前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することが8日、分かった。巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。記録にも記憶にも残る15年間のプロ野球生活に別れを告げ、次なるステージへと踏み出す。
引退を決断した沢村は「悔しいっていう気持ちはないです」とすっきりとした表情で話した。引退を決断したが、年明けは2日から1週間オフなく、トレーニングを継続。「もう、これは習慣なんで。これからもトレーニングは続けていきます」と話した。習慣とはいえ、「ウオーミングアップです」と言って、220キロのバーベルを持ち上げる姿は、引退を決断した男の姿に見えなかった。
沢村は「もし、声がかかったら…」と前置きした上で「社会人野球で投げてみたいなって思いは、あったんですけどね。トーナメント形式の一戦必勝の都市対抗っていいなと」と話した。小学2年から野球を始め、中学、高校、大学、NPB、大リーグでプレーし、15年間の現役生活に別れを告げた。「やっぱり野球が好きなんですよね」。ネットスローで投じられたボールは、いつもの1月のボールだった。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、自身のインスタグラムで現役を引退することを表明した。日本語とともに、海外のファンに向け、英語でもメッセージを記した。
沢村は「野球人生に終わりが来たことを受け入れ、別れを告げる時が来ました」と引退を報告。「野球を始めて30年、プロ生活15年。全てが順風満帆ではなかったけれど、ファンの方達はどんな時も支えてくれました」と感謝の思いを記した。
さらに「最も誇れることとするならば、親からいただいたこの身体に1度もメスを入れることなく健康な状態でキャリアを終える決断を自分の意志で出来たこと。今がその時だと思います」と記した。
最後に「野球は全てにおいて成長させてくれました。支えてくれた全ての方々、出会ってくれた全ての方々に心から感謝します。“ありがとう”」と思いを込めた。
沢村は巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することを決断した。
巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得した。
球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ男の引退に、X(旧ツイッター)でも「澤村引退」、「引退決断」、「前ロッテ・沢村拓一」など、関連ワードが次々にトレンド入りした。
ファンからは「寂しいなぁ」、「一生忘れないよ」、「たくさんピンチを救ってくれてありがとう」、「もう1度投げてる姿が見たかった」、「いつまでもあなたが好きです、青春でした」など、引退を惜しむ声が数多く見られた。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することが8日、分かった。巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。549試合の中、天国に旅立った祖母に贈ったセーブがある。
沢村は、マウンドから東京ドームの天井を見上げた。「ばあちゃん、見ててね」。15年7月7日、七夕のヤクルト戦だった。この日、故郷の栃木では、祖母の通夜が営まれていた。本当なら、その場に駆けつけたかったが、母の和子さんから「ばあちゃんも喜ばないから、あなたはマウンドに上がりなさい」と言われ、覚悟を決めた。
チームは、3点のビハインドを背負ったが、一丸ではね返した。運命的な展開に涙腺がゆるみかけたが、マウンドに上がる時、強く決心した。悲しみを表情やしぐさに出さず、「勝つために投げる」。それが守護神としての誇りだった。
9回、マウンドに上がった沢村は涙をこらえ、無表情でボールを投げ込んだ。2死後、山田を空振り三振にねじ伏せ、ゲームセット。試合後、原監督の直筆サインが記されたウイニングボールを大事に持ち帰った。「ばあちゃん、勝ったよ」。巨人が大好きだった祖母に贈る、最後のプレゼントだった。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することが8日、分かった。巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。
