わたしはかもめ2026年鴎の便り(1月)

便

1月1日

[記録の泉]落合博満(後編)「年俸で折り合いがつかなければ他球団でやってもいい」日本選手初の年俸1億円プレーヤー誕生の前に…[サンスポ]

サンケイスポーツ記録担当、小川真幸記者が2025年のプロ野球で達成したデータや数字から出来事や人物などを深掘りする連載。日本選手初の年俸1億円を手にした落合博満を取り上げる。

1985年オフの契約更改で年俸9700万円とわずかに届かなかったロッテ・落合博満は翌86年に打率.360、50本塁打、116打点をマークし、3度目の三冠王に輝いた。このオフ、年俸1億円プレーヤーの誕生が今か今かと迫る中で事件が起こる。4位に終わったロッテは10月24日、「今年1年ではなく、3年間の評価をして欲しい」と再契約を希望した稲尾和久監督に対し、「任期(3年)満了したので、イメージチェンジの意味もあり、新監督を」と退団を発表。稲尾監督を師事していた落合にとっては看過できない出来事だった。

11月4日、稲尾前監督のお膝元である福岡市内で催された落合の三冠王達成記念パーティーで、落合は「稲尾さんがいないロッテなら、自分もいる理由がない。もし、稲尾さんと自分をセットで雇ってくれるチームがあるなら、どこにでもいく」と爆弾発言。翌5日、日米野球の試合前の平和台球場で改めて、

(1)
球団は稲尾前監督を3年のうちに優勝させると言ったのに約束を守っていない
(2)
稲尾前監督に秋季キャンプのスケジュールまで組ませておいて更迭するフロントの姿勢に納得できない
(3)
年俸も昨年は稲尾前監督がいたからこちらが折れた。今年は球団側がこちらの要求をのんで欲しい

と発言。さらに「今年は、オレ、絶対に折れないからね。年俸で折り合いがつかなければ他球団でやってもいい」とトレードも辞さない覚悟を表明した。

球団批判に端を発し、ここから、巨人・王貞治監督が「落合は欲しい選手だ。巨人には独特のプレッシャーがあるけど、3割5分、40ホーマー、100打点はいける」と具体的な数字まで挙げて熱望し、大洋の中部新次郎オーナーも「金銭で話がつかないものかと」と金銭トレードを希望するなど、ラブコールが押し寄せる。

11月27日にロッテの重光武雄オーナーと松井球団社長のトップ会談が開かれ、松井球団社長が「落合は放出しません。最終確認です。オーナーと話し合ったことですから」と語気を荒らげてトレード話を否定。12月12日にはロッテ本社で落合と松井球団社長が膝と膝を付き合わせて4時間半にも及ぶ話し合いの末に、落合は「これで24日の契約更改にはサッパリした気持ちで臨みます」と笑顔で現れ、松井球団社長は「お互いの誤解、そして小さな連絡ミス。それが問題を大きくしてしまっていた。今日の話し合いで全て誤解は解けました」と和解を強調し、ロッテ残留と思われた…。

契約更改を2日後に控えた22日、落合の身辺が騒がしくなる。松井球団社長が、中日からトレード要員の名前を挙げて、交換トレードの申し込みがあったことを明かし、これまでの「絶対に出さない」から、「原則的に出さない」に発言が軟化。「いずれもしろ、24日にははっきりしますよ」と含みを持たせた。

そして一夜明けた翌23日、ロッテと中日両フロント首脳の電話折衝で、中日から牛島和彦投手、上川誠二内野手、平沼定晴投手、桑田茂投手の4選手との交換トレードで落合の中日移籍が合意に達した。トレードを通告された落合は「選手の保有権は球団にあるんだし、そういう意味では選手のわがままは通らない。今日、トレードを通告されて、びっくりしている」と複雑な表情をみせた。

中日に移籍した落合は26日に、契約更改交渉を行い、提示された年俸1億3000万円に「満足しています。金額にはこだわっていなかった」と円満サイン。激動の50日≠ゥら、中日との交渉はわずか30分で、日本選手初の年俸1億円プレーヤーが誕生した。

80年に競輪・中野浩一が年間獲得賞金1億円を突破。日本プロスポーツ初の1億円プレーヤーとなり、85年に中嶋常幸が日本ゴルフ界初の年間獲得賞金1億円を達成。落合の中日移籍が決まった12月23日には彦坂郁雄が第1回賞金王決定戦に優勝し、競艇界初の年間獲得賞金1億円を手にした。落合が「他のスポーツよりも給料が安い」と訴え続けた、最も人気があったプロ野球では86年に「1億円の壁」を突き破った。

ページトップ