのみ。仙台でのイーグル戦1試合と本拠地ZOZOマリンスタジアムでのファイターズ戦2試合を全部勝てば悲願の優勝という状況だった。

10月27日、仙台でのゲームは1対1、緊迫した状況で8回を迎えた。佐々木千隼はこの回から3番手として登板。島内宏明に内野安打で出塁を許すと1死一、二塁から小深田大翔にライト前に決勝打を浴びて敗れた。141試合目で悲願のリーグ優勝が消滅し、試合後は、人目もはばからず泣いた。

今でもその時のシーンは鮮明に思い出される。打たれたのは決め球の1つであるシンカー。丁寧に投げてストライクゾーンとボールゾーンのギリギリに落としたがうまく拾われライト前に持っていかれた。

「悔しい1球でした。もちろん、“たられば”は言えないのですが、あえていうならもっとボールゾーンに投げることが出来ていれば、と思います。それこそワンバウンドになるぐらい。それくらいの開き直りが必要だったかなと今は思います」。

◇失意の千隼の元を訪ねたのは…

仲間達は涙する佐々木千隼を優しく包んでくれた。誰もが知っていた。ここまでチームが優勝争いをできていたのは、背番号「11」の奮闘あってこそだということを。54試合全てで中継ぎで登板し、8勝、防御率1点台でチームを支えてきたのだから。

宿舎では食事会場には行く気にはなれず、自室にいると田中靖洋投手(現ストレングストレーナー)と唐川侑己投手が部屋を訪ねてきてくれた。両手にはテイクアウトで買ってきた大量の牛タンがあった。3人で話をした。野球の話をした。とりとめもない話もした。寝られないと思っていた夜だったが、先輩達の気遣いで傷を少しだけ癒すことが出来た。忘れられない出来事。あの日の悔しさを、その後も糧にしてきた。

現役ドラフトでベイスターズへの移籍が決まった翌日も同じようにZOZOマリンスタジアムのウェート場で黙々とトレーニングをする姿があった、選手達が続々と挨拶に訪れ、別れを惜しんだ。佐々木朗希投手の姿もあった。同じ苗字ということもあったが、いつも優しい千隼のことを兄のように慕っていた。朗希は「ありがとうございました」と頭を下げると、スマートフォンで20枚以上も写真を撮り、別れを惜しんだ。先輩に可愛がられ、後輩に慕われる、そんな選手だった。

本拠地ZOZOマリンスタジアムでの登場曲は入団1年目から一貫して映画「ちはやふる」の主題歌としても有名なPerfumeの「FLASH」。歌の中では何度も「ちはやぶる」と唄われ、千隼(ちはや)という名前から「ファンが楽しんでもらえるのでは」と考え、使用を続けてきた。

◇新天地へ、胸に秘める誓い

移籍が決まった後、佐々木千隼はこんなコメントをした。

「ロッテを離れるのはとても寂しいです。ただ自分にとってはプラスの事ですので新天地で精一杯、頑張りたいと思います。ファンの皆様には7年間、いい時も悪い時も変わらず、凄い声援をいただきありがとうございました。今年、マリンで最後に登板した際に登場曲が流れ、スタンドから凄い声援をいただいたことが忘れられません。皆様、本当にありがとうございました」。

7年間で登場曲はすっかりZOZOマリンスタジアムの風物詩の1つになっていた。その名がコールされるとスタンドはドッと沸いた。ファンにも愛された選手だった。リーグは違えど、同じ湾岸のチームで再び輝きを放つ。そして141試合目で潰えた夢の続きを見る。
(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

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ロッテ・西村天裕、新天地で好結果、44登板・4勝・14ホールド・防御率1.25[BASEBALL KING]

◇アウトの取り方をこだわる

44試合、4勝0敗、14ホールド、防御率1.25。

今年3月に福田光輝とのトレードで加入した西村天裕は、「(50試合登板は)行けると思っていましたが、イレギュラーなことがあったので仕方がない。うまいこと切り替えてしっかり抑えるというのだけをやっていけたらなと思って、残り投げていました」と、目標に掲げた“50試合登板”に届かなかったものの、新天地で自分の居場所を掴み、充実のシーズンを過ごした。

西村は17年ドラフト2位で日本ハムに入団し、昨季までのプロ5年間で通算122試合に登板して3勝2敗12ホールド1セーブ、防御率4.01。入団前は2年目の19年に登板した35試合がシーズン自己最多登板だった。

昨季までのプロ入り5年間で全てのシーズンでイニング数を上回る奪三振を記録し、プロ5年間での通算奪三振率は10.23をマーク。奪三振の高さが1つの武器だった。

今季を迎えるにあたって、「去年までは三振にこだわりはあった」とのことだが、「そこに執着しすぎるとカウントを苦しめることが多かったので、今はアウトの取り方にこだわっています」と考え方を改めた。