沢村は投球だけでなく、言葉にも個性と力強さが満ちていた。名言を振り返る。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することが8日、分かった。巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。記録にも記憶にも残る15年間のプロ野球生活に別れを告げ、次なるステージへと踏み出す。
家族に引退を伝えた日から、2日後の1月2日、沢村は都内のジムで年始のトレーニングをスタートさせた。その3日後の5日、沢村は「ウオーミングアップです」と言って、220キロの重りをつけたバーベルを持ち上げた。懐メロをBGMに黙々と記者の前で汗を流す様子は、引退する男の姿ではなかった。
沢村、もう、これは習慣ですね。プロ野球選手として、野球を仕事にした時から、「野球が楽しいか?」って聞かれたら、そういう感情は正直なくなりましたけど、トレーニング、試合に向けての準備や過程は楽しいです。
この日の前夜も午後8時半には就寝し、午前5時に起床。都内の施設で同8時から練習し、ウエートトレ、ダッシュ、ネットスローなどで汗を流した。「トレーニングは続けますよ。習慣なんで。引退した後に150キロ投げたら面白くないですか」。日々のトレーニングを習慣と言えるまでの努力の積み重ねが、剛腕を作り上げた。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が、現役を引退することが8日、分かった。巨人、ロッテ、大リーグのレッドソックスでプレーし、日米通算549試合に登板。新人王、最多セーブを獲得するなど、球界を代表する「剛腕」として、球史に名を刻んだ。記録にも記憶にも残る15年間のプロ野球生活に別れを告げ、次なるステージへと踏み出す。
2026年の幕開けとともに、沢村は現役生活に区切りをつけ、新たな道に進むことを決断した。昨年10月にロッテを自由契約となり、自身の進退を熟考。様々な未来を頭に巡らせながら、自分の思いに真っ直ぐに向き合った末に、出した結論だった。
「プロはなりたくてもなれる訳ではないし、やりたくてもやれない世界だからこそ、自分の人生を懸けて、やってきたつもり。いつかは決断しなくちゃいけないし、新たなことに向かって、頑張っていきたい」。
「チームが勝つため」に腕を振り続けたプロ野球人生だった。中大から10年ドラフト1位で巨人に入団し、プロ1年目から先発ローテでフル回転。剛速球と強靱なスタミナで、セ・リーグでは江夏豊(阪神)以来44年ぶりとなる200イニング超えを達成し、新人王に輝いた。
「チームが勝つために」リリーフ転向にも迷いはなかった。4年目が終了した14年オフ、原監督から守護神転向を打診され、「やらせてください」と即答。「鬼になりなさい」と言われ、転向1年目の15年は36セーブをマークし、翌年には37セーブでタイトルも獲得した。
何度も壁にぶち当たりながらも、信念はブレず、幾度となく、はい上がった。巨人時代の20年には一時は3軍に降格。周囲の「沢村は終わった」の声をエネルギーに変え、トレード移籍したロッテで復活を遂げ、21年からは夢だった大リーグのレッドソックスでプレーした。
昨年12月上旬には覚悟を決め、大みそかに家族に引退を伝えた。「決断した今、悔しいって気持ちはないです。でもね…。勇人(坂本)からは『あかん』って言われて。『拓一、まだやれるねんから辞めるな』って。その言葉が嬉しかった」。涙をこらえながら、電話を切った。これからも、沢村らしく、真っ直ぐに生きる。
ロッテ小川龍成内野手(27)が8日、ZOZOマリンで自主トレを公開した。
グラウンドでキャッチボールを行った後に、室内練習場で打ち込んだ。年末年始はジムに行くなどして体を動かしていたと言い「5日から結構本格的に動いてるんですけど、いきなり強度上がってるんで、ちょっと体張ってるとか、筋肉痛の部分あるんですけど、いつも通り入っていけてます」と話した。
昨季は87試合の出場。シーズンを終え、フィジカルの強化に重点を置いた。体脂肪率を15%から開幕までに12%以下に落とす目標設定をした。「秋のキャンプの時に、松山さんに内野手で動ける人でってなったら、12%ぐらいじゃないとっていう風に言われた。食事管理と、トレーニングの部分でちょっと脂肪燃焼しやすいようなトレーニング入れたりとか。僕が甘えなければできると思います」とシーズンまでに整える。
年末年始は友人と大阪旅行に行くなどしてリフレッシュ。初詣のおみくじでは中吉だったが「大吉引いたら運を使いすぎちゃうんで、中吉ぐらいがいいなあと思ってました」と前向きに捉えた。「守備の面ではまずはエラーをしないことを1番に置いて、その中でキレだったりスピードが出てくれば。打撃はしっかり塁に出て、足でかき回すっていうタイプだと思うので、そこを意識してやりたい」と意気込んだ。
ロッテは8日、2月28日に都城運動公園野球場で、都城市主催となるオープン戦を開催すると発表した。都城市で開催されるロッテのオープン戦は初めて。
前ロッテの沢村拓一投手(37)が現役引退を決断したことが8日、分かった。昨年ロッテを退団後、現役続行の道を探ったが、この日までにオファーは届かず、ユニホームを脱ぐことを決めた。日米通算549試合に登板した剛腕投手が、プロ野球生活に別れを告げる。
まだできる。しかし、オファーはない。潔く、決めた。沢村が15年の現役に幕を下ろす。先発とリリーフ、日米の第一線で腕を振った。
「11月の終わり頃から引退を考え始めた。ここまでの時間はプロ野球に別れを告げるための時間だった気がします」。
この日までに関係者、親しい知人、恩義を感じている先輩や後輩達に現役を退く意向を伝えた。すでに引退を決め、この日も朝からトレーニングに向かった。スクワットは230キロを挙げ、キャッチボールも行った。昨季は、20試合(18回1/3)に登板。直球は156キロ、スプリットは152キロをマークするなど極端に力が衰えた訳ではない。ロッテに限らず、各球団は若手にシフトするチーム編成の流れもあり、ベテラン右腕の需要はなかった。
2011年に中大からドラフト1位で巨人に入団。プロ1年目に11勝を挙げて新人王に輝いた。2年連続2桁勝利を挙げるなど主力投手となった。5年目の15年からクローザーに転向。16年には37セーブでセ・リーグのセーブ王を獲得した。20年9月にトレードでロッテに移籍。同年オフに海外フリーエージェント(FA)の権利を行使してメジャー挑戦。レッドソックスと2年300万ドル(約4億7000万円)で契約した。ア・リーグ東地区のライバル、ヤンキース戦では通算12試合に登板し、対戦打率.156に抑えた。ジャッジやスタントンらメジャー屈指のパワーヒッターと力勝負した。レ軍との3年目は球団と沢村の双方に契約延長の権利があった。しかし、2年目にメジャー40人枠を外されると3年目の契約延長は選択せず、自由契約を申し出た。
23年にロッテに復帰すると春季キャンプで早朝のウエートトレーニングの習慣を若手に根付かせるなど背中で模範を示した。「環境を言い訳にする人間は、整った環境があってもやらない」。己に厳しく、仁義を大切にする男。一見、強面だが人情に厚い兄貴分の性格は慕う若手や関係者も多かった。
米球界への再挑戦も視野に入れていた。しかし、移籍市場の動きが遅く、38歳を迎える年齢も影響し、移籍先を探すのは困難だった。マイナー契約の場合、トランプ政権下では就労ビザの発行に1ヶ月以上の時間がかかり、春季キャンプとオープン戦に招待選手で参加できたとしても、いつチームに合流できるか不透明な状況だった。韓国球界などから、オファーもあったが、日本球界からオファーがなかったことで引退を決めた。
ただ、まだ投げたい情熱はある。体も元気だ。仮に機会があれば、一発勝負の社会人野球で投げる希望を密かに抱いている。15年のプロ生活に別れを告げ、沢村は新たな野球人生に向かう。
ロッテ・小川龍成内野手(27)が8日、ZOZOマリンスタジアムで自主トレを公開した。
昨季は87試合の出場ながら、後半戦に状態を上げて打率.264と及第点の数字を残したが、ここ2年間は二塁に専念していた藤岡が遊撃手に再転向したことでレギュラー争いは混沌としている。