そのきっかけになったのが、帝京大時代にチームメ

イトで昨季セ・リーグ投手三冠に輝いた青柳晃洋(阪神)だ。

「阪神の青柳と自主トレを一緒にやっていて、三振狙いにいって力んでフルカウントになって自分で苦しくなるんだったら、簡単にアウトを1個ずつ取っていって簡単に終わった方がいい、中継ぎだったら何日も連続で(登板が)続く。“球数少なく終えられるといいよね”という話から始まって、球数できるだけ少なく、ここぞという場面で三振が取れればベストだなという感じですね」。

西村の役割はリリーフ。“連投”やシーズン通して投げるには、できるだけ“球数”を少なく抑えていった方がいいという考えになったという。基本的に球数少なく投げたいが、場面によって三振が狙える時は狙いにいったりするのだろうか−。

そこに関しては「狙いに行くというよりは、結果ゼロに抑えるためにどうするかですね」とのこと。

今季は43回1/3を投げて、41奪三振。奪三振率はプロ入り後ワーストの8.52だった。それでも、少ない球数でアウトを奪い、44試合中20球以上投げた試合は12試合、1イニングを15球以内で終えた試合は21試合もあった。

7月24日のソフトバンク戦では0−1の9回に登板し、「できすぎじゃないですか」と振り返ったが、1イニングをわずか8球に抑え、その裏、角中勝也の逆転サヨナラ2ランに繋げたこともあった。

ただ、7月以降は「最近(球数が)多くなっちゃっている。それはやっぱり疲れが残ったりすると思うので、もうちょっとうまいこと1イニングの球数を減らせたらいいなと思っています」と15球以上投げる日も増えた。

球数が増えている原因は、相手球団が研究していることも関係しているのだろうか−。

「それもあると思いますし、どうしてもボールの精度が落ちているのかなと思ったので、そこの精度をもう1度どうやったら強くなるかというのを考えながらやっていますね」。

シーズントータルで見ると、今季は1イニングあたりの球数が15.9球。シーズンが終わり、CS前の取材では「怪我から復帰してからもそこはできたかなと思うので、今はできているなと思います」と話し、「自分のピッチング目標にしているピッチングの集大成ではないですけど、しっかりできているからだと思います」と自己分析した。

◇真ん中のプレート

もう1つ昨季から変えたことといえば、日本ハム時代は三塁側のプレートを踏んで投げていたが、昨年の夏以降は真ん中のプレートを踏んで投げるようになったこと。

その理由について「インコースをもっと角度をつけて使っていきたいのと、真ん中のプレートでも外の角度は出ていたので、内の使い方を広げるために真ん中に変えました」と説明した。

西村が開幕から無失点投球を続けていた4月8日の取材で、自分の中で真ん中のプレートで投げてハマっているのか訊くと、「真ん中のプレートを踏んで投げるのは初めてで、まだ1年も経っていないので分からないですね」と話し、5月5日の取材では「結果出てきているので、いい方向に行っているんじゃないかなと思います。外だけでなく内の角度もつけられるようになったのは大きいと思います」と手応えを掴みつつあった。

シーズンが終わり、真ん中のプレートで1年間投げ続けてみて効果はどうだったのだろうか−。

「今までだったらインコースライン上だったんですけど、角度がついているので投げやすかったです。変化球も真ん中から左右に落としたり、曲げたりできた。少々抜けたところで甘いところに行きすぎるというところが少なかったのかなと思います」。

今季に向けて考え方を変え、結果を残すことができた。1年間取り組んだことは間違いなかったのだろうか−。

「う〜ん、間違ってなかったとは思いますけど、これが正解とも限らない。来年もまた同じことを続けるかと言われたら、それプラス何かと考えていかないといけない。正解というか日々進化しなきゃいけないので、進化する過程の中では、良かったなと思います」。

では充実した1年の中で、課題はどこにあったのだろうか−。

「1年間戦い抜けなかったので、体をもっとどういう風にケア、休養をしたり、どうやって怪我を防ぐのかというのをできなかったのでしっかりやっていかないといけないなと改めて思いました」。

秋季練習でも「来季に向けての目標をしっかり立て直して、そこに向けてどうやっていくか具体的な練習メニューを考えていくというのと、その中で怪我してしまったのがあったので、どうやったらそこの怪我を防げたのか、どういう風に1年間投げられる体を作れるか見直してそこを詰めていく。そこでやっていく中で投球で出た課題というのを明確にして潰していくというところですかね」と、1年間投げ抜くために必要なことについて考えた。

来季は“50試合登板”を達成し、シーズン通して戦い抜きたい。

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