二遊間を高いレベルで守れるだけに「チャンスがあればどのポジションでも。いける準備はしてるんで。セカンド、ショートしっかり練習して、どっちでも行けるようにっていうのは準備してキャンプインしたい」とユーティリティー性を示してアピールする。
そのためにも今オフは肉体改造を進めている。「秋季キャンプで松山さん(チーフ内野守備走塁コーチ)に『内野手で動けるとなったら、体脂肪率が12%ぐらいじゃないと』っていう風に言われたんで、そこを目標に」と現在の体脂肪率15%から体重と筋肉量を落とさずに3%削減する。
「そこまで落とせば体のキレが出てくる。食事のコントロールと、脂肪燃焼しやすいトレーニングを入れて。僕が甘えなければいけると思います」。
初詣でのおみくじは中吉。文面は「あなたの行動次第で環境が変わる」。小川は「移籍ってことですかね?」と笑ったが、不動のレギュラーという立場への変化とも取れそうだ。
ロッテの新人10選手が7日に入寮した。ロッテに限らず、入寮取材の恒例となっているのがフレッシュなルーキー達が寮に持ち込んだ物の紹介。近年はドジャース・大谷の影響で、寝具メーカーのマットレスの登場率が異様に高くなっているが、生活に寝具は不可欠、ましてや体が資本のプロアスリートならより良いものを選んで使用するのは当然のことなのだろう。
記者がロッテ担当になった23年からドラフト1位選手が持ち込んだものは、23年の菊地が浜辺美波の写真集“厳選3冊”、24年の上田がポケモン「カイリュー」のぬいぐるみ4体、25年の西川は、名字と同じ西川のマットレス「エアー」、そして26年の石垣元は健大高崎(群馬)でストレッチに用いた「サプルバット」という1メートル30センチの棒状の器具だった。
スポーツ紙的には、面白かったり、珍しいものの方が記事になりやすい。昨年はドラフト4位の坂井が「けん玉」を持ち込み、西川以上に大きく取り上げられた。今年のロッテのルーキー達は、3位の奥村が、彦根市長から贈られた同市のマスコット「ひこにゃん」のぬいぐるみ、5位の冨士は、猫などの動物をモチーフにした「まったりマスコット」コンコンブルと、色々話題を提供してくれたが、中でも報道陣の注目を集めたのは、育成3位の杉山諒外野手だった。
杉山が持ち込んだものとして紹介したのは2つ。1つは友人が杉山の幼少期から現在までの写真をコラージュ風にデザインしてプリントしたトレーナー、もう1つが歌手、俳優として活躍する菅田将暉のゲートフラッグ。それぞれのエピソードを軽妙なトークで紹介し、記者達を引き込んでいった。
入寮時の写真撮影では格闘家の朝倉未来のポーズを決め、テレビ局の取材には、菅田将暉の曲をアカペラで歌うサービスぶり。指名順は10選手の中で最後ながら、強烈な存在感を示した。杉山は自身の振る舞いについて「意識的なところもある」と明かし、その理由を「1人ぐらい、こういう人おってもいいかなって」と説明した。
ロッテにはあまりいないタイプのキャラ。結果が全ての世界だけに「まずは野球で」という批判もあるかもしれないが、プロである以上、自身をアピールしていくことも大切だろう。10日には新人合同自主トレがスタートする。50メートル走5秒7を誇る俊足巧打の外野手が、野球、そして言動で雰囲気を盛り上げてくれることを期待している。
ロッテ6年目の小川が必殺のバント安打を復活させる。ZOZOマリンで自主トレを公開。
俊足を武器に24年7月30日の西武戦では9回2死満塁でサヨナラのバント安打を決めるなど、同年は内野安打16本を数えた。
しかし昨季は「サードの守備位置とか、明らかに警戒されてなかなか決まらなかった」と同6本へと減。打開策は「前に出てきたらサードに強い打球を打つ。しっかり打てるところを見せて、隙ができれば(バントを)狙う」。
昨季15%前後だった体脂肪率を開幕までに12%に落とすことも目標。「打撃に切れも出る」と強い打球につなげる。
昨季限りでロッテを退団した沢村拓一投手(37)が現役引退を決断したことが8日、分かった。複数の球界関係者に引退を報告した。現役続行を目指しての退団だったが、本人が望むようなオファーはなく、決断に至った模様だ。中大時代から剛腕で名をはせ、10年ドラフト1位で巨人に入団。21年から2年間レッドソックスでもプレーした右腕がボールを置く。
150キロを超える剛球を誇り、相手打者を見下ろすような風格が魅力だった。沢村は先発、抑えで日米通算549試合に登板。ロッテから退団が発表された昨年10月に「また元気な姿でお会いできることを楽しみにしています。見守ってください」と球団を通じてコメントし、現役続行を模索していた。韓国プロ野球など獲得に強い興味を示す球団もあったが、納得のいくオファーは届かなかったとみられる。昨年末までSNSなどでトレーニングする様子を投稿していたが、既に複数の球界関係者に昨季限りで現役を引退することを報告している。
巨人に10年ドラフト1位で入団。1年目の11年に29試合に先発して11勝11敗、5完投で新人王に輝いた。同年オフから肉体改造に取り組み、1日8食の過酷な食事摂取などを経て到達した100キロ超のボディーが話題になった。12年に10勝を挙げて以降は2桁勝利はなく、クローザーとして活路を見いだすと、16年には37セーブで最多セーブに輝いた。
話題性に富む選手だった。12年に日本ハムとの日本シリーズ第2戦で牽制のサインを見落とし、中大の先輩でもある捕手・阿部(現監督)から頭を叩かれる“愛のムチ”を受けたこともあった。原監督からは「公開説教」を何度も受けた。四球を出してドキドキさせながら最後はねじ伏せる投球をファンは「沢村劇場」と呼んだ。
巨人で3軍降格も味わった20年9月にロッテにトレード。22試合で防御率1.71と2位躍進に貢献した。同年オフに海外FA権を行使してレッドソックスに移籍。入団の決め手はレッドソックスOBで巨人時代の先輩でもあるメジャー通算436試合登板の上原浩治氏の存在で、23年に復帰したロッテの本拠でも同氏の登場曲「サンドストーム」を使用して沸かせた。
ドヤ顔&腕組みポーズの仁王立ちで相手から見ればふてぶてしいほどのマウンドさばきの一方、登板前に嘔吐することもあるほど精神面は繊細でもあった。元日本ハムの斎藤佑樹氏や巨人・坂本、田中将らと同じ残り少ない“88年世代”。グラウンド内外で話題を集めた剛腕がユニホームを脱ぐ。
今季で入団6年目を迎えるロッテ・小川龍成内野手(27)が8日、ZOZOマリンスタジアムで自主トレを公開した。
昨季は87試合に出場。二塁、遊撃を守るユーティリティーは出場増へ向けて「出られるところがあればどこでもやりたい。チャンスがあれば、どのポジションでも」と力を込めた。
家族と出かけた初詣では、おみくじは「中吉」。仕事運の欄には「あなたの行動次第で環境が変わる」と書かれていたといい「大吉を引いたら運を使い過ぎちゃう。中吉ぐらいがいい」と笑顔で話した。
また、年明けには1泊2日で友人と大阪旅行に出かけた。「お店に入って食べて、飲んで、話して」とのんびりと過ごし、リフレッシュした様子だ。
新任の松山秀明チーフ内野守備走塁コーチからは「内野手で“動ける人”は体脂肪12%ぐらう」と言われ、目標に設定。昨シーズン中は15%前後だったといい「(落とせば)やっぱりキレも出るし、筋肉量も増えるのでパワーもつく」と、開幕までに食事管理、脂肪燃焼などのトレーニングで12%を目指す。
千葉ロッテマリーンズは2月28日に宮崎県都城市の都城運動公園野球場で都城市主催となるオープン戦を開催すると8日、発表した。都城市で開催される千葉ロッテマリーンズのオープン戦は初めてとなる。チケットは今月14日から販売を開始する。
2010年ドラフト1位で巨人に入団し、巨人、ロッテ、レッドソックスで日米通算549試合に登板した沢村拓一投手が9日、現役引退を発表した。
自身のインスタグラムを更新。「THANK YOU,FANS!」と感謝を示す画像ととともに「野球人生に終わりが来たことを受け入れ、別れを告げる時が来ました。野球を始めて30年、プロ生活15年。全てが順風満帆ではなかったけれどファンの方達はどんな時も支えてくれました。最も誇れることとするならば、親からいただいたこの身体に1度もメスを入れることなく健康な状態でキャリアを終える決断を自分の意志で出来たこと。今がその時だと思います。野球は全てにおいて成長させてくれました。支えてくれた全ての方々、出会ってくれた全ての方々に心から感謝します。ありがとう」とつづった。
前ロッテで巨人、レッドソックスでもプレーした沢村拓一投手(37)が現役引退を決断した。沢村をプロ1年目から取材してきた巨人担当キャップの片岡優帆記者が、沢村のプロ意識の高さを「見た」。
沢村は高いプロ意識で職業野球と向き合ってきた。若手の頃は右肩の投球障害に苦しんだ時期もあった。
「ケガをするのは技術不足ということです。ボールを投げられない、仕事ができない投手は価値がない」。
苦い経験を糧に、コンディショニングに細心の注意を払い、より良い体の使い方やトレーニングを常に研究してきた。30代で肩肘の故障がなかったどころか肉体は年々進化。37歳の昨季も156キロの剛速球を投げられたのは日頃の積み重ねがあったからだろう。
巨人時代から、天才と称される外部の理学療法士に定期に右肩を診てもらっていた。その先生は沢村の筋肉、骨格、体の動きなどを知り尽くしていて、全幅の信頼を寄せていた。早朝に先生のもとを訪れてから球場に行くことも多かった。
長胸神経麻痺に苦しんだ17年のある日の練習後、右肩の状態的にすぐ診てもらいたいと感じた時があった。だが、先生は所用で沖縄にいた。それでも治療をお願いし、快諾を得ると、羽田空港に急行して人知れず飛行機に搭乗。沖縄で1時間の治療を受けて即帰京した。半日の超弾丸移動にも「全て自分への投資ですから」。翌日は何事もなかったかのように練習に参加していた。
少年時代、高橋由伸さんに憧れて夢中になった大好きな野球が仕事になった。プロとして強い責任感、探究心を胸に日米で15年間、全力で進んできた。野球選手は卒業するが、現役引退は第2の人生のスタート。どんなことにも勉強熱心な沢村の新たな道にも注目していきたい。
前ロッテで巨人、レッドソックスでもプレーした沢村拓一投手(37)が現役引退を決断したことが8日、分かった。昨季は1軍で20登板。シーズン終了後の10月9日に退団が発表されて自由契約になっていた。中大から2010年ドラフト1位で巨人に入団。NPBとメジャーで計15年間、150キロ台後半の速球主体に全力投球を貫いてきた。日米通算549登板の剛腕が第二の人生に歩み出す。
男の決断だ。日米で活躍した沢村が現役引退することが分かった。15年間のプロ野球生活にスパッとピリオドを打つ。スポーツ報知の取材に「野球選手はなりたいと思ってなれる職業じゃないですし、やり続けたいと思ってやり続けられる世界じゃない。だからこそ自分なりに誇りと責任を持ってやってきましたが、マウンドに別れを告げる時が来ました」と明かした。
中大から10年ドラフト1位で憧れの巨人のユニホームに袖を通した。プロ1年目の11年は11勝11敗、200イニング、防御率2.03で新人王。セ・リーグでは江夏豊以来44年ぶりの「新人200イニング」の快挙だった。
ロッテの小川龍成内野手が8日、ZOZOで自主トレを公開し、キャッチボールやノック、その後はマシンによる打撃やバント練習などで汗を流した。主に二遊間を守る小川は、昨季は二塁で16試合、遊撃で41試合に先発出場。だが、今季は藤岡裕大内野手が遊撃に再挑戦するなど、ライバルは多いが、「出られるとこがあればどこでもやりたい。そこはチャンスがあればどのポジションでもいける準備はしてる。特に二遊間になると思うので、セカンド、ショートとしっかり練習して、どっちでも行けるように準備してキャンプインしたい」と、決意を込めた。
年始は友人と大阪旅行に行ったといい、「本当に街で、お店に入って食べて飲んで話してっていう感じでした」とのんびり過ごした。さらに家族と初詣にも出向き、気になるおみくじの結果は「中吉でした。大吉引いたら運を使いすぎちゃうんで、中吉ぐらいがいいなあと思ってました」と謙虚に感想。仕事欄に記された言葉は「あなたの行動次第で環境が変わる」。26年もユーティリティーを武器に、24年の自己最多119試合を上回る出場機会を貪欲に求めていく。
ロッテ・小川が8日、ZOZOマリンで練習を公開し、守備練習で汗を流した。二塁と遊撃を守れるユーティリティー選手で、昨季は87試合の出場にとどまった。「どのポジションでもいける準備はしている」と出場試合数の増加に意欲を示した。
このオフは体脂肪率を3%ほど落とし、12%以下にすることを目指している。「走る面でも打撃でも、切れが出てくると思う」と狙いを説明した。